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ぽっかり
死んでしまいたいという思いを、否定することはできません。だめだとも思う。なんて馬鹿なことなのだとも思います。それでも、魅入られたように死を選ぶということが存在して、そうするしかできなくなってしまう人がいることを否定できません。
先日、運転をしていて死にたいと思いました。外は天気がよくて、夏らしく暑くて緑がきれいでした。カーラジオからは彼が好きだった英語の曲が流れていて、気持ちがよかったから、死にたくなりました。そしていつかの日にHを乗せてこの道を走ろうと思ったことがあることを思い出して悲しくなりました。そして、その悲しみと、死んじゃったらいいんだろうなあと漠然と思った気持ちは一緒ではなく、わたしのなかでは両極端な感情だったのだと思います。ぽっかりと死んでしまいたいと思った気持ちが、悲しさからだけではなく産まれたことに驚きながらも、どこか納得できる気がしました。
今迄は辛くて悲しくて死んでしまいたいということはありましたが、こんな風に思ったのは初めてな気がします。青臭い文学的ナルシズムのようで、恥ずかしくもあります。何故ならわたしはもういい大人で、17歳の少女ではないのですから。Hの感情は、実際のときには辛さゆえの衝動だと思いますが、ずっと死を意識してきた人生だったのですから、こんな気持ちになったこともあったのかもしれません。
仕事も辛いです。正直なところ、逃げてしまいたいです。その、死にたいとは違う気持ちなのです。死んじゃったら楽だろうな、ではなくて、わたし死んじゃえばいいのに、と、雲のように浮かんでどこに行くこと無く消えました。また、忘れた頃に突然現れるのでしょう。
と、こんなことを考えながらも、やっぱりわたしは、自死を選ばないでほしいと思うのです。がんばれとは言わないし、言えません。残される辛さゆえの単なるエゴでしかなくても、やはり、死なないでいてほしいのです。そしてわたしも、生きていくつもりです。
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