遠くにみえるあの花火に
DiaryINDEXwill


2004年08月31日(火) おいしい梨/悟られずに乗り切る

おいしい梨をいただいた。
20世紀梨。

みずみずしく、すがすがしい黄緑色の梨。
それを家族でわけて食べた。
おいしいね、と、言いながら。


今日は朝からゴザンスの800字に投稿すべく、
じっとパソコンに向かっていた。

だーっと書いて、えいっと投稿した。
それから「ゴザンスライターへ50の質問」にも答える。

こういうのの答えを考えてる時って、
一番自己満足・自己陶酔中かもしれない、と思う。
やれやれ。

もうすぐ夏も終る。
いろいろなことを片付けてしまおうと思って、
あちらにもこちらにも手を出している。

いっぱいいっぱい、とはこのことかもしれない。


でもそれを悟られずに乗り切りたいのだ。
倒れない程度にがんばろう。
好きなことなのだし。







2004年08月30日(月) 忙しい月曜日

なんだって月曜日というのはこう忙しいんだろう?
やるべきことが後から後からわいてくる。

こんな時、いつも
「月曜日はきらいだとみんなは言うけれど」
(確かそんな名前)というタイトルの小説を思い出す。
読んだことはまだないけど、きっとおもしろいにちがいない。


月曜日は本当に憂鬱だ。
こんな日は午後からお休みをとって
どこか素敵なカフェで小野リサでも聴きながらのんびりしたいと思う。

ああ。最近カフェにも行っていないな。

また、行かなくては。


2004年08月29日(日) 再びへんな夢。お腹痛くて目が覚めた。

昨夜10時就寝。今朝9時起床。
10時間も眠ってしまった。
ふう。

明け方に一度、夢を見て目が覚めたけど、
また眠ってしまった。
夢の中でお腹がいたくて、痛い痛いと思っていたら、
夢から覚めてもまだお腹が痛かった。
へんなの。
へんな夢がつづくね。リアルだし。
いたいーと思いながら、でも気のせいかもーと思って、
また眠ってしまった。
それで目覚めたら9時だった。
やれやれ。





これからエステ。
お顔をなでなでしてもらいに行く。
とても気持ちがよくて、いつもパックされている間に眠ってしまう。
今日は眠ってばかりになりそうだ。

では行って来ます。





2004年08月28日(土) 「すみません〜」と言う夢。

明朝4時15分起床。
「すみません〜」という自らの情けない声で目覚める。
とてもリアルで変わった夢をみた。

私の不注意で火事を起こし、
もう少しで老人が焼け死ぬところだった。
あと一歩気付くのが遅かったら・・・。という夢。
土下座して謝って、
でも夢の中なのできちんとした声がでず、
なんとか声をださなくては、と、ふりしぼったら
本当に声が出た。
弱弱しいへろへろした声。
「すみません〜」
ぷぷ。なんですみませんなんだろう?
へんなの。

今日は、5時出発で出張に出るという彼に合わせ、
目覚ましを4時にセットしていた。

夢のおかげで目が覚めて、よかったのか、なんだか。

見送ってから洗濯をし、朝ごはんを作って食べ、部屋の模様替えをする。
模様替え大好き。
意味もなく家具の配置換えをする。
(それにしても朝5時から洗濯機をまわして、近所迷惑だったかも)



お昼は実家でとった。
温かいおうどん。

結婚式の司会の人に、スライドの原稿を送らなくてはいけなくて、
それでわざわざパソコンのある実家に帰ってきた。
とりあえずこの作業が終わればあと一息だ。と思う。

今は早く結婚式が終わって欲しいと願うばかり。
どこをどう間違って、こんな仰々しいことになってしまったのか。。。





夕方からは親と一緒に買い物に出る予定。


では今からがんばってスライド原稿をしあげます。
むむー。




2004年08月27日(金) 物悲しい旅人

ちょりさんの日記を読むと
いつも少しだけ悲しい気分になる。
体中の水分が寂しがって中央にあつまってくるみたいに、
体の奥でぐずぐずと水分がわだかまる。

それを悲しい気分と言ってしまっていいのか定かではないけど、
体の内側が寂しくなるその感じは、
やっぱり、
ちょりさんの選んで紡ぐ言葉たちがもたらすものだ。

詩。ということをどれ程わかっているかと問われれば、
全く何も。
ど素人なのだけれど、
詩、というのは、
詩人、というのは、
どこか物悲しい旅人であると思う。

少なくとも、
人があまり立ち止まらないところで、
立ち止まって考える、
そういう能力のことだと思う。


私もいつかそのような、物悲しい旅人になれるだろうか?
「物語を書く」ということと、
「詩をつむぐ」ということとを、
ずうっと抱えて旅をする、
そういう旅人になりたいと思う。







