小ネタ日記ex

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誰かの願いが叶うころ(Fate/イリヤとアーチャー)(その他)。
2006年10月17日(火)

 雲で塗り潰された空の上で、六花は咲くのを待っている。








 目を伏せれば浮かび上がる冬の景色は、いつも白い。
 冷たく、白く、厳格なアインツベルンの冬。少女にとって思い出と呼べるものは、生家の歴史 と忠実だった従者、そして白い雪のものだけだ。
 ここには雪はない。代わりに、板張りの長い廊下と冬枯れの庭園がある。日本風に呼ぶのなら 縁側と呼ばれる窓辺の廊下に腰掛け、真っ白い脚を庭先に投げ出しながらイリヤスフィールはた だ座っていた。
 少女の足の裏の下には、庭へ下りるための台となる御影石がある。真冬の今では冷たく凍えた 石だったが、イリヤにはこの程度どうということはなかった。

「…つまんなーい」

 若い当主に無理やり履かされた靴下の足をぶらぶらさせながら、イリヤは唇を空に尖らせた。
 一族の仇と目されるこの家に保護されたのは、つい先日のことだ。衛宮というこの家の当主は 若い上に能力としては頼りないことこの上ない魔術師だったが、正義感だけは溢れるほどある。 彼のその信条によってイリヤはこの家に保護されているが、半ば軟禁と呼んでもおかしくないと イリヤは思っている。

「なんだかんだで、セイバーがいるもんねー」

 今頃敷地内の道場で瞑想でもしている金の髪の存在を思いながら、イリヤはひとりごちる。
 風は稀に吹き、イリヤの銀の髪を散らす。ここにもしこの家の若い当主や、家人がいたとすれ ば即座に窓を閉めに飛んできただろう。部屋の温度はおそらくもう一桁に入ってる。
 冬枯れの庭園には、薄茶の芝が広がる。アインツベルンの森のような鬱蒼とした樹木はなく、 庭と公道の間にある漆喰の塀を境目に、淡々とした午後の空が広がる。
 強い色彩がない、多くを語らない冬の景色。肺に入ってくる媚びのない冷たさ。胸に穴が開い たような気持ちになるのはなぜだろう。

「つまらないわ、アーチャー」

 白いスカートを花のように縁側に広げながら、イリヤは背後の存在に向かって声を張り上げた 。そこには誰もいないはずだったが、少女には気配でわかる。
 姿を隠したって、いるのはわかっているんだから。
 次はそう言ってやろうかと思ったとき、幽霊よりも高尚な存在であるはずの相手の声が聞こえ た。

「私を呼んだところで遊び相手にはならないぞ、イリヤスフィール」
「わかってるわ。遊んで欲しいわけじゃないの。退屈しのぎに相手なさい」
「私は凛のサーヴァントだ。君の命令に従う義務はない」
「義務も権利もないの。わたしが暇なの。だからいいのよ」

 つんとイリヤが小さな頭を声とは反対の方向に逸らせると、同じタイミングで風が吹いて髪を 揺らした。
 ためいきが聞こえたのは、そのすぐ後だ。

「…全く、あの小僧の周囲にはこういう女ばかりだな」

 諦めにも似た苦笑と失笑の中間。聡くその空気を感じ取り、イリヤは姿を見せた赤い服の青年 ににっこりと微笑んだ。

「いいのよ。いい女が集まるのはシロウにとって良いことだもの」
「…いい女の意味を色々と間違えているぞ」
「そうかしら?」
「そうだ」

 断言した後、不意の何かから少女を守れるように、赤い騎士はイリヤの斜め後ろに立つ。
 姫君を守る騎士の如く。
 何だ、結局あなたは彼なのね。ふとこみ上げた嘲笑に似た心を押し隠し、イリヤは体の横の板 に両手を突いた。泣き出しそうな空の色が見える。
 顔が見えないアーチャーが息を吸う音が聞こえた。もうとうに生身の身体は失くしているくせ に、そういうところはいつまでも人間じみている。

「寒くないか」
「ないわ。こう見えて、寒さには強いの」
「嘘だろう」
「ほんとよ」

 意地ではなく、心からイリヤは言った。
 本当だ。暖かいものも嫌いではないが、寒いものに弱いわけではない。ずっと遠い昔の、暗く 寒い冬の森に比べれば、この屋敷の冬は寒くない。
 淑女にあるまじきことだとわかっていながら、イリヤはふと体の力を抜き、脚を外に出したま まアーチャーとは逆側に身体を倒した。

「どうした、具合でも悪いのか?」
「…ちがうわ。この家の結界が嫌なの」

 キリツグの気配が、まだこんなに残っている。
 もういない、さっさといなくなってしまった、衛宮の本当の魔術師。
 この家に来たときから感じていた、濃密な魔術の気配。まとわりついてくるはずのそれが、ひ どく慕わしく感じる。
 さらさらと流れる銀の髪を、磨き上げられた木の板の上に散らし、イリヤは深く息を吸い、目 を伏せた。
 閉じた瞼からでも、アーチャーがイリヤのそばに膝を突く空気が伝わった。

「…何か食べるか」
「………あなた、レディに向かって言うことはそれなの!?」

 思わず目を開けて怒鳴ってしまう。アーチャーもイリヤのその剣幕に驚いたのか、軽く眼を瞠 る。そうすると、まるで過去の彼のようだった。
 ずるずると身を起こし、イリヤは深々と息を吐く。

「いい、何でもない。お昼ごはんならさっきセイバーと食べたから」
「足りたのか?」
「生憎、わたしは普通の量で十分なの。セイバーと一緒にしないで」

 取り澄ますのも疲れ、イリヤが膨れっ面になると、赤い服の彼はどこかほっとしたようだった 。

「それならよかった。ほら、起きろ。髪が汚れる」
「………………」

 ひょいと両腕の下に手を入れられ、軽々と持ち上げられた。イリヤはそれを憮然としたまま受 け入れたが、短い銀髪のサーヴァントはそんな少女の様子など構っていないようだった。
 不意に目が合うと、彼は片眉を跳ね上げながら視線だけで「何だ?」と問いかけてきた。
 イリヤは彼の正体を知っている。正確には、『彼』の過去と真の名を知っている。死して尚英 雄となり、昇華された霊となり、時間軸の輪から外れたサーヴァント。彼らが仕えるのは召喚し た魔術師というよりも、この世界そのものなのかもしれない。
 殺し合いを仕掛けたこともあるイリヤに、彼は一切の殺気や敵意を見せなかった。その理由を イリヤは聞く気にもなれない。
 ただ、そのあくまでも穏やかな双眸に、無性に腹が立った。

