2024年06月30日(日) |
良縁とは(良縁と悪縁) |
梅雨に入り毎日蒸し暑い日が続いております。 皆様いかがお過ごしでしょうか
今回から2回にわたり良縁と悪縁についてお話していきたいと思います。
今回はまず良縁についてのお話になります... 「良縁のお相手」ときいて貴方はどのような方をイメージしますか? まずほとんどの人がイメージなさるのは “高学歴““高収入“等の所謂、良い条件の方ではないでしょうか。 しかしこれは霊的な意味でいう良縁の方とは全く異なります。
霊的な意味でいう良縁のお相手とは... ※お互いが切磋琢磨できる ※毎日一緒にいても苦にならない ※人生において同じ方向を向いて一緒に前に進んでいける
このような方が良縁のお相手となりますが、以前六明師にお話を伺った際に仰っておられましたが、今生においての良縁の相手は人生を通して3人存在するということでした。 しかし良縁のお相手と出会うタイミングが訪れるのと重なって「試し」のように良縁ではない方が現れることが多いため、出会うはずだった相手と出会うことなくすれ違ってしまったり... 良縁の相手と出会ったとしても“自分の好みではない“と感じてしまい、違う選択をして、他の人とお付き合いをしたりして良縁の相手を逃してしまったりすることがあるのです。
実際、相談者の方のお話になりますが、知り合いの方からのお見合い話があり 「杏珠先生この方との相性はどうでしょうか?」とご相談があった際に 相性はよいと視えておりますよとお伝えしたら(良縁のお相手ですとお話するのは私どもでは控えます。何故ならば良縁ですとつたえることによって先が変わってしまったりする危険性があるために)。 「でも先生この人は好みのタイプではありません」というのが最初の言葉でした。私がその方にお伝えしたアドバイスは「同郷のお友達という関係からはじめてみては如何ですか?」でした。 その人は私のアドバイスに対して不満があったと思いますが... お友達として付き合い始めましたとご連絡がありました。 結局それから十数年が経った現在、そのお二人は素敵なご夫婦です。
「どうやったら良縁かそうでないかを見分けることができますか?」という質問をよくいただきますが、一言でいえば“尊敬できるかどうか“になります。
以前何かで読んだ学説ですが...夫婦という関係でのお話ですが、『恋愛感情』にかかわるホルモンは約二年で体内で生成される事がほぼなくなってしまうそうです。 ではその後、夫婦という関係をうまくつづけている人にみられるホルモンは『尊敬』という感情が関係するホルモンだということでした。
私が皆様にお伝えしたい事は 「自分自身が努力をしたり自分磨きをすることをしないで、楽をしてつきあえるお相手に“良縁の相手はいない“という事です。 お互いに切磋琢磨できる方や同じ方向をみて一緒に歩んでいける方と出会いたい、一緒に歩んでいきたいと思うのであれば、そのかたと並んで歩けるような貴方になるようにご自身で努力や自分磨きをすることです。 自分磨きに年齢は関係ありませんし、良縁の方と出会うことも年齢は関係ないと思います。
次回は悪縁についてお話をいたしますね。
杏珠
『心のめざめ』
自分はこれでよいのだろうか
こんな自分ではだめだと
自分で気がついたときが
あなたの心のめざめです
自分は悪くないと
思っていたら
それ以上のよい人には
なれません
これではいけない
まだまだだめだと思えば
もっとよい人間に
なれるのです
藤本 幸邦(曹洞宗 和尚)
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誰でもそうなのですが、自分が間違っていることは認めたくないものです。 仕事等でよくない結果しか得られなかったとき... 申し訳ありませんでしたと謝罪をしながらも 「私は悪くないのに」という思いが心の中にあるかぎりは 成長はないでしょう。 自分は悪くない、ではなく 私はどうしたらよかったのだろうかと省みれる自分でありたいと 私はいつも思っています。
皆様によくお伝えすることなのですが、一日の終わりに “今日一日の自分の心の在り方を省みましょう“と私はお話をいたします。 これは家事でいそがしいかた、仕事が忙しい方、病気をしているかた、悩みで心が折れそうになっているかた、どのようなかたでもほんの数分でよいので、 今日の自分の心の在り方を省みることをなさっていただきたいと思います。 「ああ、あれはよくなかった」「こうしたらよかったのに」という気づきこそが、明日からの貴方をかえていくのですから...
