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2005年09月24日(土) IE/047 【INSOMNIA】 03

3.Ghost/押入れの中には秘密がある


 クーデターは、王政の廃止を求めるものであった。
 マティアは、度重なる戦争の後、疲弊した多くの国が肩を寄せ合うようにして出来たものである。
 ゆえに人種は様々で、社会制度も当然の如く違っていた。
 戦後はそれでも、うまくまとまっていた。生き残り、生き続けるということが困難な時代だったからかもしれない。
 しかし半世紀も過ぎれば、人々も社会も荒廃からはたちあがる。そして、様々な亀裂が生まれ始めた。
 人種の違い、社会制度の違い、宗教の違い。
 多くの国が統合された中で、一国の王家でしかなかったマティア家が国を統べることへの疑問。
 反旗を翻したのは軍部だった。
 王政の廃止と、議会の強化、法律の改正などを掲げ、王宮を襲撃した。
 正規軍と、それとは独立した近衛軍との”内乱”は三ヶ月ちかくにも及び、国は乱れた。
 安定し始めていた経済は麻痺し、人々は怯える。
 王と王妃とを殺害した正規軍部は、双子の兄妹を血眼になって探した。
 当時十六歳だったシドニアとアンドレアは、マティアの血を引く最後の子ども。
 そして、国のネットワークを管理するマザーコンピュータ、『サラ』にアクセスし、最終決定を下せる、最後の血脈だった。
 正規軍の目的は、すべてのネットワークを掌握し、最終決定を下すことのできるマザーコンピュータ、サラからの”おやばなれ”でもあった。
 最後の双子のどちらかでもいい、捕らえ、サラを停止させる。そのとき、彼らのクーデターは完成する、はずだった。
 が。

 当時、近衛軍を統括していたウォン・イルファンらが、正規軍将軍であったキタジマの暗殺に成功。
 反乱軍は瓦解した。
 三ヶ月にも及ぶ戦いは、理想と希望に満ち満ちていた軍人たちを暴徒に変貌させるには十分なものだった。
 清廉で理想に溢れた男たちは力にものを言わせ、彼方此方で略奪行為を行うようになっていた。
 国は疲れ果てていた。
 唯一生き残った王女、アンドレアが即位することにも異論はなかった。
 争いから逃れ、平穏な日々が欲しかったのだ。

 それから十年。マティアは内乱時の英雄であるウォンらを中心に、様々な人種の違いによる亀裂を消化しながら、徐々に改革をすすめている。
 王族や国家中枢に位置する人間たちの権力も徐々に制限され、制度も改革されつつある。
 これが、マティアの現状である。


             *


「そういうわけではありません」
 老執務官は長い溜息をおとした。
「あなたが王宮を危機に陥れるようなことに荷担をするはずがない。それについては絶対の信頼を置いております」
「そりゃどうも」
 感謝など露ほどもしていない。肩を竦めて、恋は答えた。
「問題は、中枢でしか知りえない情報を誰が与えたか、ということなのです」
「当時の英雄であるウォンが、暗殺の首謀者に上げられてる点も、だな」
 ふたたび、恋は手紙に視線を落とした。
 手紙には暗殺前後の様子が仔細に記されていた。
 一部の人間しか立ち入ることの出来ない王宮の様子、自室の様子、当時世話役だったメイドのことなど。
「カルゼン殿下の名ばかりではなく、シドニア王子の名も騙っていると、見るべきでしょうか」
「その必要性がない」
 流麗な文字のならぶコピーの束を、恋はグレゴリの目の前に投げ出した。
「十年前に死んだ人間を引きずり出して、なんになるってんだ」
 苦々しげに吐き捨て、恋は踵を返した。
「なんにせよ、任務は任務」
 重みのある扉を廊下側に押し開き、突き刺さらんばかりの視線を寄越す男に向かって言った。
「王族の名前を騙る賊を、許したりはしないさ」
 力を込め、恋は執務室の扉を閉ざした。
 叩きつけられるように閉ざされた扉を見つめ、グレゴリは顎に蓄えた髭を撫でつけた。
 ふと、卓の上に乗っていた電話が呼び出し音を発し始めた。
 忠実に、遥か昔の黒電話の音を再現してあるそれは、耳障りに響き渡る。
 扉から電話に視線を引き戻し、受話器に手をかける。