「アーチャー、そこ座って」
「は?」
「座るの」

 イリヤはぱしぱしと白い手で床を叩く。眉間に力を入れて睨むと、遠坂令嬢のサーヴァントは 致し方ない様子でその長い脚を折った。
 少女のスカートに触れない程度の距離を保ったところで胡坐を掻いたアーチャーに、イリヤは 満足げににんまりした。ととと、と軽くステップを踏むと、勢いよくアーチャーの膝の上に背中 から座り込む。
 イリヤの勢いに合わせて揺れた銀の髪が、アーチャーの鼻先をくすぐった。

「……イリヤスフィール」
「何よ。いいじゃない、これがニッポン風の『お父さんだっこ』でしょう?」
「…一体どこでそんな言葉を覚えたんだ」

 呆れる声が、イリヤの頭の上から聞こえてきた。それでも彼はイリヤの背もたれとなることを 了承したようだった。イリヤを簡単に持ち上げることも出来る手が、仕方なさそうにイリヤの頭 の上に乗せられた。

「君は、母親似か?」
「さあ? どっちだっていいじゃない。私は生まれた目的はあっても、既存の誰かに似る必要は ないんだから」
「そうか」

 短く嘆息し、アーチャーは手持ち無沙汰を示すようにイリヤの癖のない髪に指を走らせた。
 ひとすじ、ふたすじ。イリヤの髪が彼の象牙色の指の間を滑り落ちる。その感触が妙に心地よ く、イリヤはアーチャーの胸に背中を預けながら脚を軽く曲げ、体勢を落ち着かせた。背中越し の温度はとても居心地が良かった。
 イリヤが目を閉じると、冷たい冬の風と、アーチャーの温度の差がよりクリアになった気がし た。

「シロウがね、言うのよ」

 目を閉じたまま、イリヤは静かな気持ちで言った。

「私と一緒に暮らしたいんですって」

 おかしいでしょう?
 全く裏づけのない口調で、イリヤはそう続けた。英霊となった義理の弟の温度を感じながら、面白くもないのにくすくすと笑う。

「全く、偽善よね。キリツグの償いなのか、シロウの気持ちなのかわからないけど」
「…おそらく、両方だろう」
「そうね。あなたが言うならきっとそうなのね」

 完全にアーチャーに身体を預けたイリヤは、この伝わる温度を媒体に溢れてくる気持ちの意味を知らない。

「だけどシロウのその願いは叶わないわ。そう言ってるのに、どうして信じないのかしら。私とシロウは片方しか生きれないって何度も説明してるのに」
「………………」
「ねぇ、そうでしょう? あなたの願いは叶わなかった。それが真実よね?」
「真実ではない」

 厳然としたアーチャーの声が、イリヤの仮説を否定した。
 父性さえ感じさせる両腕をイリヤの身体に回し、少女の腹の上あたりで手を組みながら、アーチャーは言う。

「…真実ではなかった、と言うべきかな。ただ、俺にとっての事実だった」
「ほら、やっぱりそうじゃない」

 イリヤはせせら笑う。
 彼の願いと、イリヤの願いは同時に叶わない。彼は生き、イリヤは逝く。あるいはその真逆か。どちらであっても互いが手を繋いで歩む道は存在しない。
 アーチャーもそうだったのだから。

「…イリヤはどう思ってる? 叶うならば叶えたいと思ってことはないのか?」
「わたし? そう、ねぇ」

 何だか眠くなってきた。イリヤは一瞬湧き上がりかけた欠伸を飲み込み、完全に身体から力を抜いた状態で考える。

「…どっちでもいいわ」

 もう衛宮切嗣はいない。衛宮士郎の未来は今ここにいる。
 アインツベルンの白い冬。あの場所以外の冬を今ここで見ている。念願だったサーヴァントも手に入れることが出来た。今はそのぐらいしか思い浮かばない。

「今は、こうしていればそれでいいわ」

 瞳を開けることなく、イリヤは身体をわずかに傾け、アーチャーの胸に頬を寄せる。太陽とは違うぬくもり。この温度が、イリヤの胸に味わったことのない気持ちを教えてくる。
 何も言わない青年の手が背中に添えられ、髪を撫でる。安心してこの身を預けられる存在。
 微笑んだイリヤに、もう冬の空は見えなかった。









************************
 Fateで、イリヤとアーチャー。
 神咲さんからもらったお題は「イリヤとアーチャーと食卓」だったのですが、食卓がない。……うーむ。
 お題をもらった直後に書いていたのですが、前半書いて進まなくなったまま放置していたものを引っ張り出し、後半まで書いてみました。
 相変わらず誰編の何日目とかは考えてないのですが、敢えて言うなら桜ルート。

 誰かの願いが叶うころ。ウタダさんの曲です。
 Fate本編をやっているときに聞いていた曲です(※私はFateのBGMは完全オフにしてやっていたため、背後で普通に音楽アプリが起動していた)。とても偶然だったのですが、Fateのイメージがそのままこの曲だと思いました。

 そんな感じで本当に書きたかった後半はオマケとして以下に続く。


*****

 セイバーが縁側の窓が開いていることに気がついたのは、午後もたっぷり回ってからだった。
 道場にいたせいであまり母屋の様子は見ていなかったが、アーチャーがいることと、特に気配の差は感じなかったため気づくのが遅れた。このままでは、主たちが帰ってくる頃に家の中が冷えてしまう。
 居間を通り、庭へ面した縁側の廊下に立ったとき、開けたままの窓の前に赤い騎士が座り込んでいるのが見えた。

「…アーチャー」

 思いがけないほど呆然とした声になってしまったのは、赤い騎士が華奢な少女を包むように胡坐の上に乗せていたからだ。

「セイバーか」

 アーチャーが軽く上体をひねると、寝息もたてず、静かに寝入っている少女の顔が見えた。アインツベルンの白い姫、イリヤスフィールだ。
 一体何の取り合わせだろうかと、その光景の異様さにセイバーが目を瞬かせたとき、アーチャーが軽く苦笑した。

「私を毛布か何かと思っている間に、寝てしまったんだ」
「…そう、ですか」

 あまり近づくのも憚られ、足を止めたセイバーはイリヤの安心しきった寝顔をまじまじと見てしまう。この少女は、他人のサーヴァントにこんな無防備な姿をさらすような娘だっただろうか。
 会話が弾まないアーチャーは、それきりセイバーから視線を外し、窓の外に顔を向けた。嫌がるそぶりも無いところから、少女が目覚めるまで毛布に甘んじるつもりなのかもしれない。

