小ネタ日記ex
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再録:思い出ひとつ6(笛/武蔵森)。
2005年10月22日(土)
世の中には二種類の人間がいるという。
曰く、周囲の空気を自分のエネルギーに転換出来る者と、そう出来ない者だ。
「たーくみー!! ニ冠め獲ったぞ!!」
それでいうと、右腕を空に突き上げながら退場門から笠井のほうへ走って来る藤代などは間違いなく前者だ。彼は場の雰囲気が盛り上がれば盛り上がるほどテンションが高くなる。 男子障害物走を終えた藤代の肩あたりで、一位の証明にもなる空色の小さな布切れがピンで留められ、風になびいていた。そんな藤代を笠井は穏やかに迎える。
「おめでとう」 「おう! でもさでもさ、どうせならもっと長い距離ガーッと走りたいよな! あー走り足んねー!!」 「この先まだいくつか残ってるんだし、ちょっと落ち着けよ」
例の部活対抗リレーは午後の部だ。それまでに万が一藤代が体力切れで本来の力を出せなかったら番狂わせどころではない。笠井はそれを危惧していたが、藤代は余力を残そうなどという気は微塵もない。 一位でゴールしたことにより、確実に縦割りブロックチームの優勝に貢献しようとしている藤代が同じクラスの者に祝福やら激励やらを受けている間に、笠井は次の競技に注目している別の姿に気がついた。
「元気ないね」
応援席に持ち出されている椅子の斜め後ろから声を掛けると、同じクラスの彼女はびくりと肩を萎縮させた。
「かさ…い、くん」 「うん。どうかした?」 「…ううん」
首を振った陸上部のマネージャーは普段より覇気がない。どうしたのかと笠井が思ったそのとき、放送委員の声で三年男子200メートルリレー出場選手の入場が告げられた。
「あ、渋沢先輩」 「……」
何気ない笠井の呟きだったが、彼女の反応は顕著だった。 立ったままだった笠井は、自分の斜め下の細い肩が口した名前に反応したのがよく見て取れ、「えーと」と口の中でさらに呟いてみた。
「…また、何かあった?」 「知らない」
意固地な声音が返ってくる。やや引き結んだ口許の彼女は、それでもトラックの中央で整列している幼馴染みを見ていた。
「でもさっき北軍のほう行ってなかった?」 「知らない。…あんな人」 「…先輩、何してたの」 「……………」
とりあえず彼女が機嫌を損ねるようなことがあったのだと笠井は黙った横顔に解釈を得た。 二人が沈黙を続けていると、競技開始の合図と共に校庭に流れる音楽が準備段階のものよりさらに軽快なものに変わった。 第一走者はトラックを半周して次の走者にバトンを渡す。四色の走者がそれぞれバトンを繋いでいく姿に、各ブロックそれぞれから応援の声が飛ぶ。その声が一際派手なのは、やはり校内外で目覚しい活躍をしている生徒に向けられている。
「渋沢センパイ、ファイットー!!」
男女ごちゃまぜになった一声は、一年生のクラスからだった。 笠井も知っている一年サッカー部員を筆頭に、渋沢の所属ブロック一年生がクラス総出でたった今トラックに入った渋沢に応援の声を張り上げていた。 渋沢もバトンを受けるまでに余裕があるのか、そちらを振り向くと小さく手を振り返している。
「……克朗って、誰にでもいい顔するよね」 「……そうかな?」
そうだっただろうかと笠井はふと思う。 善悪をつけるとすれば渋沢は間違いなく善人の部類に入るが、かといって誰彼構わず笑顔を振り撒いているのかと言われるとどこか違う気がする。
「してるように見えるかもしれないけど、実際親しい人にはそうしないんじゃないかな。身内ほど厳しいっていうか。ほら、藤代なんかよく怒られてるし」 「……八方美人って言っちゃったの」 「…それはー…何ていうか、言い過ぎ」
というか、ひどい。 口には出さないが、笠井は彼女の時折聞く発言の数々に元部長への同情を込めてそう思った。無神経な質ではないのだろうが、彼女は咄嗟の一言がともかく暴発しがちだ。
「だって…」
それ以上続かない彼女の肩が明らかに落ちている。 後悔するのなら言わなければいいのに。 笠井は素直にそう思う。けれどそう出来ないからこそ、毎度毎度渋沢が苦労しているのだろう。悄然としがちでもバトンを受けて走る幼馴染みから目を離さない彼女に、笠井は難儀な二人だと他人事として思った。
「どっちにしてもさ、折角の体育祭なんだからもうちょっと楽しんだほうがいいよ?」 「なー二人して何やってんのー!」 「…こいつみたいに」
肩越しに割り込んできた藤代を親指で指し、笠井は「重い」とまだハイテンションの藤代を振り払った。
「何もしてない。話してただけ」 「ふーん。で、誰が八方なんとかだって? なんか小耳に聞こえたんだけどー」
他意なく、本当に何も考えていなさそうな藤代の口調だったが、笠井は言っていいものか悩む羽目になった。問題発言者のほうも気まずい顔になる。
「どしたん?」 「…渋沢先輩にそう言っちゃったんだって」 「なんて」 「八方美人」 「…って、褒め言葉?」 「なわけないだろ。どこ向いてもいい顔してるってことだよ」 「褒めてない?」 「当然」 「うわひでー! それってあんまりすぎる!」
意味もわからなかったくせに何を言うかと笠井は苦笑したが、藤代の態度は結を責めるには充分すぎたのか、元々落としがちだった彼女の視線がさらに下がる。
「川上ってなんでそんなに渋沢先輩嫌うんだよ。かわいそうじゃん」 「嫌いじゃない、けど」 「だったらもうちょっと優しい態度取ればいいのに、なんでいつもそうなわけ?」 「いつもじゃない」
