たとふれば こころはきみに よりながら

2004年07月31日(土) 音楽教室のゆくすえ

 おちびを音楽教室に通わせている。
 今、たろたろが通っているが、じろちゃんもそのうち通わせたいと思っている。

 たろ吉は、この秋から次のクラスに進む。というか、本人の意志関係なしに申しこんだ。
 けど、練習とかもしなきゃいけなくなるし、ほんとに続けられるか、全く自信がない。
 無理にさせなきゃいけないもんでもないとも思うし、ある程度は親がさせる面もあってもいいかなとも思う。

 問題なのは、ちびに習わせつつ、自分の願望がまじってるあたりだ。
 「もっと早くから、pianoをやっておきたかった。」
 「ああ、幼少から10代にかけて、もっと訓練しておきたかった。」
 そういう自分の願い。
 ちびたちはちびたちで、今無理に音楽教室に通うことがプラスになるかどうか、わからないのに。
 本当は、pianoかエレクトーンに進ませたいけど、あかんかったら、もう幼児科2年で終わらせようと弱気です。その幼児科も続くかどうか・・・。

 自分の夢とちびたちを混同したらあかんよ。と迷う自分の声をききつつ、いけるとこまで行って見ようと思う、かーさんひぐらしです。



2004年07月30日(金) バイオリズム

 むかーし昔、「バイオリズム占い」なんてのを見たことがある。
 本屋の会談の踊り場に占いの紙がでてくる機械があったような記憶がある。
 
 そういうのってあるんだろうな、とふと思い出した。

 先月、「ああ、これ以上(気持ちが)落ちるとまずい。」と思ったことがあった。
 その前を振り返ると、4月のじろちゃん誕生で最高に気持ちが高揚し、その1週間後過ぎに、めいった。もやもやしているうちにまた少し持ち直し、でも、不安定な感覚のまま、水無月半ば。

 必死にもがいて持ち直した。
 7月は、わりきりもよく、元気だったのにな。(ひどい夏風邪はひいたけど)
 月末をむかえ、またするするすとん。

 バイオリズムかな。
 ふと、心をよぎった。
 リズムのせいだと思えば、いいのかもしれない。
 バイオリズムなら、落ちるときもあるけど、必ず浮上してくるときもあるのだから。



2004年07月29日(木) 減量大作戦

 4月から減量している。
 なんとか目標の3分の1を達成といったところ。
 少々、頭打ち状態。
 昨日の夜から、まず食べる前に、食べる分をとりわけ、それ以上は食べない作戦をたててみた。
 とりあえず、今朝は成功。
 ちょっと、続けてみよう。



2004年07月28日(水) うちの「お地蔵さん」

 息子「じろ吉」は、3ヶ月の赤んぼう。
 髪が短く、逆毛とかは立っていない。
(ちなみに、兄「たろたろ」は、同じ頃、髪が伸び、逆立ってた)
 そのじろちゃんの姿は、お地蔵さんそっくりだ。
 地蔵盆が子ども主役なのも、お地蔵さんがよだれかけをしてるのも、なんだか勝手に納得。

 信仰心が特別深いわけでもないけど、お地蔵さんのようなじろちゃんの世話を日々していると、癒しを感じます。



2004年07月27日(火) 「夢」と「実現」のはざま

 いろいろ、つらつらと「夢」をweb上で語っている。
 そういう自分を、ふと「へんなやつ」と思うことがある。
 例えば、「歌姫になりたくて」なんて歌を書いたけど、とりようによっては、笑いものだと思う。いつもそんなふうに思うわけではない。もともと、「歌姫になりたくて」は、子どもの頃思い浮かんで頭を離れなかったフレーズがもとになっている。子どもの頃の夢だから、それほどばかにすることもない。
 けれど、「今の夢」だとすれば、どうだろう・・・。

 「『歌姫』になりたい」と願うには、実力がなさすぎなのだ。
 子どもの頃の夢ならともかくとして。
 切に「『うたうたい』でいたい」と願う反面、自分にとっては、ほんとは分不相応な夢だな、と苦笑する時がある。

