ぶらんこ
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一緒にいたのは、たぶん彼の奥さんなのだろうと思った。 整った顔をした優しそうな女性だった。
彼女はバケツ型のバッグから、おにぎりやおかずやらをひとつひとつ取り出し、彼に見せていた。 おにぎりは、和布と飾り紐で包まれ、どこかの料亭でつくられたかのように、洒落た感じだった。 おかずはたくさんあって、それぞれちいさな器ごと、和布で包まれているようだった。 その中のひとつはコープの商品名だったが、佃煮か煮豆のようなものらしかった。 丁寧に包まれているので中身は見えないが、いずれにせよ、わたしは食べたことのないものだった。 彼はちいさな歓声をあげ、特性のお弁当を心から喜んでいた。 差し出す手のひらはやけに白く、そして、女性の手のようにほっそりとしていた。 ふたりで何やら話していたが、どこかへと引越しをするので、その準備をしているらしかった。 わたしは、けらけらと笑う彼の顔を見て、このひとの笑顔ってこんな感じだったのかぁ。。。。と思い、なんだかほっとした。
わたしはふたりを、空から眺めていた。
「そろそろ起きておいでよ」
そうだね
もうじき
雨があがったらね
こころから手作りカードをもらった。 写真は表紙(右側)と裏表紙(左側)。 開くとぎっしりとおもろいメッセージが。 デザインといい色といい・・・なかなか良く出来ている。笑
41歳になった。 特別何かが劇的に変わることもないのだろうが、「それなりに」変化を感じている。 とりあえず思いつく限りを書いておこうと思う。
・本を読むのが遅くなった。(おんなじところをくりかえし読んでいることもある) ・漫画を読むのが面倒になった。(今読んでいるのはBLEACHくらい) ・「書く」という行為が少なくなった。(何かが「降りてくる」ことが少なくなったみたい) ・「書き込む」行為がなくなった。(スケジュール帳はその役目を果たしていない) ・月日がわからない。(気にしなくなってしまった。必要なときはケイタイを開いて確認) ・勤務表を覚えられない。(翌日の勤務体制がわかるくらい) ・有名人(歌手とか俳優とか)の名前がわからない。(覚えようとしなくなった) ・同僚たちと行くカラオケが楽しめない。(歌がおもろくないからもう行かない) ・人の年齢の検討がつかない。(20代〜50代くらいはまったくもって本当にわからん。年寄りとコドモはだいじょぶ) ・眠りが瞬間的。(本を閉じて電気を消して目を閉じた途端) ・自然治癒力がゆるやか。(なんか病が長引いているよな・・・) ・お酒に弱くなった。(でも周囲の評価は変わらない) ・お金の計算をしない。(以前にも増して)
後は思いつかないな〜。 総体的に見て、「どうでもよい」という感じが色濃く出ているのがわかる。。。 あまりいろんなことを気にしなくなったからかなぁ。 『「老いる」ということは「挑戦」です」と尊敬する五島シズ氏が言ってたけれど、本当にそうだと思う。 で、わたしにはそれが不足している。かも。笑
ところで、わたしの言う「好き」とか「好きじゃない」とかに対して、「頑なだ」と指摘されがちだけれど、どうなんだろう? 逆にわたしは、それはある意味、とても柔軟なことなのだと思う。 わがままだとは思わない。否。わがままでも良いじゃないか、と思う。 自分の心に素直に正直に。 それはとても自由なことなのだと思う。 だから、人がどう思おうが、関係ない。気にしない。気にならない。 皆がそうだと、どんなにかしあわせだろう。 ちょっと想像。。。。。
ここで、しあわせなビジョンが浮かんだ人とそうでない人と分かれるんだろうなぁ。笑 まぁそれもよし。ということで。
あ。もうひとつ思い出した。
わたしは毛が黒い。 美容院に行くとよく「髪を染めませんか?」と聞かれた。明るい色に染めたら髪がもっと軽くなりますよ、ということらしい。 で、最近はこう言われる。 「髪、染めてるんですか?」 何よ。おんなじ黒髪なのに。笑 まぁそのうち白髪になっていくだろうな。そして、染めるのって面倒で嫌いだから、そのまま放っておくのだろうな。
もちろん、変わらないものもある。 例えば誕生日が楽しみなこととか。笑
買い物へ出かけた。 ブーツを購入した夢を見たので、もしかしたら正夢かもしれないゾ、と、軽い気持ちで。 でも、並んでいる商品を見ていてだんだん気分が悪くなってきた。 いつものことだ。どういうわけか、見ているだけで「飽和状態」になってしまう。 一緒にいたこころも然り。ふたりして・・もうどうでも良いよ・・という感じ。
結局、ブーツを買うことはなかった。 で、代わりにといっちゃなんだが、バッグを購入した。 仕事へ行くとき必要なものが楽に入れられる、ちょっと小ぶりのバッグだ。 値段もまぁまぁだったし、こころがプッシュしてくれたので、決断。
ところで、身につけるものを買うとき、こころが一緒にいると助かる。 最近はどうも自分の感覚が信用できないというかなんというか。 昔はそんなことなかったのになぁ。
例えば、これいいなぁ・・・と思ってちょいと鏡を見ると全然似合ってなかったりする。(それでちょっとへこむ。) これ好きだなぁ・・・と思っても、はたしてこれはわたしくらいの年齢が着てもオカシクないのだろうか?と、遠慮がちに思う。 そんなことを(素直に)聞けるのはこころしかいない。 そんなことに(正直に)答えてくれるのはこころしかしない。
先のバッグ購入の際。
「でもこれって40歳が持っててオカシクないかな?っちゅうか、もうすぐ41歳なんだけど。」 「大丈夫、まみぃなら。」 「本当に?」 「うん。っていうか、この前のバッグだって、ありゃ若い女の子用だったけど、まみぃが持てばそれなりに見えてるからいいって!」