妙に不穏な空気になってきた。 晴れ晴れとした秋空に似合わない雰囲気になりかけている二人の間で、笠井はそれぞれの動向を見守る。
「いつもそうじゃん。渋沢先輩、折角庇ってくれたのになんでそういうこと言うんだよ」 「え?」
……よし藤代、その調子だ。 ひそかにあることを思いついた笠井は心の中で友人にエールを送る。当然顔にそれを出すほど彼はバカでもない。
「部対抗リレーのアレ、先輩俺に川上は悪くないって言ったんだぞ。それなのにそれってないだろ」
空気を真面目なものに変えた藤代の双眸にかすかな怒りのようなものがちらつく。結にうつむくことを許さない声音は藤代が内包する感情の強さの現れだ。 自分と彼女どっちが好きなのだと渋沢に突っ込んでいったときにこの顔をされたら、きっと修羅場だったと、見ているだけの笠井は思った。本気すぎてマズイ領域に入ってしまいそうだ。
「…………」 「行こう」 「え?」 「渋沢先輩のとこ」
サッカー関係以外のことで珍しく真面目になっている藤代が座っている結の手を引いた。彼は戸惑った結の態度に即座に一喝した。
「悪いと思ったらすぐ謝る!」
幼稚園で教わるようなことだったが、絶対に間違いではない。 藤代らしいと笠井は笑いを押し隠した。
「う…ん」 「竹巳! ちょっと行って来るな!」 「わかった」
気をつけて、と先輩思いの友人と、その先輩の幼馴染みを見送って笠井は一息ついた。
「……さて」
これで上手くあの元部長の調子が上昇してくれればいいのだが。 一部の運動部の面子がかかった部活対抗リレーは、すでにブロック優勝を狙うのとは別格の扱いになっている。サッカー部にとっては、勝利の鍵とも言えるアンカーが幼馴染みとの仲直り効果でさらに燃えてくれれば首位取得にさらに近付き、部内で最も目立つ位置にいる人が活躍してくれるのは仲間として嬉しいことこの上ない。 自分はどう動くべきかと、笠井は顎に手を当てながらしばし考えた。
「…念には念を、だよな」
そして独り頷き、彼はサッカー部表番長を探すために移動を始めた。
**************************** その6。
何かと宿題が多く、あまつさえ年単位で放置とか、わりと底辺の我が家の更新事情ですが、気にはかけているのですよ…という、ね!(実行出来なければ何の意味もない) ということで、今年こそは〜二度めのチャレンジ2005〜、です。
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再録:思い出ひとつ5(笛/武蔵森)。
2005年10月21日(金)
絶好の運動会日和だと民放のアナウンサーが笑っていた。
武蔵野森学園の体育祭は縦割り4ブロックのチームを作ることから始まる。 夏休み前に各学年の中のクラス代表が抽選をし4色に分かれた後、他の学年の同色クラスと組むことになる。その各軍それぞれチームカラーがあり、ブロック名には東西南北4つの方角が冠せられ、当日はその4色が競技ごとの得点の総合で順位を争うことになる。 そして縦割りということは、学年が違っても同じチームに属する可能性がある。同じチームであれば準備段階の打ち合わせから当日の応援席まで共にすることになり、学年を越えて何らかの関係がある生徒同士にはある種チャンスでもあるのだが、渋沢克朗の運はここでも悪かった。
「…お前、実はツイてない男だろ」 「……………」
校庭のトラック円周沿いに作られた生徒用応援席で、渋沢は憮然とした表情をどうにか作らないよう努力していた。 問題の体育祭当日、開会式直後の十時台は体育祭としてまずまずの盛り上がりを見せている。
「あいつ藤代たちのクラスだから南軍だろ? 一番向こうじゃねぇか」 「…放っておいてくれ」 「ブロック違うわ部活違うわで、お前こりゃ今日応援してもらおうなんて考えねえほうがいいぞ」
当日用プログラムを眺めながらの三上の発言は他人事だと言い切っていた。
「いいんだ。今日の俺はブロック優勝と部活リレーのために生きる」 「ったりめーだボケ。女に左右されるような浮付いた態度取ってるから陸部に逆恨みされんだよ」
言っていることが相当無茶苦茶である。 今日の三上はいつにも増して機嫌が悪いな、と渋沢はそれぞれが持ち込んだ椅子に脚を組んで座っている三上の眉間の皺をちらりと見る。 そこに、ぱたぱたと勢いのある足音が近付いてきた。
「渋沢せんぱーい、写真いいですかー?」 「三上先輩もご一緒に!」
来た、とサッカー部の誇る二大有名人の片方はややひきつった笑みを浮かべ、片方は露骨に舌打ちした。 カメラ片手に集まってくる女子生徒に、渋沢は曖昧に笑いながら立ち上がった。
「いや、俺は次の競技の召集かかってるから」 「おい渋沢、放送聞こえねえぞ」 「ははは聞こえたじゃないか三上。じゃあそういうことで」 「待ちやがれ」
一人犠牲にされてなるものかと、三上は渋沢が羽織っていたジャージの裾を掴む。
「離してくれ、三上」 「一人で逃げようなんて考えんじゃねーよ。あ、こいつ写真撮られんの好きだから自由にやってくれ」 「えーでも三上先輩も一緒がいいですよー」 「ねー?」 「じゃああたし渋沢先輩の右側取ったー!」 「あ、ずるい! 私三上先輩の右腕ね!」 「なら私二人の真ん中!」 「うわ何それ! ずるすぎ!!」 「もーとりあえずいろいろ位置変えて撮ってこ! はいチーズ!」
