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2003年06月30日(月) ヒート



さっき熱を測ったら38.0度あった。だるいわけです。



・・・9.5度に上がっているー。 
頭が割れそうで、アホな考えしか浮かばない。
ショートしそう。


2003年06月29日(日) SWITCH



もう随分と会ってないが、
高校時代の友人たちは多分、みな社会人になっていることだろう。

23歳。いい歳だ。
結婚して、家庭を持っている人もいるかもしれない。
スーツにネクタイで商談を決めている人もいるかもしれない。
翻って自分は。

まだ美大生です。まだ学生です。
しかも大学三年です。 浪人、休学。社会に出遅れてしまった。

でもそれはそれで楽しい。浪人時代の仲の良い友達も、何人か休学して三年生。
幼稚園からの友人も、東大で転科して三年生に戻ったという。

社会人にスイッチするのはいつになるのか。分からん。
が、きっと、スタンスは変わらないんじゃあないだろうか。
カメラもWEBも、どこまでもくっついてくるだろう。



やっぱ、大学っていいと思う。


2003年06月28日(土) 残像 - deja vu


残像と既視感は似ている。
正確には、似ているだけで、違うもの。
どちらもよく見る。脳の欠陥か。


マトリックス・リローデッドを見た。
話は無いが、アクションは拍手。美しい。
美しすぎて痛みが無い。


2003年06月27日(金) デイズ


1999年。


2002年。


2003年06月26日(木) ミイコ


なついてくれない。


2003年06月25日(水) アイドル

真鍋かをり。

実は、彼女は僕の同級生である。
最初、TVで見た時は驚きのあまり高校時代の級友に電話しまくった。

高校時代、ちょっとかわいいなと思っていたこともあった。
僕の友達もだいたいそう思ったり、好きだったりで、昔から美人ではあった。
けど。

テレビで見る真鍋かをりと、僕らが知っていた真鍋かをりは別人のようだ。
なんだかTV慣れしているのか、見たことの無い反応をする。
高校時代の彼女は放送部で受賞歴があって、僕らなんかよりずっと頭が良かった。
が、彼女自身はスカートを翻して階段を二段飛ばしで走るような、
かなり騒がしい人だった。グラビアで見るような憂いなど、
みじんもなかった、はずだ。

化けたな。


2003年06月24日(火) ほしいなぁー




バイト中に落書き。



虚しい・・・。


2003年06月23日(月) 沈殿物

なんとなく朝起きて、
なんとなく学校に行って、
なんとなく教授に小言を言われ、
なんとなく電車とバスを乗り継ぎ、
なんとなく府中病院へ行き。

なんもなく診察が終わり、
なんとなく国分寺から中央線。
なんとなく立川HMVを回って、
なんとなくマンガ二冊を買い、
どことなく空虚な気分を抱え帰宅。

帰って「まろ茶120」を一気飲みしたら、腐ってた。

おえーーーーーーーーーー。


2003年06月22日(日) ロケーション


友達もメガネキャラが多い。


彼女が「ロケーションって言葉が好きだ」と言っていた。
うん、いい言葉だなと思う。「校区外」も彼女の命名で、
ネーミングセンスがあると思う。

ロケーションハンティングしないと。
新作に向けて、というか、まとまった作品を作ったことがないので
処女作になるが、そのためのロケーションをしようと計画している。


バイト先の上司が美人だったので、つい似顔絵を描いてしまった。
・・・似てねー。


2003年06月21日(土) サブカル包囲網

アニマトリックスを見ました。

世間で話題になっているあのMATRIXを、
世界のアニメ作家が集ってオムニバスアニメーションとして
作品化したものです。

よりMATRIXの世界観を楽しめるという触れ込みでしたが、
僕はこっちの方が世界観が確立されているんじゃないかと思いました。
本家は本家で、やはり相当の世界観の構築に成功した映画として凄いのですが、
アニマトリックスのよい点は、
やはりアニメーションの可能性を感じさせてくれるところにあります。
アニメでしか出来ないことが、そのまま世界観の構築に繋がっているのです。
こればかりは見てもらわなければ分からないのですが、一見の価値はあります。

