小ネタ日記ex

※小ネタとか日記とか何やら適当に書いたり書かなかったりしているメモ帳みたいなもの。
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彼女にとっての楽しいこと、その1。(笛/渋沢克朗)
2004年10月28日(木)

 一度やってみたいことがあるの、と彼女は言い出した。








「一度でいいから、私が何しても怒らないで」

 一つ年下の幼馴染みに真剣なまなざしでそう言われ、渋沢克朗は珍しく反応に迷った。
 何気ない学校生活の何気ない昼休み。中盤を過ぎた時間帯は食事風景もまばらになり、他クラスの存在がいたり空いた椅子が点在する教室になっていた。そのすぐ脇の廊下で、渋沢は幼馴染みと対話していた。

「……何をするかによるんだが」

 しばらく彼女と視線を合わせた結果、渋沢は常識的にそう言った。
 渋沢にとって年下の幼馴染みは、十年一日の如く妹同然であって叱ることはあっても怒った覚えはほとんどない。彼女もそれをわかっているだろうに、わざわざ言ってくるあたりが得も知れぬ不安を誘った。

「いいから、お願い」
「…お願い、か。じゃあこうしよう、俺が怒らない代わりにそっちも俺が一度だけ何をしても怒らない、っていうのはどうだ?」

 同じことだろう? と渋沢はにっこりと笑って言った。
 自分よりも賢しく、それゆえに何度か渋沢によって苦難に立ち向かわされていた幼馴染みの口もとがひきつる。

「や、…だ」
「じゃあそっちもダメだ」
「えぇ?」
「俺だけ一方的にされるのは割に合わない」
「かーつーろーうー」
「ダメ」

 渋沢は両手の人差し指を使い、身体の前で小さくバツを作った。真面目ぶっているようで顔が笑っているので、純粋に断るというよりも珍しくねだる行為に出た幼馴染みの様子を楽しんでいると思えなくもない。

「ねーお願い!」
「ダメです」
「いいじゃない! そんなひどいことしないから!」
「じゃあどんなことする気なんだ」
「……………」
「黙るからダメ」
「……わかった」

 しゅんと肩を落とし、渋沢の幼馴染みはうつむいた。

「じゃあ、いい」

 しまったと渋沢は内心後悔した。焦らせすぎた。
 お邪魔しました、とやや他人行儀に軽く頭を下げて彼女は踵を返した。とぼとぼと二年生の教室に帰っていく背が小さい。

「あーあ、何やってんのお前」

 追いかけようとした渋沢に、教室のドアから声がかかった。ひょこんと顔だけ出した呆れ顔が、やりとりを聞いていたことを明白に物語っていた。

「三上」
「あのはねっかえりの頼みなんて、絶対大したことでもないくせによー」
「…ちょっと遊び過ぎたかな」
「どーせ必死な顔見てるのが楽しいとかそういう碌でもないこと考えてたんだろ」
「否定はしない」

 軽く肩をすくめて渋沢に、三上がにやりと口角を吊り上げた。

「俺知ってるぜ、あいつが何したいか」
「え!?」
「随分前から考えてたらしいから、ま、覚悟しとけ」

 ひらひらと手を振り人の悪い笑い声を残した三上に、渋沢は疑問符で一杯になったまま廊下の端を見たが幼馴染みの姿はすでにない。

「………一体なんなんだ」

 憮然となりながら呟いたが、答える声はない。





「どうだった?」

 教室に戻ると、結には笠井が笑って迎えてくれた。黙って首を振るとやっぱりねと笠井はさらに笑う。

「言えば普通にやらせてくれるんじゃないかな?」
「そうなんだろうけど、どう言えばいいのかわかんないし…」
「わかんない、って」

 笠井は机の上に広げていた数学の課題ノートから、プラスチックの下敷きを取り出して扇ぐ。

「これで遊ばせて欲しいって言えば?」
「…小学生のときはよくやったの」
「下敷きの静電気で?」
「克朗の髪、ふわふわですっごく持ち上がって楽しいの!」

 うさぎのぬいぐるみを可愛いと褒めるよりも情熱的に言う少女に、笠井は女の子は不思議だと思った。笠井の机の端によりかかって吐くためいきが、彼女の無念を教えている。

「…どうしたらさせてくれるかな」
「……………」

 なぜそこまで拘るかが笠井には理解不能だが、少なくとも知恵を巡らせるよりも体当たりで渋沢に向かうほうが彼女には攻略しやすいことは薄々知っている。
 笠井はそっと笑いながら下敷きをノートの間に戻した。

「ま、頑張って」
「うん。藤代に先越されたら嫌だなぁ」
「どうだろうね」

 あの人も大変だ。
 xとyの群に視点を転じながら、笠井は気苦労の多い部長に同情を寄せた。








************************
 何気ない日常、みたいな感じで。
 克朗さんの髪はふわふわっぽいけど猫っ毛とまではいかない強度があるといいなあ、と思ったわけです。で、そういえば小学生のころ下敷きで髪持ち上げて遊んだな、と。
 それだけから派生したネタなんです。






長ぐつをはいた猫(笛/三上亮)(未来)。
2004年10月27日(水)

 どこの国の話かは忘れたけど。








「俺、その話嫌い」
「は?」

 風邪気味だと言った途端着替えをさせられ布団に直行させられた夜。退屈だから本を読めと言ってみたのは三上亮の気まぐれがさせたことだった。
 ベッドの近くにパソコン用の椅子を持ち出し、腰掛けていた彼女は机の上のノートパソコンを操る手を止めた。顔だけ彼のほうに向けると不思議そうな声を出す。

「嫌い、って?」
「長靴をはいた猫。ムカつくからそれはやめろ」
「……………」

 枕に肘をついた三上が不機嫌そうに言うと、インターネットで世界名作童話を検索していた彼女は尚更不思議そうな顔をした。

「嫌いなの? どうして。忠義心の強い猫の話でしょう?」
「…お前が言うと赤穂浪士みたいに聞こえるのはなんでだ」
「………むかしむかしあるところに、粉引き男のうちがありました」

 三上の評にあるかすかな感情を聡く読み取ったのか、彼女はさっさと長靴をはいた猫のページを呼び出して朗読し始めた。棒読みなのは明らかにあてつけだ。

「粉引き男には三人の息子がいました。ある日、息子たちのお父さんは」
「その末っ子が俺は嫌いなんだよ」

 ここまでくると全部話さなければ彼女は解放してくれそうにない。三上は苦々しげな口調になった。
 彼女の声が止まる。パソコンチェアをくるりと半回転させると、秋らしい柔らかな風合いのロングスカートの裾が上品に揺れた。

