◆ ダイアリー ◆

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初代管理者(AYA)
(沖縄県出身。 愛知県在住の医療従事者。 祖母は沖縄に伝わるユタ。)

【現在の管理者  杏珠】
AYAの直接の恩師

現在までに数え切れない程の様々な人の人生を良き流れに導いてきた霊能者。       

初代管理者の結婚・引退に伴い、その志を受け継いだ。
今までに鑑定した現代社会における悩み、霊的な相談等を
通し学んできた「気付き」を皆様へ心を込めて書き記した日記。             


2004年09月27日(月) 私の大切な『ご縁』・・(貴方への感謝を込めて)


お久しぶりです。
みなさんに、早くお礼が言いたくて、
お逢いしたくて、私はうずうずしていました。
大変長らく、お待たせ致しました。

前回の日記の中で、表面の私の現在の気持ちを正直に申し上げました。
多くの方から、心温まる励ましのお言葉や激励のお言葉、
ひいては、涙してしまうほどの心洗わすお言葉を頂きました。

本当に、心から喜び、感謝と感動の嵐でした。
「AYA宝箱」にも、早速掲載させて頂きました。

心からお礼、申し上げます。
本当に、本当にありがとうございました。
厚く感謝の念を込め、みなさんにお送り致します。
もう、私は大丈夫です。
新たな目標を見つけ、そこに邁進していく所存です。
本当に、ありがとうございました。


早速ですが、本日より、
みなさんからのご希望通り、何回かに分けて
『ご縁』という事をテーマに、この場をお借りしお伝えしたいと思います。
毎日という訳にはいきませんが、もう間を空けることはありません。
どうか、ご安心下さい。

さぁ、何からお話致しましょう。
多くの方々が、一番知りたい事は、
恋愛での『ご縁』・・ソウルメイトについてではないでしょうか。
過去の日記の中でも、
ソウルメイトという題でお話した所、ものすごい反響がありました。
又、現在も励ましのお言葉と共に、
『ご縁』についてのご質問も、相次いで頂いております。

まず、『ご縁』とは何か・・を知らなければなりません。
ご縁という言葉は、
「因縁(いんねん)」や「縁起(えんぎ)」という
仏教用語、仏教の思想に基ずいて生まれた言葉です。

「縁と浮世は、末を待て・・・」
「縁なき衆生は、度し難し・・」
「縁の眼には、霧が降る・・・」
「縁は、異なもの味なもの・・」

等など、
『ご縁』については、数々のことわざが故人より残されています。

私は、本当にごく普通の人間ですから、
私のような者が仏教思想について、お話する事はできません。
そんな事は、到底不可能です。 正直言って、お手上げです。

ですから、今回のテーマを深くお話する前に、
私の人生における『ご縁』を題材にして、
ありのままの私の姿を含め、お伝えしていきたいと考えています。


まず、私は、日記の冒頭の言葉にもあるように、
ユタの家系の流れとして、霊的な事に敏感に反応し、
医療従事者としての本業以外に、
鑑定者として、何人もの方々の人生を垣間視てきました。

前回の日記の中でも申し上げましたが、
ユタの私は、一切、表面の私の人生については何の言葉もくれません。
いくら泣いても、叫んでも、いつでもじっと眺めているだけです。

決して、私は、
みなさんが考えているような強い人間ではありません。
本当に弱い、脆い人間です。
常に、周りの人々の心の奥深くの光を視て、
「あのような人になりたい・・」と願っているのです。

表面の私の心・・
子供の頃から、ユタの私を嫌い、否定して生きてきた私。
この私の心を理解できる人間なんていない・・
誰にも理解されない・・常に、そう思っていました。
本当に、本当に一人ぼっち・・私は、家族といても、孤独でした。

そんな私に「ご縁」というものが訪れたのです。
そうです。 六明師との出逢いです。
この出逢いが無ければ、今の私は存在していません。
私は、間違いなく、
人生を投げ捨て、この世には存在していなかったでしょう。

