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〜hate you〜
むかしむかし、南の浜に特別な椰子の木が
はえていました。
その木はまっすぐ月に向かって
はえていました。
その木は神様の木で、特別でした。
月や星をひとやすみさせるために
はえている木でした。
それはとても高く、空にむかってのびていました。
月や星はその枝に腰掛けて、こっそり
ひとやすみしては、夜空へ登っていったのです。
ある夜、何人かの少年が月をさわりたくて
木に登ろうと思いました。
ひとりめはほんの少し登った時
風の音に耳を奪われ落ちました。
ふたりめは遠く広がる水平線に
目を奪われて落ちました。
さんにんめは星空の大きさに驚いて
足を滑らせ落ちました。
よにんめは星や月の近くまで登った時、
あまりの心細さと寂しさに飛び降りました。
ごにんめは歯を食いしばり、一番上まで登りました。
そしてそこで彼は知ったのです。
遠く遠く、水平線の彼方を見つめ続けた挙げ句
そこに何もなかった事を。
彼は悲しみのあまり月や星、風や空、海
すべてを呪って身を投げました。
彼は海には落ちず砂浜で砕け散り
そのかけらは数億の砂の中に隠れ
待ったのです。
夕陽に染まった波が砂浜に寄せるように
この地上とあの空が真っ赤に染まる日を。
数えきれないかけらの数の
呪いの言葉を吐き続けながら
いつまでもいつまでも....
~find you~
その酒場にはかつてない人だかりが出来ていた。
店主は祭りを控え開店できない状態を悔しがっている。
窓という窓からたくさんの野次馬が覗き込んでは
様々な噂話を展開させていた。
「おい、ブルー、なんで今まで黙ってた?」
噂話から推測してこの青い子供には不思議な力が備わっているらしい。
店主はそう判断し興奮気味にルーを撫でた。
新緑祭を目前に骨折した馬を立ち上がらせた奇跡の子供。
野次馬の中には祈りをあげる老婆や花を捧げる女まで現れた。
「お前、知っててとぼけてたんだな。
騒がれたくなかったんだろうが水臭いじゃないか」
「オレは本当にこいつとは何の関係もねえんだ。
野次馬のデマなんか信じるな」
ブルーは引っ込んだ二階の宿の窓から外を見ると素っ気なく答えた。
彼は群衆に取り囲まれる事にろくな思い出がない。
夜だというのに狭い通りは昼間以上に騒々しい。
「よ、ブルー殿」
どこから入って来たのか黒眼鏡の酒屋がドアから顔を出した。
「あ、申し訳ないが今夜の酒の注文は...」
何度か酒を納品しに来た事のある男。
その後ろからもうひとり現れたのを見て店主は断りの言葉を中断した。
「来ると思ったよ」
ブルーは来客に背を向けたまま言った。
「これは司祭様、もしかしてこの子の...?」
「あ、大将、取り込み中悪いけんど明日の事でちくっと頼みたいんや。
急に神殿の酒が足らん言うて、俺が思うに誰かがこっそりとやなあ...」
黒眼鏡の酒屋、ナタクは店主の肩を掴むと耳打ちしながら階下へと連れ去った。
室内にはブルーとルー、そして黒髪の司祭カノンがいつもの姿で立っている。
カノンはルーに座って待つように声をかけてからブルーに言った。
「ルー君の事はくれぐれも用心するように言ったはずだ。
神殿じゃちょっとした騒ぎになっているよ。
ルー君はもう普通に過ごす事は不可能だろうね」
ブルーはゆっくり振り向くと眼鏡をかけた黒髪の司祭の顔を見た。
睨んでこそいないが相手の眼鏡の奥を覗くように見ている。
カノンは不躾な視線にも黙して表情一つ変えない。
やがてブルーは相手の長く垂らされた前髪を指差すと言った。
「あんた、そうやって隠してきたのか」
「...何を、かな?」
ルーはこのふたりの真ん中にあって全くいつもと同じ笑顔で
足をブラブラさせている。
「そのうっとうしい髪の下にあるモンさ。
オレは妖魔だらけの辺境にいるような物騒な連中を知ってる」
「それで?」
ブルーがぼそりと言った。
「あんた同じ匂いがすんだよ」
カノンは眉一つ動かさなかった。
彼はブルーの顔を見たまま極めて事務的に答えを返した。
「わかっているのなら話は早い。これからあの子は神殿の管轄下に入る。