「末っ子? 猫が助ける側の?」
「そ。だってそいつ、何もしないだろ」

 長靴をはいた猫。シャルル・ペローというフランスの童話作家の作品だ。
 粉引きの家に生まれた三人兄弟は父の死とともにその財産を譲り受けることになった。長男は粉引き小屋を、次男はロバを、三男はただの猫を相続した。三男はただの猫かと嘆息するが、猫は「私に長靴と袋を与えてくれればきっといい生活をさせてあげましょう」と約束する。
 人外でありながら、長靴をもらった猫は童話ならではの頓知と策略で三男をとうとう一国の王女と円満に結婚させてしまう。

「たかが長靴一つで、なんでこの猫がそこまで何もしてねぇアホ息子に尽くしてんだよ。長靴だぞ? だいたいその息子がマジなんもしてねぇからムカつく」
「……と、幼少期の亮さんは思ったわけなの?」
「今も思ってる」

 なぜ、知恵をこらすのも努力するのも猫だけなのか。
 成果は努力した者に与えられるべきではないのか。幼い頃感じた違和感は今の三上にも残っていた。

「猫は…それでいいって思ったんじゃない? 主人が偉くなってくれたりするほうが嬉しかったのよ。もしくは長靴ぶんの代価を払おうとしてたのかもしれないけど、それも恩返しの一つよね」

 淡いココア色のスカートの膝の上で手を重ね、彼女は思案げに言葉を紡いだ。
 三上はしびれてきた肘の位置を変え、カーテンの隙間から見える夜の色に意味なく目を凝らした。

「たぶん猫は、その末っ子がすごく好きだったのよ」

 三上はすぐには答えなかった。
 そうかもしれない。猫は主人が好きだった。だから主人のためにと奔走した。他人を欺いたりもした。すべては大切な主人のために。

「でもそこで、猫のほうに同情するのが三上らしい」
「あ?」
「頑張ってるのに何一つ自分のものにはしない猫」

 彼女がやわらかく笑って自分のほうを見ているのを三上は気づいた。目が合うとつい眉間に力を入れてしまうのは習い性だが、彼女は構わずにいてくれた。

「でも結局、猫は主人についていって城で悠々とネズミを獲って暮らした、って書いてあるわよ?」
「…ふーん」
「いいじゃない。猫は主人と一緒に幸せになったんだから。何事も、大事な人と一緒が一番よ」

 かなり自己流の教訓で締め括られたが、三上に反論の言葉はなかった。釈然としないものはあったが、曖昧な弁論で彼女に勝つ自信はまったくない。

「私としては、その世界での長靴にどのぐらいの価値があったか知りたいところね」
「安くはないんじゃねぇの?」
「そう思うでしょう? だから尚更猫は長靴に見合うだけの働きをしようとした律儀者なのかもしれないじゃない」
「充分すぎだろ」

 整えていない前髪に右手を差し入れながら、三上は寝転がって天井を見た。秋の夜は静かで、パソコンの起動音が夏より大きく聞こえる。
 彼女が椅子を回す音がした。

「ある意味、三男は一番有意義な遺産を貰ったのね。小屋やロバよりもずっと役立ったわけだし」
「最初はたかが猫かってぶつくさ言ってたくせにな」
「そんなところまで覚えてるほど読んだの?」

 相手の苦笑する気配を読み取り、三上は不本意だがその通りだと認めるよりほかなかった。自分には理解出来ない部分をどうにか納得する思考に辿りつきたくて、気まぐれに何度か読んだ。
 三上はあの猫が好きだった。やたら強気で自信家で、まぁ見てて下さいと主人に胸を叩いてみせるようなあの猫。そうして全部上手く事を運んでしまう機知と英知を持った猫。
 どうしてあの猫は、自分の能力を自分だけのために使わなかったのだろう。

「だから、猫は主人が好きだから仕方ないのよ」

 三上の思考を読み取ったように、彼女は言った。背筋を伸ばして椅子に座り、裾の長い服と嫣然とした微笑。

「好きなひとの役に立ちたい。すごく自然なことでしょう?」
「………………」
「三上は猫のほうに肩入れしてるから、不自然に思っちゃうだけよ。…そうね、たとえば猫が渋沢みたいな性格だったら主人に尽くすのもすごく有り得ると思わない?」
「……思う」

 少し考え、三上は確かに猫があの生真面目な友人のようだったらそれもありうると思った。
 三上の答えに、言い聞かせるように話していた彼女がふわりと笑う。そういうときの彼女はまるで母親か姉のようだ。

「猫は、主人と一緒に幸せになりました。いい話じゃない」

 救われない結末になった童話は世の中いくらでもある。それに比べれば猫の物語はずっと幸せな終わり方をしている。この童話に含まれた正確な教訓を三上は知らないが、わかっているのは頭脳の価値は見た目ではないことと知恵が世界を制したことだ。

「…でも、猫がよくても俺は嫌だ」
「依怙地なんだから」
「好きずきだろ」
「じゃあ、どんな話がいいの?」

 本題の朗読に話を戻した彼女に、三上は天井を見ながら少し考えた。
 結局具体的なリクエストを出せなかった彼に、彼女が読んで聞かせたのはアラビアンナイトの成り立ちの話だった。

 夜はいつでも、ただ静かに更けて行く。








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 本棚をひっくり返していて、昔読んだ絵本が出てきて懐かしくなりました。
 むかし、初めて我が家に来た友人が初めて見たと言って読み、いたく猫の主人である末っ子に憤慨していたのを思い出しました。