「私だ。―――ああ、貴方でしたか」


              *


「お話は終わったようですね」
 扉の外で、フィメが待っていた。黒いスーツを纏った長身はきりりと背筋が伸びている。
「そっちもな」
 立ち止まりはせずに、恋は相棒の横を歩き過ぎる。国務を取り仕切る王宮の一角にいるとはとても思えぬ、ジャケットにジーンズというラフな出で立ちのうえ、ポケットに両手を突っ込んだだらしのない歩き方だ。
「セントラルエリアにあるマンションへ向かえとのことです」
 肩で風を切る恋の背中に、フィメは颯爽とついてくる。
「そこが?」
「一番新しい死体が見つかった場所です」
「写真のアレか。被害者は女だったな」
「セレスタ・リニエール。三十九歳です」
「三十九!?」
 思わず恋はサイボーグを振り返った。
「はい」
 顔色ひとつ変えずにフィメは頷いた。
「……女って、怖いな」
 どうみても二十代後半ぐらいにしか見えなかった。
 生前はさぞかし艶っぽい美人だったことだろう。
 恐ろしさを感じながら、恋はふたたび正面に向き直る。
「今現在はいくつものクラブを経営していたようです」

 今月に入ってから発見された、三つの死体。
 色部リュウイチ、四十六歳。弁護士。
 エリオット・アダムス、三十四歳。現役軍人。
 セレスタ・リニエール、三十九歳。クラブ経営者。
 一見、なんのつながりもないように見えるのだが。
 職業も年齢もバラバラだ。
 すこしだけ考えてみて、恋はそれ以上の推理をあきらめた。
 元々頭脳労働には向いていない。何よりも情報が少なすぎる。
 情報収集やら裏づけやらは、おそらくリオンがやるだろう。
 とりあえず、ホトケに会うか、と恋は地下駐車場につづくエレベーターに乗り込んだ。


             *


 わずかな隙間から光がさしてくる。
 まるで天からしっとりと落ちている一本の絹糸のように。
 顔を右と左に分けるように、差し込んでいる。
 いくつ物陰が、隔たりの向こう側を右往左往するたびに、糸のような光はふつふつと途切れた。
 人影はいくつも見えるけれども、判然としない。
 一体いつからこの中にいるのだったか。
 一体どれほどの人影がこの部屋を出入りしたのだったか。
 眼球ばかりが、うろつく気配を追う。
「……こりゃひどいな」
「仕事を横取りご苦労様だな」
 扉が開く音のあと、新たな気配が踏み込んできた。
 先程から怒鳴り散らしてばかりいる濁声が、揶揄を投げ返す。
「俺だって好きでやってるんじゃないんだっつーの」
 随分と若い声のように聞こえる。
 目の前を過ぎって、壁際まで足音が進んでゆく。
 どこか引きずるような、だらしのない歩き方。その後ろを軍人のようによどみのない靴音が追いかける。
 ふっと、一瞬だけ光の線がとぎれた。
「近衛課が絡んでくると碌なことがねぇんだよ」
 濁声がわざと声を張り上げて言った。
「文句なら課長に言ってくださいな」
 軽々といなす声が上から下へと移動する。どうやらしゃがみこんだようだ。
「バッサリだな、かわいそうに」
「お前らが巻き上げてった証拠品なァ」
 ジッ、という摩擦音のあとに、紫煙特有の香りが部屋に流れ出す。
「先王弟の封蝋だろう」
「……」
 僅かな動揺が滲んだ沈黙だった。
「死んだはずの王弟の封蝋がなんで今になって持ち出されてきたんだ? お前さんたち、何か知ってるんだろう」
「本件は先程、近衛課に引き継がれた筈ですが」
 抑揚に欠けた女の声は、しかし、厳しかった。
「上層部(うえ)だけの話し合いで、な。末端はいつも振り回される。大体、近衛課に任せると耳障りのいい解決案しか帰ってこねぇんだ。知られちゃマズいことは絶対に公に―――」
「……誰だ?」
 糾弾を、鋭い声が押しとどめた。
「オイ、話を煙に巻こうったってそうは……!」
「見てるんだろ?」
 声が下から上へ、移動した。
 立ち上がる気配に、咽喉が鳴る。
 視線がたしかに、こちらに向けられていた。
 常に、こちら側からそちらに注いでいたように。
 きしり、と床が軋んだ。
 足音がゆっくりと、こちらに近づいてくる。
 噎せかえるような血の匂いが、人の動く気配で押し寄せてくるような錯覚。
 両手を持ち上げて、口を強く塞いだ。

