小ネタ日記ex

※小ネタとか日記とか何やら適当に書いたり書かなかったりしているメモ帳みたいなもの。
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喪失の日(デス種/ルナマリア)(最終話後)。
2007年04月29日(日)

 世界で何が失われたのだろう。









 長い長い一日が終わった。
 艦長が不在となったミネルバへ帰投したルナマリアを迎えたのは馴染みの整備士だった。機体からラダーで着床しながら、ルナマリアは努めて朗らかに笑った。
「ただいま」
「お帰り、ルナマリア」
 ルナマリアからは父親ほどの年齢に当たる整備士は、ルナマリアと同じ考えであったのかもしれない。穏やかに笑い返した。その顔に滲む疲労に似たものに気づかない振りをしながら、ルナマリアはフェイスメットを外す。
「機体異常なし。後は艦の修復だけでしょ? 終わったらプラントに戻れるわね」
「ああ、そうだな。お疲れさん、ゆっくり休んでくれ」
「ええ、そうさせてもらうわ。あとよろしくね」
 これまでと大差ない会話。それでも、やけに広くなったモビルスーツデッキに響く声の空々しさは消しきれない。ふと、ルナマリアは目を細めて高い天井を仰いだ。
「…広くなっちゃったわね、ここ」
 かつては三体のモビルスーツを収容し、ザフト軍のエースを複数擁した艦。ミネルバとは、地球の伝説でいう女神の名だ。しかしその初代艦長だった女性も今は亡い。
 そしてルナマリアの同期生も、彼の白いモビルスーツも、二度とこの艦には戻らない。
「慣れないな」
 短く整備士が呟いた。ルナマリアよりも軍歴が長い彼は、整備した機体とそのパイロットが戻らない事実をいくつも見てきたに違いない。その歴戦の士ですらそう思うのなら、ルナマリアにはきっと一生慣れないのに違いない。けれどこれは慣れ不慣れの問題でもないのかもしれない。
 感傷を吹き飛ばすように、ルナマリアは快活さが見えるよう、口角を吊り上げた。
「でも、今やれることをやりましょう。そうでしょ?」
「…ああ、そうだな。ほら、早く着替えて食事でもしておいで。一人じゃ大変なんだから」
「はーい」
 まるで肉親のように優しげな響きで言われ、ルナマリアは明るく返事をしてから踵を返した。
 慣れない? ちがう、そんなのじゃない。
 ここにいない。二度と会えない。その意味がまだよくわからない。
 何度も笑いながら歩いた狭い通路を歩き、ロッカールームへ向かう。パイロット用のそこを使っているのは今はルナマリアしかいない。三人いたパイロットのうち、一人は戦死、一人は体調不良で医務室で眠ったままだ。
 最早無意識ですら出来るパイロットスーツから制服への着脱を終わらせ、赤い軍服の襟元を調える。髪をブラシで梳き、鏡をのぞけばいつも通りの『ルナマリア・ホーク』の出来上がりだ。
「…あ、そっか。シンのところに行かないと」
 茫漠した思いで、ルナマリアはそうひとりごちた。
 潜めた声、それが空疎にロッカールームに響く。パイロットの数に見合わない二桁の数の細長いロッカーが並ぶ部屋。なぜ、ここにはこんなにロッカーを並べたのだろう。
 そのときふと、自分がシャワーも浴びていないことに気がついた。
「ああもう、なんで私着替えてんのかしら」
 ぶつぶつ言いながら、ルナマリアは赤い上着の合わせを解く。袖を引き抜き、ハンガーに掛けようとして、突然手が止まった。

『全く、お前は考え無しで物事を進めるから、後で困るんだ』

 冷淡な声。耳の奥、心の底からよみがる。
 レイ。
 淡い金髪の友人。戦死したと聞いたのはほんの数日前で、それ以来ルナマリアはレイに会っていない。
 ルナマリアは制服の袖にもう一度腕を通した。シャワーなんて後でもいい。いまは、早くシンに会わなければいけない。シンは高熱を出してここ二日ベッドを離れられない。早く行かなければ。
 シンに会わなければ。
 頭の芯が茫としたまま、ルナマリアは出入り口へとふらりと脚を向ける。
 モビルスーツに乗っている間は何も考えない。ただ計器を見つめ、トリガーを握り、上下左右に広がる宇宙空間だけを思っていればいい。そこには自分しかいない。
 けれどこうして機体を降り、生身の自分になってしまうと先日までの戦いを思い出さずにはいられない。再び会えた人たちのことや、いなくなってしまった人たちのことを。
 疲れているのかもしれないと、ルナマリアは頭の一部分に残っている冷めたところで思う。落ち着いて今後のことを考えられないほど疲れているのかもしれない。戦争は終着を迎えつつあるというのに、その先の未来を何も夢見ることができないでいる。
 シンと一緒にプラントに帰る。
 そばにいると約束したシンと、一緒にプラントへ戻る。
 それだけを思っていればいいはずだというのに、それすら億劫になりつつある。
「ルナマリア」
 呼ばれ、顔を上げれば顔見知りの看護兵が微笑んで医務室の前に立っていた。
 反射的に快活な笑顔を作り、ルナマリアは片手を上げた。
「お疲れ様。シンの様子、どう?」
「熱は随分下がってるけど、体中に打ち身があるから、今日一日はこっちに泊まったほうがいいわね。会ってくんでしょう?」
「そうね、そうするわ」
「先生もいないから、ごゆっくり」
「ありがと」
 滑舌の良い口調が、遠くから響くようだった。それが自分の声であることがルナマリアには信じられない。声と体は、脳の支配下にあるはずだというのに唇も脚も勝手に動く。
 開閉ボタンを押し、静かな医務室に入ると奥のベッドに黒髪の彼が横たわっているのが見えた。
「シン、調子どう?」
 軍用ブーツで歩み寄る。戸惑いのない歩調。背筋を伸ばしたルナマリアは、あまり動けないシンが首を動かしてこちらを向くのを見た。
「…ルナ」
「熱下がったんでしょう? 早くこっちに戻ってきなさいよ。エースパイロットの名が泣くわよ」
「…きっついなぁ」
 はは、と弱弱しく真紅の目が苦笑する。
 頬骨のあたりに青い痣が残っている。大破した機体を思えば、生き残っているシンはやはり悪運が強いのだろう。しかし戦場ではそれすらも実力だ。生きて帰って来れば、新に人員を補給せずに済む。兵士が生きることは人材の喪失を防ぐことでもあるのだ。
「ごめんルナ、すぐ戻るから」
 それだけははっきりとシンが言った。起き上がることが出来ない身体で、ルナマリアを見上げたまま。ルナマリアは目元で笑い、そっと手を伸ばした。
「無理はしちゃダメよ。もう戦況は落ち着いてるんだし、ゆっくり休みなさい」
「さっきと言ってること違んですけどー」
「あんたがあんまり情けないからよ」
 指先でシンの整えられていない黒髪を撫ぜる。地肌に触れると伝わるぬくもり。確かにシンが生きているという証拠だ。
「ルナは?」
 ふと、シンが真剣な顔でルナマリアを見た。
「え?」
「ルナは、大丈夫?」
「大丈夫よ。怪我もしてないし、ちゃんと元気よ。あたしを誰だと思ってるの」
「そうだけどさ」
 心配になるよ。
 妙に大人びた顔で続けられ、ルナマリアは一瞬言葉を見失った。しかしややあって腰をかがめ、寝台のシンと視線を同じくしながら「ばかねぇ」と言って微笑んだ。
「あたしは大丈夫。ね?」
 軽く、ほんのわずか触れるようにシンの瞼に口付ける。母親がぐずる子どもにするようなキス。微笑を絶やさないときのルナマリアに、シンが安心することを知っている。
 こういうときにルナマリアは自分が女であることを実感する。この人のためなら、姉にでも母にでもなれるという実感。守られる快感と守れる幸福を感じさせてくれる人。
「また来るから、おとなしくしてるのよ」
 至近距離で微笑めば、シンは素直にうなずく。
 その様子に満足感を覚えながら、ルナマリアは立ち上がる。じゃあね、と手を振って笑った後は、もう振り返らなかった。
 今度こそシャワーを浴びなければ。
 大体、好きな人に会いに行くのに汗臭い格好でも構わないなんて、そっちのほうがおかしいんじゃない? ルナマリアの脳裏で奇妙な声がする。まるで背後に他の人がいるようだ。
 シンから離れてしまうと、また思考が止まってしまう。霧がかった凪の海の中、たった一人でいるような感覚。シャワールームへ行かなければ。
 行ってどうするの? 誰かいるの? いないでしょう。また声がする。
 人の気配がない通路を足音を響かせながら歩く。かつん、かつ ん、と。足元がふらついていることにルナマリア自身は気づかない。
 誰もいない。
 誰かいる。
 誰がいない?