MATRIXという映画自体の評価は人それぞれだと思いますが、
僕は都市表現という視点で見るので、わりと好きな部類に入る映画です。
お話はどうでもよくて。

コンピューターの文字を基本に、緑色がマトリックス(虚構)の世界色。
で、現実は青色で構成されています。非常に分かりやすい。
ビジュアルイメージの統一は、色で行うのがもっとも効果的です。

で、次に眼がいくのが雨の使い方です。
監督のウォシャウスキー兄弟はいわばアニヲタですから、
その辺の日本のアニメや映画を存分にパクってくれていますが、
それでも雨の使い方は素晴らしいの一言です。
スプリンクラーのしぶき。土砂降りの雨。濡れた街。
この辺りのよさはフィンチャーの「セブン」「ファイト・クラブ」にも見て取れます。

アニメ故のよさは、そこへ更にCGという技術が入ることによって、
のっぺりとした絵に、無限の奥行きが構成されるというところにあります。
この広がりは実写では出来ない。不可能です。
ともすれば不粋になりがちなCGの、最も効果的な用い方なのではないでしょうか。
画が奥行きを持って迫ってくるのです。
二次元が三次元になるだけで、ぼくらの眼はワクワクするのです。

こういう楽しみ方は、もしかしたら世代によっては理解出来ないかもしれません。

それにしても、こういうアニメのムーブメントが
ハリウッドから起きているという実情が、僕には少し残念に思えます。
振り返って日本はどうでしょう。そこには、ジブリとポケモンしかいません。
少なからず「頭山」などもあるのですが、アニメの新風を起こすコンピレーションとか、
粒よりのオムニバス作品がもっと日本にあってもいいと思うのです。
むしろアニメ大国の日本から発信してほしい。
デジスタとかの甘いところは、才能を育てるとかいいつつ
市場開拓をしていないところにあるとぼくは思います。攻めが足りない。

そして、ハリウッドでも異色かつ面白い現象といいますか、
このMATRIXという作品のいいところは、実写映画に留まらず
アニメーション、ゲームと、その姿を変えても同じ目線で語られるところです。

つまり、サブカルチャーを包囲する展開、増殖をしているという事です。
これほど自由で遊び心のある展開はないと思うのです。監督してやったり。

「これは現実ではない。僕はここにいない」という永遠のSFテーマは、
見方を変えればただのひきこもりとしか思えないのですが、
その世界観の拡張がものすごくスムーズに行われている。

すべての作品(商品)が、MATRIXの広告として機能しているんです。
サブカル包囲網とは、つまり広告戦略です。
アニメと実写の融合とか、CGのリアリティには興味がないのですが、
ジャンルを越えて渡り合い、広告としても作品としても相乗効果を狙うなんて、
上手いなぁと唸ってしまいます。賢い。

しかもその展開ゆえにアニメが面白くなっている。
いくら「攻殻機動隊」のパクリと言われようが、ここまでやりきったら勝ち。

そんなことを思いました。


2003年06月20日(金) 兄弟

僕には五歳年下の弟がいます。

弟は今年18で、受験生です。親とは別にひとり寮生活をしていて、
知る人ぞ知る(知らない人は知らない)サッカーの名門校・南宇和高校の
サッカー部で、日々サッカーに明け暮れています。
時にはじん帯を切ったり、なんだか大変そうです。

弟は昔から運動面に関しては凄まじい能力を発揮し、水泳の選手団に選ばれたり、
マラソンも一位だったり、腕立て伏せも何百回とやる、いっぱしの運動バカでした。
ことサッカーに関しては、リフティングを千回突破したとか、とにかくあれです。
「ボールは友達」。

以前、弟がなにげに歌っていたのを思い出します。
「振り向くなよ〜振り向くなよー♪君は、美しい、戦いに敗れても〜…君は美しいー!」

かたや兄の僕は、体育は1でした。
跳び箱も逆上がりも出来ません。
予備校仲間が登山をするという時も、先生に「イトー山なんて登るのー?」と聞かれました。
ドッジボールはいつも外野でした。
腕相撲は女の子に負けます。

