ぶらんこ
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港でフェリーを待っているが空模様が怪しい 空を覆う灰色の雲がみるみるうちに黒く厚く垂れ込めてくる にわかに雨が降り出した・・・と思う間もなく土砂降りになった 辺りは風と雨とで殆ど何も見えない
わたしは紺の浴衣を着ている 今夜は夏祭りだ 浴衣は袖の部分がやけに短いが丈のほうはなんとか見られた 他の人がどう感じるかは別として
スコールが止み辺りが静かになった 外を見るといつの間にフェリーが着岸していた 誰かが「こっちこっち」と叫ぶ 「早くしてください!」
声のほうへ行くと作業着を着た小柄な男性が階段口に立っていた 「船に乗る方はこちらから行ってください 急いで!」
わたしは港の待合室にいた 待合室は最上階(といっても2階だが)にある 示された階段は下方に向かいゆるやかにカーブしていた そして海水に満ち満ちている
「大丈夫です そのまま進んでください 入り口はすぐにわかるようになっています」
浴衣を着ていたので一瞬躊躇ったがそんなことを言っていられない 乗り込むときはいつもこうなのだ それに 島へ向かうフェリーはこれが最終便である
わたしはするりと両手を伸ばしそのまま海水に身体を預けた (思っていたよりも水は温かい) トンと両足に力を入れ水のなかを眼を開けたまま進んだ (思っていたよりも眼は痛くない)
水の中はライトグリーンだったりライトブルーだったり色を変えた いくつかの大きな透明の光の輪がときおり揺れた しばらく進むとフェリーの白い横腹に扉が開かれているのが見えた なるほど彼が言ったとおり すぐわかるようになっている
フェリーに乗り込みしばらく泳ぎ進むうちに海水が引き いつの間にか普通の階段を上がっていた 甲板へ出るともう船は港を出た後だった
島へ着くまでに何時間かある わたしは寝ころがって休んだ 日差しはそれほど強くはなく風も弱かった
島に到着したとき辺りは薄暗くなり始めていた 水平線の彼方に少しだけ橙色の名残が見えた
わたしの旅館は港のすぐ近くにある 旅館へ行くと皆すでに食事を済ませていて、女性達はお風呂の順番を待っていた この旅館の宿泊客は女性ばかりだ
気の良さそうなおばちゃんがにこにこと夕食を進めてくれた 「アラ汁をあっためようか 何も特別な料理はないけど」 わたしは、申し訳ないがこれから友人の家へ行くことになっている、と断った 友人には島へ来ていることを言ってはいない でも歓迎してくれるだろう どうしても今日のうちに会いに行かなければ・・・
旅館を出て商店街のほうへ向かった 島の中心地とも言えるところだが、一本のちいさな道路の両脇にさびれたようなお店が並んでいるだけのものだ 時間が遅いせいか殆どの店はもう閉まっている だがけっして少なくはない人達がそこらを往来していた 街灯の下ではおばちゃんがたが顔を寄せ合って話し込んでいる
友人の家までの道のりを頭のなかで反芻しながら歩いた この島は相変わらず何も変わっていない だからきっとすぐにわかる筈
商店街を抜けセメント塀に囲まれた家々を何軒か過ぎ ふたつめの角を左手に曲がる そこが友人の家だ
と、ふたつめの角に男が座っていた 男は黒づくめのスーツを着ている 背が、とてもとても、とても高い 彼の前には学校用の机が置かれていて(長い脚が両脇から伸びている)、机の上には白い紙切れが積まれていた
その男性は有名な元バレーボール選手とよく似ていた(もしかしたら本人なのかなと思うほどに) 眼が合ったので何か言おうと思ったが、彼の名前をどうしても思い出せなかった 軽く会釈をして通り過ぎようとしたところに声をかけられた
「ご友人さんのところは今ちょっと立て込んでいますが・・・ あぁ でも、あなたであれば行っても差し支えないでしょう というか、むしろ、是非行くべきです どうぞ行ってあげてください!」