「レイ」




 声が聞こえ、ルナマリアは立ち止まった。
 誰の声だろう。そう考え、数秒経ってその声は自分で言ったものだと気づく。


「レイ」


 どこにいるのだろう。
 そういえば艦に戻ってきてから会っていない。
 早くシンの容態が落ち着いたことを伝えなければいけないのに。

「レイ」

 会わなければならない。シンに、会わせなければ。
 シンもきっとレイに会いたいはずだ。水と油のように違う二人だけれど、士官学校時代から仲が良かった。とても良かった。
 過去形?
 ぽたりと水滴が落ち、ルナマリアの心に波紋が広がる。
 そうだった、彼は、もう。
 瞬間、膝から力が抜けた。
「レイ」
 彼はもう、いないのだ。
 通路に崩れ落ちながら、ルナマリアには何も見えない世界が広がっていた。茫漠とした穴が急速にふさがっていく。現実で塗り込められていく。
 レイ。
 彼はもう。
「…いや」
 右手で赤い髪を握り締め、冷たい壁に身を預ける。
 この身に触れるものは、何も変わっていないのに。
「いや…!」
 髪を握りこんだ手ごと、かぶりを振る。埋めようとしてくる事実を振り払うように、ゆるゆると。駄々を捏ねる子どもと同じ仕草で。
 シンが言った「大丈夫」の意味を、涙と一緒に思い知る。
「いやぁ…!」
 いなくなるなんて、そんなはずなかったのに。
 レイ。

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……!!」

 狂える慟哭が、世界の果てから押し寄せる。









***********************
 没入り復活連続です。
 最終話後に書いたものの、「どーよこれ」的なストップが入りました。自分で。女の人の悲鳴はそれだけで凶器、というのを思いながらつらつらと書いた覚えが。
 シンとレイとルナマリーの三角関係にもならないような、友情と愛情ごっちゃまぜのバランスが好きでした。最終的にシンルナで落ち着きましたが、それでもマリーはレイのことも好きだったんじゃないかな、と。
 ただマリーは世話の焼けるシンのほうに傾いただけじゃないかな、とか。レイを失った後、泣くのはシンで、狂うのはマリーかな、とか。
 そういうのがごっちゃになって、こういう感じになりました。

 没作品は結構残してありまして、ときどきネタがないときにひっくり返しては再利用できないか考えます。

 没時代にはなかったものとして、今回追加したのはルナマリーのシンへの瞼キス。どうもこの二人って、唇キスよりも瞼とか額とか頭のてっぺんとか、そういうイメージがあります。
 世のシンルナがどんなものかは全然知らないのですが、私の中のこの二人はどこまでも姉弟カップル。






タイニープリンセス(種/シン・アスカ)(長編下書き)。
2007年04月28日(土)

 ※あまりの長さにエンピツさんから「原稿用紙20枚で納めてね」と言われてしまったので、別ページです。
 タイニープリンセス
 続きがいつ出るのかさっぱりわからないので、途中切れでも構わない方のみどうぞ。

 …最近種の小ネタ書いてないなぁ、ということで、以前企画で出そうとしたもののあまりの設定の微妙っぷりに没入りしたものを引っ張り出してみました。
 若トダカ護衛隊長と小カガリのネタでいこうかとも思ったのですが、先に二十代シンと秘密のお姫様が出ました。私は本当に結構シンが好きなのだな、と最近原作シンを観ているとよく思います。






もしも君が(笛/渋沢と三上と彩)(ロミジュリパラレル)。
2007年04月27日(金)