 いろいろとやってみたいことはある。
 音楽関係に限らず。
 けれど、時間は限られている。
 「自分の限界までがんばれよ」と自分自身をはげます反面、もっと夢を縮小して願いのレベルを下げろよ、という心の中の声がする。

 落ち着いて暮らせよ・・・と思う反面、心のどこかであせりも感じる。
 人と比べることは、極力減らした。それは成功しつつある。
 けれど、自分の中の夢と現実の折り合い。
 分不相応な「夢」が多くて、とまどっている。



2004年07月26日(月) Bill Evansによせて

 昨日、松永貴志について書いたので、jazzつながりで。
 
 松永貴志についての情報を検索していたら、Bill Evansについてのリンクを見つけた。
 早速見てみた。
 あらためて彼の経歴をみて、心が動いた。
 本当に彼は、死の直前までステージにいた。
 そのことに深く心動かされる。
 
 Bill Evansとの出逢いは、学生時代だった。
 音楽サークルで、ギターもpianoもドラムもなんでもこい!というマルチな才能をもったN君が教えてくれた。
 もうひたすら、夢中になった。
 特に「Waitz for Dabby」は、無謀にも自分で弾こうと何度もしたぐらい好きだった。もちろん今でも好き。

 「一枚の絵のような・・・」という表現が、昨日見つけたサイトにあったけど、本当にそう言ってもおおげさでない。
 リリカルなpiano。躍動的なpiano・・・。

 あらためて、pianoとBillが恋しくなった。
 近いうちに聴こうっと!



2004年07月25日(日) Jazz ピアニストとの出逢い(松永貴志)

 先日、松永貴志の演奏をTVで見た。
 どこかでかすかに彼のことは聞いたことあるような気がしたが、演奏を聞き、そして目にするのは初めてだった。
 まず、第一印象は「なんて楽しそうに弾いてるんだろう!」だった。
 それから、トークも聞いたが、とても楽しいおしゃべりで、個性的だった。
 彼の曲で、「にゃーにゃーダンス」という曲がある。その曲の誕生エピソードがなんとも面白かった。
 ある時夜道で猫に出会って、その猫相手に「にゃーにゃー」と1時間ぐらい遊んでいた、その思い出らしい。
 なんとユニークなっ!
 受け取りようによっては、へんなヤツかもしれないけど、わたしは気に入った!
 しかも、pianoそれもjazzでそれが表現できるなんて!
 思いっきり憧れてしまうっっっ!

 ハービーハンコックに「君に教えることはもうない」と言わせた、若き天才ジャズピアニスト松永貴志!
 うーん、目が離せないっ!

 そういうアーティストにまためぐり合えてしあわせだぁ♪



2004年07月23日(金) 「気」のパワー

 昨日、エアロの先生から面白い話を聞いた。
 マタニティビクスのレッスンをあちこちで受け持ってるインストラクターの先生なんだけど、いつも話がおもしろい。
 そのエアロの先生が勉強のためでた、気功のクラスの先生の話らしい。

 妊婦さんのおなかのあたりには、「気」が満ちてるそうだ。
 その気功の先生によると、そんなにおなかがめだたないころでも、おなかあたりに「気」が満ちていて、見えるそうだ。

 雨上がりの日、樹木のまわりには、地面からの「気」が上がってきていて、それが満ちているそうだ。その時、気功の先生は木の側で両手をひろげて、その「気」を感じるそうだ。

 「そこまでしないと見えないのね〜。すごいよね〜。」とエアロの先生は言っていた。わたしも同感。
 達人はものごとを極めてるなぁ、と感心した。
 それと、「気」というか、オーラを見てみたいと思う。
 見えはしないけど、そういう「気」というのはあると思う。
 
