ニッキ?

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2004年05月18日(火) 面白シアワセ異文化交流(ダーリンは外国人)

小栗左多里『ダーリンは外国人』読了。
小栗さんとトニーさんのことは「ダ・ヴィンチ」で気になっていたので、購入。
期せずして、外国人との暮らしを描いた本が続くな。

異国の人、異文化の人と暮らすのは、確かに驚きや戸惑いがあるんでしょう。
(あまり実体験として持ちあわせていないので、あえて仮定法)
でも、よく考えたら、一応「同じ国・文化」の人ってことになっていても、
1人として「同じ人」はいない。
「自分でない人」と暮らす、という意味では、
程度の差はあれ、同一線上のことなのかなーと、思う。
いや、この本を読んで、改めてそう思わされた。

トニーさんはいろいろ「発見」をするけど、
それが外国人だからなのか、トニーさんだからなのかは、線引きできないし、
小栗さんもそのへんごちゃごちゃのまま描いているところが面白い。
肩ひじ張らずに、自分のペースで接しているからこそ、
2人のバランスがよいんだろうね。


梨木さんの場合、本人が外国人だったけれど、
いずれにしても、異なものと交じりあうことは似ている(同じような心の過程をへる)と、感じた。


2004年05月16日(日) 梨木さんの青春(春になったら苺を摘みに)

梨木香歩『春になったら苺を摘みに』再読完了。
『村田エフェンディ滞土録』に影響されて、また読んでみた。

もしかして、梨木さんって完璧主義者なんだろうか。
いや、潔癖症といったほうが近いかも。
英国での暮らし、ウェスト夫人のところで、多種多様な人との交わり。
文中に「日本人だから」「英国人だから」「アメリカって」
といった表現がよく登場する。
梨木さんは、自分が日本人であることを強く意識している。
でも実は、○○人なのはどうでもいいことなのでは?
おそらく、梨木さんも、どんな人であれ受け入れるウェスト夫人に、
その理想を見いだしていたのだろう。
「出身国」を気にすることで、忘れようとしていた、そういう関係か?

やや鼻につくくらいの平和主義、理想論も。
けれど、梨木さんにとって、それはウェスト夫人という具現を得ていたわけで、
その悟りにも似た考えに身を寄せようとするのは、わからないでもない。
おそらく、自分をその柔らかな感覚に近づけようとしていたのでは。
理想論でも、利己的であっても、
これだけのことを必死に感じ取って、考えて、生きている人がいる。
ならば、わたしは? と思う。
惰性の中で、一体何を考え、得ることができているというのか。
この思いは、前回読んだときにも感じたこと。


間違いなく『村田エフェンディ〜』はこの本の流れを汲んでいる。
下宿、英国人の女主人、ということだけでなく、
人がどこの出身であろうと、どこに所属していようとも、
その人であろうと生き、またそのように受け止め交じり合う人びとの物語だから。

きっと、梨木さんの「青春」、ウェスト夫人なのだろうこと。


2004年05月10日(月) なんとまあ、せつない物語か(村田エフェンディ滞土録)

梨木香歩『村田エフェンディ滞土録』読了。

友よ。
国に、宗教に、さまざまに人は属するといえども、
をれらを乗り越え、取り払い、
心通じ合う、友よ。

主人公「村田」の想いは、
そのまま梨木さんの想いに通じているのだろう、きっと。
下宿の女主人は、まぎれもなくウェスト夫人であり、
オットーやディミトリス、ムハンマドは、
梨木さんが英国で共に過ごしていた下宿仲間。


梨木さん独特の、不可思議な雰囲気を漂わせながら、
静かに、けれど陽気に始まる物語。
しかし、宗教や歴史、そして戦争と、
さまざまな要素が絡まり、次第に暗い影を落としていく。
あくまで、静かに。

しかし、それでもこれは村田の青春の物語であり、
友情という輝きへの賛歌なのだ。


2004年05月03日(月) 花の絨毯

芝桜を見てきた。
とりたてて何もない、ごく普通の道をぽくぽく歩く。
100メートルおきに案内板。
庭先に、冷やしトマトと味噌キュウリの簡易販売所。
静かで、少し奇妙な浮かれ具合。

芝桜、別名ハナツメクサ。
濃淡さまざまなピンク色、そして白。
眼前に広がる光景は、なかなかに見事で。
のんびりと眺めながらおにぎりを食べる。
ちょっとしたピクニック気分。
こういう過ごし方も、いいかもしれない。>>>photo


2004年05月01日(土) 自分が何者かということ

『はじまりの記憶』読了。
伊勢英子さんという人は、自分のアイデンティティーは絵描きである!
と、かなり強烈に意識している。
絵を描くということは、感情を、はては自分自身を、白い紙に塗りこめることだから。
不器用な中で持ちえた表現方法が、それだった。それが生きる術だった、という。
お父さん、北の国、チェロ、グレイ、子供たち……
いろいろなものに影響されて、でも、断固として絵を描き続ける伊勢さんがいる。

「グレイ」シリーズで一人称を「絵描き」とする、伊勢さん。
そこに、強くショックを受けた。
自分が何者であるか、はっきり言える人。
これほどまでに、自分を見つめて、自分を主張できる人。
では、わたしは?

心の原風景。
自己形成のもと。
わたしの場合は……?


鳥乃 |MAILHomePage

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