私にとってのこの「ご縁」は、
命にも変え難い程の、かけがえのないものです。
言葉では、言い表す事が出来ないほどの価値ある、尊大な事です。
私にとっては、
ソウルメイト、人生の伴侶と出逢うという事よりも、意味ある事なのです。

ですから、
『ご縁』という事を深く掘り下げる前にこの縁についてお話させて下さい。
私はこれまで、
六明師との出逢いを詳細にはお伝えしてきませんでした。

ここで、正直に、全てをお話致します。

私は、何年か前の冬・・もう随分前の事です。
年の暮れの慌しい中・・
単独の交通事故を起こし、脳に後遺症の残る重い外傷を受けました。
過去の日記にも書きましたが、
主治医からは、医療従事者としての復帰は無理だと断言されていました。
その頃の私は、毎日、毎日、死ばかりを視つめていました。

しかし、ありがたい事に、
その頃の私には、悩みを打ち明け、相談ができる唯一の女性がいました。
その女性は、霊的な力を子供の頃から兼ね備え、
それを私の様に否定するのではなく、
ありのままの自然の流れとして、受け取っている方でした。
私に鑑定者としての道を視せて下さったのも、実はその方なのです。
その女性が六明師との「ご縁」を私に授けて下さったのです。

その女性のお名前は、杏珠(あんじゅ)先生。
杏珠先生は、
六明師の側近中の側近、最も近い場所にいらっしゃる方です。

六明師には、何人もの側近の方、お弟子さんがいらっしゃいます。
六明師は、本当に高名な方で、ごく普通にお逢いする事は困難です。
私の知る所では、
毎朝、日も明けぬうちからの水行を初め、
御祈祷、ご供養、性根入れ、御炊き上げ、無償での葬儀、
又、在家信者の仏事の執り行い、等など大変に多忙を極めた方です。

杏珠先生は、
常に、六明師のお側にいる方と申し上げてもよいかと思います。
実は、
これまでの鑑定や相談者の方々への霊的なご質問に関して、
ユタの私の声が、表面の私の迷いによって届かない時など、
常に、この杏珠先生に助けて頂いていたのです。

この告白をお聴きになられて、
がっかりされた方もいらっしゃるかもしれません。
本当に、ごめんなさい。

過去の日記で、何度も申し上げましたが、
ユタの私の霊力は、決して、万能ではありません。
霊的な障りがとても強い鑑定などは、
表面の私が惑わされ、ユタの声に集中できない事があるのです。

そのような時は、杏珠先生に指示を仰いでおりました。
霊力に関しては、ものすごく力のある方です。
けれど、とてもとても謙虚な方です。
今回、やっと、ご本人から
許可を頂きましたので、この場をお借りしご紹介させて頂きました。
今後の相談者の方々へのお答えの中には、
杏珠先生からのお言葉と
ユタの私からの言葉と二つの面から、明確にお答えする事ができます。


杏珠先生との「ご縁」は、
密教僧侶の六明師との「ご縁」に繋がりました。

『ご縁』という視えない流れは、
常に、一人の方との出逢いを対象としているのではないのです。

現在「良縁成就」という御祈祷をされている相談者の方が、
何人かいらっしゃいますが、
どうしても、人との新しい出逢いにおいて、
「この人が伴侶なのか」の気持ちを持って望んでしまいがちです。

本当は、その出逢いの後ろに、
ソウルメイトとの出逢いが隠されているかもしれない・・・。
道行く、すれ違っただけのお年寄りに親切にしたら、
実は、その人の親類が
ソウルメイトだった・・というお話は、世間によくある事実です。

「この人も違う・・あの人も違う・・」と感じている間に、
その後ろにいる、本物の出逢いを逃します。


ユタの私は、
幾つもの出逢いには、必ず意味がある・・と声にします。

杏珠先生は、
ソウルメイトは、人生において、必ず存在する・・と仰います。

そして、六明師は、
強い善い光を保つ事ができなければ、ご縁は得られない・・と仰います。


先程、ご紹介させて頂いたことわざ・・「縁と浮世は、末を待て・・・」
このことわざは、
良縁とチャンスは、時節が来るのを待つべきもので、
自分から焦って求めてもうまくいかない・・という意味です。

