ぶらんこ
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肉体の発する痛みを 意識は知覚しているのだろうか
仮にそうだとしても
魂のレベルでは
安らかに
かの地へと
向かっていたのではないだろうか
スピッツの歌に♪死神の岬へ というのがあり、歌詞の中に「ガードレールのキズを見た」というフレーズがある。 先日こころと一緒にこの歌を聴いていて、ふと、「ガードレールって、知ってる?」と訊いてみた。 知ってるよ。 そっか、知ってるのか。どんなのか言ってみ? こころはちょっとムっとした感じで、こんなこんななってて道路の端の・・と説明し始め、あー合ってる合ってる!とわたし。
それが何? いや・・・信じられんかもしれんけど、初めてガードレールを見たときのことを覚えてるのよ。 はぁ? いやもうーーー衝撃的だった!
あの時自分が一体幾つだったのか?小学生低学年の頃か?もうちょっと上だったか? 記憶の糸を手繰るのだが、モヤモヤして思い出せない。 でも、真っ白のピカピカのガードレールを初めて目にして、近付いて、手で触れて、うおぉぉぉぉぅぅぅぅ! 心臓の部分に風がビュワーーーーンと吹いてきたくらい、とにかく「凄いものが出来た!!」と、子供心に思ったのです。 何がどうなっているのかわからんが、これがあればもう大丈夫!というようなことを思った。 たぶん、ガードレール建設中に色々と耳にした情報から刷り込まれたのかもしれないなぁ。。。
でもね、違和感はあったのよ。
当時の島の、道があって崖があって海岸があってという曖昧な流れの中に、ガードレールという人工的なブツ(物)が突如表れたのだから。 この景色には合わんでしょう、変でしょう、、、という感情は確かにあった。
が、子供だからかな。そういう気持ちとはわりと簡単に決着を付けたのだと思う。 「ガードレール」なんてカタカナの名前を口にするのもどこか誇らしかったし。 まぁ色々と悩むこともなく全然へっちゃらに受け入れちゃったのだ。
しかーーーし。
どれくらい経った頃なのか・・・これもまた記憶がアヤフヤなのだけれど、ガードレールで、またまた強い衝撃を受けたのだ。 それは、初めて、ガードレールのキズを見たときのこと。
いや本当に。信じられんかもしれんけどね、初めてそのキズに気付いたとき、真新しいガードレールを初めて見たとき以上に強烈だったわけよ。 なんでよ〜。
それまで自分にとって「ガードレール」というのは確実なものだった。道と崖と海とを隔てる完璧な存在。 自然というものは日々変わるが、人工的なブツは永遠に変わらない。なぜかそう信じていたのだ。 それがどうだろう。 あちこちにキズが付いていて、そこからは塗装が剥がれ落ち赤茶色の錆びが侵食している。 あんなに立派に見えたガードレールが、ヨボヨボに年老いた爺さんみたいになっているじゃないか。
不思議なもので、このとき、わたしの中でガードレールと自然とが一体化したのだ。 錆びたガードレールのほうがこの景色に似合うー、とさえ思った。潮風にさらされて錆びて朽ち果てそうなガードレール。 全然凄くないじゃん!!海のほうがやっぱり全然凄いんじゃ〜!という喜びの発見。
なんかえらい大層な話になったけど、なんでまたガードレールを思い出したの? さっきの歌詞よ。 はぁ? ♪ガードレールのキズを見た〜 あ・・・気付かなかった・・・けど、まみぃって面白ーい!
がっくし。
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