杏珠
早いもので今日から6月ですね。 朝のニュースで能登半島地震発生から5か月が経過し、現在もまだ多くの方々が大変な生活を強いられていると伝えていました。 改めまして、1日も早い復興を心からお祈りいたします。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 今日は四門出游についてお話をしていこうと思います。
お釈迦様が釈迦族の太子であったころのお話です… 約2500年程前のインドに生まれたお釈迦様は太子(王子とお考え下さい)でした。 豪華な生活をなさっておられ、美味しい食事や美しい女性に囲まれ、何も困る事のない贅沢な暮らしをされておりました。
ある時、城の外の暮らしをみてみたいと思ったお釈迦様は、家来を連れて城の東西南北の門(4つの門)から出かけてみることにしました。
まず初めに東の門から出かけてみますと、歯が抜け、腰が曲がり杖に頼って歩く哀れな老人に出会いました。城の外にでたことがないお釈迦様は連れてきた家来に「あれは何者なのだ?」と尋ねました。 「老人でございます。全ての人間はいつか年を取りあのようになるのです。」と家来は答えました。 お釈迦様は城に戻り老いの苦しみについて深く考えました。
また別の日に次は、南の門から出かけますと、道端に倒れている病人に出会いました。 そこでお釈迦様はまた家来に「あれは何者なのだ?」とお尋ねになりました。 「あれは病人です。人間はいつか病気にかかりあのような姿になるのです。」と家来は答えました。
次に西の門から出かけると、お葬式の行列に遇いました。 「あれは何者なのだ?」とお尋ねになりました。 すると家来は「あれは死人でございます。人間はいつか死んであのようになります。」と答えました。
お釈迦様は深く考え込んでしまいました。 人間、誰でもが必ず老いる、老いの苦しみを痛感し、また人間は病むという病苦の現実を実感し、人間は必ず死ぬものなのになぜ生きていくのだろうかと死苦の現実をまざまざと見せられ、どのような人間でも老いて、病に苦しんで、いつかは死んでいく、なのにどうして人間は生まれてくるのだろうか… 贅沢をするような生活ではなく、本当の意味で幸せになるのはどうしたらいいのだろうか…と深く考えました。
最後に北の門からでかけますと、質素な身なりの出家した修行僧に出会いました。 身なりは質素でしたが、穏やかな清々しい表情をする修行僧をみてお釈迦様はハッと気づいたのです。
『人は限りのある命を己の欲を満たすためだけに生きるのではなく、老いや病気や死が訪れるとわかっていてもそれを超えたところにある普遍的なものを求めるために生きているのではないか。』 『老いても病んでもいつか自分が死ぬとわかっていても心がそれに左右されない人生を…』とお考えになられ、準備を整えたのちに出家なさいました。
四門出游は仏教において根底にあるもの “苦悩からの救い“を示しています。 全ての人間が避けることができない苦悩、人生における悩みに対してどうしたらいいのか、どのような心の在り方が心の平安をもたらすのか等を、 生きている私たちに対してお釈迦様が説かれたのが『仏教』なのです。
私どもの身代わり念珠や祈祷や供養を執り行って下さっておられる六明師は高野山真言宗の僧侶であり、私がこうして皆様にお伝えしているお話は六明師から教えていただいた仏教の教えが根底にあります。
生きていれば自分ではどうしようもない悩みが出てくるでしょう。 そんなときは一人で悩むことはやめて、いつでも私にご相談ください。 心が折れてしまう前にその悩みを私にお聞かせください 私はいつも貴方を見守っております。
杏珠
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