『ご縁』というものには、悪縁と良縁と二つの言葉があります。
次回は、過去の相談者の方に、実際に起った出来事をお話致します。


杏珠先生との出逢いによって、鑑定者としての道を視る事ができました。
六明師との出逢いによって、ユタの私が育ち、仏道を志す事ができました。
そして、
こうして、何人もの人々との出逢い、ご縁を授かる事ができました。

貴方とのこの出逢いも、
六明師や杏珠先生がいてくれたからこそ・・・。

多くの方に励まされ、新たな目標を得た今の私は、
貴方とのご縁を授けて下さった、
この『ご縁』について、どうしても、お話したかったのです。

全ての相談者の方々、私に暖かいお言葉、情報を下さった方々、
全ての方に言いたい・・・。

貴方に逢えて、本当に、本当に良かった。
貴方と巡り会えて、本当に、本当に良かった。
顔も知らない貴方だけど、
貴方と深く、深く繋がっている事を感じています。

表面の私は、貴方に助けて頂きました。
貴方に、救われたのです。
貴方に、何度でも感謝の心を送りたい・・。
貴方と共に、真の幸せの道を歩みたい・・・。

貴方の真の幸せを常に、何度でも願います。

貴方の明日が又、良き『ご縁』の中にありますように。
心から、心を込めて。
貴方に、多くの幸ある『ご縁』が訪れますように。



             −AYA−



2004年09月17日(金) 正直に告白致します・・(更新出来なかった訳・・)

長い間、ここに言葉を記載する事ができずにいました。
相談者の方々からは、安否を気遣うお言葉を頂いています。
ご心配をおかけし、誠に申し訳ありませんでした。

御祈祷をされている方々は、とても敏感に、
表面にいる今の私の状態を無意識に察しているようで、
心温まる励ましとお心遣いを頂いております。
又、逆に、今の私の負担にならないようにと、
聴きたい事も我慢し、
やり取りを控えられていた方々もいらっしゃた事と思います。

全ての方々に、
本当に、本当に心からの感謝をお送り致します。
ありがとうございました。本当に、ありがとうございました。
今日はこの場をお借りし、みなさんに今の私の心情を正直に申し上げます。


前回の日記で、私はごく普通の人間です・・と申し上げました。
これまでの過去の日記でも、何度も申し上げていますが、
ユタの私は、
表面の私の人生に対しては、何のアドバイスもしてはくれません。

ある意味、私は相談者の方々と常に同じ立場にいるのです。

正直に、申し上げます。
日記の書けない期間・・私は、己の人生の分岐点にいました。

御祈祷をしていると、最も視たくない場所に光が当てられます。
強い光が、全てを明るく照らすのです。
嫌な自分、否定したい自分、視たくない自分・・
表面の私の中にいる何人もの私・・・全て、本当は、同じ私。

多重人格者として、自己を発表したビリー・ミリガン氏の様に、
何回も脱皮を繰り返し、
バラバラの私を一つに統合するかのように、新しい私を創る・・。
表面の私は、その真っ只中にいました。

私は、本当に、ごく普通の人間です。
霊的な力は、自分自身の選択、決断の時には、何の効力もありません。
特に、私の場合は、自分自身でユタの力を否定したがっている為か・・
私自身の問題には、一切、ユタの私は声を発しません。

他の霊的な能力を持った方々も同じなのでしょうか・・。
だからこそ、
どんなに霊的に優れている方でも、自分の死期は知らない・・。

ユタの私は、微笑みもせず、ただじっと表面の私を視つめています。
そして、六明師も又、表面の私の動向を垣間視ています。
六明師からは、私個人の相談には答えない・・と申し渡されています。
ユタの私も、六明師も、それが私の修行・・と考えているのです。


身代わり念珠や極蜜祈祷をされていない方々、
この日記にのみ訪れている方々にとって、
表面の私は、とても興味ある存在なのでしょうね。

ここで、この場にて、正直に、赤裸々に告白します。
私は、本当に、ただの、どこにでもいる普通の人間です。
貴方と同じように、
毎日、決断や細かな選択をしながら、日々を過ごしています。