 …ここ一週間以上ほぼ寝てばっかりなのでほかに書くネタがないわ。
 そうそう、非常用持ち出し袋を新しくしました。いつ神奈川が新潟に続くかわからないと実感したので。
 暇なので新聞とテレビばかり見ているのですが、被災地の方に掛ける思いを文章に出来るほど私に文筆力はありません。不安だろうなとか大変だなとかご苦労様ですとか一日も早い復旧をとか、ぽつぽつと滲む点が図に繋がらない感じ。
 同情ならいくらでも出来るのでしょうが、ただ同情するだけという災害を免れた身に落ちてくる罪悪感も、所詮私の偽善なのだと思います。手伝えるのは募金ぐらいというのが、何となく。
 明日はわが身にならぬとは言えない日本列島。被災された方々への思いと共に、自分側の対策もしっかりしておこうと思ったわけです。
 ちなみに私の持ち出し袋には郵便貯金の通帳やら医薬品やらに混じって、生○用品も入っております。…いや、だって女性的にはなったときないと困るものではないかと。歯ブラシとかはなくてもなんとかなるけど、月一用品はないとさ…。
 生なましい話ですみません。でも世の男性方は女にはこういう心配もあるということを知っておいてもらいたいです。

 とあるサイトの管理人さんが、サイトにいらっしゃるお客様がネットとは関係のないところでも毎日楽しく過ごせてたらいい、と仰っていたのですが、実のところ私もそのクチです。
 何ていうか、少しでも触れ合った人が平穏であってくれるといい。それが、自分に関係のないところでも、直接会うことがなくても。
 思い返せば、お金貰わないのに好きな文章書いたり好きなことを語ったりするのは平穏無事に生きている証拠だと思いました。それが決して永遠に続くとは限らないことを知ってるはずなのに、忘れがちです。
 もうちょっと真面目に人生を生きようと思いました。反省。






きみと歩けば(笛/木田圭介)。
2004年10月25日(月)

 どんなときでも彼女は。








 秋の夕暮れは釣瓶落とし。あっという間に太陽は西の彼方へ落ちてゆく。
 学校を出て数分だというのにもう暮色に支配されかけた空を見上げ、木田はもうじきやって来る冬の足音が聞こえた気がしていた。

「あ゛ー…さ、む、いー」

 木田より上の位置から、疲れた中年サラリーマンのようなぼやきが降ってきた。

「もうじき家に着くんだから我慢しろ」
「くっそう、あんたより体脂肪あるはずなのになんであたしのほうが寒いのよ」
「それだけのことに文句言うな」

 相変わらず不条理に愚痴を零す無茶苦茶さに木田は慣れきっているせいか、呆れよりも諦めの苦笑しか出てこない。
 それよりも、と横を向けず前を見ながら言う。

「…もうちょっと普通のところは歩けないのか」
「こんな半端な高さに壁作るほうが悪い」

 道すがらにある住宅のブロック壁の上を彼女は歩いていた。壁とは言っても、確かに存在価値を見出せない半端な高さだ。せいぜい70センチかそこらだろうが、木田の腿ほどまではある。上に乗って歩くのに充分な幅もある。実際小学生が乗っているのを木田も見たことがあった。
 かといって、義務教育も終えた女性が歩くには疑問の声は必ず出るだろう。
 きっぱりと言い切る姿は、木田には声しか聞こえないが表情は想像がつく。己の判断に絶対の自信を持った美少女は笑っているに違いない。
 黙って猫を被れば深窓の令嬢でも新人アイドルでも演じられそうな見てくれのくせに、やっていることは毎度毎度小学生男子並だ。

「…どうしてそういうことが好きなんだ」
「面白いからに決まってんでしょ」

 ふふん、と鼻で笑っても、やっていることは余所様のエクステリアの上を闊歩する、に違いはない。
 しかも制服姿、しかも決して長くないスカートの麗しき少女。身長の加減で木田が真横を見ると彼女の白い膝小僧がまる見えだ。そこからほんのわずか視線を上げたら、痴漢容疑で交番へ引っ立てられそうで怖い。その前に得意の喧嘩技で殴られるだろう。おかげで前しか見れない。

「わ…っ、っと」

 突然、寒い寒いとぼやきつつ機嫌よく歩いていた彼女の重心がずれた。
 咄嗟に真っ当に道路を歩いていた木田の肩に手を置くことで、彼女は落下の不運を免れた。木田も慌てて手を添えて細い体を助ける。

「…ほら、調子に乗るからそういうことになるんだ」
「そういうときはあんたがどうにかしてくれればいいのよ」
「……………」

 さらりと暴利を貪る発言を述べて、彼女は木田の肩から手を離した。
 いつ頃からか伸びた髪が夕闇の中でさらりとなびく。蛍光灯の光も弾きそうな艶のある髪を木田は思わずひと房掴んだ。

「…でっ」
「なら、落ちないようこうして歩くか」
「やめんか!」

 烈火に似た気性も露に、彼女は木田の手から髪を取り戻す。急に引っ張られて痛かったのか、わざと髪をさすりながら木田を睨む。

「っとにむかつくわね」
「それでもいいから、普通に歩いてくれ。そのうち大怪我しそうで見てるこっちが怖い」
「やだ」

 つんと顔を逸らした横顔は少し子供っぽかった。まったく、と木田は十年一日の如くそう思うようになったが彼女相手に今更思っても仕方ない。この花はこうやって咲く花なのだ。
 兎にも角にも、外壁が切れるまではここを歩く気で一杯の彼女に木田は手を差し出す。

「なら手を貸してやるから掴まってろ。そのほうが安心だ」
「…あんたの安心に付き合う義理ないけど」

 そう言いながら、そうっと滑り込んできた指先を木田は軽く掴む。まるで父親の気分だ。
 歩き出すと意外と手が疲れることに気づいたが、何もしないよりも安堵感が違った。

「…木田ってわりと過保護すぎない?」
「そっちが無鉄砲で非常識なだけだ」
「ちょっと、せめてどっちかにしなさいよ!」

 いつもは下から来る声が、頭上から響いてくるのが新鮮だ。
 そして怒っても小さく握った指先が離れていく気配がない。言葉と態度が噛み合わないのもいつものことだ。天邪鬼と呼ぶべきかそれとも小悪魔なのか、判断の悩みどころは尽きない。

