小ネタ日記ex

※小ネタとか日記とか何やら適当に書いたり書かなかったりしているメモ帳みたいなもの。
※気が向いた時に書き込まれますが、根本的に校正とか読み直しとかをしないので、誤字脱字、日本語としておかしい箇所などは軽く見なかった振りをしてやって下さい。

サイトアドレスが変更されました。詳しくはトップページをごらんください。

日記一括目次
笛系小ネタ一覧
種系小ネタ一覧
その他ジャンル小ネタ一覧



青い硝子の北極星(笛/笠井竹巳)(未来)。
2004年08月30日(月)

 おとぎ話、むかし話。








 気づいたらこんな歳になってたよ。

 突然そんなよくわからないことを先生が言うものだから、私はびっくりしてしまった。何を言うんだろうこのひと。そう、思った。

「だって、先生まだ二十…」
「二」

 キャラメルみたいな色の床に、薄く青い座布団。ぺたりと座った私に、先生はまた青いグラスを渡してくれた。満たされた液体から薫る麦茶の匂い。
 大型台風が近づいてくる夜は、窓を閉め切っていてちょっと暑い。だけどエアコンをつけるにはちょっと勿体無いような涼しさ。

「人間て、人によって止まる時間が違うんだって」

 さらさらの髪を無意識に揺らして、先生はこの大して広くない部屋の端、いつもの壁際に腰を下ろした。夏でもつい履いてしまうのだと言う靴下は、今日はグレーだった。

「止まる…時間?」
「そう。…自分が、歳を取ったって実感がなくなるとき」

 二十二歳の新任教師は、十七歳の女子高生にはときどき理解の範疇を超えてしまう。だって先生はときどき詩人みたいな物言いをするから。

「俺は、十八ぐらいから自分が歳取った気がしないんだ」
「じゅうはち…」

 四年前? 学年としては、五年前?
 気まぐれに話してくれる先生のむかし話に、私はいつも何年前かはっきりさせたくて頭の中で計算する。そのとき先生はいくつだったのか、何年生だったのか、私はどこにいたのか。

「それで、気づいたら二十歳過ぎてて、気づいたら就職してるし」
「…気づいたら、私がいちゃったりして?」

 おそるおそる先生の言葉に続いてみると、先生は少し意外そうに目を見張って、やがて笑った。猫みたいな目尻がやわらぐ。

「そうだね。…それはまあ、いいんだけど」

 よくないことも、あったのかな。
 私が素直に喜べなかったのは、先生のむかし話は時にいい思い出だけじゃないとわかっていたから。
 小さなテーブルに、私が青いグラスを置くとかたんと音が鳴った。
 壁に寄りかかっている先生が、少し天井のほうを向く。

「…気づいたら、もう何年も過ぎてた」

 横顔に、先生の少年時代の名残が見えた。
 このひとは、十八歳の笠井少年にあって、二十二歳の笠井先生にはないものを、保存したかったのだろうか。
 その肩がすごく寂しそうで、私が膝でにじり寄るのにためらいはなかった。

「時間を…止めたかった?」
「………」

 十八のまま、最後の高校生活のまま。
 先生の思い出話に出てくる、大事な友達と一緒にいる時間を。

「わからないよ」

 歪んだ笑みが、先生の顔に浮かんだ。
 自分のことなのに。そう思っても、口には出せなかった。
 大人なのに頼りなくて、思い出ひとつで心が揺らいでしまう。この人は今も悔やむような過去を抱えて生きている。それは、大なり小なり誰にしもあることなのだろうけど。
 まだ子どもの私にはわからない、先生の思い出。

 何かを求めるように私の肩に額を押し付けてきた人の髪に、私は黙って頬を寄せた。







************************
 本来この日記帳は、私の中であまりまとまっていない話のネタ吐き場としての用途もあるのです。あるったらあるんです(すごい言い草)。

 とりあえず笠井の未来話みたいな感じで。
 タイトルはかなり適当です。

 関連は、
 あの空の向こう
 雪月花
 手紙
 Can you a secret?
 ずっと二人で
 こんな感じ。

 ついでに藤代単体に関する方面は、
 恋愛恐怖症
 TRUE LOVE
 この二つです。

 オマケ。
 武蔵森の犬と猫
 武蔵森の犬と猫2
 武蔵森の犬と猫3
 武蔵森の犬と猫4
 武蔵森の犬と猫5
 武蔵森の犬と猫6
 武蔵森の犬と猫7
 武蔵森の犬と猫8
 武蔵森の犬と猫9
 武蔵森の犬と猫10
 武蔵森の犬と猫11
 武蔵森の犬と猫12
 武蔵森の犬と猫13
 武蔵森の犬と猫13
 ついでに。
 1月1日

 13が二つあるのは気のせいではなく、私が間違えただけです。内容は違います。あと犬猫シリーズ(?)はすべて一話完結スタイルです。
 そんなに書いてないと思ってたんですけど、意外に多い気がしました、藤代と笠井。当然笠井は捏造中です。

 ただこう…いつから書いてるのコレ的な印象がいなめません。
 二年前ですって。あらまあおほほほほ(笑ってごまかしたい)。
 ネチっこく私の頭の中で、笠井が難関教職採用試験を突破してる姿とか、藤代は変わらずサッカーに愛されたりとか、それぞれがこれから出会う人のこととか、色々まあ残っているのですが。
 脳内イメージを文章にするのって、難しいよね(言い訳)。
 正規の宿題を片付けてから、という何とも曖昧な頃合で書けたらいいな、と(やっぱり曖昧)。






正しい春の迎え方12(笛/真田一馬)。
2004年08月28日(土)

 それから一度部屋に戻ってからの帰り際、結人は言った。








「あれでも、英士はあの子気に入ってたぜ?」
「…ふーん」

 唐突に言われたもんだから、顔は平静を装ったつもりでもエレベーターの呼び出しボタンを押す手が止まってしまった。
 夜九時過ぎの五階エレベーターホールは俺たち以外誰もいない。セキュリティのかなり厳しいところだから、住んでいる人間も俺みたいに特殊職の人間が多い。

「俺も、会えて良かった」

 ようやく俺がボタンを押したのと同じタイミングで結人は言った。
 一階で点灯していたオレンジのランプが、ゆっくりと動き出す。

「…会う前はいろいろ言ってたくせに」
「そりゃー、あの子が押し掛け女房気取りでお前んちにのさばってるんだったら俺もちょっと考えさせてもらいますけどー」

 笑いながら、わざと敬語を混ぜる。結人なりの冗談を利かせた口調だ。

「…突発的な家出じゃないらしいから」
「…ああ、そんな感じ」

 夜の静寂に寄り添うように、俺たちの声音も静かになる。オレンジのランプは三階まで上がってきている。
 初めて会った日、俺はここであいつを捕まえた。赤い目をして振り返ったあのまだ幼さの残る表情を、忘れていない。あれは俺にとっても自分の生活を省みる日々の始まりだった。

「電車の中で会ったんだ」
「………………」
「後で聞いたら、あいつ家出た直後だったらしくて、…泣いてた」

 周囲の同情を誘うための媚のある涙じゃなかった。抑えつけていた何かが突然溢れたような、唐突の涙だった。
 あのとき俺はすごく驚いたし、居心地も悪かった。心配にもなった。だから。

「放っておくって選択肢が浮かばなかった」

 試合中なら相手チームの誰かが目の前で派手に転んでも俺はプレーを続ける。問題があるなら主審が止めるし、そうでないならプレー続行は当たり前だ。
 だけど俺たちが会ったのは緑の芝じゃなくて、動く電車の中で。
 断片的すぎる、ぽつぽつ話す俺の言葉を、結人は全部黙って聞いていた。
 心の中では、こいつ馬鹿だなとかわけわかんねーとか、いろいろ思ったかもしれないけど、とりあえず俺が言い終わるまで黙っていてくれた。

「お前がそれでいいなら、いいだろ」

 やがて4Fと書かれたオレンジ色のランプが点いて、結人はそう言った。俺のすぐ隣で、いつも通りに。

「あの子、お前にやたら感謝してた」
「…知ってる」
「あの子にしてみりゃ、お前は立派な救い主様なワケだ。懐くのも、憧れるのも自然なんだろうな」
「…………………」
「拾っちゃったもんは仕方ないんだから、最後まで面倒見てやれよ」

 最後。その言葉が、明確な『いつ』は教えてくれなかったけど、俺はうなずいた。
 仕方ないんだ。だって、あの日からこの日々は始まってしまったから。
 終わりは必ずあると、確約された関係で。

「じゃ、また明日な」

 やがて来たエレベーターに乗って、結人は今夜の宿舎に帰って行った。
 そうして、明日会うときは全く別の顔をして現れるんだろう。長年の親友ではなく、プロ舞台の敵役として。
 人はいくつもの顔を持つ。その中で、素の顔を見せれる相手というのは人生で何人出会えるんだろう。
 そんなことを、ふと、思った。







 部屋に戻ってみると、同居人は冷蔵庫の中のものを出したりしまったりしていた。

「何してるんだ?」
「あの…冷蔵庫の掃除を」
「は?」

 こんな時間に?
 別にするなとは言わないけど、もうちょっとするべき時間とかそういうものがあるんじゃないか?
 一瞬にしてそんな言葉が脳裏に浮かんだ。床に膝立ちになって、台ふきんで冷蔵庫の牛乳の裏とか置いてあった場所を拭いている同居人は、上目遣いになって言う。

「…さっき、郭さんにメール打ったんです」
「英士に? どうやってメアド…」
「若菜さんが…わたしのアドレス郭さんにも教えとくって言われて、そうしたら郭さんのほうからメールが来たので、ちょっとしたやりとりを…」

 俺の知らぬ間に何やってんだあいつらは。

「英士、なんて?」
「冷蔵庫の掃除は月に一度ぐらいしたってバチ当たらないよ、って」
「……………」
「それで…真田さんが戻ってくるまで一人ですることもなかったので…」

 だからって、やるか、普通。
 ただの親切心にみせかけた嫌味をなぜ素直に受け取るんだろう。それともよっぽど英士に恐怖心でも抱いているのか。…どちらでもちょっと問題だ。
 とりあえず、明日あたり英士に文句のメールでも送ろう。そもそも冷蔵庫の掃除なんて半年に一度ぐらいで充分だろうが。

「…悪かったな、今日」
「え?」

 本人がやる気を出しているようなので、今日のところは俺は止めなかった。せっせと中身を出し入れしては拭いている姿に声を掛け、俺自身はテレビの近くの壁に背中を預けて座る。
 ところでほぼ開きっぱなしのあの冷蔵庫、電気は入っているのかいないのか。

「結人、いきなりいたからびっくりしただろ」
「…おどろき、は、しましたけど…。いい人ですね、若菜さん」
「愛嬌が取り柄だから」
「真田さんと雰囲気が似てますね」

 そんなことを言われたのは初めてで、会話を止めてしまう。せっせと冷蔵庫の前に膝をついて掃除をしている小さな背は、自分の発言の重大さに気づいてないようだった。

「似てない、だろ…」
「でも、一緒にいるときの空気とか会話のタイミングとかが、すごく」
「付き合い長いから」
「長く一緒にいれるのって、素敵ですよね」

 純粋な憧憬を含んだ声に、俺には聞こえた。自分はそうしてこなかったと、自分に皮肉っているのだろうか。

「今日、話があるって言ったよな」

 結人が来たせいで忘れかけていた、俺の今日の本題。
 振り向かない背がほんのひととき硬直したように見えた。けれどすぐに手早くきりのいいところまで片付けると、ぱたんと冷蔵庫を閉めた。
 ふきんを流しに置き、手を洗って俺のほうを見る。


「はい」


 真面目で清潔感のあるその声が、いつでもどうぞと告げていた。
 何かを諦めたまなざし。その目で、俺をどう映しているんだろう。
 猛烈に俺の中で何かが吹き出した。


「…やっぱ、いい」


 瞬きを増したあいつの双眸が、戸惑いと疑問をありありと浮かべていた。

「真田さん」
「ごめん、もう寝る」

 俺はかなり一方的に言って、勢いよく立ち上がる。追ってくる視線を無視して、自分の部屋に入る。これでいい。
 何があってもあいつはこの部屋には入らない。それを知った上での、完璧な逃げ場だった。
 部屋の中は明かりをつけていない分、夜の闇だけがくっきりと見える。そして意気地のない自分に、ほとほと嫌気が差した。

 わかってる。
 俺は、結論を決めるのが怖いだけなのだ。

 あいつがまだここにいるのか、いなくなるのか、選ばなければならない責任から、逃げているだけなのだ。
 願いを言わないあいつと、答えを言わない俺と、二人してどっちつかずだ。
 どうすればいいのかすら、一緒に考えようとしない。

 ちょっとは馴染んだと思っていた。
 少しは、知り合えたと思っていた。
 だけど知る。俺たちはあの始まりの頃から、何も変わってなんかいない。

 過去を言いたがらないならそれで構わない。たった一言、俺がそう言ってやるだけで、何かは変わるかもしれないのに。


『真田さんには言いたくないんです』


 あの言葉に、俺がどんな思いをしたか、あいつはわかってるのか。
 拳と唇が自然と力む。
 盗み聞きの代償がこの自分への悔しさなら、あの赤いカードにも劣らない。

 その日は、俺の小さな意地で終幕になった。
 少しだけほっとしてもいた。答えを先延ばしにして、決定的な何かに背を向けていられる時間を、俺は出来る限り引き延ばしたかったのかもしれない。
 そう思うようになったのは、春が過ぎた初夏になってからだった。







************************
 春編終了。
 長かったです、ね。なんか問題放置したまま終わってますけど。
 そんなわけで、続きは次回からタイトルが変わって始まります。

 真田シリーズの一覧は、
 旧日記版
 新日記版
 の、二つに分かれています。
 旧日記で本編(数字で続いてるものを指します)は正しい春の迎え方5話までがサイトの正規ページに加筆修正(と誤字脱字そのほか直して)再録してあります。

 すっかりうちのサイトは日記小ネタが七割メインになってますね…。
 日記で書いているせいか、正規更新の少なさを管理人本人がときどき忘れがちです。あわあわあわわ(もうちょっとしっかりせい)。






正しい春の迎え方11(笛/真田一馬)。
2004年08月26日(木)

 随分前からの友達なのだと、若菜さんは笑って言った。








「でも同じクラスどころか同じ学校だったこともねーの、俺も英士も一馬も、みんなバラバラ」

 食事中、笑いながら、真田さんのお友達さんは昔話をしてくれた。
 真田さんはときどき口を挟むぐらいで、食事のほうに重点を置いた食べ方をする。けれど若菜さんは反対に、喋るほうに重点を置いている。だけど相手の反応や言葉を聞くときは必ず食べるほうを優先する。かといって相手の話を邪険にしているわけでもない。食べながら聞いては話す。器用なことをさらっとやってみせる人だった。

「結構すごいだろ? すごくね?」
「結人、恥ずかしいこと言うなよ」
「お、そゆこと言う? 付き合いの長さイコールお前の恥ずい過去も知ってるってことわかってて。矢野ちゃんあのな、こいつ中学んときの体育祭で」
「ゆ…ッ」
「…と、まあ、こうやってからかうと楽しい男なんだよ、こいつ」

