うたかた |
|
2004年07月18日(日) | |
とてもロマンティックで色彩的な美しさに溢れた物語です。 タイトルから結末まで流れるはかなさを感じさせる雰囲気に うっとりとさせられます。 虚無的であったにんぎょは、みちろうとの出会いとふれあいで 自分の刹那の命を抱きとめ、そして愛するようになります。 そのゆったりと静かな過程は、読者それぞれに行間の 恋のときめきや二人の間の優しい雰囲気を感じる余裕を与えます。 そして鳥肌の立つような幸福感と悲しみを併せ持つ美しいラストシーンはあまりに詩的で映像的です。 にんぎょという特異な存在が主人公であり、 うむ、そしてうまないということについても考えさせますが 全体として仄かな青と白のイメージで作られた とにかく美しい恋の物語という風に思っています。 菅原さんは、童話を書かれても素敵なのだろうなあ、と思わせますね。 挿絵込みで絵本出版というのもいいですね・・・。(ニヤ) 脳細胞の関係で深い解釈とかは出来ないのですが とにかく大好きな作品です。 では、失礼しました。 |
スカートの波 |
|
2004年07月17日(土) | |
感想文を書こうかと思って もう一度ゆっくりとこの作品を読み直してみたら 「○○(私の名前)ってスカートを履く男と付き合いそう」 確か、このスカートの波がサイトに初めてUPされた時 友人にそう言われたのを思い出しました。 ということは、主人公の恋人‘青ちゃん’と 私は似ているんだろうか?と思いながら読み進めていくと 私は青ちゃんの様にストレートに 言葉を発することはできていないだろうなと モヤモヤした気分になってしまいました。 青ちゃんは、もしかしたらお母さんを亡くした時に 何かを全部捨てて、何も持っていなくって でも実は一番すごいものを持っている人で その青ちゃんが持っているものは、鏡みたいなもので 自分の欲しがっていた言葉を すんなりと与えてくれたりもするのに 違う場面では、自分の汚い部分・見たくない部分を 見せ付けられるようで悲しくなってしまったりしました。 その悲しさが一番出ていたのが 主人公サトが、青ちゃんの留守中に一人で ワイシャツやスカートにアイロンをかけながら 悲しいような気持ちになったと言っていたのに 笑ってしまったところだと思いました。 ‘スカートを履く男’という主人公から 人種差別だとか大きな問題を考えてしまったり 「人と違うもの」に対する気持ち そういう疑問を投げかけるような作品だと 思ったりする人もいるかもしれませんが 私はとてもシンプルな恋愛作品ですんなりと読め 自分の恋人に対するこれからの気持ちを ゆったりとじっくりと考えさせてくれた 私にとっては、そんな作品です。 追記:主人公サトが初めて買ったスカートは 黒のロングスカートだったのだけど 私の頭の中では、ずっと白いシフォン地の フワフワしたスカートが浮かんでいました。 関係ないんですけどね! |
たまごやき |
|
2004年07月16日(金) | |
えっ、どうして?あの作品、ワンスモア!と思っても「それが叶わなくて・・シルベスタスタローン」ってことがあるわよね?ウン、それ、それなのよ。それが私にとっての「たまごやき」なのよ。 ねぇ、読んでみたいと思わない?うん、読んでみたい、僕読んでみたい!世界中からたくさんのリクエストが集まっております!(ニュースキャスターのマネをしつつ) そう、いつだって青パジャマ。 ----------------------------------------------- たまごやき(掲載ストップ中) 小説というのは読み終えた後に人それぞれに違った感動を与える事がある。 感動というのは、素晴らしいものに接して心を奪われることであって、その素晴らしさの感じる、というのは読書に限らず、人それぞれに許された個々の感情の特権である。その特権を充分に堪能できる作品。 「はやと」という存在を、目に見える形ではないものの、人は誰しも持っていて、その存在がないと人の感情は外側に発散される一方になる。そしてそれはいずれ「暴走する感情」と名づけるのにふさわしいものになる。母を失った絶望感を、また、父から受ける暴力を、収束する場所が「はやと」であったのではないかと思う。収束しすぎたのち、有限確定の値に近づきすぎて、発散を強いられる。その発散を後悔する・・というのは、人生の中でそう少ないことではない。 たまごやきの甘さ、色、ひらがなの不規則な集まりから生まれる文体の柔らかさに相反して、限界の収束から生まれる息苦しさをより強く感じる。対極にある二つのものを、子供の口調で淡々と書き続けているが為に、概念に邪魔されず、子供の頃の自分を重ね、読み手一人一人が全く別の感動を生み出す。 最後に現実に戻るきっかけを作者が与えてくれたのは、個人の感動の自由への配慮なのかもしれない。そして、その感動を元に、読者が物語のその後に各々の思いを巡らし続ける事が出来る。 |
かなしみはオレンジの匂い |
|
2004年07月15日(木) | |
どうしてもまた読みたくて、菅原氏に我儘を言って掲載していただいた「かなしみはオレンジの匂い」の感想文です。ん〜、もう、マイッチングなくらい好きです☆オレンジが食べたくなりますよね・・夏。私のもっとも好きな作品のうちの一つなんです。 そもそも、感想文っていうか・・コレじゃあ「あとがき」だよ!お前何様!(白目)みたいな感じだけど、ノンノン・ノープロブレムです☆な、なによ!あんまり見ないでよ!そう、だって私は赤パジャマ。 --------------------------------------- かなしみはオレンジの匂い 書き手のセンスが優れていると、ただの場景描写ですら物語になる。 光と香りの表現力は、もはや彼独自の「強烈な個性」という以上の適切な言葉が見当たらないほどである。 オレンジとみかんの語感の差、そういうちょっとした言葉に敏感に反応する登場人物の中にも、作者の研ぎ澄まされた感性を感じる。 決して長い話ではないのにもかかわらず、終盤に「人生はほんのりと悲しみに満ちている」という部分に差し掛かると、恐ろしいほどすんなり、まるで元から自分の心の底にあった感情だったかのように、胸の奥から引き出されてくる。そして自然とオレンジの香りで満たされる。 自分の記憶にあるオレンジの香りを確実に再現してくれるのだ。 ただそれは、決して自分の意思ではなく作者の意図である。 現代人のせわしない日常生活の中ですら、たくさんの「小さな幸せ」を感じるとれるであろう瞬間が散りばめられている。 そういう日常の小さな幸せを見つけよう、と思えるきっかけになる作品。 |