乙女の迫力に押され、気付けば年下限定で女子生徒に囲まれた撮影大会が始まっていた。 男相手なら腕に触れられようとも振り払えるが、女の子相手ではそうもいかない。くそうと思いつつ動けない二人組に、写真を求める人数はさらに増えていく。 すでにどこを向けばいいのかわからないまま曖昧な笑いを浮かべる渋沢に対し、三上のほうは愛想笑いをする気など毛頭ない。
「ちょ、てめえらいいかげんに」 「三上」
諦めろ、と渋沢は青筋を浮かべかけた三上に視線で言った。 怒鳴って蹴散らすのは簡単だったが、それはそれで彼女たちに失礼だ。何より穏便な手段ではない。それこそ運動部の盟主たる男子サッカー部らしくない、と自分たちでは思っている。 三上も渋沢の言いたいことがわかったのか、渋々口を閉ざした。
「盛況ね」
そこで彼らの助けとなったのは、年下ではなく同じ年の女子生徒だった。 揶揄でも嘲笑でもない笑みを浮かべて彼女が近付くと学園有名人の写真撮影に興じる女子生徒たちがぴたりとシャッターを押す手を止めた。
「写真を撮るのも構わないけど、ここで集まると周りの迷惑だし、トラックに近い場所でフラッシュ焚かれると競技妨害だと間違われかねないから移動してもらってもいい?」 「あ、はーい。すみません、会長」 「こちらこそ盛り上がってるところにごめんなさい。それから、三年男子はあと十分足らずで200メートルリレーの召集かかるからそれまでに解放してあげてね」 「はい、わかりました」 「……今すぐ助けねぇのかよ、彩」
不満げに言ってきた三上に、彼女は小さく笑う。
「いいじゃない。三上は付き合ってあげたら? それから…渋沢」 「何だ?」
彼女にちらと視線で促され、渋沢はやや離れたところで待っている風情の姿に気付いた。 秋風に細い髪を揺らし、渋沢のほうを複雑そうな顔で見ているのは彼にとって唯一の幼馴染みだった。
「ゆ…っ」 「…近付けないみたいで困った顔してたわよ。行ってあげたら?」 「ああ。悪い、俺抜けるな!」
早口で三上に言い、今度こそ乙女の追及を振り切って渋沢が駆け出して行く。 さすがにこればかりは止められず、残された三上は一目散に幼馴染みのほうへ走っていく友人の背を何ともなしに見送った。
「…あーあ、大丈夫かよ」 「さあ…。でも、愉快ではないでしょうね、彼女」
小さな声で彼女は言い、これだけ囲まれてればね、とまだ当事者たちがいるので言葉ではなく視線で三上に伝えた。 自分は複雑にはならないのかと三上は訊いてみたくなったが、元彼女がそんな戯言に付き合ってくれるとは思えない。何より改まって未練があることを知られるのも格好が悪い。
「…あのー、三上先輩?」 「あ?」 「写真、山口先輩と一緒のも撮っていいですか?」 「は?」 「あたしたち会長の写真も欲しいですー。かっこいいし」 「ありがとう」
如才なく答えた彼女の笑みに、三上は自分は彼女たちから一度もかっこいいなどと言われてないことを思い出した。
「ほらそういう顔しないの。笑わなくていいから、せめて普通にしてあげたら?」 「なんでだよ」
嗜めるように言われ、問い返すと同じ年の彼女はいつもの何かを諭す口調で言う。
「思い出作りよ。協力してあげたっていいじゃない。女の子好きでしょう?」 「…それなんか誤解招くっつーの」 「間違ってないわよ」 「お前なぁ」 「はいはい」
なぜかおかしそうにくすくす笑っている彼女を見、三上はやがて息を吐いた。 それから待っている年下乙女に言う。
「撮るなら早くしろよ」 「あ、は、はい!」
さりげなく隣の彼女の腕を自分のほうへ引き寄せながら、三上はこれも思い出作りなのだろうかと自分の青春を省みた。
打って変わって渋沢克朗といえば。
「あ、あのな、あれは…」 「………………」
ただの写真撮影大会になっていただけだと無言になっている幼馴染みに説明したが、見て解る通りのことであってもなぜか言い訳じみていることを痛感した。 後ろめたいことは何もないはずだと思ってはいるが、とりあえず女の子に囲まれ騒がれていたことは確かだ。 彼の幼馴染みはあらゆる感情が無い混ぜになった、複雑としか言いようのない表情のまま渋沢の目を見ようとしない。 澄んだ清々しい秋の空気に、彼女が髪をまとめた上からリボンのように結っているハチマキの端がゆらゆらと揺れているのを渋沢は上から見ていた。
「…リレーのこと、もう一回謝ろうと思って来たんだけど」 「え? ああ、あのことなら別に」
ようやく口を利いてくれたことに思わず笑顔になりかける渋沢克朗十五歳。 けれど長い付き合いで、これからの二分前後が勝負どころだと理解している。この二分で彼女の気持ちを沈静化させなければ、返ってくるのは最大級の嫌われ文句だ。
「…忙しいみたいだから、帰る」 「ちょっと待った」
ここでそのまま帰らせ、彼女が落ち着くのを待つ戦法も有効だったが、時間経過に望みを託すほど渋沢は悠長な性格をしていなかった。 背を向けかけた腕を掴み、自分のほうを向かせる。
「ごめん。俺が悪かった」
不愉快にさせただろう自覚はあった。個人的な経験からいえば行事の類ではよくあることなのだが、自分に明らかに好意を向けてくる相手がこうであったら不誠実だと大抵の人間なら思う。 けれど彼女はストレートな謝罪にこそ、表情を変えた。
「なんで謝るの? 謝る必要ないでしょ。…別に、何かされたわけじゃないし」
まずい。お約束の展開になってきた。 心ひそかにこの先を予見しながら、渋沢はとりあえず方向転換を試みた。
