けろよんの日記
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2004年08月24日(火) ぷりぷりパパとウォーターボーイズ

10日ぶりに出勤したパパ。
帰宅時の機嫌の悪いこと悪いこと。
電源の入ったチェーンソーという感じで
こういう時は近寄らないに限る。

週一お楽しみの「ウォーターボーイズ2」は
ちょっとパターン化しているものの、
やはり見ていて楽しい♪
主役の泳吉くんは前2作の主人公達より
好みでいつもにまにましながら見てしまいます。
#ちょっとパパの若い頃に雰囲気が似てるのよー。
後何回くらいあるのかしらDVDは買いだな。


2004年08月23日(月) 夏休みは終わった

9日間の夏休みは終わった。
また仕事あるのみ。
来年のバカンスに向けてまた働きます。
稼がにゃー。


2004年08月20日(金) 豊満

 いよいよ最終日。
朝から曇。プールの水もやや冷たい感じ。
やっとバカンス村の雰囲気にも慣れて通りすがりの
外人さんの挨拶にHelloと答えるようになったこなみさんです。
せめてタクシーお買い物に行こうと誘うけれどにべもなく
旦那さまに拒まれ、折角巨大ショッピングセンターがあったのに。
 くそー。しかも昼間飲みすぎたとかで気分が悪くなったと
図書室兼テレビ室で鼾をかいてお昼寝するパパ。
もう腹が立って腹が立って。
なんとか夕方ちょっと外にでましたが大して見るべきものもなく、
マニュキアでもするかと座ったらこれがまた下手くそ。
帰りの空港でも時間はなし、店は閉まっているしで。
実家にさえお土産が買えず、こと買物に関してはストレスフルな旅行でした。

ところでホール辺りでウロウロしていたら
台湾出身のご婦人に声を掛けられました。
ひっじょおにフレンドリーな方で
こなみを「ぷりてぃ」けろよんを「びゅーてぃほ」とかいって
誉めてくださいます。

 拙い英語、紙とペンなどを使い漢字を使ってコミュニケーション。
そこで何故か「貴方は実にいいお顔をしています。豊満ですね。
人生いいことばっかりですよ」とのこと
あのー、豊満って顔が丸いってことですか?
と聞いてみると「違います」とのことつまりは福相なのだそうで。
初対面の方にそんなことを言われなんだかびっくりです。
で職業は占い師ですかい?と聞いてみるべきだったのですが、
かの地ではなんか国民皆占いに造詣がふかそうだったので
それはそれで良しってことにしてありがたいお告げとして受取ることにしました。
「豊満」いい言葉です。


2004年08月19日(木) お大尽

 朝から小雨。DVDが活躍しました。
ニモが見たかったのだけど、こなみさんリクエストでピングーです。
午後からはパパとママ交代でSPAに行きました。
混んでるみたいでなかなか当日の予約は出来ませんでした。
こなみは眠り損ねたため超不機嫌。
イヤイヤさんを連れながら曇の中メッドの敷地内をうろうろしていました。
パパは本館でタイ式マッサージを、ママは別館(アジア風の離れが点在して
いて渡廊下で移動します。)ジャグジーや別室にシャワー、更衣室がついて
滅茶苦茶贅沢です。肝心のマッサージとエステは途中で眠ってしまい
記憶がありません。(涙)
でもお肌がかなりしっとりとして気持ちよかったですー。
 その後せっかくエステしたのですが再びプールで遊びました。
疲れてもらおう作戦開始!GOショーはこなみが眠そうだったので
割愛して帰ってきちゃいました。


2004年08月18日(水) かとちゃんぺ

朝食の後プール。
「ちっちゃいのプール(50cm)」でかなり長い間遊び、
すっかり日焼けしました。
パパワニさんも登場し、追いかけっこしたり、
赤ちゃんになってよーいよーいよーいと歩いたり。
プールで遊ぶのが一番楽しそうな感じです。
 
 昼食の後はアイスクリームをコーンに入れてもらって
うーろうーろ。劇場で座って夜のショーの準備を見たりするのも
楽しいものでした。
 午後の昼寝はP.M2:00〜6:00頃まで。

 その間、ママは緊張でドキドキしながら外のセブンーイレブンまで
買物に行きました。一人ではあまり外に出ない方がいいと言われたのですが
退屈になってしまったので。
 シンハービールにおつまみ、水にお茶を買って帰りました。
やっぱ外は安いわ。
プーケットファンタジーに引続き「コリアン?」と声を掛けられることが
多かったので現在タイで羽振りがいいのは韓国の方々なのだな〜
とわかりました。
中には「かとちゃんぺ」という人もいて。
 その後パパは再びゴルフコースに行きました。


