情けないね
この数年の病気。
子宮癌、十二指腸潰瘍、出血性胃炎。
子供の頃からの持病。
腰痛、坐骨神経痛。
その他。
首の靭帯が前後にずれている。
異常な肩凝り。
手の指のむくみ、膝痛。
5月から続く微熱。
今回、新しく顎関節症が加わった。
重病でなくても、種類が多ければ気が滅入る。

大きな病院は嫌い。
待ち時間が長いから。
大学病院は嫌い。
学生に囲まれるから。

整形外科、カイロプラクティク、鍼、温灸鍼、整体
マッサージは腰痛の治療で通った。
内科では、横行結腸の痙攣性萎縮だと言われた。

病院も薬も点滴も嫌い。


イライラせずにゆったりした気持ちで過ごせるのは
彼といるときだけ。
その彼に、二度とメールしてくるなと言ってしまった。

一緒にいるとケンカしないでいられるのに。
どうして、嫌なことばかり言ってしまうのか。
痛くて情けない気分の時に、されたことに対して
悲しく思わずに、攻撃的になってしまうのか。

1時間返事を待ち続け、昔されたあれこれが
浮かんできたから。
片手間に扱われたと思い込んだから。
災いを自分から招いている。
彼から返事はない。



2005年07月31日(日)

はやりの病気
このままだと口が1ミリも開かなくなるぞと脅された。
なので、歯科医院の予約を取った。
大学病院の口腔外科に行く前段階としての診察になるか
そこでなんとかなるか。
楽観的になると、あとでがっくり来るので、
口腔外科に回される前提で考えておこう。

とりあえず顎関節のマッサージ方法を教えてもらった。
下顎と上顎の関節の構造まで講義してくれたけれど
ほとんど聞いてなかった。
覚えているのは、顎関節症が大流行してるらしいこと。

久しぶりにヤマからメールが来た。
漢文もどきの件名のおかげで、[MEIWAKU]と括弧つきのメール。
能天気な官能小説を書いたので感想を聞かせてほしい
とあったので、思い切り添削して送り返した。
件名のことも付け加えた。

 いつも使ってるマックが突然アボーン。
 あんな画像もこんなムービーも、今までのメールもすべてアボーン。
 はー、内容が内容だけに、バックアップも無しです。
 悲しいっす。

だそうだ。
心機一転、あんなのも、こんなのも、また収集するがよろし。
私の写真も失ったそうで、これは何よりの朗報かも。
可哀相なので、Sちゃんと撮ったピンボケ写真を
さらに画質を落として添付。

ようやく彼の仕事が落ち着きそうな気配。
ろくでもないことが続いているけれど
一ついいことがあってよかった。




2005年07月29日(金)

痛み
あの年、27日の23時ごろから
押し問答が始まった。

行くから
来なくていい
もう車に乗った
勝手にすれば

28日になり彼が部屋の近くに着いたのは夜明け前。
通りに停めた車と彼の横顔を思い出す。

あの日からいろいろなことがあり、
これからもいろいろなことがあるだろう。

食事の最後に彼が頼んだ自家製プリン。
彼は必ずデザートを注文する。
部屋に戻り、冷凍室のウォッカを飲もうとしたけれど、飲めなかったね。

今年初めての寝苦しい熱帯夜だったけれど
やはり私たちは熟睡した。

彼が白髪を抜いてくれた。
無数にあるらしい。
この1年で急激に増えたみたい。

指を揃えて、縦にして3本から4本、すんなり入る大きさに
口を開けられるのが普通なのに、今は2本でも痛い。
顎関節症とは無縁だったけれど、どうしてだろう。
片側だけが痛む。
先日の地震の日からなのでストレス。
同じ半身が痛んだままなので、ついに。
素人判断は控えて主治医に尋ねないと。

彼が部屋に入ったとき、私の顔を上げてキスしようとした。
私は痛みで顔を上げられない。
背中から肩、首にかけて、顔を引き上げようとすると痛みが走る。

全身ガタガタ。
本当に明日はない。
私を突き落とした張本人は彼。
だから今回は、私の我儘を聞いてくれた?
それとも彼が以前より深く反省した?
二度と私を失いたくないと彼は言った。
なのに傷つけられる回数は、まだまだ多いね。

痛みは嫌い。
身体の痛みより、心の痛みのほうがずっと嫌い。

2005年07月28日(木)

彼の横で
彼は今、ベッドで眠っています。


7月27日零時過ぎ、彼からのグリーティングカードが届きました。
 この日に逢えたから、今の二人がある。

ほとんど眠らず、彼は私の許にやってきました。
私の願いを聞き入れ、今夜は一緒に眠ります。

あの日以前に戻してほしい。
知り合う前に戻りたい。
何度も繰り返す私。
彼は遮ることなく、私の名前を呼び続けました。

別れようと言ったのにどうして?
ようを離さないと決めたから。

声が出なかったのに、話せるようになりました。
口を大きく開けると痛みます。

どうしても今日という日に逢いたいと言われました。
彼と知り合ってから、初めてのことです。


彼の横で今から眠ります。


2005年07月27日(水)

