けろよんの日記
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2005年04月27日(水) 3歳児は困ったちゃん?

 なんだか、先日の発熱以来こなみの困ったちゃん度が
アップした気がする。
 「恐るべき2歳児」を脱出したのではなかったのか?

単にイヤイヤな2歳児に比べ「○○してから」とか
「▲▲がいいの」とか屁理屈?がもれなくついてくるので
ますますおおむかつき。

そういうときにタイトルの本を図書館で発見して
思わず飛びついてしまった。
内容は子どもの問題行動には必ず親の問題が背景にあったり
するということで、親の態度からまず見直しというか、
まあ大部分はおおらかに見守るべしみたいな。
しかし、朝「出かけるよ〜」と宣言してから
グズグズとあれやこれや言い出す娘に対し
大人気なく切れまくる母なのであった。


2005年04月26日(火) バカのショートカット

 このところ自分の能力にいたく限界を感じ
落ち込むことしきりです。
 数年前までは若さゆえというか根拠のまるでない
自信で今は青いけどいつかはと思っていた節があり(苦笑)
 特に職場がゆらゆらしてじゃあこれから何をする?
といったことを考えるととにかく自分の能力不足だけが
目につき鬱々としてしまいます。

 図書館で「バカの壁」があり早速借りてきましたが、
まだ読んでません。どんなことが書いてあるんのでしょうか?

知性派が好きなんですが、知性派とは程遠いっす。
でもおバカはおバカなりに賢い人には思いもよらない
斬新な方向から切り込んでいけたりしないかなあ?なんて
思ったりもします。
名付けて「バカのショートカット」どないだ?


2005年04月22日(金) 初休み

 こなみ昨夕より発熱。喉頭炎の模様。
お医者様と「お薬を飲もうね」と
約束したにも関わらず。
ものすごい拒否。「しろいのだけのむ」
「ぴんくのはからい」

一時期、さらさらっとお薬を飲んで楽してた
時期があるだけにキツイ。

逡巡したがどうしても休めない日だったので、
こなみ曾祖母→義母リレーで乗り切った。
最近病気というと義母にお願いしているが、
あまりにも続きすぎたか、「いかない。おばあちゃんきらい」と
ごねるようになってしまった。

しかし、そうもゆうておれず、
曾祖母宅に3歳児を置いていく。
熱でしんどい上、母が行くがいやで「いや、だめ」と
ごねていた筈なのにおもいっきり泣き顔のまま
「ばいばい」と手を振る姿がなんとも健気で「ううっ」と
来る。が、出る。

夕刻、お迎えに行く。
やはり身体がしんどかったようで一日ぐずぐずして
食事も禄に取らなかったようだ。
帰り際には駅弁販売コーナーの蝋細工を見て
「たまごたべる」と言い出したし、
帰りの電車の中でもずっとおしゃべりをしていて
機嫌はそう悪くなかった。


2005年04月21日(木) おんなのこ

 こなみ3歳児。
スカートをいたく嫌がってはきません。
「かわいいのはこー」「かわいいのいやー」と
いう会話が休日ごとに繰り返されます。
かくゆう私も幼児期は3歳上の兄に憬れて、「おとこのこになるー」
と母の用意する可愛い服を全てこばみズボンのみはいていた時期が
ほんの3〜4年あります。
(かーちゃんごめん!)

ぴんくや赤よりブルーやグリーンが好きで女の子というと
そのての色のものが配られるのがひじょおおに不満でした。
「(兄もいないのに)娘よお前もか!」
と脱力していたところ、ぴんくやキャラ物(キティちゃんなど)は
大好きなことが判明。(母はミッフィーの方が好きだ)
お化粧にもいたく興味を示し、ごく稀に母がパタパタしていると
「なーちゃんも!」と全く同じことを強要いたします。
これっておんなのこのDNAなのか、おとこのこも側にいたら
同じ言動を取るのかちょっと興味深いです。
まあ、絶対これじゃなきゃ着せないというほどは子どもの衣服に
執着がないから別にいいんですけどー。