2004年08月17日(火) プーケットファンタジー

お楽しみのビュッフェ朝食。
が、人ごみにおじけづき「ママだっこ〜」のこなみさんでした。
パパは朝からゴルフコース(といっても超ショート)にお出かけ。
いっちょんまえにクラブをもって一緒にコースに参加しました。
GOからは目を離さないように言われたのみ。
自己責任という言葉が頭をよぎります。
パパがボールを打つときは「だんごむし」のポーズをすることにしました。
うずくまって頭を抱えるポーズです。
 しかし、暑くてムシムシしたなかを参加もしないのについてまわるのはちと。
パパは妻と娘を従えて大満足のご様子。
その後パパとちょっとだけプールに入り、
昼間はお疲れのせいか何でもかんでもいやいやさん。
そこらで噛み付きまくりでした。
昼寝はなんと5時間近くしました。やはりお疲れでしたのでしょう。
早めの夕食の後プーケットファンタジーに。
これは予想以上のスペクタクルな出し物でした。
サーカス+マジックショー+大衆演劇+民族演舞ってとこです。
 戦闘シーンなどかなり大きな音が出たので大丈夫かな?と思いましたが
きっちり1時間半大人しく座っていました。
象さんの曲芸が一番ココロに残ったようです。実際可愛かった。
象の行進。前の象さんのしっぽを鼻でぎゅっと握る?のが。
後に「象さんがおはなぱおーんってね。※▲◇〇×♪」と手を顔の前にかかげ
象さんの鼻を実演してくれたこなみさんです。
劇場周辺はお祭り広場って感じで象に乗れたり、ゲームコーナーや夜店が
出ていたりそれはそれは賑やかでした。
時間があれば遊んで帰りたいくらい。
しかし、送迎の都合でほんとに通り過ぎただけでした。
こなみに小象や虎の赤ちゃんと写真を撮ろうと誘ったのですが、
「みてるだけー」「こわい」と拒まれたのでほんとうに見てるだけでした。
夜遅いショーだったので帰りのバスの中で眠ってしまいました。


2004年08月16日(月) 出発

午前11時45分発のタイ国際航空(JALとの共同運航とのこと。)
帰国後の事を考慮に入れ車移動、和歌山前泊とした。
カビラの際と同様かーさんに送ってもらいました。
今回は海外旅行保険は子会社で事前にお願い。どうせ掛け捨てと
一番安いものにした。死亡保障が1,000万円違うだけで、5,000円は安くなった♪
5泊6日で1万円を切りお得気分満載。(前回より安い)。
発券、出国審査は兎も角、チェックイン、手荷物検査にやたらめったら
人がおりいきなりブルー。また本屋が覗けなかった。
 免税品は今回、かーさんに頼まれたエリザベスアーデンの
お出かけコンパクト3,100円也(今回は口紅が4色くらい出ていた)と、
佐伯チズ先生ご推奨CDのプレスティージ美容液をキヨミズで購入。
割引券1,000円もつきも一つお得な気分♪
この割引券は速攻煙草に使った。(←夫サービス)
飛行機は今回より葵にも1席。家族で1列取れるためすごく気分が楽。
A.M11.45 TG-623  関西―バンコク
P.M15:35 (バンコクにて乗り換え)
P.M16:45 TG-217 バンコク―プーケット着(P.M18:05)
となっているが、実際は風雨のためバンコクを出発するのが1時間近く遅れた。
こなみは物珍しさもあってかとても機嫌よく且つお利巧でトイレで排泄はするし、泣きも喚きもしなかった。
プーケットへの便はさすがに疲れかけたのがゴネゴネしだしたのだが、
隠し持っていた「いないいないばあ」の雑誌と、付録作成で持った。
今回の飛行機内対策は以下のとおり、
雑誌2冊、ミッフィーの絵本、シールブック、いないいないばあ。
ポータブルDVD(M家よりの借り物)、お菓子(ラムネ・ゼリービーンズ
・卵ボーロ)。後はお昼寝や機内でもらえるおもちゃなど。
今回はお盆空け夏休みシーズンということもあり日本人だけで
大型バス1台分の送迎有り。
身分確認のため腕にプラスチックのブレスレット?を巻きつけられたのが
前回とは違う。到着後何故か元気になったこなみさんは何故かエンドレスで
「すいかの名産地」を歌い続けていた。なんともいえず愛らしいです。
「可愛いあのこの♪」の後がどう聞いてもほにゃららら〜と聞こえて
仕方がなかった。
帰宅後ネットで調べたら「はれすがた」でした。
メッドに到着して沢山のGOの挨拶を受けたら途端に固まってしまって
すっかりヒッツキ虫になってしまったこなみさんでした。
和歌山→関空→バンコク→プーケット→クラブメッドの延べ15時間弱。
子供より親のワタシが疲れてぐったりで、夕食後直ぐに寝てしまいました。
パパは早速バーでビールを飲んだ模様です。