「あ、そう…だな」 「……………」
気まずい空気が流れた。 例のリレー情報に関して、彼女なりに責任を感じているらしくあれ以後渋沢を始めサッカー部を避けていることは笠井からそれとなく聞いていたが、そこからさらにさっきの光景は追い討ちだったようだ。 これで面と向かって嫉妬でもしてくれるものなら、それもいいと思えるのだが、どう見ても怒っている顔で怒っていないと言い張るのが渋沢の幼馴染だ。 何を言えばいいのか渋沢と同じようにわかっていなさげな彼女は、やがてうつむいた。
「…克朗って、八方美人」
桜色の唇からこの上ない凶器が飛び出した。 言うなり彼女は唇を噛んで踵を返す。 思いきり胸を穿たれた渋沢はその場で固まっていた。
「…それはないだろ……?」
しばらく経ってようやく出て来た否定の言葉も、彼女には届かない。 空の青さが何だか切ない。
出来ることならその場でしゃがみ込みたくなった渋沢の耳に、三年男子200メートルリレーの召集を促す放送が聞こえた。
*************************** その5。 ヒロインズがデフォルト名使用中です。そういうのがお嫌いな方、本当にすみません。
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再録:思い出ひとつ4(笛/武蔵森)。
2005年10月20日(木)
気付けば秋になっていた。
残暑が続く時期とはいえ日が暮れれば気温は日中よりずっと落ちる。 昼夜の寒暖差を皮膚に直接感じ、渋沢は半袖から伸びている腕をさすりながら寮の玄関先までやって来た。 玄関のタタキの端に、非常灯に照らされた背中が見える。
「藤代」
渋沢が声を掛けても背中は振り向かなかったが、背後に渋沢がいるという確信を持ったことは空気で伝わってきた。渋沢はそれ以上何も言わず、黙って藤代の隣に腰掛けた。
「……何スか」
拗ねた要素が八割以上を占めた声で、わざとらしく顔を背けながら言ってくる。 渋沢は予想通りの藤代の態度がおかしく、笑いそうになったがどうにか耐えた。息を一つ吸って口を開く。言葉はためいきにも似ていた。
「悪かった、藤代」 「…………」 「彼女は悪くないんだ」 「…………」 「…弱いんだよなぁ、俺が」
どうしようもないな、と自分で自分を笑う元部長の様子に藤代は驚きその顔を見つめ返す。
「なんでですか?」 「なんでだろうな。俺にもわかってない」
苦笑し、渋沢は両脚の間で自分の手同士を組んだ。 秋の夜は空気が夏のそれより透明に思える。玄関のガラス扉の向こうに、月光が青白く影を落としているのが見えた。
「惚れた弱みともちょっと違うな。なんとなく、というのが一番正しいのかもしれない。だけど、頼られたら断りたくない。…そういう相手なんだ。だからといって秘密を守れなかった言い訳にはならないが」 「…………」 「本当にすまなかった」
本気で、真剣に、真摯に。どの言葉でも当てはまる表情と声音を向けられ、藤代はまだ一言二言文句を言ってやりたかった自分を見失う。 正面から謝罪する相手を、それでも尚赦さないのは度量の狭さを疑われる。十数年の人生であっても、藤代の人間性がそれを何気なく理解していた。
「…それって、ほんとに俺より川上が好きってことですよね」
ぽつりと藤代が言うと、渋沢がやや困ったように口許に片手を当てた。
「結とお前とはまた全然違う対象だからなあ…。比べようがないぞ。お前だって家族と笠井どっちがいいかって訊かれたら困るだろう?」 「…でも、俺は」
裏切られた気がした。 そう言おうとし、藤代はその言葉のあまりの残酷さに気付き慌てて止めた。
「…見損なったか?」 「そう、じゃないですけど」
それに近いものはあったと、藤代は自覚した。 部全体の秘密だと大げさに思っていたのは自分だけで、周囲があまりにもあっさり渋沢のミスを受け入れ、本人も反省していると言う。ならそれでいいじゃないかと藤代に言ったのは笠井だった。 けれど腑に落ちない。納得出来ない。そこまではわかっても、それ以上に自分の中にある靄のようなものを上手くかたちに出来ない。 自分の気持ちを表現するのに知っている語彙が余りにも足りない。仕方なく藤代は一番近そうな言葉から並べ始めた。
「…なんか、悔しかったっていうかー…」 「ん?」 「先輩って、サッカー部ですよね?」 「そりゃ、他の部にいた経験はないが」
生真面目に渋沢は答えた。藤代は自分の膝の上に顎を乗せ、眉を寄せた。
「うちの部の先輩なのに、なんで陸部にいいようにされてんだー…って、なんか、ムカついたのも、あったかもしれない、とか」
自分の感情が理解し切れていないために、口調は必然的に自信の欠けた途切れがちなものになる。けれど口にした瞬間、それが真実だという確信にほんのわずか近付いた気もした。
「…いいようにされた覚えはないが」 「されてるじゃないですかー。しっかり川上に利用されて」 「されてない」
自分と幼馴染みの名誉のために渋沢は強固に言い張った。
「だいたい、俺を利用するとかしないとか考えるタイプか?」 「…ああ、そうッスね」 「そんなに賢くないぞ」 「先輩…」
クラスメイトの彼女を思い出し、藤代は納得し苦笑した。 同時に別のことにも思い当たった。幼馴染みの好意につけ込んだようにも思えた今回の件が、普段の彼女のイメージとは違って感じ取れたので尚更嫌だったのだ。 信じていたものが急にかたちを変えたような違和感。 そして信頼していた先輩が、自分より彼女を選んだという嫉妬めいた感情。 それらを咄嗟に打ち消せなかった自分はまだずっと子どもだと、藤代は膝に乗せた顔の視点から自分のつまさきに息を吹きかけた。 その隣で渋沢は考えながら語り掛ける。
