ぶらんこ
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訪問のときによく通る道にお気に入りの牧場がある。 そこにいる「マルチナ」という名前の馬が大好きだった。 彼女はいつも馬舎の中にいて、顔を外へ出していた。 他の馬たちが外を駆けていても、マルチナはそうじゃなかった。 だから彼女の存在に気付いたのだと思う。 車をゆっくりと走らせて、彼女の名前を知ることが出来た。 馬舎は一頭ずつお部屋みたいなのがあてがわれているようで、顔を出している彼女のすぐ隣に「マルチナ」と書かれていたのだった。 それからはいつもそこを通る度、「マルチナー!」と叫んで手を振っていた。 マルチナはわたしを見ているような見ていないような。。。
先日、その道を通ったらマルチナがいなかった。 珍しく外に出ているんだ〜。と思ったが、その姿を確認することは出来なかった。
昨日、そこを通ったとき、マルチナがいなくなったことに気付いた。 マルチナのお部屋が空っぽだったからではなく、そこに書かれている名前が違っていたからだ。 そこにはTMなんたら、と長い名前が書かれていた。 その隣も同じTMシリーズの名前だった。きっとオーナーが同じ人なのかもしれない。
マルチナは違う牧場へ移ったのだろうか。 それともレースに出る準備が出来て、どこかへ連れて行かれたのだろうか。 みんな外へ出ているのに彼女だけが馬舎の中にいたのは、そういう意味だったのだろうか。
マルチナがいなくなって、なんともヘンテコな気分。 いつも手を振っていたのに。いつも名前を呼んでたのに。 さよなら出来なかったなぁー。残念。。。 競争馬として、マルチナがたくさん活躍しますように。 競争馬としての役割を終えてからも、しあわせに暮らしていきますように。
マルチナのお部屋のふたつ向こうに、彼女とよく似た馬が顔を出していた。 鼻筋の白い部分が、マルチナよりもっと大きな範囲で出ている。 気になって名前を見てみると「ホッポーマリア」とあった。 わたしは彼女に、心のなかで「よろしくね」と挨拶した。
「心が平和であること」かなぁ。。。。
自分が真に望むことをしていること。すべてのことを。 辛かったり悲しかったり憤りを感じたりすることがあっても、 自分が望む道を進んでいることを信頼すること。
平和な心って、「調和」かなぁ。。。と思う。 穏やかなだけでなく、いろんなことを含み、包んでる。 そんな感じ。 欲張りだ。笑
〜古いメモより〜
「おやっとさぁ〜」 この言葉。 テレビのCMではよく聞く。 芋焼酎の名前にもなっている。
先日、この言葉を初めて生で聞いた。 訪問先の患者さんの家で、お客さんが「おやっとさ〜」と言いながら何かを届けに来たのだ。 どうやら畜産組合のお年始のご挨拶がわりの品物だったらしい。 おばちゃんは「ありがとさんね〜」とお礼を言っていた。
わたしは感激してしまって「初めて聞きました!『こんにちは』の意味でしたっけ?」と訊ねた。 するとおばちゃんは「いんや。お疲れさんです、っちゅうことじゃいねー」と教えてくれた。 それが妙に嬉しくて、なぜか心のなかの良いところへと入ったようで、リハビリを終えたばかりの患者さんに「おやっとさぁ〜」と言ってみた。 患者さんはにっこりと笑って頷いた。奥さん(おばちゃん)は「そうそう。そんな感じで使うんよ」と喜んだ。
なんとも気分が良くなって、それからも事ある毎に「おやっとさ〜」と口にしてみた。 最後にはおばちゃんから「そう何度も使うもんじゃなかよ」と、笑われた。
・・という話を先日、友人にしたところ。 「そんな風にここの言葉を使おうとする姿勢って大切だね、良いことだと思うよ」と言う。 間違った使い方であったとしても、だ。
そんな風に言われて、あらためて思い返してみた。 鹿児島の言葉=かごんま弁=ヨソ言葉 これはわたしの中でずっと変わらずにあった式だ。 今もそうだと思っていた。 でも、どうやら違ってきたらしい。 何かが変わった。 その「何か」とは「自分」なのだろう。
それは素敵な発見だった。 そういう「ゆるやかさ」って良い。 自分がなんぼのモンじゃ。 という感じ。
ところでもうひとつの式。 島口=島ユムタ=わきゃユムタ これは今も変わらない。 島のユムタは、なちかしゃ(愛しい)。 先の友人の言葉も、実際は島ユムタでのもの。 ユムタの向こうにある「情」のようなものを感じることが出来る。
友人に感謝。 あらためて思ったのだが、ひとと話すことって、常に新しい発見が伴うものだ。 彼がわたしを通して見つけたもの。 わたしが彼を通して見つけたもの。 お互いがそれを素直に口に出来ることもまた、嬉しいことだと思う。
♪歳をとるのは素敵なことです
みゆきの詩は最高。 この唄を一緒に口ずさめる関係というのも、また、ほらしゃ。
ユムタ っちば むじらさ やぁ〜。 どぅし っちば ありがて なんやぁ〜。
ベッドに入ってから、眠る前に(眠くなるまで)本を読む。 気持ちとは裏腹に、生理的に瞼が重くなると、思い切って本を閉じ、眠りにつく。 そうやって少しずつ読む。
昨夜、一冊の本を読み終えた。 眠りを欲する身体を制してのもの。
読み終えてからの心、言葉を探す。 ・・・なんとも言えない気持ち。
心は、深く、ふかく、降りていく。
辺りは真っ暗な夜と静寂の闇に満ちみちている。 どうして涙が出るのか。わかるような気もするが、わからないようにも思う。