―――声を出してはいけない。

 いつもきつく、戒められている。
 昨日もそうだった。
 わずかな隙間から室内の気配を敏感に受け取りながら、きっちりと両手で口を覆っていた。
 やがて、”眼前のクロゼット”に手がかけられ、それは呆気なく、向こう側にひらかれた。


【続く】


2005年09月17日(土) IE/047 【INSOMNIA】 02

2.Blind/過去からのしらせ


 闇だ。
 しっとりと肌に吸いつくような、粘度を持った闇。
 温度があるとするならば、なまぬるい。
 己の肌の境目もわからなくなる。溶けてしまうかのようだ。
 溶けているのかもしれない。
 それならば自分は、この闇の一部なのだろうか。
 闇の一部でありながら、このように思考する自分は何者なのか。
 いきものなのか。それとも。
 両の手を持ち上げてみる。掌を眼前にさらす。
 深い闇は、手の輪郭すら飲み込んでいる。
 顔に触れる。
 目鼻やくちびるの輪郭を辿る。
 在る。たしかに、ここに。
 凹凸を指でなぞって、安堵した。

 左側で、かすかな音がした。
 ほそい光が闇を切り、やがて細長い四角形を床に描いた。
 あまりにも眩しい四角形の光の中に、人の影が浮かび上がった。
 細く締まった脚だ。
 床に映った影から、開かれた扉へと視線を移せば、人形のような無表情の女がひとり、立っていた。
 肩のあたりまである髪はなめらかな黒で、肌は陶磁器のような白さだ。
 瞳ばかりが肉食の獣のように爛と黄金(きん)に輝いている。
「殿下」
 人形が口をきいた。抑揚にかけた声ではあったが。
「殿下、お加減はいかがですか」
(ああ、そうだ)
 女の呼びかけに、唐突に理解した。
 わたしは先王弟であったか。
「―――シドニアは、いないのか」
 しわがれた声が咽喉をふるわせて零れ落ちた。
 女はかすかに笑ったように思えた。
「すぐにお会いになれますよ」
 女の声は相変わらず愛想のない響きではあったが、安堵した。
「そうか」
 背もたれに体の重みをあずけた。そこでようやく、椅子に腰掛けていたことも思い出した。
「夢を、見ていたようだ」
 顎をそらし、上方を仰ぐ。
 闇ばかりがそこに蟠る。
 女は答えない。不快ではなかった。
 彼自身、誰かに語り掛けているつもりではない。
「みにくい、男だった。体中に傷を負っていて、貧相で、みじめな……」
 ゆっくりと、目蓋を閉ざす。
 そこにも、闇はある。どこまでもついてくる。
「夢の中でわたしは、いつもなにかに怯えていた。人目を避けて、日の光から逃げるように。そして人を―――」
 にんげんを。
「殺して、とてつもなく恐ろしくて、怯えて、悔いて、それから」
「夢です、殿下」
 きっぱりと、感情の感じられない声が言った。
 一切の迷いを断ち切るような、鮮やかな切り口の声だった。
 双眸をひらく。
 闇は幾分か薄らいでいる。開かれた扉からさしこむ、眩しい光のためだろう。
 女はうつくしく微笑している。