 軽快にして豪快。にやけた笑いも様になる若菜さんは、思わず椅子から立ち上がりかけた真田さんを指差して、楽しそうだ。

「お前、いいかげんにしろって!」

 悔しまぎれなのか、赤い顔で怒鳴る真田さんには、それほどの迫力はない。
 そんな様子は、わたしには新鮮だった。
 わたしの前の真田さんは、衝動的に物事を始めるよりも、少し考えて動くような思慮深さをたたえているように見えたから。年下のわたしからは、ずっと落ち着いた人のように見えていたけど、若菜さんの前ではそうでもないみたいだった。

「そうだ、矢野ちゃん明日の夜ヒマ?」
「え…?」
「結人、お前変なとこ連れ出す気か」
「ばっか、明日の夜、試合だろ。ヒマだったら観に来れば、って言おうと思ったんだよ。俺とお前の試合なら見る価値アリだろー? ついでに変なとこってどんなとこだ? ホレ言ってみろ」
「え、いや、それは」

 勝ててない。若菜さんを前にしての真田さんは、ほとんどそんな感じだ。
 でもきっとこの感じで、二人はずっと友達を続けてきたんだろう。真田さんをからかう若菜さんはずっと笑ってるし、真田さんは眉間に皺を寄せても本気で不愉快ではなさそうだ。
 この二人の間で、仲裁に入る郭さんの姿が目に浮かんだ。
 じゃれあう子犬のきょうだいみたいに、この人たちは子供時代と少年時代を過ごしたのかな。
 十年越しの親友たち。その姿が、ちょっとうらやましかった。

「で、明日ヒマ?」

 根源を思い出したのか、若菜さんがわたしのほうを見た。

「明日、は…」
「…無理しなくていいぞ」

 一瞬返答に迷ったとき、真田さんがそっと言ってくれた。
 若菜さんがむっとした顔になった。

「おい一馬、横からそういう言い方すんなよ」
「違うって。仕事終わってから会場来るとしたら時間的にかなり無理あるんだよ」
「え、そうなの?」

 若菜さんに振られて、うなずく。
 真田さんのチームが普段試合をしているホームグラウンドと、わたしの仕事先の大学は逆方向で、しかも大学は駅から遠い。平日の試合開始時間に間に合わなくもないけど、間に合わせようと思うとあちこちの時間を切り詰める必要がある。

「…お前、そういうの考えてやれるようになったんだな」
「すげえ失礼だぞ、それ」

 なぜか若菜さんがしみじみと言うから、不思議だった。言葉通り真田さんはちょっと不服そうだった。

「んじゃあ、しょうがないか。また今度観に来てよ。あ、そうだ一馬、次の代表戦ってどうだ?」
「どうだもこうだも、まだ決まってないっつーの」
「だから先に予約するんだろーが。な、矢野ちゃん、俺ら三人でチケットはどうにかするから観に来ない?」
「三人?」
「俺と一馬と英士。三人かがりで頼めば宣伝広報だろうか総務だろうがどこのおねーさんも落とせるから」
「誰も担当が女だとは言ってないだろ」
「英士みたいなツッコミはいらん! どうする? 一人じゃ嫌だろうから、友達の分ぐらい何とかするし」

 若菜さんの熱意は、正直困ってしまう。
 わたしはまだ新しい生活を初めて間もないし、サッカーのことに関してはほとんどと言っていいほど知らない。サッカーが好きな友達が出来たわけでもないし、行ったことのないプロの試合観戦の誘いは、わたしがまごつくのに充分だった。
 悩んだ末に、わたしは正直に言うことにした。

「すみません、あんまりサッカーのこと知らないから…」
「じゃあ解説役になる子も紹介しよっか? 歳が近くて女の子で俺ら三人共通の知り合いでいるから」
「どなたですか?」
「英士の――

 がしゃん。郭さんの名前が出た途端、真田さんのお皿とスプーンが激突する音がした。

「ば…っかお前! 英士関係で俺らが知ってるっつったら」
「いいじゃん。英士じゃなくて俺とお前で頼むんだから」
「い、いいわけあるか…!」

 わたしにはよくわからない人の話題だったけど、わたしには二人の会話を聞いているだけでなんだか楽しかった。周囲の人を安心させる気安さと、それを可能にする深い信頼。そんなものが二人の空気からあふれ出ていた。
 結局わたしの初観戦のお話は、真田さんと若菜さんと郭さんの三人が召集されてから決める、という結論に至った。
 ほとんどわたしの意向は忘れた様子で決められてしまったけど、観に来てよと明るく誘ってくれた若菜さんと、わたしの都合と無理強いさせないよう気を遣ってくれた真田さんの様子が、なんだか嬉しかった。
 思えばこの夜は、この部屋で初めて真田さん以外の人と一緒にした食事だった。







 楽しい時間はあっという間で、真田さんがお風呂に行ってしまうとわたしは若菜さんと二人だけの状況に取り残された気分を味わった。

「矢野ちゃん、この犬と一緒に来たんだっけ?」

 部屋の隅で眠ろうとしているさくらちゃんを撫でている若菜さんの背中が、急にそう言ってきてお皿を洗っていたわたしは驚いた。
 振り返って、その背に言う。

「そうです、けど…」
「あの日、や、次の日かな、俺、一馬から電話もらったんだよね」
「…………」
「犬の名前について相談されたんだけど、それより矢野ちゃんの話聞いてさ、すげー驚いたのなんのって」

 よいしょ、と区切りをつけるみたいに若菜さんが膝に手を置きながら立ち上がった。振り返った顔に、食事どきの軽快な笑みがない。静かな、青年の顔。

「正直、一馬が面倒背負い込んだと思ったよ」

 若菜さんの表情に、以前の郭さんに似た冷たさが過ぎったのを感じた。
 覚悟を決めよう。不意にそう思った。若菜さんが来てから、その思いはずっと胸にあった。三人一緒だったという彼らの少年時代。郭さんがわたしに感じたことを、若菜さんが思わないはずがない。
 けれど若菜さんは、ふっと目元をなごませて笑った。

「ごめんな、英士、かなりキツいこと言っただろ?」

 若菜さんが歩いてくる。手を拭くためのタオルを握り締めたわたしを気遣うように、まあ座って、とすぐ近くの丸いスチール椅子に座らせた。

「英士が先にここ来たって、聞いてさ、こりゃてっきり相手の子いじめたなコレは、と思ったんだけど。違う?」
「…………」
「マジごめんな、あいつの八つ当たりだから、何言われてもあんま気にしなくていいから」

 郭さんに言われたことを、気にしていないと言えば嘘になる。だけど、いじめられた、なんて人聞きの悪いことを郭さんから受けた気もしなかった。あの人が言っていたことは、みんな正しかったから。

「八つ当たり、って…」

 おそるおそる尋ね返すと、若菜さんは苦笑した。

「なんつーのかなー、俺ら、一馬は他人といきなり同居するような奴とは思えなかったワケですよ。だもんで、こりゃ押し掛けられたな、と思ってたら、そうじゃないと本人は言う」
「……………」
「はっきりとは言わなかったけど、こうやって矢野ちゃんと暮らしてるのは自分の意思でしたことだ、って俺たちに宣言しやがって」

 若菜さんは、仕方のなさそうな顔で笑っていた。弟の成長を笑うお兄さんみたいに。

「…俺たちが思ってるより、ずっとあいつが大人みたいで、なんかやられたってカンジ?」

 そうなんだ、とわたしは真田さんに軽口を叩いてからかう若菜さんの本音に触れた気がした。
 真田さん、若菜さん、郭さん。この三人の中で、真田さんは末っ子みたいな立場だったのかもしれない。他人で、同じ歳だけど、ほんの少し庇護を受ける立場の人。

「そこが英士にはショックだったわけです。あいつもまだまだガキだよな」
「…若菜さんは」
「俺? 驚いたけど、実際揃ったとこ見たらなんか二人とも普通だからまあいっか、って。柔軟性が俺のウリよ」

 だけど、と若菜さんは続けた。
 強い視線を向けられる。顔つきが、少しあのときの郭さんに似ていた。
 笑いかけられたけど、心はきっと笑っていない。

「本題に入っていいかな?」

 いやだ、なんて言えない。わたしは視線を外した。

「本題、ですか…」
「英士から話聞いてから、俺ずっと見てみたかったんだ。ここの生活」
「…………………」
「俺たちにしてみれば、マジで意外だったワケよ、赤の他人といきなり同居し始めた一馬なんて。有り得ないと思ったね冗談抜きで」
「…わたしは、会う前の真田さんを知りません」

 わたしにとっては、あの日会ったときからの真田さんしか知らない。
 それがいいとかよくないとか、考えたこともない。
 過去の真田さんを知ったら、わたしのことも知らせなければならない。片方だけが昔話をするのは、公平じゃない気がしたから。だから真田さんには現在以外の話を振らないようにしてきた。

「知らないから、今のことだけでいいんです。…真田さんを知る権利も、自分のことを話す権利はわたしにはありません」

 知りたくない。…知られたくないから。
 堅すぎるほど堅い声になったせいか、若菜さんはちょっと慌てたようだった。

「え、なんで? そんな深刻な事情アリってこと?」
「いえ…たぶん、他の人からすれば、本当にただのわがまま娘の家出です。もともといたところは、社会的に問題があるわけじゃありませんでした」

 言葉に出来る爆発的な問題や事件は何もなかった。
 あったのは、少しずつ積み重ねられた鬱屈のようなもの。

「じゃなんで家出なんか。…あ、ごめ、俺突っ込みすぎ?」
「いえ、大丈夫です。…聞かれたら、全部言おうと思ってましたし」

 言ってから失言だと思ったのか、若菜さんは素直に謝ってくれた。その態度に思わず笑ってしまう。深刻に言われるより、ずっと話しやすかった。

「自分からあいつに言ってやんないの?」
「…出来る限り、真田さんには言いたくないんです」

 ちゃんと、事情を言わなきゃいけないことはわかってる。
 何も言わずに、ただ置いてもらおうだなんてむしが良すぎる。わかっていたけど、誰かに話すことで過去の自分を見つめ直すのが嫌で、逃げ回っている。真田さんにも、自分にも。

「事情を言うことは、少なからず相手を巻き込むことだ、って少し前にほかの人から言われたんです。真田さんにはすごく助けてもらったので、どうしても…わたしの事情に少しでも巻き込ませたくないんです」

 嘘じゃない。だけど、全部真実でもない。
 偽善者だと胸の奥で、わたしはわたしを罵ることしか出来ない。
 だけど真田さんには言いたくないことが、たくさんある。わたしが捨てるために築いてきた時間を、輝く未来のために努力し続けてサッカー選手の道を手に入れて、優しい友達がいるあの人に。

「ごめん、それすごい奇麗事だと俺思うんだけど」
「ですよね」

 若菜さんの感想に、わたしは苦笑した。きっと、この人は見抜くと思った。
 自分の恥部をさらしたくない気持ちも、真田さんに負担をかけたくない気持ちも、どちらとも言えない曖昧さを。

「矢野ちゃん、もう充分巻き込んでるじゃん。今更事情話して一馬がどうこう思うとかないんじゃない?」
「…そう、だといいです」
「俺的には、矢野ちゃんいい判断したと思うよ。駆け込み先が一馬で」
「……?」
「だってさ、家出した子が見知らぬ男のとこ転がり込んで、何もされずにほのぼの暮らしてます、ってほうがまず奇跡。かなり無茶した割には、運いいじゃん。よかったなー、あの一馬で」

 …それは確かに、わたしもそう思う。
 人を見る目があったとかどうとかより、ただ運が良かったと思う。真田さん以外の人だったら、今ごろもっと泣く羽目になっていたかもしれない。

「…真田さんに会った日、ここでご飯食べたんです」

 思い出す。あの始まりの日。ここに、今みたいにわたしはいた。

「心細いときに、一緒にご飯食べてくれたから、いい人だなって思いました」

 泣いたときに手を差し出してくれて、困った顔でも見放さないでくれて。
 いろんな些細なことが、すごく嬉しかった。
 思ったままに言ったら、若菜さんは一瞬だけ唖然として、それから吹き出した。

「わはは単純! …でもま、そのへんが一馬と合うのかもな」

 立ったままの若菜さんが、座ったわたしの頭の上にぽん、と手を乗せた。

「あいつ、ときどき偏屈で愛想ないかもしんないけど、仲良くしてやってくれな」

 見上げた若菜さんの目は、なんだかすごく優しげだった。
 それはきっと、わたしに向けられたものじゃなくて、真田さんに向かったものなんだと、直感で思った。

 少し湿った春の宵だった。
 少しだけ長い、春の夜だった。








************************
 やけに長い、回になりました。
 そんな正しい春の迎え方11話。英士編が5話だったから、同じ分量で終わるはずだったんです、が。次の12話まであります。
 正規に直すときに一部削るかもしれません。前半長すぎた。そのうちダブルもしくはトリプルヒロインでアンダー話でも、とか欲を出したのが悪かったんだと思います。

 書けるうちにさくさく進めたいので、次も真田シリーズです。

 ところで昨日の五輪、シンクロのデュエット。
 銅メダルのアメリカの音楽、FF8じゃなかったですか…?
 すんごく聞き覚えがあった気がしたのですけれども。それとも聞き覚え違いでしょうか。妹と二人で、「ねえこれFFのなんかでなかった…?」「セフィロス?」「や、なんかこう、魔女のやつ…」とああだこうだと言ってました。
 最後の歌が盛り上がっていって、ジャジャジャン!で終わるところでスコールの顔がアップになるあのCGがよみがえりました。
 それともFFのあれがどこかの曲を借りていたのでしょうか。
 気になる五輪の謎。

 ま、気になるなら自分で8のサントラ聞き返せばいいんですけど(めんどくさがり)。






正しい春の迎え方10(笛/真田一馬)。
2004年08月24日(火)

 本題に入ってもいい? その一言に、俺は廊下の薄暗がりに縫いとめられてしまった。








 結人が持参してきたという手土産は、関西の高級レトルトカレーだった。
 高級だろうがレトルトはレトルトだ。そう言ったら、「バカ言うな。一食四百二十円だぞ? 米ついてないんだぞ? 自分であっためて盛り直さなきゃならないレトルトで四百二十円なんだぞ? 高級だろ!」と憤慨された。
 しっかり3つ持ってきたところから、結人は最初からうちで夕飯を食べていく予定だったに違いない。

「おいしいですね」

 うちの同居人は、結人に気を遣ったのか笑みを浮かべながら食卓に着いていた。

「だろだろ? 俺的にはこのビミョーな辛さが絶品だと思うんだよね」
「…俺にはちょっと辛いぞ」
「だってお前に持ってきたんじゃないし。なー、矢野ちゃん」
「え?」

 夕食の間中、会話の主導権はすべて結人が握っていた。結人はもともと会話上手で、初対面の人間から言葉を引き出す能力は俺の知る人間の誰よりも高い。
 三人でカレーの食卓を囲んで、結人は俺の近況を聞き出し、紅一点が知らないような知識(俺らには常識のJリーグのこととか、英士との昔話とか)をさりげなく説明してやっていた。俺とあいつ、どちらと喋っても残ったほうが会話にあぶれるようなことにはならなかった。全部、結人のおかげだった。
 本当なら、結人とあいつの間にいるのは俺だから、俺がその役目を担うはずだった。