2005年04月17日(日) 狭い心

 快晴。
こなみと二人で大津市の友人宅を訪ねる。
もうじき4歳と1歳の二人の男の子のお母さんで
来月2度目の育休から復帰する予定。

 お日柄もよく、琵琶湖ホテルは人で満杯。
隣接するアーカスもなぎさ公園も人出で賑わう楽しい休日。
水辺ってなんて気持ちがいいのだろう。
 ともあれ、レストランは無理そうなのでロッテリアで
セットを買い、噴水+人工小川の近くに陣取ってご飯を食べ始める。
子どもたちがわらわらとむらがり水遊びを楽しんでいた、
既にはだかんぼうのお子様もいる。

 と数分もしないうちにわれわれの子どもたちも水遊びをはじめた。
ぬらさないように注意するなどという知恵はまだなく
あっという間にびちょびちょ。
諦めて、下半身ぱんついっちょにして放すと
もうそれはそれは楽しそうに走り、歩き、飛び。
満面の笑顔。

子どもの頃って本当に些細なことが楽しくて嬉しくて仕方なかった。
今ではさまざまな条件がかみ合わないとそういう気分にならない、
お金を出さないと出来ないことばかり。それさえ些細なことでしかめ面。
心の貧しい大人になったものよのお。と思う。
 
 一緒に遊ぶN君は子どもらしく、登ったり、飛んだり、走ったりが大好き。
7ヶ月上だし、運動神経も抜群。
同じレベルではないこなみが同じことをしたがるのを見て、
母はひやひやする。
こなみさんはいつもそうだが、仲間が出来ると途端に強気になり、
母のゆうことをいつもの3倍聞かなくなる。
またN君母にもたくさん要求を出していた。
 そんな姿にいつもの5倍イライラして怒鳴っていた母。
WM仲間と沢山おしゃべりを楽しもうと思っていたが半分は子どもに
気がいってしまう。
 友人はこういうのは子ども同士で遊んで楽ねぇと言っていたが、
キャパが半分のけろよんはいつもの倍疲れた。
もっともっと外遊びさせて自分の許容範囲を広げなければいけないなあ。


2005年04月16日(土) 埒もないこと

 こなみを伴い夫実家へ。
こなみはそろそろチャイルドシートが窮屈になったようで、
「くびしまるー」とひどくベルトを嫌がる。
 取り立てて用事があるわけでもなく、
単なる孫の顔見世なので、ひたすらこなみはじじばばに任せて
寝る夫とA日だの旗だの新聞を貪り読むワタクシ。

中国・韓国の問題は全然詳しくない。
そういう奴がこんな文章を書くのはどうかと思うが、書かないよかマシだし
ド素人の一文にも五分の価値があるかもーと淡い期待。
非常に勇気がいるのだが。

反日デモのニュースはやっぱり怖い。物壊したり投げたりするのは
虐殺・搾取とレベルが違うのかも知れないがそれはやはり蛮行と呼ぶ。
 そんな中正直いうと「日本は中国・韓国に対して既に責任を果たした」
旨の発言には自国が全く無責任に放置していた訳ではないのだなと
少しほっとする。
南京大虐殺など父祖の蛮行はあったといわれるより無いほうがいい。
が、真っ向からぶつかる意見を両方見聞きすると混乱する。
「本当のところはどうなの?そのニュースソースは?それは確実なの?」と
まず真偽を疑いたくなる。
無知ゆえに半端な知識で判断するのは危険だと感ずる故。

 ちょっと話はずれるが何年か前、会社の同僚と訴訟の記録を読んでいて
「真実は一つの筈なのにどうしてこう揉めるようなことになるのだろうか?」
という今となっては青臭い質問を相手に投げかけたことがある。
相手の答えがふるっていて、
「真実は一つだけど解釈が幾通りもあるから」
だった。今となって腑に落ちる。

 で、今回感じたことは(考えたことじゃない)法的か否か、
賠償したかどうかというのはこの際相手方には実はどうでもいいこと
ではないのか?「とにかく痛いんだよ。あんたの付けた傷は」と
言いたいわけで、「いやだからこうこうしてあげたでしょ」
という言葉では決して収まらないか抗議している。
 また経済的・肉体的・心情的に日本が何らかの形で他国を
搾取してきたという事実は変わらない。
そして、我が国の賠償ではその傷はあまりにも深くて
とてもとても埋められないということだ。
今までのお金と謝罪の言葉だけでは駄目だということだ。
 今回の反日デモは利権とか政治とか外交とか経済が複雑に
からみあっていて、全ての不満の原因が日本ってわけではないらしい。
が、ファクターの一つとしてあるわけで、でその不満の解消を
国家レベルでどうすればいいかなどということは全く考え付かない。
皆満足などという解決方法は神様でなければ無理だ。

