SS日記
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名を呼ばれ、榛名は振り向いた。
いつの間に近付いたのか。 背後に見るからに人の良さそうな笑みを浮かべた、少年が立っていた。 恐らく同学年だろう、背格好は榛名とさして変わらない。 眼鏡の奥の瞳が、穏やかに榛名を見つめる。
―誰だっけか
確かに見覚えがあるのだが、榛名は思い出せない。
「阿部君に、会いに行くのかい?」
返事がない事に、別段気を悪くした様子もなく、少年が尋ねた。 阿部が他校生で、何故彼が阿部の事を知っているか等気にならない程自然に。
「―別に。んなんじゃねぇよ」
榛名は拗ねた様に返すと、少年から目を逸らした。
「嘘吐き。今だって、電話しようとしてたんだろう?」
無意識に、手の中の携帯電話を、強く握り締める。
なんなんだ、コイツは。 妙に癪に障る。
「うっせぇ!」
怒鳴り声と共に、未だ笑顔を張りつけたままの、少年の顔を思い切り睨め付ける。
「嫌だな。八つ当たりするなよ」
少年は片眉を軽く上げるだけのリアクリョンを返すと、一歩、榛名に近付いた。
「八つ当たりはいけない。 いけないよ、榛名。何にしてもこの前のはやり過ぎだ。 バラバラにし過ぎて、人かゴミかもわからなかったじゃないか」
― 何 を コイ ツ は 言って るんだ?
この前―あの夜。
件の陸橋下。
光る刃―ナイフ。
人が。 服が。 全てが。
赤く、赤く、染まって。
目眩。 膝から力が抜け落ちて。 少年が、榛名に一歩ずつ近寄る―
ピルルルル
間抜けな、電子音が響いた。
手の中の携帯が、けたたましく自己主張を繰り返している。
我に返った様に、榛名は顔を上げた。
辺りを見回しても、そこにはもう少年の姿は無かった。
教室から昇降口へと続く廊下を榛名元希は歩いていた。 放課後の校舎はすでに人も疎らだ。 先日阿部が言っていた事件がマスコミから発表され、部活動が全面的に禁止された為だ。 当然、シニアチームの練習も再開の目処さえたっていない。 違う学校に通っている阿部ともあれ以来会っていなかった。 下駄箱の前、靴を履き替えようとして手を止めた。
(公園にでも呼び出すか?)
キャッチボールをするとでも言えば、阿部は文句を言いながらもきっと来るだろう。 そう思うと、それはとても良い考えに思えた。 急ぎ、鞄の中から携帯電話を取り出し―
―なんでオレはわざわざアイツの顔を見に行こうとしてんだ?
途端、顔を顰める。 よく分からない苛立ちが榛名を襲う。
近頃気を抜くといつも、いつでも阿部の顔が脳裏に浮かぶ。 その度、よく分からない苛立ちと痛みが榛名を苛んだ。
―何故なんだ。
きっと、阿部がいけないのだ。
タカヤが在るから
オレを見るから
タカヤが微笑うから
有り得もしない
叶う筈のない
夢を見せつけるから―
「榛名」
名を呼ばれ、榛名は振り向いた。
「殺人事件?」
余りに突拍子もない言葉に、オレは危うく口にくわえたポテトを落としそうになった。 目の前に座っている阿部隆也が、大して面白くもなさそうな顔で続ける。
「―殺人事件。続いてるらしいっすね」
それだけ言うと、黙々とナゲットを食べ続けるタカヤに少しだけ呆れた。 コイツは叔父が警官とかで、まだ世間に出回ってない事件も良く知っている。 もっとも本人は興味があるんだかないんだか。 いつも淡々と語るだけだが。
「―それで今日の練習中止になったのか」
納得した様に呟くと、タカヤが無言で頷いた。
今日は日曜日。 いつもの如くシニアチームの練習に集まったのだが、練習は中止で速攻帰された。 空いた時間を持て余して、半ば無理やりタカヤを連れファーストフード店で時間を潰していたのだが。
しばらくはいつ練習を再開するかもわからないと監督が言っていたのが、まさかこういう理由だったとは。
「いつも練習で使ってる土手。 一昨日のはあそこで見つかったらしいですよ。 陸橋の下辺りに、こう手足が切断された死体がオブジェみたいに置かれてたって―」
胃の辺りが熱を持つ。 沸き上がる吐き気に、口元に手を添えた。
― オレ は それ を ?
