2004年07月29日(木) |
神障り・・・その本当の理由 |
昨日の日記の中で、私は初めて、 自分の父親の事・・ 私のプライベートについて、お話しました。 過去の相談者の方の実話をお話する事は、簡単です。
けれど・・どうしても、私には、それができなかったのです。 私の過去・・幼い頃の自分を語る事は、 多くの誤解を招き、幾つかのトラブルを招くかもしれない・・ 充分、覚悟しています。
私には、相談者の方々が抱える、 地獄の様な苦しみをお伝えする事はできないのです。
過去の私と同じ立場にある、 相談者の方々の、心からの苦しみ・・叫び声を、 ここに、安易に記載する事ができないのです。
みなさんが、 どの程度、ご理解されたか・・知る事はできません。 どう受け取られようと、構いません。
真の神仏のお力を語る事が、 全ての人々の幸せに繋がる事は、私自身、充分に理解しています。
けれど、そのお話によって、 たった、お一人でも、心に痛みを感じる人が出る事は、 私には、耐えられない・・・・それは、私の役目です。
表面の私が持つ、 父親に対する気持ちは、とても複雑なものです。
子供の頃・・ 私は、父親に対し、殺意を抱いた事もありました・・ 許せなかった・・どうしても、許せなかった・・ 死んでしまえばいいのに・・・ そう考えた事が、何度あったでしょう・・ たかが、3千円くらいの給食費が払えず、 走る車に身を投げ、何度、死んでやる・・と考えたでしょう・・
表面の私は、決して、善の多い人間ではありません。 お釈迦様の言われる、大罪を子供の頃から抱えて生きてきたのです。
神仏に近い人間になりたい・・暖かな光に近づきたい・・ 少しでもいい・・ほんのちょっとだけでもいい・・光の側にいきたい・・ 表面の私の心の中は、常にその思いだけです。
運命は変えられるのです。 断言致します。 運命は変える事ができるのです。 この私が、生き証人です。
育った家庭で、真の人生が、決定されるのではありません。 周りの人達が、貴方の人生を決めるわけではありません。 環境が、貴方の人生を、決められるはずがありません。
この私が、生き証人です。 何度でも言います、この私が生き証人なのです。
人がどんなに頑張っても、 逃れる事ができないものは、確かに、この世界に存在しています。
人の生死・・・生老病死・・・・。 誰もが、生きずらい世の中に生まれ・・ 時と共に、老い・・常に、病に狙われ・・そして、必ず、死ぬ・・。
どの人の人生も、同じです。 誰もが、必ず、その苦しみを受けます。
その中で、どう生きるか・・ 真の幸せにいる人は、生老病死さえも、「苦」とはしません。
真の幸せとは、 全ての苦しみさえも乗り越え、決して、消える事は無いのです。
私は、全ての方に幸せになって、欲しい・・ どうしても、幸せになって欲しい・・・
幸せになって欲しい・・この思いは、私だけではありません。
神仏に近い六明師、 恐ろしく、力ある神様、 罪人さえも温かく見守る仏様、 視えざる大いなる力、宇宙の流れ、 全ては、貴方の真の幸せを願っているのです。
神様が何故、あれだけの怒りを現すか、わかりますか? それは、 神や仏を敬う心を持たない者が、 死を迎えた後には、 終わりの無い、地獄へと落ちる事を知っているからです。
全ての幸せを願う神様は、 それを知らしめる為に、障りを起こすのです。 災いを起こし、 少しでも早く、気がつく事ができるように・・と願いながら、
だから、神障りは 何年もの時をかけて、本人が気がつくように、 幾つもの災いを通して、気づきを与えているのです。 それが、ユタの私が言う、学びと教えなのです。
ユタの私は、 神障りや霊障と言う結果が出ると、必ずこう声にします。 今、知る事ができて良かったではないか・・・
今生から旅立ち、 やり直す事ができない状態になってから、 初めて、気がつく・・それでは、遅いのです。
今生の人生をどう生きるかによって、 貴方の中間生は決定されるのです。貴方の来世は決まるのです。
人様なんて知った事じゃない、 自分の願い通りに、生きている間だけ、幸せだったらいい。 そう、お考えの方もいらっしゃいますね。
その考えを、その日暮し・・と言うのです。 明日の事は何も考えず、今日さえ楽しければいい・・ 今日を楽しむ為に、昨日の罪は、全て忘れよう・・・ 今日さえ、うまくいけば、何もかもどうでもいい・・
このように、お考えの方がその先、どうなるか・・ 言わずとも、ご存知ですね。 鑑定などしなくても、誰でもが知っています。 幼い子供でも知っています。
今、ユタの私や六明師によって 障りが何か、を明確にされた事は、 貴方に、これから先の「幸」をもたらすものです。
神障りや霊障を結果として、持っている方の殆どは、 人生の中、運気と呼ばれる中では、最高の時にいます。 人生の分岐点と呼ばれる、幸と苦との境目に立っているのです。
どうするか・・どう生きるかによって・・未来は必ず、変わります。 何度でも、断言致します。 運命は、変えられるのです。 未来は、貴方自身が創るのです。
そして、それを幸多きものにする為に、 私も、六明師も、力の限り、貴方に言葉を送るのです。
何度でも言います。 貴方は、幸せになる為に、生まれたのです。 全ては、貴方の真の幸せを願い、流れているのです。
それを、どうするか・・ どう受け取るか・・それは貴方次第なのです。
貴方の幸せを私は、心から願っています。 微々たる私ですが、毎日、毎日、日々、心を込め、祈ります。
貴方の幸せを心から、言霊を込め、祈ります。 真に心を込めて。
−AYA−
2004年07月28日(水) |
神障り・・過去の実話 |
昭和の後半、享年40才前半にて、その男性は他界致しました。 男性には、何人もの幼い子供達がいて・・ 彼の家庭は、常に貧乏のどん底の生活の中にありました。 電気、水道は切られ、生活はままならない状態でした。
原因は、彼が10数年間も酒に溺れてしまったからでした。 酒に溺れた理由・・ それは、最愛の長男を亡くした事・・その苦しみでした。 彼は、その苦しみ、辛さ、哀しみ・・ 全ての大きな暗闇を、乗り越える事ができなかった・・。 その苦しみ、悲しみに終わりはなく・・ 今生の全ては、苦のみ・・となりました。
人様のために・・という心は、小さく・・ いつも、何らかのトラブルと災いの中、暗闇を抱え・・ 「何故、自分がこんな目にあうんだ・・」それが彼の思いでした。
過去の流れの中では、家系の因縁から、 神仏に守られ、繁栄している時代も、彼には、確かにありました。