「…………………」

 セイバーは数秒考え、足音を立てないよう踵を返した。
 静かに居間に戻ると、家人が使っている膝掛けを取り出し、もう一度縁側に戻る。

「…アーチャー」

 近づく意思を小声で呼ぶことで伝えると、金の髪の騎士はそっと青年と少女に近づく。
 不思議そうにセイバーを見ている青年の膝の上の少女の眠りが乱された様子はなく、かすかに微笑んでいる。その顔に思わずセイバーも微笑みながら、そっとふたりのそばに膝を突いた。

「…冷えて風邪を引いたらシロウが心配します」

 言い訳のように呟きながら、セイバーは少女の細い体の上に膝掛けを掛けた。淡い桜色のそれは青年には不似合いだったが、少女にはいたく似合った。
 膝掛けの感触にも動じず、少女は幸せそうな微笑を宿して眠り続けている。
 平素は可憐な容姿に見合わぬ火烈さや、道理を知らない冷徹さを見せるイリヤスフィールの幼い寝顔に、セイバーは理屈ではなく微笑ましさを覚えた。
 そのセイバーの横顔を、アーチャーは驚いたように見つめていた。

「アーチャー? どうかしましたか?」

 横顔に当たる視線に気づき、セイバーがそう声を掛けると、彼は我に返ったかのように一瞬だけ表情を無くし、やがて小さく息を吐く。

「いや、何でもない」
「…そうですか」

 言いながら、セイバーはイリヤの唇にかかっている銀髪をそっと手を伸ばして払ってやる。
 それを見ていたアーチャーがぽつりと呟いた。

「…この子がいて、君がいるんだな」
「はい?」

 そばで膝を突いたまま、セイバーの碧の目は青年の顔を見る。
 彼はただ、何かを知った者の微笑で答えた。

「こうして、願いが叶うこともあるんだな」

 いつかの自分が叶うことがなかった、二人の少女とのやさしい時間を。
 不思議そうに首をかしげた金の髪の彼女にそれ以上答えず、青年はゆっくりと口元に笑みを刻んだ。






彼にとっての予定調和(種/シンとルナマリア)(運命終了後)。
2006年10月14日(土)

 ある日、同僚からその話を聞いた。









「ねぇ聞いた、シン。アスラン、結婚するんですって」
 廊下で顔を合わせた、ラベンダーブルーの瞳をした同僚は、大層複雑そうな顔をしてザフト軍中央本部勤務ザラ隊のシン・アスカにそう言った。
 両手を使って大量の紙の資料を持ったままのシンは、思わず二の句が継げずにぽかんと口を空ける。ようやく言葉らしいものが出てきたのは、彼女の目を見つめて数秒経った後だった。
「………けっこん?」
 何それ。俺知らない。
「そうよ結婚よ。異性と婚姻関係を結んで新しい家庭を築くアレよ」
「……アスランさんが」
「そうよ! ちょっとシン、ぼけらっとした顔してないで、ちゃんと考えてよ!」
 シンの態度に苛立ったのか、紫紅の髪をした彼女はあろうことかシンの襟首を掴んで揺さぶった。その振動でようやくシンにも真っ当な思考が戻ってくる。
「ちょ、ルナ、落とすから! わかってるよ、ちゃんと」
「ほんとに? 兎角アンタは昔っから変なところは大ボケかますんだから」
 自分が乱したシンの制服を直しながら、士官学校時代からの同期のルナマリアはぶつぶつと小言を言った。この、まるで姉のように面倒を見てくれる相手にシンは敵わない。
 けれど今は彼女の言った内容のほうが重要だった。
「…そっか、結婚、するんだ」
 自分の頭にしみこませるように、シンはそう呟いた。
 金の髪の姫の顔と、涼やかな声を思い出す。あの姫もとうとう、好いた相手と結ばれるのだ。
「いいんじゃない? アスランさんだってもうそこそこの歳だし、いつまでも独身じゃ格好つかないし」
「でもだからって、ろくに会ったこともない政治家の娘と結婚するなんてどうかしらねー」
「…政治家の娘?」
 シンの母国の代表首長、カガリ・ユラ・アスハは政治家の娘ではあるが、今ではそもそも彼女自身が政治家だ。シンはルナマリアのその面白くなさそうな言い方に嫌な予感がした。
「ルナ、それ誰のこと?」
「名前は知らないわ。でも、プラントの結構偉い人の長女らしいって噂よ」
 違う。シンは自分の予想と大きく異なる事実に、思わず息を飲んだ。金の姫じゃない。
 だったらそれはただの噂だ。あの人が、あの想い人以外の女性と結婚するなんて有り得ない。
「でもさ、それって噂だろ? どうせどっかから出たガセネタだって。違う違う、絶対違う」
「さあ、どうかしら? ともかくうちの部署、この話で持ちきりよ。ことによっては次の人事異動に関わるんだし、場合によってはアスランの政界入りだってより確実に」
「だから、違うってば! 俺は信じない」
「…シン、オーブの姫のこと考えてるでしょ」
 ラベンダーブルーの瞳が温度を低くしてシンを見る。その見透かしたような瞳に威圧されながらも、シンは何とか後ずさりをこらえた。
 両腕に持った書類の一番下が、シンの手の汗を受けてかすかに歪む。
「だ、だってさぁ…」
「まったく、ほんとあの姫が好きなのか嫌いなのかわかんないひとねぇ」
 ころころと笑い、ルナマリアはシンの紅の瞳をのぞきこむ。からかうのではなく、彼女らしい明るい優しさがシンを包んだ。
「そう思うんなら、シンがアスランに確認してみてよ。私たちはあんまり聞けないけど、シンなら出来るでしょ?」
「…あのさルナ、もしかしてそれが目的?」
「やーねぇ、私はただ、シンがこの話聞いたら怒りながら心配するかな、と思って早く教えてあげただけよ。ちゃんと聞き出したら私にも教えてね」
 じゃ、よろしくー。うふふ、と笑いながら歌うようなかろやかさでルナマリアは廊下を歩き出した。
「おいルナ!」
 短い愛称で呼んでも、彼女は後ろ手をひらひらと振るだけで、もう戻ってくる様子はない。両手の荷物があって、シンもそれを追いかけるわけにもいかない。
 妙な波紋を残して去っていく優秀な同期生の背を軽く睨みながら、シンは軽く息を吐く。
 早く上司のところにこの資料を持って帰ろう。そう思いながら目的地へとぼとぼと歩き出す。
「…そういうことだって、あるだろうけどさ」
 組織社会において、独身男性はあまり高い位置の役職付きにはなれない。離婚はしてもいいが、一度も結婚をしていない男性士官は中央から追いやられる。理由は様々だが、シンの所属するザフト軍では特に文官の任を追う部門では特にそうだ。
 アスラン・ザラはいずれ政界入りが有望視されているザフトの英雄だ。彼の結婚は、約束された未来に近い。かつては婚約者としてラクス・クラインがいたが公式的にその婚約は破棄され、公然の秘密である想い人は遠い異国の人だ。
 想い合うことが、一生を添い遂げる存在になるとは限らない。
 シンも薄々その事実に気づいていた。否、シン自身も参戦したあの戦争初期、オーブの姫の最初の夫が存在した時点で、それはわかっていた。
 あの人たちは、きっと、自分たちだけの幸福を追い求めることはないだろう。戦禍を拡大させた罪を忘れず、生きる限りその贖罪に努めようとするだろう。アスランの結婚は、その一部に他ならない。
 彼とあの姫は、たぶん結ばれない。
 有り得ない、とルナマリアに言った口の持ち主は、厳然としたその事実に辿り着き、ため息になりそうな呼吸をぐっとこらえる。