 もともと、この話は、「臨月を迎えた妊婦は、パワーに満ちている」という話からだったんだけど、それは心あたりある。自分の経験でね。
 きっとお産ってたいへんだから、それにむけて本能的に体と心が準備をするのかもしれない。
 そして、お産に限らず、「気」のパワーってあると思う。
 生命エネルギー。
 見てみたいなぁ。
 見えなくても、最大限引き出してみたいな。



2004年07月22日(木) ネガティブな思いについて(「晴日のひとりごと」より)

 わたしが長く応援してる相曽晴日さんのファンクラブHPに、「晴日のひとりごと」というコーナーがある。
 このコーナー、背景がピンクで、晴日さんのエッセイという感じなんだけど、晴日さんのお人柄がほんわかあらわれていて、いつもほっとする。

 そのほんわかの中にも、どきりとする話題、つまり考えさせられる話題があって興味深い。

 最近、心にとまった話題。
 「意地悪な気持ち。」というタイトル。

 その中で、印象にのこったことは・・・。
 「自分から発した『ネガティブな思い』は自分に戻ってくる・・・」ということ。
 なんだか、心当たりあるよなぁ〜と身にしみた。
 後ろ向きになる気持ちや、誰かに対してよくは思わない気持ち。
 そういうものは、確かに自分を決して明るくはしないし、いもづる式に悪しき感情・思いを引きずり出すように思う。そして、そこからは大抵いいことは起こらない。そうして意地悪になってしまったりしたら、人を傷つけることはもちろん、自分も心のうちが濁ってしまう。そう感じることは今までにあった。

 「無意識でも微量でも、悪意の毒はまわる・・・」
 これも同感。
 自分が出す毒、自分に向けられた毒・・・たしかにそうだ。

 そして、一番うなずいたのがこの事。
 「『意地悪をやめる』のではなく自分の心の何に反応して「意地悪」として出てきたのかをつきとめなければ、きっと無意識の「意地悪」は続く」
 うんうん。
 きっとそうだ。
 「意地悪」になってしまうのは、自分の心の奥底に何かがあるからだと思う。
 そして、その自分の奥底の気持ちときちんと向き合ってみたら、そこに自分の「本当の願い」が眠ってたり、うもれてたりする。
 そう思う。
 それが、たとえばうまくかなわないとき、不満になって、形をかえ、「意地悪」となってあらわれることってあると思う。

 いつもうまく自分をコントロールできるわけじゃないけど、「ネガティブな気持ち」が頭をもたげたら、それを受け止めつつ、「本当の願い」に耳を傾けてやりたい。それは自分にしかできないことだから。
 そして、できるだけ、前向きにその気持ちを方向づけてやりたいと思う。
 「アクティブな思い」も自分に帰ってくると思うから。
 それが、人との関係もほどよくつないでくれることもあるかもしれない。
 結果的にね。



2004年07月21日(水) 歌いたい。

 「歌いたい。」
 心の中を、この想いがかけめぐっている。
 ただ歌うなら、時々歌ってる。
 例えば車の中で。または、自転車に乗っていて、人気のない時をみはからって・・・とか。
 でも、それじゃあ足りない。
 改まって歌いたいのだ。
 そして、聴いてもらいたいんだ。

 ア・カペラすらもままならないけど、ほんとのホントは、弾き語りをしたい。

 歌いたい曲はどんどんあふれてるのに、練習時間がとれず、歌いたい気持ちに実働が追いつかない。
 今までの歌をよりみがきあげるか、新しいレパートリーをふやすか、迷うばかりで時間が過ぎていく。

 あせる気持ちは正直ある。
 でも、受け止めつつ、「しゃあないやん」と自分をなだめる。
 なんとか時間をつくろうともがきつつ、なかなかできないまま、日々過ごしている。
 じろ吉の生活リズムを整え、なんとか時間をキープしたい。
 その目標を持ちつつ、水面下の水かきに忙しい。
 
 