「すべては、悪い夢です」


            *


 女は、壁にもたれて座っていた。
 だらしなく四肢を投げ出している。
 うすいスリップドレスはめくりあがり、白い太腿を大胆に露出していた。
 目は黒い布で目隠しをされ、床は真紅の。
 そう、床は真っ赤に染まっていた。
 ねばりけを持った赤い海には、転々と白いものがみえる。
 そんな写真だった。
「この、白いものは?」
 眼前からショッキングな写真を引き摺り下ろし、恋は豪奢なデスクに沈む初老の男に問うた。
「睡眠薬だ」
 女王補佐官であるアーノルド・グレゴリは端的に答えた。
「この数日のうちに三つの死体が見つかってます」
 背後で扉の開く気配がした。聞き覚えのある少々高めの男の声を、恋は背中で受け止める。
「いずれも同様の殺しかた。切り殺してから口に大量の睡眠薬を含まされている。こーんなふうに目隠しをして、ね」
 唐突に視界がなにかに塞がれる。無遠慮にぺったりと顔に触れてくる他人の温度に、恋は口をへの字に曲げた。
「気色悪い。やめろ」
「フィメは?」
 何かを期待するような声に、「課長のところだ」と答えてやれば。
「なんだ、ザンネン」
 ぱっと再び視界は自由になった。
「リオン、お前な、もっとおとなしく、普通に現れろ」
 肩越しに振り返れば、予想に違わず銀の色がある。
 にこにこと温和に微笑するのは、銀の髪を持つ愛らしい少年だった。
 頭ひとつ分ぐらいちいさい彼は、実年齢こそ十八だが、もっと幼く見える。
 同じIEであり、恋にとっては後輩にあたる。
 まことに愛らしいのだが、彼は根っからの女性至上主義者であり、男には全く持って情け容赦ということを知らない。
「彼方、どうであった」
 グレゴリに声をかけられ、少年はわずかに表情を引き締めた。
 小脇に抱えていた紙束を無造作に恋に押し付けると、グレゴリに向き直る。
 押し付けられるまま、恋は紙束を受け取る。何かのコピーのようだった。
 飾り気のない便箋に手書きの文字。丁寧なつづりだった。
「今回殺された三人は、確かに十年前、クーデターに荷担していたという噂はありましたね。ですけど、確証はなかった。ゆえに、咎めもなかった、といったところでしょうか」
 愛らしい容姿とは裏腹に、スパイやら潜入捜査やら、駆け引きや裏工作が得意な少年は、女王補佐官に促されるままにとうとうと喋りだした。

―――永い夢を、見ていたような心もちだ。

 恋の目は、彼方リオンに手渡されたコピーに吸い寄せられる。

「それで、例の手紙には?」

―――目が覚めても悪夢であるとは。この国は悪魔が仕切るものになってしまった。
 わたしを殺し、兄と義姉を殺し、甥を追い遣り、姪を半死半生のまま鎖で繋ぎつづける。

「はい。現執務官のウォン卿の名前が記されていました。首謀者として」

―――わたしは決して自殺などはしていない。王政の廃止を目論見、王族を闇のうちに始末しようとしたウォンらに殺されたのだ。わたしが死んでからのことのあらましは、すべてシドニアに聞いた。

