ぶらんこ
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2011年11月20日(日) 祈りは露のように

 いろいろな霊魂が自分で自分を作るべきである。
 私は尊い種をまく。
 種子はひそかに働く。
 霊魂は、それ自身の働きのために尊敬すべきである。
 最初の種にききめがないなら、もう一つをまく、またもう一つ。
 種まきが全くむだである。という確かな証明がある時だけ退いてよい。
 それに祈るべきだ。
 祈りは土地の上の露のようである。
 それによって土地がやわらかくなり、養われ、そして種が芽を出せる。
            「マグダラのマリア」 マリア・ワルトルタ著 より





ひとを信じる。
そのひとの、霊魂の、自由な選択を信じる。
くじけそうになることもあるけれど、
それでも、信じること。
そして、祈ること。

祈ること。




幼い頃は、「てんにまします」とか「めでたしせいちょう」とかを唱えることが祈りだった。
間髪なく口にのぼる、心に広がる、祈り。

いつしか大人になって、祈りの言葉を唱えることが祈りではない、と、心のどこかで知る。
知ってしまってからは、祈ることが、難しくなる。
難しいから、結局は、馴染みの言葉をくり返し暗誦する、これも祈りだと言い聞かせながら。



それでも祈りは露のように働く。
心はその露の雫を求める。
露はゆっくりと心を満たす。


祈りは、祈ることでしか、得られない。
わからないなりに、祈ること。祈り続けること。

光はそこにさしこむ。
あなたに。
そのひとに。








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