意味がわからない、という顔をしていると 彼はにこやかに手をあげ自己紹介をしてきた 「驚かせてしまいましたね 僕は彼の友人で川越といいます あなたのことはよく聞いています 奥さまからも聞いています 今回は、本当に残念なことになりました」
角からちょっと覗きこむと、友人の家は葬儀屋による装飾で包まれていた 家の門には大きな提灯が灯されている わたしはドキッとして目の前が真っ暗になった 闇のなかで世界がぐらりと歪んだ どうしよう、、、
「あっ違います 彼も奥さんも大丈夫です 亡くなられたのは別の方です」 彼は慌てて付け足した わたしは眼を閉じたまま大きく深呼吸した 良かった・・・ 「あなたの知らない方です 実は彼らもそんなに親しかったわけではない ただ、彼らにしかこのようなことが出来なかった というだけです」
「あの わたし、こんな格好で来てしまったんですけど、、、」 そう言ってから自分の姿をあらためて見ると、それはもう酷かった ずぶ濡れになった浴衣はところどころ乾いていて、その部分に強い皺ができている 顔や髪はどうなっているんだろう・・・わからないが想像は出来た Do I look...? なぜか英語で言いかけて、止めた このうえなく酷いに違いはない
川越氏は、「大丈夫です そういうの気にする人達じゃないことはあなたこそよくわかっている筈です」と快活に答えた それはいささか場違いな明るさにも思え、わたしはますます変な気分になった
おずおずと門をくぐった 入り口は大きく開け放たれていて 中に友人たちが小さく座っているのが見えた 彼は喪服、奥さんのほうは着物の喪服であった ふたりとも憔悴しきった顔をしている 前に会ったときよりもさらに年老いて見えた
「あの、、、」 入り口に立ったまま声をかけると彼女のほうが先に気付いた 「あぁ!まぁまぁ・・・まぁ・・・!」
「あの、、ごめんなさい、連絡もなしに、、、」
ふたりはわたしの言葉を遮り、立ち上がって近寄り、心から歓迎してくれた 彼女は、いつものようにわたしを抱きしめてくれた その身体が前よりも小さくなっていて、わたしは胸が痛くなった でも、ふたりの顔がほんの少しだけ明るくなったような気がしたので嬉しかった
それから、「ごめん、説明するのは後でもいいかな 説明のしようもないんだけど・・・」と彼が言った 彼女は悲しそうな顔で俯いていた わたしは なんと答えたら良いのかわからず ただ黙って頷いた
彼らはまた同じ位置に戻って正座となった わたしも部屋の片隅に座った 淋しいお葬式だ・・・と思った 写真やら線香やらはなかった 花もなかった 弔問客も少なかった もしかしたらお葬式とはまた違うものなのかもしれない
ふと、そこに懐かしい友人がいるのに気付いた(十数年ぶりの再会だった) 彼はとても疲れた表情をしていたが、わたしの姿を見たときほんの少しだけど驚き、そしてわずかに微笑んだ(ように見えた) わたしは顔がこわばってしまってうまく表情を作ることが出来なかった ぎこちなく口元を動かしただけになってしまい申し訳なく思った
「で、どうするよ」 正座したままその友人が言った どれくらいの時間が経ったのだろう わたしたち以外はもう誰もいなかった 「わからん」と、彼は苦しそうに答えた 彼女は黙ったまま眼を閉じうなだれていた
どうやらわたしは来てはいけないときに来てしまったようだ しかも、出て行くタイミングをも逸したらしい が、もうどうにもならない そのまま空気のように座っているしかなさそうだ
「島はどうなる」 「わからん わからんがどうにかせんと」 ふたりは難しげな顔で話している
わたしは、終わりのない話題だ・・と心の中で思い、すっかり途方に暮れてしまう そのときふと、さっき通ってきた商店街での人々の言葉が浮かんできた 「投票場所はこちらです 選挙会場はこちらです」
でもわたしには選挙権がないのよ・・・
そのことで、なぜかとても救われた気持ちなる
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