小ネタ日記ex

※小ネタとか日記とか何やら適当に書いたり書かなかったりしているメモ帳みたいなもの。
※気が向いた時に書き込まれますが、根本的に校正とか読み直しとかをしないので、誤字脱字、日本語としておかしい箇所などは軽く見なかった振りをしてやって下さい。

サイトアドレスが変更されました。詳しくはトップページをごらんください。

日記一括目次
笛系小ネタ一覧
種系小ネタ一覧
その他ジャンル小ネタ一覧



解夏(笛/渋沢と三上ヒロイン)。
2008年07月16日(水)

 この夏が過ぎて、秋と冬を越えたら。








 この夏はじめての蝉の声が松葉寮の楓の木から響いている。
 梅雨明け宣言はまだ出されていない東京。かの男子寮の庭には、夏草が瑞々しい緑を精一杯天に向けて伸ばしている。
 水色の流線形が描かれたてぬぐいで頬被りをした女性が、その庭の草むしりにいそしんでいた。
 寮長の渋沢克朗は吐き出し窓からその丸められた背中を見て、思わず忍び笑いを漏らした。似合っていると言ったら、彼女は怒るだろうか。

「山口、ちょっと休まないか」

 振り返った女性に、渋沢は手に捧げ持った盆を見せてみる。淡い青の小さなグラスに、麦茶が入っているのが彼女にはわかったことだろう。
 長袖のTシャツとストレートジーンズ、そして軍手に頬被り。起ち上がってみれば、まだ若いその顔は、渋沢と同じ学校の生徒会長だった。
 まだ少女と呼ばれる年頃の彼女は、顎を伝った汗を軍手の甲でぬぐいながら、頬被りを取る。一つにくくられた髪の毛先が少しはねた。

「暑いわ」
「ご苦労さん。助かるよ」
「まったく、この季節すぐに雑草が伸びるんだから」

 自然界に文句を言いながら、彼女は渋沢が待つ吐き出し窓に腰掛ける。
 彼女が座った直後、絶妙のタイミングで渋沢が氷を浮かべた冷たい麦茶を差し出す。礼を言って受け取った彼女は、珍しく乱暴な仕草でそれを一気に飲み干した。

「おかわりもらえるかしら」
「はいはい」

 ほんの湯飲みほどの大きさしかないグラスに、渋沢は要求通り新しい麦茶を注ぐ。
 いくら相手が生徒会長とはいえ、伝統あるサッカー部の部長である渋沢がここまでおもねる必要はないのだが、今日は別だ。何といっても、この雑草が伸び放題の庭を何とかすべく奮闘してくれているのは、彼女なのだ。

「すまないな、明日はうちの者を手伝わせるから」
「しょうがないわ。グラウンドスケジュールの都合で、最近サッカー部練習忙しかったもの」

 かといって伝統校の寮の庭がここまで荒れ放題なのも問題だしね、と続けた生徒会長は、やっと小さな笑みを浮かべた。
 ご近所の目というものは侮れない。学校の寮だからこそ、あまり庭が荒れていると教育何たらと苦言を地域住民から寄せられることだってあるのだ。
 かといって寮の管理人は折悪しく体調不良、部員たちも夏の大会シーズンで多忙。そこで臨時庭師に立ち上がったのが、渋沢の横に座る山口彩率いる生徒会である。
 二杯目の麦茶をゆっくり飲む生徒会長は、渋沢が用意しておいたタオルで軽く首筋の汗をぬぐうと、ふと思いついたように口を開く。

「そういえば、三上は?」
「あいつならまだ寝てる」
「そう。三上も色々忙しいのね」

 何気なく言っているようで、彩が渋沢の同室者を意識しているのが渋沢にはわかった。
 何年も前に別れたとはいえ、元彼氏の動向を彼女が何くれと気にかけているのを渋沢は知っている。
 吐き出し窓に外から腰掛けている彩の横で、渋沢はあぐらをかいて座った。