「片付けは俺が手伝うから、お前は風呂でも入ってこいよ」

 最後まで食べていた彼女が食べ終わったのを見計らって、結人はそう言ってきた。
 笑いかけてきた結人の、俺より明るい色の髪が蛍光灯の光を弾く。
 思わず顔をしかめた俺は、結人からすればわかりやすいことこの上なかっただろう。結人は苦笑するように口許だけで笑って、俺の肩を小突いた。

「なーに保護者ぶってんだよー。なんもしないって」
「…別に」
「んじゃ入ってこいよ。きっちり洗っといたから、長風呂でもいいぜ」

 二人で残すのは不安がある。それは結人があいつに、具体的に何かするとかしないとかじゃなくて、もっと漠然としたものだった。
 予感は、二十分後に明らかになる。








「本題に入っていい?」

 結人の声が、風呂上りの湯気を俺から吹き飛ばさせた。洗面所から一歩出たところで立ち竦む。
 たいして長くない廊下の先、ダイニングキッチンから結人の影が伸びている。その近くにいるはずの小さな影は見えない。おそらく、冷蔵庫の前に置いてあるスチール椅子に座っているんだろう。

「本題、ですか…」

 夜の空気に混じる、頼りない声。結人を見上げているだろうか。それとも、うつむいて床を見つめているだろうか。

「英士から話聞いてから、俺ずっと見てみたかったんだ。ここの生活」
「…………………」
「俺たちにしてみれば、マジで意外だったワケよ、赤の他人といきなり同居し始めた一馬なんて。有り得ないと思ったね冗談抜きで」
「…わたしは、会う前の真田さんを知りません」

 透き通るような声は、俺も稀に聞いたことがある、前の生活のことを話すときのものだった。疲れ果てたような、自棄っぱちのような、怖いほど冷め切った声。
 俺の裸足の足の裏が、床との間で汗を生み出していた。

「知らないから、今のことだけでいいんです」

 昔のことなんて、知らなくても知らせなくても構わない。
 俺にはそう聞こえた。

「…真田さんを知る権利も、自分のことを話す権利はわたしにはありません」

 どういう、意味。
 俺の疑問には結人が代わってくれた。

「え、なんで? そんな深刻な事情アリってこと?」
「いえ…たぶん、他の人からすれば、本当にただのわがまま娘の家出です。もともといたところは、社会的に問題があるわけじゃありませんでした」
「じゃなんで家出なんか。…あ、ごめ、俺突っ込みすぎ?」

 わかってるなら言うなよ。
 いけしゃあしゃあと言ってのける結人に、立ち聞きの俺は自分のことを忘れて脱力しかけた。
 けれどそんな結人の悪びれる様子のない愛嬌さゆえか、あいつが少し笑う気配があった。

「いえ、大丈夫です。…聞かれたら、全部言おうと思ってましたし」
「自分からあいつに言ってやんないの?」

 主題が俺に移ったあたりから、居心地の悪さを感じ始めた。こういう話の聞き方はよくない。二人は俺が風呂から上がったことを知らない。

「…出来る限り、真田さんには言いたくないんです」

 名前が出て大きく心臓が跳ねる。
 拒否されたことに、思った以上に胸が痛んだ。
 何でだよ。そう怒鳴って飛び出したかったけど、出来なかった。

「事情を言うことは、少なからず相手を巻き込むことだ、って少し前にほかの人から言われたんです。真田さんにはすごく助けてもらったので、どうしても…わたしの事情に少しでも巻き込ませたくないんです」

 何を思って、その言葉を言うのか。
 何を考えて、この場所にいるのか。
 全部知ることが出来たら、同じ空間で過ごす時間と比例して大きくなっていく物足りなさを埋められるだろうか。
 それ以上二人の会話を聞くことは出来なかった。耐えられなかった。
 俺は足音を忍ばせて玄関に向かった。








 春の宵は花の匂いがする。
 マンションの庭代わりになっている小さな公園には、名前を知らない樹木の花が溢れていた。垣根がわりの低い木。植物に詳しいあいつなら、名前を知っているかもしれない。
 風呂から上がったばかりの頃には熱を帯びていた髪の湿気も、今はすっかり冷えて首筋の体温を奪う。バスタオルを肩に掛けたままだから、あまり寒くない。
 居たたまれなさに部屋を出て、見上げた夜空にはうっすらと雲がかかっている。月はなく、ほんの少しの星だけが見える。
 俺に喫煙癖でもあったなら、こんな時間のこんな場所でも絵になったかもしれないけど、現実として俺は煙草は好きじゃない。アスリートの寿命を少しでも延ばしたいのなら絶対に吸うなと先輩にも言われた。
 気づけば二十一だ。揉まれ続けるプロの世界にも慣れたと強がって言える歳かもしれない。
 でも、こんな風に二十一の春を過ごすことになっていることを、十年前の俺は予想だにしていなかった。


「かーずまー」


 エントランスの自動ドアが開き、軽妙な足取りの男が手を振ってやってくる。

「やたら長い風呂だと思ってのぞいてみたらいないって、何の密室トリックかと思ったぜ」
「…トリックでも何でもないだろ」

 声が低くなったのは、不機嫌のせいなのか体温が奪われつつあるせいなのか、自分でも判別出来なかった。
 結人は素早く片眉を動かした。

「あれ、もしかして、聞いてた?」

 なんで俺の行動だけで、思い当たってしまうのか。結人の勘の鋭さは、時として英士の洞察力を上回ることがある。そしてわざと屈託のなさを装うもんだから、やけに鼻につく。
 黙って視線を逸らした俺を肯定と取ったのか、結人は片手を顔の前で立てた。

「悪い、別にお前らのことに本気で口出しする気じゃなかったんだけどさ」
「……………」
「…ま、でも、お前ですらうっかり拾ってみたくなる気持ちは、ちょっとわかった。あの子危ういっつーか、真面目すぎて怖いタイプっつーの?」
「言われなくてもわかってるよ」

 ためいきと一緒にそう言うと、結人は黙った。この台詞を言うのは何度めだろう。
 この話題を延々と続けるのが嫌で、俺は結人を見ずに斜め上の夜空を仰いだ。

「なぁ…結人」

 戻る反応が否定でも肯定でもいい。浮かんでは数を増やすこの感情を、誰かに聞いてもらいたかった。
 巻き込みたくない。あいつの健気な気持ちは、裏側に残酷な意味を孕んでいた。

「放っておけないって気持ちだけじゃ、頼られる理由にはならないんだな」

 たとえ俺が、同じ場所で暮らすほど近くにいても。
 心の距離は決して縮まらない。片方がかたくなに拒むから。

 寂しさなのか悔しさなのかわからない。
 見上げた空に、かすかに瞬く小さな星。頼りないのに、それでも光ってる。
 たとえ、誰も見ていなくても、この春の夜に。








************************
 正しい春の迎え方10話め。前の話一覧はこちら
 …なぜまだ残っているのでしょうメモライズ(でも残ってるなら使う)。

 真田くんは読んだり見たりはものすごく好きなのですが、自分で書くとなると眉間に皺が寄るキャラです。好きだけど書くのは難しい。
 同じ不器用でも、三上とは毛色が違うのでむずかしい。三上は思ってもプライドがあって言えない不器用、真田は思ったことに自分で疑問を感じて悩む不器用、…だと、個人的に解釈しております。正解はどこなんだろう…。
 笛的いじらしい恋をしてもらいたい人ナンバーワン、それが真田一馬。
 でもこの話がいじらしい恋物語なのかは全然別問題です。

 今回も、ヒロインの苗字のみデフォルト名を使用させて頂きました。そういうのがお好きでない方、毎度毎度申し訳ないです。脳内変換でお願い致します(土下座)。






サンダーバードと夏(笛/武蔵森)(パラレル)。
2004年08月22日(日)

 災害事態から人々を助ける国際救助隊。その名をサンダーバードと呼ぶ。








 西暦2010年、その救助隊の歴史が始まった。
 科学者にして宇宙飛行士の資格を持ち、その天才的頭脳によって生み出された発明によって一躍世界に名だたる大富豪家となった渋沢克朗は、これまでの人生で培ったすべてを用いて、一つの組織を作り上げた。
 国際救助隊、サンダーバード。
 地球上のどこであろうと、人的災害や自然災害によって被害を被った人々を救う。それがサンダーバードの基本マニュアルである。海の底であろうと空の果てであろうと、被害に遭った人々を救うためにハイテクノロジー技術と勇気を携えて彼らは参上する。
 創立者であり現キャプテンである渋沢克朗を中心に、彼の信頼すべき仲間たちで構成されたサンダーバード。
 設立から十年近い歳月が過ぎ、世は彼らを現代のヒーローと呼んでいた。






「たっくっみっ!」
「!!!!!」

 突然背後から背中を抱きしめられ、笠井竹巳は慌ててキーボードを打つ手を止めた。振り返るなり、怒鳴る。

「藤代! 調整中はあれほどいきなり驚かすなって―――
「コレ!」

 いきりたったオペレーター兼科学部助手の反応など全く気にせず、サンダーバードの見習いパイロットは笑顔で新聞の一面を掲げてみせた。

「…現代のヒーローまたもお見事。倒壊寸前ビルから少女救出」
「そ! 俺の大活躍で!」
「ギリギリでね」

 ほんの半日前の出来事を誇らしげに胸を張った藤代に、機器の調整も役目とする笠井は辛辣な現実を突きつけた。肩に乗せてきた手を払いながら、椅子に座り直し画面と向き合う。

「風速考えないで超高層ビルに接近なんかして。下手したらあのままビルと接触して一緒に倒壊だよ」
「そ、そりゃそうだったかもしれないけど」
「三上先輩に何て言われたっけ?」

 冷酷な笠井の尋ねに、藤代は英国新聞を握って言葉に詰まった。言いたくない。そんな顔だった。

「お前にはまだ早すぎんだボケ! …だったか?」

 そこに、別人の声が割り込んだ。前半は本来の発言者そのものの口調だったが、後半は一転して和らいだ微苦笑が混じっている。

「キャプテン! ひどいっすー」
「渋沢キャプテン、お疲れ様です。サミットの見学はいかがでした?」

 ただ振り返り不平を漏らした藤代より、椅子ごと向き直り会釈した笠井のほうがもう少し如才がない。
 仕立ての良いスーツのまま、サンダーバードを作り上げた青年はかすかに疲れた笑みを浮かべた。

「うちが議題に上がるかもしれないからと行ってきたが、案の定、サンダーバードにどこまでの権限を与えるかで揉めたな。結果的には、これまで通り各国が収めきれない事態のみそれぞれで決議された内容に基づいて出動依頼が来て、初めて出動となる。今までと同じだ」
「そうですか」
「それってつまり、たとえ通りすがりでも依頼が来てなければ無視しろってことでしょ? なんか俺ヤだなー」

 オペレーションルームに数多く並んだモニターには、世界各国の主要地の映像が人工衛星と擬似宇宙ステーションにもなっているサンダーバード五号を通じて二十四時間送られて来ている。有事ともなれば、まずここに各国首脳からの出動要請が届くことになっていた。
 両腕を頭の後ろで組み、顔をしかめた藤代に渋沢はたしなめる口調を作った。

「国をまたぐ以上、権限をどこまで認めるかは必ず問題になるんだ。どこの国でも好き勝手に出動して助けていたら、困る国もあるってことだな」
「でも、サンダーバードはどの国にも侍らない。戦争には絶対関わらない。そうでしょう?」

 隊長の皮肉げな口調によって先を読んだ笠井が、笑いながら言った。
 渋沢は口端を上げて笑む。不敵にして頑固、両者が絶妙に揃った笑みだった。

「当然だ」

 助けるため、救うために、彼は国際救助隊という名をつけた。その意志に背くことだけは決してしない。
 政治不干渉を貫き、あくまでも人道に則った救助活動をすることによって、サンダーバードは各国に中立の立場を維持している。隊員の出自によって懇意にする団体はあっても、決して馴れ合いの関係にはならないよう渋沢は細心の注意を払っていた。

「…でもですね、なにげなく独立採算もきつくなってきたんですけど」
「え、俺ら減給!?」
「ああ、大丈夫だ。来月また特許分が入るから。いつもの口座に振り込まれるはずだから、間宮に言っておかないとな」

 救助隊における事務官の名を渋沢は呟く。笠井はしみじみと、この現代のヒーローにおける財政難を個人資産で一手に賄う隊長の苦労を思いやった。
 先進国などからの寄付や、救助先の国から必要経費を請求する方法もないわけではないが、金銭の繋がりで義理を作るのは中立団体として避けたかった。まして出動に金銭を要求すれば、後進国や財政に余裕のない国はサンダーバード出動をためらい被災者はそれだけ生命が危険な時間が延びてしまう。
 世の人々はまさか、来月の運営費をどこでやりくりするかで話し合う正義のヒーローがいることなど、全く考えていないだろう。
 就職先を間違えたとは一度も思ったことのない笠井だったが、高邁な理想のために言葉通り私財を投じる隊長には、もう少し欲を出して欲しいものだとも思う。

「心配するな。サンダーバードを廃業させることは絶対にないから」

 だんだん中小企業の社長みたいな発言になってきた。
 頼もしく言った渋沢に藤代が憧れの視線を向けていたが、笠井は貧乏ヒーローはちょっと嫌だな、と素直にそう思った。


『司令部、ナンバー02三上だ。おい、いるか?』


 右端の通信装置のランプが点滅すると同時に、笠井のインカムに不遜な声で呼びかけがされた。
 即座に笠井は右手を伸ばし通信をオンにすると、手動でオペーレーションルーム全体に聞こえるよう設定し直す。

「ナンバー04、笠井です。どうぞ」
『イギリス、ロンドン地区で橋脚落下事故だ。まだ首相からの連絡は入っていないが出動要請が出される可能性がある。渋沢に繋げ』
「ここにいる。三上、今どこにいる?」

 渋沢が通信装置の前で直接三上の報告を受けている間に、笠井は藤代を見やった。

「竹巳、調整すぐ終わるよな」
「終わらせる。先行ってて」
「了解!」

 本来サンダーバードに敬礼はない。しかし、持ち前の陽気さを明るい高揚に変えた藤代はおどけた軽い敬礼をすると、格納庫へ向かって走り出した。

「じゃあお前が戻るまではまだかかるんだな?」
『どんだけ急いでも一時間だ。藤代いるよな?』
「ああ、一号機は藤代に出させる。お前は戻り次第二号機で向かって欲しい。笠井、全員に通達、パイロットは全員司令部に召集、カタパルト付近の人員退避、要請と同時に発令する」

 指示を出しながら渋沢はスーツの上着を脱ぎ、軽くネクタイをゆるめ前髪を後ろに撫で付けた。
 緊張感にきらめく二つの琥珀。基地すべてに聞こえる通信音声装置に向かって、司令官は言った。


「サンダーバード、出動準備!!」









************************
 18日の水曜日に友人カンザキさんと実写版サンダーバードを観に行ってきました。
 初体験の私と違い、カンザキさんは生粋のサンダーバード好きです。なので今回いろいろと事前にお話を伺いました(かしこまって言ってみる)。

 実写版、格好いいなぁ、と思いました。
 キャラが、というよりもむしろメカが。一号が一番すき。
 ハイテクを操って人々を救う。超人的に変身するとか魔法を使うとかよりも、現実味があって面白かったです。私はもともとヒーローもの好きです。
 ジェフパパとペネロープさんが素敵でした。
 一本筋な展開はヒーローものの基本でありわかりやすくてよし。

 観たのは字幕版なので、V6の声優っぷりは見れなかったのですが、EDの曲がこれでないのはよかったと思いました。やっぱ英語のほうがかっこいい。
 V6版はまたそのうち余裕があれば一人で観に行くか、ビデオになるのを待とうと思います。

 吹き替え版は個人的おすすめ。雷鳥初体験の私にも理解出来た内容でした。事前に色んな雷鳥サイトで勉強もしてみましたが。
 本当に映画の感想は、メカ! メカ素敵! サンダーバードかっこいい!! …みたいな。私も入隊したい国際救助隊。

 で、その波に乗ってサンダーバードパラレルで森。
 当然パイロットたちは一軍の面々で。中西とか近藤とか名前を出すゆとりはありませんでした。
 メカアクション書くのめんどくさいわ、ということでオペレーターサイドの一幕。サンダーバードってどこから経費捻出してるのさ、という疑問が私の中にあったようです。全部トレーシーさんちの個人資産?
 捏造入ってますので、本家雷鳥さんとこの設定とはおそらく違うと思います。

 ところでweb拍手の設定を変えたいのですがサーバーが重くてうまく変えられません。
 混み合う時間はダメなのかしら?

