小ネタ日記ex

※小ネタとか日記とか何やら適当に書いたり書かなかったりしているメモ帳みたいなもの。
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卒業
2011年03月26日(土)

 卒業はたった一人。









『こんなときだから…、ごめんね』

 ゆるしてね。
 常より細い声で、電話の向こうの女性は謝った。
 まだ冷たい風が吹く早春。何年も通ったクラブハウス前で、三上亮は出来るだけ優しい声を心がけ、返答する。

「いいえ。俺なんかより、どうぞ…ご家族のそばに…」

 どう言えばいいのか悩む時間は三上にはなかった。
 電話の向こうで三上に謝罪したのは、故郷と家族を失ったばかりの人だ。それも、三上の何年ものプロ人生を支えてきてくれた恩人でもある。
 現役引退の最後の挨拶に訪れた、元所属球団のクラブハウスは大変な騒ぎだった。日本列島をおそった未曾有の大震災。国内サッカーリーグの継続すら危ぶまれる状況は、まさに前代未聞だ。
 それが、三上亮の契約上の退団日だった。
 長年面倒をみてきてくれた営業の中年女性も、被災地に家族がいたらしくクラブハウスには不在だった。

「お忙しい中、俺のこと気にかけてくれて、ありがとうございました」

 スーツのネクタイの端を見つめながら、三上は心からそう思った。
 もう戻らぬ家族と対面したばかりと聞いた。その後に、退団する三上のために連絡をくれた。母親にも近しいその人と一緒に仕事が出来て、本当に良かった。
 本当の別れを知った人と、リーグ戦当面延期に忙殺されるフロント、今年の戦績や試合で頭がいっぱいの元チームメイトたち。三上はもうその輪に入れない。
 状況により、送別会をキャンセルすることになったと告げられても、三上に否やはない。
 未曾有の事態に、災害に遭わず家族も失っていない人間の感傷は後回しにしてもいいと思った。

「どうぞ、お元気で」
『ええ…三上くんもね。元気で、次のお仕事もがんばって。何かあったら連絡ちょうだいね』

 故郷や家族のことで大変だろうに、電話の向こうの彼女は三上のことも気にした口調だった。
 それには及ばない。その気持ちを隠し、礼を述べ、三上は彼女との通話を終わらせた。
 呼気で汚れた携帯電話の画面を手で拭き、スーツのポケットに戻すと、やわらかく晴れた空が見える。この事務所から続く玄関ポーチを感慨深く見たのは、入団式以来かもしれない。
 学生サッカーから始まり、プロになれて数年。三上は現役を離れることを決めた。
 まだプロとして働きたい思いがないとは言えない。けれど、離れざるを得ない理由のほうが大きかった。悔しいと、何度も思った。
 その最後の日が、これだ。
 誰かに惜しんで欲しいという気持ちもあり、けれどそれ以上に大変な出来事がこの国を襲ったという現実が、個人の上に覆い被さった。誰を責めることも出来ない。
 一歩踏み出すと、枯れ葉が端に溜まったタイルがじゃりと音を鳴らした。
 何かを感じるが、これを何と呼んでいいのかわからない。

「三上」

 そのとき三上を呼び止めたのは、朝別れたはずの婚約者だった。
 やわらかな頬に笑みを浮かべ、淡いベージュのスプリングコートのシルエット。重ねられた手の左薬指には三上が贈った指輪が光る。

「彩?」

 思いがけない登場に目を瞬かせると、彼女は公道の真ん中で三上を手招いた。

「帰りましょう」

 迎えに来た様子だった。
 わざわざ仕事を休むとは聞いていなかったことと、突然現れたことに驚き、何も言えずに彼女の前に立つ。
 二車線の道路には車はほとんど通っておらず、常より人通りが少ない。だからこそ彼女も、一番目立つ道路の真ん中に立つということが出来たのだろう。
 ぼんやりと近づいてくる三上を、微笑んだ彼女が迎える。
 白い手が、三上の右手を取り、包み込む。
 少しひやりとした柔らかい手。ためらわず三上の指輪を受け取ってくれた手だ。