「…変なところ一本槍だからな。自分のところの先輩たちに『どうしても勝ちたいから頼む聞いてきてくれ』なんて言われたら、その先輩のために何とかしようって思ったんだろ」 「…そのぐらいで動いちゃうもんですか?」 「動く。…仕組んだ奴が裏にいるからな」
まんまと載せられた自分を呪いたくなる気分で渋沢は覚えのある顔を虚空に浮かべた。
「仕組んだ?」 「ああ。…うちと陸部の話知ってるか?」 「部費取られた逆恨みがどうとか、って噂なら聞いたことありますけど」 「その鬱憤を今回のリレーにぶつける気らしい」
種目の違う部同士がぶつかる機会といえば、体育祭の部対抗リレーしかない。 まさか本気でやって来られるとは思わなかった、と付け加えた元部長に藤代は目を瞬かせる。
「そんなことで?」 「それだけじゃない。…今期、陸部が地区の大会で男女総合優勝したのは知ってるか?」 「知りませんでした」 「大半の生徒がそうだ。…同じ時期に俺たちが都大会で優勝したからな」
渋沢ですら、自分が運動部の部長でなければ他部の話など知り得なかったかもしれない。 ともかくタイミングが悪かった。渋沢はそうとしか思えないが、当事者たちには大分違うらしい。
「あそこは人数が少ないからな。個人単位じゃなくて団体総合優勝となると当然より難しかったわけだ。なのに優勝してみれば、他の部の話で自分たちのところが翳んだ。しかもそれが部費削減の要因になったサッカー部」 「八つ当たりじゃないッスか!」 「…それでも向こうは本気だ」
知り合いでもある陸上部の元部長の無駄ににこやかだった笑顔を渋沢は思い出す。 幼馴染みの件から遠回しに体育祭の部対抗リレーに話題を回すと、彼は笑いながら「窮鼠猫を噛む。忘れんなよ?」と言ってきたのだ。
「…なんか俺、ムカついてきたんですけど」 「同感だ」
思いきり引っ掻き回されたエースに元部長もうなずく。
「こうなったら先輩! 強豪の意地見せてやりましょうよ!」 「当然だ。学校側に贔屓されているからこその苦労もあるんだ」 「援助されるってことは絶対負けられないプレッシャーも背負ってるんですよ俺たち!」 「それを知らない奴に勝手に八つ当たりされる筋合いはない。藤代、当日は思う存分、向こうに構うことなく叩きのめすぞ」 「はい!」
燃え上がる闘志は、いつの間にやら麗しき先輩後輩の光景を作り出していた。 秋の夜長に、少年たちの青春が熱い。
同時刻、一つ角の向こう。
「……やっぱり燃えてますね」 「…お前、これ狙って渋沢に例のこと言わなかったのか」 「一番手とアンカーが燃えれば、真ん中が万が一トチったときの保険になります」 「…俺、陸部よかお前のほうが怖ぇよ」
さてさてどうなる武蔵野森学園中等部体育祭。
**************************** その4。 ちなみに、初出は2003年(……)。
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再録:思い出ひとつ3(笛/武蔵森)。
2005年10月19日(水)
当事者はいつの間にか広まっていた。
「キャプテン! 俺と川上どっちが好きなんですか!?」
藤代は部屋のドアを開くなりなりそう言い放った。
「「は?」」
同じ響きの声が同時に重なる。発したのは元キャプテンと、元司令塔だ。 心配になって一応ついてきた笠井は、藤代の後ろでふかぶかとためいきをついた。 数学のノートを開いていた三上が勉強机の椅子を回してそちらを見る。
「…藤代、てめ寝ボケてんのか?」 「起きてます!」 「…おい笠井、説明」
呆然としている渋沢を置き去りに、さりげなく面倒見が良いため藤代を黙殺出来ない三上は、迷惑にならないよう部屋のドアを閉めた笠井に促した。
「えーとですね、ほら、例の渋沢先輩がうっかり情報提供しちゃったことについてなんですが…」 「ああ、どっかのバカが女に惑わされて情報漏洩したアレな」
丁寧に言い換えられ、怯んだ渋沢はますます何も言えなくなった。
「それをさっき知ったんですよ、藤代が」 「あ? 今ごろか?」 「はい。俺もてっきり知ってると思ったんですけどね。そしたら」
「キャプテンなんで俺の情報売ったんですかー!」
「…こうなったというわけでして」
いつの間にやら渋沢に詰め寄っている藤代を笠井がちらりと目線で示した。 床に直接座って雑誌を読んでいたらしい渋沢は、藤代の剣幕にじりじりと後退しているようだったがすぐに壁に当たった。
「ふ、藤代、説明するから落ち着け」 「だってだってひどいじゃないッスか! 俺先輩が部対抗リレーについては誰にも言うなっていうから一生懸命秘密にしてたんスよ!? バスケ部にも野球部にも頼まれたって頑張って黙ってたし、バレー部に差し入れの菓子貰ってその代わりに言えって脅されたって必死で逃げ回ってたのに、たのにー!!」
ううう、と咽び泣きそうな藤代の様子に、場の空気が気まずくなる。 渋沢の罪悪感は三割ほど増えた。
「…すまん、藤代。今更何を言っても言い訳にしかならないが…」 「先輩! 先輩にとって俺ってなんですか!?」
後輩以外の何がある。 笠井は素直にそう思ったが、二人の様子に緊張を抱くよりもこの先が面白くなりそうなので黙っていた。三上はすでに割って入る努力を放棄していた。 なぜか床の上に正座している渋沢と藤代の間で会話が進む。