 ところでサンダーバードってなんでその名前なのかしら。
 雷の鳥? いかづちのとり? 面倒だから雷鳥と書くよ私は。

 そして北海道の駒大苫小牧、優勝おめでとうございます。
 そうよね、だって横浜を負かしたところだものね…! 勝ってもらわないと神奈川の意地ってもんが…!! と実に理不尽な期待をかけたうちのきょうだい。おめでとうございます。優勝校に負けたとなるとちょっと救いが(欺瞞という言葉を知ってるか)。
 浜っ子は道産子に負けたんだね! と友人に言われたとき、確かにそうだが妙に新鮮な表現をされたと思いました。
 っていうか自分がしみじみ甲子園球児たちの歳を追い越した現実が複雑ですよ。とうとう箱根駅伝まで年下に。そんなものよね、ええ。
 いつまでも十九歳ぐらいでいたいよね(何年前の話をしてる気か)。






六時間前の夜明け(笛/真田一馬)(未来)。
2004年08月19日(木)

 ジャパンブルーの夏。








 いつの頃か、気づけば決まっていた約束事がある。
 家を離れて戦う日、勝った日は夜に一通のメール。負けたときは、何も連絡を入れずに帰る。それが、真田一馬と同居人の間の小さな連絡の入れ方だった。
 だから、きっと今ごろすごく驚いてるに違いない。
 湿度の低い異国の部屋で、真田は携帯電話を片手に薄い笑みを浮かべた。

「そっち、真夜中だよな」

 短い挨拶のあと、驚いた様子の電話の向こうを半ば無視して真田は言った。日本にいる彼女は少し考えるように、いいえと言った。

『いま夜明けです。すごいですよ、外』
「なにが」
『空一面が、すごく綺麗です。西のほうは暗いのに、東はもう太陽が昇りかけてます』

 たった十日前後顔を見ていないだけだというのに、彼女の声は真田に故郷の国と生活を溢れるような懐かしさを伴って思い起こさせる。

「へえ」
『そっちのお天気はどうですか?』
「今部屋だけど、夕焼け見たからたぶん明日も晴れ」
『そうですか。あ、やっぱりそっちのご飯ってギリシャ料理ですか?』
「全部じゃねーよ。試合前とかは、日本から一緒にコックが来てるから、普通に日本食だったりするし」
『さすがですね』

 彼女の声に素直な感嘆の声音が混じる。近年の日本サッカー協会は選手の健康維持にも並々ならぬ努力をしてくれていることを真田が話すと、彼女はさらに素直な感心の言葉を漏らした。
 真田が持っている海外通話可能という煽り文句の携帯電話の使い勝手はすこぶる良かった。タイムラグもなければ雑音もない。同室者のいない今は、何でも好きに話せた。

「でも、勝てなかった」

 他愛ない会話を続けていくうちに、どうしても真田の脳裏から離れなかった今日の現実が口をついて出た。彼女が気遣ってこの世界最大のスポーツの祭典の競技種目については口にしなかったというのに、真田のほうからその気持ちを突っぱねた。

『…今日は勝ったじゃないですか』

 数ヶ月前、奇妙な縁で同居するようになった年下の子は、ひどく静かで優しい声だった。
 真田は小さく笑う。自分への嘲笑だったかもしれない。

「単なる消化試合だろ」

 期待されていたオリンピックのメダルを、持ち帰ることはかなわなかった。
 23歳以下が基本で構成されるオリンピックサッカー日本代表選手。世界最高のスポーツ競技大会を目指すIOCは年齢規定を外す意向が強かったが、それではサッカーのワールドカップを四年に一度開催する意味がなくなると強固に反対したFIFAとの、それぞれが折り合いをつけて3人枠のみ年齢制限をつけずに登録出来るようになったのは長い五輪の歴史の中ではまだ新しい時代のことだ。
 大抵の選手はまず五輪には一度しか出れない。真田にとっては、生涯最初で最後の五輪出場だった。
 公私に渡って期待を寄せられていたのを知っていた。応えるつもりで、日本を離れ空を飛んでこの海沿いの国へ来た。
 オリンピックにおける男子サッカー競技は、日本のオリンピック予算の中で少なからぬ割合を占めている。日本がサッカーワールドカップ進出を決めて以来国内のサッカー人気は着実に増えている中、日本サッカー協会の尽力とスポンサーの助力もあるとはいえ、五輪における男子サッカーの経費予算はそのメダル獲得への期待と同規模に膨れ上がっていた。

『勝ちは、勝ちです』

 敗戦直後の真田とは全くといっていいほど顔を合わせたことがないはずの彼女は、落ち着いていた。遠い日本の笑みが見えるようで、真田はベッドに腰掛けたままうなだれる。
 消化試合で勝ったところで、決勝トーナメントに進めない以上意味はない。そんな気持ちが首をもたげて、消えてくれない。

『真田さんは勝ったんです。ちゃんと点入れたじゃないですか。わたし、ちゃんと見てましたよ』

 彼女は絶対に真田を非難する言葉は言わない。それを知っていて、時差のある日本に電話したのかもしれないと、真田は言葉に詰まりながら思った。
 あの部屋で、いま留守番をしている年下の子は、何を思って真田の試合を見ていたのだろう。

『プレッシャーとか、慣れない場所でとか、大変でしたよね』
「別に…」

 一人きりの部屋は空調の音がやけに騒がしい。日本より乾いた場所なのであのうだるような暑さは夜になれば失せるが、日中の暑さは変わらない。
 それでも十日を過ぎれば、あの日本の暑さが懐かしい。

『真田さん、かっこよかったですよ』

 負け試合であっても、彼女はそう言うのだろう。
 嘘のない響きに、少し泣きたくなった。
 彼女がキッチンの端で育てている、水栽培の人参のヘタはまだ青々と葉を茂らせているだろうか。気を紛らわせようと、真田はそんな風景を思い出す。
 けれど心は正直に、この地での三度の戦いの情報を頭に厳しく流し込む。
 常にリードされたまま追いかけた一戦めと二戦め。広がった点差を縮めたと思えばさらに広げられ、点を決めきれない自分に苛立った。
 三戦めは何としても勝って帰ろうと、関わったすべての人間同士で決めた。このままで終われない。ただそう思った。
 そして勝った。けれど、決勝トーナメントには進めずメダルは泡沫の夢と消えた。

「…メダル、見せるって俺言ったのにな」

 日本を発つ前に、彼女にそう約束した。あの決意は、決して冗談ではなかったのに。
 苦さを感じて真田が顔をゆがめると、電話の向こうで彼女がかぶりを振る気配がした。

『いいんです。もう、充分です。あんなに感動させてくれて、ありがとうございます』

 ゆっくり休んで、また、頑張って下さい。
 軽く目を伏せた真田の脳裏に、明けゆく空の色を窓いっぱいに差し込んだ自分の家が浮かぶ。そのテレビの前、キッチンからすぐ続く部屋、小さな丸い椅子に座って微笑む年下の子、近くでもう一匹の同居者が眠っている。
 真田さん、と女性だけが持つ優しい声で彼女は言う。

『夜、明けましたよ』
「…ああ」

 ほんのわずか、息を飲み込む空気が伝わった。
 涙ではなく笑顔で伝えようと必死で努力する刹那の間。


『お誕生日、おめでとうございます』


 同じ場所では迎えられなかった誕生日。
 数々の思いを抱え、真田は本当に泣きたくなった。ただし、悲しいわけではない。


「ありがとう」


 最後まで信じてくれて。
 たった一つの勝利を、一番大事にしてくれて。
 一生懸命慰めようとしてくれて。

 色々言いたいことはある。この国での話したい思い出もある。けれどそれを言う前に、必ず、帰ったら笑ってただいまを言おう。そう思った。





 お誕生日おめでとうございます。








************************
 フライングです。
 真田くんの誕生日は20日です。明日なんです。
 でも、ここはやっぱりどうせならアテネ五輪サッカー代表の試合にひっかけて…!! と思ったがゆえです。ごめんなさい真田くん。

 ついでに真田くんは今年で二十歳のため、アテネ代表になるのも当然二十歳なわけで、このシリーズ設定の二十一歳とは年齢に誤差があります。
 え、だってシリーズ書き始めたとき、五輪代表なんて何も考えてなかったし(本音)。
 すみません。フィクションの世界のことなので、サラっと流して下さいまし。
 真田シリーズはまだメモライズが残っていまして、前のほうはこちらです。

 で、アテネ五輪サッカー代表。終わりましたね。
 山本監督、本当にお疲れ様でした。
 黒河以外は全員ピッチに立ったという結果なのですが、その黒河だけが残った、という現実にちょっとかわいそうになりました。GKだから仕方ない部分もあるのでしょうが。平山だってちょっと出たのに…。
 全速全力で突っ走る大久保に個人的に拍手。面白かった。
 メダル成らずとも次に繋げるための戦い。未来を見据え続ける山本昌邦氏を、この先も応援したいと思います。

 これで私のアテネにおける見所はあと閉会式だけか、という感じなのですがまだなでしこさんたちがいました。何気なく同県同市出身の選手がいるので、というか従兄弟の同級生だったというので、やたら身内で応援中です。

 そういえは昨日蜂に刺されました。
 痛かったです。人生で二度めです。おのれアシナガ野郎め…!!

 昨日はですね、以前飼っていた猫の命日なので妹と一緒に敷地の端っこにある我が家の墓地に行っていたのです。
 で、そこは一年中何らかの花が咲くように色々植えてあるせいなのか、巣にしやすい石灯籠がいくつもあるせいなのか、昔から蜂が多いところで。
 でもお盆があったばかりなので、お祖父さんが掃除ついでに蜂の巣も駆除したはずさ、と何も考えず行って、何もしてないのに刺されました。
 蜂に刺された、と言うと巣に近づいたんじゃないかとか蜂を怒らせたんじゃないかとか言われますが、誓って私は何もしていない。猫の墓にお花を供えてさあお線香をつけましょ、というところでブスっと。
 そして刺されたのは右腕の付け根に近いところの、内側。すごく肉がやわらかい部分。
 七分丈のカーディガンの上から。
 しかも蜂が寄ってくるという黄色でも黒でもなく、ピンクのカーディガンの上から刺された。
 あんまりだと思う。

 咄嗟に叫んだら(痛くて)妹にまず水を掛けられ、荷物まとめてさっさと退去。家に帰らずにお祖母さんちに寄って、手当てしてもらいました。
 痛かったよ(半泣きになるぐらいは)。
 肌が露出してるのは顔・首・手首、ぐらいだったというのになぜ服の上から刺すのか蜂。
 私に何の恨みがあるというのか蜂。ただそこにいただけじゃないか。
 一日経ったいま、腕の付け根あたりはいかにも毒素が広がりました的な薄紫になってます。さわるとちょっと痛い。

 まだレジャーの時期です。蜂がいそうな場所に行く方、お気をつけて。
 今の私はお池の周りに野ばらが咲いた歌にすら八つ当たりしたい気分です。痛かったんだ。

 ところで横浜が負けてた(高校野球)。
 生中継は次から見よう、と思っていたらもう終わったとな。何だと?
 なぁんか近年の神奈川勢は悪くはないけどイマイチ、という気がします。松坂を生んだあの時代を思い出せ神奈川。サッカーなら横浜Fマリ、高校野球は横浜一円、強豪と決まっておろう!(プロ野球はナチュラルにスルー)
 そしていいかげん神奈川に二校め枠を作れ高野連。
 東京と神奈川で高校数にそんな差はないのです。なのに東京は二校、神奈川は一校。へえああそうそんなに東京都っていうのは偉いのか、と毎度毎度のことながら、思います。半端に接しているものだからなまじ憎らしい。
 神奈川県の永遠のライバルは東京都。たとえ東京が気に留めてなくとも(三上を眼中外とみなした郭のように)(一方的な敵愾心)。






二つの月(笛/渋沢と三上ヒロイン)(大人編)。
2004年08月15日(日)

 一億二千の光より、指折り数える星でいい。








 夜八時の訪問者はオフホワイトのスカートを身に纏い、吐息を伴って、彼の新居に現れた。

「夜分に失礼します」

 古い知り合いだというのに、ドアが開いた途端丁寧に頭を下げた彼女の態度は、心の底から申し訳なさを漂わせていた。彼女とは中高校と六年あまりを同じ場所で過ごした渋沢は、寛大な笑みをもってそれに応える。

「まだそんなに遅くないさ。こっちこそ悪かったな。仕事は大丈夫だったか?」
「ええ。ちょうど帰るところだったから。…奥様は?」
「出掛けてる」

 帰りは遅いことを告げると、彼女の怜悧な面差しに安堵の色が過ぎった。
 渋沢が玄関の内側に招きいれると、バックストラップがついたパンプスの踵がかろやかな音を奏でる。制服がない職場の女性らしく、ヒールの高さは控えめだが高さゼロというわけでもない。昔から何をしても有能然としていた彼女らしい通勤スタイルだった。

「それで」

 彼女が内側に入ったことで、ドアを開けるため突っ掛けた靴を渋沢が脱ぐかどうかの頃に、彼女は背筋を伸ばして尋ねた。微笑みが浮いているが、それは怒気混じりだった。

「どこに?」
「向こうだ。まあ上がってくれ」
「お邪魔します」

 前向きに靴を脱ぎ、家主に対し斜めの角度で床に膝をついて脱いだ靴を直す。渋沢の旧友は教本通りの作法を披露したが、その後の行動は渋沢より早かった。
 さして長くもない廊下を大またで歩き、突き当たりのリビングへの扉を開く。そしてそのまま固まった。

「……………」
「…いや、ちょっと昼過ぎから飲んでたから、な」

 無言になった女性が、部屋全体のどこを見ているのか背後からでも渋沢は知ることが出来た。リビングの中央を占める、脚の低いガラステーブル。その上に乱立する空の酒瓶と空缶を見れば、この部屋で男二人で何していたか大体の想像はつく。
 軽く十秒単位で黙った彼女は、肺の空気すべて使ったようなためいきをついた。