彼は、口癖のように、子供達にこう言っていました。 「時代が、時代なら、殿様のような生活をする事ができたはずだ」 「働かなくても、食う事ができる家系なんだ・・」
彼は、神仏のお力をお借りする方法を知っていたのです。 視えない力、宇宙の説明のつかない力、大いなる力、神仏、 それらが、全てを創っている・・という事を知っていました。
住んでいる土地のどこが、聖域であるかも知っていました。 神仏のお力、御先祖様を敬う心は、強くありましたが、 それは、いつでも「苦しい時の神頼み・・」と呼ばれるもの・・。
そして、彼はこの世界から別の世界へと旅立ちました。
沖縄には、カミダーリィ(沖縄の方言)という言葉があります。 これは、神障りを意味する言葉です。
他界した彼は、沖縄のユタの家系の流れを汲む者でした。 ユタという者は、己の為だけに生きようとすると必ず災いを招きます。 神様の怒り、戒め・・をかうのです。 これが、神障りです。
相談者の方の実話をここに記載する事は、簡単です。 けれど、 それをご家族の身になって考えると、私はいてもたってもいられません。
神障りのご祈祷をされる方は、 殆どの場合、ご本人からのお申し込みではありません。 願主となるのは、ご家族の中でも最も神仏に近い方です。
神障りが起ると、本人には全くの自覚がありません。 自分の心の中、何が悪いのか・・ それを、知ろうとはしません。 全く、己を省みる事をしません。反省というものが無いのです。
全てを環境や人のせい・・だと考え、神仏に対しても恨みを抱きます。
何故、 私が厳しく、信仰心の無い方は入らないで下さい・・と申し上げたのか、
視えざる世界を信じない方は、現代の科学教と呼ばれる考え方で、 神仏に対しての挑戦とも呼べる、悪しき行いをします。
「本当に神罰が下るか、試してみようじゃないか!」 悪しき思いを持った者は、すぐにそう考えます。
私は、人々の幸せを願い、全ての人が本当の幸せを掴み取る為に、 ここに、存在しているのです。 どんな人にでも、幸せの道を歩んで欲しいのです。 これ以上の悪しき行い・・悪業を積んで欲しくないのです。
私が、何故、あんなにも恐ろしい・・と言ったのか、 私は、神障りの恐ろしさを実際の経験として持っています。
実は・・・この男性を私は、身近な者として知っています。 この男性は、・・私の父親だからです。
悲しかったあの頃・・全てを覚えています。 父が、大好きでした・・そして、父を憎んでいました・・ けれど、 私は、いつでも、酒を飲む、父親のあぐらに座り・・ ・・・はしゃいでいました。 私が、はしゃぎ、父を笑わせれば、父は酒を飲む手をとめます。 子供ながらに、父の悲しさ、辛さ、苦しさを知っていた私は、 父に、飲む事をやめて!とは、言えなかった・・。
私は、今でもあの頃の父親をありありと思い出す事ができます。 私が、己の為だけに生きる・・すぐにでも、父の様になるでしょう。
これは、 決して、ユタの家系に生まれた者だけの事ではありません。 他の方も、皆、同じです。
苦しい時だけ、真剣に神様にお願いをし、 自分が楽になった時には、何の感謝の気持ちも無い・・ 厳しく、申し上げますが、相談者の方の中にもいらっしゃいます。
年初めに、貴方は、神社に行かれるのではないですか? 神様を敬う心を持たず、信仰心も無く、ただ、祈るだけ・・ 果たして、神様は貴方の願いを叶えるでしょうか。 「神頼みなんて、効果が無い・・嘘で、ただの迷信・・」 そう、お考えですか?
ただの迷信・・ただの自己暗示・・と考えている方。 初詣には、人が、大勢います。 有名な名のある神社ほど、人が多く押し寄せます。 トイレも満員で、長い列を作っています。
人の波で、気分はイライラする・・ いつもの様に、唾を吐く・・ トイレには行きたい・・子供も「おしっこしたい」と泣いている。 「しょうがない・・」と言って、 貴方は子供を神社の神木の陰に連れて行く・・そこで用をたす。
今生の過去において、 その様な行いをした方の現在の状態を、私は、知っています。 当たり前に、神罰として神様からの障りを受けています。 ユタの私は・・全て、自業自得・・と声にします。
神様には、人間と同じ感情があるのです。 普通に考えれば、わかるのではないですか・・
貴方の玄関先で、貴方を目の前にして、 唾を吐き、おしっこをする・・そして「願いを叶えて下さい」と言う 貴方は、怒りに震えませんか?
真に力のある神様は、必ず、戒めを送ります。
それは、貴方が何年もかけて苦しむように、流れます。 貴方が、どうする事もできない状況になって 初めて、知る事ができるように流れていきます。 逃げられない所まで・・ 人間の力では、どうする事もできない所まで、連れて行かれます。
本当の神様は、力のある恐い存在なのです。 そして、 本当の神様は、すぐに貴方の心の悪しき思いを見抜きます。
自分に利益のある時だけ、喜ぶ・・ 損得勘定で、自分に得のある人だけには、親切にする・・ そんな心は、訳もなく見抜くのです。
六明師の執り行う、 身代わり念珠も極蜜祈祷も、真に力のあるものです。 その為、 ご祈祷や御念珠をお断りせざるおえない方もいらっしゃいます。
全く、信仰心を持たず、 今後、明らかに神仏に対し、失礼な行いをする・・ と感じる場合などは、こちらからお断りをさせて頂きます。 これは、その方の幸せの為なのです。
神障り・・と呼ばれるものは、 貴方が考えている以上に、恐ろしいものなのです。
六明師は、 それを治める為、神社の神主の修業も、何年も致しました。 そして、六明師は密教の名高い僧侶です。
この現状の世界で、 唯一、それを治めることができるのは、御仏様だけなのです。 だからこそ、私は心から祈るのです。 だからこそ、私は、仏道を志しているのです。
私達は、生きているのではないのです。 人間は、偉大だ・・全て、己が力で生きてきた・・ そう、お考えの方は、無知で、愚かです。
貴方は、神仏によって生かされているのです。 貴方だけではなく、勿論、この私も、六明師も、 全てのものは、 視えざる力により、生を与えられ、死がもたらされるのです。 それは、人間だけではありません。
生きとし、生けるものは、皆、同じです。 常に、視えざる力は、私達を視ています。 貴方の毎日を、言葉を、行いを、視ています。
どうか、貴方が、 多くの幸せへと近づく為に、 正しき、真理の道を歩めますように、心から願います。
心から、貴方の幸せを願い、言霊を込め、送ります。 常に、貴方が神仏に近い場所にいますように。 心を込めて。
−AYA−
2004年07月27日(火) |
神障り・・神仏についてお伝えする前に、貴方へのお願い・・ |