「しかし、妙ではありますよね」
 芝居がかった動作で、リオンは腕組みをする。
「例の手紙には実際に王族か、それに近しい人間でなければ分からないようなことも記されている。だけど、シドニア王子は十年前のクーデターで亡くなってますよね? なんで彼が今更出てくるのかが疑問です」
 老執務官の視線が一瞬、恋を射る。
「偽モンだろ?」
 問い詰めるようなそれから目を逃がし、そっけなく恋は呟いた。
「外部には、カルゼン殿下が自殺だったなんて、漏らしてないよ?」
「秘密にしたって、漏れるモンは漏れるだろ」
「それは、まぁ。人の口に戸は立てられないけどさ、でも……」
「彼方、飯田課長の所にも説明に行ってくれ」
 しつこく食い下がろうとするリオンを、グレゴリが制した。
 少しばかり、リオンは目を瞠る。
 リオンは聡い。グレゴリの唐突な切り出し方に違和感を感じたのだろう。
 が、食い下がりはしなかった。
「わかりました。失礼します」
 丁寧な敬礼を執務官に向け、先輩の背を軽く叩くと、踵を返した。
 背後で再び扉がひらき、そして閉まる音。
 遠ざかる靴音が聞こえなくなるまで、室内は静寂に包まれた。

「―――さて」
 やがて完全に人の気配が途絶えてから、グレゴリは恋を見上げた。
「そちらを読んでいただいたのであれば、何故お呼び立てしたかはお分かりでしょう」
 がらりと丁寧になった口調には、しかし、有無を言わさぬ強さがあった。

―――すべてシドニアに聞いた。

 その一文からグレゴリに視線を移し、恋は煙に顔をしかめるように眉根を寄せた。
「俺を疑ってんのか?」


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【TO BE COUNTENUED】


2005年09月10日(土) IE/047 【INSOMNIA】 01

1.wormth/境界線

 胡蝶の夢、という言葉を知っているか?
 古代の思想家が、蝶になる夢を見たのだという。
 やけになまなましい夢で、体の隅から隅までも、完璧に蝶になった気分になったのだという。
 端と目が覚めて、彼は考える。
 私は蝶になった夢を見たのだろうか。
 それとも、蝶が私になった夢を見ているのだろうか。
 夢なのか、現なのか。
 どちらでも、それは別に、変わらないのかもしれない。


            *


 三十六度前後。
 人間が、触れて安堵する温度なのだという。
 ぬるま湯に浸かるのが気持ちいいのは、人肌の温度と同じだから、なのだろう。
 ―――本物には勝てないけれど。

 耳元にくちづけてみる。かすかに香水のかおりがする。
 男と女とでは、肌のつくりまで違うような気がする、と毎回感じる。
 体を構成する組織が、違っている。
 そんなはずはないのに、そんな気がする。
 やわく、脆い。
 それなのに、寛容で、頑丈だ。
 男なんて、肝っ玉が小さくて、虚勢を張るくせにすぐに尻尾を巻く生きもので。
 その点、崖ッぷちに立つと女って奴はたくましい。
 男は一生、女の懐の中から抜け出せないんじゃないのか。
 自分より華奢な体を抱き寄せたりするたびに、そんな哲学みたいなことを考える。
「今日は、仕事はいいの?」
 甘さを含んだ声がすぐ傍で聞こえる。
 試されているんだろう。
 時間、大丈夫なの? 仕事は平気なの?
 いざというときに、現実に引きずり戻すような問いを投げかけるのは、女が持ち出す試練だと思う。
 強かで狡猾だ。それがまた”女らしい”。
「いいの」
 髪に指先を絡ませてやって、こめかみあたりに唇を押し当てると、小さな笑いが咽喉から零れる。

 女らしい女は、いざとなったら逞しい。
 それを理解して利用している自分は、卑怯者だ。
 ひとつところに留まる度胸なんてないくせに、人肌の心地よさから離れられない。
 なんて女々しい。
「もう、いいから」
 黙れよ、と格好よく言おうとしたところで。
 けたたましく、携帯端末の呼び出し音が鳴り響いた。