ほんとに兄弟なんでしょうか。


2003年06月19日(木) フィールド拡充


友達のBやんのライヴに行ってきた。

Bやんの誕生日だったので、プレゼントに
マルボロライトをワンカートン買って行った。
ライヴが終わって、出待ちして渡した。

思ったより喜んでくれたので成功。
値上げ前のタバコは価値があるんでしょーかね。
ヨカッタ。


想像力のフィールドを拡げたい。
よりエロになりたい、ということでなく。


2003年06月18日(水) 街の道に無知な人並み


モノクロ写真の授業を受けている。

必修科目なので、とくに疑問も持たず出席している。
というのは大嘘で、登校拒否したくなるくらい苦痛だ。

週に五本撮影、現像、プリントし、テーマは自写像で、毎週コンタクトを提出。
フィルムはコダックT-MAX400を200で現像指定。
独自の現像方法まで決められている。
教授が見いだした答をなぞるだけ。
早い話が徒弟制度ってやつだ。

そもそも、実家通いの人は家族の肖像で、一人暮らしは家族がいないから自写像。
なんだかめちゃくちゃである。
どうしてこのフィルムを使うのか、どうして自写像なのか、
どうしてモノクロオンリーなのか。どうして・・・。
その辺のアプローチがまったく欠如したまま、授業は進んで行く。
訳も分からずただ仕事をこなすだけ。面白いと思ったことなど無い。

アプローチとは、作家の内面の個人的思考と経験によって導かれるものだ。
作家ではないぼくら学生は、作家に必要な眼とハナを身に付けたいのだ。
であるからには、人の見いだした方法論をただ享受しているってのは問題だ。
そこに疑問を持つこと。
で、取捨選択をすること。
デジタル写真の小林先生と話していると、モノクロ授業が霞んで見える。

モノクロ現像は好きな方だ。
だが、今の授業は苦痛でしかない。
モノクロ写真ではなくて、モノクロ授業。
それゆえに、今日もデジカメ片手に街に出る。
すーっとする。

でも、大学は単位を基準に動くから、休んでばかりでもバツが悪い。
げんに今日も、助手さんからの督促状が皆に同報メールされた。
行かなくてはと思いつつ、また意味不明の講評をされるのかと思うと、憂鬱。

先週言ってたことと違いますよ?
その写真を駄目だとおっしゃったのは先生じゃないですか?
今日は褒めてくれるんですか?

そんなこと言えねー。


自分に自覚的であること。その眼を絶やさないこと。


2003年06月17日(火) 定期で校区外

生まれて初めて定期を作った。

魔法のカードと言ってもいい。
どこへでもタダで行ける。
ついつい、学校帰りに中野まで行ってしまえる。
新宿で紀伊国屋に寄れる。高円寺でシャツが買える。


見たことはないけど戦後のヤミ市の子みたい。


2003年06月16日(月) 校門前にて


変な顔しかしてくれません。


2003年06月15日(日) 我は海の子





なくしたメモ帳が出てきた。



ぎっしり。

気持ちいいなぁ。

入院していたころは空白だらけで、
たまに「○○君お見舞い」と書いてあるだけだった。



風神亭で、小林のりお先生と大嶋浩さんとを囲んで飲んだ。

bug trainの永沼敦子さんも来ていたし、多摩美の友人河原隼平も気を吐いてた。

アグレッシブな一日になった。



webという海に放り出されて半月が経つ。

確実になりつつあるものがある。

webは使える。

少なくとも写真との相性はいい。



さて、今日の予定はやっつけ仕事のアルバイトです。


2003年06月13日(金) mass psychology


mass psychology 集団心理

ここ何年かで、日本は大きく様変わりしてきたと思う。
恐怖とか、不安によって。

日本は世界で唯一の原爆被爆国で、
他国には無い恐怖を味わった経験がある。
しかしここ数年の日本ときたら、また別の脅威というか、
妙なものを経験してきている。と、すごく思う。
その正体はと言えば、あんまり大声では言えないが、
ずばり、カルトだ。

初めは、異臭騒ぎだった。
それはオウムという奴らで、日本中が恐怖と言うよりも
狂気に満ちた日の始まりだった。で、それからはもう、
なし崩し的にいろんなものがワンサカ出てきた。

麻原、ヘッドギア、サリン、ライフスペース、定説、クローン人間、白装束、北朝。

カルト集団のお祭りだ。
集団の歪みを、これでもかというほど見せられた。
それに群がるマスコミも、テレビに釘付けになる大衆も、集団の歪みを
形成している。日本人は確実に「おかしなもの」への免疫というか、
慣れが生まれてきていると思う。へんてこなものに慣れちゃった。