「AYAさんへ提案があります。 ダイアリーで、いつか「神障り」についてお話しして下さい。 きっと、他にも同じような苦しみで悩んでいる人がいると思います。 低いものと同調しないための心的態度についてはお話しされましたが、 神障りの場合も同じ事が言えるのでしょうか。 信仰心を強く否定して生きた事があったと思われる人、 前世で神を罵倒したり侮辱した人が、 今生でこのような障りに遭うのでしょうか。 それとも、今生の過去で、 何らかの形で神への不敬があったためになのでしょうか。 「家系の因縁」という言葉がありますが、 本人が直接にではなく、家系の彼かが問題を起こしたためか、 環境的なことでそのようになるのでしょうか。」
昨日の日記の中で、他の方々の幸せを 心から願い、 掲載を希望されている方がいらっしゃる、と申し上げました。 上の文章は、その方からの原文です。
過去の日記(12月、1月)の中で、 恐れ多くも、 神仏について、記載してあるものが、幾つかあります。
これから、 神仏について、今の私の知り得る事をお伝え致します。 私がお伝えする事をお聴きになられる前に、 過去の日記をお読みでない方は、 どうか、一度ご参照下さいますよう、お願い申し上げます。
神障り・・神障解除・・という言葉を みなさんは、あまりお聴きになられた事がないかもしれません。 神罰・・という言葉は、お聴きになれた事があるでしょうか。
実は、 霊的な障り、災いの事を霊障・・と言うように、 神様からの障り、災いを神障り・・と私達の世界では言います。 これは、神様の怒り、戒めを現す言葉です。
間違いがあってはいけません。 ここからのお話は、 どうか、ただの興味本意・・ 遊び半分、面白半分では、お聴きにならないで下さい。 どうか、そのように考えの方は、 私では、責任が持てませんので、ご遠慮下さい。
そう、申し上げている 表面の私は、実は・・・とても緊張しております。
昨日、私は 神仏に対し、強い畏敬の念を感じていると申し上げました。 本当の神様、本当の仏様を 私は、とても恐い・・とても恐ろしいものだと思っています。
真実の力を語る事・・知ってもらう事は、 全ての人の本当の幸せに繋がる・・という事は、百も承知です。 けれど、 今の私に、表面にいる、この普通の私に、それができるのか・・ 正直に申し上げますが・・とても、不安なのです。
ユタの私は、 ただ、静かに穏やかに、微笑んでいる・・だけです。
どうか、ここからのお話は、 視えざる世界など信じないと、お考えの方はお聴きにならないで下さい。 厳しく、申し上げますが、「どうか、お引き取り下さい」
過去の相談者の方の実話は、幾つも存在しています。 ただ、 その方々の全てをお話する事はできません。 実証できるような事実は、一切、記載致しません。
これからのお話を 貴方が、信じようと、信じまいと、どちらでも構いません。
全て、それぞれの魂が持つ、 果てしなく続く、『生』からの「業」だと思っていますので、
神仏に・・全てをお任せいたします。 全てを・・神仏にお任せいたします。
過去の日記では、 もっと、緩やかに、簡単に、 あまり言葉を選ばずに、お伝え致しました。 一年の中でも、一番、神様のお力が強くなる時でしたので、 至急にて、 お伝えしなければならず、勢いにまかせ、書き連ねました。
そして、 今は、一年の中でも、最も、意味ある季節です。
貴方の御先祖様・・数々の御霊に促されている・・ ユタの私は、そう感じています。
ここまででも、随分と長くなりました。 誠に、申し訳ありませんが、 神障りに関する実話は、次回の日記に記載致します。
貴方の貴重なお時間を取り、誠に申し訳ありませんでした。 心から、お詫び申し上げます。 どうか、お許し下さるよう、心からお願い申し上げます。
これまで、 日記への記載でこんなに緊張した事は正直言ってありません もう一度、 心から、貴方の幸せを願い、申し上げますが、 信仰心のかけらも無い・・と仰る方は、 神仏のテーマの所へは、入らないで下さい。 誠に、申し訳ありませんが、厳しく禁止致します。 これは、貴方の幸せのために、申し上げております。
私は、本当に恐いのです。 力のある真実の神様、仏様は、本当に、本当に恐い・・ 貴方の善き思いも、悪しき思いも、すぐに見抜くからです。 どうか、心から、静まり、 真の心にてお聴き下さるよう、心から、お願い申し上げます。
どうか、 貴方が、神仏の本当のお力の前で、 真実から逃げず、 真実を受け取れますよう、心から願います。 常に、物事が、 貴方の心が、貴方の本当の幸せへと繋がりますように。 心から、祈ります。 心を込め、願います。心から、祈ります。
−AYA−
2004年07月26日(月) |
AYA宝箱・・掲載削除について・・ |
本日は、 みなさんにお伝えしたい事がございます。
「AYAの宝箱」において、 削除致します・・とのタイトルがある箇所が幾つかあります。
実は、お二人の方から、 掲載をした後に、削除をご希望されるご連絡がありました。
お一人の方は、掲載拒否のお言葉がありませんでした。
もうお一人の方は、鑑定後の感想でした。 掲載拒否のお言葉は、確かにありましたが、 長文3通ある内の 個人的な事項に関する2通を拒否されているのだと 安易に受け取り、掲載させて頂きました。 前回の日記の中で、 この時期に教えて頂いた・・と申し上げた方です。
明らかに、私のミスです。 心から、お詫び申し上げます。 誠に、申し訳ありませんでした。
このHPの運営に関しては、全てを明らかに致します。 相談者の方々が、 疑問に思うような事があってはなりません。 その為、この場をお借りし、正直に申し上げました。
これからも、 非難、中傷を含め、全てを掲載させて頂きます。
以前、懐疑的な言葉が送られてきた時に、 相談者の方から 「何故、そんなマイナスな面をわざわざ公表するのか・・」 というご質問を受けました。
このスピリチュアリストAYAは、私のものではないからです。 私が、一方的に書いているこの日記も、私だけのものではありません。
私の元で、 事務的な事を手伝ってくれている過去の相談者の人、 現在、真に本当の幸せへの道を日々、励まれている方々、 この日記を読んで、毎日の「気づき」として下さる方々、 苦しみ、悩み・・生き辛さから逃れようとしている方々、
全ての方のものです。 そして、 視えざる、大いなる力・・神仏に近づく為のものです。
だからこそ、明らかにしなければなりません。 苦情なども、全て、公表させて頂きます。