「…あと半年ぐらいだな、卒業まで」
「そうね」
「どうするんだ、三上のこと」
「……………」

 高等部を卒業したら、彩と三上の進路は間違いなく離れる。渋沢はそのことを言った。両手でグラスを持っている彩が、小さく息を吐く気配が伝わる。

「…ちょっとは、楽になるかしらね」
「え?」
「卒業したら、私が楽になると思うのよね」

 渋沢はよく意味がわからず、少し首をかしげた。
 別れたとはいえ、まだお互いに未練があることは明白な友人たちだ。タイムリミットが近づけば、少しぐらい素直になれるかと思っていたが、違うのだろうか。
 渋沢の不思議そうな顔に向かって、彩ははっきりと苦笑した。

「やっと離れられるでしょう? 寂しくなるかもしれないけど、その代わりに、たぶん楽になると思う」

 彼のことで悩まなくて済むようになるはずだから。彩は落ち着いた声でそう言った。

「…もう嫌なのよ。三上に新しい彼女ができるたびに気にするのも、それを喜んであげられないのも。これでも、人並みに妬んだりうらやんだりするんだから」
「意外だな」
「外面良くするの得意だもの」

 かすかな自嘲を浮かべ、彩はグラスを軽く回し、中の麦茶の水面をくるくる変える。
 夏の匂いが濃い午後は、屋根も木も影が濃い。
 蝉の声はするがこの庭には二人の気配しかない。まぶしい太陽は、影以外の部分しか照らさない。

「離れたら、毎日会わなくなれば、素直に三上の幸せを祈れる気がするの」

 静かで真摯で、少し疲れの滲んだ声だった。
 夏の暑さが彩の気持ちまで切り取ったのかと、渋沢は思う。そんな心の奥深いところを滅多に見せる女ではない。

「今は祈れないのか?」
「目の前にいると、色々思っちゃうのよね。三上の嫌なところとか、嫌な思い出とか。でも離れたら全部思い出になるでしょう?」
「………………」

 小難しく考えたな、と渋沢は同年代の平均よりも落ち着いた雰囲気の友人を黙って見た。
 彩は渋沢を見ずに、手元のグラスの中をじっと見つめていた。汗ばんだ横顔がやけに涼しげに渋沢には見えた。
 そして悟る。彩はもう、三上と共に歩む道を放棄しているのだ。

「離れれば、それでやっと終わりにできると思うから」

 だからもう何も気持ちは伝えず、相手の気持ちも確かめず、このまま時間の経過と共にすべて思い出にする。彩の口調は確かにそう言っていた。
 生々しい傷の残る恋を続行させるより、きれいな思い出だけの彼の幸福を願う。それがどこか自分の想いばかり優先させた、独りよがりの痛々しさがあっても。
 友人の決断だ。渋沢にはもう止められない。止められるのは、ただひとり。

「…そうか」

 残念だな、という言葉を渋沢は飲み込む。
 とても今となっては言えない。三上と彼女の組み合わせは、渋沢にとってとても自然な二人で、並び立つ様子を見るのがとても好きだったことなど。
 幸せを祈ると彩は言った。それは、三上のことを心から厭えない本音から来るものなのだ。嫌いになれず、無視もできず、物理的に離れるしか気持ちを終わらせる方法を見つけられなかった彼女の。
 そしてその決意こそが、まだ彼女が三上を好きだという証拠でもあった。前向きに三上との関係をやり直すには、時間は流れすぎ、二人とももう疲れている。
 人は、何かを得る変わりに何かを必ず失う。三上との時間を完全に失う彩が得るのは、もう彼のことで思い悩むことのない安寧なのだろう。
 解放という言葉を思い出す。
 この夏が終わり、秋と冬を越えて春が来る頃に迎える卒業の季節。そのとき、彼女は何年もずっと傍らにあった恋をほどき、失った人の代わりに穏やかな時間を得る。
 それが彼女の幸せなのかどうかは、渋沢にはわからない。

「わかった」

 せめてもの諒解。好きにすればいいと渋沢は皮肉でも何となく考えた。
 彩は小さく笑ったようだった。
 濃い影が少し傾き、夏の夕暮れが西の端に近づいて見えた。









******************
 恋の終わりは不安定さからの解放。でもあるな、と思って書いた小ネタでした。
 解夏の解釈は、さ●まさしの『解夏』からきています。




<<過去  ■□目次□■  未来>>

Powered by NINJA TOOLS
素材: / web*citron