ある意味、私はもっと厳しい状況にあるのかもしれません。
正気に白状すると・・
この期間、私は自分に流れている、このユタの血を恨みました。

これは、私が乗り越えなければならない事・・。
これは、私が、己自身で得なければならない事・・。
これは、私が、私であるからこそ、与えられた事・・。
全てに意味があり、必要だからこそもたらされていると、知っています。

この期間、階段を登るように、一段、一段・・いいえ、違います。嘘です。
弱い私は、ご祈祷をされている各相談者の方々よりも、
はるかにスピードは遅く、少しずつ、少しずつ・・ジリジリと、
砂に埋れてしまいそうな、砂浜に立つ自分の足の親指を視ながら、
進んでいるのか、進んでいないのか、全くわからないくらいの速度で・・
前を視る事も、上を視る事もできず、
足元の先、ほんの何ミリかの場所を視ながら、
己の心の動きを視ながら、
誰にも知られないように、心の奥深くで、泣きわめいていました。

極蜜祈祷を始め、
ある一定期間が過ぎると、必ず、心の隅々まで、光が当てられます。
その光は、己が最も視たくない場所まで、全てを照らし出します。

大晦日の時期にする、部屋の大掃除と全く原理は同じです。
忘れていた思い・・捨てたはずの感情・・否定し抑えていた自分・・
全てが、明るみにさらされます。

そして、己で身を持って知るのです。自分の心の中、全てを・・。

それは、
とても苦しく、誰にも理解されないかのように重く圧し掛かります。

御祈祷をされた方々は、誰もが経験しています。
そして、それが明けた時には、大きく大きく飛躍するのです。
真っ暗の夜の世界が明け、朝日が大きく顔を覗かせるのと同じです。

これまでの過去の私にも何度もありました。
それぞれの暗さは、全く意味が異なりますが、
一つ一つを確実に確かなものしながら、やっと、ここまで来れた・・


このスピリチュアリストAYAは、開設してから丁度一年を迎えます。
ある意味、一年を経過しての節目でもあるわけです。

鑑定を始めてから、私の結果をみて、
それが間違いだと、苦情の言葉がきた事は今まで一度もありません。
鑑定後、大変に多くの方々が
御祈祷、身代わり念珠をされていらっしゃいます。
これまで、
御祈祷を個人的な理由でやむなく中止された方は、3人だけです。

表面の私も、ユタの私も、
常に、いつでも、全ての人の真の幸せを心から願っています。

その思いに、変わりはありません。
だからこそ、ここに言葉をしたためる事がどうしてもできなかった・・
表面の私をお見せする事ができなかったのです。

何度も、何度も言葉を描きました。そして、何度も何度も消去しました。
悲しい事に、そこに私の心は無かったのです・・。

私は、本当に不器用な人間です。
己の心をごまかす事ができない・・・。
自分の中の心・・・
リアルタイムで浮かぶ言葉しか、ここに書き込む事ができない・・。

そして、やっとみなさんに励まされ、今日書き込む事ができました。
本当に、本当にありがとうございました。

聴きたい事も我慢し、何も言わずに、見守って下さった方・・
何気ないご報告と称し、数あるヒントを送って下さった方・・
この期間、
過去の私とのやり取りを再度、真に受け取って下さった方・・
ご報告を欠かさず、ご自分の足で歩もうと努力されている方・・
環境の流れを大切に、大切に捉え大きく飛躍しようとしている方・・
そして、
表面の私よりも早いスピードで、己の壁に立ち向かっている方・・
ユタの私と無意識層の中、心の奥底で、常に会話がなされている方々・・

