2005年02月25日(金) 色々したりしてました。 |
久しぶりに書くなぁ。
実に規則正しい生活を送っていたため、ネットすらほとんどしてませんでした。
その間、いろんーーなことがありました。
バイトははじめの三日間は慣れずに苦痛を感じていましたが、
そのあとは仕事にも慣れ、
バイト先のえらい人に1300えんもする本物の石焼ビビンバを昼に奢ってもらったり、
(いままで食べていたのは、石焼「風」ビビンバだったんですね、、)
またまた別のえらい人に地方名物の駅弁をもらったり、
出張帰りの社員さんからおみやげのおかしをもらったり、
(もらってばっかだ)
ビーコン、初クラ、グラセン、新明国、など、辞書の略名を覚えたり、
宅急便係りになって、宛名書きをして、字がきれい、と褒められたり、
伝票整理をしたり、
両面コピーの仕方を覚えたり、
コピー機が紙詰まりを起こしても機械をあけて瞬時に詰まった紙を取り出せるようになったり、
どきどきしながら電話の受け答えをしたり、
アイスを食べながら仕事をしたり、
靴を脱いでいすのうえであぐらをかいて仕事に励んでみたり、
電子辞書のチラシを自宅残業をして作ったり、
社員さんの卓球練習会にまぜてもらったり、
さらにチャーハンをごちそうになったり、
さらにさらにパスネットを貸してもらったり、
毎朝駅の階段を一段飛ばしで駆け上がったり、駆け下りたり、
してました。
あるいは用もないのに高円寺をぶらぶらしたり、
シューズもラケットもなしに卓球をやろうと試みたり、
楽しみにしていたライブに、残業で遅刻して、目当てだったバンドを一つ聞き逃したり、
ipodがほしくなって、ビックに行ったらipodphotoがほしくなって、
でも結局入荷待ちだったので唯一在庫があったipodの20Gを買ったり、
ipodをゴム素材のケースにいれてポケットに入れていたらタバコの葉っぱまみれにしてしまったり、
タバコの煙で輪っかが作れるようになったり、
寝るときふとんじゃなくてコタツが定位置になったり、
目覚ましなしで6時代に起きられるようになったり、
部屋をワンシーズンぶりに片付けたり、
またもとどおり散らかしたり、
部屋にプロジェクターを設置してPVをエンドレスで流したり、
働いていたラーメン屋にいって、半額以下にまけてもらったり、
してました。
健全だ。
そういう生活も来週いっぱいでおわる(予定)。
さあて、3月はなにすっかな~!(やっぺさん、就活は?)
私は味音痴である。
吉牛と松屋の違いも
アクエリとポカリの差も
ペプシとコカコーラも違いも
実はよくわからない。(いや、並べて食べ比べればわかるかもしれんが…)
ついでにいうと、松屋の豚丼と牛めしの違いも大してないように思っていたりする…。
でも母はそれを越えて味音痴であることが判明した。
父が会社でもらってきたチョコを私と母にくれたので二人で食べていた。
ホワイトチョコと普通のチョコがあったので、
「ホワイトチョコのほうがすきー」といって私がホワイトチョコを選び取ると
「一緒じゃないの」と母。
「・・・違うだろーーー」と母の味音痴ぶりに驚愕したのでありました。
バイトはじまると一週間があっというま。
なにもなくてぼんやり時を過ごす一週間も、バイトバイトの一週間も、
どちらも振り返ると一日いちにちの輪郭がぼやけていく。
それがいやで毎日日記なり写真なりなんなり、記録を残すことを試みるわけだが、
本当に充実して過ごせていたら、そういうのは必要ないのかもなとも思う。
「今日は○○をしました」「今日は○○を見ました」「今日は○○について考えました」
って記録することで、なにかに言い訳してるんじゃないかという気もするのだ。
そのなにかっていうのは、未来の自分や、その記録を見てくれる人たち。
その記録を残すことが、未来に向けた言い訳のような気がしてくる。
でも、記録をのこすことをやめるわけにはいかない。
そう、あの日は○○をして過ごしたんだ、っていう証がないと不安になってしまうのだ。
それはなによりも、ほんとうの意味で、
一日いちにちを大切に、というか充実させていない、証拠なのかもしれない。
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無理に合わせようとしなければいいことに気付いてからは、すんなりとバイト先にも慣れた。
ときにはてきとーにがんばるくらいがちょうどいい。
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最後になりましたが、私も参加しているAVOTUのVISION Vol.002がアップされています。
よければご覧いただければ幸いです。
http://www.avotu.com/vision002/
2005年02月02日(水) 本気で猫になりたいと思った日 |
気をつかうのは嫌いだしあんまりできないし疲れるけど
気を使われるのはそれ以上に、だ。
むろん両方が合わさると、それはそれはくたびれる。
そういうエネルギーが全国からあつまれば、
タワーの一つや二つは簡単にたってしまうくらいのものになるんじゃないだろうか。
そして猫みたいにぷいっとどっかに行ってしまったり放り投げたり
断ったりできない自分を見ると余計にいらいらする。
どこへもいけない。
中途半端に猫をかぶっているがゆえに本当の猫にはなれない。
あと、自分のペースが保てないときってほんと後で疲れる。
いくら自分のペースでやろうとしても、本音が伝わらずに困る。
からまわる。まさにどこにもいけない観覧車。ただ、観覧車は本来はもっと楽しいもののはずじゃない?
時間あるし仕事もあるんだから残業しますって言ってるのに
いいよいいよもう帰りな?、と気を使われる。
あれ。
違うのかな。よっぽど私が役に立ってないんだろうか。
猫の手以下なのだろうか。
はぁ・・・。
はやくどこかへ行きたい。
眠りたいのに眠れなくて
でも明日も朝早いから寝ないといけないのに
12時半にふとんにはいって、現在4時。
やはり、どこへもいけない。不毛だ。
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