「無鉄砲か非常識か、どっちか改善してもらえると助かるんだか」
「いーやー」
「ああ、自覚はあるんだな」
「うっさい!」

 秋の夕暮れは釣瓶落とし。気づけば落ちきっていた太陽はもうぬくもりを地表に与えてはくれないが、賑やかな帰り道の木田の手の中にはささやかな温度が入っていた。







************************
 風邪も大分よくなりましてこんばんは、遠子です。
 私の中の小ネタの基準は『場面転換がないもの』なのですが、長さとしてもこれぐらいが適当ってものですよね。たまに長すぎるんですよね、ハイ。

 木田と同級生ヒロイン。高校生ぐらいで。
 この二人は気づいたら付き合ってました風がいいな。別に好きだ何だ言わなくても何となく続いてました系。常日頃から喧嘩ばっかのイメージです。喧嘩っていうか一方的に怒るのは彼女。なだめているようでわりと突き放す系の彼氏。でも見捨てない彼氏。毒食うときゃ皿まで食ってやるさ!と開き直りでもいい木田。
 圭介さんというとどうしても木田のイメージが先行するため、お余所のサイトさんなんかでよく山口くんと混合します。私山口くん全然知らないんですけどてへ(ごまかしてみる語尾)(…どこかの巻で須釜くんと喋ってたあの子だったっけか)。

 今日ひとりで病院に行くために電車に乗ったんですけど、隣のきれいなお姉さんから友人Kザキさんと同じ匂いがしました。あ、いや、ガンダム好きの臭いとかじゃなくてね。
 たぶん香水が同じだったのでしょう。帰宅して妹に言ったら変態じみた扱いを受けました。
 そういうこともあるって話でいいじゃないか。
 しかし大風邪っぴきの私に感じられる匂いって、あのお姉さん相当香りきつかったんじゃなかろうか…(今気づいた)。






相棒(笛/渋沢と三上)(パラレル)。
2004年10月20日(水)

 その1、赤い傘の令嬢。








 雨が降った日の午後四時、必ずその道を通る影がある。
 赤い傘のご令嬢。三上の相方はいつもそう彼女を表現する。令嬢という言葉に相応しい身なりと物腰をした若い婦人なのだから、おかしくはない。しかし若いと思えるのはせいぜいがその後姿ぐらいのもので、顔は傘に隠れて見えない以上実際はもっと年嵩の女性かもしれない。少々理屈屋のきらいがある三上はいつもそんな言葉で相方を否定していた。
 そして今日も雨が降っている。
 この街は雨が多い街だ。そのせいか街全体がくすんで見える。湿気を考えた石造りの建物が多いことがさらに拍車をかける。鬱陶しい街だと思いながら、それでも三上亮はこの街を好いていた。

「…三上、何だその格好は」

 狭い出窓に身体をはめ込むようにして、三階からの濡れた景色を楽しんでいた三上を事務方の渋沢が咎めるような目つきで見てきた。事務方といっても二人しかいない探偵事務所では、性格的に渋沢が事務処理を司るようになっただけの話だった。
 雨の日こそ帳簿整理、と言ってはばからない渋沢は案の定未整理の帳面を抱えて立っているところだった。長身に皺ひとつない黒ズボンと白いシャツ、サスペンダーに黒の肘カバー。そして生真面目な顔つきは若手の銀行員といった雰囲気だ。尤も、半年前までそうだった渋沢を学生時代の友人という仲だけで引き抜いてきたのは三上だった。

「だって今日仕事こねぇし」
「わからないだろう。こんな雨の日に来る客のほうが切羽詰まってるだろうし、営業中はしゃんとしてろ」

 肩をすくめた三上を視線で諌め、渋沢は帳面を三上の机とは直角の位置に置かれた自分の机の上に置いた。渋沢のおかげで事務所内はいつも清潔で整頓されている。いい買い物をしたと渋沢を引き抜いた直後は思ったが、口煩いのは学生時代から変わっていない。
 仕方なく三上は出窓から降り、窮屈だった脚に屈伸運動を与えてやる。ついでに紅茶でも淹れてくれないかと相方を見たが、渋沢は黙々と自分の机の上で事務処理をしている。仕方なく自分で淹れることにした。
 隅の水道で薬缶に水を入れながら三上は渋沢を振り返る。

「なー明日は?」
「九時に氷室邸の奥様の相談会」
「うげ、あのオバサン苦手だっつの」
「引き続いて昼食会に呼ばれている」
「断れよ」
「一時半にここに戻って、先週いらした加藤様の依頼の報告」
「あ、交通費の領収書」
「お前の服から頂戴しといたぞ」

 手も口も止めない渋沢に、三上は実に役立つ助手だと思いつつそのうち立場が逆転しそうな危惧を覚えた。
 薬缶を火にかけ茶道具を出してしまうと、後は水が湯に変わるまですることがない。何ともなしに窓辺に行き、いつも通りの水濡れの街並みを見た。

「今日もスカーレットの傘は通ったか?」
「あ?」

 聞き慣れぬ珍名に三上が振り返ると、渋沢がペンを右手に持ちながら笑っていた。

「あの赤い傘は、緋色と呼ぶんだそうだ」
「緋色」
「英語だとスカーレットだな。随分前から気にしてるだろう?」

 あの赤い傘の女性のことを言っているのだとわかっても、三上は狼狽したりはしなかった。ふんと鼻先で笑って終わらせる。

「別に」
「ここだと珍しい色だよな」

 このくすんだ石の街に華やかな色は目立ちすぎる。目立ち過ぎて違和感を誘い、身に纏えば人目を引きすぎる。
 だからこそ三上も気づいたのだ。落ちゆく夕焼けの一番濃いあの色。雨の日の午後四時過ぎ、丸い赤い傘がゆっくりと濡れた舗道の敷石を動いていく姿に。
 二人の会話を遮ったのは、まろやかな音を鳴らず訪問者の合図だった。この事務所の呼び鈴は文字通り鈴だ。雨の日でもその音は曇らない。
 いつもの決まりで、渋沢が席を立って扉へ向かう。三上は素早く水道の前の鏡でシャツの襟元を正す。何事も第一印象は大切だ。ましてや探偵などという胡散臭い商売柄、出来るだけ清潔感を保とうというのが二人の約束事の一つだった。

「お邪魔致します」

 涼やかな女性の声だった。仏蘭西料理店のギャルソンさながらの恭しさを見せる渋沢に案内された彼女の足元で小さく靴音が鳴った。
 彼女の後ろで渋沢がドアを閉める音が響いてから、三上は気づいた。渋沢が今持っている赤い傘。おそらくこの女性から預かったものであろうそれは、わずかな雫を床に落としていた。
 緋色の傘。

「はじめまして、お仕事をお願いしたく参りました」

 怜悧で品のある面差しは三上が苦手な隙のない女のそれだった。歳は彼らとさして代わらないだろう。むしろ、三上は彼女を知っていた。
 驚きを決して見せないよう苦心し、彼は皮肉めいた笑みを浮かべた。

