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谷山浩子幻想図書館vol.3「アタゴオルは猫の森」を観てきた。
芝居じゃん。 っていうのが、まず感想。 歌は10曲くらいあったけど、ほとんどお芝居。 本職が3人加わっているとはいえ、残り3人は素人なのに、よくやる。
前回の「不思議の国のアリス」は、朗読劇だったし、 谷山「アリス」だからというのもあって、 透明な陰湿さみたいな雰囲気もあり、「幻想」の名にふさわしかった。 谷山さんが「アリス」の台詞を担当するのも合っていた。 そういえば、ラジオドラマに出演していたこともあるし、 体を使わない演技は向いているのかしら。
今回の「アタゴオル」が持つ独特な世界は、 陽気な方の谷山さんに、やっぱり合っていると思ったけど、 この舞台としては、実は谷山さんが出なくてもいいのでは、 と思ってしまったのが正直なところ。 演技に動きが入ると、ちょっとアイタタタって感じ。 どこか、NHKの教育番組を思い出させる。
谷山さんと、斉藤ネコさんは、こちらが恥ずかしくなっちゃう。 まあ、ほほえましいと言えば、そう。 本職じゃないから、学芸会と思えば、よいです。 ところが、主役を張った石井AQ氏は素晴らしかった。 演技が巧いかどうかは、ともかくとして、それでOKって思わせる雰囲気がある。 この人、緊張するってことを知っているのだろうか。 普段のコンサートもそうだが、すっかり自然体なんだもの。
前々から、音楽劇でもミュージカルでも、なんでもいいが、 そういうものの音楽を谷山さんがやったら、 面白いだろうなと思っているが、今回は、それを確信。 本当に、やってくれませんかね。
2005年03月24日(木) |
嫉妬なのか(からくりからくさ) |
梨木香歩『からくりからくさ』を読んでいる。 2年ぶりくらい? 何度も「無性に読みたい」の波を越え(手元になかったから)、 久々のご対面だからか、なんだかとっても懐かしい気分。
今回は、あんまり真面目に読み込まず、 慣れた話だからさっさかさーっとなぞり読みみたいにしているのだけど、 半ばあたりまで進んだら、妙に心が落ち着かない。 なんだろう…… なんかこう、淋しいような、切ないような。 ……たぶん、これは嫉妬なんじゃないだろうか。 祖母の家と、そこに住む四人の女性達と、りかさんとの世界。 この目の前にある世界に、けっして生身は住めないのだと、 自分は入ることができないのだと、ひしひしと感じて、 嫉妬しているような気がする。
小説なんだから、当たり前なんだけどねえ。
***** 最近、人と会ったり、電話したり、メールしたり、 という回数が、わたしにしては多い。 その瞬間は、とても楽しい。嬉しい気分だ。 でも、それが過ぎるとひどく疲労感がある。 そして、虚しい気分になる。 人と会えば会うほど、話をすればするほど、 「わたし自身」は内に向いていく、陰にこもっていくようだ。 正直言って、つらい。
なんなんだ、これは。
2005年03月22日(火) |
意味不明なおかしみ(第七官界彷徨) |
尾崎翠『第七官界彷徨』読了(一応)。
うーんと、予想外だった。 もっとドロドロ陰気な話か、難解な話かと思っていたのだけど、 すこーんと軽かった。 登場人物がみんな変で、 それぞれの論理でゆったり暴走している点では、 難解と言えば難解だけど。
昭和一桁の作品とは思えない。 現代にも充分通用する。 通用っていうか、よほど面白い。 意味不明と言えば、意味不明だが、おかしみがある。 そりゃ言葉の端々は古めかしいのだけど、 かえってそれが新鮮でもある。
個人的注目は、実は「「第七官界彷徨」の構図その他」の方。 登場人物をみんな尋常ならざる者にしたのは、作者の意図であり、 そこに巧妙な仕掛けがなされていることや、 全体の運び、エピソードなどを、前もって図式化してから、 物語をつづり始めたことなどが書かれていて、 大変興味深い。 ま、たいがい誰でも物書きは構想メモくらいつくるのでしょうけど、 尾崎翠は、かなり緻密に作っていたようだ。 なるほど、なるほど。
ところで。 「だいななかんかいほうこう」って言いにくいよね。 それだけがどうも気になって。
2005年03月12日(土) |
西の魔女VS物理オタク女子高生(西の善き魔女3巻、食卓にビールを3巻) |
荻原規子『西の善き魔女』文庫版3巻読了。 小林めぐみ『食卓にビールを』3巻読了。 おや、どっちも3巻だ。
『西の〜』1・2巻とも多忙のあおりをくって感想を書きそびれていたが、 まだあと4巻くらい出るので、ま、のんびりと。 正統派ファンタジーなのに、 ところどころに「あやしい」少女趣味が混ぜ込んであって、 笑えてしまう(歳だからか!)。 話も舞台設定も、ありふれていると思わせて、 実はそうでもなさそうなので、おもしろい。 ゲーム化は難しいと思うが、アニメ化はいい思う。 真面目にやれば、かなりいい作品になるはず。 手抜きの間に合わせでやると、ファンにきっと袋にされるでしょう。 あと、たぶん作者に愛想尽かされる。 と、余計な心配はいらんのだけど、 出会い──別れ──再会、を繰り返し、 舞台を移動しつつ広げてきた1〜3巻。 続きはまたぐっと広がりそうな予感を秘めつつ、 次は外伝らしい。
『食卓に〜』は、いつの間にやら3巻。 3ヶ月ペースで新刊発行って、小林さんにあるまじき快挙(失礼!)。 まあ、雑誌連載だからなーと思ってなめてかかってはいけない。 だって、連載分はたった2本で、残りの6本は書き下ろしって、 変な短編集。 でも、2巻は短編2・3本+中編1本みたいなつくりで、 このキャラ・このテンションで中編はイマイチだと思っていたので、 すべて短編にした今回の方が成功。 あいかわらず物理オタクで、ノー天気に飛ばしまくっているが、 実はこのシリーズ、すんばらしく「隣実物語」しているので、 その構造にわたしは注目している。 だいぶこのテンションに慣れてきたので、もう何巻か出てもいいよ。 (でも重厚なお話も読みたいよ、小林さん!)