2004年08月13日(金) だれだれ

今週はどこかしこも夏休みもーど全開。
だれだれもいいところ。
取引先がお休みだから営業部も休みで
したがって当部もヒマ。
電話の一本もかかってこないし、人口密度は
いつもの50%。
クーラーの送風の音やPCのキーボードを
叩く音のみ聞こえる。
ひまである。


2004年08月12日(木) 平日夜遊びの日

夫早帰り週である。
という訳で先週に引続き今週も飲み会を設定。
近くのフレンチが7周年記念のため
今月中は4,500円のディナーが3,600円になるというので
これはいかねばならぬ。
んまかったです。。。。
 7時スタート2時間コース。9時より約2時間の
2次会を経て11時に帰宅。
 んまあ。こなみがまだ起きておりました。
寝ない子だれだあぁ。


2004年08月11日(水) おしっこなーい

ビデオにはまりまくるこなみさん。
生活発表会のビデオとファンタジアがお気に入り。
お家に帰るとビデオに直行というあまり望ましくない
態度に出ている。

別世界に入ってしまいその間は声をかけてもダメ。
で、ウチでもおねーちゃんぱんつのため、
親がちょっと気を抜くとおしっこじゃーになってしまう。

昨日はワタシのベッドの上で、今日は夫のベッドの上で
じゃーとやってくれた。
幸い、シーツと敷パッド止まりであったが。
特に今回のは性質が悪く、黙ってねしょんべんたれてたのである。
もう、無茶苦茶パパと怒ってしまった。

なんで、そんなに怒ったかというと、
その直前に3回くらいトイレに誘ったのにおしっこなーいと
拒んだ上、おしっこをしても黙ったままでちっちを吸い続け
ビデオを見つづけるというその態度がいかんということで。

しかし、もうどんだけ泣いてるというこなみさんをみると
やっぱり親のせいなんだよねー。としみじみ。あーあ。


2004年08月10日(火) おうちかえらなーい

帰宅拒否中のこなみさん
保育所から帰ろうとすると必ず
「おうちかえらない」という。
場所は何処でもいいみたいで、ひーばーちゃんちや、
パン屋さん、スーパーマーケットなど。
自転車置場でぐずられ蚊にかまれた事も多々。
いくら出歩き神のおかーさんだってたまには
ベッドに倒れこみた時もありますってんだー。


2004年08月09日(月) いいお顔

わからんちんのこなみさん。
だが、外面良子のため他所の人の評価は概ねよろしい。

土曜日もひいばーちゃんに「嬉しい顔して」
今日もマンションの管理人さんに「笑顔よしさんやね」
と「いいお顔」を誉めてもらった。

別に母の手柄でも何でもないのだが、やっぱりうれしい。


2004年08月08日(日) せんぷうきみたい

快晴。
あまりにも暑いので某ショッピングセンターに涼みに出かける。
行けば行ったで夫が必要な備品を思い出すので何やかや
買って帰ることになる。
本日は、洗濯ヒモ、クイックルワイパー、ビニール袋など。
こういう日用雑貨は意外に高いものである。

まあ、昼ご飯はご馳走してもらったので良しとする。
しかし、このイタリアンレストラン。
以前はもっと並んで入れなかったのだが。何故こんなに席が空いているのだろう。
味には充分満足したし、値段もリーズナブル。どことなくダレダレした店内のせいかと首を傾げる。

在所では有名な花火大会があるせいかちらほらと浴衣姿の男女の姿が
見受けられるのがなんか楽しい。

夕方より我が家の第二バルコニー(せいぜい畳1帖分)で花火を見る。
新しいマンションが建ったり、我が家が2階だったりもするが奇跡的に
今年も見えた。立ちっ放しがキツイけどいい感じです。
「枝垂れ桜」「マリーゴールド」「鼓」「蝶々」など花火を物に見立てていると
こなみが一言「せんぷうきみたい」
たしかに丸くて中心に向って線が一杯あるねーと幼児の感性の一端を知った
ような気がした。


2004年08月07日(土) おとうちゃんあの電車に乗ってたらええのになぁ


ひーばーちゃんちにこなみを連れて遊びに行きました。

ひーばーちゃん(以下祖母とする)は空襲を直接体験していませんが、
大阪市内にあった家と荷物の半分は焼けてしまったそうですが、
半分は疎開先である祖母の実家にあったため、アルバム等は残っています。
#そういえば、父の子供の頃のアルバムも無事だな。

ただ、疎開先で2度機銃掃射に狙われたことがあるそうです。
田と道の間の窪み?に逃げ込み事なきを得たそうです。
今でも何か大きな災害や事故があるたび、機銃掃射に狙われた後は
世の中なんにも怖いもんなんかないと言います。
#近くにいた(他所の)牛は犠牲になったそうです。
#何故か四肢を踏ん張ったままだったらしい。
#その後解体場に運ばれお肉になったそうです。