「元希さん?」
タカヤが訝しげに覗き込む。 柄にもなく、少し焦った表情に僅かに気分が浮上した。
「―こういう話、苦手でしたっけ?」
心配そうに聞く、口調はいつもより子供じみていた。
「苦手じゃねぇけど」 ―興味がないわけでもないけど
「メシ食ってるときにゃ聞きたくねぇな」
なるほど、とタカヤが頷く。
―まったく。 おかげでせっかく買ったてりやきバーガーがマズくなったじゃないか。
路地を曲がるとそこは異界だった。 真新しいペンキを塗られたばかりのそこは、常なら一人の浮浪者が住み着いている。 だが、今そこに在ったのは物体だけだった。 生きたまま両手足を切断され、達磨状となった浮浪者は、今はただ体液を巻き散らす壊れたスプリンクラーと化していた。 壁を染める赤いペンキに見えたものは、この男から噴き上がる夥しい量の血だ。
榛名は無言のまま、死体へと歩み寄った。 瞬く間に白かったシャツが朱色に変わる。
―神経が、焼き切れる程に熱い。
榛名はボールを拾う様な自然さで、水面へと手を伸ばした。 指先をねとりとした赤い滴が伝う。 紅を引く仕草で、ゆっくりと、その指を唇へと運ぶ。
触れた口元は、弧を描くかに歪んでいた。
「―寒ぃな…」
一人ごちる様に榛名は呟いた。 軽く肩を抱き、ふるりと身を震わす。 辺りも静まり返った午前二時。 別段用事もなく榛名は一人歩いていた。 夜、意味もなく出歩く事はすでに習慣となりつつある。 身を切る様に冴えた夜の空気を吸い込む。 肺を刺す痛みが心地好い。 誰も居ない空間。 夜の街は一人きりだと錯覚させてくれる。
―そんなこと、不可能だと知っているのに。
苦笑と共に息を吐く。
―ふと、前方に見える路地へと入る人影に気付いた。
何故そうしたのかはわからない。 知らず、その人影を追っていた。
―今にして思えば
どうして、この時
あんな凶暴な昂まりを覚えたのか
埼玉県M市は山と畑に囲まれた住宅地である。 都心まで一時間半程度という立地条件から未だベッドタウンとして人気を博している。 この長閑な土地で、今一番の話題はここ数ケ月間に行われた連続殺人事件についてだった。 ある者は手足を切断され路地裏に捨てられていた。 またある者は陰欝と繁る土手の草原に臓物を散らし死亡していた。 学生・OL・浮浪者・公務員。 共通点の見られない被害者達。 ただ深夜出歩いていただけで殺された彼等は、その異様な様相により同一犯によるものだと考えられた。 なんら解決への糸口すら掴めず、すでに四人を超えた被害者に警察も苛つき始めていた。 町には厳戒令が出され、毎夜見回りの警官が徘徊する。
長閑だった町は、俄かに騒然となった。
それは橙色に染まるグラウンドにおいて、酷く不釣り合いな光景だと阿部隆也は思った。
両脇を歪に白線で囲まれたグラウンドの中央、小高く盛られたマウンドの上に榛名元希が立っている。 榛名が背に宿す番号は『1』。 投手であり、エースでもある榛名がマウンドに居るのはごく当り前の事だ。 にも拘わらず違和感を覚える事が、阿部は幾度となくあった。 それはこんな血色の夕映えの中だったり、試合後の喧騒の中のほんの瞬間の事だったりするのだけれど。
そんな時、決まって榛名はここでない、遠くを見ている様に黒瞳を馳せ、その場に佇んでいた。
「―榛名さん」
焦れた様に声をかける。 が、返事は無い。 まるで息をする事すら忘れたかの如く、榛名は身動ぎ一つしない。
「元希っ、さん!」
怒鳴るように名を呼ぶ。 振り返り、僅かに目を見開いた後二、三度瞬かせてから榛名はにやりと口端を吊り上げた。 暴虐な程真っ直に阿部を見る、その姿からは先刻の違和感は消えていた。
「なんだよ?」
問われ、焦る。 何故声をかけたのか、阿部本人にもわからなかった。 思考が、白く染まる。
「―もう、遅いから。帰らないと」
無意識に口を吐いた言葉に、阿部はその理由を思い出した。
―そうだ、早く帰らなければいけない。 家へ。 安全な場所へ。
早く。
帰らないと 帰らないと 帰らないと 帰らないと
掌をじわりと汗が伝う。 冬の日は短く、空を闇が覆い始めていた。
「わあってるよ」
笑み、阿倍の肩を軽く叩くと、榛名は一人更衣室へと歩き出す。 その背を、一つ息を吐いてから阿部が追い―、無人のグラウンドにはただ捕り損ねたボールだけが残された。
2004年10月19日(火) |
空の境界(アベハル・パラレル) 序文 |
こちらのSSは『おおきく振りかぶって』のキャラによる、『空の境界』の世界観及び設定を使ったダブルパロディ・パラレルと為ります。 基本思考はアベハル。シニア辺りを基本にオリジナル補完が多いです。 式が幹也を愛する様に、阿部を愛する榛名が書きたかったというのが切っ掛けと結論なシロモノ。 個人的趣味と自己満足の極みですので、「キャラのイメージを損なわれた」、「理解出来ない」という方が多々いらっしゃると思われます。「ついていけない…」と思った瞬間にウィンドウを閉じることをお奨めいたします。
尚、こちらの話の設定は他の作品には一切反映致しませんのでご安心下さい。
それでは前文に代えまして、ご挨拶と諸注意とさせて頂きます。
2004.10.20. 斎 藤哉
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