 今まさに、相手に体重をかけて押し倒そうとしていたところだった。
 がっくりと、恋はうなだれる。
 しばらく黙っていたら鳴り止まないだろうかと祈ってみたのだが、部屋の入り口付近に脱ぎ捨てたジャケットの内側で、携帯端末は激しく自己主張を続けていた。
「……悪い」
 続行を諦めて、恋はスプリングをきしませて、ベッドを下りる。
 上着を拾い上げて、鳴動を続ける端末を引きずり出した。ランプの色は、赤。
 見紛うことなく、とあるところからの呼び出し、だった。
 耳元に当てると、音声ガイダンスが集合時刻と場所を告げる。

「ひとつ、言ってもいい?」
 ベッドのほうから、しらけた声が投げつけられた。
 出来れば聞きたくはないが、そういうわけにも行くまい。
 申し訳なさそうに振り返れば、不機嫌な顔と目が合った。
「なんていうか、毎回毎回おんなじ展開なんだけど。っていうか、アンタ一体何の仕事してるのよ?」
 据わった目に睨まれる。
 弁解の仕様もない。
「……だから、警備会社だって言ってんじゃん」
 言い訳をする子どものような口調になってしまった。
「バカッ!」
 一喝。
「こんなにぽんぽんと呼び出しが掛かる警備会社なんてどこにあるのよッ! アンタまだ私に嘘ついてるでしょ!」
「ついてないって! ホントごめん! 今度埋め合わせするから!」
 こう言うときは逃げるが勝ちである。
 恋は、いそいそとジャケットを着込むと、脱兎の如く逃げ出した。
 俺だって、逃げたくって逃げてるわけじゃないっつーの。
 盛大に肩を落としつつ、恋は扉を閉ざした。
 何かがぼすり、と扉に当たる音が聞こえる。おそらく枕だ。

 強かで逞しい女らしい女は、こう言うとき強い。
 ……だから助かるのだ。

 建物の外に取り付けられた、金属の階段を駆け下りる。けたたましい音がそこいら中に響き渡った。
 手すりを引っつかんで、踵を高らかに鳴らして地上を目指しながら、恋は端末を操作する。
 短縮ナンバーを押して、耳に当てた。

《恋、今どこですか》
「おーまーえーなぁッ!」
 間髪いれずに帰ってきた女の声に、恨み辛みをぶつけてやる。
「いいか? 俺は今日休暇だぞ、休暇。いいか分かるか、休みだ! ホリディ!」
 手を変え品を変え、休みだということを連呼してやる。
 一瞬、端末の向こう側が押し黙った。
 効き目アリか? と思ったのも束の間。
《今どこですか》
 単調な女の声は、同じことを繰り返した。
「……分かってるんだろそれぐらい。お前についてるGPSは飾りモンか?」
 怒鳴る気力も失せて、恋は階段を駆け下りるのも止めた。
 とん、とん、と残りの階段を緩やかにおり始める。
 この分だと、相棒は近くまで来ているのだろう。
《そろそろ、近くに到着します。大通りに車を回しますから、出てきてください》
「休日出勤分の手当ては出るんだろうな」
《それは課長に言ってください》
 ぷつり。
 愛想悪く、通話が切れた。
 沈黙した端末を見下ろして、恋は一際渋い顔をする。
 緊急の呼び出しが、嬉しい報せだったことはただの一度もない。
「あー、今度はどうやって埋め合わせすっかな……」
 一二発、平手は覚悟しておかなければならないだろう。
 これから与えられる仕事と、飛び出してきた部屋の主と。
 どちらに思いをめぐらせても、憂鬱だった。
 残りの段差を足早に降りて、狭く荒れた裏路地から大通りを目指して歩き出す。
 掌におさまるサイズの携帯端末を、ジャケットのポケットに押し込んだ。