さて。
いつも朝、通る道の途中に、
かわいらしい白い外壁の、小さなお店ができた。

はじめはカフェかしら?と、思った。
白い外壁に、ピンクのブラインドの下がる窓。

毎朝見るうちに、少しずつ出来上がっていく様子が楽しい。

昨日の朝見たら、そのピンクのブラインドの下がった窓に、
付け爪の見本が、小さく円を描いて飾られていた。

ネイルサロン!!

こんな駅から少し離れた片隅に、ネイルサロン!
素敵すぎ。

今朝には、扉に「CLOSE」の札がかかっていた。
今日明日にもオープンするのかもしれない。

楽しみだ。






私の欠点は、すぐ人のせいにすること。

そんなつもりはなくても、
思いも寄らぬところで、人のせいにしてしまったりする。
自分の意志とは反対に、時々ふいに、人のせいにしてしまう。

そんな自分に気づく時、ものすごーくへこむ。
凹む。

こんな風に、ぼこっと。


そしてまた、
自分の欠点を見つけるたびに、急に歳をとる気がする。

吐く溜息の湿度も増すような。






と、いいつつおいしいかき餅のおかきを食べています。
ばり、ぼり、ばり、ぼり。

人はずーっと深刻ではいられないのです。
いえー。




2004年08月26日(木) あまりにもびっくりしたこと(良い知らせと悪い知らせ)

あー本当にびっくりした。
友人が結婚するんだって。
しかも10月末に!!(あと二ヶ月じゃん!!)

あんまり嬉しくて、にやにやしてしまうよ。
ふわふわする、というか。
ええ??ええ??
マジで?
今日はエイプリルフールじゃなかったよね??
と思うくらいに、まだ信じられない。

新しい苗字になった彼女のこと、ちゃんと間違えずに呼べるかな。

今年いちばんのビッグニュースだな。
浮かれ気分。
オリンピックはあるし、自分の結婚はあるし、
友人の結婚まである。

わー。

思い出深い年になるなぁ。


ーーーー

さて、悪い方のニュース。
ゴザンスのメルマガが9月で廃刊になるそうで、
ピックアップもなくなるらしい。

ピックアップに取り上げてもらうことや、
メルマガに載せてもらうことを目標にしていた部分も大きく、
寂しいなあと思う。

プログ化されるということで、トップページも自動更新のみになる。
そうなると、確かにより、インターネット出版局らしくはなんだろうけれど、
「人間味のある」「温かみのある」というのからは、
ちょっと離れてしまうかもしれないなぁと思う。

誰かに(少なくともゴザンス編集部の人には)読んでもらえているんだという、
そういう「確かさ」みたいなものが、失われてしまうように思う。

ラスト2回の800字。
今回のお題は「卒業の日/教室で/わたし(ぼく)が」です。

そしてテーマは「ゴザンス卒業文集その1」
今まで投稿した中で、自分が気に入っているものを推敲しなおしてもう一度投稿してください、というもの。

がんばるしかないのだけれど、
今はちょっと、突然のことで驚いているばかりだ。

ああ、しかもラスト1回は、投稿できないだろうし。
(旅行中の可能性が高い)
それが特に残念だなぁ。



でもまあ、がっかりばかりもしていられません。
今日は良いニュースもあったのだし、
外は晴天で秋晴れのような素晴らしい空なのだし、
元気をだして、がんばろう。



2004年08月25日(水) オリンピック

先ほど4時10分ごろ目を覚まし、いそいそと布団から起き出して
寺内選手の板飛び込みを見ました。

うつらうつらしながら、
演技そのものよりも
大人になった寺内選手の顔の方を興味深く眺めた。
飛び込みにむいた天性の体といわれ、
台湾(だったかな)のコーチとともに、小学生の頃から二人三脚で歩んできたこれまでの人生。