数珠繋ぎにどんどん思い出が蘇ってきたらしく、
あちらこちらに話が飛びつつ色々話してくれました。
今更ながら当時の祖母は今の私とほぼ同年代。
銃後の苦労がしみじみ身に沁みました。

終戦間際に祖父が召集されたこと(当時40歳前後、3児の父で乙種でした。)
それ以前より覚悟を決めており、出征の際のお赤飯を炊くために
配給のあずきを少しずつ溜めておいたけれどどうしてもお米が手に入らず
知合いの市会議員の人を通じて入手してもらい何とかお赤飯を炊いたこと。

祖父が外地に出る前(結果韓国の済州島で終戦を迎えたそうです。)
毛糸の下履きを作り、缶詰を融通し実弟と実妹に届けてもらうように
頼んだけれど、結局祖父には会えず荷物も届かずじまいだったとのこと。

5歳の娘(母)が電車が走るのを見ると
「あの電車におとうちゃんのってたらええのになぁ」と呟いていたこと。
#祖父はその後無事帰ってきました。軍隊で上官に殴られたのが原因で
#しばらく耳が不自由だったそうです。後で治ったらしいけど。

しめくくりは「ほんまに戦争は物も焼けるし、人も仰山死ぬしちっとも
ええことなんかないわ。戦争なんかもう二度としたらあかん」と。
話をしている私達の横でにこにこしながら遊んでいる娘を見ながら
本当に自分の娘には
「おとうちゃんあの電車になってたらええのになぁ」とは
言わせたくないなぁと思いました。

「さとうきび畑の唄」に触発され、所属する働く母の会では
身内の戦争体験について語るというツリーが作成されています。
上記の祖母の話に下記を追加して投稿しました。

父と祖母は昭和20年7月9日から10日にかけての和歌山の空襲にあっています。
以下は亡くなった祖母から小学生の頃聞いた話。

当時、祖父は出征中、曾祖母と叔父は疎開中ということで
祖母と9歳の父だけが市内中心部にある家に残っていたそうです。
夜半空襲警報があり、気が付くと辺り一面は燃え上がっている、
家のすぐ近くにある内堀川という川に逃げようとしたけれど、周りにいた人が
「川はあかん、山や、山の方に逃げるんや」といってくれたので
山の方に逃げたそうです。
 結果それは大正解で祖母と父が逃げようとした川では沢山の人が
犠牲になられたそうです。
今も中橋という橋のたもとに小さなお堂があります。
#中学生の頃毎日横を通って通学していましたが、川自体も本当に
#狭いものです。

また和歌山城周辺(特に現在の汀公園という辺り)では特に被害が酷く、
戦災犠牲者の大半がここで亡くなったそうです。
#余談ですが私が小学生の頃、汀公園の慰霊塔に心霊現象が起こった!
#ということで全国ネットのワイドショーなどで取り上げられ
#菩薩さまが涙を流した。とか。
#学校中がその話題になったことがあります。
#多分祖母の話もこの頃聞いたような気がします。

父はその頃の話については口が重く殆ど聞いたことがありません。
「空襲の次の日、自宅の焼け跡に戻ると
 そこら中にパカンと口を空けた黒焦げの死体が転がっており、
 口の中に金歯が見えたりした。可愛がってくれた近所の小父さんも
 焼け跡で死体になっていた。」とは母の口伝手で聞きました。

母は5歳と更に幼く、疎開先にいたため直接空襲にはあっていません。
「戦争」というほどの記憶はないそうです。


2004年08月06日(金) くま

とびひ騒動の疲れが出たのかだれだれの今週。
親子3人なんとなーくだらだらしてるとやたら
就寝時間が遅くなり眠いことこの上ない。
(1日はさとうきび畑の唄のせいだが)
今朝こなみと保育所でバイバイしたら彼女の目の下に
クマが出来ていた。ごめん。2歳児にクマつくらしちゃいかんよなーと
反省。
しゃかっとそこらへんを片付けて早々に就寝するというのも
ある意味気力体力がいるのだなーと実感。


2004年08月05日(木) 登場人物

けろよん:三十路後半突入兼業主婦。ぬるま湯のかえるさん。
夫あるいはパパ:けろよん夫。こなみ父。職場激変ちう
こなみ:2歳児。わからんちん星人。おっぱい星人でもある。

これはバブル終末にのほほんと就職し、キャリアプランなんか
考えたこともないくせにずるずるとぬるま湯につかりながら
WMになった一人の母の日記である。
職場自体は相当厳しい環境にありながら、周囲に(割と)恵まれ、
あるいは厳しい部分にはカエルの面になんとやらでやり過ごし
ぬるま湯に浸かりつづけるけろよんの明日はどっちだ!


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