インターネットの世界は、個人を特定される事がありません。 その為、 今後は、インターネットの中での犯罪が増幅する・・ ユタの私も、六明師も、そのように感じています。
私は、仏道に生きる人間です。 私にとっての神仏とは、本当に恐い・・恐ろしい存在なのです。 神様・・仏様は、全てご存知です。
視えざる力の偉大さ・・恐ろしさを 何度も、過去の相談者の方々から学ばせて頂きました。
自己中心的に、自分勝手に、自分の欲の為だけに、 全ての作業を行なったらどうなるか・・
ユタの私は、それを視せてくれます。 六明師も全てをご存知です。
相談者の方々や鑑定後の方が、 私を信用できない・・そう、仰っても、構いません。
神仏は、全てをご存知だからです。 全てを神仏にお任せ致します。
スピリチュアリストAYAでは、心情としている言葉があります。
「去る者は、追わず・・来る者は、拒まず・・」
「何時いかなる時も、人様のご決断を遮る事はしない・・」
「AYA宝箱」に関して、もう一度、みなさんにお願い致します。 今後、掲載を望まれない方は、 お手数ですが、 どうか、1通、1通に「掲載拒否」の一言をお入れ下さい。
実は・・ 掲載拒否のご連絡があった同じ日に、 掲載して下さい・・ 日記で取り上げて下さい・・という方もいらっしゃいました。
見ず知らずの誰かが、 同じように苦しんでいるかもしれない・・ その人達の為に、掲載して欲しい・・と仰って下さいました。
相談者の殆どの方が、皆、 顔も知らない、見ず知らずの人、 あかの他人の幸せを心から願い、心から喜ばれます。
「AYAの宝箱」は、それぞれの人が、 人様の師となり、 自分の苦しみや悩みを通して、教えと気づきを与える為のものです。
一人、一人の幸せを、共に皆で、心から喜びあう・・ 共に、皆で、心から励ましあう・・・私の心からの願いです。
「AYA宝箱」は、 私の大切な方々の、真の思いが詰まった、私の宝なのです。
どうか、 全ての人が、本当に大切な事は何か・・ 誤り無く、真実を知ることができますように・・
全ての人が、真実の道を歩まれる事を心から願います。 心を込めて。
−AYA−
2004年07月23日(金) |
今の時期の鑑定・・・(何らかのメッセージ・・) |
現在、 私の元に訪れる方の殆どが、 以前に鑑定した方からのご紹介・・口コミという形です。 それ以外に、 最近増えている鑑定内容で言えば、 相談者の方のご家族に関して・・ 妹さんだったり、ご主人様だったり、その方のお兄様だったり・・ その特徴として、それぞれの方のお悩みは、 とても、緊迫しており、急を要する事が多いものです。
ただ、もう一つの特徴として、 鑑定依頼をしたい・・と考えているにも関わらず、 何らかの邪魔が入る・・・という事が多く視られています。
今の時期は、 大変に霊的に、意味のある時期だと申し上げました。 そう考えながら、世間や周りの人達を視ると、 何かしら、思い当たる事が往々にしてあります。
そのどれもが、大半は、 御先祖様からのお願いが含まれている・・と感じています。
ここで、お伝え致しますが、 ユタの私も六明師も たとえ、ご家族、ご夫婦であったとしても、 魂は全く別である・・・・と考えております。 ですから、 ご本人でない場合の鑑定依頼に関しては、 内容によって、 お受けできる場合とお受けできない場合とがあります。
どうか、 今の時期に多く視られる、ご家族に関しての鑑定依頼は お手数ですが、 正式な鑑定申し込みから、お申し込み下さる様お願い申し上げます。 その後に、お受けできるかの返答を致します。
まだ、 お返事を出していない相談者の方もいらっしゃいます。 どうか、もうしばらくお待ち下さい。
それから、 ユタの私は、相談者の方からのご連絡、ご質問に対し、 すぐにお答えする場合と、 すぐに返事を出す事を禁止する場合とがあります。
ユタの私は、全ての事を何でも 私に確認してから、前に進もうとする方に対しては、 とても厳しく、必ず、相談者の方が考える時間を設けます。 勿論、 スケジュールの都合で、 すぐに、お返事する事ができない場合も多々ありますが、 私からのお返事、答えが遅れる場合には そういった意味も含まれているとお考え下さい。
常に全身全霊をかけ、全ての事に対応させて頂きます。 ただ、一つ・・ ユタの私も六明師も一つだけ、心に決めている事があります。 それは、何か・・・ 私たちは、 絶対に、人の人生を左右するという、罪だけは犯したくないのです。
過去の相談者の方の中には、 ユタの私や六明師を 教祖のように、崇め、慕ってくださる方がみえました。
けれど、それは間違いです。 その様なお考えの方は、断じて、お断り致します。
何故なら、そのようなお考えの方は、 エスカレートすると・・しまいには、トイレに行く時間まで・・ 私に尋ねるようになります。
私の願いは、一人、一人の方がご自分で本当の幸せを掴む事・・ 誰にも頼ることなく、 いつでも、 どこにいても、 どんな事があっても、 心からの幸せを感じる事ができる・・ それが、心からの願いなのです。
ユタの私も六明師も神仏のお力をお借りし、 そのメッセンジャーとして、言葉を発するだけです。
私の相談者の方は、 過去の対面鑑定をした方も含めると、 その人数は、自分でも把握しきれないくらいいらっしゃいます。 ご祈祷をされているとか、されていないとかに関わらず、 私は、身代わり念珠をされている方、 全ての方を私の大切な方・・・と考えております。 もっと、広く、欲を出して言えば、 私にご縁があり、 本職の中で、言葉を交わした方・・ 日常生活の中で、すれ違っただけの方・・ 眼には視えない出会いを果たした方・・ 全ての方を、私は大切な方だと考えております。
私は、神仏との世界に橋を架ける人間になりたいのです。 六明師という本当の僧侶が行なう 身代わり念珠や極蜜祈祷を通して、 みなさんに、神仏のお力を実感して頂きたいのです。
私は、ただの橋渡せの為に、存在しているのです。 「仏縁」という大きなご縁を繋げる為に、 こうしてみなさんにこの場をお借りし、お伝えしているのです。
先日、 テレビ番組で、お笑い芸人と言われている方々が 心理テストと題して、下記のような問いを出していました。
「四文字熟語を二つ・・頭に浮かべろ・・」
みなさんも言葉を心に描いてみて下さい。 私の中にすぐさま浮かんだ言葉は・・ ・・・「一期一会」と「自業自得」 この二つでした。
実は、これ、 最初に浮かんだ言葉が、その人が持つ人生観・・・ 二つ目に浮かんだ言葉は、その人が持つ恋愛感・・だそうです。
貴方は、どのような言葉が心に浮かびましたか?
