2004年12月30日(木) |
今年も残り一日となりました・・杏珠・・ |
今年も残り後わずかとなりました・・・ 皆様、とても忙しい日々を送っておられると思います。
一年が過ぎようとしているこの時期・・・ 今年一年で、自分の納得いく成果を出せた方もいらっしゃいますし 全く御自分の思うように行かなかったと仰る方もお見えでしょう。
しかし、過去を振り返っても何も生まれないどころか「後悔」を生むばかりです。 私は皆様に前を見て自分の人生を進んでいただきたいと思います・・・ 先日の『供養』でもお話いたしましたが、大切なのは『反省・感謝』です。
思うように行っても行かなくても、後一日で今年はリセットなのです。 新しい年を迎えるこの大切な時期に『自分だけの目標』を掲げてみてください。 目標を決めたのなら、それに向かって進む事・・・これに関しては、”自分の人生ですから自分の責任において精進するかしないかお決めになる” ・・・これがとても大切ですね。
どんな結果が今の現状でも、それはあなた自身が過去に選択しそれに向かって努力したかどうか・・・の結果でしかありません。
来年の今頃、自分をほめる事ができる貴方でいられるのか、こんなはずではなかった、と悔やむ貴方になるのかは『今現在の貴方の考えた事と行動しだい』 だということをどうか今一度、自分ごととして捉えてみて頂きたい・・・と思います。
今年は本当に『災害』そして『凶悪な犯罪』や、『子供の虐待』のニュースが多い年でした。 私はどんなに耳にしたくなくても、”人のかなしい想い”があふれかえっていすぎて、その想いを感じてしまいます。 どうか、来年こそは明るい話題の多い年となりますように・・・
新しい年があと一日で訪れますが、皆様にとって『良き出会い』『良き流れ』の年でありますように・・・
杏珠
2004年12月20日(月) |
供養とは・・・その3 |
供養についてのお話も、取りあえず今回で完結となります。
2回に分けて皆様にお話したダイアリーを読み返し、基本的なことを お伝えするのを忘れていた・・・という事に気が付きました。
今からもう何年も前に、実際に私が頂いた質問ですが・・・ 「ご先祖様というのは、子孫である私たちを守って下さるものなのに どうして、障りを起こして私達を大変な目に遭わせるのですか?」 という、何とも自分勝手な、ビックリする質問をされた事があります。
これは、世間で信じられている迷信のようなものだと思いますが・・・ 「ご先祖様は無条件に子孫を守るものだ」これは、先日お話した『良くなりたいからお経をあげる・仏壇をお守りする』という事に繋がる考え方だと思います。 確かに自分の子孫を憎いと心から念じる人はおられません。しかしご先祖様が、困っている子孫をいくら何とかしてやりたいと思っても、今にも自分が溺れそうな状態なのに子孫を助ける事はまず出来ません。亡くなった方にそのような『力』を期待するのはとても酷いことなのです。 亡くなられた方が精一杯の力で出来るのは「このまま行ったら危険だ」と警告する事ぐらいなのです。それを「障り」と受け取るのか「有難い忠告」と受け取るのか、そしてその警告をどの様に生かすのかは、”子孫である私達”次第ではないでしょうか・・・
最後に・・・では供養が進み始めるとどの様な事が私達におこってくるのでしょうか? 供養(先祖供養だけではなく水子供養などもそうですが)がある程度届き始めると、「今まで最後の最後にどんでん返しで話が悪くひっくり返えるばかりだった」「何かにつけ悪い方悪い方に物事が進んでしまう」「全く運に見放されたようだ」「男の子が全く生まれない家系だ」「とても重い霊障」「原因不明な体の不調」・・・などが改善されたという声を確かに多く頂いております。
しかし、これはあくまでも供養の副産物的に考えて頂きたい・・・というのが私の願いです。 それよりも、目を見張るほど結果に現れる事・・・ それは『精神的に落ち着いた自分』と出会える事なのです。 これに関する実感は、極密祈祷をなさっている皆様が一番よくお解りになっておられると思います。
お盆やお彼岸の時期にご先祖様の事を偲ぶのはもちろんですが、 毎日無事に過ごせることをご先祖様に感謝する『想い』がとても大切です。
私共のサイトを通じて少しでも、 仏教に親しみやご縁を感じてくださいましたら、 『供養』について考えて頂けますように・・と 心から願います・・・
杏珠
2004年12月12日(日) |
供養とは・・・その2 |
先日ダイアリーでお話を始めた『供養について』をご覧頂いて、 様々なお便りを頂きました。
一言に『供養』といっても、御自分でお考えになって実際にされてきた事が ひょっとしたら、ご先祖様の供養になるどころか『足を引っ張っていたのかもしれない』と言った感じのお便りが多かったのが印象的です。
誤解されがちな事ですが・・・ 『毎日お経をあげ、ご先祖様に感謝している』と仰る方々ですら、 お経を詠むことが直接の供養となると思っておられることが多いのです。
私たち在家の人間が詠む、お経に書かれている内容は・・・ お釈迦様が生きておられる時に、悩み苦しみながら生きている人間に対して『どの様に生きれば、苦しみをなくし幸せを感じる生き方が出来るのか』を説いた内容が殆どです。 ですから、『自分が良くなりたい・ご先祖様に助けて欲しい』と考えながら お経を詠む事は、亡くなった方に対して本当の供養になるかどうか・・・ 考えればわかるはずです。