2004年07月20日(火) 「たろ吉」と「じろ吉」

 さて、そろそろ、「つれづれ」も更新するかぁ〜。
 もう病み上がりでもないしね(笑)
 ネタはいっぱいあるけど、とりあえず、今日は「子どもネタ」。
 
 タイトルの「たろ吉」と「じろ吉」。
 これは、息子たちの仮名です。
 下の子をときどき、「○○吉」と呼んでしまうときがあるので、こんな仮名を思いついちゃいました。
 にーちゃんのほうは、「たろたろ」、弟は「じろちゃん」と呼んでます。
(本名で、こんな感じの呼び方をしてる、ってことね。笑) 

 たろ吉のほうは、もうすぐ4歳です。
 もう誕生日まで、1ヶ月をきりました。
 8月8日生まれという、めでたい(と祖父母が言う)日に生まれました。
 一度言ったことは、よーく覚えていて、突然そのことを言い出すので、うっかり約束はできません。

 その例を、ひとつ。

 ある日の夜、とうもろこしがあったので、あした保育園から帰ってきたら食べられるように焼いといてあげよう、と約束していたのでした。
 けれど、すっかり忘れていて・・・。
 帰ってきてから、「とうもろこしは?」
 ただでさえ忙しい夕方、とうもろこしを焼くのがたいへんでした(笑)

 さて、じろきっちゃんのほうです。
 じろ吉も覚えやすい日に生まれました。
 エイプリールフールな男です(笑)
 まだ、赤ちゃんなので、日々おもしろいです。
 義母は、「いやしのじろちゃん」と呼んでおります。( ̄ー ̄)

 母方のじーさん(要は私の父)にそっくりなじろちゃん。
 最近では、こぶしを口の奥に入れすぎて、「おえっ」といっております。
 加減しなさいっ(笑)
 もうちょっとで寝返りしそうないきおいで、動いております。
 2人目のせいか、にーちゃんのときにくらべ、世話がしやすい。
 要求がよくわかる子でございます。
 
 これからの時代。
 なんだか生きにくそうに感じることが多いです。
 2人の息子たち・・・たくましくしなやかに育ってほしいなぁ、と思うきょうこの頃です。



2004年07月19日(月) ロングヘア

(本当の記載日は、7月20日)

 このコーナーは、日記を利用しているんだけど、過去日記も記入が可能なので、書いてみることにした。「つれづれ」コーナーは、本来なら、「エッセイ」と銘打ちたかったけど、そんな立派なものは到底書けないので。(笑)

 さて、今回のお題は、「ロングヘア」。

 長い髪って、好みもあるけど、わたしは好きだ。
 「歌姫」なんて言うと、長い髪でいてほしい気がする。
 歌うたうのに、髪の長さなんてホントは関係ないし、髪の短い「歌姫」だっているだろう。
 でも、わたしのイメージは、「歌姫」=「ロングヘア」。
 その独断的なイメージからすれば、中島みゆきやCoccoはぴったりだ。
 髪だけが「歌姫」を感じる要素ではないけどね。この2人。
 Coccoが、長い髪をほしいと思った理由はおもしろい。(今は略。またどこかで語りましょう。)

 閑話休題。
 歌姫談義はさておき。

 わたしは小さい頃、髪が長かった。
 で、その頃の写真をものごころついた頃みて、自分でかわいいと思った(笑)。
 でも、幼稚園の頃、先生がたしか家庭訪問で、短い髪のほうがいい、と言った。
 理由は「活動するのにじゃまになる」
 今、思えば、「そんなことよく言うなー。どんな髪だろうと自由だろ!」と思うんだけど、当時は、親に切られてしまった。いやともいえず。。でも、とてもいやだったのは、よく覚えてる。
 それからのわたしは、かわいくなかった。
 まぁ、今思えば、別に髪が長かろうと、短かろうとたいしたことなかったんだと思うが、結構、容姿コンプレックスの強かったわたしは、「あの時、髪を切られなかったら・・・。」なんて思ってた時期もあった。
 今、思えば笑っちゃうけど、子どもって、何を考え出すかわかんないよねぇ。