「自業自得」という言葉の意味は、もうご説明致しました。 神仏のお力は、まさしく自業自得・・である、と。
「一期一会」とは、ご存知のように、 一生に、 一度きりの出会いの事で、人と人との出会いは大切にすべきだ・・ とする、戒めの四文字熟語です。
実は、「一期」とは、 人が生まれてから死ぬまでの間を意味する仏教用語で、 元々は、茶道の心得を説いた言葉です。
「今日という日、 そして、 今いる時というものは、二度と再び訪れるものではない、 その事を肝に銘じて、生、行なうべきである・・・・・」
という意味です。
私は、 今生に出逢う事のできた方々を本当に大切に思っています。 人の人生における出逢いは、それぞれに意味があります。 それは、貴方に幸をもたらす者であったり・・ 逆に、貴方に対する戒めとしての教えを運ぶ者だったり・・ そこには、常に、何らかの意味が込められています。
貴方は、私にとって意味ある方なのです。 私は、常に貴方のことを思っています。 私には、 こうして知っている事を貴方にお伝えする事しかできず、 はっきりと申し上げれば、祈る事しかできない人間です。
貴方が思う、ご家族に対するお気持ち・・ とても、人事ではありません。 表面の私は、 貴方のお気持ちを察し、とても心穏やかではありません。 けれど、ユタの私は言うのです。
「教えを頂けて良かったではないか・・」 今、知ることができる貴方を喜んでいるようです。 生きるために必要な、良ききっかけとなる・・・と考えているようです。
どうか、 心を強くし、何事にも冷静に、落ち着いて、対処して下さい。 私は、変らず貴方の側にいます。 貴方を常に、見守ります。 心から、心を込めて。
−AYA−
2004年07月18日(日) |
己をコントロールする・・(霊障を防ぐ方法) |
世の中には、 私の様に自称、霊能者・・と言う人々が沢山みえます。 インターネットという世界が普及するにつれ、 その人数は、明らかに増えているように思われます。
過去の日記の中で、お話しましたが、 霊能者・・霊的な力・・ この世界においては、資格というものは存在しません。 この世に存在している霊能者と呼ばれる人が、本物か・・ 誰も、真実を知ることはできないのです。 ですから、 霊能者といわれる方々は、全て自称、霊能者なのです。
決して、人様を批判しているのではありません。 この私自身の事です。 ユタという力が、何か・・私には説明する事ができません。 本当に祖母の力を受け継いでいるのか・・私にもわかりません。 表面の私は、その力を肯定したくはない・・否定したいのです。
みなさんは、様々な占いを経験されていますね。 中には、 霊能者と呼ばれる方々の元に頻繁に出入りし、 莫大な金額を請求された方もみえる事と思います。
ここで、正直に申し上げますが、 霊的な力を持つ霊能者と、霊的な障りを受けている霊障者とは、 実は、紙一重なんです。
私は、 ユタの私からのメッセージを、声が聴こえる・・と表現します。 又は、視える・・とお伝えします。 視える場合も、実際には、色彩、自然のイメージとして現われます。
最初の頃の私は、 この説明のつかない、訳もわからない現象に、とてもとまどい、 自分は、精神患者になったのではないか・・ 分裂病では・・・? 妄想では?・・・と随分、悩みました。
その頃には、それを諭し、前に導いて下さる師、 六明師と既に出逢っていましたので、私は事なきを得ましたが、 実は、 霊能者と言われる方々の殆どが霊障者ではないのか・・・ と六明師は、仰られています。
それを見分ける方法は、己をコントロールする力です。 声や映像・・イメージが、何の前触れも無く現われ、 それを抑えることができない・・・これは、明らかに霊障です。
過去の相談者の方の中にもいらっしゃいました。 声が心で響く・・何か意味があるのでしょうか? というご質問を今の時期、大変多く受けていました。 私は、迷わず・・ それを聴きたい・・・と願うのならば、出家して下さい。 仏道へとお進み下さい・・・と、お勧めしていました。
外からの魔については、既にお話しましたが、 魔は、必ず飴を持って近づきます。 その飴に魅せられ、 舐めているうちに、容易には戻れない場所へと連れていかれます。 戻れない場所とは、幸せの階段を下に降りる事を意味します。 光から遠ざかる・・貴方の運気が下がる・・という事です。
この場合に必要な事は、己をコントロールする力・・・ 自分自身を冷静に視つめる力が必要となります。 それが、具体的な冷静な眼・・と言う事です。
素直に思うままに行動する事は、大切・・と、 書かれている自己啓発本が多くありますが、 これも、安易に、その一行だけを 自分に都合の良いように受け取ってはいけません。 一冊ではなく、何冊も何冊も深く読んでみて下さい。 意味をはきちがえては、何の糧にもなりません。
さて、 昨日の日記の中で 今の時期は霊的な障りが多く視られる・・と申し上げました。
霊的な障りを最も受けにくい方・・・ それは、己をコントロールする事ができる人です。 感情の起伏が激しくない人・・日々、穏やかに過ごせる方・・ 何事にも動じない、穏やかさ・・ それを身につけている方が、本当の幸せに最も近い方です。
泣いたり、笑ったり、怒ったり、イライラしたり、 感情が、 激しく変化する方が、最も霊障を受けやすい方なのです。
感情のままに、怒り、大声で叫び、暴れる人を 「己を見失っている・・」と言います。 最悪の場合、それが そのまま、殺人事件にまで発展する事もあります。
この時期を乗り越える為の方法・・ 己をコントロールする・・どうか、一度お考え下さい。
己をコントロールする・・・簡単にアドバイスしていますが、 実は、これこそが最も難しい困難な事・・。 人は、 己の心をコントロールするという、修業をする為に生まれ変わるのです。
幾つもの前世・・意味ある今生・・新しい未知なる来世・・ 人は、何度も何度も生まれ変わります。 常に、生きずらい世の中に誓いを抱き、生まれかわります。
勿論、貴方は幸せになる為に生まれるのです。 心の中の魔も、 今のような意味ある季節も、 全てが、貴方が本当の幸せになる為の訓練となります。 それらは、全て、道具なのです。
毎年、 この時期が来ると私の中では沖縄への思いが強くなります。 沖縄の民謡を知らず知らずに、口ずさみ、懐かしむ・・・ 言葉には、表すことができない、景色・・ 眼を閉じると、今でもそこにいるような感覚に陥ります。
故郷・・誰もが、子供の頃の楽しい思い出を持っているはずです。 貴方の中にも、懐かしい故郷への思いがあるはずです。
そして、 全ての人の心の故郷・・肉体を脱ぎ去ってむかう先は、みな同じです。 命ある誰もがむかうその場所は、みな同じです。
貴方が、 今の意味ある時期を一つ一つ、確実に前に進めることができるよう 私は、常に願っています。 いつでも、貴方を思っています。 いつでも、貴方へ思いを送ります いつでも、貴方の側に、います。
貴方の幸せを心から願います。 心から祈ります。 心を込めて。
−AYA−
2004年07月17日(土) |
障りの多い季節・・・(霊的な事に関して) |
本格的な暑い季節を迎えています。 今年は、各地で30度以上を越す猛暑となるでしょう。
もうすぐ、「お盆」が来ます。 各地のしきたりによって、「お盆」を迎える日は異なりますが、 「お盆」という、 御先祖様をお迎えする日は、確実に近づいてきました。
