2005年08月31日(水) |
現状認識・弾き語りレベル編 |
歌。 弾き語り。 基本は、歌いたい人が、楽しんで歌えばいいと思う。
わたしは、 「歌を歌い、人に聴いてもらいたい」。 そういう願いがある。 けれど、聴いてもらうレベルに達してない。 そういう気持ちも、とてもある。
もちろん、プロじゃないんだから、 とことんは無理だろう。 能力の問題はある。 それでも、人様に聴いてもらいたいなら、 もっとレベルupが必要で、 そのための努力がいると思う。
その聴いてもらうシチュエーションにもよるが。。
なのに、ちっとも前にすすめていない。 つらい。 でも、自業自得だ。
心の中でうずまく言い訳をけちらし、 今まで励ましてくれた人たちに 「ありがとう」と「ごめんなさい」を 胸の中でつぶやきつつ、 日常であっぷあっぷしてる。
夢の縮小もやむをえない現状だ。 でも、気持ちはそれに抗ってる。
わたしは、かなり「仕事人間」かもしれない。 でも、がむしゃらにやってきたわりには、 あまりチカラがない。
がんばる過程も大事だけど、 結果を出すのも必要だ。
「勤務時間内で、すぱっと終わる仕事ならよかったなあ。。」と 本音がよく顔を出す。 時間は限られているので、 ただでさえ下手くそな楽器練習時間などが、 なかなかとれないからだ。
全く夢と折り合いがついてない。
一時は、仕事のスキルupをおろそかにしようか。。と ちらりと思ったことがあった。 「お金をかせぐためだけに、わりきろうか・・・。」と。
でも、休業中に考えた。 やはり、夢はみたい。 責任も果たしたい。
もう一度再出発する気で、仕事に復帰した。
縮小するのは、夢のほうだ。 それか、強靱な精神力で、仕事も夢もやりとげるかだ。
よく「女としての自分」みたいな言い方をする。 妻と母の役割ばかりで、「女として」は、どうのこうの。
いつも疑問に思う。 そういう言い方をするときの「女」って、いったい何だ? 「妻」「母」も女だろ? へりくつこねたいわけじゃない。 素朴な疑問だ。
たぶんそういうときの「女」って、 「妻」「母」みたいな立場という名のオプションを はずした時の「女」なんだろう。 けれど、そこには、なんとなく「男」との関連が、 背景についてきてる感じがする。
それは、言い換えれば、 「男」という立場からみれば、 「女」の特徴が際だつので、わかりやすいのかもしれない。
前置きが長くなった。
わたしは、「『女』としては魅力がない」とずっと思ってきた。 詳細ははぶくが、容姿しかり。内容しかり。
今思い返せば、そのこと自体より、 そう感じることからくる内面のゆがみが 問題だったかもしれない。 でも、既婚者となってからは、 そのへんに意識が行くことがあまりなく、 それはよかったと思う。
不思議なことに、このネット世界に出逢い、 歌好きの自分を取り戻した。 実年齢がかわるわけではないが、 若い頃の自分が一部よみがえった気がする。 それは、とても楽しいことなのだが、 同時に、若い頃のマイナス感情(コンプレックス)も、 同時に呼び戻してしまったようである。
それは苦しい部分もあったが、 「そこまで思うんだったら、努力してかえるか、 開きなおるか、どっちかにしろ!」と 気づくことができた。 そして、ある程度、努力できた部分もあったと思う。 例えば、dietもそう。 あと、 メイクは下手でも、スキンケアはそれなりに・・・とか(笑)
わたしは、俗にいう「女らしさ」に欠けるところが もともとある。 でも、妙なところは、やけに女っぽくて困る時がある。 (マイナス面で、女っぽい)
時々、性別が重荷に感じ、 性別をとりはらってしまいたい時がある。 男になりたいわけじゃなく、「人と人」として、 人と関わりたい気持ちだ。
それでも、「女っぽさ」に対する憧れのようなものが、 どうも心の奥に深くあるようだ。 その部分は、もてあましぎみなので、 できれば創作に昇華するとかプラスに転化できればいいと思う。
たぶんその深いコンプレックスは、 ある程度満足できる作品を生み出すことができたら、 きっと抜け出せるんではなかろうか。 そう思っている。 だから、死ぬまでに、 無名でもいいから、自分が納得いく作品を 生み出したい。
作品? それは、詩(詞)? 曲? 何になるだろうね。
わたしは、あんまりいいおかーさんではない。 子どもへの関わりも、あまり上手ではない。
別に卑下してるわけでなく、そういう現状だ。
関わりにむらがあり、義母のおかげでなんとか子育てしてる。 ちなみに、これは、 「仕事してるから、できてない」というわけではない。 仕事をしていても、限られた時間の中で、しっかり関われてたら いいと思う。 そういう人は、たくさんいるはず。