大人になったなぁ。
メダルとれなくて残念だったねぇ。
そんな風に思いながらつくづく眺めた。

明日からまたトレーニングの日々に戻るのだろうか?
彼も次の北京オリンピックでは28歳になる。
最後かもしれない。

でも私はまた、演技そのものから少し離れたところで
寺内選手を応援するのだろうなぁ。




2004年08月24日(火) 母という存在

母という存在は、様々な社会的役割を担うものだと思う。

つまりは、
女という社会的立場と、
妻という社会的立場と、
親という社会的立場を、
担っているということだ。

その多様な役割を、ひとりの人間が果たさなくてはいけない。
それはごく当たり前のこととされているけれど、
よくよく考えれば、すごいことではないかと思う。



私はますます、母というものを題材にしたくなってきました。
いつかずっと先に、書けたらいいな。





コンタクトレンズの更新をしに、眼科へ。
ここの眼科にかわいらしいお姉さんがいて、
いつも嬉しい気持ちになります。

医者とか病院というものを敬遠している私ですが、
この眼科だけは(というか、そのお姉さんだけは)好きです。


ではでは、
今夜もオリンピックです。

あ、寺内選手、準決勝進出しました。
ぱちぱちぱち。





2004年08月23日(月) 書こうとしているもの

結婚式の準備で、微妙に忙しいこのごろ。
しかし仕事も普通に暇ではなく、小説も書きたい。

そしてまだほんのり夏バテぎみ。
ああ。





ゴザンス800字を書いてみて、思うことは、
やはり私の書き物は、どこか独りよがりなんだなぁということ。

書くこと自体に満足している。
満足しきっている。

でもそうではなく、
何をどう書くか、ということを意識すべきなんだと思う。
本当は。


書いていて、どうしても離れられない題材に「恋」があって、
「恋」という題材をそれほど中心にすえて書きたいと思っているわけではないのに、
やはり「恋」する人を書いてしまう。

恋に馴染めない女性の、でも恋にからめとられていく女性の姿、
そういったものを、知らず知らずに書こうとしている気がする。
書こうとしているけれど、
書ききれていない。
そういう感じ。

まだまだ未熟だなぁと思う。

自分自身の中で、何を書くかということを意識しきれていないくて、
ぼんやり「平和」で「何もおこらなくて」でも
「愛する人がいる」というような、
そういうことを書きたいとは思うけれど、
書くんだ、とは、意識しきれていないと思う。

私はこれが書きたくて、これを書いていく、というものに、
まだぶつかっていけていない、そう、思う。





もうひとつ「テンション高いやつ」執筆予定でしたが、
中々それどころでもなく……。
また次回のお題で、がんばりたいと思う。
それにしても、私はいったいぜんたい、
何を書こうとしているんだろう?

物語というものを、いったい何のために書くんだろう?

この半年くらい前から、急にまた書き始めた。
中学生の頃は小説家になりたくて、でもなれないだろうなぁと思いながら、
それでも書いていたけれど、
あれからもう10年以上、書いていなかったのに。

10年以上書いていなくて、また急に書き始めた。
「詩」に近い文章は、時々思い出したように書いていたけれど、
エンピツで日記を書き始めて、また急に、だ。

不思議なものだなぁと思う。

物語を書く楽しさを、また思い出してしまった。





それにしても、私の中に湧き上がってくる物語を書きたいという欲求は、
どうしてあふれてくるんだろうか?

話が、別の方向にそれてしまうかもしれないけど、
私自身と母との繋がり、ということが、
どこかで少しは関係しているのかもしれないと、ふと思う。

母のことを考えると、本当に本当にささいなことで
涙が出てしまう。

母という一人の人間について考える時、
自分ではどうしようもなく、心がぐずぐずと湿り始める。
母。
母の笑顔や、強さや、時にわがままにふるまうことや、
時に厳しくふるまうこと。
そういったことを思うだけで、泣けてくる。

特にそれを、誰かに語ろうとする時。


なんなんだろう?