「白々しいこと言ってんじゃねぇよ。どうやってここ調べた」

 くすりと彼女は朱唇を笑みのかたちに代える。足の角度を変え、顎を上げる。

「素敵なご挨拶をありがとう。まだ覚えていてくれたなんて光栄ね」
「…ったく、よりによってお前かよ」
「何年振りだろうな」
「渋沢も、お元気そうね」

 微笑む古い昔馴染みにから三上はふつふつと湯気を出すようになった薬缶に視線を転じる。しかし先にそれに気づいた渋沢が火を止めに動いているところだった。

「…帰ってきてるなんて知らなかった」

 一時的に二人と渋沢の距離が開いたことでか、彼女の口調がやわらいだ。
 その声も瞳もまだ学生だった頃と何も変わらず、三上は行儀悪く机の上に座った。猫は敵より高い位置にいることで己の優位さを確かめるという。それと同じだ。

「思い出話するために来たわけじゃないんだろ?」
「そうよ」

 凛とした姿勢で言う彼女に、三上は嫌な予感がした。
 渋沢も言っていたはずだった。こんな雨の日に来る客は、切羽詰まった事情があると。

「まあ何だ、折角久しぶりなんだからゆっくり聞こうじゃないか。な、三上?」
「………………」

 昔馴染みなど冗談ではない。三上はそう思ったが、渋沢の迫力のある笑顔が近づいてくるのを見ると否やとは言えない。
 逸らした視線の先にある緋色の傘。思わぬ再会と事件の始まりは、その傘がもたらしていた。








************************
 今日の相棒を見て、相棒って響きいいなあと思ってこうなりました。
 …あんまり相棒というネタじゃない…。右京さんのサスペンダーにやたらときめいたのが理由と言えば理由なんですけど。
 そして亀さんたちが別れるかどうかの瀬戸際が一番気になります。もしそうならすごく嫌だ。ものすごく嫌だ。お願い脚本家…!!(懇願)

 ところで、先日NHKアナの畠山さん(※1)についてちらっと書いたのですけど、いやーいるものですね畠山ファンは! 私的に局アナの中で一番好きな人です。フリーだと安藤さんなんですけど、あの人はむしろキャスターだと思う。

※1:畠山智之(はたけやまさとし)さん。ご存知NHK夜のニュースの顔。オードソックスなスーツを身につけながら添えるネクタイがときどき奇抜。ストライプシャツに斜め柄のネクタイでも淡々とニュースを読む。美声。眼鏡のはずだ。
 http://www.nhk.or.jp/a-room/ana500/ana/00062.html

 風邪はまだ引いてます。
 サボテンジャーニー見逃した…!!(日テレで夜十一時過ぎにやってる毎夜ドラマ)






ロングレイン3(笛/真田一馬)。
2004年10月18日(月)

 その朝、家を出てはじめて熱を出した。








 朝から気だるくて、雨が降っている窓の外を見てうんざりした。
 昨日は雨の音が気になってよく眠れなかった。だから身体がほてっているんだろうと、そう思った。

「…何度?」

 シャツの第二ボタンまでを外して電子体温計を脇に挟んでいるわたしに、真田さんが洗面所から戻ってきて聞いた。フローリングの床に靴下の足音。
 ちょうどそのとき体温計が測定終了の音を鳴らして、わたしは細く小さなそれを取り上げた。暗い液晶の数値を読み上げる。

「三十七度…二分、です」

 本当は七度八分だったけど、なんだか心配をかけてしまいそうで微熱の振りをした。心配、ていうよりも、迷惑になることのほうをおそれたのかもしれない。
 真田さんはそうかと言ってわたしの手から体温計を受け取ろうとしたから、慌ててボタンを押して初期値に戻した。

「…使わないと思ってたけど、やっぱあると便利だな」
「え?」
「ん、救急箱とか。うちの母親がなんかいろいろ詰めて置いてったのは知ってたけど、あんま使ったことなかったから」

 ケースに戻している体温計をしげしげと見ながら言う真田さんに、熱っぽいわたしは曖昧に笑った。
 雨は今日も降っている。今年の入梅は早いと聞いた。いつも冷蔵庫の近くに置いてある丸いスチール椅子が、今日はなぜかベランダのほうに置いてある。
 真田さんの部屋は無機質な印象だ。あまり家にいる時間がないせいもあるだろうし、真田さん自身に物を増やそうという意識が少ないせいもあると思う。だからこの部屋のものは真田さん本人よりも、お母さんや郭さん若菜さんが置いていったものがたくさんある。
 食事のときに使っている椅子に座っていたわたしが、一度だけ小さな咳をすると真田さんの視線とぶつかった。

「薬とか買ってくるから、寝てろよ」
「え? あの、いいです」
「だって今日仕事ないんだろ」

 そうだけど、それなら自分で行く。まだ午前中で外が雨とはいえ明るい。
 それに真田さんは今日の夕方から試合だ。

「風邪薬なら持ってますから、大丈夫です」

 喉が小さく、ちりちりと痛む。一声ごとに異常を訴える痛み。
 忘れるなと誰かにいろんなことを指摘されている気がした。真田さんの顔を見ているつもりで、その目から少し離れた黒い前髪のあたりに視線をめぐらせた。

「でも、うつったら大変ですからしばらく籠もってますね」
「そういうんじゃ」
「大丈夫です」

 繰り返す。そう、大丈夫。そう思っていなかったら自己嫌悪で泣き出してしまいそうだ。真田さんが体調管理に気を遣っていることなんて誰にでもわかることなのに、なんでわたしは。


 ――『もう、なんでよ!』


 悲鳴みたいな泣き声が不意によみがえる。
 泣かせるつもりじゃなかった。悲しんでほしいわけじゃなかった。ただ、わかってほしかった。そのための会話はいつも空回って。
 いつからか黙って笑っていればそれで何事もなく終わることを知った。

「…泣くなよ」
「泣いてません」

 じわっと浮いてきただけの水の膜に、先に気づいたのは真田さんだった。
 いつかみたいな困り声じゃなくて、学校の先生みたいな嗜め声。一度息を吸って、唇を噛んで、心臓を落ち着かせる。

「泣くなって」
「な、泣いてません!」

 勢いよく顎を上げた拍子に、声まで大きくなった。顔が熱いのに背筋は冷えきっている。その気色悪さに苛々したのかもしれない。
 真田さんは目を丸くしてわたしを見ていた。