            *


 路地から大通りへ出ると、図ったように黒塗りの車が滑り込んできた。
 恋は不機嫌を顔に出して、助手席の扉を引く。
「お疲れ様です」
「まったくだ」
 お定まりの挨拶に、棒読みで応えた。
 座るなり、シートを後ろに大幅に倒す。
「シートベルトはしてください」
「息苦しい」
「警察に捕まったときに恥ずかしい思いをして、なおかつ課長に怒られるのは貴方ですよ」
 無言で、恋はシートベルトを引き寄せた。
 二十六の男を捕まえて、怒られるという表現が適切かどうかは置くとして、本当に怒られるのだから、仕方がない。
 ゆるやかに、車が滑り出す。
 恋は横目で、運転席におさまる美女を盗み見た。
 曲線を描く金の髪は肩から滑り落ち、肌は陶器のように白く、真っ青な目は大きい。
 万人が認める美女である。
 つくりものめいた印象は仕方がない。事実、彼女はつくりものなのだから。
「で? 今回の召集は何が目的だ? お呼びが掛かってんの、俺らだけじゃないだろ」
 視線を相棒である補佐用サイボーグからフロントガラスの向こう側に移して、恋は本題に入った。
「殺人事件です」
「あ?」
 項のあたりで両手の指を組み合わせて、顎をそらす。
 聞き間違いでもしたのかと、恋は聞き返した。
「猟奇的な殺人、と言うべきでしょうか」
 律儀に、相棒は言い直した。
「ちょっと待てよ、殺人事件?」
「聞こえませんでしたか?」
「……殺人事件は警察の管轄だろが」
 殺人事件。しかも猟奇的な殺人だなんて、恋の勤め先が担当する案件とは違うのではないだろうか。
「そういうわけにもいかないようです」
 涼やかな美貌のサイボーグは、フロントガラスの向こうを真っ直ぐに見据えている。
「殺人現場に手紙が残されていて―――」
 フィメはハンドルを右手に切った。王宮へと続く、なだらかな上り坂へ差し掛かった。
「手紙には封印が」
「封印、ね」
 旧い慣習だ。貴族が今も好んで行う手法でもある。
 手紙の封に熱した蝋をおとし、その上から自分の紋章が刻まれた判を押す。その手紙が、自らのものであるということを知らしめる、自己顕示欲の強い人間が好む手法だった。
「その紋章が、若くして亡くなられた先王弟、カルゼン様のものでした」
「なんだって?」
 とうとう、恋は背もたれから身を起こした。
 おざなりに流せる内容ではなかった。
 相変わらずの鉄面皮で、フィメは前方を見据えている。その横顔からは、何の感情も窺い知ることは出来なかった。
 こういうとき、彼女が機械であるということが憎たらしく思える。
「殺人犯が誰であるとしても、王族の名がそこに使われている以上、看過するわけにはいかない。それが、近衛課の総意です」


 それ以上の説明は求めずに、恋は再びシートに身を埋めた。
 吐息をひとつ落とし、双眸を閉ざす。
 目蓋の裏に、長い廊下が浮かび上がった。
 赤い絨毯が敷き詰められた道のつきあたりに、大きな扉が控えている。
 向こう側に押し開くと、眩しい光が溢れ出す。そう、彼の部屋はいつも、光に溢れていた。
 青々とした葉を伸べる植物を、傍に多く置きたがる人だった。
 私室には、天蓋つきの寝台がひとつ。
 彼は、まるで生まれたときから定められていた場所であるかのように、そこにいた。
 眩しい光を背に、顔は見えない。どんな顔の人だったか。
 ベッドの傍らへ歩み寄ると、本から顔を上げて、微笑む。
 幼い頃のおぼろげな記憶を手繰っても、顔の仔細まで思い出すことは出来ない。ただ、その人は儚かった。それだけは覚えている。


―――私は君の父上に感謝しているんだ。
 いつだったか、あたたかい手を頭の上に優しく乗せて、彼はそう言ったことがある。
―――私はこんな体だから、兄上の助けにはなれないからね。
―――叔父上は博識で視野が広いから、とても助かると、父上は言っていました。
 今にも消えてしまいそうなその人を励ましたかったのか、幼子は父の言葉を素直に伝えた。
 やわらかく頭を撫でる手がふと止まり、叔父の瞳は大きく見開かれ、そして困ったように笑った。
 こちらの髪を、より一層いとおしむように撫でた。
 木漏れ日の中で静かに呼吸している。叔父について記憶しているのは、それだけかもしれない。