 たとえば君がジュリエットだったら。









 堅い石畳の上を、馬車がにぎやかに駆け抜けていった。
 空中都市ネオ・ヴェローナは石造りの街だ。雨上がりの湿った匂いが、暗い色彩の町並みを包み、石の上を風が涼やかに渡っていく。
 春の女神は今が舞いどきだ。この街へ訪れてからというもの、時折恵みの雨を降らせた後はずっと花を咲かせる陽気が続いている。
「…ねえ、あの馬車、何様のつもりかしら」
 中央広場へと続く道の途中で、フードを目深に被った少女が低い声で隣に呟いた。顔を覗き込めば、柳眉をひそめた不快げな顔であることはすぐに知れただろう。
 渋沢克朗は神殿騎士の証である長剣を佩いた姿で軽く息を吐いた。
「貴族だろう。侯爵家だな」
「どうしてわかるの?」
「紋章が見えた」
「貴族だって何だって、あんな暴走馬車を公道でのさばらせるなんて危ないじゃない。このあたりは子どもだって多くいるのよ」
「奴らに交通道徳はない」
 渋沢がきっぱりと言い下すと、ちょうど彼の足元で水溜りが跳ねた。
 素っ気無い紺色の詰襟長衣と金色の縁取りのある服は神殿騎士ならば誰でも同じ格好だったが、彼が着ると並の貴族よりも風格がある。
「…だからといって、どうして皆放っておくのよ」
「だからといって、君に出来ることは何も無い」
 おとなしく黙っていろ、と暗黙的に告げる幼馴染の騎士に、彼女は悔しげに唇を噛む。
 貴族が平民を支配するのが当然であるネオ・ヴェローナにおいて、その程度で逐一統治者である大公に陳情したところで無駄であることを、渋沢はよく知っているに違いない。
「渋沢」
「広場に近づけば人も増す。フードは取るな」
 穏やかそうな顔をしながら厳しく言ってくる渋沢に、少女は束の間不愉快さを覚えた。本来ならば従者格であるはずの相手に命令されるのは、血が許さない。
 しかしそれも家が廃された今、何ら意味を持たない主従関係だ。すぐにそう思い直し、言われたよりさらにフードを深く被り、顔を隠す。
 すると渋沢は少し笑ったようだった。
「…悪いな、暑いだろう」
「平気よ、この程度」
「そうか」
 目的地である礼拝堂は、中央広場の南に面した場所にある。六角形を象った広場に二人が足を踏み入れると、そこには不自然な人だかりが出来ていた。
「何だ?」
「渋沢、あれ!」
 少女が鋭く渋沢に視線を送ると、彼もすぐ人だかりの理由を見つけた。まだ十になるかならないかというぐらいの幼女が、宮廷衛兵に足蹴にされている。
 痛々しい子どもの泣き声が辺りに響いているが、周囲の人間たちは囲んで見守るだけで、誰も何も言わない。
 かっとなった少女が脚を踏み出したとき、渋沢の強い力が腕を掴んでくる。
「離しなさい!」
「行くな」
「だからといって、見逃せるわけがないでしょう! どうして放っておけるの」
「手を出せば貴族院の連中に罰せられるのはこちらだ」
 渋沢の厳然とした目に気圧され、少女は反論に詰まった。それがどうした、と言ってしまいたいのに、そうできないだけの理由がある。
 彼女の腕を無理やり引き、人だかりから引き離しながら、渋沢は低い声でたしなめる。
「俺だってわかってる。だけど」
「だけど何」
「君を守りたい」
 さらりと言われたはずの言葉に、彼女のほうは泣きたくなった。けれど彼のその決意を疑うことは忠誠心を疑うことでもあり、主の身としてそれは出来ない。
 力が抜けた主に気づいたのか、渋沢は腕を掴む力を緩めた。
 その隙に、彼女はゆっくりと歩みを止める。広場の中央にいる子どもの声は聞こえなくなっていた。
「…気持ちは、すごく嬉しいわ」
 でも、と突然彼女は忠実な従者の手を振り払う。
「何もせず、傷ついた民から背を向けるのも私は許せない」
 突如身を翻し、渋沢が追いにくいよう人の波に向かって走り出す。
 守れる力が今あるのなら、今ここで使いたい。後先を考えている余裕はなかった。小さな子どもが横暴な権力の犠牲になる国を、前大公である父は必ず嘆くはずだから。
「どきなさい!」
 声を張り上げて、民衆の隙間を縫う。
 転げるように広場の中央に出たとき、奇妙な歓声が聞こえた。