だって、あんまり驚かなくなってきたもの。
強くなったってわけじゃなく。

集団心理、思想教育。
恐いのは、それと気付かず受け入れてるとこだよな。


2003年06月11日(水) 事故 死

ついさっき、ベランダの向こうから車のぶつかるような音がした。
何事かと思い外に出てみると、タクシーと原付が、うちの前の交差点でぶつかっていた。

よろよろと路肩に寄せるタクシー。雨の中、転んだバイクを起こす少年。
幸い、けが人はいなかったようで、つかの間のギャラリーも慌てることなく
ただただ、傍観者に徹していた。なんとも呑気な眺めだな、と思った。
それでもバイクは前面が大破し、少年は何か怒っているように見えた。

死ななかっただけましだと思え。
そう思った。そう言ってやりたかった。

ここの十字路は、僕が引っ越してから四年間で幾度と無く事故があった場所だ。
魔の十字路と言ってもいい。
実際、この角で死んだ人が、僕の知っている限りで二人はいる。
今でも時々、花がたむけられているのを目にする。
ぐちゃぐちゃに凹んだ自動車を見たこともある。あの運転手は、
今も生きているのだろうか。 そういう場所である。

ぼくのおじも、僕が生まれる前に交通事故で亡くなった。
僕自身、昨年は電車にはねられそうなところを助けられた。
ひとはいつ死んでもおかしくないし、死ぬほど危険な目にあったことは、
誰にでも一度や二度はあるだろう。使い古された言葉だが、
人は常に死と隣り合わせなのだ。 

だから、バイク少年よ、死ななかっただけでもましだと思え。


2003年06月10日(火) 加藤事件

忌わしき加藤事件について、書こうと思う。

あれは僕がまだ浪人生(19歳)だった頃のことです。
上京して約1か月が経ち、予備校の生活にも慣れた僕は、
昼休みに、一度家に帰ろうとしました。
多分、何か忘れ物でもしたのでしょう。
幸い予備校から歩いて五分ほどのところに住んでいたので、
昼下がりをのんびり歩いていたように記憶しています。

家まであと数メートルのところで、事件は起きました。
見ず知らずの若者が、やぶからぼうに声を掛けてきたのです。

「おい、おまえ加藤の弟だろ?」

僕は人違いをされたんだなと思い、「違いますが」と答えました。
すると、男は眉間に皺をよせ、凄んできたのです。

「加藤の弟だろうがよ?!あん?加藤の弟なんだろうがよ!!」

高校生くらいに見える男は、そう叫ぶなり僕のシャツを掴み、
突然僕を民家の壁に思いっきり押し付けました。

何かものすごく面倒なことに巻き込まれている・・・。

男はかまわず続けました。

「いいから金出せよ、カネ!」
「だから違いますって!・・・僕は・・・僕は伊藤ですっ!!」

微妙でした。

加藤じゃなくて伊藤。

我ながら情けない抵抗に、思わず死か何か、
そういうものを覚悟しました。

このままではやられてしまう。
しかもその日は、なぜだかまったく分からないのですが、
財布には三万円も入っていたのです。
取られてたまるか・・・。
そう思った僕は、押し付けられた壁の先に見える、あるものに
すべてを懸けました。

そう、それはインターホン

一瞬の隙を見て、僕は必死で壁のインターホンを連打しました。
ピンポンピンポンピンポン、ピンポーン。。。。

「どなたぁ〜?」  ・・どたどたどたどた。

何とも間の抜けた主婦の声に、さすがに男も驚いたようで
「ちっ!」
そう吐き捨てて、奴は駅の方へと走ってゆきました。

残された僕も逃げたことは、言うまでもありません。
男への恐怖と、主婦へのうしろめたさというか、なんというか。

結果的には、とっさの機転(?)で助かったのですが、
恐さのあまり、その日を境にヒゲを伸ばしはじめました。
加藤の弟対策です。

きっと、立川には僕によく似た「加藤の弟」といういじめられっこが
住んでいるに違いない。ならば、僕はヒゲを生やそう!