 それでも、罪は罪として、幸せは幸せとして掴んで欲しいと願うのは、都合のいいわがままなのだろうか。

 カガリがあの戦争によって傷ついた自国を心から悲しみ、慈しんでいるのを知っている。守れなかった国民の命を嘆き、己を悔いて、今も耐えながら傷まみれになりながら戦い続けようとしているのを知っている。
 少年時代から混迷しながらも、コーディネイターとナチュラルの軋轢から人類を解放し、平和の地平を目指してザフト軍として活動しているアスランを知っている。オーブの姫を、離れても尚想っている彼の姿を知っている。
 大戦終結後、冷静になればなるほど自分のしたことの大きさに潰されそうになったシンを支えてくれたのはルナマリアで、手を差し伸べてくれたのはアスランとカガリだ。上官として支援してくれた人と、母国への移住権を取り戻してくれた人。
 自分が未だシン・アスカとしての幸福を夢見てやまないように、彼らも彼らの幸福を目指して欲しい。それは、とても自分勝手な意見ではあるけれども。
「……俺に言えた義理じゃないけどさ」
 何せ、未だにあのラベンダーブルーの瞳にまともな想いを伝えることが出来た記憶がない。
 人様の恋愛ごとにかまっていられるほど悠長な立場ではないのだ。まだ有り難いことといえば、シンとルナマリアはアスランとカガリほど障害の多い関係ではないことぐらいだ。
 だからといって、放置しておくのも気持ちが悪い。
 軍本部の無機質な廊下を歩きながら、シンはとりあえずこれから上司のザラ隊長に問い質し、事と次第によってはぎゃんぎゃん吠え立ててでも結婚反対宣言をしようと心に決めた。








*************************
 理屈より感情論で突っ走れシン・アスカ。
 「嫌なもんは嫌だ!」と堂々と言って振舞うところがシンちゃんの良いところであり、悪いところでもあると思うのですが、私は嫌いではありません。軍人として向いてるのかどうかは置いとこう。

 そしてどっちかっていうと、シン→ルナマリー(※ルナマリア)の図が好物です。

 人様の日記に便乗するようでアレなんですけど、A乃さんの日記の「ニュースキャスター三上」に結構ときめいた。
 公共放送の新人時代(地方局時代)に水野と発音練習で競い合ってたりする図を想像してさらにときめいた。難関ら行とば行の活用系を延々と二人でぶつぶつ言ってるがいいよ! 私が大嫌いだったな行をすらすら出来る三上だったら惚れるかもしれない。
 民放よりも、公共放送独特のあの喋り方の三上ならたぶん惚れる。
 そしてスポーツコーナーは渋沢担当で、お天気は笠井だ!(何その超趣味)
 ……という本を、あや乃さん是非出して下さい(そろそろ本当にイベントに行って御本を買いたい今日このごろ)(恥ずかしくて通販を言い出せません…)(ヘタレ)。

 ところで私はN○Kの夜のお天気ニュースで、キャスターと気象予報士が二人揃って「「こんばんは!」」と「「また明日!」」と言いながら頭を下げている姿が大好きです。もーあなた方内心で「せーの」って声出してるでしょ! とあれだけできゃーきゃー言うほど好きです(何のためにニュース見てるんだ)。






探偵ゲーム(笛/三上と渋沢と他)。
2006年10月10日(火)

 渋沢克朗が万引きで補導された。









 そのニュースは、松葉寮を席巻した。

「ンなワケあるかこんクソがーーーーッ!!!!」

 通達文書をあらん限りの力で床に叩きつけ、三上亮が吼えた。
 ところが彼のその行為の空しさを示すように、A4の紙一枚は音もなく宙を舞い、静かに彼の足元に落ちた。三上はそれを憎き敵と断定し、今度はスリッパの足で思いきり踏みつけた。
 夜五時過ぎ。夕食後の談話室には、緊急招集された部員一同が揃い踏みしていた。

「三上、気持ちはものすっっっっごくわかるが! わかるがちょっと足どけろ。それ読みたい」

 例によってホワイトボードがある演壇の一番手前に座を占めている一軍レギュラーの中西が、怒り狂う三上の足の下から哀れな文書を救出した。
 武蔵森サッカー部の順列とは、そのまま1軍から3軍までの能力等級を指す。こういった集会の際は、必ず議長となる部長が演壇に立ち、1軍から演壇に近い順に座を占める。
 ところが本来この場を収めるべき渋沢克朗は不在だった。

「……区内某所における店舗にて、渋沢克朗万引きの疑いあり。沙汰あるまで蟄居を命ず」
「おい中西、ふざけんな」
「はいはいスイマセン。要するに、我らが部長様は万引きをした可能性があるから、事がはっきりするまで自宅謹慎だって」

 自宅謹慎、という単語が出た瞬間、部員たちの間に動揺が木々を渡る風のように広まった。
 無確定の段階ですでに自宅謹慎が下されるということは、部長の疑いは余程濃いと感じざるを得ない。
 あからさまに顔色を変え、ざわつき始めた下級生たちに三上が舌打ちする。特に一年生は顔を青くしている者が多い。

「中西よく読め。自宅謹慎じゃねぇ、まだ『自宅待機』!」
「あ、ほんとだ」

 暴風雨の如く怒り狂っているかと思いきや、意外と冷静に読んでいたらしい三上は、一つ深呼吸して一度全員の顔を見渡した。

「謹慎と待機は全然ちげーからな。わかんねー奴は後で辞書引け。ともかく、まだ確定したわけでもなければ、部長が退部するわけでも、次の大会辞退するわけでもない! あってたまるか!!」