「…おい、誰が泣いた子どもに暴力振るえって命じた?」

 彼女の目の前で、艶やかな黒髪が陽光を弾いていた。
 鮮やかな青のマントの肩留めの輝石が、その黒髪と同じように光を弾く。わずかな風に髪を揺らしながら、その青年は傷ついた子どもを守るように兵士の前に立ちはだかっていた。
「所属と名前言え。俺から上司に伝えてやる」
 それは、力がなければ言えない脅しだった。
 そして彼は子どもを立たせ、一緒にいた従者らしき短髪の少年に預けると暴行していた兵士たちをまた別の兵に引き渡す。采配は見事だった。
 そのうちに、彼が何者なのか把握した誰かの声が、ざわざわと波紋のように民衆に伝わっていく。
「亮様じゃないのか、あれは」
「三上家の次期大公か!」
 また貴族だ。相手の正体を知り、少女は一層悔しさを募らせた。自分が子どもを守れなかったことよりも、貴族が貴族をかばう茶番に腹が立った。
「どうせ助けるなら、もっと早く来ればいいでしょう!」
 仁王立ちになり、声を張り上げれば視線が一斉に自分に向くのを感じた。その空気の流れが前髪に当たっていることから、被っていたはずのフードが取れ、顔を晒していることに気づいたがもう後には引けない。
 黒髪の彼も振り向く。
 強い、黒曜の双眸だった。端正な顔立ちが引きつり、彼女を睨む。
「…んだと?」
「言った通りよ。偽善で正義面しないで」
「お前、何だ」
「…通りすがりの市民よ」
「名前は」
「あなたに名乗る名なんてないわ」
 誰に対して名乗る名も持ち合わせていないことは隠し、彼女はせせら笑った。きっと相手は激昂するだろうと思っていたが、予想に反して彼は口の端を歪めた皮肉げな笑い方を見せただけだった。
 その目だけは、やけに楽しそうに彼女を見ていた。
「気の強ェ女」
「余計なお世話よ」
 衆人環視に晒されることへの恐怖はあったが、この男に弱気な顔を見せたくないあまり、ただただきつく睨みつけて平静を装う。
「余計なことをしたのは君だ」
「…っ、渋沢!」
 不意に後ろから声を掛けられ、動揺した隙に覚えのある手に腕を捕まれる。
「姫が失礼を致しました。無作法な真似をお許し下さい」
 琥珀色の髪をした神殿騎士が、慇懃に詫びる。黒髪の相手が面白くなさそうに鼻で息を吐くと、それが了承とだとばかりに渋沢は少女を自分のほうへ引き寄せ、脚を逆方向へ向かせる。
「行くなと言っただろう」
「…ごめんなさい」
 結局何も出来なかった上に、顔まで晒した。守ると言ってくれた彼に返す言葉は、謝罪以外出て来なかった。
「おい!」
 急に声が降ってきた。振り返ったのは必然だった。
 見ればそこにある、黒髪の下の強い瞬き。
「騎士に問う。その女の名は」
 まるで君主の物言いだ。何という傲慢かと、彼女が憤りかけたとき、渋沢がかすかに笑った。媚びへつらう笑い方ではなく、何を馬鹿なことを、とでも言いたげな余裕が見て取れる。
「かりそめの呼び名に何の意味が?」
 どうせ二度と会わないんだからな。
 あまりにかすかに呟かれた続きの言葉は、少女にしか聞こえなかった。
 騎士は青年に礼を返すこともなく、黙って背を向けた。その手に引かれながら、彼女は思わず黒髪の青年を振り返る。
 目が合い、外せなくなる。あれほど高慢な貴族に見えた青年は、騎士の拒絶に衝撃を受けたのか顔を少し歪めていた。その顔がどこか寂しげで、胸をつく。
「…彩よ!」
 届いて欲しいと願いながら、彼女は彼に言った。
「彩。覚えておいて」
 なぜそう言ってしまったのかはわからない。
 余計に苛立ったような渋沢にとうとう肩を抱かれてその場を連れ出されながら、彩は見えなくなるまで青年と視線を合わせていた。






「どういうつもりだ」
「…わかってる。軽率だったことは謝るわ」
 すべての予定を取りやめ、生活している寺院に戻った彩は、渋沢の説教を覚悟しながらゆっくりと帽子を取った。長い髪が肩に流れ落ちる。
 整った眉目を怒りに近い形に変えながら、渋沢が深い息を吐き出す。
「わかってないだろう。もしあの場で、君の顔を覚えている奴がいたらどうする」
「私が顔を出して生活していたのは四歳の頃までで、しかも相手は貴族ばっかりよ。あの場所でわかるわけないでしょう」
「わかる奴だっている。君は四歳の頃から顔は変わっていない」
「…ああ、そう」
 外套を取り、手早く振って埃を落としながらフックに掛ける。
 四歳の頃過ごしていた邸宅で今も暮らしていたのなら、外出の身支度を自分でするようにはならなかっただろう。
「それに、どうしてあいつに名前を教えた」
「ただの気まぐれよ」
「そんなわけあるか」
 昔なじみは、彩ほど「気まぐれ」が似合う奴はいないと固く信じているだろう。しかし彩自身にも気まぐれとしか思えないのだから仕方ない。
「…あなたがあんまりすげなく答えるからでしょう」
「あの男に答える名などない」
 暗く厳しい顔つきになった渋沢に、彩は奇妙な不安を覚えた。
 この街の建物の例に漏れず、石で作られた寺院の奥は静かだ。回廊を渡る風の音だけが耳に届く。
「あいつは三上家の嫡男だ」
 明朗な渋沢とは思えない、陰を帯びた声だった。
 聞きたくない家名に、彩は思わず視線を逸らす。
 三上の家は、彩の失った家名とは対を成す。どちらもこのネオ・ヴェローナでは大公家と呼ばれる。しかし、彩の本来の家名はすでに断絶したと公には公表されている。

「俺たちの一族の仇の息子だ」

 憎悪と憤激と、悲哀と復讐心。そんなものがない交ぜになった渋沢の声がいたたまれなくなり、彩はさらに視線を彷徨わせる。
 あの青年が三上の嫡男であることよりも、渋沢のその声のほうが余程胸に痛い。
 三上の家に陥れられ、地位を追われ、一族を皆殺しにされた過去をどうでもいいとは思わない。幸せだった四歳までの記憶を忘れることは出来ない。そして、今も一族の復興を目指す渋沢や生き残った一族たちを疎ましいと思ったことはない。
 けれど、長じるにつれ憎しみを募らせる親友を見るのはつらかった。
「あの人、寂しそうだったのよ」
 椅子の一つに腰掛け、彩は軽く天井を仰いだ。
 拒絶されたときに瞳を過ぎった色。黒色の目から、少しだけその強さが翳った気がした。
 あんな顔を、渋沢がしたことがあるような気がした。
「…それだけよ」
 渋沢が言ったように、きっともう二度と会わない。
 家を失った彩は生涯寺院を出ることはない。世俗でこの存在が明るみに出れば、革命によって大公家を奪った三上の家は黙っていないだろう。会わなければ、何も感じずに終わるだろう。
 最後まで振り切れなかった視線の意味も、考えずに済む。
「…あの人、名前何ていうの」
 それでも思わず訊いてしまったのがどうしてなのか、彩にもわからない。
 不承不承ではあったが、渋沢は答えてくれた。

「三上亮だ」

 口に出して響きを確認してみたい衝動に駆られたが、渋沢の顔を見た彩はそうはせず、ただ「そう」とささやいた。
 昼間は晴れていたはずの空から、春の雷鳴が近づいてくる気配がしていた。









***********************
 適当に考えて適当に書いていたら三渋の方向に転がりそうな気配が濃厚になってきました。どうなのこれ。

 というわけで、アニメのロミジュリパラレルで三上ー!と最初思ったというのに、だんだん変わってきてしまいアレうんコレは? みたいなことに(つまりは意味不明)。
 復讐鬼さながらの渋沢さんが書きたかったんだと思います。
 わけわからん文章、と思いつつもとりあえず書いたので出してみることにしました。この日記はネタ出し帖も兼ねてます。小ネタは勢いが大事。