母はごく一般的な人だと思う。
過去に何かお互いにあったわけでもないのに。


いま、自分が書いている物語は、そのうち、
母とのつながりについての物語を書くという方向へ、
変わって行くのではないか。

と、そんな風に思ったりもする。





最終的に、誰かの心に触れる物語が書きたいと思う。
ひとりよがりな、自分だけのための物語ではなくて。

そのためにまず、「書こうとしているもの」が、
いったいどういう性質のもので、何をめざしているのか、
意識する必要があるかなぁと、そう思う。

思うだけは、いつでもたくさん思うんだけども。



ーーーーー

さて、今日は雨。
7時半からの、板飛込みの寺内くんを見なくてはなりません。
彼に関しては、まったくミーハーな私。
今日は予選。
がんばってほしいなぁ。




2004年08月20日(金) 幸せな悩み/秋/そして次もがんばろう

つまりは単純にこういうことだと思う。
「それは幸せな悩みなのである」と。

けれどもまぁ、悩ましい何かがあるというのは、
多かれ少なかれ、わずらわしいもので、
むむーんと、思わずにはいられないのです。

むむーん。



今日は晴れがちな曇り空。
昨日は台風の影響でものすごい風だった。
雨も時々激しく降った。

エアコンの効いた部屋の中で熱心に雑誌を読みながら、
この台風が過ぎれば秋かなぁと思った。
秋。

秋は好きな季節だ。
購買意欲も湧く。それから食欲も、ご機嫌度合いも増す。



ゴザンス800字、トップピックアップに載せて頂きました。
ゴザンス:読む
うれしいなぁ。
次のテンション高めのやつも、がんばろう。

・祭りの翌日

祭りのあとって何が起きる?
テンション高めの物語ってどういうのだろう?
日々の平和の中の、ちょっとした幸福とか、ちょっとした嬉し楽し・・・。
そういうのを書きたいんだけどなぁ。

祭りのあと。
好きな人と一緒に行ったお祭。
昨日は楽しかったねと言い合う喜び。
そういうのはどうだろう?

物語としては、何も波風のたたない、ただほんわかした物語。

・タクシーで

タクシーで??
タクシーの中で昨日楽しかったねと話をするの?
なんだか違和感あるなー…。
違和感がないようにするには、どうしたらいいだろう?