例えば『般若心経』について本当はどのような意味を私たちに 教えるものなのか・・・を理解する事ができれば、自分の幸せを邪魔しているのは実は自分自身ということが解ってくるのではないでしょうか・・・
貴方のお経やお供え物が、亡くなった方に直接届くものではなく 仏前に座ったときに貴方が考える『想い』・・・ これこそが、亡くなった方の供養を後押しするか、 亡くなった方の足を引っ張るか・・・の鍵を握っているのです。
それに対して、僧侶の方々が御仏の御前であげるお経は・・・ 御仏様に届くような内容(それに関するお作法や手法を伴った奉讃の意味があるもの)となっていますから、私たち在家の人間では到底本当の意味で供養をすることは困難でしょう・・・と先日お話したのです。
では、『供養』をどうすれば私たちが後押しできるのでしょうか・・・ という事を感じる方も多いでしょう。 私は皆様とのお便りのやり取りの中で何度かお伝えして参りましたが、 一日が終わりお休みなる前に・・・
『今日一日、自分が周りの方に対して行った言動や思いについて 正しかったかどうか省み、反省する事』
これはあくまでも反省し改善する為です。 反省すると自分が落ち込むから考えたくない等という方が居てびっくりした事がありますが、反省は自己否定とは全く別ものですから、意味を取り違えないように・・・
『今日一日、生きる事が出来たことに感謝する事』
これは、今こうして命があるのは何百年も前からのご先祖様が、誰一人として欠けていたら有り得ない事と気付き、まず感謝をする事を指します。
『毎日、明るく元気に過ごす事』
これは、毎日悩みや愚痴や不平不満ばかりを抱えていると、ご先祖様が貴方を気に掛けたり、心配し・・彼岸に渡ろうとする足を引っ張り邪魔をすることになってしまいますから、 貴方が自分の人生を一日一日を精一杯生きる事が大切だと言う事です。
私達が出来ることは以上のような一見、まわり道に見える事ですが・・・ これが一番の『供養の後押し』となるのです。
(この続きは次回お話いたしますね)
杏珠
2004年12月01日(水) |
供養とは・・・その1 |
最近、宝箱に掲載させていただいたお話の中で 供養についてのやり取りが続いたのをご覧になって、 『供養について』の質問やお便りがとても多くなっております。
供養について、いざ皆様にお話しようと考えましたら、何回かに 分けてお話しなければ、きちんと説明する事が出来ない・・・・ ということになってしまいましたので、今日から何回かに分けて 少しずつお話して参りますね。
まず、供養と聞いて皆様は何を思い浮かべますでしょうか? 『先祖供養』はもちろんですが、女性でしたら『水子供養』を考える方も 多いのではないかと思います。 亡くなられた方に対する供養だけではなく、今まで貴方が使ってきたものや お世話になったものに対する供養・・・御焚き上げも供養と言いますね。
供養とは一言で言えば・・・ 『感謝』を表すと私は考えております。
感謝・・・というと、「普段から私は感謝の気持ちをもっているのに、 全くいいことが無い」と仰る方も多いのですが、 その『感謝』の気持ちを、私たち凡夫(僧侶ではない普通の人)では、なかなか直接届ける事が出来ない・・・というのが現実です。
実際に、よく皆様からこのような質問を頂くのですが・・・
『私はここ何年も実家のお墓参りに行っていないから、ご先祖供養が滞っているのですか?』 『仏壇に線香一本もあげた事がないのが、悪い事が続く原因でしょうか?』
残念ながら、供養を求めて貴方に依って来ておられるご先祖様や、水子ちゃん、有縁の方々は、何もそんな事を求めておられる訳では有りません。
『助けて欲しい』『苦しいから何とかして欲しい』という 藁にでもすがる気持ちで貴方に『供養』を求めてきておられるのです。 ですから、線香を上げようが墓参りをしようが、亡くなられてさまよって いる方には何の慰めにもならないのです。
形だけのお経や線香、お墓参りではいけないのです。 そして、一番いけないことは・・・『自分が良くなりたい』という 心持でそれらを行う事です。これは供養どころか障りを招く事に なってしまうのです。
本当の意味で 亡くなられた方に、供養を施すことが出来るのは御仏だけ・・・
このことを決して忘れてはなりません。
では、御仏に少しでも近い距離におられるのは、どなたでしょうか?
得度し出家されて、お作法を習得し・・・毎日潔斎した上で、 きちんとお勤めを一日も欠かさずにされている僧侶の方々に 供養していただく事が、本来ならば一番良いのです。
そういった僧侶が御仏を供養し、その徳によって、亡くなった方々が少しずつ彼岸に至る・・・
これが、真実の供養の姿になりますが、一体どれだけの方が これを理解されておられるでしょうか・・・ しかし、とても大切なこと・・・なのです。
僧侶である六明師は、極密祈祷をされている皆様の供養をこのように 執り行ってくださっているのです。
(続きは次回にお話いたしますね。)
杏珠
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