Night and Knight(種/キラとアスラン)(Fateパラレル)。
2007年04月20日(金)

 この夜、運命に出会う。









 月夜の墓地には、昼間の雨の匂いがまだ残っていた。
 葉桜になりつつある春の夜半。少年が一つの墓石の前で佇んでいた。刻まれた家名は彼が名乗る家のそれであり、墓碑の一番新しい名は女性のものだった。
 手入れだけは人に頼んでいたが、実際に足を運ぶのは十年ぶりだ。十年ぶりに戻った街はどこもなじみが薄かったが、両親が存命だった頃から年に数度訪れていた代々の墓地だけは記憶そのままに少年を迎えてくれた。
 夜の風が、どこからか花の香を運んでくる。かの人の匂いを思い出したように、細身の少年はかすかに笑んだ。

「ただいま、母さん」

 呼びかければ、心の中で応えが来る。おかえりなさい、と波のようなやわらかな藍色の髪をした人が、彼に向かって微笑みかけてくる。
 キラ、と母は少年のことを呼んだ。あの声を少年が失ったのはもう十年も前のことだった。
 ざあ、と一度だけ風が強く吹く。墓地の主要な道筋にだけ点いていた電灯が点滅し、不意に消える。奇妙な不安を覚え、少年がその紫の双眸を墓石から逸らしたとき、月光に長い影が伸びた。

「キラ・ヤマトか」

 問いかけではなく、断定の声は青年のものだった。満月より少し欠ける程度の月の光を背中に受けながら問いかけるのは、古風な長衣を纏った青年だ。
 しかし、青年の最も異質なところは、腰に佩いた長剣だった。刀身は長く、真っ直ぐで、柄の形から西洋剣であることがわかる。キラは目を瞠った。
 逆光だというのに、青年の目が碧に光る。
 相手は人間ではない。
 キラの中の血がそれを悟ったとき、影が動く。
 咄嗟に身を引くと、鼻の先寸前を剣の切っ先が薙いでいくのを感じた。

「お前は、キラ・ヤマトだな…!」
「え!? ちょ、ちょっとま」

 待って、という言葉は剣をキラの眼前に構えたまま睨みつけてくる碧の目に封じ込まれた。あと一歩相手が踏み込んでくれば間違いなく切られる。
 思わず両手を上げながら、キラは叫んだ。

「そうだよ、僕がキラ・ヤマトだ! わかったら剣を下ろして、セイバー!」

 彼は『セイバー』に違いない。稀代の魔術師の不肖の息子でも、それだけは直感的に理解できた。
 数秒、キラは青年と見つめあう。肩近くまである、夜の闇に溶け込みそうな深い紺色の髪と、光を透過する碧の双眸。身長はキラより頭一つ近く大きい。外見の年齢は二十代半ばというところだろう。怜悧な印象が強い、襟が詰まった紅の長衣を着た美丈夫だった。
 青年はキラをじっと見つめた後、戸惑ったように剣を下ろした。

「なぜ、お前が俺のことを知っている」
「母さんから聞いてる」
「母さん?」
「カリダ・ヤマト。君の前の主人は、僕の母さんだ」

 青年の碧の目が、痛みをこらえるように鋭くなった。
 それを見てキラは逆にほっとする。人外の存在に自分のことを認めさせるのは難しいが、母の名は信頼の取っ掛かりを見つけるのにうってつけだ。
 魔術師という職業がある。ファンタジー小説の中の職業ではなく、人間が物見遊山で月と地球を簡単に行き来できるようになった現在でも彼らは確かに存在し、新聞には載らない事象の中で生計を立てている。
 そして、キラが今いる地球上のこの街は、魔術師たちにとってことさら特別な土地だった。
 剣を収めはしたものの、青年はカリダ・ヤマトの名を聞いてもキラを睨みつけたまま、低い声を出す。

「…それなら、カリダから聖杯戦争のことは聞いているか」
「直接は聞いてない。だけど、母さんが残してくれた日記と文献で、君たちのことは知っている。セイバー、これは君の名前じゃないんだよね」
「聖杯戦争を勝ち抜くためのクラスだ。真名ではない」
「…ここに帰ってくれば、きっと君に出会えると思ってた」

 確信を込めて、キラは笑んだ。不敵に見えれば良いと思いながら青年を見る。
 夜風にかすかに揺れるキラの髪は栗色で、母であるカリダとは容姿が全く似ていない。名前を先に知っていたとはいえ、目の前の剣使いがキラのことを前の主人の息子だと即座に認めてはいないことを感じていた。
 月の光に照らされた墓地に、少年と青年は互いを見据えて動かない。

「手に入れた者の願いを叶える聖杯。手に入れられる権利を持つのは八人の魔術師。魔術師たちは属性が異なるサーヴァントと呼ばれる英霊を従えてある特定の期間をこの街で戦い、残った一人が聖杯を手に入れられる。そして君はそのサーヴァントの一人、クラスはセイバー。何か違ってる?」
「…違わない。付け加えるなら、お前のサーヴァントは俺だ。カリダの頃からそう決まっていた」
「知ってるよ。母さんのとき、君を召喚したのは母さんと僕の二人がかりだった。会ったことはなかったけど、君は例外的に二人の主を持つサーヴァントだ」
「……………」

 気難しげな青年の眉が、どこか嫌そうに寄せられる。
 それはそうだ、とキラはどこか冷静な思いで苦笑した。誇り高い英霊の魂を持つサーヴァントたちは、基本的に隷属することを好まない。だというのに、召喚の際手伝ったというだけで本来の主の息子に従わなければならないというのは、誇りが許さないのだろう。
 それでも、キラにも叶えたい願いがある。そのためにこの街へ戻ってきたのだ。

「不本意かもしれないけど、それでも僕に従ってもらうよ。これは母さんの代からの契約だ」
「…普通なら聖杯戦争が終われば、すべてのサーヴァントは消えるはずだった。俺もカリダが死んだとき、そうなるはずだったんだ」
「ところが僕がいた。僕が生きていて、僕らは繋がっていたから君はずっとこの街にいた」