「……怒んなよ」
「…怒ってません」
「嘘つくなよ」
「真田さんには関係ありません」

 以前にも、同じことを言った。同じこの部屋で。
 だけど今はあのときとはっきり違うことがある。真田さんの顔が強張って、テーブルに置いていた片方の手が一度動いた。

「…そうかもな」

 そのはっきりとわかる低い声にわたしの顔から血が下がるのも、わかった。
 もう、何なんだろう。わたしは何がしたいんだろう。どうしてこんなに自分勝手に振る舞えるんだろう。面倒と厄介のかたまりみたいなわたしを心配してくれる人にすら心優しくなれない。
 ずっとそうだった。わたしはそうやって逃げ出したままだ。

「ごめん」

 顔を背けたわたしの手に顎から滴った水が落ちる頃、真田さんが仕方なさそうに呟いた。
 上手くいっているように思えた日々が、少しずつ終わろうとしていた。







 ほぼ半日をうとうとと寝て過ごし、起きた頃には雨も止んでいた。オレンジ色の夕日が街を染めている時間帯、借りている部屋を出たわたしを迎えてくれたのはさくらちゃんだけだった。
 キッチンは全部片付けられていて、テーブルの上にコンビニおにぎりが二つと小鍋のお味噌汁が置いてあった。メモも何もないのが、真田さんらしかった。
 念のために熱を測ってみたら、思った以上に低い。三十六度七分。なんだかんだで、わたしは図太いとひとりで苦笑してみたけど、すぐにためいきみたいなものに変わった。
 ごめんと呟いた真田さんの声を思い出して、申し訳なさだけが募った。
 あの人は悪くない。真田さんだってきっとわかっていたはずなのに、あの場を収める方法を彼が選んだだけだ。わたしの弱さがそうさせた。謝る必要のない人に、そうさせた。

「ごめんなさい」

 たくさんの人に迷惑をかけて、わたしはここにいる。
 それを割り切ることも出来ず、恩を返すわけでもなく、ただ悪いと感じながら何もしないなんてそんな都合のいい話があるだろうか。それはただの薄汚い偽善だ。
 ほんの少し前の日に見かけてしまった妹の姿は、わたしに確かな罪の意識を与え続けていた。
 裏切った者に、傷つく権利なんて、ない。
 眺望のいい真田さんの部屋。ここの生活はなんだか適度に穏やかで、新鮮で、思った以上に楽しくて。だから無意識に忘れかけていたのかもしれない。安定を求めるには早すぎる現実に。
 長い雨が止んで、気持ちの切り替えが済んだらここを出て行こう。
 名残惜しさや、真田さんの優しさがこれ以上辛くなる前に。

 落ちていく夕日を硝子ごしに眺めながら、わたしは自分の立場をもう一度考え直そうと思った。
 そのとき玄関のチャイムが鳴った。向かう前に時間を確認する。
 午後六時ちょうど。真田さんの試合開始時間だった。








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 前の各話は日記の一括目次から『真田シリーズ』を選ぶことで、正規ページに更新してある話以降が読めます(ややこしい説明)。






幕間より愛を込めて(笛/???)(未来)
2004年10月11日(月)

 その美しい人と俺が会ったのは、秋の夜長に俺が夜遊びをしている最中だった。







 一目見て、美人だと思った。
 それが俺から見た彼女の第一印象。美人。二文字で済む。性格や性質なんてさっぱりわからないが、兎にも角にも見た目が整いすぎている。たとえそれが、カラオケボックスのドア越しに見た姿であっても。
 彼女がたった一人で熱唱中であっても。
 …言い訳や背景説明はとりあえず置いておこう。要するに、俺は不覚にも見惚れてしまったわけだ。薄暗いカラオケボックスの、一人でマイクを握り締めて歌うその人に。一緒に来て別室で歌っている友人たちのことを忘れてしまうほど。

「なに見てんのよ」

 凝視ぶりに気づいた彼女が、室内からマイクのどでかい声で怒鳴るまで。
 睨み付ける切れ長の双眸はおそろしいほど強い感情に燃え盛っていた。やってしまった。これは怒れる女の顔だ。怒った女に近づくような愚鈍さは俺にはないはずだったのに、これは唯一の例外だ。

「失礼、あんまり綺麗な人がいたものだから」

 にっこりと笑って、歯の浮くような台詞を言ってみた。
 これで照れるようなら俺は遠慮なく立ち去れるし、さらに怒るようならもっと遠慮なく走り去る。しかし彼女は、思いきり眉根を寄せた後にマイクをぽいと座席に放り投げた。
 そして思いもよらなかった行動に出た。部屋と通路を繋ぐドアを思い切り開けたのだ。

「何言ってんだか聞こえないでしょバカ」

 …ううむ、俺の目は所詮見た目にしか反応しないのだろうか。
 たおやかな美人だと思っていたかったのに、出会って二分で他人をバカだと言ってのける女。俺の趣味はこういうのじゃない。強気なのは一向に構わないがせめて言葉遣いは丁寧にしてもらいたいものだ。

「なんか用? あたし急いでんの」

 それでも悲しきことに、この女見た目は美しいのだ。多少子どもじみた口調で人を睨みつけても、指の先から髪の一本一本までが美しい。神様、なんでこの女に初対面の人間に対する正しい所作を与えなかったのだ。
 仕方なく俺は開き直ることにした。アメリカ人並とは言わないが、とりあえず日本人としてはややオーバーリアクションで肩をすくめてみせた。

「美人がひとり寂しく歌ってる姿に興味を引くのは、人間として至極当然のことだと思わないか?」
「………それも確かね」

 …何てことだ。この女、認めるか、普通。
 ふむ、とでも言いたげな顔で俺の言葉を吟味したあと、よりによってこの女は素直にうなずいたのだ。

「そりゃあたしでも思わず立ち止まるわ。あやしすぎて」

 おいおいおい、それは自分のことだとわかってるのか。
 アイスブルーの薄手のセーターに黒のタイトスカート、艶のある皮のロングブーツは数センチ程度のピンヒール。体型は一目瞭然だ。細身で脚が長く、あるべきところに肉はあり無くてもよいところにはない。
 白い肌の化粧はそれなり、薄めの唇は桜色。癖のない髪は肩ぐらい。
 …見た目は合格点なんだか、いかんせん雰囲気が。