全ての方に感謝の念を送ります。
私にとって、全ての方は、師と呼べる存在なのです。
貴方は、表面の私の師です。

貴方のその悩みから、私は、己の答えを頂いているのです。
貴方のその喜びから、私は、希望を与えられ、己を視るのです。
全ての方々は、表面の私の鏡です。

常に、私のあるがままの姿を視せてくれます。
常に、私のあるべき姿を視せてくれます。

本当は、感謝しなければならないのは、この私なのです。
貴方の言葉が、表面の私へのヒントです。
貴方に向け発するユタの私の声が、表面の私への答えに繋がります。


  『全ての存在は時空を越えて繋がっている』

本日、頂いた相談者の方からの言葉です。
全ては繋がっている・・本当にそうなんです。
ユタの私が常に発する言葉を
又、改めて表面の私の心に落とす事のできた一行です。


常に、人は、一人では生きてはいけません。
古代最古の昔から、人は人と共に己を育み、前に進んできました。
全ての先人、故人、誰もが同じです。

人は、人を知り、愛を知り、成長します。
人は、人で磨かれ、育てられ、大きく、大きく、人として本物になります。

私は、貴方のおかげで、
又、こうして、ここに言葉をつむぐ事ができています。

私は、多くの方に磨かれ、本物になるのでしょうか。
貴方の悩み、貴方の真摯に歩む姿は、私を本当の人間にしてくれます。

貴方と私・・このご縁に心から感謝しています。
貴方との巡り合いに、心から感謝申し上げます。

次回こそは、ぜひ『ご縁』についてのお話をさせて下さい。
貴方とのご縁を私は、心から大切にしたい・・。

貴方の周りにある『ご縁』を貴方にも真剣に受け取って欲しい・・。
貴方には、これから、
もっと、多くの『ご縁』がもたらされ、育まれます。
その『ご縁』は、貴方自身を大きく育てるものばかりです。

そして、私は貴方を視て、多くの喜びを得るでしょう。
貴方とのこの出逢いに、心からの感謝を送ります。
本当に、ありがとうございます。
真に心を込めて、貴方へ送ります。


 
          −AYA−



2004年09月03日(金) 個人的なご質問と縁について・・

長い間、
お逢いできない状況が続き、誠に申し訳ありませんでした。
現在の相談者の方々とは、やり取りする事ができていましたが、
ここだけに訪問されている方々とは、本当にお久しぶりになります。
大変に、ご無沙汰していました。

ご質問も数多く受け、お答えする事に誠意を尽くしていました。
AYAの宝箱にも掲載致しましたが、現在、
表面の私に対するご質問が大変に多く、お答えするのに難を要しました。

日記を移転してから、
表面の私・・そう、医療従事者としての私に興味を持ち、
個人的なことを知りたい・・と申される方が非常に多かったのです。

私は、本当にごく普通の人間です。
特別変わった所はありません。
大層な事をこの日記の中に、記載している為か、
私が現在は成功して裕福な生活をしているのでは・・?と、
どうも、誤解されている方がいらっしゃるようで・・・
正直に申し上げますが、
私は本当にどこにでもいる、普通の人間です。

ここでの言葉、声は私ではない私・・違う私が発する言葉であり、
その言葉を表面の私も、みなさんと同じように、
教えとして受け取り、実際に、学んでいるのです。
相談者の方々と全く同じ立場です。
ですから、どうか、表面の私を買いかぶらないで下さい。
ユタの私は、全く違う人格を持った私ではない私なのです。

又、私に関するご質問にお答えできない理由がもう一つあります。
それは、個人情報が漏れると、
この世界では犯罪を生み出すという危険性も勿論ありますが、
私がお答えしない理由は、そこだけにあるのではありません。

私は、常に誰に対しても公平であり続けたいのです。
各相談者の方々に対し、
常に、誠意を持って、全身全霊で望みたいと考えています。
その為、
ある一人の方だけに私の事をお話するという事は、私にはできません。
一人の方にお話したのなら、
全ての相談者の方にも同じ様にお伝えする・・と私は考えています。

現在の相談者の方々の中には、ご夫婦やご兄弟、
親子、友人同士など様々な関係の方々がいらっしゃいます。
その中では、必ず私のお話も出る事になるのではないでしょうか。
ユタの私は、たとえ、ご家族であったとしても、
魂は全く別である・・と考えますので、
口コミでのご紹介であったとしても、
個人的な情報について、やり取りの中で交わす事は有り得ません。