今日は、 みなさんに大事な事をお伝えしたいと思います。 霊的なことに関してです。
HPを始めてから、初めて迎える、この季節・・ この季節には、大きな意味があるのです。
実は、今の季節・・ 7月中旬から、8月中旬にかけてのこの季節は、 特に日本においては、 事件や自然災害などが一年の中でも、最も多い時期です。 ニュースにはならない日常の生活においても 怪我や病気など、 救急車の出動件数が頻繁にみられるのも、この時期です。
医療従事者として働く私達が最も忙しい時期の一つです。 そして、 相談者の方の身代わり念珠が、 終わりを告げる事が多いのも、実はこの時期なのです。 何故なら、この時期は、 霊的な障り・・それが最も盛んに視られる時期なのです。
みなさんの家には、お仏壇がありますか? 「お盆」を迎えた経験が 実際には、無い方もいらっしゃるかもしれません。
お盆の意味を一度、詳細にお話ししましょうか・・ まず、お盆の時期からお伝え致します。
日本では、古い昔から、位の高い人々は、 7月13日〜7月15日をお盆として、 御先祖様へのご供養を行なっていました。 その為、 一般庶民にとってのこの時期は大変忙しく、 一般庶民のお盆は、時期をはずし、 これより一月遅れの 8月13日〜8月15日がお盆として習慣化されました。 勿論、 各地、各家庭のしきたりにおいて、様々な取り決めがあります。 沖縄では、殆どが、旧暦にあわせ行なわれます。 今年は、8月の終わりがお盆となるようです。
お盆の始まりは、仏教の世界で言う、 盂蘭盆(うらぼん)という事から始まっています。 盂蘭盆とは、地獄で受ける苦しみの一つで、 倒懸(とうけん)・・さかさずり、と言う意味です。
色々な説が残されていますが、 ここでは、その中の一つをご紹介させて頂きます。
お釈迦様の弟子の一人に目連という僧侶がいました。 神通力・・今で言う霊視によって、 母親が「餓鬼道」という地獄に落ち、苦しんでいるのを視た目連は、 お釈迦様に救う方法をお尋ねします。 7月15日にご馳走を衆僧(全ての命)に施すと良い・・ そうすれば、 現世の父母は長生きをし、過去7代の祖先も救われる・・ と、お釈迦様は仰られました。
これが、お盆の始まりとされています。 餓鬼道という地獄にいる者にご馳走をお供えし、 慰め、障りを少なくする為に、行なわれたのが始まりです。 盆踊りも同じように、 御霊を慰める為、又は障りを小さくする為に始まったとされています。
それが、何時の頃からか・・お盆はただの夏休みの一つ、 盆踊りは、 豊作の祈り、という様な意味に置き換えられてきたようです。
さて、 ここで、みなさんに関係のある事をお伝え致します。 実は、この時期、 最も多いのが相談者の方からの心の悩み・・なのです。
人には、 それぞれ、考え方、受け取り方に違いがあります。 脳科学という専門的な分野では、 脳のクセ・・考え方のクセ・・思考回路のクセ・・と言ったりします。
これは、それぞれの人が育った環境に影響していたり、 様々な要因が考えられ、 どうして、そうなのか・・一概に答える事は不可能です。
この時期、いろんな方が、視えます。 例えば、 常に、物事や先の未来に、心配や不安を感じてしまう方・・ どうしても、自分は人よりも下・・と卑下してしまう方・・ 自分の中で、次々と苦しみを生み出し、心を狭くする方・・ 冷静に考えることを忘れ、ただの思いつきで突っ走る方・・ 人よりも、よく視えるとの錯覚をし、惑わされそうな方・・
実は、この時期は、 とても不安定な時期で、自然界においても様々な出来事が頻発します。 新潟の大雨・・名古屋の稲光・・度重なる地震・・土砂災害・・等など、 そして、 人の心も同じように、不安定になるのもこの時期なのです。 これまで、調子が良かった方ほど、要注意です。 貴方の心の最も弱い所を突いてきます。
何故か?・・その理由は、 成仏されていない御霊が、供養を望み、戻られるからです。 供養されていない御霊が、供養を望み、現われるからです。
どうか、みなさん、 お遊びで、肝試し(きもだめし)などしないで下さい。
恐いお話をしたいのでは、ありません。 みなさんを怖がらせる為に、お伝えしているのではありません。
ごく普通に、当たり前の事を当たり前に、 落ち着き、冷静に行なっている方には、何の問題もありません。 計画をしっかり立て、 反省と感謝の念を持って、毎日を過ごされている方には、 何の問題もありません。
一番の方法は、己の事だけを考えず、 人様には、慈しみといたわりの心を持って、 自分には、常に冷静な眼を持って、夏を思う存分楽しむことです。 同じことばかり、申し上げますが、 これが、この時期を乗り越える為の一番の方法なのです。
世の中には、まだまだ知らない事が溢れています。 貴方ではなく、この私のことです。 毎年、毎年、自分の弱さを認識するのも、実は、この時期です。 私は、この時期が一年の中で、一番好きです。
この時期、御先祖様にお逢いできるのをとても楽しみにしています。 そして、 この時期こそ、私は生かされている・・・と実感する時期なのです。
ユタという妙な力を受け継いでしまった私は、 人よりも、常に、傲慢さに気をつけなければなりません。 私は、知っている・・と思う自分を許せない事が多々あります。 嫌だ・・絶対に嫌だ・・普通の人だ・・表面の私は悲鳴を上げます。
先ほど、鑑定した方からのお返事に 「頑張ったね・・辛かったね・・」の言葉が、一言欲しかった・・ とありました。
本当にごめんなさい・・鑑定結果においては、 表面の私の感情は、一切入れる事が無い様にコントロールしているのです。 何故なら、表面の私は、 鑑定依頼者の方の感情を読み取り、泣き出してしまうからです。 鑑定では、常にユタの私が優先されているのです。 けれど、 この時期に、それを教えて頂けた事に深い感動を覚えます。 本当に、ありがとうございました。
この時期には、沢山の不足な点を教えてもらえます。 自分の心のどこが弱いのか・・何が不足しているのか・・ それが、わかる時期でもあります。
ただ、 厳しく申し上げますが、それに、こだわってはいけません。 わかったなら、進めばいいのです。 それを乗り越える為には、どうすれば良いか、考えれば良いのです。
そして、そこから、実りの秋を迎えるのです。
一つ、一つの季節にも又、意味があります。 貴方は、一歩一歩、前に進んでいるのです。 今、 己の心と向き合い、悲鳴を上げている貴方・・ 貴方は、決して、立ち止まってはいないのです。 貴方は、確実に、前に進んでいるのです。 いいえ、 貴方は前ではなく、上に進んでいるのです。
私は、貴方がどこにいようと、常に貴方の側にいます。 貴方の本当の幸せを 心から願い、心から祈り、毎日を貴方と共に過ごします。 常に、全身全霊で、貴方を見守っています。
どうか、 この時期の不安定な心から、 大きな学びを導かせる事ができますように。 心を込め、願います。
−AYAー
2004年07月11日(日) |
貴方は織姫・・・(七夕伝説から・・) |
己を変える・・ 人は、誰もが、何が善であるか・・を知っています。 己を変える・・ それができれば、人は本当の幸せを必ず、掴みます。 人では、なく・・常に、この私自身のことです。