「じゃ、そんなところで」

 ばいばい、と言いたげにさっさと手を振って女は部屋に戻ろうとする。次の選曲が流れ始めている。俺の耳に狂いがなければ、渡辺真知子の『迷い道』だ。
 なぜ渡辺真知子なんだ。なぜ迷い道なんだ。それは俺のお袋の十八番だ。
 くらくらする頭を抱えたくなった俺に、投げ出したマイクを手にした女は鬱陶しげに俺のほうに視線を向けた。

「そこ閉めてよ。歌えないでしょーが」
「…………」

 俺は言う通りにドアを閉めた。ただし、俺も中に入ってからだ。
 彼女は俺まで中に来たことにうろんげな顔をしたが、すぐに曲のほうに頭がいったのかさっさと歌い始めた。俺がいたせいですでにサビの部分になっていた。
 一つ曲がり角、一つ間違えて。
 すれ違った恋の歌。彼女は姿に似合った透明感のあるソプラノで歌う。
 これだから見た目だけ綺麗な女は嫌だ。俺はどっかとソファに腰を下ろし、脚を組んで思う。どんな歌でもちょっと上手く歌えるだけでその姿を鮮烈に周囲に見せ付ける。
 一曲終わり、俺はとりあえず無断拝見のせめてもの礼儀として拍手を送った。

「上手いね、お姉さん」
「…あんたいくつよ」
「二十二」
「あたし二十一。年上にお姉さんなんて呼ばれたかない」

 フン、と鼻で笑う美人はこつこつとヒールを固い床に響かせて、俺の正面に座った。断りも無く入ってきたことは何も言わない。案外一人で歌うのにも飽きてきた頃だったのかもしれない。
 数年前から歌本に代わって台頭し始めた曲選択可能なリモコンを膝の上に置く彼女は、次の曲をまだ決めていないようだ。俺はその隙に質問する。

「学生?」
「働いてる」
「何して」
「秘密」
「彼氏は」
「いるといえばいるし、いないといえばいない」
「どんな人?」
「………理屈っぽい人間山脈」

 すごい表現をするもんだ。彼氏の一人や二人いてもおかしくない外見なので驚きはないが、そんな風に表現される男は何者だ。

「彼氏いるのに一人でカラオケ?」

 寂しいね。そう続けたのは挑発のためだ。
 ずっと膝の上のリモコンを操っていた指先を止め、彼女は俺にその瞳を向けた。

「あんたに何がわかんのよ」

 切れた人間の常套句。ここまでくれば誰でもわかる。この女は、その人間山脈と何かしらがあって、憂さ晴らしにここにいるのだ。
 大方、男もこの女のこの性格についていけなくてのすれ違いだろうな。
 ちょっとわかる気はするが、ちょっと勿体無い。

「付き合おっか。俺いまヒマだし」
「いらん」

 おお三文字で済ませたか。しかも『いらん』。こういう女は初めてだ。
 だが俺も何気に天邪鬼な奴であったりするので、即断されると自分の意思に関わらず逆らいたくなる。まだ居座ることを示すように組んだ脚の上で頬杖を突いた。

「そんだけ綺麗だったらすぐ他の奴見つけられるだろ」
「どっかで聞いたような台詞、あたしに言うな」
「人間見た目で判断されがちだろ?」
「……………」

 忌々しいとばかりに彼女は舌打ちした。見に覚えがありそうだ。

「…外見なんて、あたしが欲しくて手に入れたわけじゃないでしょ」
「そりゃそうだろうな。多少は磨けても、あんたの場合は天性のものっぽいし、頓着してなさそうなところからしても美人に生まれてよかったとはあんまり思ってなさそうだ」

 宙に手のひらを掲げて、悪ぶって言ってみたら思いのほか効力があった。彼女が笑ったのだ。
 ふわりと、彼女の表情に淡い彩りが差す。

「わかったようなこと言う気」

 …それでも言葉はあまり優しくない。
 面倒な女だ、ということで俺の第二印象は決まった。

「わかって欲しければ事情話せば?」
「…なんであんたに」
「行きずりの人間のほうが後腐れがないから、自分のことを正直に打ち明けられるってものだろう」
「…だからなんでそうわかったようなこと」

 忌々しい、から憎憎しげな口調になった。最初から判断できる通り、相当気性が激しい女のようだ。この女と上手く付き合うのには、相手にはそれなりの懐の深さが必要だろう。あいにく俺はこの女を彼女にするのは御免被る。友達ならまだいいが、恋人になるには無理だ。

「結婚するなら好きにしろっつったのよ、あのクソバカ」

 前髪に手を突っ込み、ぐしゃぐしゃかき回しながら美人は唐突に言った。
 おおそうか、そりゃめでたい。とか言ったら、冗談抜きで俺は殺されると思った。

「それならしたらどうなんだ」
「違う! あいつ、自分とじゃなくてあたしが他のと結婚したって止めないって意味で言いやがった!」

 ああわかる、その気持ちは。止めたって聞きやしなそうだ、この女。

「顔色一つ変えないで自分の彼女に言うのがその台詞なんて、じゃああたしは一体何なんだっつーの! 今すぐ説明しに来い!」

 ダン! とカラオケボックスのテーブルが鳴った。目の前の美人が怒りに任せて両の拳をぶつけたのだ。乱暴な女だ。

「それはご愁傷様だ」
「あ!?」
「暗黙的に、あんたと結婚する気はないって言ったんだろ」

 瞬間的に彼女の表情が変わった。そして俺の後悔も始まった。
 美しいはずの顔がかすかに震えていた。捨て子なんて俺は見たことがないけれど、もし絶対的だった何かを裏切られた人間がいるとしたら、こんな顔だ。

「……ごめん、無責任に言った」

 しかし彼女は俺のささやかな良心が言わせた謝罪には、もっと腹を立てたようだった。
 鎮火しかけた炎が再度燃え上がるように、彼女は俺を筆舌しがたい激しさで睨んだ。

「謝ってなんかこないでよ!!」

 まっことカラオケボックスというのは叫ぶのに適した部屋だ。これが普通の家だったり部屋だったりしたら、まず間違いなく騒音問題になる。

「あんたに謝られる筋合いなんてあるかぁッ!!」

 渾身の力を込めたリモコンが飛んできた。危うくよけたら、ソファの上で弾んだそれは床に音を立てて落ちた。
 訂正する。この女はただの美人でも面倒な女でもない、危険な女だ。
 俺の大馬鹿野郎。なんでこんな女に見惚れたりなんかした。
 口が悪くて礼儀知らずで、怒鳴る声に気品なんてなくて、感情が激しく荒っぽくて、なのに怒った顔と半泣きの顔は、どっか真っ直ぐすぎて清冽で。
 顔を真っ赤にして叫んで肩を奮わせた表情が、子どもっぽくてどっか可愛いなんて、この女は本当に卑怯だ。