 もう一つ問題点。加害者の代替わり。少なくとも過去において
現在の私達は実際に手を下していないということ。
本当に心から謝罪するということは難しいと思う。
日本人として申し訳ないことをした、恥ずかしいと思うという
レベルまでは持てる。
しかし、執拗に日本は酷い、日本は悪い、という非難を繰り返された
場合どうしたって逆ギレしてしまうのが大抵の人じゃないかと思う。
(少なくとも自分は実際面と向かって非難されたことはないが、
もしそうされたら人間が出来てないのでとても困った事態に陥るかも。)
昔どこかの新聞記事で日中の学生の交流会があって日本の女子学生が
中国の学生に執拗に責められて最後には
「じゃあ謝る以外にどうすればいいの?」と泣き出してしまった。
ということがあったらしい。
 また友人が大学時代社会学部の関係で韓国にしばらくホームステイ
していた際、友人の友人がそこんちのお爺ちゃんだかお婆ちゃんだかに
酷く罵られやっぱり泣いてしまったなどという話を聞くとやるせない
気持ちになる。
 そういう人が謝罪したり、賠償したりしても真実味がないんじゃ
なかろうか。

 さて、個人のスタンスはどうだろうと考えた。
「過去の歴史については、申し訳なく思っています。
それは今更塗りかえることは出来ないでしょう。
そしてあなた方の心の痛みについては言葉やお金では埋められないと
思います。私に出来ることは少なくて痛ましく思うことのみです。
 今後は私達や次世代の子ども達でよりよい関係を築いていくという
ことでその代償に代えることは出来ないでしょうか?
互いの関係や文化を尊重するということでよい関係は築いていけないでしょうか?」
と問いかけてみたいです。うーん。甘いかな。

 日中関係に心を痛めている中国人が多いと聞くと
そういう関係が今後も継続できれば大丈夫だと思う。
こういう心を痛めてくれる人を増やさなきゃいけない。

とりあえずなんで靖国神社参らなきゃならないの?>首相及び
国会議員の方々。<その必然性はどこから?
そんだけ相手が嫌がってるのにするのはやっぱり喧嘩売ってると
思われても仕方ないと思うけど。


2005年04月09日(土) お花見

 週末にあわせたように桜の花が咲き誇り、
注文したかのようないいお天気。
朝から一緒に目覚めたこなみとそのパパに
「お天気いいから桜を見に行こう!」
と誘う。

 桜通りと名付けられた桜並木の遊歩道に
向かうつもりが「こうえんいくー」と主張するこなみに
あわせて近くの公園に行く。
ほどよい大きさに遊具が散らばったその場所は桜の木も
何本も植えられ実は素敵な花見スポットなのである。
この日も入れ替わり立ち代りカップルや家族連れ、
友達同士がお弁当やスナックを持って現れるが、
集団で大騒ぎをするわけではなく、
短すぎもせず、長すぎもせずほどほどに団欒や邂逅を楽しむ姿が
とてもよかった。
体力なし、しんどがりの我が家には格好のお花見場所だ。
途中でパパが辛抱たまらず、ビールやお茶、おむすびを調達してきて
我が家も小さな宴会になった。

 私たちの住む地域は住宅地、それも戸建が多いせいなのか、
庭の手入れがよくされていて春になるとそこかしこで花が
見えるのが嬉しい。今も白木蓮だのフリージアだの。
こなみの保育所への通学路は大きな社宅があって
やはり桜の並木道が目を楽しませてくれていた。
毎年春にはこなみを自転車の前かごに乗せ鼻歌など歌いながら
ピンクの花びらがはらはらと舞い落ちる中漕いでいくのが
とても好きだった。
 けれどその社宅は昨年大手マンション会社に売却され、
全て切られてしまった。どうやら、マンションの入口に
4本だけシンボルの様に植えられるらしい桜の木。