「藤代…、そういう問題じゃないんだ。これは俺の意思が弱かったせいで」 「でも先輩は! 俺より、川上のほうを選んだんですよね!?」
「…比べること自体変だって気付けよ…」 「気付いてたらここ来ませんよ」
ツッコミ役二人がぼそぼそ喋っているが、真面目に対応しようとする渋沢と衝撃のまま突っ走る藤代には聞こえない。
「どっちを選んだとか、そういうことでもなくて」 「そういうことです! 俺よりあっちのほうが大事だったんだ!」 「そんなことない」
渋沢克朗は言い切った。おいおい、と三上と笠井は内心で思う。 この場合問題にされるのは情報を洩らした渋沢のことであって、彼の幼馴染みと藤代との比較ではない。
「絶対そうです! だったらなんで俺の順番バラしちゃうんですかー!」 「…向こうがそれを言ってきたんだ」 「そうやって頼まれたら、いつだって川上の言うこと聞いちゃうんですか! そんなに幼馴染みって大事なんですか!」 「…………」
パチパチパチ、と三上がやる気のない拍手をした。当然藤代に向けてである。
「俺だって、俺だって先輩たち最後の学年だから、キャプテンがトップでゴール出来るよう絶対頑張るつもりだったのに!」
きっ、と藤代の黒い目がいつにない敵意を込めて渋沢を見た。
「もういいです、そんなキャプテン知りません! キャプテンのバーーカッ!!」
捨て台詞を残し、藤代は立ち上がり来たときと同じぐらい猛烈な勢いで部屋を出て行った。 慌てたのは渋沢のみだ。
「お、おい藤代! ちょっと待て!」
藤代から数歩遅れるようにして、本来ならばもうキャプテンではない渋沢も部屋を出て行く。 その場には台風一過のような落ち着きが戻った。
「…子供か、あいつは」 「良くも悪くもそうなんじゃないですか? 信じてたみたいですから」
肩を竦め、笠井は「そういえば」と続けた。
「どこの部も、藤代が第一走者だって知ってるみたいですよ」 「陸部がバラしたんじゃねえの?」 「違います。そのへんはリサーチ済みです」 「…リサーチって、お前一体何やってんだ」
どいつもこいつも、と三上はあきれた視線を向けたが、笠井は気にしない。
「だって必然的にそうじゃないですか。最初にバカ早いの持って来たほうが後が楽ですし、トリは渋沢先輩がいたほうが格好つきますしね。それに第一走者は目立ちます。最終走者が無理なら、第一になったほうが目立って面白い、って藤代なら考えそうだってどこの部も想定してましたよ。事実そうでしたしね。順番決めるとき藤代そう言ってたじゃないですか。それに、うちの部リレーの練習なんて休憩時間にちらっとバトンの受け渡し練習するだけじゃないですか、順番そのままで。それで極秘だなんて言うほうが無理です」
笠井は怒涛の勢いで言葉を並べ立てた。息つぎをするとさらにまくし立てる。
「うちの部は基本はサッカーですから、部活でリレーの練習するときに陸部みたいに前後入れ替えてカモフラージュするみたいな芸当出来ません。つまり練習でやってる順番がそのまま登録順です。練習場の奥でこっそりやってるつもりでも、校舎の二階以上の窓から見れば丸見えです。どこの部も藤代対策に一番早いのを最初に据えて来るでしょうね。陸部はよくわからないですけど、それ見越して二番手ぐらいまで短距離専門の部員揃えるんじゃないですか? あそこもトリは元部長かもしれませんけど、あそこの元部長は本来短距離選手じゃなくて長距離選手です。要注意は地区記録持ってる二年生です。女子なんですけど100メートル12秒代なんです。それをどうにかやり過ごして、あまり距離を作らずにアンカーまで回せばそこそこ上手くいきますよ。うちの場合もうメンバーはほとんど見抜かれてるでしょうから、最初から力押しでガンガンいきましょう」
情報から攻略まで組み立てた笠井は、どうだという顔をしていた。
「俺は走りませんから、せめてこのぐらい調べますよ。大所帯は大所帯なりの情報網があります。人海戦術ならお手の物じゃないですか」
武蔵野森学園中等部サッカー部員は、50や60の数ではない。一つの学年で、どこのクラスにもサッカー部員は必ず数人いる。直接リレーに出ない彼らを情報収集に当たらせれば、隠密行動は出来なくとも数に物を言わせた情報が集まる。 今回その影の統括役を務めたのがこの笠井竹巳本人だった。
「あ、陸部には三上先輩はアンカー一つ手前だってウソの入れ知恵しておきましたから」
にこりと笑った笠井に、本当は三番走者の三上は彼が曲者だという予感をさらに強めた。 しかし渋沢が彼女に言ってしまった情報が大した価値がないものだったということを、なぜ彼は藤代や渋沢に言っておかなかったのだろう。
「だって知ったら渋沢先輩が追い詰められないじゃないですか。最後まで逃げ切れてたらいいですけど、逆転しなきゃ勝てない状況なら渋沢先輩に本気で走ってもらわないと」 「…俺の考え読むんじゃねーよ…」 「すいません。…でも」
殊勝に謝った笠井だったが、その直後ふっと剣呑な光が目に宿る。
「うちのキャプテンを利用されて、黙って見過ごしたらサッカー部の名が廃ります」 「………」 「やるなら完全勝利ですよ。三上先輩、頑張って下さいね」
本来部活での成果を見せるためだけに作られた種目に、なぜこうも熱くなるのか。 自分を差し置いて三上はふと思い、後輩の底知れぬ部分に内心で慄いた。 競技の前から暗躍するのはスポーツ精神に則っているのかどうかは、この場合黙殺どころか瞬殺だ。勝った者こそが正義の世界がそこにある。