・浴衣の女性が

しかも浴衣の女性が…?
ううーん。。。


というわけで、私の悩みはまだまだ続きます。
次もがんばろう。



悩んでいるうちに夕方です。
外はさっぱりと晴れています。
夏は朝が一番好きだけれど、夕方のあつーい西日の、
ぱあっと明るい感じも、それなりに好きです。




2004年08月19日(木) 800字小説「ラブホテル」

ゴザンス800字小説。
今回のお題は(祭の翌日に/タクシーで/浴衣の女性が)です。
とりあえず、えいっと(やっぱり)投稿しました。

ーーーーーーーーーーーーー





「ラブホテル」


鈴木くんとはただのクラスメイトのはずだったのに。

ホテルの広いバスルームの中で熱いシャワーを浴びながら、

瑠美子は昨日の夜のことを思い出してそう考える。


祭りの灯も消え、屋台が折りたたまれる頃、突然、雨は降り始めた。

祇園祭の頃になると、必ずといっていいほど雨が降る。


「きっとスコールだから、すぐやむよ。」

鈴木くんはそう言って、缶ビールのふたを開け私に手渡した。

雨宿りをしながらちびりちびりと飲むビールは、あまりおいしいものではなく、

自然と無口になっていった。

ただ雨を見つめる時間が続く。


ふたりの間の空気が、だんだん密度を増すのがわかった。

避けられないムード。

缶ビールというものは、思いのほか酔いがまわる。





気がついたら、鈴木くんとキスをしていた。

雨は本降りになり、やむ気配はどこにもなかった。

それで、しかたなくホテルに行った。

京都の街は、皮肉なほど便利に出来ている。

大通りからほんの二、三筋道をそれただけで、もうラブホテルがちゃんとある。


それでも浴衣は、ホテルに辿りつくまでにあっという間に濡れてしまい、

白地に紺のあじさい模様が、体にぴたりと張りついた。

自分でも豊満だと思う胸元は、ぐっしょりと濡れて下着が透けていく。

ばたん。

と、音を立てて扉が閉まったとたん、鈴木くんに強く抱きしめられていた。

着くずれた胸元から鈴木くんの繊細そうな手が差し入れられ、

私はあっというまに鈴木くんに愛されていた。





なんだか妙なことになってしまった、と、浴衣を羽織ながら、瑠美子は再びそう思う。

ホテルの分厚いカーテンの隙間からは、まぶしい朝の光がわずかにこぼれていた。

まだ眠っている鈴木くんの、悪びれた様子のない寝顔を、少しかわいいと思う。

タクシーを拾って帰ろう。浴衣姿ではとうてい電車になど乗れない。

瑠美子はそう考えて、身支度を整える。

浴衣の襟元がまだ少し湿っている。


赤い巾着から携帯電話をとりだして、鈴木くんにメールを打つ。

「先に帰ります。―瑠美子」





ーーーーーーーーーーーーーーーー


少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。
気に入ってくださった方は投票ボタンをどうぞー。




2004年08月18日(水) いやいや病

ああ、マリッジブルー……かな?
単に仕事いやいや病かもしれない。
3ヶ月おきくらいにやってくる「いやいや病」

・人間関係いやいや病
・お仕事いやいや病
・パソコンいやいや病
・恋人いやいや病
・なんでもかんでもいやいや病

単にわがままな性格なのかな。
基本的にひとりが好きなのねん。
何もしたくない時ってあるのねん。

ついでに言うと「向いてないのね病」もあります。

・仕事に向いてないのね病
・主婦に向いてないのね病
・人付き合いに向いてないのね病
などなど


まったくもって、やれやれだなぁ。
ふう。





今週はじめくらいからはじまった「マリッジブルー」は、
私に「波長が合うことについて」や「正しい怒り」について
考察する機会を与えてくれている。

詳細は今ここでは記さないけれど、それはなんというか、
とても重要なことであるかもしれないと思う。


ーーーーーーーーーーーー

昨日、ちらりと書いたゴザンス800字小説ですが、
本日もまた、少しだけ推敲し、
900字くらいのものを830字くらいにまで削りました。

あともう少し、時間をおいてから、投稿しようかな。
いつもすぐに、「えいっ」と投稿してしまうから。

ーーーーーーーーーーーーー

では、これから飲みにいってきます。

*

ただいま。
といいながら、翌日の朝です。

「ももじろう」というチェーンの居酒屋で、
ひとしきり飲んできました。
(京都の方はご存知かしら。看板も店内の座布団もピンク色の店です。)

ももじろうはええなぁ。
うまくて安い。
品数がびっくりするくらい多い。
店員のばかみたいなハイテンションとフレンドリーさも好きだ。
今度行ってみるといいよ。


わたくしめのお祝いの会でした。
開いてくれた友人に感謝。
プレゼントにも、いろいろ工夫をこらしてくれて、
ありがたいことです。

がんばってお料理しなくちゃなぁ。




2004年08月17日(火) あたたかな光/物事を前向きに考えるということ

きのう、
送り火を、マンションの屋上から眺めた。
「法」という字を形作る火の、ひとつひとつが、
ちゃんとくっきり見えるくらいに近くで。

皆、思い思いにビールやらチューハイやらを入れたグラスを片手にもって、
おお、とか、なかなかいいもんだねぇ、などと言いながら見る。

送り火だから、お盆の間にこの世に帰ってきていたご先祖様を、
またあの世まで、無事に送り届けるための「儀式」なわけだけれど、
そういうのは「しみったれている」と思っていた若者の心をも、
「いいねえ」と思わせる素敵な眺めだった。

反対に、送り火を背にして街の中心部を眺めると、
あちこちから焚かれるフラッシュの光が、ぴかりぴかりと白く光っていた。

送り火のあたたかいオレンジ色とは対照的に、人工的な白い光。
でもそれさえも、物珍しく、何か神秘的な光景に映る夜だった。





そしてそんな夜の中で、こんな風に思う。
人それぞれには、コンプレックスというものがあり、
何もかもに自信のある人などいないんだなぁ、と。

自信がなくても、堂々として見える人というのは、
自分の中のいい部分を磨き、他者との比較をできるだけ避けている、
ということなのだろうなと思う。

ものの見方の問題だろうか?
悲観的にならずに、前を向いていたいと思う。

自分自身に対しても、周囲の人に対しても、
美点、というものがちゃんとあって、
それぞれに「人」としてかわいらしく、
「人」としてあたたかい存在であることを、認められたらなぁと思う。