占い・・実は、真の私は、占い否定論者です。 数ある占いの中には、 時に、真実を語り、 その方へ、本当の気づきを示す事ができるものもあります。
けれど、 占いや鑑定では、決して本当の幸せを掴む事はできません。 哲学や精神分析、心理学も同じです。
人々は、様々な専門的な見地から、本当の幸せはどこか・・ 本当に幸せになる為には、どうすればいいのか・・ 常に、それを追い求め、さ迷います。
何時の時代でも、 人は幸せになろうと、生まれ・・ 毎日、毎日、日々の生活の中で、幸せを探す・・ 体が、時と共に、病むまで・・毎日、毎日・・
先日、 北朝鮮に拉致されていたとされる、 曽我さんが、家族との再会を果たす事ができた・・と 大きく報道されていました。 曽我さんが、 日本で一番好きな曲は「涙 そうそう・・」という曲だそうです。
逢いたくて・・ 逢いたくて・・ 君への思い、涙そうそう・・
逢いたくて・・ その思いを持っている人は、本当に多い・・ 7月7日の七夕・・ その思いを毎日、持ち続けている二人・・
各地で、今日の日曜日は、 七夕祭りと題され、様々な催しものがなされています。
七夕伝説・・それは、長い歴史ある中国の伝説です。
織姫は、天を治める天帝の娘で、年頃になっても、 自分の幸せを願うことなく、 必死に人々の為に、美しい織物ばかりを織っていました。
それを見かねた天帝は、織姫に彦星という男性を紹介します。 彦星と織姫は、愛を育み、添い遂げるまでの運びとなります。
けれど、 彦星と出逢ってからの織姫は、 自分の事しか考えない者へと変っていきました。
天帝の怒りをかい、二人は引き離されます。
天帝は、二人に約束します。 日々、人の為に己を捧げる事ができれば、 二人は再度、いや何度でも、出逢う事ができる・・と。
二人の間には、美しい川が流れ・・ 二人は、 その川の美しい流れを視ながら、日々、励む・・ その美しい川を天の川と呼ぶ。
過去の日記の中の一つには、 ソウルメイトと題したテーマのものが幾つかあります。 みなさんの中には、 まだ誤解されている方がいるようなので、 もう一度、申し上げますが、 ソウルメイトは、一人だけではありません。 これも、断言させて頂きます。
ソウルメイトは、何人も存在している・・ 私の過去の鑑定や六明師の霊視での実証によっても明らかです。
それを良縁に変えるのも、悪縁にするのも、貴方次第なのです。 貴方は、織姫・・・ 貴方が、ご自分の幸せばかりを願い、 自己中心的に、生きる姿を視た神仏は、果たしてどうするでしょうか。
宇宙の力・・神仏の力・・大いなる力・・は 常に、人々に平等です。
光が当たらない・・という方は、ご自分で遮っているのです。 神仏に背中を見せず、 正々堂々と前を向き、上を向いて、進む・・
心は常に、新しく、 全てのもの、全ての人を我が師として仰ぎ、 常に、おごり、高ぶらず、 知らない人には、手を持って教え、 全てを否定することなく・・・ 全てのものに、恵みを視て・・ 全てのものから、恵みを得て・・ 恵みは時に、苦く、固いときもあるけれど、 常に心には、ありがとう・・との言葉を持って・・
表面の私の言葉です。 私は、本当に、煩悩にまみれた人間です。 私の抱える欲は、富士の山よりも大きい・・ 常に、 心は次の学びを欲しがり、 己を上へ上へと進めようとする・・
けれど、 私は、普通の人間です。スパースターじゃない・・・ すぐに、誓いは崩れ、又最初から大きな夢への道が始まる・・
私の夢は、 全ての人と共に、幸せを分かち合い、喜び合う事・・ それは、いつまでも、いつまでも続くであろう、 果てしなく大きな夢・・欲・・
貴方の幸せが私の幸せ・・。 貴方の幸せを心から願います。 心を込めて。
−AYA−
2004年07月10日(土) |
慈しみあい、いたわりあう心・・(魔に勝る心) |
私の中には二つの人格が存在しています。 医療従事者として働く、表面の私・・ そして、 常に、真実のみを求めるユタの私・・
ユタの私からの声は、殆どの場合、主語がありません。 多くの声が、 抽象的で、いつでも表面の私へのヒントしかありません。
鑑定では、 事細かに、わかり易く伝えられますが、 そうでない場合の相談者の方へのお返事も同じです。
声は、常に感情とは無関係で、静かで穏やかです。 ですから、 表面の私だけを知っている人にとって、 この日記を書いているのが、 到底、同一人物とは想像する事ができないでしょう。
先日の日記で、 私は、貴方を変えて下さい・・と、お願いしました。 あれは、 ユタの私から、表面の私への懇願でもあります。
変えたくても、変えられないから、苦しんじゃない・・・ 変わりたくても、変われないから、哀しいんじゃない・・ 全て、自分が悪い・・って、知っている・・ けれど、 生まれてくるこの気持ち・・汚い心・・どうすればいい・・
表面の私は、 相談者の方が、感じる心と同じです。 貴方の心を、我が身を削るかのように、感じています。 まるで、 表面の私は、相談者の方々の代弁者のようです。
私も、貴方と同じなのです。 常に、 学びの中にいて、 いつでも、大きな幸せを望んでいます。
私は、善の多い人間ではありません。 この私の心の中には、大きな怒りや許せない思いも沢山あります。
日々、来る日も、来る日も、 己の心の中の魔が・・・ 少しでも、小さく、小さく、なりますように・・と、願っています。
突然ですが・・沖縄に行かれたことはありますか?
沖縄の空は、本当に青い。 スカイブルーと一言で、表現する事はできない青さです。 又、 海も同じです。 本当に青い・・その青さは、色んな色を含んでいます。 太陽の強い日差しの中で見る青さは、様々な青さです。 深く、深く、深く、深い色・・
沖縄の八重山諸島には、竹富島という島があります。 沖縄各地が、 観光地としてあらゆる文化を受け入れ、新しくなる一方で、 この竹富島だけは、 昔から変らず、今も戦後まもない沖縄、そのままの生活をしています。
本当に、美しい島です。 必ず、誰もがその魅力に魅せられます。
竹富島には、 先祖代々、受け継がれてきた言葉があると言います。
『 うつぐみど まさる 』
『 慈しみあい、 いたわりあうこと、それは何より、勝る 』
島の人々は、この言葉を胸にしていると言います。 竹富島は、沖縄の中でも、最も海の綺麗な島です。 島を囲む海の青さは、深く深く、本当に美しい青。
六明師が、 私へ言葉を送るときの、その眼の色も又、深く青い・・ 静かに、静かに語る、その口調・・ 常に、 穏やかで、何事にも動じない眼・・ その眼は、深く、深く、青い色・・
六明師が、 真実を語るとき・・その眼は、一瞬にして、深く青くなります。 そして、言うのです。
その心を無くそうと、考えれば、人は、人ではなくなる・・ その心を小さく、小さく、少しでも小さくして生くこと・・
その心に支配されないように、己をコントロールする事・・ その心に支配されてしまっている人を憐れみ、慈しむ事・・
常に、メッセージとして私に、送られる言葉です。
己を変える・・絶対に自分を否定してはいけません。 自分の過去を否定し、 己を責め、 罪深き人間だと、 自分自身の心に言い聞かせなさいと言っているのではありません。
過去の貴方は、知らなかったのです。 無知だったから、過ちを犯してしまったのです。
今の貴方は、知ることができました。
内なる魔と呼ばれる心のままでいると、 低い位置にある御霊と派動を同じにする・・ 災いや悪しきものを引き寄せる・・・