夜は繋がっている。 涙のなかに、あなたもわたしも在るように。
10年以上ぶりの再会。
わたしはちいさな荷物を抱えて歩いていた。 海を見ながら、街路樹の間ににょきにょきと3〜4本一緒に生えている大きなきのこ(変なの)を踏み倒しながら。 (倒したきのこはわたしが通り過ぎるとまたにょきにょきと生えた)
海岸通りの街路樹はその昔わたしが通ったときとさほど変わりないように見えたけれど、通り全体はどことなく新しいような感じを覚えた。 アスファルトのせいかもしれない。きのこは珍しいものではない。ただ、この島のものはかなり大きい。見上げるほどの高さだ。
6回か7回きのこを踏み倒したところで、その人に会った。 彼はちょうど門から出てきたところで、大きな荷物を肩に下げていた。そこは彼の家か或いは実家だったみたいだ。
わたしたちはお互い、目を合わせた後に、一瞬止まって、同時に「あ。。。」と言った。その後すぐ、その人が 「これも何かのタイミングだね。せっかくだからどこかでゆっくり話そうか」といった内容を、わたしの心のなかに伝えてきた。 わたしはちょっと迷ったけれど、「ごめんなさい。これから会う約束をしているひとがいるのでそれは出来ません」と答えた。 時間にしたらほんの一瞬の出来事。
その後、その人のお母さん(かな?)が出てきて、彼に何かを話しかけ、わたしは彼らに目で軽く挨拶をして通り過ぎた。 やがて海岸通りを抜けてちいさな田舎町に入り、目当てのデパートを探した。 歩きながら、彼の髪の毛が金色に変わっていたのを思い出し、なんであんな色にしたのだろう・・と考えた。 あんな色にするなんて、驚きだ。どうしてだろう。白髪のほうが断然良いのに。でもまぁいっか。彼には彼の想いがあるのだ、きっと。
約束までに時間があったので、彼に連絡してみようかと思い、ケイタイ電話を取り出したが、 そのひとの連絡先などもうとうに失くしてしまっていることを思い出した。 記憶置換装置を使えばなんとかなるかもしれないけれど、そこまでする必要もないのだろう、と、思い直す。
金色の髪の毛と踏み倒してもすぐに生えてくるきのことが、なんとなく似ているような気がして、笑えた。 ナンセンスこそがすべて。と思えてくるから尚、可笑しい。
島では、元旦の朝に三献(サンゴン)をいただく。 三献とは島の正月料理。二種類の吸い物(海の幸の雑煮と山の幸のかしわ汁)、それにお刺身だ。 写真は、今年いただいた三献。とりあえずお刺身は形だけ。人数が多くなったので食器もありあわせのものとなった。
ところで、三献をいただく前に、家長からの挨拶がある。 我が家の場合は母だ。 父が亡くなってから、母はずっとこの役を務めている。 今年も、母の挨拶から始まった。
母の言葉をみんなにこにこしながら、でも心内は神妙な気持ちで、聞く。 母はなかなかシャープな女性だ。こういう挨拶をさせると、特にそう感じる。押さえどころが的確。 母の挨拶の次に、今年は東京から来ていた姉家族の家長(義兄)が一言。 新年の挨拶というものは気持ちがひきしまる。言葉にすることで、新たなはじまり、という大きなエネルギーが注ぎ込まれるようだ。
その次に挨拶をしたのがすぐ上の姉の旦那さま。去年のいろんな出来事がみんなの心のなかを巡る。 良い年だったなー。いかんいかん。涙が出そうだ。
格闘していたら、「じゃ、次、どうぞ」と促される。 ん?わたし???
青天の霹靂。
「いや、わたしは家長じゃないよーーーー」 そう言うのに、みんな、わたしを嬉しそうに見ている。 わかっている。このところその役割を担うべく、自分なりに歩いてきたんだった。 そして、そう出来たのは、自分ひとりの力じゃなかった、と・・・あらためて、思う。
「素」という言葉を辞書で調べると「何も加えていない」とか「飾りのない」という風に書かれている。 なるほど・・・。 もしかしたら誰もがそうなのかもしれないけれど、わたしが「素」になるのは、家族といるときだ。 だから、ただ素直に言葉にすれば良いだけだ。 なのに、自分の本当の気持ち、素直な気持ちを、家族に対しあらためて言葉で表現するのは、なかなかもって、照れくさい。 シンプルかつ簡単なことのはずなのに、難しい。
と、いうわけで、小学生低学年のような挨拶になってしまった。 あふれる。こぼれる。笑う。笑う。
みんなで頂いた三献はとぉーっても美味しかった。 次はきっと、島で!
笑顔はどこから
やってくるのでしょう
桃色の花
きらめく海
新しい葉っぱ
あのこのあくび
あなたのくしゃみ
“カシミール”思い出の共有
“If”別々の未来
笑ってる
それでも笑ってる
愛しますように
愛されますように
いつも笑顔が
生まれますように
・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・
新しい年 おめでとう
あなたにとって わたしにとって この一年も素晴らしいものとなりますように しあわせを紡いでいきましょう〜
今年もどうぞよろしくお願いします。
海にいる 兄と正と 素潜り スカット 酒を勧めるしつこい男 断りの祈り
・・・
透明度の高いとっても綺麗な海だった。 海の中にはでっかいくじらがいて、わたしも早く潜らなくては・・・と思いながら眺めていた。 海の底に住んでいたことを急に思い出したような、そんな感覚が残った。
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