 破裂するように、扉が開かれた。
 息せき切って駆け込んできた衛兵が、顔から色を無くしている。
 敬礼も忘れるほど取り乱し、震える唇で。
―――カルゼン様が!!
 次の瞬間には、走っていた。
 長い、赤い絨毯を引いた廊下が今は揺れていた。地面が揺れているのではない、ひたすら、走っていたのだった。苦しげな自分の呼吸が聞こえる。
 儚げな笑顔が幾度も過ぎって消えた。
 どうしてこんなにもこの廊下は長いのか。どうしてこの足はこんなにも、泥の中でもがいているようなのか。
 叩き割る勢いで扉を開け放った瞬間、目に飛び込んできたものは―――。
 床に転がっている、飴色の瓶だった。
 ぽつりぽつりと、まるで菓子のようにぶちまけられている錠剤と、病的なほどに白い、その腕。


「カルゼン様は病死ということになっていますが」
 相棒の単調な声に、恋は記憶の底から引きずり戻された。
「表向きは、な」
 億劫に、恋は答える。
「薬物自殺というのは、本当なのですか」
 サイボーグは、相棒に冷えた青の視線を流す。
 恋は視線を合わせようともしないまま、沈黙で答えた。
「……妙ですね」
 どうも腑に落ちないらしく、フィメが呟いた。
「何がだ?」
 優秀なサイボーグは柳眉をひそめていた。
「件の殺人犯は、どうも復讐を謳っているようなのです」
「復讐だって?」
「自分は暗殺されたのだと」
 恋は大袈裟に、唇をへの字に曲げた。
「それは、そいつが偽者だからだろ」
「現場に残されていたのは、暗殺のあらましを克明に記した手紙だそうです。それをあなたに見せたいと、グレゴリ卿が。あなたの意見を聞かせて欲しいようです」
「馬鹿げてる。暗殺なんてありえないだろ、妄想だ」
「しかし、世間には病死としか発表されていないにも関わらず、その手紙には”薬物自殺に見せかけた暗殺”という表記があるようです。いささか妙だとは思いませんか」
「カルゼン殿下は元々病弱だったとはいえ、病死にしては突然すぎたんだ。黒い噂がいくらでも当時は飛びかってたさ。そのひとつに色をつけただけじゃないのか」
 あくまで恋は懐疑的だった。
 現場に残された手紙が的を射ていたとしても、本人の姿が確認されたわけではない。それなのに近衛課が臨時収集をかけるのは、大袈裟にすら思える。
「私も、カルゼン殿下がご存命だと信じているわけではありません。ただ、執務官の方々がどうも落ち着かないのが気になります」
 どうやら今回の臨時収集も、近衛課長飯田亜津子の手によるものではなく、もっと上部の執務官たちから発せられたものであるらしい。
「珍しいな。奴ら、何焦ってんだ?」
 ポケットから煙草を引きずり出し、恋は半ばあきれた様子で相棒に訊いた。
「世間に全てを公表するつもりだ、と書かれていたようです」
「暗殺のあらましをか? へぇ?」
 全く興味は湧かなかった。小馬鹿にしたように言い捨てて、恋は煙草に火をつける。
「ばらされて困ることがありすぎるんだよ、あいつらは」
「そうなのかもしれませんね」
 フィメは大袈裟に頷いて見せた。
「手紙には、暗殺事件のあらましがとても克明に記されているようです。そのうえ―――」
 思わせぶりに、美女は一拍をおいた。

「現在、国政に携わっている人物の名が、首謀者として挙げられているんです」



【TO BE CONTENUED】


如月冴子 |MAIL

My追加