「ああもうムカつく! 木田の大バカーッ!!」

 おそらくは彼氏の苗字であろう固有名詞を含んだ罵声と共に、もう一度彼女はテーブルに拳を打ちつけた。哀れなテーブルが激しく泣いた。
 本当に馬鹿なのは、この女なのかもしれない。
 呆然と俺はやるせなさそうに目を伏せて荒い息を吐き出している美人にそう思った。泣くに泣けない印象だ。プライドが高いのかもしれないし、自分にも思い当たるところを納得しているのかもしれない。
 だけどさ、あるだろ、泣いた後に感情が落ち着くってことが。
 なんでそれを選ばないかな、きっとそのほうが楽だろうに。

「…あの、お客様」

 そこで横槍が入った。気が利かない店員がおそるおそるドアの隙間から顔を出している。さぞ異様な光景だろう。怒り心頭の美人と、ソファの一番端で身を引いている俺の二人組み。ああ、単純に痴話喧嘩だと思われたか?
 ところが店員は一人じゃなかった。もう一人長身の男を連れている。
 美人が顔色をまた別の色に変えた。
 男は店員を押しのけるようにしてドアをふさぐと、ためいきがちに言った。

「大した有様だな」

 別の意味で感心しきっているようだった。俺を完全に無視して、男は美人を見ている。で、その美人は悔しそうに否定出来ずにいる。
 この美人の素晴らしき声量をもってすれば、直前に響いた怒鳴り声などさぞしっかり聞き取れただろう。防音効果とはいえ安いカラオケ屋にだって限度がある。

「ストレス発散は出来たか?」
「…っるっさいわね、ほっときなさいよ」
「聞く耳があるなら聞いてくれ。俺には誰かを縛る権利なんてない。だから何をするのも止める権利はない。不愉快だと言うことは出来るが、止めたところで聞き入れられたらそれはそれで気持ち悪い」

 …事情を知らない人間が聞いたら、何言ってるかわかんねーよ、の一言で終わりそうな台詞だ。それを淡々と言ってのけた男は、まあこの場合アレだ、この美人の。
 美人は柳眉を逆立てて男をはったと睨みつけていた。

「あたしに喧嘩売ってんの?」
「ああそうだ。一方的に勝ち逃げされるのは俺にも不本意だ」
「……ッ! じゃあ買ってやるから言いたいことあるなら言えば!」
「言うから表に出てくれ」

 迷惑だから。
 ぽそっと呟いた男の声を俺は聞き逃さなかった。ああこいつ、絶対苦労性だ。いま頑張ってこの女に啖呵切ってる。

「手間賃で会計は俺が済ませておくから、先に外で待ってろ」
「当然だ!」

 答え方が雄雄しい美人は、バッグとコートを掴むと怒り肩で部屋を出て行った。ガンガンと足の裏を床に打ち付ける音がひとしきり鳴ると、やがて静かになる。
 そこで初めて、男は俺に視線を向けた。

「迷惑かけたようで、申し訳ない」
「ああ……いや。苦労してんね」

 後半は本心だった。男は軽く苦笑する。背は高いが、俺と同年代。大学生ぐらいだろう。生真面目そうで、俺とはタイプがちょっと違う。

「あ、ちなみに俺はさっき会ったばっかで、何でもないから」
「そうですか」

 素っ気無い。多分こいつは、あの美人に何かとちょっかいを出されることに慣れてるんだろう。んで、きっと多分美人が歯牙にもかけないことを見抜いている。

「あの容姿であの性格、あれ詐欺だね」

 男は苦笑のかたちのままで、一種の愛情を込めた何かをちらつかせた。

「面白さでチャラです」

 …成る程、それも有りだろう。この男はあの美人のあの気性も魅力だと言ってのけた。
 ただ俺にはついていけない世界だ。俺にはもっと、平凡で穏やかな安らぎを与えてくれるような女のほうがいい。あんな苛烈な女はどうも疲れる。
 人それぞれなんだろう。結局俺が思ったことはその一言に終結した。

「それじゃ」

 軽く会釈して、会計用の伝票を持った男は去って行った。俺は友人たちのところにすぐ戻る気になれず、疲れた息を吐いてソファに座ったまま脚を伸ばした。
 俺はあの美人の名前も、現れた男の正確な正体も知らない。男がなんで都合よくここに現れた理由も知らない。関係は推測出来るが、わざわざ追いかけて正解を聞きたがるほど野暮じゃない。
 ただここに記するのなら、俺の名は高橋であること。それぐらいだ。
 そうしてほんの少し考えると。

 願わくばあの美人と長身の男が、より良い関係になってくれますように。

 あの女がそのへんに野放しにされると、絶対また俺みたいに見た目に惑わされて面食らう阿呆が続出するだろうから。
 だからさ、しっかり掴まえといてくれる奴が世の中には不可欠だ。
 たとえば、泣きたいときに黙って泣かせてやれるような奴が。
 なあそうだろ? 今頃泣いた美人を抱きしめてるかもしれない誰かさん。

 って、誰に言ってんだかわからない俺の秋の小話でした。







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 木田ヒロインを客観的に見てみたら、という話です。
 ええ9割ぐらいオリジナルですけど。9割っていうか98%ぐらい。木田という名前以外に笛原作要素がない。うへはははー(遠い目)。
 木田ヒロインのコンセプトは外見A級中身B級、です。久々に書いた…。

 語り手は高橋達也という名前です。渋沢編にたまにいる陸上部部長氏です。ただの裏設定であって、この先に必要とかそういうわけでもなく。
 この類のタイプを書くのはわりと好きなようで、類似に郭編の長瀬くんがいるんですが、まあそんなこと言ってるとまたどこかから真面目な突っ込みを受けそうなので。

 しかし木田は渋沢と口調がほぼ同じなので書き分けが大問題。




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