君は願い通り、あの子から解放されるよ」
「あんたがあいつの面倒を見るのか?」
「いや。僕はただのしがない神殿勤めだからね。
言われて迎えに来ただけだ」
「オレが面倒見るよりマシか...そりゃ良かった。
で、渡さねえ選択ってのはありか?」
「安心したまえ。彼は妖魔扱いじゃない。
むしろ丁重な扱いと高度な教育を受けるだろう。
流石に今度は君も状況を理解できていると思うが」
ブルーはルーの全身を眺めた。
「ああ、その方が幸せなんだろうな」
「君も少しは人の話を聞けるようになったかい。
出来ればこんな事態にならなければもっと良かったがね」
「....」
微笑むばかりの子供一人を見つめた無表情な大人二人。
安宿の狭い室内を奇妙な静寂が支配している。
やがてブルーはルーを視線から外してひとりごとのように呟いた。
「なあ、カノンさん、あんたもし
ガキの頃大人にいいようにされたら嬉しいか?」
「君にそれを言う資格はないよ」
「んな事わかってるよ。そうじゃねえ、そうじゃなくって...」
ブルーはうんざりした表情で首を振った。
「オレはすごくムカついてた。
柔らかいベッドも暖かいシーツもまともな飯も何もかもが気に入らなかった。
クソばっかりで何一つオレの欲しかったものはなかった。
だけどオレは多くを望んだわけじゃない。
たったいくつかの事さえ手に入っていたなら...
もっとマシな...ちくしょう
オレの言ってる事、わかるか?」
ブルーは普段他人に自分の事を説明しない。
聞く者は少なかったし、何より惨めな気分になるのが大嫌いだった。
やはり彼は途中で最悪の気分になって打ち切った。
そんなことよりも...そうだ。
ブルーは言葉を続けた。
「あんたはそうやって目立たないように生きて来たんだろうが、
こいつにそれをやらせるってのとは違うんじゃねえか?」
「ブルー殿、他人の過去や事情を憶測で話すのも違うと思うが」
ブルーが露骨に舌打ちした。
「このクソったれ!いいか、オレが言いたいのはな...」
「そら、ルー君に決めさせろ、言いたいんやろ、ブルー殿」
唐突な乱入者。
いつのまにかドアの傍に立って頭をガリガリかいている。
ブルーとカノンの微妙な空間をあっさり叩き壊して彼は続けた。
「問題は今の状況でうかつな事はでけん、言うこっちゃ。
ルーくんの事もようわからんなら尚更や。
二人ともガーガー言うんは後でやれ」
「オレの育ての親が関わってますよ、多分ね」
「およ」
不機嫌そうにブルーが言い捨てた。
最悪に居心地が悪い。
「とにかくオレが故郷にいた時、世話になってた得体の知れねえじじいがいた。
でも、そいつの事なんてろくに知らないまま死に別れてそれっきりです」
ブルーはその話題が二度と出ないよう老人の生死は脚色した。
どのみち再会など不可能だ。
「やれやれカーくんと似たよなもんやな」
「余計な事を」
カノンが横目で睨んだ。
「ブルー殿の言う通り、いいようにされるかどうかは
それこそ彼の問題でしかない。
我々は社会的に受け入れ必要な期間保護するだけだ。
それ以上でもそれ以下でもないね」
「...そうやってあんたみたいな大人になってくんだな」
「そのまま君に言葉を返すよ」
「ああ、もうええかげんにせんかい、このクソジャリ共は!!」
再び酒屋が突っ込んだ。
「今はルーくんの事やっちゅうとんじゃ。
お前ら犬じゃあるまいしもうちっとマシな会話できんのか。
ブルー殿も今、悠長な事言うとられんのわかるやろ。
それともルーくん連れてどっかトンズラするつもりだったかね」
多少イラついた黒眼鏡の酒屋は冗談めかしてブルーの図星をまともに突いた。
ルーを置いて行くつもりだった事以外。
「時間の無駄だ。ルー君、支度をしなさい。
今から君は神殿で暮らす事になる。選択の自由は今の君にはないが
もう少し大きくなったら将来を自分で選ぶ事ができる」
ルーがブルーを見上げた。
「だとよ。行きなクソガキ」
ブルーは面倒くさそうに横を向いた。
ルーがナタクに手を引かれて部屋から出て行っても
彼は振り向きもしなかった。
店の前の通りは相変わらず人でごったがえしている。
そんな中堂々と店のドアを開き、人だかりの前へ出た酒屋は大声で叫んだ。
「弱ったの〜まったく!