「ちびくろさんぼ」の復刊が決まったらしい(バターの話のみ)。 今までも、名前やイラストを変えての「復活」はあったけど、 今度のはあの岩波版まったくそのままらしい。 やった! だって、あれは名作だと思うもの。
絶版になった理由は、 ちょっとこの場合、言いがかりに近いように思うんだけど、 でも、「される側」と「する側」に大きな隔たりがあるのが、 差別問題の常だからね…… しかしやっぱり、過剰反応はよくないと思うのだ。
たとえば、手塚治虫の漫画には、今から見ると「差別」にあたる誇張もある。 でも、断りを入れることで、今もそのまま「作品」には載っているわけで。 そこに、「時代」というものがあるのだから、 そういうことも含めて、受け止められるおおらかさがあっていいのでない? いや、むしろ、それが今、必要なんじゃないのかな。
2005年03月06日(日) |
プチオタクの血が騒ぐ(ダーリンの頭ン中) |
小栗左多里『ダーリンの頭ン中』読了。
ダーリンは、言語オタク。 何カ国語も操り、日々研究に余念がない。 妻はとうていオタクじゃないけど、素直な疑問で対抗。
相変わらず、その掛け合いが面白いよ。 もちろん、それは漫画家としての小栗さんのセンスだろうけども。
わたしは正直、外国語はからっきしダメな人間だけど、 でもこの「オタク」な視点は好き。 漢字の成り立ちとか、韓国語と日本語の発音の関係とか、 英単語の語源とか、おもしろい。 そんなピンポイントでは、なんの役にも立たないけど、 いいんだよ、おもしろいから。
梨木香歩『りかさん』再読。 こらえきれずに再購入しちゃった。
なんか、どうしても『からくりからくさ』の印象が強くて、 「ようこ」はおっとりしている気がしてしまうけど、 意外と行動的。 しかし、その後のようこ=蓉子の土台が、やはり見えている。 おっとりと、なんでもやさしく包み込めるおとなになるには、 痛かったり悲しかったり、怒りだったり、たくさんの鋭い感情に接して、 受け止めていかなきゃいけなかったのだろう。 「ミケルの庭」で、それがはっきりわかった気がした。
りかさんも、よくしゃべるし、ただしゃべるだけでなく、 冗談言ったり、愚痴こぼしたり、なかなかに人間味が豊かだ。 そういえば、そうだったんだなあ、と思う。 おばあちゃんのことを「麻子さん」というところなど、 まだ艶やかな「女学生」のようだ。
ひなまつり。 ああ、今年も『りかさん』再読を逃してしまった。 つーか、どこ行ってしまったのだろう。
***** 人には得手不得手がある。 不得手を克服しようとする人、 少なくとも、自分の不得手を苦にしていて、 なんとかしたいと思っている人を、 だれが責められるというのだ。
何かをできる人が、できない人を理解することは、難しい。 (もちろん、逆もだけど、意味がちょい違う) できる人が、できない人を、安易に責めてはいけない。 いったい、何様だというのだ。 だって、そうだろう? 君にだって、できないことはたくさんあるはずじゃないか。
カタチも大事だけど、ココロも大事だよ。 仮に、シゴトにおいてはカタチがすべてだったとしても、 そのヒョウカと、ジンカクは切り離して見るべきじゃないのかい?
と、思うことがしばしある。 特に今日は。
2005年03月02日(水) |
大興奮時代(八十日間世界一周) |
ジュール・ヴェルヌ『八十日間世界一周』読了。
最後のたたみこみがスゴイ。 そして全編通して巧妙に張られた、 大どんでん返しの仕掛けにまんまとはまった。 細かい伏線も見事だし。 スリリングで、ユーモラスで、夢があって、 面白いよ、これ。
本を読んでいてこんなにハラハラドキドキしたのは久しぶり。 たとえば『指輪物語』もすごいけど、壮大すぎて実感がない。 ひきかえ、列車や船を乗り継いでいくだけの世界一周は、 その「少しの遅れが命取り」の実感がものすごいある。 だからこんなにもスリリングで、興奮してしまうのだろう。
事の次第は、世界一の冷静男フィリアス・フォッグ氏の思いつきなわけだけど、 もうひとりの主人公は、間違いなく、 誠実で勇敢、愛すべきおっちょこちょいのパスパルトゥー。 彼は、『指輪』のサムにも通じると思う。 (ヨーロッパにおける従者ってそんなイメージなの?) そのほか、聡明なアウダ婦人、自分の義務に忠実であろうとしたフィックスなど、 キャラクターのバランスも絶妙なのだ。
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