冷たく言い放つ言葉よりも、暖かく包む言葉を多く用いて。

そうできたら、何よりもすばらしいと思う。
「私なんて」「僕なんて」と思っている人に、
そうではないんだということ、そう思う必要なんてないんだということを、
どこかから耳元でささやく声になりたいと思う。

全ての人が万能で善人であるはずなどないのだから、
悲観的になる必要なんてないし、
落ち込んだり、迷ったり、自分はだめな奴だなぁと思っても、
またぐっと前を向きなおして、それでも大丈夫と思って欲しい。

性格のやさしい人ほど、悲観的になりやすい。
でもそれでは、宝のもちぐされだと、そう思う。





結局、昨夜も12時をまわってから帰途に着いた。
私の夏バテはまだまだ続きそうだ。
明日もまた、飲みに行く約束をしている。

とりあえず、今夜はゆっくり眠ろう。
本当は、オリンピックをもっとゆっくり見たいのだけれど。



ーーーーーーーーーーー


ああ、もう、夕方です。
外は雨。
秋がひたひたと、微かに近づいています。

ゴザンスでの800字小説、第1稿を書き上げました。
もう少し推敲して、それから投稿です。

ひとつは書いてみたものの、まだまだだなあと思う。
あともうひとつくらい、テンションの異なる作品を書きたい。
テンションの、高めのやつ。

私の書く物語って、テンション低いよなぁ。。。。。






過去に投稿したものは、ここで読めます。
コロマガジン


2004年08月16日(月) 五山の送り火

世の中には詩人があふれている。
私の人生の中にもまた、詩というものが
うれしく絡まる。





さて、
4日間のお休み中も、毎日出かけていて夏バテは解消されず。
毎日少しの外出であるにもかかわらず、ぐったりして、
めっきり食欲が落ちている。
ぐったり、めっきり。

今日は、五山の送り火。
知り合いのお家にお邪魔して、間近でその送り火を見る予定。
楽しみだ。





800字小説の新しいお題は、
祭りの翌日に/タクシーで/浴衣の女性が

週末は、これにまつわる物語を妄想しつづける。
彼とのドライブ中にも、私は遠い場所へひとり、旅にでていた。

楽しいなぁ。
物語を考えるというのは。








2004年08月11日(水) 梅干の香り/夏の記憶(私にとって夏は、ある二つの記憶だけでできている)


明日からお盆休み。
休み前というのは、なんだか浮かれ気分。

梅干をいただいた。
封をきったら、梅の香りがただよって、手のひらまでおいしい香りになった。

そうめんや冷やしうどんに乗せて食べようかしら。
それとも梅肉を包丁でたたいて、和え物にしようかしら。
梅干の酸味に、夏を感じる。





昼下がり。
今日も平和に雲が流れる。

こんないいお天気には洗濯物がよく乾く。
シーツを洗おう。
カーテンも洗おう。

銀色夏生さんの「春の野原満天の星の下」を、ぱらぱらっと見る。
すごく好きだ。





ゴザンスの800字小説にはまっています。
書いて送って、誰かの目にふれる喜び。
見知らぬ人の、すばらしい物語を読む楽しさ。
普段思いも付かない方向性の題材。
勉強になるし、わくわくする。





銀行へお金を振り込むために、ちょっとそこまで外出をしてきました。
空気がむうっと暑く、湿度はそれほど感じないものの、
砂漠か何かにでも立っているみたいに、
太陽熱が上からと下からと、攻撃をしかけてくる。
今年の夏はこんなにも暑かったのだなぁと、痛感。

毎日エアコンの効いた室内にいて、
窓から見える空を見ているだけの生活。

おもてに出て、汗を流さない日々。

私にとって夏は、子供のころの記憶と学生のころの記憶の、
二つだけでできている。

どちらも、めまいがしそうなほどキラキラしていて、
陽射しに溢れていて、簡単には手の届かない大切な記憶だ。


夏なんて嫌いだなぁと思っていた時期もあるけれど、
この二つの記憶のおかげで、私は今では夏が好きだ。
夏も、そう悪いものじゃない。
そう思える。


どちらの記憶も海につながっている。
島・スイカ・洗濯・子供たち・海・ビーチサンダル
全然別の場所の、全然違う時間の中に、つながる記憶がある。





2004年08月10日(火) 熱いお茶/新しい名前を考えよう


朝から胃がもたれていて、歯磨きをしたら「うっ」となった。
それで、熱いお茶を飲んでいます。
エアコンの効いた部屋では、熱いお茶がおいしい。



きょうで日記二日目。
新しいスタートであるために、新しい名前を決めようと思う。
ハンドルネーム。
でもそれは、便宜的なものであって、本当は名前なんてどうだっていいと思っている。
しかしながら、名前というのは案外重要だ。