ココだけの話やけどなあ、司祭様」
ざわついた群衆がいっせいに黙り込んだ。
全員の耳と目が黒眼鏡の酒屋に向けられている。
気付かないまま喋りかけた者はいっせいに口を塞がれた。
「こんなん知れたらえらいこっちゃ。
新緑祭の式典に苦労して呼んだ縁起のええ子供やけど
しょせんはまだしょんべんたれジャリや。目え離したらすぐ遊びに行きよる。
バレたら明日の式典もなーも出られんと帰さないけん。
残念やなあ、せっかく街の人に喜んでもらお、思たのに」
ルーの前に立つ黒髪の司祭は顔に手を当ててため息をついた。
嘘くさい酒屋の内緒話はその仕草によって本当に困っているように見えた。
ため息をついた本人の心中までは計り知れないが。
「どないしたらええんや、こないなとこで神さんのえら〜い子供が
酒かっくらって遊びよったなんざ、わし、どう説明しよ?
左遷されるやろうか。いやそんなことより
街の人がっかりさせるんが辛いわ。なあ司祭様」
「....」
ルーはにこにこ笑っている。
そしてその笑顔がまた酔っぱらってご機嫌な表情にも....
「ああ、こんなにぎょうさん人がおったら絶対バレる!
せめて誰もなんも見とらなんだら明日は予定通り
商売繁盛、子宝ばんばん、金運じゃらじゃら健康祈願長寿万歳となんでもござれやのに」
群衆がそれぞれ隣り合わせに何事か話し始めた。
「....おい、お前なんか見たか?」
「いや、アタシはなんも見てませんよ」
「わしも別に、なあ。何も知らんがね」
「え、だって今さっき子供が...むぐう〜!!」
数人異を唱えた者がいたが即、羽交い締めで口を塞がれる。
ざわつき始めた群衆。
黒眼鏡の酒屋がダメ押し的に叫んだ。
「なんか見た?」
全員がいっせいに叫び返す。
『何も見なかった!!』
「おおきにー」
顔を伏せたままの司祭とにこにこしている子供が歩き出した。
集まっていた人々は明日だそうだ、と囁きながら帰り始める。
元々明日の準備で暇な者は少ない。
ナタクは素知らぬ顔で先を行くふたりを追って歩き出した。
「...無茶な事を」
しばらく歩き人が完全にいなくなってからカノンが口を開いた。
「アホんだら!お前こそナニ勝手に予定変えよるんじゃ!
ほんまならブルー殿もセットでひっぱってくる予定やなかったんかい。
全く俺がいつまでも暇や思うな。
ええかげん仕事やらなんやらあるんじゃ。余計な事は増やすなボケぇ!」
「彼ならどうせほっておいても街を出るさ。調べはついてる。
彼が一緒だとそれこそまた問題を起こしかねない」
「あのごっつ派手なねえちゃんの腰巾着締め上げたくらいじゃあんまアテにならんど。
それよかお前、あの程度で腹立ててどないするんじゃ。
挑発に乗せられよって未熟もんが」
「僕は怒ってなんかいないね。
だが勝手な憶測で他人を決めてかかる人間の手助けをする必要はないさ」
「それが腹立てとる、言うんじゃクソジャリの片割れ。よう似とるわ。
ヴァグナーの奴もあれですぐ腹かきよって、なんでこうどいつもこいつも
似たもん...」
「彼は関係ないだろう」
カノンの硬い声に酒屋はぴたりと黙った。
長い沈黙。
三人はそのまま一声も喋らず神殿まで戻った。
酒屋は神殿内には入らず門の前で立ち止まるとルーとカノンを見送った。
彼はひとつ息を吐くと煙草を取り出し呟いた。
「...まだ時間が足りとらんか。カーくんは...」
すっかり夜だというのに黒眼鏡を外さぬまま
彼は元来た道を引き返し立ち去って行った。