自分の夢ばかりみて、 よい母のイメージが薄いように思う。 たとえ「よい母」でなくても、 それをめざすというような。。
それでも、どこか、 これではだめだ、というあせりがある。
でも、ある程度、気をぬいているから、 精神状態がもってるのかなあ?という気もする。
たろ吉をプールに連れていった。 たまには、いいこともしたい。
Diaryに書いてた5冊の本のラインup。
「さおだけ屋はなぜ潰れないのか? ~身近な疑問からはじめる会計学」(山田真哉 著 光文社新書) 「オニババ化する女たち ~女性の身体性を取り戻す」(三砂ちづる 著 光文社新書) 「子どもが育つ魔法の言葉」 (ドロシー・ロ・ノルト/レイチャル・ハリス著 PHP文庫) 「親にも先生にも言えなかった・・・子どもの心」 (二木 克明 著 1万年堂出版) 「孤独のチカラ」 (齋藤 孝 著 PARCO出版)
齋藤孝氏の本以外は、以前にどこかでタイトルを見て、 「気になるなあ」とチェックしていたものばかり。 思い切って買ってしまった。 齋藤孝氏の本は、他にもたくさんあって、どれも読みたかったが、 キリがないので、一番気になった、これにした。
「孤独のチカラ」は読了。 今、3冊を平行して読んでいる最中。
「孤独のチカラ」を読んで、 「これだ!」と自分に結びつけたい1フレーズ。
2005年08月23日(火) |
たわごと ぱぁと4(ひさびさキーファー 編) |
おお!会えるのね!
2005年08月22日(月) |
たわごと ぱぁと3(弾き語り道 編) |
なんて難しいことなんだろう。
2005年08月21日(日) |
たわごと ぱぁと2(中島みゆき 編) |
昨日に引き続き、ずいぶん前に録画した番組を見た。 何をみたか、というと、
2005年08月20日(土) |
たわごと ぱぁと1(尾崎亜美 編) |
たわごとシリーズ。
ずいぶん前に録画した、尾崎亜美夫妻のでてた番組を見た。 トーク番組だったけど、1曲だけ夫婦共演シーンがあった。 で、思ったこと。
ほっとした。 日常のありがたみを、しみじみ味わっている。
いいたくないと思う言葉。 いいわけにしたくない言葉。
夏の休暇。 よくばらないで、シンプルにしたのがよかったようだ。 帰省先に持って帰った本3冊、読了。 後は、ゆっくりした。 あれをしよう、これをしよう・・・。 その気持ちは、とりあえずおいといて休んだ。
それは、必要なことだったんだろう。
あえていえば、 「『自分のしたいこと・すべきことリスト』」の 整理ぐらいはしときたかったな。
たいてい、夏の休暇には帰省する。 その時に、何をしようか、欲張ってしまう。 昨年は、
たろ吉のバースディ。 何回も迎えてるけど、 なぜか今年は、心がはずまない。
もちろん、祝ってないわけじゃない。 でも、今までより淡々としている。
そういう自分が、なんとなくいやだ。 強烈にではないが。
そこはかとなく、嫌気が漂ってる。 自分自身に。
夕方16時半頃、やっとじろ吉が寝てくれた。 他にも条件がよかったので、チャット部屋開けてみた。 ギターかかえて、歌ってみた。20分ほど。
いつもなら、お客さんがいなくても、歌えてうれしい。 でも、今日はちがってた。 歌にたましいが入ってなかった。 いや、それ以前に歌えるよろこびが、ほとんど感じられなかった。
やっぱり、精神が夏ばてかなあ。。 決して落ちこんでるわけじゃないけどね。
いろんなことをあきらめすぎて、感性が麻痺したかな。。
加速する孤独感。 何かにうちこむしかない。
気持ちが、食べ物にむかうと
誰だって自分の持ち場でがんばってる(と思う)。 わたしもそう。
最近は、いろいろ学んでいる。 必要性にせまられてだけど。
けれど、分野が多岐にわたって、 頭がパンクしそうだ。
んじゃあ、もうちょっとマイペースにするとか、 範囲をしぼるとか、そうしたらいいと思われるだろうけど、 そういうわけにもいかないわが状況。。。(自爆)
書くということ。 これって、体力いるよなあ~、とふと思った。 肉体の体力というより、
2005年08月02日(火) |
「心遣い」を学ぶ。(じろ吉編) |
最近あった話。 じろ吉の話です。
保育園で。 誰か、泣いていたらしい。 すると、それを見たじろ吉。 その泣いてる子のところに、てこてこと行き、
みなさま。 ありがとうございます。 おかげさまで、一周年を迎えることができました m(_ _)m
HPの運営。 時に、“どうしようか”・・と迷うことはあります。 でも、基本的には、
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