それまでのハンドルネームとは、4年くらいの長い付き合いだったから、
新しい名前は、どれもこれも、どうもしっくりと馴染まない。
今、仮の名前として「花」とつけているけれど、
それだって、なんだかこそばい。

ずうっと使える名前にしよう、と思うと、しゃちほこばって、
いい名前が浮かんでこない。
すとん、と、おなかのところに収まる名前がいいのだけれど。なかなか。

ちゃんと、性と名(らしきもの)のある名前にしたいのに、
浮かんでくるのは、突拍子もない名前ばかり。
「そら豆」とか。
なぜか。





深夜、蚊に噛まれてかゆくてかゆくて目が覚めた。
二度も。

二度目はさすがに起き上がって灯りをつけて、退治した。
たくさん噛まれたのに(5箇所も)やっつけた蚊は、
ほんの少ししか血を吸っていないみたいだった。

手のひらにつぶれた蚊と、かすかな血。

ティッシュでふき取って、台所に行ってお茶を飲んだ。
真夜中のむっとした空気と、ぼんやりした意識。
普段、夜中に目を覚ますことがあまりないので、
なんだか奇妙な感覚になった。

いてはいけない時間と場所にいるような、歪められた感じ。

で、また布団にもぐって寝た。
朝になるまでは眠っていようと思って。





日記をやめていた間も、日記をはじめた昨日も今日も、
相変わらず何も変わらない、穏やかな日々を送っています。

もちろん、心の中はいつも大海原で航海する船のように、
日々うつろい、
波にのまれたり雨に降られたり、
また、太陽の恵みに感謝したりしているわけですが。

それでも、相変わらず平凡で平和な日々です。

さて、
きょうはどんな一日になるのでしょう。

続きはまたあとで。





大好きな人たちの日記を読むと、嬉しくなる。
しばらく訪れていなかった人たちの日記を読みに、
ネットの海をさまよいました。

その人たちの発する言葉の、どういうところが好きなんだろうと、耳をすます。
あるいは、以前の私の日記に、毎日のように訪れてくれていた10人くらいの人たちは、私の日記のどういうところが好きだったんだろうと、考える。

マイエンピツに私が登録している人たちのもつ、言葉の湿度。
呼吸。視点。やわらかみのある表現。
たぶんきっと、自分自身の生活や人生への愛情、愛着。

エンピツ以外で日記を書いている人たちにも、大好きな文章を書く人がいる。

みんなに共通するのは、「肯定する」ということかもしれない。
人生を肯定して、はじめて前に進む気がする。

そういうところが好きなのかもしれない。
そういう暖かい湿度をたもった言葉。
読んでいて、嬉しくなる。





さて、
明日は水曜日。
水曜日はなんとなく好きな曜日です。


2004年08月09日(月) 遠くに見えるあの花火に


きのう、
小さな町の小さな住宅街の片隅で、
こうこうと灯りのついたリビングから、
遠くの花火を見ました。

光がぱっと輝いて、しばらくしてからどどんと打ち鳴る。
それを、もうすぐ旦那さんになる人と、ひっそりと見ました。
横目では野球中継。

ごくありふれた花火の、そうロマンチックでもない景色。
もうすぐしたら、この部屋から帰ることもなく、
この部屋に帰ってくることになるのだなぁと、少し思いながら。





また、日記をはじめることにしました。
約4ヶ月の我慢でした。
その4ヵ月の間に、私にはやはりこういう場所が必要であるのだと知り、
自分の心に素直にしたがうことにしました。

以前よりも少しだけ、
いろいろなことを意識して、
日々をつづっていきたいと思います。




豆ごはん |MAIL

My追加
素材提供