名案だと思いました。
しかし、それから数日後、再び僕は別の高校生に絡まれます。
今度は四、五人で。
「加藤の弟なんじゃねーの?」「だよな」「だな」

今度ばかりは睨み返してやりました。
すると、奴等は「・・・違う、かもな・・」とか言って
どこかへ行ってしまいました。
めでたしめでたし。

これが、忌わしき加藤事件の詳細である。


2003年06月09日(月) わからないこと


女性というのは未知の生物だ。

おんなという生き物は、子供を産む。
産める、と言った方がいいのかも。
子供を産むと、何かしらの考えというか、スタンスみたいなものが
変わると言う(変わらない人もいるが)。
それは、男にはどうしても経験の出来ないことで、
ひとはそうそう変われるもんじゃないけれど、女は
子供を産むと、何かが確実に変わると思われる。

数年前、歌手の椎名林檎が子供を産んだ。
「人生を切迫して考えなくなった」らしい。
子供を産んで何かが変わるのと、女が「女になる」の「変わる」は
だいぶ違うのだろう。しかし、どう違うのか。

女が女になるというのは、何度か目撃したことがある。
しかし、それは一時のものでしかなく、子供が出来るのとは
根本的に違う。ように思う。
子供を産む機能を持っていることも凄いが、それがその人すらも
変えてしまうというのが恐い。

じゃあ、結婚した時の妻と出産後の妻は別人なんだろうか。


とりあえず椎名林檎はこう言う。
「体重が増えたとか、そういうことでしょうか」

そういう変化はしてほしくないものだ。


2003年06月08日(日) 昔話と昨日の話

最初の美大受験は惨敗。
浪人時代を立川美術学院(通称・立美)で過ごし、
今の武蔵野美術大学映像学科の自分がいます。


ほんと、立美講師の方々には申し訳ないほどさぼってました。
親にも顔向けできないくらい、さぼってました。

さぼって自作自演ビデオを作ったり、写真を撮ったり、
女の子にちょっかいを出してふられたり、美術館に行ったり、
椎名林檎と宇多田ヒカルに会いたい一心で東芝EMIに押し掛けたり、
女の子と朝から弁当作って多摩川でピクニックしたり、
佐内正史とくるりの岸田君のトークを聴きに行ったり、
先輩の浮気疑惑(じゃなくて事実)をもみ消したり、花火見たり。

そういうことで一年が過ぎました。


気が付けば偏差値は35のまま。
偏差値35からの大学受験じゃなくて、偏差値35の大学受験。

そんな僕が武蔵美の受験を終え、立美に帰って最初にやったことは、
なんと英語の勉強でした。遅いっちゅうに。いや、来年のために。

戦友のK君に笑われました。

でも、結果は合格でした。恐いもんです。
英語がどうして通ったのか、未だに謎です。

それ以外は、論文だったり実技はものすごく自信があったので
「これで俺を落としたら武蔵美はバカだ」とか言ってました。
英語の不出来は忘れていました。

でもこういう、立美的には変種の僕は何の参考にもならないどころか、
むしろ悪影響なだけなので、新入生用のガイドブックには掲載されませんでした。


立美にはほとんど行かなかったけど、立美は好きです。

立美にいなけりゃ受からなかったのも事実だし、
面白い友達にも会えなかったし、ここまで写真好きにはならなかったかもしれません。

ほんと、出会いの場だと思えばいいです。出会い系学校。
実はこのことの方が、合否以上に大切だったりするんだなぁと、しみじみ。


問題は課題で、受験が迫ってきた頃は「今日は1位を取ってさっさと帰るぞ!」と
言い聞かせた日だけは1位になってました。でも、早く帰らなくてもいい日は
「じっくり練るぞ〜」とか思って、低い評価をくらったもんです。なぜか。

短時間が向いてたのかもしれません。だから受験でもささっと出来たのかな。

受験当日の実技試験は、どういうわけか10分くらい余っちゃって、
後ろのS君に話しかけたりしてました。S君はまだ終わってなかったので
相当ウザかったと思います。ごめん。S君は別の大学へ行きました。ごめん。


立美はひとつの財産だと思います。
けど、ほんと課題の点数はひどかった。

一回、先生に「ソレ、捨てた方がいいね」と言われて、
まったくだと思った僕は画用紙を破り捨てました。4点とか。

「五感を全て使って物語を書け」という課題なのに、「聴覚 無し」と
書いて怒られました。ここまでくると馬鹿だな。


ま、こういう話はいくらでもあるので、この辺でストップします。


ところで昨日も、べーやんと外食。
三日連続です。

チーズフォンデュにオムライスに沖縄風豚の角煮。。。
どれも美味でした。

そもそもは、「エクスペリメントイ」というバンドのライヴを見るために、
渋谷に行ってきたのです。めちゃくちゃかっこよくて、鳥肌が立ちました。
凄かったなぁ。ギターもドラムも、もう壮絶。ため息が出ました。