やり取りの中では、常に私と貴方だけの関係・・と視なします。
何故なら、
貴方と私との間には「ご縁」と呼ばれるものが存在しているからです。

「縁」と呼ばれるものがあるからこそ、貴方と私は出逢ったのです。
たとえ、ご家族であったとしても魂は別々の前世を持っています。
それぞれの魂は、私との「縁」を別に持っているのです。
自然の流れで、今生において必然的な出逢いを果たしただけです。

「縁」がない方は、いくら説得されようと、私の元には訪れません。
日記には訪問していても、私の事を信用できない・・とお考えになります。
言葉が眼に入っても、何も感じない・・そうお考えになります。

今回、
「ご縁」について、詳しく教えて欲しい・・というご質問を頂きました。
又、AYA宝箱にも掲載させて頂きたいのですが、
下記にその方へのお返事として私が何とお答えしたのかを記載致します。

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「縁」について。

「良縁」を「悪縁」に変えてしまう事がある・・
 では、
「悪縁」を「良縁」に変える事もできるのか?
   
残念ながら、今までの私の経験から申し上げて、
一度もその様な事はありませんでした。
前世から続く「悪縁」は
今生でも、来世でも「悪縁」に変わりはありません。

「縁がなかった人」とは必ず別れなければならないのか?
「縁がなかった」と諦めるしかないのか? 
でも、復縁の極蜜祈祷をされている方の場合は?

「縁」には、幾つもの種類、幾つもの違いがあります。
例えば、親子や兄弟など・・これはソウルメイトと呼ばれる
密接な関係にある魂のグループです。
貴方がこれまで出逢った方々は、
何らかの縁があったからこそ今生での出逢いを果たします。
ただ、縁には幾つもの異なる違いがありますので、
無理やりに伴侶の縁を持っていない者同志が一緒になると、
必ず、どこかの場所にしわ寄せを生じます。
それから、「復縁」をご祈祷されるという事は、
全くの別人になる・・という事です。
自分の悪い所を改善しない限り、復縁は難しいのです。
復縁は、大変に多くの努力と忍耐が必要なのです。

「ご縁」に関しては、
とても難しいお話となり、これだけでは説明不足です。
又、近い時期に日記の中で詳細にお伝え致しますね。

昔のことわざに、
「袖すり合うも他生の縁」という言葉があります。
「他生の縁」の言葉を「多生の縁」とも置き換えます。
前世からの因縁を現す仏教用語です。
貴方と私のこの出逢いも又、「多生の縁」です。
幾つも抱える前世の中で、
貴方と私とは出逢いがあったと、私は感じるのです。
だからこそ、こんなにも貴方の幸せが視たい・・。
貴方の事を常に願っています。
今回の多くの出逢いが
又、貴方にとって良きご縁でありますように。
心を込めて。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
     「袖すり合うも他生の縁」

貴方の周りにいる方達は、貴方に何らかのご縁がある方です。
貴方がこれまで出逢った方は、貴方に縁があって出逢ったのです。
全ての人が、幾つもの流れ、幾つもの縁の中で生きています。

隣り合ったあの人・・
見知らぬあの人もまた、貴方に何らかの縁がある方かもしれません。

人は、一人で生きているのではなく、
常に、必然的な出逢いを果たしながら生きています。

そこには、本来、良いも悪いも無いのです。
重要なのは、出逢ったときに貴方がどうするかです。

人は、必要な時期に必要な人と巡り逢います。
本当は、出逢った人が、問題なのではありません。

出逢いをした時の貴方がどうするかが、問題なのです。
出会いを果たした時の貴方がどう考えているかが重要なのです。


貴方との出逢いに心から感謝しています。
貴方との出逢いに宇宙の神秘を感じます。
貴方との視えない出逢いが、私を又、学びへと導かせてくれます。
貴方との「縁」があるからこそ、
私は、真剣に祈り、願う事ができるのです。

貴方の真の幸せを心から、変わらずに願っています。
心を込めて。





            −AYA−


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