 そうやって十年、君は僕を待っていた。

「叶えたい願いがある」

 訴えるように、キラは強く言った。
 聖杯戦争の極意は人殺しだ。八人の魔術師たちは文字通り殺し合い、最後の一人になるまで戦わなければならない。開始時期は決められていても、終了時刻は決まっていない。最後の一人が決まるまで、戦わなければならない。
 そこに到達するまでの犠牲や苦痛、労力、それらを覚悟しても尚、叶えたい願いがある。

「守りたいものがある。だから僕は、僕の運命の騎士に会うためにこの街へ帰ってきた。
 ―――アスラン。
 母さんは君のこと、最期までずっと心配していた」

 気負わず、キラは母から譲り受けた騎士の本当の名を告げる。
 一瞬苦しそうに顔をゆがめた騎士が、キラの母のことを主として大切にし、やるせない思いを抱いていたということがわかる。母が逝ったあのとき、守り手であるはずの騎士はそばにいなかった。

「…お前は、俺のことを知らないと思っていた」

 ぽつりと、碧の目の騎士が呟いた。

「なんで」
「あのとき、まだ子どもだっただろう」
「七歳過ぎてれば魔術師だって半人前ぐらいにはなってるよ」
「半人前で何がわかる。どうせ今でも半人前じゃないのか」
「あれから留学して本場できっちり修業してきたよ。そりゃ、十年もかかったけどさ」
「…十年間も待たされた」

 ふと、騎士が穏やかに笑った。冷淡な顔つきが緩み、細められた双眸が思いがけずやさしげにキラを見た。
 会えて嬉しいのだと、相手も感じていることにキラは気づいた。
 キラよりも背の高い青年が、その手を伸ばし、キラの頭をぽんと軽く叩いた。

「戻ってきてくれてありがとう、キラ」

 目を瞬かせたキラの右手を、彼は掲げるように利き手で持ち上げた。

「ここに再度契約を交わそう。俺は君が手中にする聖杯のために戦う。異存はないな、キラ・ヤマト」

 凛とした揺るぎのない声が夜の静寂に伝わる。
 掲げられた右手の甲に契約の印が刻まれるのを見つめながら、キラは後戻りはできないことを感じた。それでも、運命の騎士は目の前にいる。

「うん。一緒に戦おう、アスラン」

 アスラン・ザラ。
 それは英雄と大量殺人者の名だった。幾度も繰り返された宇宙戦争の中、味方に称えられ、敵方に憎悪された一人の青年。その魂は今も戦いの地に縛られ、解放されないままでいる。
 母の最期の願い。忠実な騎士に心安らかな永遠を与えること。その願いを、次代を継いだ息子として果たしたい。
 人にあらざるものであっても同じぬくもりを与えられる手を握り返しながら、キラは月の光の中で微笑んだ。









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 パロディでパラレルです。
 種で、Fate/Stay nightパラレル。
 PS版発売ということでふと前考えた内容を思い出したので書いてみました。趣味に走るとこうなります…。
 ただし大変本元設定をいじくり倒し、説明のややこしいところを簡略化し、あまつさえキャラに説明台詞として喋らせる、というダメな方法を使ってます。すみません…。
 Fate原作沿いでいうと、どっちかっていうとこのキラは遠坂さんちっぽい感じですかね。士郎ちゃんみたいに正義がどうのをキラにやらせると長々しくなるので、すっきりさっぱりさっさとキラ様化してるようなイメージで。

 それにしても私は何だかんで、種で好きなのはアスカガと双子と、アスキラなんだな、と。要はあの三人がいればそれでいいのかな、とか。

 そういやPSPですが、5月のFFT発売前にさっさと買ってしまうことを決めました。
 やっぱりあればあるできっと使うと思うのですよ。そして気づいたら兄と妹がそれぞれ持っていて、二人とも持っててずるい! と。
 






ひとひらの恋(伯爵と妖精/エドガーとリディア)(その他)。
2007年04月14日(土)