「アスリートが二人して、昼間から酒盛り?」
「でも夕方まで他の友人たちもいたから、二人であの量というわけでも…」
「それでも、飲みすぎて熟睡するほど飲んだわけね」

 その部屋に一歩も入らず、腕を組んだ彼女の視線と皮肉はソファで長い脚を投げ出して熟睡している黒髪の青年に向かっていた。

「試合休みの日に、ほかにすることないの?」
「面目ない」

 言い訳せずに渋沢は苦笑しながら否定した。同じ歳の彼女が、こういった口調で非難するときに下手に逆らわないほうがいいと生徒だった時代から知っていた。
 今度はさして沈黙になることもなく、彼女が意を決してその部屋に脚を進めた。キッチンとカウンターを隔てて続き間になっているが、テーブルの周辺以外は新婚家庭らしく新しい家具類が初々しい調和を保っていた。

「三上?」

 彼女はソファの前へ回り、膝をついてその顔をのぞきこんだ。香る酒気も覚悟していたのか、顔をしかめることはなかった。おそらく渋沢が掛けた水色のタオルケットの上から肩を揺り動かすが、漆黒の睫毛が上がる気配はない。
 渋沢も同じように近づくが、彼女はすぐに渋沢のほうを向き直る。

「起きなかったの?」
「ああ。たぶん、少し寝れば起きるとは思ったんだが、山口なら起こせるかと」
「無理よ」

 あっさり黒髪の恋人を持った彼女は答えた。

「寝穢いもの」
「それは知ってる」
「まったく」

 静かに肩を落とし、彼女はかろうじて残る三上の体に支配されていないソファの一部分に腰を下ろす。
 伸ばした白い手が、汗ばみ乱れた黒髪を梳くのを渋沢はじっと見ていた。

「未だに自分の飲む量もわからないのかしらね」

 言葉とは裏腹に、優しい口調と慈しむような仕草。
 飲み過ぎて前後不覚に熟睡してるので暇だったら回収しに来て欲しい、と渋沢が電話口で頼んだときは心の底から「馬鹿じゃないの」と言った人間が、結局本人を前にすれば穏やかにならざるを得ない。

「随分呷ってたぞ」

 カウンターの向こうの冷蔵庫に向かった渋沢が、肩越しにそう言うと、彼女は一瞬黙って目を伏せた。

「…そう」
「一月は飲ませなくていい」
「そうでしょうね」

 吹き出すように、彼女は笑った。居場所を落ち着かせるため鞄を床に下ろしたが、三上のそばからは離れない。前髪をなでつけ、いつも通りにしてやる手もそのままだ。

「不調だと自棄になるのは、よくないことよね」

 やけにひっそりと、寂しげに聞こえた声に渋沢は買い置きの緑茶をグラスに注ぐ手を止めた。面倒なので明かりをつけていないキッチンは薄暗い。明かりの点いているリビングの中央にいる二人が、まるで舞台上の俳優たちのように見えた。
 主演女優は渋沢の目にも少し痩せたことが、この角度からははっきりわかった。

「…後は訓練するだけって本人は言ってたな」
「そうなんだけど、気持ちは身体ほど順調に治ってないみたい」

 もう走れはするんだけど、と彼女は睡眠に身を浸している彼の顔を見ながら呟いた。

「全治三ヶ月のところを、二月ぐらいでここまで来たんだ。三上はそれほど弱くはないさ」
「わかってるけど、…相変わらず私にはあまり頼らないのよね」
「…そうか?」

 そうだろうか、と渋沢は純粋な疑問を感じながら淡い萌黄色に染まったグラスを彼女の前のテーブルに置き、近くの一人がけの座椅子に座る。
 彼女は三上から渋沢へと視線を移し、彼女らしくない頼りなげな笑みを見せた。

「自分一人で何とかするっていう気持ちはわかるけど、あんまり頼ってこないと、やっぱり私じゃ無理なのかなとも思う」
「何言ってるんだ。三上の怪我に感化されて、気弱になってないか?」
「…そうかもしれない」

 眠りを妨げないようにひそやかな声で肯定しながら、彼女はゆっくりとまた三上のほうを見た。寝顔に手を伸ばすのは、そうしなければいられないような心境にあるからだ。
 一度、二度、と指先を髪にくぐらせながら、瞳が細まる。

「私は渋沢や三上みたいに、自分のプレーを見た人のほとんどを勇気づけたり、感動させるようなことは出来ないけど」

 白い指先が止まる黒髪の合間。夜の静寂に溶け込みそうな淡い声。

「せめて、一人ぐらいの支えになりたいって思うのは、傲慢かしらね」

 一億二千に感動を与える女神にはなれなくとも、たった一つを幸福にする傍らの何かに。
 涙より先に溢れ出しそうな愛情に、その横顔が濡れているのが渋沢には見えた。一時驚いたが、やがて渋沢は不謹慎なほど破顔した。

「何かと思ったら、そんなことか」
「そんなことって」

 当然、彼女は自分の本気を嘲笑されたと思い柳眉を逆立てた。渋沢はそうういうことでもないと、手を振って否定する。

「そう思ってくれるだけで、三上には充分だ」

 三上の口からはっきりと彼女への感謝の言葉を聞いたことはない。けれどそれは彼が不得手とする事であるだけで、心の奥底では支えにしていることぐらい、渋沢でもわかる。
 大事なことほど、客観的になりきれない本人には伝わりにくいものだ。
 渋沢の目を見つめ返すかつての同級生に、渋沢は同じくかつての自分を思い出す。危ういところのあった中学高校時代。可愛げなく成長してしまった自分と違い、時には己を顧みず振る舞い、一途すぎて暴力的な生き方をする三上を幾度救えるだろうかと思ったものだ。
 彼の悩みが自分の存在にあると悟ったとき、自分に三上は救えないと痛感した。あのときの絶望とやるせなさ。三上の向ける視線に、嫉妬と憎悪がちらついていることに気づかない振りをするのが精一杯だった。
 サッカーの世界に身を置く限り、渋沢は三上を絶対に救えない。それは今でも変わらなかった。

「…むしろ、そう思ってくれるだけで俺には有り難い」

 傍らに寄り添い、性質にとらわれず慈しんでくれる存在。
 いつかあの強情で一途な友を包み込んでくれる鞘のような人間が現れることを願ってきた。自分では出来ないことを、誰かがしてくれることを祈ってきた。
 よかったな、と渋沢は眠る友の心中に語り掛ける。彼女はあの頃から、きっと三上の中にいた。気づかなかっただけで、ずっと。

「…この人もそうだといいんだけど」

 苦笑に近い印象で、彼女は顔をほころばせた。
 それでも先ほどよりは晴れやかな笑みだ。望むなら渋沢は彼女が信じるに値するだけの具体例を挙げてもよかった。気分が落ち込んだとき、自分を肯定してくれる言葉は心を浮上させるのに何より役に立つ。

「今度聞いてみたらどうだ?」

 それでも渋沢は、三上の名誉を思って具体例は言わなかった。彼女はすこし考えて、そうねとさらに小さく笑った。

「ともかく、見捨てないでやって欲しい」
「そんなことまで渋沢が頼むの?」

 彼女は呆れた声だったが、表情はやさしかった。そして、ふと目の色を楽しげに変える。

「そういえば、知ってる? この人、こっちが見捨てるつもりで立ち去りかけると、服の裾つかんで引き止めるような人なの」
「ほお」
「でもつかむだけで何も言わないの」
「タチが悪いな」
「でしょう?」

 でも、と言いながら微笑む横顔の先。ただ静かに眠る黒髪の存在。

「考えたら、ずっと前からこういう人なのよね、三上は」

 呆れたのではなく、諦めたのでもなく、ただ受け入れた声。
 しょうがないからそばにいるのよ。そんな強気で憎まれ口を叩くような少女だった彼女は、あの頃よりさらに愛情を磨いてまろやかで穏やかなものへ変えた。
 彼はもう大丈夫だ。彼女がいるのなら。

「世話が焼けるな」
「本当にね」

 軽く笑い合う二人の間に、もう一人がいる。
 同じ世代を生きる黒髪の青年の脇で、二人はただ笑った。

 地球と同じ年月を傍らで見守ってきた月が、窓の外に出ていた。








************************
 三上寝っぱなし。
 途中でだんだん書いていることがわからなくなって混乱しました。あぶないあぶない。でもなんだか、やっぱり書きたかったことからズレた気がします。え、いつものことですか?(その通りだ)

 これまでちまちま書いていた、中学高校時代の渋沢と三上の関係のうち、渋沢が抱いていた三上の危うさと心配っぷりが解消されるとしたら、姉さんが常にいるようになってからかな、と(わかりにくい言い回し…)。
 とか言っても、最近ここに来た方にはわかりませんよね。すいません。

 三上は同世代より一際抜き出た天才渋沢に友情半分嫉妬半分で接していて、それをどっちかに統一できない自分に苛立ったり、鈍い(と思ってる)渋沢がそんな三上の葛藤に全く気づいていないことにさらに苛立ってて。
 渋沢は渋沢で、三上が自分のことを奥底では嫌っているような気がして、それが性質とかじゃなくてサッカーの点で渋沢が同世代の頂点付近に常にいることへの嫉妬だって理解してまして、すごく複雑なんだけど三上のことは嫌いになれず(性格上で嫌われてるわけではないので)、逆に三上を傷つけまいと三上の嫉妬に気づかない鈍感を装っているのです。

 いるのです、とか言っておいてまあとどのつまり私の妄想ですよ。
 笠井と藤代にも似てますが、笠井くんは三上より穏やかな性質なのと、藤代は渋沢さんみたいに装ってるんじゃなくて本気で笠井の嫉妬に気づいてない、と。
 性格上では嫌いではなく、むしろ好きなんだけど、そこにサッカーが混入することによって複雑になってしまう、という葛藤とかそういうのがね、うん。






再録・あの空の向こう(笛/藤代と笠井)(高校生)
2004年08月13日(金)

 光る雲の向こうまで共に行くのだと思っていた。







 明るい灰色の雲が天に蓋をしていた。
 わずかに落ちてくる太陽の光は、大地に完全な光明として届かない。雲の向こうを透ける陽光。夏の眩しさにはほど遠いのに、笠井は目を細めてそれを見上げていた。


「たーくーみーっ」


 背後のほうから明るい声が笠井の名を呼んだ。
 振り返らずとも笠井にはそれが誰かはっきりとわかる。道端に立ち止まったまま、駆け寄ってくる足音を聞いていた。
 軽快な足取りは、その持ち主に朗報をもたらしたことを明確に告げていた。

「内定決まった!」

 開口一番に笠井の友人は笑顔のままそう言った。
 握らないように気をつけてもっている、A4版サイズの茶封筒。印字されている日本国内の球団の名称を見つけ、笠井は笑った。

「おめでとう」
「おうよ! これで俺も春からJリーガーだ!!」
「見習いみたいなものだろ」

 笠井ははしゃぐ藤代をたしなめるような顔を作った。プロ入りを果たしても、すぐに試合に出れるわけでもない。そう言いたかったが、そんなものは所詮儀礼的に過ぎないと笠井自身がよくわかっていた。
 きっと藤代はすぐに高みへと駆け上がっていくだろう。
 惜しみない努力と、飽くなき情熱、そして天賦の才能と、掴み取った運で。
 サッカーに愛された天才少年は、必ず至高の世界に辿りつく。長い間、笠井は隣でそれを確信していた。藤代は、自分には足りなかったものをすべて持ち得た者だ。

「おめでとう」

 もう一度笠井は繰り返した。
 強く、藤代が笑顔でうなずき返す。
 寒い午後だ。乾いた東京の冬の空気。外気に触れた頬が冷たい。肺に落ちていく息も冷たく、笠井はかすかに目を伏せ、静かに言う。

「俺も決まったよ」

 鞄のなかの入学願書を思い出して、笠井はコートのポケットに突っ込んでいた自分の手を出した。意味はない。ただ、止まったままでいたくなかった。
 武蔵野森学園指定のダッフルコート。着るのは今年で最後だ。
 藤代はきょとんとしたあと、わずかに目を瞬かせた。

「決まったって? 何が」

 何のためらいもなく聞き返す藤代の率直さ。笠井はそれに苛立ったこともあった。けれど卒業が近づいてくる今、それは親友の代え難い美徳だと素直に思える。
 6年前。中学に入学したときに出会い、二人は随分長く友人の関係を続けていたものだ。
 同じ部活で、同じ学年。共通項は多かった。性格の面では大分遠い二人だったが、足りないところを補うように友達になった。
 追いかけた夢や、語った未来。将来はまだ遠いところにしかなく、無邪気にいつかの自分を夢見ていたあの時間が終わったことを、笠井は痛切に感じた。

「大学。外部に推薦入学しようと思って」

 すっと藤代の顔から明るい表情が消えた。
 すぐに見て取れるほど、驚きだけではない様々な感情が彼のなかに沸き起こっている。仕方ないことだと、笠井は少し申し訳なくなった。これまで一度も藤代に外部の学校に進学志願していたことを言っていなかった。

「……え? だって、竹巳にだってどっかの球団から」
「サッカーは俺の生きる道じゃない」

 笠井が言い切ると藤代が息を呑んだ。
 これは残酷なことだろうか。笠井は正直そう思う。けれど酷だろうと、今の二人が生きるのは現実だ。少年期のあこがれと夢ではどうしようも出来ない。
 強張った空気を少しでもなごませようと、笠井は小さく笑ってみせた。無駄な努力でもそうするしか出来なかった。

「俺はプロじゃ生き残れないよ」
「やってみなきゃ」
「わかる。俺は…渋沢先輩みたいにはなれない」

 敢えて笠井は藤代のように、とは言わなかった。妬みの気持ちを少しでもこの親友に見せたくなかった。友達でいたかった。言いにくいことを先延ばしにするのが本当に友達なのか、という皮肉を自分自身に問い掛けながらも、笠井は藤代を一時でも憧れ、妬んでいた自分を知られたくなかった。

「俺は普通に進学するよ」

 お前みたいにはなれなかったよ。
 自分の歪んだ笑みのなかに、笠井は言えない本音をひた隠した。
 お前がいたから、俺は自分の限界を悟ったんだ。

「指定校推薦の話があったんだ。東京じゃないけど、レベルもそこそこだし、就職率もいいから損はないと思って。学内選抜にパスしたから、あとは向こうの面接と小論文試験。指定校推薦だからまず落ちないって話だけど」
「…………………………」

 黙った親友の顔。憤然としたものが動揺と混じっている。怒りが吹き出すまでの溜めの時間だと笠井はわかった。何を言えばいいのかわからない藤代の表情だった。
 笠井は黙って藤代が何かを言うのを待った。笠井は告げた。ならば、その反応を知る権利が彼にはあった。
 やがて、藤代は吹き上がる感情を必死で抑えた声を出した。

「…俺、聞いてなかったんだけど」
「うん。言わなかった」
「なんで! なんで言わなかったんだよ!!」

 声を荒げた藤代に笠井は慌てなかった。藤代に不快ささえ与えるほど、落ち着き払っていた。
 ひたと藤代を見据えたやや吊った双眸はひどく澄んでいた。藤代のほうがまるで問い詰められている気分になる。