 再度三上が吼え、ついでにホワイトボードを拳で叩いた。
 割れるのではないかという音を本来の用途以外の目的で発生させたホワイトボードは一瞬たわみ、からんからんという音を立てながら何とか元の位置に戻る。
 不安そうに浮き足立った一年生の一部が、三上のその剣幕で逆に落ち着きを取り戻す。部長の右腕、部の戦略を担う司令塔の影響力は決して小さくない。

「…それにしても、由々しき事態であることには変わりはないですね」

 顎に手を当てながら、二年の笠井竹巳が呟いた。猫目の彼は、傍目には非常に落ち着いていた。

「よりによって部長が万引きなんて、本当に確定したらまず一年は公式大会を辞退するでしょうし、監督は解任、顧問にも厳罰。当たり前ですけど、本人は元より、同じ部員の進路問題にも関わりますね」

 高等部への自動進学が剥奪されるだけではなく、他学校への進学も不利になる。まず推薦入学の枠には加えてもらえないだろう。
 眉間に思慮深い皺を刻みながら言う笠井に、代理で演壇に立つ司令塔と副部長がそれぞれ違った意味の息を吐く。

「そうなんだよなー」
「その上、こっちにゃ奴がとっ捕まった状況も日時もろくに伝わってねぇ。文書通達のみで、顧問もまだ職員会議中で終わらない限り俺たちはただ待ってろとさ」
「…わかんないなら、調べりゃいいじゃないスか」

 低い声が、特徴ある語尾をつけて談話室に広がった。
 一斉に視線が集中した先は、藤代誠二だった。
 笠井の隣で胡坐を組んでいた藤代は、彼にしては珍しいほど笑みの欠片も見せず、勢いよく立ち上がって演壇の二人を見据える。

「こんなとこで足踏みしてないで、俺たちで調べましょうよ! 渋沢先輩がそんなことするわけないってみんな思ってるんでしょう!?」

 藤代の清冽な活だった。彼を中心に、顔を見合わせた周囲の人間たちも思わず演壇の二人に向かってうなずきを返す。

「渋沢先輩は、そんなことしたら自分や部がどうなるか考えたらすぐわかると思います。だから絶対、そんなことしません」

 驚くほど冷静に、藤代誠二は部長の無実を訴えた。
 渋沢克朗は、時と場合によっては校則を捻じ曲げて笑うような人ではあるが、責任感はこの部を背負って立つに相応しい人柄だ。
 何かの間違いに決まっている。その思いは部員全員で共通していた。

「……っていうことだけど、どうする、三上」

 それっきゃないよなぁ? そんなかすかな笑みを浮かべて、副部長は役職は無くとも指揮権は持つ司令塔に意見を求めた。
 藤代はまだ真っ直ぐに三上と中西を見ている。
 三上はその藤代の視線を受け止め、また部員全員の顔を見渡す。今回の件において校内で権力を持つサッカー部部長の名を借りられないことは、大きく力を削がれる。
 それでも。
 三上亮の黒色の目が、鋭く光った。

「中西、一年の統括はお前がやれ」
「りょーかい」
「二年は笠井を中心に生徒メインでちょっとでも事情を知る奴を調べて、片っ端から連れて来い。伝令は藤代、記録作成は間宮に任せる」
「はい。すぐに班を決めて情報収集に当たります」
「三年はレギュラーは顧問とコーチに連絡。それから渋沢の実家調べて電話して本人の口から状況聞き出せ。現場の店がわかったらすぐに適当な教師の名前使って電話して、店からも状況聞け。記録作っとくの忘れんなよ。俺は今から生徒会室行ってくる」

 どうせ、あの肝心なところでぼやんとしている部長のことだ、ぼんやりと店先をのぞいている隙にどこかの阿呆に鞄の中に商品を入れられたとかに違いない。
 矢継ぎ早に指示を出す三上の胸に、そんな予想が浮かぶ。
 トップのフォローも、部の名誉を守るのも司令塔の仕事の内だ。

「門限まであと二時間ある。それまでに調べるだけ調べとけ。対策立てるのはそれからだ」

 わかったな。
 ゲームの盤上と同じ目で三上が部員を見ると、全員一斉に応えを返す。

「ま、中坊にどこまで出来るかナゾだけど」
「人海戦術ならお手の物ですからね」
「キャプテン救出作戦かー」
「一年全員、渋沢キャプテン信じてますから!」

 どこの誰だかは知らないが、うちの部長をハメた以上、相応の目に遭わせてくれよう。
 犯人か警察に突き出した店へか、あるいは現在疑いを晴らそうとしているのかわからない学校側へか。とりあえず矛先は様々だったが、全員の気持ちは部長救出に固まっていた。
 当初の暴風雨状態が嘘のように冷淡に腕を組んだ三上は、時計を見ながら号令を出す。

「使えるもんは蟻でも使え。暴力恐喝その他犯罪に完全に抵触しない限り何でもやれ。俺が許す。不明点は逐一俺か中西に報告。近藤、全員に俺の携帯電話番号通達しとけ。本日1930にこの場所で報告会だ。
 以上、解散!」

 イエッサー!!
 本来ならば練習のローテーションのための班分けは、こういう時にも役に立つ。自然と普段通りのチーム編成を作り、部員たちは夕飯そっちのけで現場へ走る。

 渋沢克朗救出作戦は、こうして幕を開けた。









***********************
 アンタも大概アホですね、と言われるのはこういうネタを書いたときだと思う。

 古畑 VS SMAPを観ていたら思いつきました。
 一致団結して完全犯罪を目論む、でもよかったのですが集団少年犯罪はこのご時勢いかがなるものかと考え、逆パターン。
 当たり前のように続きは全然考えていない。
 三上は何より渋沢の不甲斐なさにマジ切れしてくれればいいと思う。再会したらとりあえず一発殴るぐらいの心持ちで指揮官として捜査(でも実際無実を証明して再会したらほっとして殴るどころではないぐらいでいい)(※私は本来三渋の人です)。



 ついでにオマケの三上と彩姉さん。

*********



「……それで上着のボタンも留めず、取るものも取りあえずやって来たわけね」

 こめかみに指を当てながら、今期の生徒会長はふーっと息を吐いた。
 すでに外は暗い。校内にいられる時間ぎりぎりまでここにいる生徒会長ならば、渋沢の今の状態も把握しているかもしれないと考えた三上の予想は当たっていた。
 校内に入るため、本日二度目の制服を着た三上に、親しい付き合いの彼女はにこりともせずに持っている情報を披露する。