 一片の花が宙を舞っていた。









 都会の春は駆け足でやって来る。女王の居城もある大都市の空を仰ぎながら、リディアは軽く空を仰ぎ、春の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。
 つめたく寒いロンドンの冬はもう終わったのだと、晴れやかな空の色と流れてくる新緑の香りが彼女に告げる。目を伏せた隙に耳元を通り抜けたのは、春に生まれる妖精だったかもしれない。
 アシェンバート伯爵家の中庭も春の例に漏れず、やわらかな色合いの新緑が芽吹き始めていた。
「うれしそうだね、リディア」
 微笑を伴った声は、リディアの折った膝のあたりから聞こえてきた。短い下生えに広げられたピクニック用の敷布の上に、鮮やかな金髪が広がっている。
 陽光を集めたような芯の強い金髪と、夜明け間際の灰色がかった紫の双眸。優美な彩りを持つリディアの雇い主は、寝転がった格好のまま彼女を見上げていた。
 伯爵家の当主にしては、あまりにくつろぎきった格好だ。しかしその長い脚を投げ出し、襟元を緩めていても、彼には不思議と優雅な印象が消えない。だらしなさよりも品格が際立つ稀有な人間だった。
「そうね、やっぱり暖かくなると嬉しいもの」
 スカートを広げて座るリディアは間近にいる彼よりも、芽吹きの春の庭を見るのにいそがしい。彼には見えない妖精たちを視線で追っているのだ。
 本来なら妖精の世界にも領地を持つという青騎士伯爵と呼ばれるエドガーにも、彼女のように妖精が見えて然るべきだったが、本来の血統とは異なる彼の身にはリディアの視線の先はわからない。ただ少女が春風に髪をわずかに散らせながら微笑む横顔を見て、彼もつられて笑うぐらいだ。
 妖精知識に精通した妖精博士の仕事が忙しいという彼女を、無理やり中庭へ連れ出したのは雇い主であるエドガー本人だった。リディアはまた彼の強引さに最初は嫌々従ったが、高級住宅地の閑静で広い中庭の春の景色は彼女の胸にも安らぎを与えてくれた。
「本当に、いい季節だ」
 エドガーも上機嫌で、春先の開放感がいまの彼の行儀の悪さを誘っているのだろう。緩められたクラヴァットのすみれ色が、昼間の光に映える。
 そうね、と彼を見ながらうなずきかけたリディアは、思いがけず見上げてくるその紫の双眸にいやな予感がした。
「こういう季節は結婚式にぴったりだ」
「……そうね」
「ああでも今からドレスを作らせるとなると、初夏ぐらいになってしまうか。真夏の夏至の頃でもいいけど、あんまり暑いのはちょっとね」
「ああ、そう」
「で、きみは何色のドレスがいい?」
「あたしは着ないものなんだから、あなたの好きにすれば」
 にこにこと笑いかけるその美貌から遠ざかるように、リディアは思わず身を引いた。
 伯爵としての彼の結婚式の段取りを考えるのは彼の自由だ。そんなものいくらでも好きに考えればいい、とリディアは投げやりに思う。ただ自分を巻き込まないで欲しいと願うだけで。
 アシェンバート伯爵の成り行き婚約者となってから数ヶ月。そもそも出会った頃から始まっていた彼の口説き文句は、リディアが婚約指輪を受け取った頃から明らかに数が増している。
「いいじゃないか。準備は早いほうがいいよ」
「だから、あたしはあなたと結婚なんかしません」
「するよ」
「しません」
「する。絶対する」
 凛とした声音でエドガーは宣言した。
 何を根拠にしているのか全くわからないくせに、エドガーの言葉は決意に満ちてる。彼はそのままリディアの膝の上にあった左手を取り、彼女が仕方なく嵌めている婚約指輪ごとその細い手を自分の手で包む。
 一体何をするのだとリディアは思わず眉間に力を入れる。
 しかしエドガーは手を包んだまま特に何もせず、リディアの膝の上に重ねられた手を置いたままだ。
 そのまま沈黙が続くにつれ、むしろリディアのほうが不安になる。
「あの、エドガー?」
「うん?」
「あの…」
 いつもならそこで、手を握る以上のことをするのでは。緊張しつつもはっきりとは問い質せないリディアは、おずおずと寝転がった彼の顔を覗き込む。
 エドガーはそんな少女を真っ直ぐに見上げ、破顔した。
「ほら、最近は嫌がらないし」
「な…っ」
 先ほどの話の続きだと理解したリディアは、一気に頬を染めた。手を握るのを許すことが結婚の承諾になるわけがない。しかし随分彼に心を許すようになっていた事実を顕著に示すことは確かだろう。
 思わず振りほどこうとした手を、エドガーはほんの少し力を強めることで押し止める。それでもリディアが痛みを感じない程度の力だ。リディアがもう少し強く振り払えば、青年の手は簡単に離れていくだろう。
 束の間の躊躇。エドガーは少女のその隙を見逃さず、握った手ごと自分の瞼の上に置いた。リディアは彼が目を閉じ、息を大きく吐く気配を感じた。
「まだ信じられない?」
 当たり前でしょう。そう言うことができず、リディアは軽く唇を噛む。
 軽薄な女たらし。人を人とも思わぬ悪党。卑怯で残酷な犯罪者。罵りの言葉ならいくらでも出てきそうだというのに、それを口にすれば彼が傷つくことを知ってしまった。自分の罪を無実だと言い逃れをするエドガーではないが、それでも酷薄にならざるを得ない運命を背負った人だということもリディアは知っている。
 愛する人にその想いを告げられず、本当に好きな人には触れられない。リディアはそんなエドガーの真実を悲しい人だと思い、だからこそこうして口説かれても信じることができない。
「…いいよ、答えなくても」
 優しい声で彼は言った。
 エドガーが目を閉じているのは、リディアのためかもしれない。手のぬくもりの穏やかさと、言葉の優しさに泣きそうになったリディアの空気を彼は的確に読んでいるのだろう。
「…あなたはいつもそうやって、ずるいのね」
 信じて欲しいと言いながら、信じられないと言わせてはくれない。
 好きになんてなりたくない人だった。一番好きな人と結ばれる未来を放棄してリディアに代わりを求めようとする人なのかもしれないと知ったときから。
 代わりにはなれない。一番に想ってくれる人でないなら、エドガーなんて欲しくなかった。
 それなのに、どうして、いつからこうして触れ合うだけで幸せを感じるようになってしまったのだろう。手を握られるだけで、その温度で泣きたくなる。
 このぬくもりは一時だけだ。彼にはほかに好きな人がいる。たとえ彼がリディアが一番だと言葉で言ってもその言葉は信じられない。それが一番辛かった。どれだけ優しくされても、甘い言葉をもらっても、好きな人からのものであっても信じられない。そんな不幸があるだろうか。
「うん、ずるいんだ」
 けれどエドガーは否定せず、はっきりと認めた。
 リディアの手を顔の上から外し、やわらかな春の空気の中、少女の金色がかった緑の目を愛しげに見つめながら彼は続ける。
「ずるくてうそつきだけど、きみを愛してるよ」
 僕の妖精。
 気負いのない口調だった。弱さや痛みも、彼らしい剛毅さもない。春の光を褒めるような自然な微笑がエドガーの端正な口元に浮いている。
 本当にずるくてうそつきな人だ。そのことをリディアはよく知っているというのに、そうやって自分の不甲斐なさを笑いながら認めて開き直るところを、しょうがない人だとも思う。
 象牙の塔に篭りきりで世俗を省みることが苦手な父を、母も似たように感じていたのかもしれない。本当にしょうがない人だと、諦めに似たいとしさを。
「…ばかね。うそつきって、あたし言ってないのに」
 自分で認めないでよ。
 目の端の涙を拭わずに笑ってみせる。そんなリディアに、目を細めてエドガーも淡く笑んだ。握った手は離さない。
 心は通じず、かすかな距離を保ちながらすれ違う。目を合わせて微笑んでも、胸の痛みで死んでしまいたくなる瞬間がある。それでもリディアにとって、この大きくて優しい手は父よりも大切な何かに変わりつつある。
 幸せになって欲しい。リディアがエドガーに漠然と願うのはそんなことだ。
 ゆっくりと身を起こすエドガーのもう片方の手が、今度こそ頬に伸ばされるのを視界の端に見ながら、紅茶色の髪をした少女は何も感じない素振りで目を逸らした。









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 ちょっと前の日記で二行書いて力尽きたアレの続きです。
 一体これは何巻の後ぐらいなのか(作品の季節感完全無視)。
 そんな伯爵と妖精。三上亮、シン・アスカと並んで女に「しょうがない人ね」と思われそうなエドガーと、彼の妖精さん。
 …たぶん『女神に捧ぐ〜』の途中のどこかとかそのへんの感じ?(そうやって原作考証を放棄して勢いだけで書くのはそろそろやめたほうがいいと思う)