「ひとりで決めたかった」


 透明な声だった。
 奥歯を噛み締めた藤代に向かって、笠井は慎重に言葉を選ぶ。

「誰にも言わないで、一人で考えたかった。俺の人生だから」

 それが親友への裏切りだと笠井は熟知していた。
 感情を素直に見せる藤代には、笠井が何も言わずに一人で決めたことを快く思うはずがない。重大であるはずの決断における迷いを、誰とも分かち合わない。藤代にとっては、きっと信頼に足りない人間だと言われたも同然だっただろう。
 けれど笠井はわかって欲しかった。藤代にとってはそうでも、自分にとっては違うことを。
 何も相談しなかったからといって、藤代を故意に傷つけたかったわけではない。
 誰かに話し、その人の意見に自分が左右されない自信が笠井にはなかった。確固たる決意のない自分には、誰かの言葉に安直に揺らいでしまいそうだった。
 だからこそ、一人で考え、一人で結論を下した。
 何年も心血を注いでいたサッカーから離れ、別の道を模索するすべを。

「…ずっと言わなくて…ごめん」

 すべて終わってから告げる卑怯さを笠井は自覚し、心底からの謝罪を口にした。
 藤代の表情がひび割れた。

「な…んだよ、それ」
「藤代…」
「じゃあなんで先にそれ言わなかったんだよ! なんで俺に秘密にする理由があったんだよ! 俺には言いたくなかったのかよ!」
「違う。そういうことじゃなくて、俺は」
「そういうことだろ! 言わなかったってことは、言いたくなかったんだろ!」

 鋭い声で糾弾され、笠井は口を噤んだ。今は何を言っても言い訳にしかならない。
 進路の岐路に立ったときから、藤代のほうは笠井に多くを話していた。だというのに笠井は藤代に何も言わなかった。フェアではないというには多少違えど、藤代の心中には似たようなものが渦巻いているのだろう。
 同じところにいると思っていた。これまでずっと、それは変わらないと信じていた。その藤代の信頼を裏切ったのは、笠井だ。
 薄い光しかない真冬。二人の少年は互いの間に初めて距離を感じた。

「サッカーもやめるのかよ」

 偽りを許さない親友の声は、咎めであり制止だった。
 わかっていて笠井はうなずく。確かに。
 嘘はつけなかった。

「やめるよ」

 大学に入って趣味のレベルでは続けるかもしれない。けれど藤代が問うているのは、生きる道としてのサッカーだった。だとすれば笠井の答えはイエスだ。

「じゃあ! これまでやってきたのはなんだよ!」
「…全員が全員、プロの世界に入れるわけじゃない。わかってるだろ」

 冷静に笠井は答えた。
 笠井が言ったことは、藤代にもわかっているはずの事実だった。
 有限である場所。入り込めるのは上から順番だ。笠井は自分がそこに到達していないことを一番よく理解していた。
 なれなかった。藤代のようには。なりたかったけれど。
 泣きたい気持ちで笠井は微笑んだ。

「いくら好きでも、どうしようもないことはあるよ」
「……ッ、でも! 諦めるなよ!」

 藤代の言い方は持てる者の響きだった。
 お前に何がわかる。
 言ってはいけない言葉を笠井は最後まで言わなかった。持てる者に、持たざる者の気持ちは生涯理解してもらえない。しかしそれを言えば、必ず藤代は今以上に傷つく。そんな真似は出来ない。
 ただ、少しだけ悲しかった。親友が自分の選んだ道を応援してくれないことが。
 けれど譲れない。自分の人生を他者に非難されたぐらいで変えるぐらいなら死んだほうがましだ。サッカー推薦で武蔵野森学園に進学した12歳の頃も、同じことを思った。
 12歳の自分が願った未来のサッカー選手は、きっと永久にやって来ない。だからこそ、もう一度自分の将来を見つめ直す選択が愚かだと笠井は思わなかった。そして藤代がそれをまったく理解していないとも思わなかった。彼と自分の価値観の差を見せつけられただけだ。
 どれだけの言葉を弄し、いかほどの感情を傾けても、分かり合えない領域は少なからずある。
 持てる者と持たざる者の境界線。
 寂しくとも、いつかそれを譲り合える大人になりたいと笠井は思う。

「諦めなきゃいけないことだってあるんだ」
「…竹巳」
「諦めなきゃ進めないことだってあると俺は思った。だから、諦めた。プロにはなれない。それを認めて、諦めるのが悪いことだと俺は思わない。諦めても俺は後悔しない」
「でも…」
「藤代」

 強い意志を込めた笠井の声は、静かで、まるで年上の人間の声だった。

「俺の人生なんだ」

 藤代を見据える猫のイメージを宿した両の瞳。
 いつの間にこの親友はそんな大人びた顔つきになっていたのだろう。唇を噛んで、藤代はまるで自分が子供のわがままを喚いている気分になった。
 泣いて地団駄を踏めたら、どんなにすっとすることか。

「…なら、勝手にしろよ!」

 それだけを叫ぶと、藤代は踵を返して走り出した。笠井は追わない。追ったところで、同じ押し問答を繰り返すだけだ。皮肉なまでの付き合いの長さがそれを知らしめていた。
 遠ざかる後ろ姿が、完全に見えなくなるまで笠井は人通りのないアスファルトの上でたたずんでいた。


「…ごめん……」


 胸に浮かぶのはそんな言葉ばかりだ。
 けれどこうするしかなかった。藤代だけには、どうしても言えなかった。非難されるとわかっていたからだ。責め立てられ、自分が激情に駆られて本音を吐露してしまうことだけには、耐えられないと思った。
 天才の間近にいたことで、自分がそこに届かないと徐々に理解していくしかなかった六年間。
 心が暗い方向へ傾くたびに、羨望を超えた嫉妬と憎しみを他ならぬ友に抱いた自分を卑下し続けていたのは、笠井自身だった。すべては弱い自分のせいだ。
 なりたい自分にはなれないと、認めるのが怖くて走り続けた。脚を止め、苦しみながら悩み、プロになる夢を手放したときの途方もない解放感。寂しさと安堵の両方をかみしめながら、現実を知った。
 プロへの夢を諦めたことを後悔はしていない。けれど、親友とこんな仲違いをする方法を選んでしまったことだけは後悔した。
 冷えきった冬の雲の向こうにあるはずの太陽。それを見上げる気も起きない笠井の目線の先に、白い花が落ちてきた。
 雪だ。
 笠井はそのまま、東京の街に落ちてくる六花を見ていた。

「俺も…諦めたかったわけじゃないよ」

 粉雪ほどに小さな氷の欠片に、笠井は独白した。
 言えなかった言葉。伝えられなかった気持ち。見せてしまったら、次に進む勇気が溶けてしまいそうだった。
 サッカーが好きだと思う。出来ることなら一生携わって生きていきたかった。
 けれど、現実の壁はそれを易々と許してはくれない。そして、サッカーを離れる進路を選んだ。間違いだとは思わない。かといって何の葛藤もないと言えば真っ赤な嘘だ。
 諦めるのは、逃げることと同じではない。新たな挑戦だ。笠井はそれを信じている。
 藤代にだけは、そのことをわかって欲しかった。
 切なかった。友と分かり合えなかったことが、これ以上ないほどに。


「俺は…―――


 笠井の頬に六角の花が当たる。
 体温に触れて溶けた水が、少年の涙に混じった。







************************
 季節とは全くそぐわないのですが。前日記からの再録です。

 本日夏コミに行ってきまして、お会いした方とこの小ネタの話をしまして、懐かしくなって発掘してみました。ついでなので加筆修正などしてみました。
 どんな人生でも本人が責任を取る覚悟があるのなら、他人がとやかく言う必要はないと、思います。人生の評価をするのは他人ではなく自分だと思う派です、私は。
 いい就職いい結婚の定義が人それぞれなんだから、いい人生の定義だって人それぞれさ、と。
 一番嫌いなのは現実が嫌だと言う割には変える努力をしない、ただの愚痴ったれです。…とか偉そうに言ってみる。私は最近つまんないな、と思ったらとりあえずバイトを変えるか、これまで読んだことのなかったジャンルの本に手を出します。視点の変わる物事なんて、世の中に結構ある気がします。

 …だんだんよくわからない語りになってきましたぜ。

 ええと、今日はともかく色々あった日でした。
 午前と午後で全然違う一日を過ごした気分です。むしろ、午前分と午後分でそれぞれ通常の一日分のエネルギーを使った気がする。一日の間に三種類の名前で呼ばれた(本名・PN・HN)。
 そもそも、13日の金曜日というこの日は、未明から波乱気味でした。

 山本さんが敗戦監督になったよ。
 アテネで無敗監督として名を馳せて欲しかったんだー!! すごく眠いのを頑張って起きて、頑張ってひとり日本で応援していたのに、4-3で勝敗が決定したとき、そのままテレビ消して寝ました。
 敗戦の夜は、眠りに落ちる寸前の時間が無性に寂しい。
 でも大久保は相変わらず面白いやつだなあ、と思いました。激情家なのね、良くも悪くも、と改めてしみじみ。点入れたら満開の笑みではしゃぎまくって、点取れなかったら見苦しいほど(失礼)喚いたり。
 何しても見てて面白い人だ。いろんな意味で何するかわかんない系のキャラは嫌いじゃないです。頑張れストライカー。監督のために。
 …で、プロフィール見たら大久保とものすごく歳が近いことを知ったよ。
 世界で戦う同世代にちょっと焦ったのはなんでだか。

 そして試合終了後、ほぼ四時間睡眠で起床。
 半分目を閉じたまま支度をして、家の用事を長女として果たすために出陣。逃げやがった兄に恨みのメールを送ろうとして忘れた。
 門を開ける。お盆の牛馬たちを置く。迎え火。線香。蓮の花。
 大叔父が予定の時間に来なかったせいで、お経をあげに来て頂いたお坊さんまでお待たせしてしまい、何やら申し訳ないムードの中、半分船を漕ぐ私。
 終わってから敷地内にある墓地に移動。犬まで連れてみんなで移動。民族大移動、という言葉を思い出す。
 従姉が来ていないことに妙に腹立ち。家にいるなら来ようよ、と愚痴ったら伯母にあの子とあんたじゃ違うのよと言われる。あんまりだ。
 ところで迎え火とかそういうのって、どのうちでもやるものじゃないんです、か、…もしかして。みんな言わないだけで、やってるもんだと思っていた私はもしかしなくても田舎者。

 いろいろやって、辞去する理由を「就職の内々定先の実習があるから」と大嘘つく私。実習はあるが来週である。言わなきゃバレない。
 再度自宅に戻って着替えをしてビッグサイトに向かったのは午前十一時過ぎ。
 なぜか電車の中で読んでいたのは新潮文庫『赤毛のアン』。先日アニメ版をちょろっと見てしまったせいで、原作がまた読みたくなったようです。

 午後一時過ぎ。ゆりかもめ有明駅到着。
 待ち合わせの時間まであと十分ほどしかなく、走ってみるもののやっぱり遅刻。初対面の方もいるというのに、遅刻。かなりみっともない。申し訳ありませんでした。
 その後、お会いしたお三方と会談。かっこよく言ってみましたが、実際は半ピクニック。ビッグサイトの芝生でまったり。
 頂いたお菓子は帰宅後がっちり平らげてしまいました。美味しかったです。甘いものは苦手ですが激甘だったり生クリームかあんこでない限りは、結構平気です。本当にありがとうございました。
 そして今日お話させて頂いたお三方には、楽しい時間をありがとうございました。

 午後四時過ぎ、バイトのため東ホールへ移動。
 バイト仲間(というか友人ズ)と合流。
 小・中学時代の友人たちとチームを組んでまして(何の)6人だから、通称D6と呼びます。元ネタは勝利6人から。同人6、だからD6。
 戦隊モノみたいにしようぜ!とか言ってた割には、アイドルグループのパクリ状態。高校時代の発想ですから。付き合い長いんです。

 カンザキさんに会う(この人もD6)。君の伝説を話してきたよエリザベート七香(コスプレ名)、と報告。伝説を作ったつもりはないと反論を頂戴する。うんそうだね、豆大福をビーンズビッグハッピーと英訳した高校時代を忘れないよ友よ。
 その後、仕事内容の都合で二人組になる際、カンザキさんと組むことに。お互いそれなりに長くコミケでのバイトをしてますが、彼女と組んだのはとても久しぶりで。行くぜ相棒。
 ちょこまかでろりん(何だそれ)と働き、バイト終了。
 給料もらってさあ帰ろう。
 夕方七時半ぐらい。
 帰宅は夜十時過ぎぐらいでした。

 …こんな感じの一日でした。つかれたよ。
 明日も帰りはこの時間とほぼ同じなので、東京湾の花火を帰り道の電車の中で見ることになるのかな。寝てさえいなければ。

 で、これからオリンピックの開会式見ます。明日も本家行かなきゃならんのですが。
 誰だ五輪開幕とコミケの日程重ねた奴は(誰でもない)。






ソーダ色の夏時間(笛/藤代と三上)。
2004年08月08日(日)

 どこかで風鈴の音がした。








 武蔵森学園中等部男子サッカー部には、夏季休暇の間だけ昼寝の習慣がある。
 成長期著しいこの年代において、休息もなしに一日中動き回るというのは体細胞を破壊するだけであって、身体の成長に悪影響を及ぼす危険性がある。かつてはそういった練習日程も多かったが、身体医学の進展によって今では行われていない。
 昼寝の重要性を示唆されるようになったのも昨今だ。昼寝によって起こるノンレム睡眠によって成長ホルモンの分泌が促され、壊れた細胞に栄養が行き渡り、効果的なトレーニング効果が得られる。また怪我をしにくい体になるという根拠もある。
 運動・休養・食事はどんなスポーツの世界にいる者にとっても決して偏愛があってはならない三本柱だった。
 そのような事情で、午前・午後と練習がまたがる日のサッカー部員専用寮、松葉寮では真昼だというのに無音の時間があった。部員全員が一様に眠りについているとなると、寮の管理に関わる大人たちもその時間は出来る限り音を立てずじっとしている。
 ところが昼寝時間開始から三十分後、唐突に目を覚ました者がいた。

「………………」

 なんかヤな夢を見た。
 彼の寝起き最初の思考は、そんな言葉となって脳裏に浮かんだ。感情のままに、不快な表情を隠さない。自分でも眉間に皺が寄っているのがわかった。
 夢の残滓の、理由のない不安に襲われながら黒髪の彼は同室者のベッドをのぞき込んだ。ところが二段ベッドの上段では、笠井竹巳という少年が穏やかな寝息を立てているだけだ。
 彼、藤代誠二は落胆の息を吐くが、笠井が寝入っていることは想像の範疇だ。一時はこの暑い中、簡単には寝られないと二人で愚痴っていた頃もあったというのに、夏休みも佳境に入れば昼寝にもすっかり慣れ、空気をかき回す扇風機の音を子守唄に熟睡も容易い。
 もう一度寝なくては。
 自分にそう言い聞かせ、藤代は蹴飛ばしていたタオルケットを引き寄せ、背中から倒れこんだ。かすかにベッドが揺れたが、笠井はその程度では目を覚まさなかった。
 ところが己の理性に反して眠気が遠ざかっていく。それを感じつつ藤代は抗って目を閉じる。午後、太陽が傾きだした頃にはまた身体を動かすことになる。そのために休んでおくことは必要だ。成長期のいま、激しい運動は逆に成長の妨げになる。筋肉や身長を少しでも欲するなら、休養も立派なトレーニングの一貫だ。
 藤代の強い熱意に負けたのか、どうにか眠気が戻ってきてくれたのは二十分を経過した頃だった。うとうとと、室温や外の蝉の声も聞こえなくなるほどのまどろみが彼を襲う。
 ちりん、と風鈴がなるまでは。