 再び髪を伸ばすことができたのは、高校生の頃。
 いくらがんばってブローしても、くせがつかないほどのストレートだった。
 「髪だけはきれい。」
 それは、密かな自慢だった。口には出さないけど。
 で、その髪をきれいだと愛でてほしかった。
 誰に?
 それは、好きな人に!(大爆笑)
 これも今だから笑っちゃうけど、大真面目だった。
 そんな多感な時期?(まだ笑ってしまう)だったから、髪を切るなんて時は、それなりの感傷・思い入れがあった。
 古典の時間に出てきた「源氏物語」で、女の人が世をはかなんで尼になるとき、髪を短くして仏門に入る・・・そういうエピソードになんかひっかかったりして。
 髪を切るときは、失恋に限らず、なにかをすぱーっと思い切りたい時だったな。

 それ以降は、伸ばしたり切ったり、あまりそれについての思い入れはなかった。
 「そろそろ伸ばしてみようかな〜。」
 「痛んだから、切っちゃおう〜。」
 ただ、ステージに立つときは、「ほんとは長いのがいいなー。」と思ってたり、あと結婚式の時に、もう少し長かったらよかったな。なんてことは思った。
 ここぞ!というときは、自分の長い髪でアレンジしたいのだ。

 そして、ちび(兄)出産にむけて、手入れできない〜ということで、短くしてしまった。それ以降、特別なことはしないつもりだった。
 しかーしっ。
 時代はめぐるのである?
 なぜか、長い髪にこだわってみたくなった。
 ちび(弟)出産の前は、もう短くしなかった。あえて、長いまま残してみた。
 この長い髪にこめる思い入れは、今何だろう?
 恋するわけでもなし。
 ステージに立つチャンスがあるわけでもなし。

 長い髪なら「女らしい」というわけでもないが、なんとなく「おんなっ気」を取り戻したいのだろう。
 それと、見果てぬ「歌姫」への夢を見てるのかもしれない。
 それなら、髪にこだわるより、pianoでも練習しろよっ!(自爆)



2004年07月18日(日) 「つれづれ」に寄せて

(本当の記載日は7月21日)

 この「つれづれ」コーナー。
 おそらくこのHPの中では、「詩」のコーナーとならんで、一番自分が心をほどいていく場所になると思う。また、そうしていきたい。

 わたしは、あまり聞き上手ではないし、話上手でもない。
 もっと、人とうまくコミュニケーションできたらいいな、といつも思ってる。
 けれど、ユーモアやジョークのセンスはあまりいいほうではないので、努力しなけりゃと思いつつ、無理して、ぎくしゃくするのもよくないかなぁとも思う。
 まして、ネットの世界。
 顔が見えず、文字だけのコミュニケーションの世界。
(ボイスチャットでは話せることもあるが・・・)
 無理をして、こじれた場合はたいへんだと思う。

 リアルな世界でも言えることだけど、もっと「聞き上手」にならなけりゃなぁ、と思う。
 しかし。
 「聞き上手」になるには、わたしはあまりにも「しゃべりたがり」である。(自爆)

 で、考えた。
 自分のHPという居場所で、あまり受けぐあいを気にせず、比較的自由に言いたいこと・思うことを出してみようと。
 そうやって自分を解放しといて、あとは人の話に耳をかたむけるスタンスで行動できたらいいかな。。と。
 そうはいっても、自分の言いたいことを言ってる場面が多いかもしれない。
 あくまでもこころがけ(笑)

 「つれづれ」は、自分のための「しゃべり場」です。
 でも、読んでもらって、そのことで、人とコミュニケーションがはかれたら、それはうれしいけどね。
 きっと素直に喜ぶでしょう(笑)
 



2004年07月12日(月) ポニーテールの位置

(本当の記載日は、7月28日)

 「パワーメイク」話と同系の話です。
 ここ数年、髪を短くしていないので、長いです。
 ということは・・・夏は暑いっ!
 そのままだと、この季節は過ごせません。そこで、髪を束ねるわけですが、その束ね方についてです。