「職員室でも大騒ぎだったけど、渋沢が補導されたのは確かみたいね。場所はコンビニ。対象商品は雑誌。渋沢にとって災難だったのは防犯カメラのない店だから、目撃者の話が重要視されたせい」
「目撃者が渋沢がやったって証言したってことか」
「その通りよ。状況証拠に加えて目撃者あり。…これが渋沢でなければ、学校も早々に謝罪してたでしょうね」

 渋沢克朗といえば、優秀で真面目な生徒の代名詞と言っても過言ではない。だからこそ、学校側も現在の対応に苦慮しているというのだから皮肉なものだ。
 制服のシャツの上から腕を組み、難しい顔を隠さない元彼女に三上はついでに尋ねる。

「お前はどう思ってる?」
「私? 絶対やってないと思ってるわよ」

 当たり前じゃない。下らないことを聞くなとばかりの視線で彼女は言った。

「あの渋沢が、そんな陳腐な犯罪するとは思えない。愉快犯的なことはしたとしても、自分の名誉も社会的地位も不意にするほど馬鹿な男なわけないじゃない。あの渋沢が」
「…だよなぁ」
「それで、サッカー部の方針は? 当然このまま事態が落ち着くまで静観しているわけがないんでしょう?」
「今状況掴むために奔走中。…あと一時間しかねぇ」

 精神的な焦りを覚え、三上は嘆息した。
 まだ生徒の身の上である以上、門限を越えてまで行動を続けるわけにはいかない。所詮自分たちはまだ学校や保護者に守られる子供の年代なのだ。
 ぎりぎりの時間まで情報を集めたところで、自分たちに出来ることはたかが知れてる。それでも、仲間が疑われ、自分たちの行動にも制限が課せられる可能性があると知っては動かずにはいられない。

「…落ち着いて。大丈夫よ、渋沢なんだから」

 すっと三上の側に白い手が伸ばされる。
 彼女は三上の適当に結ばれたネクタイの玉をきちんと三角に整え、ブレザーのボタンをすべて留める。そして彼を見上げた。

「学校側もちゃんと動いてるし、いざとなったら生徒会主体で署名だって何だって集めるぐらいは出来ます。もちろんサッカー部が中心で渋沢の援護をしたっていい。だけど、今あなたが一番しなければいけないのは?」

 部長が騒動の渦中にあるいま、司令塔が一番すべきことは?
 凛とした双眸が三上の間近で問いかける。焦らず、揺らがない彼女の態度に三上のざわついていた心臓が落ち着きを取り戻し、思考が正常に動き出した。

「…他の連中を落ち着かせること、か」
「正解」

 強い自信に満ちて彼女は微笑んだ。

「渋沢は特に下級生に人気があるんだから、下の学年のほうが動揺は強いはずでしょう? 支えてこそ先輩なんじゃないの? 三上」

 ぽん、と彼女は軽い力で三上の胸を手のひらで叩く。
 落ち着きなさい。もう一度、彼女は言った。

「私とあなたが組んで、負けたことがあった?」

 傲慢一筋サッカー部司令塔と、数々の男子候補をなぎ倒してその座に就いた生徒会長。
 その上救出対象が、強豪武蔵森の名を背負って立つサッカー部キャプテンだ。

「守りは任せるから、交渉は私。警察でも現場の店でもどこでも行くわよ」
「……お前、マジこういうときは武闘派になるよな」

 落ち着くのはむしろお前だ。そう言いたい気持ちをこらえた三上の前で、強気の生徒会長は堂々と胸を張った。

「うちの学校の名前に泥塗られるのが死ぬほど嫌いなだけよ。渋沢に恩を売る機会なんて滅多にないし」

 生徒の総代表としてあるまじき台詞だったが、味方に引き入れれば頼もしいことこの上ない。
 きちんと整えられた身なりで、三上は背筋を正した。

「頼んでいいんだな?」
「当たり前でしょう」

 口の端を上げ、嫣然と彼女は微笑む。
 今日のタイムリミットまで、あと45分。






再録:僕の生きる道(笛/渋沢克朗)。
2006年10月05日(木)

 いつか終わるその時を、幸せだったと笑って終われればいいと思う。








 よく晴れた空が、頭上一杯に広がっていた。
 芝から立ち上る大地の匂いをすぐ真横に感じながら、渋沢克朗は中庭で午後の空を寝転がりながら見上げていた。
 突き抜けるほど遠い空を見ていると自然にあくびが出るのは仕方ないことだ。同時に太陽の眩しさが目を焼き、大きな手のひらを顔の上に乗せた。

「あ、いたいた」

 がさりと音がして、横の茂みが割れた。
 ツツジの樹木の合間をすり抜けるようにして渋沢の幼馴染みの彼女がやって来る。それを見つけた渋沢は、とりあえず身を起こした。

「どうした?」
「こっちの台詞。三上さんが探してた」

 探索を手伝っているところだったらしい彼女は、気軽に近寄ると渋沢の制服についた芝をしゃがみながら払ってくれた。

「どうしたの?」
「え?」
「居場所も言わないでいなくなるなんて、らしくなかったから」

 別にいいんだけどね、と彼女は繋げて笑い、しゃがむのを続けるのは足が疲れると判断したのか、膝を崩して渋沢の隣に座った。
 風の中に、近くで咲いている白い梅の花の匂いが混じる。
 もうじき春が来ると教えるこの時期には、色と香りが華やかな草木が冬の終わりを彩っている。

「来週からまた練習に戻るんでしょ?」
「ああ。やっと怪我も治ったからな」
「無茶しないでね」
「わかってる」

 まじめに渋沢が言うと、彼女が安心したような顔になった。
 怪我を負って二ヶ月弱。とりあえず運動をするには支障のない程度に回復したのは少し前だったが、一応の大事を取って本格的な練習に戻るには少し間を空けることにしていたのだ。
 精神的にも不安定になっていたことを考えると、今のこの穏やかな気持ちで怪我のことを話せる自分が、ひどく不思議に思えた。
 いい天気だ。軽く首を逸らして渋沢は空を見上げた。