「……ッ」

 弾かれたように身を起こす。
 たった一つの音。涼やかな風鈴の音が、得体の知れぬ不安と恐怖を呼び覚ますかのように、藤代の頭の中に突き刺してきた。
 何が怖いのかわからない。ただ、風鈴の音が莫大な何かを思い出させる。
 
「た…」

 竹巳、と呼ぼうとして藤代は思いとどまった。笠井は夏が苦手で、この時期は毎晩寝苦しいとぼやく姿をよく目にしている。そんな彼にとってこの時間は体力回復に勤しむべき時間だ。邪魔したくなかった。
 意を決し、藤代はタオルケットを跳ね上げた。裸足の足が床に触れると、ひやりとするが音は立てなかった。出来る限りそっと動き、部屋を出る。







 いつもは騒々しく誰かの声が聞こえる寮内はあまりに静かすぎた。
 ぺたぺたと裸足で廊下を歩きながら、藤代は漠然とした不安にためいきをつく。明るい日差しと暑い空気、誰かがいる気配はあるというのに、姿は見えず声は聞こえない。まるで呪いがかけられた眠り姫の城だ。存在があっても確認できない空気に、一種の寂しさを感じた。
 探せば、どこかしらの部屋に目を覚ましている部員はいるかもしれない。けれどそれを堂々と探すことは憚られた。昼寝は寮のルールなのだ。さきほどの笠井にしなかったように、安眠を阻害する者にはなりたくなかった。
 蝉の声に惹かれるように、藤代の足は玄関先に向かっていた。寮の敷地内から出ることはしないが、せめて太陽を直接仰げる中庭にいればこのわけもない不安も薄れる気がした。
 玄関の簡易式の下駄箱に突っ込んだままだった自分のサンダルを突っ掛けて藤代は外に出る。内側より一層暑く、眩しい光が目を灼いた。咄嗟に手を翳してその光を遮る。
 藤代の視界に入る自分の手の向こうで、ふと揺らいだ人影が見えた。
 げ、と好意的ではない響きの一音がまず届いた。

「…何やってんだよ」

 綿のTシャツにハーフパンツ。藤代と似たりよったりの格好で、コンビニの袋をぶら下げた相手は顔をしかめながらそう言った。午後少し過ぎの太陽はほぼ真上となって二人を照らす。
 自分よりもさらに濃い彼の黒髪が、夏の日差しを弾くのを藤代は呆然と見ていた。

「…三上先輩こそ」

 それでも話相手に巡り合えず寂しかった藤代には、奇妙なほど嬉しい偶然だった。声を出したことでいつもの調子が目を覚まし、藤代はにやっと笑いながら近づく。

「あのー、先輩?」
「なんだよ。起きてんじゃねぇ、寝てろバカ」
「確か、この時間って外出禁止ですよね?」
「渋沢が気づいてなきゃいいんだよ」

 へっと鼻先で笑う三上は、同室の部長を出し抜いたことに罪悪感はないようだった。大して大きくないコンビニの袋を藤代から隠すように、身体の影に入れた。当然藤代は見逃さない。

「何スか、それ」
「あーうっせー、寝よ寝よ」
「みーかーみーせん」
「バカ! でっけー声出すな!」

 小さくはあるが勢いのある声で、三上は藤代の言葉を遮った。誰か起き出してくる前に、と思ったのだろう。藤代の背中を軽く蹴って中庭のほうを向かせた。

「一個なら分けてやるから、黙ってろよ」







 白い半透明のビニール袋から取り出されたソーダ味の棒アイスを、藤代は歓喜の瞳で見つめた。声を出す前に、三上の釘刺しが入る。

「いいか? 渋沢には絶対言うなよ」
「くれるなら黙ってます」

 藤代は敬愛する主将への忠誠も、魅惑のアイスの前では目を瞑ってもらうことにした。尚も文句を言いたげな三上から受け取ると、つい笑みがこぼれる。座った中庭の生暖かい石も気にならなくなった。

「ったく、俺が苦労して抜け出して買ってきたってのによ」
「いただきます!」
「あ、こらテメ、俺より先に食ってんじゃねぇ!」

 ばりばりと袋を破いた藤代に三上が慌てて続いた。この暑さだ。三上が徒歩でコンビニから帰ってくるまでの道中で、保冷剤なしのアイスには霜がすべて溶けた水滴がついていた。
 さくりと歯で噛むと口の中いっぱいに冷たさが伝わり、そのうちに頬の表面も冷えてくる。外の暑さと中の冷たさ。そのアンバランスが爽快だ。

「うまいッスねぇ…」
「そりゃテメエの懐が痛まねぇんだから美味いだろーよ」

 ちくしょう、と悪態を吐きながら三上がざくざくと水色の氷菓子を貪る。融けて水滴が垂れる前に食べ切ってしまいたいのだろう。三上の黒髪の合間、こめかみのあたりから汗が一筋流れていた。
 しばらく無言が続いた。氷をかじる音と蝉の声しか聞こえない中に、太陽が世界を焦がす音も混じっているような気配がする夏。
 少しずつ小さくなり、最初の感動が薄れ始めたアイスの棒を右手に持ちながら、藤代は庭で咲いている名前を知らない百合の花をぼんやりと見ていた。

「お前、いつも起きてんの?」

 唐突に三上が話しかけた。驚いた藤代は百合から目を離す。

「え?」

 藤代の驚きを、三上は否定と解釈したらしい。すぐに「やっぱいい」と彼らしい文句で会話を続けることを拒否した。三上の目元に睫毛の影が落ちる。
 少しの間、藤代は三上の言いたかったことを考えた。結論はわりと簡単に出てきた。

「三上先輩は…いつも?」
「…たまにだ。まいんち夜だけの睡眠だったら死ぬぜ俺」

 顔をしかめた三上は、藤代のほうを見ていなかった。藤代はこっそり彼の横顔を盗み見る。二人は木の陰になっているところに座っているが、三上の横顔は日差しの中よりずっと大人びたものに見えている。黒髪は夜の闇に似ていた。
 三上がなぜ、皆が眠るこの時間に起きてしまうのか、藤代は訊けなかった。
 ただふと、自分が些細な風鈴の音で目を覚ました経緯を思い出した。

「…寂しくないですか?」
「あ?」
「たった一人で起きてるのって、なんか…寂しい気がします」

 みんないるのに、誰もいない。
 大声を上げて呼びたくてもそう出来ず、時間が過ぎるのを待つために彷徨う。自分だけが世界に取り残されたような錯覚。あのとき見ていた夢は、それに近いものだったのかもしれない。
 三上は皮肉げに笑ったようだった。

「慣れた」

 答えは簡潔だった。
 藤代はそうは思わなかった。黙ってあとほんの少しになった氷菓子を齧る。

「だいたいお前、一人で起きるのが寂しいって、そりゃガキの思考だぞ」
「えぇ? …そうかもしれませんけどー」
「俺は平気なんだよ」

 一人でも。
 そう続けた三上だったが、視線が揺らぐのを藤代は敏感に察した。
 この人は強がるのが好きだ。そう思った。哀れんでいるようで、とても口には出せないがかわいそうにも思えた。寂しいことを寂しいとは言えず、虚勢を張ることで忘れた振りをする。そうするしか出来ない人なのかもしれない。
 眩しい夏の日、起きたら一人きりで、目の前に広がる無音の空間。
 それをほんの少し、寂しいと口にする自分すら、三上は許さない。
 武蔵森の絶対階級制度を思い起こす。その一番上の群に属するためには外部の人間には計り知れない努力が必要で、そこに入れたからといって努力を弛ませることがあればすぐに転落の途が待っている。精神的に追い詰められ、自滅して部を去る人間も少なくない。三上もそれに近いという危惧を藤代は抱いた。

「三上先輩、いつかストレスでハゲちゃったりして」
「うっせ」

 親身になって慰めるのは、きっとこの人のプライドを傷つける。そう思った藤代はわざとずれた方向に、わざと明るい口調で言い放った。案の定三上はふんと鼻先で笑ってアイスを食らう。
 藤代も、三上のほうを見ずにアイスを食べた。夏の影は濃く、湿気た日本の夏の匂いがする。誰にも決して頼らないと無言で告げる先輩の姿が、少し切なかった。
 慰めも励ましも藤代には出来なかった。けれど、この暑い夏を乗り切って、出来る限り長く彼とサッカーを続けたいという思いは強い。この人が生み出す正確無比なボールの軌跡は、藤代にとって慣れ親しみまた充分尊敬に値する。

 その日藤代が見つけたのは、眩しく明るいだけではない孤高の夏の姿だった。
 けれど、知らないでいるよりはいいと、そう思った。








************************
 藤代の思考メインの話で、昼寝から一人だけ先に起きちゃったときの寂しさが書いてみたいなあ、と思ったんですけどね。
 …なぜ三上の苦悩に話が飛んでいるのか。

 夏とか昼寝してて、ふっと起きたら部屋にひとり、とか微妙に寂しい気持ちになりませんか? 私だけですか? そこまで人に甘えんなって感じですか。
 んでよくわからない夢とか見ると、無性に不安になったりとか。
 まあそういうのをね、書きたかったんですよ(達成しているのかどうなのか)。
 ほんと小ネタは力いっぱい好きなものを好きなように書いてます。

 で、今回もそうなんですけど随所に参考にさせてもらってる文献があります。
 一年前までの参考文献はこちら。
 一年前なので、それにさらに加わっています。ネット関係でさらった資料もあるのですが…。そろそろ全表記したほうがいい気がします。
 普段何も考えて書いていないようでね、たまにはね、使うんですよ。原作以外の資料も(本当にたまに)。全寮制中高一貫校のサイトとかで寮生活の規則とか。
 医学の進歩によって、学校部活動の方法もずいぶん変わってきたらしいですね。うちの父親の時代には、暑い最中の練習には絶対水を飲んではいけない、とか言われたらしいです。今じゃ考えられん。

 ところで、7日のアジア杯決勝戦。
 用事を出来るだけ早く済ませ、出来るだけ早く帰ってきたので前半の途中からどうにか見れました。また各所で誰かに迷惑をかけたかもしれぬ。
 7日の川口もきっちり活躍していて嬉しかったです。
 飛び出しプレーの危うさが好きだなあ、と改めて思いました。何ていうの、あの、何しでかすかわかんないところが川口の魅力です(その言い方もどうだろうか)。
 前回、前々回と、奇跡と言われたものを見てきたせいか、ちょっとあっさり気味風味な気がする決勝戦でしたが、あれぐらいが普通なんでしょうな。ええ、その前と前が劇的すぎた。
 ついでに、そろそろ主審について物言いをつけたい試合でした。
 観衆に呑まれるな主審。最高判定は自分だと胸張って言ってもらえるような厳正な審判を下して欲しいものです。
 中国のブーイングについては、まあどうにも。フェアプレーを尊ぶ精神と共に、相手のチームにも敬意を払う精神を求めたい。正直あの国でオリンピック開催はちょっと嫌かもしれない。
 だいたい試合内容ではなく、政治問題が持ち上がるスポーツ試合って間違ってると思います。なんで私が、試合の感想で国家について語らなきゃならんのだ。

 今回、見直したのは玉田でした(偉そうに言える立場か)。
 アイツ(秘密)よりマシだけど微妙な気も…、という印象を抱いていたのですが、なんだ、やれば出来るじゃない!みたいな(だからアンタなんでそう偉そうなの)。
 うちのかか様は、「あら、玉田って俳優みたいな顔ねぇ」とのほほんと申しておりました。そうね、かか様は中田浩二さんもお好きですもんね。でもヨン様は苦手よね。

 あ、そういえば数年振りにあった中学時代の友人が、ヨン様そっくりになっていて驚きました。






松葉牡丹が咲いた日(笛/渋沢と藤代)。
2004年08月05日(木)

 松葉寮に松葉牡丹が咲いた頃、彼女はやって来た。








 玄関先での押し問答はすでに十分を経過しようとしていた。

「藤代」
「ヤです」
「…藤代」
「イヤ、です」

 松葉寮の玄関はタイル張りになっており、両開きの厚いガラスドアを潜れば壁に沿って簡易型の靴箱が設置されている。土足で踏むことになるタイルからはすのこが敷かれ、そこから靴を脱いで上がることになっていた。
 そのすのこを隔て、スニーカーの藤代と、室内履きの渋沢が対峙していた。

「ふじし」
「嫌です」

 とうとう同じ一言を言い合う応酬にも飽きたのか、またはかたくなな藤代の態度に呆れ果てたのか、寮長として生徒間の問題に責任を負う渋沢が大仰なためいきをついた。
 渋沢が組んでいた両腕を外したが、藤代は自分の腹のあたりで組んだ手を離さない。
 その藤代の腕の中で、何かがもぞりと動いた。
 漆黒の毛並みを持つ仔猫が藤代の腕の中から顔を出す。その純真な瞳に渋沢は敢えて逆らった。

「…藤代、ダメなものはダメなんだ」

 当初は説得と叱咤が混じったものだった渋沢の声に、同情が混じった。
 半ばうつむきながら、腕の中の存在を決して手放そうとしない藤代の口許がきゅっと引き締められる。黒い目だけは叱られる子供そのものだ。

「ここで動物を飼うことは出来ない。規則で決まってるんだ。どうしても藤代が飼いたいなら、ここを出て行ってもらうしかない」

 退寮とはそのまま、サッカー部からの除籍を意味する。武蔵森学園は寮生活を過ごすことによって、通常の学校教育における学力向上と共に集団生活における協調性や精神の充実を計ることを学校教育の理念としている。特別な事情を除き、ほぼすべての生徒が寮に入ることになっている。
 その中で、この松葉寮はサッカー部員のみの特別寮だ。一般入学試験通過者ではなく藤代や渋沢のようにスポーツ特待生の枠に所属する生徒だけが入寮出来る。そこを出るということは、部員としての資格剥奪に近い。

「…だってこいつ、飼えないから保健所に連れてくって」

 すでに何度か聞いた、黒猫の事情を渋沢は黙ってまた聞く。

「かわいそうじゃないッスか。保健所連れてっても飼ってくれる人がいなかったら安楽死させるしかないって言うんスよ」

 飼い主が現れない野良猫や野良犬に、そういった運命が待ち受けていることは渋沢も知っている。だからといって、簡単に首を縦に振れない自分に彼は失笑した。
 ひょんなことから出会った子猫を見捨てられなかった藤代の心の優しさは認められる。しかし、現実は丸ごと全部受け入れられないのだ。