今の貴方は、知ることができたのです。
もう同じ出来事が起ったとしても、 貴方の心は、過去の貴方と同じ反応は致しません。
微妙に、心の色は変っているはずです。
貴方の心の奥にいる、 もう一人の貴方の光が、大きく強くなるたびに、 貴方の心の色は、様々な色を含み、輝きます。
深く、深く、深く、深い色に変ります。
今の貴方は、以前の貴方とは違います。
貴方の心の中の魔を 消してしまおうとすると、 貴方の心も、体も、必ず、悲鳴を上げます。
慈しみ、いたわりあう心を、育てるのです。
今日も、悪い事をした・・と反省するのではありません。
あの時の自分には、何が足りなかったのか・・ 慈しみ、いたわりの心として、どんな事が足りなかったのか・・ それを反省として、感じるのです。
一日の一つ一つの出来事から、 己の心の中に、次の学びを養うのです。
内には、足りなさを求め、反省し・・ 外には、満足し、感謝の念を送る・・
貴方は、必ず幸せになります。 貴方は、幸せになる為に、生まれたのです。 心の中の魔は、 貴方に、本当の幸せを教えてくれる道具なのです。
絵の具の作った青ではない、青さ・・ 光に輝き、深く澄んだ青さ・・ 清く、美しい、青さ・・
喜び、楽しさだけではない、 憂いをも、哀しみをも、知っている眼の深さ、 そして、 貴方の心の色・・深く、深く、深く、美しく清らかな色・・
本当の幸せは、その深さの中に存在するのです。 貴方の幸せを心から願っています。 私は、貴方と共に、 常に深く、美しい色を目指しています。
貴方の心に、彩られるその色が、 様々な人への思いに満ちた色になりますように。 貴方の心の中で、 慈しみといたわりが、大きく、大きくなりますように。 心を込めて。
−AYA−
2004年07月08日(木) |
心の中の「魔」・・(魔が魔を引き寄せる) |
大変、長らくお待たせしました。 日記の書けない期間、 ユタの私は、 本当に多くの人とのやり取りをしきりに行なっていたようで、 本業の仕事の最中、 心の中では、何度も言葉を繰り返し、 幾つもの関連する場面に目を奪われていました。 みなさんに、 お伝えしたい事は、まだまだ、沢山あります。
さて、 先日の日記の中で、 みなさんに申し上げた・・心の中の魔・・ 相談者の方からは、 ご自分の心と向き合い、感じる事のできた「魔」について、 多くのお返事を頂きました。
みなさんのお考えの通りです。 それぞれの方が見つけた、心の中の魔・・その通りです。
誰もが抱えているものです。 勿論、 私の心の中にも、それは消えることなく存在しています。
全ての生きている人間の心の中には、 必ず「魔」が存在しています。
哲学の世界では、 人は、生まれながらに悪いものを抱えている・・ 清らかな善に満ちた人間など一人もいない・・と考え、 「性悪説」を叫ぶ人達もいます。 先日は、「性善説」を申し上げました。
ここでも、ユタの私の口癖である言葉・・ 良いも悪いも無い・・ 全てには、意味が有り・・ 相反する二つの側面がある・・
環境という外の世界だけではありません。 心の中・・内の世界でも、同じなのです。
これまで、日記の中では、 外からの「魔」についてお話してきました。
今日、お話したい事・・ 表面の私に、ユタの私から何度も送られる言葉・・ それをお伝えしたいのです。
何故なら、 外からの魔、災いを引き寄せている・・ 最も大きな原因は、 その方々が、抱えている心の中の魔だから・・です。
霊障と呼ばれる災いが起ると、人は必ず言います。 何故、私ばかりが、不幸になるの・・ 何故、私ばかりが、こんなに悲しいの・・・ 何故、私ばかりが、つらく、苦しいの・・・
はっきりと申し上げます。 それは、 貴方が視ないようにしている 貴方の心の中にある「魔」と呼ばれるもののせいです。
ユタの私は、 良き者は、良きものを引き寄せ、 悪しき者は、悪しきものを引き寄せる・・と声にします。
それは、 環境においても同じです。 人との巡り合わせにおいても同じです。
災い、霊障においても同じなのです。
それが又、 神仏のお力なのです。 古代最古の昔から永遠に変る事の無い、宇宙の流れなのです。
数々の鑑定を行い、 様々な方の人生の一部を垣間視せて頂き、 ユタの私は、何度もこの言葉を声にしていました。
何らかの障り・・霊障がある・・との鑑定結果を申し上げると 殆どの方が、こうお考えになります。 それが原因で不幸になった・・・と。
いいえ、違います。 殆どの場合、 霊障を引き寄せたのは、その方が過去に行った事・・ その方が、 今生の過去に犯した、数々の過ちからのものです。
そして、 その方が抱える、心の中の悪しき言葉、思い、考えです。
貪り、いかり(怒り)、愚かさ、邪険、恨み、嫉み(ねたみ)、 へつらい、たぶらかし、おごり、あなどり、ふまじめ・・その他色々
お釈迦様は、心の中の魔をこう表現されます。 これらの魔を総称して、 人の内にある魔を「煩悩」と呼びます。
生きている人ならば、誰もが、抱えているものです。 全ての人の心に存在しています。 勿論、私の中にもあります。 それが、 無いと仰る方は、死んだように生活している人です。 心で、何も感じる事ができない方です。
そして、 魔を大きくする事は、本当に簡単です。 魔は、いつでも貴方の隙を狙います。
ユタの私が、何故、 反省をせよ・・と繰り返すのか・・これが、理由なのです。
反省と感謝を行い・・己を変える・・これに徹せよ。
それが、 幸せになる為の一番の近道なのです。
お願いです。 どうか、お願い致します。 ご自分で、ご自分の幸せの道を塞ぐような事はお止め下さい。
先日の ご質問を下さった方だけに、申し上げているのではありません。 貴方に、申し上げているのです。
幸せとは、人に与えられるものではありません。 仏様、神様から与えられるものではありません。 お金を使えば、神仏によって救われる・・ そう考えの方には、又、必ず、障りが訪れます。
どうか、お願いします。 貴方が、貴方を変えて下さい。 私には、どうする事もできません。 貴方が、 ご自分で気がつかなければ、意味がないのです。
これが、運命を変えるという流れになります。
徹する事ができれば、必ず、未来は変わります。 必ず、光の貴方は近くなります。 必ず、本当の幸せが近づきます。
どうか、お願いです。私の願いを叶える為に・・。 どうか、お願いです。 全ての人と、共に、幸せになりたいのです。 どうか、 お願いです。 貴方が貴方を真に視つめ、ご自分で気がついて下さい。
私は、貴方にこうして言葉を送る事しかできません。 貴方の本当の幸せは、貴方の手で掴むのです。 貴方の足で掴むのです。 貴方の心で、掴むのです。 貴方が、動く事ができて、 初めて、貴方の幸せへの道は開かれるのです。
貴方ご自身が、変らなければ何も変りません。 状況は、もっと悪化します。 断言致します。 貴方の心を変える事です。 そうすれば、障りは必ず、貴方から離れます。
心から、心から、願います。 心から、心から、祈ります。 貴方が、共に、歩めますように。
貴方の幸せを私の心が感じる事ができる日まで・・ 貴方を真に思っています。 心から、心から思っています。 心を込めて、貴方へ送ります。
−AYA−
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