あんな素敵なバンドを紹介してくれた彼女に感謝です。


2003年06月07日(土) 眼の人・耳の人




今日もバイト明けに
べーやんこと林部サンと大戸屋でごはんを食べました。
うなぎ茶漬けはおすすめです。


そのとき彼女が話してくれたんですが、
人間は「眼の人」と「耳の人」の2種類に分けられるらしい。

例えば、書き言葉と話し言葉のどちらがよりイメージをかき立てられるか?
で、その人が眼の人か耳の人か分かれるらしいのです。

僕は前者です。
べーやんは後者で、やはり仕事で音楽をやってるだけのことは
あるということでしょうか。眼の人は、視覚的イメージの増幅に重きを置き、
耳の人は言うまでもなく聴覚に重きを置くらしいです。


面白い例えがあって、
蕪村が眼の人で、芭蕉は耳の人らしいんです。
確かに芭蕉の俳句は音を感じます。蛙だったり水だったり。
残念ながら与謝蕪村はよく知りません(調べてみます)。


音というものは、それだけで時間を表すものでもあります。
音が流れるというのは時間が流れるとイコールですから。

対する視覚というのは、瞬間・空間を表すものです。
なので、写真をやっている僕は眼の人ということでもあるのかもしれません。


小説とかわりと好きで、電車の中でよく読むんですが、
そういうのもどちらかというと眼の人の方が得意らしいです。


要は、何を起点にイメージを増幅するかということでしょう。


2003年06月06日(金) Optimistic

キャノンのEOS10Dを買った。


ミノルタのαー9を売って。

すこぶる綺麗に撮れる。

デジタルに移行しているように思われるかもしれないが、
ペンタックス67も健在なので、暗室がなくなることは無い。

デジタルだの銀塩だのの区別は無く、写真が楽しい。



進級展の構想が固まりつつあります。

内容は企業秘密だけど、写真を2メートルくらいに引き伸ばします。
楽しみだなぁ。ワクワクする。



バイト明けにべーやん(彼女の友達)とメシを食ってきました。
仕事上がりのカレーはうまかった。



先日、東写美で荒木展を見てきた。

ものの10分ですべてを見終えた。
それなりに面白いが、昔ほど好きじゃなくなっていた。

ついでに、下でやっている大学生の展示も見た。
ものの5分で見終えた。
二人くらい面白い。残り痛々しい。


一緒に見た先生がこんなことをおっしゃった。

「生け花とか書道展を見てるような感じだったね」

これは最近の写真展全てにいえる。

ただ貼ってるだけ。展示してるだけ。

伝統芸能みたいな格式を目指しているのかは知らんが、
つまんないことは確かだ。


インクジェットプリンタ、プロジェクタ、いろいろ冒険する隙間はあるだろうに。

そういう機材に走ることを推奨しているわけではないが、印画紙を額装して
そこに置くだけでは、もうぼくらの眼には何も映らないんじゃないかなぁ。
ただの羅列ではね。

難しいけど。

お家芸としての写真。うーん、ちょっと。


2003年06月05日(木) ドッペルゲンガー


友達から借りたデジタル一眼レフで、

そいつがトイレに行ってる間に勝手に撮った写真。


向いてるかも。


2003年06月04日(水) 壁の向こう側の貴方へ


デジタルカメラで撮られた画像が、
そこかしこのWeb Siteでアップされてゆく。

これらの画像は、はたして写真なのだろうか。

紙媒体に変換されるわけでもなく、
その僅かな命をまっとうするだけの画像たち。

そこには確かに、よく小林先生が言う「はかなさ」がある。

しかし、問題はこれらの画像が写真であるか否かではない。
そんなことはもっと偉い評論家が考えればいい。

では、ぼくにとっての問題はどこにあるのか。

端的にいうと、デジカメの画像は誰のものか?
と言えるかもしれない。

デジカメ写真におけるアイデンティティ。


親友小西俊也のサイトはほぼ毎日更新されている。
その日撮られた「写真」が、ボコボコとアップされゆく様は、
見ていて気持ちのいいものである。

が、それを見ていた別の友人が、こんなことを漏らした。

「どれも一緒に見えるね、他のデジタルで発表してる人たちと」

…確かにそうかもしれない。

この現象は、何も小西俊也に限ったことではない。
たかだか300〜400万画素のデジタルカメラは、
フィルムと違い、色味の癖であるとか、質感の違いを
表すほどの幅を持たない。幅のない写真。