 ところで、こなさんはなかなかお家に帰りたがらず、
ずうっと遊んでいた。こちらはベンチで先日マルコさんに返しそびれた
「対岸の彼女」を読み直したり、夫婦二人で砂場に座って夫に
泥団子の作り方を教わったり。(実は夫は団子職人だった。)
そういえば、初めてダイヤさん、マルコさん、ぎんちゃんに
お会いしたのはもう2年前になろうとしているなあ。
その時マルコさんと1号ちゃんが団子に最適の砂をゲットしたと持参しておられたとか、
砂場で遊ぶのは大人も癒されるというようなことをこの間
さるとるさんが書いておられたなあということをつらつら思っていた。
そんなこんなで4時間くらい公園にいた。インドア家庭の最長記録。


2005年04月07日(木) 鬼の霍乱

昼過ぎ頃より関節が痛い、ダルイ気分。
どんどん酷くなってきてもうよれよれ、
保育所・クリーニング・スーパーをすませて帰宅する頃には
もう涙目になっていた。
 熱を測ってみると37度7分くらいある。
実に3年振りの発熱だなあと思う。
普段ひどく疲れやすくすぐへたれるけろよんだが、
寝込むことはあまりない。熱も殆ど出さない体質。
逆に熱が7度台でも堪える。

 最初は「だいじょうぶよ」と声をかけて肩をとんとん
たたいてくれたり、「おねつはかろ」といってくれた
こなみも途中から「おなかすいたー」「のどかわいたー」
「だっこしてー」「おしっこー」と次々要求を繰出し
もうダウン寸前。
夫にSOSを出すが取引相手との懇談会とやらで
すぐには出られない模様。

寝ないと言い張る子を泣かせて無理矢理ベッドに入る。
結局11時半頃まで帰らなかった夫である。ち。
子供の病気より自分の体調不良の方が大慌ての情けなさ。


2005年04月05日(火) おとうさんスイッチ

 4月の番組改編でNHK教育のピタゴラスイッチが朝に来た。
わずか5分だがスケジュールが乱れるわーと
テレビを時計代わりに使う母はぼやく。
 こなみは「おとうさんスイッチ」が面白いらしい。
真面目くさったおとうさんの様子が楽しく、
動作ごとに何となく笑ってしまう。
 
 現在、エレベーター、駅の切符売場、幼児用乗物など
各種スイッチにやる気満々の彼女のツボをついている。
ましてそのスイッチでおとうさんが動くのである。
 早速お風呂上りにこなみのおとうさんに教えてあげると
こなみは嬉しそうに架空のスイッチを押していた。
 スイッチを押すことによって物や人が動くということ。
「自分の力」を感じつつある幼児にはたまらない魅力なのだなあ。
 


2005年04月02日(土) 網を張る(その1)


 午前はパパとこなみで皮膚科に通院してもらい、
母は保育所グッズ購入、デリバリー、シーツ換え、図書館を廻った。
(パパは一緒に行こうと言うがそんな効率の悪いことは出来ない)
 午後よりラビットクラブ((株)タスク・フォース)の営業マンと面談。
質問事項を予めメモしておかなかったので、効率の悪いというかまとまりの
ない質問ばかり、ベビーシッター制度導入に懐疑的な夫はこなみの相手を
しながらまるで知らん振り。
っつーかここぞとばかりにいろいろ突っ込みかけろよ!
と心の中では腹立たしく思う。
しかも契約の判をついて、営業マンが帰ってから(!)
「会社名なに?」とか聞いて信用情報を取ろうと思ったのに
先に契約をしてしまったからとやや非難がましくいう。
前から告知してました!

 夫が席を外している間に営業マン氏に
「夫が1対1のベビーシッターにみてもらうことに懐疑的で」というと
「いや、そういうことは珍しくないですよ。東京の方では監視カメラを
設置したいというご家庭もあったらしいです。いやどうぞ設置して
くださいとお答えしていますが」という返答にまた驚く。

 質疑応答の末、契約書、念書の締結。
家庭・保育所・曾祖母宅の位置確認。
預かり保証金の払渡を済ませ、手打ち完了。
セーフティネットその1設置完了。
次はファミサポの登録更新と21世紀職業財団登録者の人への連絡だ!


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