青春とは純粋であるがゆえに、ときに恐ろしいものなり。
*************************** その3。 基本的に森面子オール出演です。
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再録:思い出ひとつ2(笛/武蔵森)。
2005年10月18日(火)
残暑がまだ続く。
「すみませんでした」
特別教室棟の廊下で偶然に顔を合わすなり頭を下げられ、三上は咄嗟に「あ?」と柄の悪い声を出した。 彼の前にいるのは、理科の教科書類を手にした一学年下の少女だ。音楽室からの帰りだった三上は、その顔を見てためいきをつく。
「なんだよ、いきなり」 「あの、克朗に体育祭のこと頼んだの私なんです」 「ああ、部対抗リレーな。ったく、やってくれたな、てめえ」 「…すみません」
情報漏洩の原因を作った相手を三上はためらいなく睨んだ。彼女はますます申し訳なさそうに目許を歪める。
「謝るぐらいなら最初からすんな」 「はい…。…笠井くんから、後で問題になったって聞いて…」 「それだけじゃねえよ。お前が、渋沢に直接言うのは卑怯だろ」 「…………」 「渋沢の気持ち知ってるなら、あいつが断れないの想像つくよな? だったらあんなことすんな」 「はい…。本当にすみませんでした」
再度一礼した彼女に、三上はもういいと軽く手を振って先へ行かせた。 たかが体育祭の一種目と他方が見れば呆れるかもしれないが、当人たちは必死なのだ。歪曲した横槍は不愉快以外の何物でもない。友人の幼馴染みという彼女はそういった手は使わないと思っていただけに、今回の件はさらに面白くなかった。
「…楽しくなさそうな顔ね」
そこに、突如として涼やかな声が降り注いだ。 上履きから響く軽い足音がすぐ近くの階段の上から落ちてくる。
「…なんだ、お前か」 「落ち込んでる感じの子に追い討ちかけることないんじゃない?」
三上の前に現れた過去付き合ったこともある同級生は、三上の発言を聞いていたようだった。さして恥じるわけでもなく三上は息で笑う。
「あのぐらい言わずに気が済むか」 「その割にはすっきりしてないじゃない。彼女だって上級生に頼まれたら絶対無理だとは言えないことぐらいわかってるでしょう? 一度は引こうともしたみたいだし、教えたのはそこで甘さを見せた渋沢のせい。違う?」 「…いつも思うけど、お前そういう情報どっから仕入れるんだよ」
尋ねられたことに回答せず、三上は卑怯にも別の話題を持ち出した。 生徒会長という経歴の彼女はそんな三上をどこかたしなめるように笑った。
「知りたい?」 「別に」 「ならいいでしょ? だいたい自分だって同じようなことしようとしたくせに、彼女だけ責めるのはどうかしらね」 「…お前教えてくれなかったじゃねえか」 「当たり前。馬鹿なこと言わないで」
体育祭実行委員の統括もしている生徒会役員なら、すべての種目の登録選手の情報を知るのは造作ない。そのときの三上の読みは正しかったが、口にした瞬間書類ケースで頭を殴られたのは最近のことだ。
「…お前ぐらい渋沢が口堅ければよかったんだよ」 「ごまかさないの。渋沢だって大事な子が困ってたら少しぐらいいかってぐらついちゃったのよ。走者順全部言ったわけじゃないんだから、多めに見てあげたら?」 「どうせ、お前にとっちゃ『たかがリレーで』って思うんだろ?」 「思わないでもないわね。でも、それは個人個人で違うものだから。それに運動部にとっては校内でわかりやすく優劣をつけれる場だから、ストレス発散の意味もあるのよ」 「……?」
彼女が言った内容がよくわからず、三上は眉間を寄せた。 そんな三上に彼女は第三者としての目を向けた。
「弱小と呼ばれてる部が、日頃優遇されている部を衆人環視で叩きのめせるいい機会」 「……は」 「聞いてないの? 陸上部、前年の部費の何割かサッカー部に持って行かれたの。そっちが用具整備のためにもっと必要だって強固に言い張ってね。予算委員会で渋沢と高橋が全面対決して、結局先生方からの後押しでサッカー部の勝ち」 「…オイ」 「やったほうは覚えてなくても、やられたほうは覚えてるものよ。多少姑息でも、陸上部本気でサッカー部潰しにかかってるんじゃない?」
たとえば、味方マネージャーと敵方元部長の関係を利用しても。 自分の預かり知らぬところで、部活ぐるみの恨みが向けられていたことを今更知り三上は唖然とした。そして彼女は真顔で言う。
「だから夜道の背後には気をつけて」 「…………」
憮然とした彼に、彼女はごく普通に口を開く。
「私は応援しないけど、当日頑張ってね。部活対抗も出るんでしょ?」 「…なんでしないんだよ」 「生徒会は競技審判も兼ねてるの。本部詰だからどこの応援も出来ません」 「ちょっとぐらいしろよ」 「出来たらね」
それからふと、彼女は思い出したように三上を見た。
「ねえ、あの子当日どっち応援すると思う?」 「…渋沢と、陸部?」 「そう」 「…………」 「…………」 「……半端なロミオとジュリエットみたいね」
ぽつりと洩らした例えに、三上はためいきの寸前でうめいた。
「半端すぎ」
複数の思惑と困惑、思春期の悩みやら恋やら友情やらを乗せて日々は渡る。 決戦の日は近い。
**************************** その2。
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再録:思い出ひとつ(笛/武蔵森)。