 私は母からの三大教訓がありまして。

1:何をするにも自分で好きに判断していい代わりに、その責任も自分で必ず負いなさい。
2:大金を貸してくれとか連帯保証人を頼まれたら、それが兄妹であっても、手持ちの財布の中身を全部渡して「これは返さなくていい、あげるから、二度とその話はしないで欲しい」と言って帰ってきなさい。
3:男の人はずるいから、気をつけなさい。

 2番めはかなりリアル。
 ……3番めだけが妙に抽象的。母の人生に一体何が。

 と、今回の小ネタを書いていて母の教えを思い出しました。今のところ守れている…と、思い、ます、お母さん。






春の花(鋼/ロイとグレイシア)(その他)。
2007年04月10日(火)

 それはただ薄紅の。








 目を伏せた一瞬で、彼の視界は吹雪に見舞われた。
 花吹雪。強い春風が大佐の肩章を打ち据える。白とも見まがう淡くあわく色づいた花弁は華麗に青い軍服の周囲を舞う。
 墓地へと続く並木は、いま春の訪れを告げる花が咲き誇っていた。晴天の青さに向かって枝を伸ばす木々に無限を錯覚させるほど花が溢れている。
 まるで故人が彼らの来訪を喜んでいるかのようだった。
「良い花だ」
 ふ、とロイが唇をほころばせると、亡き友の愛妻はそれこそ花がほころぶように微笑んだ。
「ええ、わたしもそう思うんです」
 あの人もきっとそうだと思います。
 そう続けたまだ黒い服の彼女の言葉には、故人への確かな愛情が滲んでいた。
 ロイの亡き友が愛した彼女は、夫がこの風景を愛することを微塵も疑っていない。恋人から夫婦へ、そして親子三人の暮らしへ。そんなごく当たり前の家庭の雰囲気と、良く晴れた春の日に見る薄紅の花は、印象がとてもよく似ていた。
「生活は慣れましたか」
「ええ、何とか。両親もまだ居りますし、あの子もいますから」
「それは何よりです」
 他愛のない会話を交わしながら、墓参の道を歩く。ロイの軍服の青と、彼女の弔いのための黒だけがこの春に似つかわしくない重苦しい取り合わせだった。
 それでも一時は涙を隠そうとしなかった彼女が、ほんの少しでも微笑んでいることに彼は安堵する。いまは亡い人が愛した笑顔をこれ以上曇らせるのは、あまりにも惜しい。
「いい奴ほど早く死ぬ。この間、そう言われました」
 ふと、思い出し笑いのように彼女が言い出した。
 おかしそうな口調が気になり、ロイが視線を向けると、隣の彼女はくすくすと口に手を当てながら笑っていた。
「あの人、ちっともいい人なんかじゃなかったのに」
「…確かに」
 性悪や根性曲がりの質ではなかったが、善人かと言われれば首を傾げる。面倒見は良いが、人並みにルールを破って平然とする狡さもあった。
 士官学校時代、どれだけの校則破りを共に犯しただろうか。まだ十代の頃の青さを思い出しながら、ロイは未亡人の意見に同意した。
 揺れ惑いながら落ちてくる淡い色の花弁を目の端で追いながら、そういえば士官学校の練兵場にもこんな花が咲く木があったことを思い出す。
「でも時間が経てば経つほど思うんです。いい人だなんて生きてた頃は全く思ったことがないのに、今思えばそんな人だったかもしれないって」
 彼女の声はそう大きくない。けれど、涼やかに春の空気を横切ってロイの耳に届く。
 にじみ、あふれ出る愛情。花咲き誇るような思慕。目を伏せがちな横顔の美しさは、かの人だけのものなのだろう。
「…愛してましたか」
「はい」
 心のままに尋ねた声は、彼の想像以上の喜びを伴った即答で返された。
 ただ咲く花のようにうつくしく、ただ散る花のように自然に。
「あなたがあの人を想うように、私も」
 夫の最期が無残なものであったとしても後悔をしていない。それは彼女なりの決意なのだろう。それはロイの決意と同じものだった。別れがどうであれ、出会いも、過ごした時間も、好いたことを後悔したことは一度もない。
「…そうですね」
 切なさを帯びた心で淡く笑む。
 友への想いは、恋や愛と呼ぶにはあまりにも曖昧で、ロイ自身にも今はもうわからない。あの感情の名を見失ったまま、あまりに早く彼は逝った。隣を歩く彼女との彼を巡るたたかいも終着の方法を永遠に失った。
 花は毎年この道で咲き誇る。けれど愛した人は戻らない。そしてまた来年も二人でこの道を歩く。
 軽く息を捨って前を見据えた青年の視界に、春の花が散っていた。









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 何年かぶりにマスタングさんを書いたよ…。
 う、嘘くさっ! …というのは自分が一番よくわかってます。資料見ないで書いたので、微妙に違ってる箇所とか捏造については目をつぶっていただけると助かります…。
 本当に久々に書いたら三十分もかかってしまった。

 ちょっと前に、鋼で活動中の友人しらすさんが「桃色ピンクな話が描きたい」と言っていたのですが、内容聞いてみたら「強●」とか「本気浮気」とか「不倫」とかそういう単語が飛び出し、その場の全員が一致して「それは桃色ピンクじゃないよ!」という結論に達したので、ここはいっちょ桃色ピンクがどんな話か実演してみよう! と思って今回のロイさんになったのですが。
 ………大佐と未亡人のどのへんが桃色でピンクなのか私にも申し訳ないが説明できません。
 頭の中にはおそらく墓場の桜のイメージしかなかった(それ桃じゃない)。
 結構むずかしいな、桃色ピンク。

 私の中で桜の花というと、潔癖で清廉なイメージです。
 キャラでいうと、たぶんテニスの手塚が一番それのイメージに近い。清く正しく美しく、そして強く潔く。
 桃色というと、まあありがちに種のラクスさんですね。桃色の歌姫。あとギアスのユーフェミア。桃色の皇女。

 桃色ピンクはそのうちまあ頃合を見てリベンジしてみたい。正しい桃色ピンクとは何ぞや! というのを証明してみたいんだ!(しかし何のキャラで書くかは全然考えてない) 




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