 大抵は普通に束ねてました。無造作な時が多いです。
 でも、気合いを入れたいとき、しゃきっとしたいときは、ポニーテールにするのが一番です。首に髪がかからないのは、涼しいという利点もあるし。
 このポニーテール。
 髪を束ねる位置によって、少し印象が違うみたい。
 高い位置のほうが若くみえるらしい。
 どこでだったか忘れたが、むかーし仕入れた情報(笑)

 ちょっとおしゃれ気分とか、はつらつしたい時は、思いっきり高い位置で束ねます。だからといって年齢までかわるわけでもないんだけど。ははははは。
 結構気合い入ります。
 最近は、もっぱらポニーテールです。
 ただ、位置はいつも高いとは限りませんが。

 しかーしっ。
 髪が(というか地肌が)疲れます。
 髪をほどいた時の解放感ったら!(笑)
 ちょっと疲れたときは、無造作も採用するのです。

 緩急が大事だいじ。
 あははははははっ。  



2004年07月11日(日) 想いを馳せるひととき。

 時間がないので、つぶやきだけ。

 現実世界で地道にくらしながら、夢を見る。
 それは、ふとした瞬間だったり、ひとときだったりするけれど、笑ってしまうことに、意外とリラックスできるひとときがある。

 それは・・・。
 おむつを手洗いしている時(笑)
 
 夢とのギャップが、自分ではおもしろいと思っている今日この頃です。。



2004年07月10日(土) パワーメイク ?!

 元気を出すために何かする。
 いろんな方法があると思うけれど、“着飾る”ということは、そのひとつの手段だと思う。
 着る服によって、気持ちが改まることもあるのだから。

 若い頃はノーメイクのことが多かったけど、今は、たいていメイクする。
 特に最近、家にいる時でも、ベースメイクまではしておきたい。
 それでないと、洗濯物を干すだけで、顔が真っ赤になったりした。(それは、春先だけかもしれないけど)

 最近、いや、もう少し前からか、「キレイになりたいっ!」とかなり強力に思ってる。昔から、思っていなかったわけじゃないけど、「まぁ、いいや・・・。」と心がだらーんとしていた時期もあったし。
 もともと、容姿にはコンプレックスが小さい頃からあった。よっぽど容姿端麗の人は別として、多かれ少なかれそういうものはあると思う。けれど、私の場合は、ちょっといきすぎたところがあったかな?

 いつからだったか、“落ち込んでるヒマがあったら、前向きになれよー”と、自分で思うようになった。容姿のことだけでなく。
 いつもそう前向きでいられるわけではないけれど、自分の気持ちのコントロールが効くうちは、前向きでいたいと思う。

 メイクもそのひとつかな?

 今日は、写真を写真館で撮るということで、髪もプロにきれいにしてもらってきた。メイクは、自分でしたけど、気合がはいるはいる(笑)
 と、いっても、もともと普段がシンプルメイクなので、気合がはいっても、たぶんフツーの人の普段なみ。

 できた写真の仕上がりを、スクリーンで見せてもらった。
 ぶ。
 なんだかなぁ・・・。
 ま、もとがもとだからな(笑)

 努力するだけしたら、あとは、“ま、しゃあないなっ。”の、おおらか精神で行こうっ。そしたら、結構、“極楽とんぼ”で生きていけるかも。
 それと、“思いこみ”のチカラは、いい方向に利用しなきゃ。
 ちょっとのメイクで前向きにくらせるなら。

 「思い込み」と「あきらめ(開き直りかな?)」を上手に使っていけたらいいな。メイクにかぎらず。



2004年07月09日(金) 『つれづれ』Start!

 HPの 「ひぐらしつれづれ」のコーナーのため、「Diary」コーナーとは、別の日記をレンタル。

 こちらのほうは、自分の思うことなどを書いた「つれづれ文」のコーナーにしたい。
 スタートする前は、書きたいことが頭の中にあふれていたのに、いざ借りると忘れている(笑)

 うまくいくかな。。。?


   INDEX  未来 >


higurashi

My追加