「仕方ないだろう、と言ったらお前は俺を罵るか?」

 まだ十五で、渋沢もこんな役割をしたくはなかった。
 鋭く顔を上げた藤代の目に相手を責め立てようとする正義感を見つけ、渋沢は意識的に表情を引き締めた。

「飼えないからといって捨てた相手を無責任だと言うが、そうやって一時の同情で猫を拾って、規則に反した場所で飼いたいと駄々を捏ねるお前はどうなんだ」
―――
「頼み込めは許してもらえるかもしれないからと安易な思いで拾ってきたお前は無責任じゃないのか」

 藤代が歯を食いしばって渋沢を睨んだが、言い返す言葉はやって来なかった。
 自分の発言が非情だと理解しても尚渋沢は続けた。

「可哀相なだけじゃ、どうしようもないことだってある」

 我ながら可愛くない意見だ。険しい顔で言う自分の裏側で、渋沢はほろ苦く、こうしか立ち回れない自分をやるせなく思った。
 悔しげに顔を赤くする藤代の腕の中、渋沢の手のひらに乗ってしまいそうなほど小さな猫が身じろぎしている。自分の運命を考えることも出来ないほど幼く無垢な命だ。
 母猫はどうしたのだろう。兄弟もいたはずだ。藤代が見つけたときはもうこの一匹しかいなかったという。無事に拾われたか、あるいは。
 人間社会に翻弄される生き物たちの運命を、渋沢は心の奥底で悼んだ。

「…でも、拾わなきゃこいつ死んでた」

 ぽつん、と水面にしずくが落ちるような藤代の声だった。
 敬語も忘れるぎりぎりの感情で、藤代の黒目にも水膜が出来ていた。

「すぐ俺が連れて帰るって言い出したら、ちょっとでもこいつが生きる可能性があったら拾った! 無責任でもいい! 見なかった振りして、仕方ないって言って見殺しにするよりよっぽどマシだ!!」

 憤りをそのまま声にした藤代の声は、夏の松葉寮に響き渡った。
 渋沢が目を見開くと、怒った顔の藤代が両手で子猫を渋沢に突き出した。

「俺は!! キャプテンみたいに大人になれなくてもいい!! わがままでどうしようもないって怒ってもいいから、こいつここで飼わせて下さい!!」

 藤代は溢れ返った感情に半泣きになっていた。言い草といい、とても頼む側の人間とは思えない。だが渋沢はそのひたむきさを目の当たりにして、数秒動けなかった。
 何事かわかっていない黒猫の金褐色の目。必死さと強情さが混ざった藤代の黒い双眸。
 二つの命が、渋沢を凝視していた。

「…ふじしろ…」
「お願いします!!」

 この様子では土下座も辞さない勢いだ。激高しすぎて真っ赤な顔になっている藤代に、渋沢は少しずつ笑い出したくなった。
 いつの間にか理屈と理性ばかり重んじるようになっていた。藤代のように自分の感情のまま動いても、良い方向になるわけではないと割り切るようになったのはいつからだっただろう。
 藤代は生き延びる可能性を選んだ。楽観視さえも超越する生命力と運に賭けた。
 彼だからこそ、出来たことだったかもしれない。
 渋沢は一度だけ息を吐き、姿勢を正した。

「それでも、ここで飼うことは出来ない」

 藤代が何かを言いかける前に続ける。

「だが、夏休みの間だけ置いてもらえるよう頼んでみる。その間に、飼ってもらえる人を探すんだ。これだけ人数がいるんだ、寮中の人間に全員聞けば飼ってくれそうな人を知ってる奴もいるかもしれない」

 言葉を進めるごとに、藤代の顔にいつもの華やぎと明るさが戻ってきた。
 渋沢はそれこそ仕方ない、と言いたげな顔で笑う。

「それでいいか?」
「はい!! ありがとうございますキャプテン!!」

 やったー、と手放しで喜ぶ藤代が、歓喜のあまりぐりぐりと腕の中の子猫をなでくり回す。

「よかったなー!!」

 子供を抱き上げる父親のように浮かれて、藤代は踊りだしそうな勢いだ。
 渋沢はこの数十分ですっかり凝った肩を自分で揉みながら淡く笑む。ここで飼えないとは言えても、結局渋沢は元の場所に置いてこいとは言えなかった。見殺しにしなくて済んだことに渋沢もかなり安堵していた。
 これから先、寮の管理人や学校側への説明など、雑多なところで骨を折るかもしれないが、藤代に酷なことをさせ罪悪感に浸るよりは遥かに楽なことだ。

「キャプテン、ありがとうございます!!」

 弾けるように笑う藤代が、早速靴を脱いで寮に上がる。

「じゃ俺! まずは竹巳に見せてきます!」
「待て」

 ここで終わるわけではない。渋沢は藤代を引き止めた。

「室内はダメだ」
「うぇ?」
「動物アレルギーの者がいないとも限らない。夕食前の点呼で確認を取るまでは、中庭だ」
「ええー?」
「それから、名前つけちゃダメだぞ」
「えっ」
「今名前をつけてそれに慣れたら、飼ってもらううちで新しく名前がついたときに困るだろう」
「そんなぁ」
「そのぐらい我慢しろ。後で諸注意一覧作って持って行くから、ちゃんと読むんだぞ。今何か箱を探して持っていくから、猫と一緒に中庭で待ってろ」

 一度決まれば後は渋沢の得意分野だ。矢継ぎ早に言うと渋沢はさっさと寮の事務室に足を向けた。
 後に残された藤代は、安堵と面倒さの中間で、子猫の顔をのぞきこむ。

「…やったな」

 やっぱキャプテンってやさしい。
 ほんの一時、冷酷だと思った自分を反省し、藤代は肩の力を抜いた。
 一度味方につけてしまえば、渋沢ほど頼りになる人間はいない。寮内でどれだけ反対する人間がいても、穏やかに根気よく諭してくれるだろう。藤代は心置きなく飼い主探しに没頭出来る。

 さすが俺らのキャプテン。

 我らがキャプテンのことを思い、藤代は自分もやれるだけのことをやる決意を固めた。
 玄関外の花壇で、松葉牡丹が咲いていた。








************************
 猫抱えて駄々捏ねる藤代が書きたかっただけなのですが、途中思いのほか深刻路線に傾きました。あら?

 昔うちの妹も、顔真っ赤にして子猫連れて帰ってきましてですね。
 そのとき我が家にはすでに一匹の犬と四匹の猫とそのほかカメやら魚やらがいまして、これ以上猫は飼えない状態だったんですが、話聞けば妹の友達が拾ってきてマンションだから飼えるわけがないと親に叱られてまた捨てるはずだった猫で。
 うちのほうがまだ飼えるかもしれないから、ということで妹は受け取ってきたという。
 結局知人のうちに引き取ってもらったのですが、それについて色々思うことはありました。

 …というのが本日の元ネタ。
 何かの生き物を飼うってことは、最期までその命に対して責任感を持つべきだと思います。
 子供の頃に動物を飼うことによって情操教育に役立つ、とかよく聞きますけど、うちの場合家に帰っても犬や猫がいることによって寂しさの緩和になった気がします。親がいなくても犬と猫たちは絶対いたものですから。
 まあそんな私の思い出話などどうでもいいのですが。

 キャプテンはなんだかんだ言いつつ、藤代に甘いぐらいでいいと思います(何突然)。

 ところでメモライズがどうやらまだ書き込めるようなのですけど。
 こっちは31日の夜に必死で1日に完全消滅してもいいように色々作業してたんですけど。
 なんだなんだなんだ。これで復活とかしちゃったら怒るよもう。エンピツさんにお金振り込んじゃったんだから!!
 まだ試運転中なのでしばらく(仮)状態です。

 あとですね、Web拍手なのですが。
 以前に拍手レスをつけてから、あちこちのサイトさんでこれについての意見をいろいろ目にしたのですが、うちでは拍手レスは行わないことにしました。
 わざわざ誰が見てもおかしくない場所でレスをするなら、掲示板を設置するのと同じだと思ったので。
 送りっぱなしで、誰が送ったかわからないところがあの拍手の利点だと考えました。
 …あとうちの場合、web拍手の公式理念と若干すれ違っているところがあるものですから。オマケメッセージをメインにすること自体、はっきり言って間違っているのです。
 気が向いたら押して下さるだけで結構ですし、メッセージメインとして扱うのも製作者様に悪い気がしますので、メッセージについての更新も記載しません。今も前と変わってないですよ。
 相変わらず穴だらけの管理で申し訳ないです。
 も、もうちょっと隙のないサイトを目指したい…。






day after(笛/三上亮)(未来)
2004年08月03日(火)

 終わったらでいいから思い出して欲しいこと。








 目を開けると、光よりも先に冷たい何かの感触を知覚した。

「…起きちゃった?」

 おそるおそる、という表現がぴったりの声が聞こえる。返事をしようとした三上は、口を開きかけた途端顔面を走った痛みに顔を歪めた。
 心配そうな顔をして、いつもと同じ彼女が三上を見ていた。
 その視線を受け、三上はどうにか彼女のところへ帰りつき腰を下ろした途端眠気に襲われた自分を思い出す。

「痛ェ」
「ごめんなさい。とりあえず拭こうと思って」

 とりあえず、起きて。
 そう言いながら狭いソファの上で寝ていた三上を彼女は腕を取って起こさせた。まだ半分醒めていない三上の視界の中で、彼女はほんのわずか苦笑したようだった。

「名誉の負傷ね。お疲れ様」

 瞳の動きだけで三上に自分でタオルを持つように伝えてから、彼女は近くに置いてあった救急箱からスプレー式の消毒液を取り出した。

「…沁みるのヤだぞ」
「なに子供みたいなこと言ってるの。ほら顔出して。移動の間に包帯取れちゃったって自分で言ってたじゃない」

 精神的な力を持つその細い手でこめかみを捕らえ、彼女は問答無用で三上の額の右上あたりに消毒液を吹きかけた。目に入らないようにテッシュペーパーで瞼のあたりを覆われた三上だったが、傷口に入り込んだ液体に今度は思いきり顔を歪めた。
 テレビもついていない深夜の一人暮らしの部屋は二人の声しか響かない。

「…昨日、見たか?」
「見たわよ。向こうで病院行ったの?」
「行った。外傷だけですぐ治るってさ」
「…こっちは心臓止まるかと思った」

 日常生活ではまず不要だとおぼしき、大きな絆創膏を取り出した彼女の声は疲労が滲んだためいきのようだった。
 おそらく、テレビ中継されていた三上の遠征試合を見た後にわざわざ帰ってからの手当てに必要なものを揃えておいてくれたのだろう。真新しいガーゼや包帯まで入っている救急箱を視界に捉え、三上は殊勝な思いに駆られた。

「悪かった。心配かけて」
「…どうやって切ったの」
「競り合ってコケたときに、相手のスパイクが顔に当たったんだよ。ちょうど血管あったらしくて傷の割には血だけドバっと出て」
「物騒ね」
「…なんか言葉違わねぇ?」

 三上が異議を唱えると、彼女は顔を上げてその綺麗な眉をしかめてみせた。

「じゃあ、心配かけさせないで」
「……スミマセン」

 下手な罵声よりも心に応える一睨みには謝罪しか出てこない。
 妙にゆっくりと手当てをしてくれる彼女はそれから三上と視線を合わせずに口を開いた。

「だいたい三上の試合は心臓に悪いのよ」
「…攻撃の起点を潰すのはよくあることなんだよ」

 試合中一人二人以上のマークがつくのは、現チームの司令塔役を預かる三上にとってはいつものことだ。数で劣るからといって引き下がるわけにはいかない。
 結果、激しいぶつかり合いになるのは慣れた。多少脚を削られようが、少しぐらいのアザや擦り傷を恐れていては、あの場にいる資格はない。
 今度はごまかす気のない彼女のためいきが感じ取れた。

「それでも心臓に悪いの」

 こめかみに添えられた手に力が入る。うつむきかけた彼女の睫毛をすぐ近くに見ながら、三上は同じことを繰り返す。

「悪かった」

 けれど、どれだけ彼女が心配しようと三上はあの緊張感が閉じ込められた舞台を降りる気はなかった。まず有り得ないだろうが、彼女が泣いて止めてもきっと三上は断るだろう。
 スポーツの世界にもルールという正義がある。それに則って戦うことが三上が選んだ世界だ。そこを去ることを決めるのは三上だけだ。
 怪我をするたび彼女が心を痛めることを知っていても、どうしても離れられないものに三上はすでに出会っていた。
 次の彼女のためいきは、あきらめの気配が滲んでいた。

「…別に、やめて欲しいって言ってるわけじゃないの」

 ただね、と珍しく気弱で頼りない声が三上の耳朶を打った。

「試合終わったら、私が心配してることだけは思い出して」

 彼女は四六時中自分のことを想っていろとは決して言わない女だった。三上には三上の、自分には自分だけの時間があり、お互いにそれを必要としていることも理解している女だった。過ぎた干渉は不利益にしかならないのだと。
 だからこそ、たまの頼りない台詞には彼女らしいやさしい愛情が言わせるのだろう。
 三上はそっと笑う。彼女は、なぜ三上が試合後は必ずここに寄るのか知っているだろうか。
 心配するなとは言えない。肉体を酷使する場所に三上が立っているのは事実だ。そもそも気休めが欲しいわけではないと、本人がそう言っている。
 どれだけ全力を尽くして戦えるかは、待つ人の有無で決まる。時折そんなことを考える。どれだけ無茶をして、激しい攻防を繰り返し、傷ついて帰っても、彼女がいる。
 怪我の手当てをしてくれて、話を聞いてくれて、たしなめて苦笑して諭してくれる。こんなことを言えば彼女はきっと、自分は母親ではないと怒るだろうが、母親では抱きしめられない。
 帰る場所に待つ人がいるから、心置きなく戦える。
 そんな思いを、いつかこの戦う日々が終わったら言えるだろうか。

「聞いてるの?」
「ハイハイ聞いてます」

 三上は色々考えていた自分が妙に照れくさく、ごまかすために投げやりな答えを返した。
 当然彼女は鼻白んだのか、まったくというような響きで最後のためいきを落とした。

「はい終わり」

 名残惜しいと思う前に、白い手が三上から離れる。
 救急箱を片付けるために背を向けた彼女を見ながら、三上はソファに背を預け天井に近い壁のあたりを見る。時計はもう日付が変わる直前を指していた。

「…忘れてねぇよ」

 心配してくれていることも、待っていてくれることも。
 小さすぎる声を彼女に届ける必要はなかった。

「三上?」

 なにか言った、とすでにいつも通りの凛とした声で尋ねる人。
 三上は目を閉じてさらにソファに沈んだ。瞳を閉じてもなお感じ取れるこの空気。彼女の存在。

「なんでも」

 毎度毎度この言葉でごまかす。それでも許してくれることを知っている。
 夏の宵の空気を胸に吸い込み、彼はゆっくりと目を開けた。









************************
 サッカーの試合って心臓に悪いなあ、と思いました。
 あのガンガンのぶつかり合いを家族もしくはそれに準じる人はどんな思いで見てるのかなあ、と。成功と祈る気持ちと安否を祈る気持ち、まぜこぜな気がしました。
 そんな感じの三上と姉さん。ちょっとこっぱずかしい気もします、な…。




 ■□目次□■  未来>>

Powered by NINJA TOOLS
素材: / web*citron