それ故に、風景、人物を選んで撮ったところで、
どれもある程度似たものになってしまう。


しかし、ぼくはこのデジカメの幅のなさが好きだ。
妙な私的情緒を排除してくれるし、写真とは
ただのコピーであることを教えてくれるからだ。


コピーはそれ以上でもそれ以下でもない。
他人といくら似ていようが、そんなことは承知の上なのだ。
その視点に立ったところから、違いも浮き彫りになってくる。


人の生活なんてどれも大差ないと思えることがある。
とはいえ、その視点は千差万別である。
だから、小西俊也の写真は誰に似ていても構わない。


繰り返すが、似ていても「同じ」にはなり得ないし、
銀塩にありがちな嘘の個性を押し付けられるよりは潔い。


銀塩を否定はしない。
現に今日もペンタックス67で撮影してきたばかり。
ただ、デジタルのあり方も、
もう少し認めてもいいんじゃないか。


オリジナルという概念の持たない、
デジタルの自由で儚い命を、ウェブが紡いでいく。
やってみると、この相性は思ったよりいいみたいだ。


2003年06月03日(火) 校区GUY

ここのサイトの名付け親に、次は校区GUYにしろと言われた。

丁重にお断りしました。誰だよ、GUYって。




病院は久々で、改装してました。

そのあと東京タワーまで歩いて、タワーの中で
写真を撮りました。けっこう疲れた。


その後は六本木ヒルズで、大学の先輩の荻野さんが
展示プロデュースに一枚噛んでいるという展覧会に
行きました。展示作品自体は目新しくもなく、
普通だったんだけど、見せ方の勉強にはなりました。


水曜には東写美のアラーキー展に行くけど、
そこでもきっと、写真の内容よりも、
展示方法を見ようとするでしょう。

進級展に役立てるために。


↑名付け親。


2003年06月02日(月) 日記



こないだ、N氏にここの日記を「闘病日記みたい」と言われた。

確かに、タイトルとか内容がそれっぽいかもしれない。

困った。そんなつもりはないのだが。



日記は小1の時から付けていた。

中学に入って、めぞん一刻という漫画の感想を日記に書いたら、
先生の食い付きがよくて、嬉しかったのを今でもよく憶えている。


「今日は5巻を買いました、五代君が骨を折りました」

みたいな。



高校に入ってからは、日記が手紙に変わった。

だから手元には残っていない。

手紙を回すのは、高校ならではだった。


浪人時代は手紙から写真になった。

とりとめもなく撮り続けた。吐いて捨てる程撮った。

実際、捨てたりもした。もったいない。


そして今、写真がデジタルになろうとしている。


もはや廃棄ではなく、消去である。








せめて、webに流そう。


辛いことは皆、webに流そう。

みたいな。


2003年06月01日(日) There There

明日は病院で診察です。

新橋まで行かなくてはならない。

ささやかな楽しみとして、タクシーに乗るというのがある。

病院まで歩いて間に合わない時、あっけなくヘイ、タクシー。

片道660円のドライブは気持ちいいです。

今頃みんなは学校で授業なんだろうなぁとか思いつつ。

もうひとつ、ささやかな幸せとして、

看護婦さんというのがある。

これは存在だけで十分です。

最初の診察で「気力で歩いてたんですか?」と

聞かれたのが、今でも忘れられません。



くるりの「図鑑」を聴いてます。

名盤だと思います。くるりはどれも好きで、

ライヴにも行きました。震えました。

RADIOHEADも好きです。

ライヴにも行きました。泣きました。

新譜「There There」は傑作です。

プロモがまたいいんです。

明日のタクシーの中でも聴くでしょう。



診察が終わったら、六本木ヒルズに行きます。

先輩が展覧会を開いてるそうなので。




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