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足りないものは
仕事帰りにいつものように乗れない時間帯の電車をやり過ごそうと街をぶらついていたところ、去年のHの誕生日に売り切れていた、携帯で写したケーキも、一度だけクリスマスだからケーキくらいは食べようかと買った店のブッシュドノエルも売っていました。 二人で飲んだシャンパンも売っていました。
買ってしまおうかどうか悩みながら、ひとりのクリスマスというものは寂しいものなのだと初めて思い知った気がしました。 けれど寂しいから誰かと過ごしたいというわけでは、もちろんありません。
結局手ぶらで家に帰っただけの、考えようによってはHと出会う前と同じ、何もしないクリスマスでした。 ただひたすら、寒かっただけの。
かんたん
自分で死を選ぶことができないくせに、前よりももっと簡単に、何かがあるとすぐ死んでしまったら楽だろうなと考えていることに気がつきました。「死にたい」ではなく「死んだら楽だろうな」。でも、後の始末がたいへん。Hのときに私が泣いたように、親が泣くだろう。ひとのあまり来ない寂しい葬式なんてしてほしくない。仕事がイヤだからといって、いま、そのままにしていなくなれない。そしてひと通りそんなことを考えたあと、やっぱり無理だと思うのです。
でも、死んでしまえば、いなくなってしまえば、いろいろなことからいとも簡単に解き放たれることができることを知ってしまったのです。結果がいいか悪いかは別として、これ以上の強制リセットはないのだということを、知識としてだけでなく体感してしまったのですから。実際死ぬことがどんなことかということもそれ以上に知ってしまったから、安易に逃げることはできなくなってしまったのですけれど。
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