「…戻らなくていいの?」
「そんな急用でもなさそうだから。急ぐんだったら校内放送で呼び出されるだろ」

 それに、と渋沢は不意に悪童めいた笑いを伴って、彼女の手を掴む。

「せっかく二人なんだしな」
「…いつものことじゃない」

 言い返しつつも、手を取られた彼女は少し引きがちだった。付き合う前もそれからも、自分からは決して触れてこようとしない彼女はその類のことに弱い。
 逃げるわけではないが、どこか落ち着かない視線で渋沢のことを見つめるその一対の瞳。振り解かないのは信頼の表れだ。そういう彼女が好きだと思う。
 この、二人でいる穏やかな時間が好きだと思う。
 焦れた時間が緩むように、渋沢はゆっくりと笑った。

「…なあ、一つ頼んでいいか?」
「なに?」
「膝貸してくれ」
「え?」

 互いの体勢からその意味を悟った彼女が、やや返答に詰まった顔になる。渋沢は狡さを自覚して、さらに言う。

「ダメか?」
「…いい、けど」
「ありがとう」

 言うなり渋沢は幼馴染みの膝と腿の上に自分の頭を出来るだけ勢いがつかないよう、ゆっくりと落下させた。仰向けになり、長い脚の片方の膝だけ曲げる。
 青い空を背景に、どこか緊張したような幼馴染みの顔が見えた。
 どこかで鳥が鳴く声が聞こえる。花と太陽の匂いと、人のぬくもり。
 あまりに穏やかで、静かで、胸のどこかが切ない。

「もう春になるんだな」
「うん」
「卒業か」
「…うん」

 冬の終わりは、春を待ちわびる心と併せて、少し寂しい。新しい季節に移る時期はいつだってそうだ。慣れたものから巣立つとき、新たなものへの不安も同居する。
 彼女のほうが置き場に困っていた手を渋沢の肩のあたりに置いた。いつもとは逆に、彼を見下ろす視線が寂しそうなのは渋沢の気のせいではないだろう。

「春になったら、またサッカー出来るじゃない」
「まあ、そうだな」

 一緒にいる時間はきっと減るだろうけれど。
 同じことを二人同時に思う。
 口にしないのは、言ったところでどうしようもないと理解しているからだ。縮まらない年齢差がある限り、学校教育の階梯は必ず彼女のほうが一年遅れる。
 きっとまた春になれば、怪我が治った渋沢はサッカーのほうばかりを見るようになるのだ。渋沢自身そのことは容易に想像出来る。
 夢の情熱ばかりを追う自分を、彼女が本当は快く思っていないことも薄々気付いていた。支援はしてくれるが時折見せる曖昧な笑い方の意味を見抜けないほど浅い付き合いをしてきたつもりはなかった。
 ただ、彼女が頑なにそのことを隠す気持ちもわかる。
 相手が望むものを否定して、嫌われるのが怖いと思うのは誰にでもある感情だ。

「…お休みはもう終わりなんでしょ?」

 逆光のせいか、彼女の表情がよく見えない。渋沢は息を吐き出しながら答えた。

「ああ」
「よかったね、またサッカー出来るようになって」

 その言葉はどこまでが真実なのだろう。
 素直に受け止めるには渋沢は気付きすぎていた。そして、それを気取られないだけの器用さがあった。

「そうだな。でも、怪我して気付いたことも多かったな」
「どんなこと?」
「道を歩くとき、無意識にゆっくりになるだろ? そうすると今まで通り過ぎるだけで、見てなかったものが見えた」

 いつもと同じ道でも、ゆっくり歩くことによって建物の二階にカフェがあることに気付いた。
 空の色は同じ青でも湿度によって若干その色を変えていることを知った。
 これまでも隣を歩く彼女の歩調に合わせていたつもりでも、彼女にはそれでも早いほうだったと気付いた。
 怪我をしたことは失敗だと思った。けれど、怪我をしなければ気付かぬまま終わっていたこともきっとあっただろう。
 そう思うと、全部が悪いことではなかったと前向きに考えることが出来た。

「…たぶん、人生に無駄なことなんてないんだろうな」

 遠回りでも、時には挫折しても、いつか辿り着く未来にその事実は確かな礎となる。傷つくことも、悩んで苦しんだことも。泣いたことも泣かせたことも。
 だからどうか、今の彼女の葛藤もいつか良い方向に向かってくれればいいと思う。
 子供時代を焦ることなく、共に悩んで励まし合って大人になっていけたらいいと思った。

「…そうかもね」

 ようやく表情にあった寂寥が消え、笑った幼馴染みに渋沢は内心安堵した。
 少しだけ風が吹き、渋沢を見下ろしている彼女の髪が揺れた。
 彼女は顔を上げ、斜め上の空を見て口許に笑みを浮かべる。

「ほんと、いい天気ね」
「次の休みは花見にでも行くか。公園の梅が見頃だって話だしな」
「お弁当持って?」
「いい考えだと思わないか?」
「うん」

 視線を合わせて、二人で笑う。
 空はよく晴れていた。







****************************
 懐かしいなぁ、という感じですが再録です。
 タイトルの通り、草○のドラマを観ていた当時でした。まあざっと三年半ぐらい前。
 季節が今と合っていないのはご愛嬌。

 人生で無駄なことなんてない。
 二十数年しか生きていませんが、今でもそれを信じています。






衣替えの朝に(笛/渋沢と三上)。
2006年10月01日(日)

 衣替えの朝は戦場だ。









「一年、全員一列横隊に整列!!」

 天の啓示のような声が松葉寮、二階廊下に響き渡った。
 秋雨前線が空を泣かせている十月一日の早朝。前部長兼、寮長の渋沢克朗の一声に、各個室にいた部員たちが一斉に廊下に整列した。
 夏季には見られなかった濃い色のブレザーの肩が、長い廊下に隙なく並ぶ。
 下半期が今日から始まる。それに合わせて毎年この日に行われるのは、一年生向けの制服点検の日だった。
 ずらりと並び、緊張の面持ちを隠せない入学半年目の彼らを軽く見渡し、渋沢はその朗とした声を発する。

「昨日も言ってあるが、今日から冬服だ。ただし、二週間だけは中間服としてブレザーの着用が各個人の判断に委ねられる。暑い日は脱いでもいいが、どこかに置き忘れて来るなよ」

 元キャプテンの言葉を冗談だと思ったのか、一年生の間からわずかな笑いが漏れる。しかし渋沢にとっては冗談ではないのだ。
 例年、置き忘れによる紛失で泣きついてくる下級生は必ずいる。名前入りの制服とはいえ、同じデザインであるがゆえに、一度他人のものと紛れると探すのは困難だ。
 その上教師による服装点検の日は、必ずブレザーの内側にある名前刺繍もチェックされる。だからこそ、紛失した生徒は躍起になって己の上着を探す。
 部員が制服一式のうちどれかを紛失した場合、探すために力を尽くさねばならないのは寮長の役目だった。
 渋沢は笑いには応えず、さらに続けた。