2005年10月17日(月)
夏が終われば奴が来る。
「もうじき体育祭よね、克朗」
彼の幼馴染みは、その言葉とにっこりとした笑顔を携えて現れた。 現在中等部三年になる渋沢克朗は、珍しく愛想の良い年下幼馴染に一瞬困惑したが、それもそれでいいかと自分も笑いかける。
「そうだな。もう何に出るか決めたのか?」 「うん、走らないやつ」 「……そうか」
まがりなりにも陸上部に在籍しているはずだというのに、その発言は何だろうか。 まあマネージャーだしな、と一人自分を納得させ、渋沢は校内廊下にほのぼのとした空気を漂わせる要因を作っていた。
「克朗、今年は応援団手伝うの?」 「ん? ああ、そうらしい。もう部活も引退したしな。生徒会の手伝いも兼ねて」 「じゃあやっぱり、部活対抗リレーには出ないのよね?」 「…………」
それが狙いかと、渋沢は彼女の発言でその笑顔の理由に思い当たった。半眼になって黙ると、向こうも空気の変化に気付いたのか口を閉ざした。 体育祭の種目には、運動部がメインとなって行われる部活対抗リレーがある。 各部の中の精鋭が文字通りリレーで勝敗を決するわけだが、ここ三年ほど優勝は最大手男子サッカー部が手中にしていた。
「情報提供はしないぞ」 「え?」 「部活対抗リレー。誰が出るかは当日まで秘密だ」 「……ダメ?」 「ダメ。…まあヒントをやるなら、まず確実に藤代はメンバー入りだな」 「もー、そんなのわかってるの。大事なのは藤代が一番手なのか、アンカーなのかってこと!」 「…つまり、それを聞き出してこいと言われたんだな」
腕を組み、ためいきをつくと彼女は若干気まずそうな顔をした。
「…高橋先輩が、渋沢なら知ってるはずだから聞いてきてくれって…」 「あいつのやりそうなことだな。…燃えてるな、陸部」 「打倒サッカー部だって叫んでる。ここんとこずっと、うち勝ててないから…。走りがメインの陸上部が、球技部に負けてどうするんだって三年生が」 「………………」
断れない運動部の上下関係ゆえに、スパイ行為もどきをやらされている幼馴染みを、渋沢はほんのわずか可哀想にも思えた。 そして、敵が自分にそう思わせるよう彼女を送り込んだのだとすぐわかるだけ、妙に切ない。
「…姑息な」
呟いてみたが、実に有効だということも理解出来てしまう。 世界で唯一の幼馴染みの頼み事を、渋沢が断れないだろうと踏んだ陸上部元部長の思惑は悔しいほど正確だ。
「あ…でも、どうしてもダメなら引き下がっていいって言われてるから」 「え?」
何事かを条件に取り引きを持ちかけられるのではと想定した渋沢の考えは、見上げてくる彼女の邪気のない瞳で覆された。
「克朗にも立場あるし、仕方ないよね。ごめんね、無理言って」
若干目を細め、無念そうというより寂しげに笑う。
「…先輩たち今年で卒業だし、最後ぐらい目立ってもらえたらなあって思ったんだけど」
日頃目立ちっぱなしの少年は幼馴染みの様子が演技なのか否か、本気で悩んだ二秒後に答えを出した。 彼女は素だ。…だからこそ質が悪いとも云うが。しかしそれが彼女だ。 押して駄目なら引いてみろ。陸上部元部長が、渋沢の幼馴染みに与えた作戦の裏のコードネームはそれに間違いがないことを、サッカー部元部長は心底から認めた。 あの男は、真っ向から尋ねても渋沢が答えないことなど予測していたに違いない。だからこそ押し切るのではなく、ある程度駄目そうならそれでいい、と彼女に言った。 そんなことになれば、彼女が『残念そうかつやや困り顔で謝る』ことになり、渋沢がそれに弱いことも、計算していたに違いない。
「…ごめんね、困らせて」 「あ…いや」
自部の元部長に利用されていることがわかっていないマネージャーを、渋沢は憐れんでいいのか他人に注意しろと言えばいいのかわからなくなった。 幼馴染みとして長年の兄代わりとして、この『妹』が困っていることは何でも手助けしてやりたい。が、体育祭の部活対抗リレーは運動部すべての意地とその中でも抜ききんだ強豪サッカー部の面子がかかっている。 元部長の責任感と思春期の恋心との葛藤の末、彼は折衷案を選んだ。
「……藤代の走者順だけでいいか…?」
「それで言ったのかお前!」 「…藤代だけだ」 「藤代だけっつってもあいつ一番手だろ! それでもう登録してんのに陸部に藤代対策されたらどうしようもねえだろうが!!」 「…何とかなるだろ」 「バカ言ってんじゃねえ! リレーは最初と最後が肝心なんだよ! 藤代がトップって知られたらアンカーがお前なのも筒抜けじゃねえか! このドアホ!」 「だけどなあ、三上」 「どうすんだよ! 四連続優勝って燃えてんのに、俺らの代でポシャったら高等部行って何言われんかわかんねえってのにてめえは!!」 「…………」 「こーなったらどんな順位でバトン受けても、お前死ぬ気でトップ切れよ! でなかったらお前なんざ情報漏洩の裏切り者だアホキャプテン!」 「………」
友人から罵るだけ罵られたサッカー部元部長と、部長を利用された復讐心に燃えるその他大勢。 対し、陸上競技本家としての意地と、大所帯サッカー部にに前年度部費を何割か持っていかれた経歴を持つ陸上部。 当日他部そっちのけのデットヒートを繰り広げることだけは、当事者の決定事項だった。
*************************** 突然ですが、再録です。
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