・・・なんだか複雑な気分だ。。。。
どうもわたしは自分自身の髪形とか服装とかに自信がないのだと思う。 だから美容院は好きじゃないし、服や靴なんかのお店へ入るのも本当に苦手だ。 昔から、自分の外見について何か意見されること(もちろん良いアドバイスなんかも含めて)に構えてしまう。 どう答えたら良いのかわからんくなる。(ある意味パニック状態) だからそういう場面に出くわさないよう、無意識に避けてしまっている。
しかし。
変なの! と、思う。 なぜって、自分の言動や態度に対しては他人からどう思われようとあまり気にならないのに。(少しは気にしろ!と、こころから言われている)
何かあるのかもしれないなぁ。。。 まだまだだなぁー自分。
わたしの姓はカタカナだ。 結婚するときに変わった。
後になってわかったのだが、姓を変更せずとも良かったらしい。 役場で「姓をどうされますか?」と聞かれたときに、はて?と思ったのだが、普通の婚姻と同様にしてもらった。 何も旧姓をキープする必要もなかろう、と思ったのだ。 そのために、わざわざ「氏(うじ)の変更願い」という書類まで書かされた。 面倒なこった・・・と思いながら記入した。
夫には「戸籍」というものが存在しない。 よってわたし自身が戸籍の筆頭者となる。 わたしの旧姓は縦線で消され、その横にカタカナで新たな姓が書かれた。 こうしてわたしの姓はカタカナになった。 カタカナでなくとも良かったのだろうな、と今になって思う。当て字とか。 或いは全然違う名前でも案外大丈夫だったかも。 夫の姓の読み方(日本語表記による)はわたしが勝手に決めたのだから。
カタカナの姓を名乗るということは、日本では面倒なことになる。 そうわかったのは、もちろん変更してからだった。 名乗った後には必ず「え?」と聞き返される。 そのうえ、「あなたは何人ですか?」と聞かれる。 ふざけて「フィリピンです」と答えたことがあったが、大抵、騙される。 こんなに流暢な日本語を喋っているのに。笑
日本で暮らすには日本語の名前のほうが「住みやすい」。 帰化するときに名前を変えるのは、そういうことも理由のひとつなのだと思う。 気持ちの切り替え、ということもあるのだろうけれど。
訪問で新しい患者さんを受け持つとき、わたしはIDを見せながら名前を言う。 姓はカタカナで読みにくい(発音しにくい)し、馴染みがないだろうから、名(まこ)で呼んでもらう。 だから患者さんは皆、わたしのことを「まこさん」とか「まこちゃん」と呼ぶ。 それはそれで嬉しい。
先日、新しく受け持った患者さんは、わたしのカタカナの姓を一生懸命覚えてくれ、二度目の訪問のときにはカタカナで呼んでくれた。 でも、やっぱり、しどろもどろ。
「あーーダメだ。カタカナで難しいから。やっぱりまこちゃんでいいね。」 「上手に言えてましたよ。でもカタカナは大変だからまこで良いです。」 そう言ってから、ふと気付いた。
「あっ でも、○○○さんもカタカナじゃないですか〜。」 「あらっ そうだった!○○○って、変な名前でしょう。恥ずかしいわー。」 「そんなことないですよ〜。」
わたしたちはふたりして大笑い。 患者さんの名前は(姓でなく名のほう)カタカナだったのだ。 そういえば昔の人はカタカナの名が多い。
カタカナも・・・悪くないなぁ。笑
先日、懐かしい方からめーるをいただいた。 B&Pのおかげだなぁと思う。 離れてしまっても忘れ去られたとしても 必要なものはすべて 「そのとき」に 引き寄せられるのかもしれない。 人も物も物事も環境も。
こころから聞いた話。 「日本人は外国に住むべきではない。 あなたがたは日本に住んでいる外国人を心から受け入れていますか。 そうじゃないでしょう。 国が違うということは文化も言葉もナンタラ(なんだか忘れた)も違うということ。 外国へ行くこととそこに住むということは違う。 日本人は外国に住むべきじゃない。」
ちょっと表現は違っていたかもしれないが、こんな感じ。 (日本では)高名な女性の言葉だ。 こころは彼女の話を聞いて嫌な気分になってテレビを消したらしい。 だからその先はわからない。よって、その言葉の真に意味することもわからない。 もしかしたらとっても素晴らしいことを言いたかったのかもね。(どうだろ?)
こころは言う。 「じゃぁわたしはどこに住めば良いわけ?」
まぁきっと彼女のことだから「20歳までにどちらかの国を選びなさい。その後は自分で選んだ国に住みなさい」くらいのことを言うかなぁ。 と、わたしは答えた。 どうかな?当たらずとも遠からず。といったところだろう。
外国に住むべきじゃない。だなんて、突拍子もないことを言うなぁ! というのがわたしの最初の感想。 思わず笑ってしまったよ。時代に逆行しているというかなんというか。
まぁいい。 ひとの考えというものは自由だし、それを豪語するもしないも自由だ。 ある意味、あれだけのことを口にすることは凄いことだとさえ思える。 (最近は言うことがかなり無茶苦茶だなぁとも思うけど。) とにかく、彼女の言葉を最後まで聞いていないので、本当に言いたいことがなんなのかはわからないな。
それにしても 「あなたは外国人を心から受け入れているか。」
すごい命題だな〜。 それは対象が外国人でなくても良い筈なのにね。
言葉はそのひとの心の鏡だなぁ〜。と、心から思うよ。
気をつけよう。 というか、気にかけよう。 もっと自分の言葉に耳をすまそう。 もっと自分の心に耳をすまそう。 丁寧にていねいに。
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