「ベスト、セーター、カーディガンの着用は許されるが、学校指定のものと決められている」

 まさか、指定外のものを着用しているわけがない。
 念のため渋沢は言ってみたが、ここ数年間で寮生が武蔵森ブランド外の服を着て登校したことはない。武蔵森は規則そのものはあまり厳しくはないが、罰則者には厳罰が与えられる。入学時に先輩たちが誇張してその厳罰の体験談を語ることも新入生への抑止になっている。
 どこの世も、慣れぬ一年目というのは緊張に満ちているものだ。加えて先達たちも一年生の服装には自分たちより気を配るため、一年生へは部長がそうがみがみ言う必要が無く、渋沢も多少は気が楽だった。

「で、だ。とりあえず全員今日はその格好で登校するように。また、夏場になってから早朝練習の後ジャージで教室に行く部員がいるようだが、基本的にまず制服に着替えてから席に着くように。職員室から厳守するよう言われている。わかったな?」

 はい、と短く気持ちの良い返事する一年生に、渋沢もうなずいて微笑する。これだから一年生は良い。だんだん慣れてくる三年相手となると、自分が小姑かと思うほど口を酸化させる必要がある。

「規則は面倒だと思っても、守らないことで部全体が迷惑を被ることもある。連帯責任と忘れずに、あと半年頑張ってくれ。では解散」

 ありがとうございました。
 その言葉を唱和し、一礼した一年生は個別に部屋へと戻っていく。
 彼ら全員が室内に消えるのを見届けず、渋沢もくるりと体を反転させた。次は二年生だ。衣替えの日は毎朝これを学年全員にくり返す。
 補助資料として持っている武蔵森学園に関する規則などをまとめたファイルを右手に持ち、階段を上がろうとした渋沢の前に、ふと影が落ちた。

「三上」

 いつも通りの不機嫌そうな面構えで階段を下りてくるのは、渋沢と同室の三上亮だった。
 一歩一歩階段を下りるのすら億劫そうなその三上を見上げながら、渋沢は苦笑した。三上は長袖のシャツこそ着ているものの、ネクタイの存在が欠けている。

「起きたのか。ところで、ネクタイはどうした」
「後でする。なぁ、お前裁縫道具みたいの持ってねぇ?」
「裁縫?」

 どういうことだと渋沢が怪訝そうな顔を作るのとほぼ同時に、三上は渋沢のいる階段の下から三段目で足を止めた。彼はそのまま、渋沢のほうへ右腕を差し出す。

「ボタン取れてるのに、さっき気づいた」
「なるほど」
「春先に長袖仕舞うときに、取れかけてた覚えはあったけど、つけるの忘れたままにしちまった」

 袖口のボタンは、シャツ全体からすれば細かい部品だがあると無いとでは手首を包む感触がまるで違う。その上、見た目のだらしなさが目立つ。外してたくし上げれば多少はごまかせるが、武蔵森の服装規定ではイエローカードの領域だ。

「自分のはどうした」
「家庭科の実習で持ってってからそれっきり。他の連中も似たり寄ったり」
「そういえば、三年は一学期後期は被服の実習だったからな…」

 大方、ロッカーあたりに全部入れてそのままになっているのだろう。実は渋沢もその仲間だった。

「困ったな。俺のところには針はあるんだが、ちょうど白い糸が切れている」
「マジかよ」

 そうなると、他学年に借りるか、寮の管理人のところに行くしかない。
 露骨に面倒そうな顔をした三上が、左手で自分の前髪をかき回してため息をついた。

「あーめんどくせ。いいや、今日はボタンなしで行く」
「ダメだ。毎年この日は風紀指導が入るって知ってるだろう。引退したからって三年が引っかかってどうする」
「ブレザー着ときゃわかんねって。後でつけるから」
「馬鹿言うな」

 べしり、と渋沢は右手にあった厚さ3センチほどのファイルを三上の前頭部に軽く叩きつけた。
 ゆっくりではあったが、その重みの分の痛みはあったのだろう、ファイルをどかした後の三上の顔は一層不機嫌になっていた。

「規則は守れ。やるべきことはやれ。それがわからないほど子供かお前は」
「…お前の倫理観には暴力は可って書いてあんのか?」
「時と場所を選べと書いてある。つべこべ言わず、やれと言ったらやれ。二年生の誰かなら裁縫道具持ってるだろう」

 ほら行けすぐ行けさっさとやれ。始業ベルは待ってくれないぞ。
 真顔で脅しつける渋沢に、さすがの三上も折れた。何より、渋沢の右手の凶器は脅威だった。

「へいへいわかりました」

 くそ、と面倒そうな舌打ちをした三上の品の無さを、渋沢は鷹揚に見逃した。
 そして、ふと思いついたことを去り行く友の白いシャツの背に投げかける。

「なぁ三上、他のシャツはないのか?」

 よもや、替えのワイシャツを持っていないなど三年目にして有り得ない。
 三上がぴたりと足を止めた。階段の手すりに触れている、指の長い手まで凍りつかせた彼は、数秒の後に渋沢のほうを振り返る。

「てめ、さっさとそれ言え」

 限りない渋面だった。三上にしては珍しく、本当に心から己を恥じている顔だと渋沢は思った。

「そーだよそれがあったんだよ! バカこのさっさと言えよそれ!」

 朝であることを忘れるような大きな独り言と共に、三上亮は猛然と階段を駆け上がっていった。ずだだだ、という闘牛の突進のような音が螺旋の階段にこだまする。
 独り残された渋沢は、「うーん」と呟き、こめかみを指で掻いた。
 どうやら本当に、三上亮はスペアの存在を失念していたらしい。
 この分では、三上以外にも衣替えによる大小さまざまな問題が発生しそうだ。だいたい前期の制服なぞ、とりあえずクリーニングに出した後は適当にクローゼットの隅に押し込むものなのだ。そして前もって点検しておくような用意周到な男子はなかなかいない。
 あと二十分で残りの学年を終え、三上の総点検をした後、渋沢も登校しなければならない。
 今年は、順当に終われば良いと思う。
 今頃大騒ぎで制服探しをしているだろう自分の学年の者どもを思い出し、渋沢克朗は下半期一日目の朝を迎えた松葉寮を歩き出した。









************************
 10月1日は三渋の日です。
 という感じで、下半期一日目を迎えた、元部長さんの日常でした。
 渋沢が三上に怒ったとき、ネクタイ掴んで首を絞めるような動作をさせるつもりだったのですが、うまく入りませんでした。無念。




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