「三上、…卒業、おめでとう」

 思ってもみなかった言祝ぎだった。
 現役を引退すると伝えたときは「お疲れさま」としか言わなかったというのに。
 けれど、すぐに気づく。これは卒業なのだ。三上亮というプロサッカー選手にとっての。また別の道を生きるための最初の儀式。
 そしてこれからは、この彼女と婚姻によって繋がれ、共に生きる。
 先ほど感じた気持ちの名を思い出した。寂しさだ。何があっても、たとえ目の前の彼女がいても拭えない寂寥感。渾身の力で駆け抜けた場所を離れるがゆえの。
 ああそうだ、自分は寂しいのだ。まだ未練があるから。
 誰かに惜しまれ、必要とされ、あの場所にいたかった。けれどそれを許されなかった。その三上亮としての感傷。タイミングにより仲間からの見送りを受けられなかった、人情としての寂しさ。
 学生時代、各自の進路を選んで離れた卒業式の気持ちとよく似ている。

「うまいこと言うな、お前」

 なんとか苦笑を作り、彼女の手を握り返す。
 ふふ、と穏やかな彼女の笑い声が桜色のグロスを塗った唇からこぼれた。

「これから先、まだ人生は続くんだから。卒業の後は、何かが必ず始まるのよ」

 彼女らしからぬ詩人のような言葉だった。
 それでも、彼女が三上の退団を後ろ向きなものにしたくなくて、精一杯言葉を選んでいることはよくわかった。
 この彼女と一生、共に生きていける。
 その事実が、この時間を幸福にさせる。
 共に生きる。今その言葉が、何よりも大切な言葉に思えた。



 卒業式を迎えられなくても、
 卒業おめでとうございます。

 どこかで必ず、あなたの卒業を祝う人がいます。
 春を迎えて、一緒に生きていきたいです。








*******************
 今回の小ネタもフィクションです。実際の退団がどういう状況なのか事実に基づいて書いているわけではないことを、ご承知いただきたく、お願い申し上げます。

 共に生きる。
 その言葉を繰り返し胸中でとなえ続けた二週間でした。

 災害に遭われた方々に、心からお見舞い申し上げます。

 そして卒業式を迎えられなかった方、卒業おめでとうございます。

 三上の卒業話は以前から考えていたことでした。
 何か組織から離れることを、「卒業」と呼ぶのは、私が前いた会社の習わしのようなものでした。
 前の会社も東北に支社があり、そこに家族がいる方がたくさんいました。今もかける言葉が見つかりません。

 関東にいた私は、地震発生直後電車内におり、ゆりかごのようになった電車内で、脱線してこのまま死ぬのではないかと咄嗟に思いました。
 しかし無事で一時避難所で夜を明かして自宅に戻り、二週間たってようやくPCを立ち上げることができました。

 一時避難所でしたが、思った以上にストレスフルな場です。
 いつ帰宅できるか・家族の安否は・今後は…等々、不安を抱えた人間が、ろくにプライバシーも確保できない場所に物資もなく、脚を伸ばすことすらためらいながら、じっとしているだけですから、想像はしてましたが想像以上でした。
 そんな都内ですらそうなので、長く被災地の避難所にいる方々が早く安心できる場所で寝起き出来るようになることを、心から願っています。
 決してラッキーな体験ではありませんでしたが、一時避難所での経験は、私の震災における考えの甘さを一掃してくれました。

 思うところたくさんあります。
 節電のためPC使用は遠ざかっていましたが、ちょっとでも和むための手助けは出来るだろうか、と悩んでいます。
 私自身まだ余震等々不安で、お話ものは書けるか不安ですが、リクエスト反映再録も含めてちょこちょこ更新して参ります。

 正直、首都圏でも計画停電で電車の本数が減る・業務の予定が狂う・計画停電の対応・原発の不安・買い占めによる物資の不足…などで、深刻な被災地でなくても、人々のストレスが募っている気がします。

 ちなみに。
 29日のチャリティーマッチ、行くべしとチケット狙いましたが買えず、ゾーン席分をそのまま募金しました。
 行ったつもり募金。
 メンバーだけで私は大興奮でした…。
 こんなときだけど、カズが自分の世代と混じって代表戦を戦うのが見られるとは! エンターティメントは、ひとときでも現実を忘れて笑顔になれるんだ! と思った瞬間でした。




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