覚悟
モニターにヘッドセットを投げつけたので、2箇所に傷がついた。
これから2日間、彼に連絡を取らないように言った。
3日後逢えるか、残り少ない人生逢わずに終えるかは彼次第。
同じことを繰り返している。
繰り返すなら別れると言ってあったので、そう宣告した。
前回と違う点は私のこれからの身の処しかた。
嘘はつかない。ここで朽ち果てる。
脅しに聞こえるかもしれないけれど、私は本気。
生き恥を晒して永らえるつもりはない。

経済的にどうだろうと、仕事が忙しかろうと、
他に気にかかるものがあろうと、彼の並べる理由は
私には言い訳にしか聞こえない。
前回は、日記に書くだけで彼に伝えなかった。
今回は言いたいことを全部言って決断を迫った。

『明日何が起こるかわからない』
この数年身をもって経験してきた人間に
「いつか」や「これから先」は通じないと彼に言った。
あのときああすればよかった、こうすればよかったと
何度も言われるのはもうたくさん。
私には明日なんてない。
口先だけは、もういらない。
態度で示してもらうと最後通告。

これ以上苦しみは感じたくない。
生きていなければ感じなくて済む。
そういうこと。
昨日のことで這い上がれないほど、叩きのめしたのは彼だ。
何度も気を取り直して、立て直した数年。
もう立ち上がる気力も体力もない。

彼との件で忘れているんじゃないよ。
最期に道連れにしてあげるから覚悟していなさい。
自己破産し、その後も借金まみれのまま。
チャット部屋を作るのは、性欲を満たす男漁りと
金主探しが目的の人間のクズ。
ネットや現実で、生き恥を晒して生きている女。
異論はないでしょう。
自分で言いふらしているのだから。

2005年07月25日(月)

忘れていい
22:00から、この番組を観ていた。
「オレを覚えていてほしい」
異色のインターネット闘病記“ガン漂流”の作者奥山貴宏と
読者850日の対話

この人を知ったのは2004年の夏。
初めてここで書いたのが、『私は ここに いる』
そして2005年4月の『訃報』

さるさる日記の頃読み始め、彼がブログで書き出してしばらくして
読まなくなった。
読めなくなったと言った方が正しい。
1ヶ月か2ヶ月に1度の割合で、サイトがまだあることを確認し
ざっと目を通していた。
亡くなったことを知ったのは偶然だったかもしれない。
いつもは簡単に開くブログサイトが、なかなか開かず
コメント欄がチャットのように増えていくのをじっと見ていた。

そして今日偶然に番組が始まって数分後、チャンネルを回し
奥山さんを見つけた。


夕方の地震以降、私はダメになっていた。
パニックを起こし、ガタガタ震えた。
楽になれるなら病院に薬をもらいに行こうと思った。
ネットで不動産物件を探した。

彼に電話をかけ続け、何度も留守電にメッセージを入れた。
支離滅裂な単語を並べた。
そしてようやく彼からの電話を受け取ったあと、
「もうどうでもいいや」が頭の中にこびりついて離れなかった。

揺れた直後、PCを落とすのに手間取り、テレビをつけ
浴槽に水を張りながら、飲み水をやかんやポットに溜めた。
電気は消えず、水道から水が流れ、ガスも止まらない。

Sちゃんから電話をもらった。
いかれたように洗濯し、アイロンをかけ、部屋を掃除し
タバコを買いに出かけた。
道を歩いていると「普通の日常風景」だった。
車が走り、人が歩き、店には煌々と明かりが点き
ここは違うんだと理解した。

テレビで奥山さんの番組を観て、
死ぬことよりも、忘れ去られることの恐怖が勝ると聞いた。
肉体的な死と、精神的な死なら、どちらが怖いだろう。
癌を宣告されたとき、精神的なダメージが大きかった。
生きられるとわかったときは、何に対しても感謝した。

ここに、こうやって書いていられるということは
前回ほどのダメージはなかったのかもしれない。
数時間前、全てを終わりにしようとしていたのに
今はPCを起動して書いている。
だけどね、もう終わりにしたいんだと、
この考えが拭えない。

奥山さんの最後のブログを、あのとき、私は読んだ。
だけどね、どうしても、今の思考を払拭できない。
私は覚えていてほしくない。
生きていた証もほしくない。
存在理由も存在証明もいらない。
疲れた。

2005年07月23日(土)

恋の始まり
Sちゃんと撮った写真を彼に送った。
彼以外と撮ることが滅多になかったから、
見ながら話していると、彼と行っていない場所に別の人と
写っている自分に違和感。
彼と行きたかったな、彼とここで撮りたいなと思った。 

写真を見て、ように会いたくなったと彼は言う。
毎日話して、毎日メールしているのに。
以前よりずっと逢える回数が増えているのに、私も逢いたくなる。

 明日の夜、コンパに誘われた。

 合コン?いいなー、私も行きたい。

 なんで?

 楽しそう。

 断ったよ。

 あら、ザンネン。

この反応は、女として間違ってるのかもしれないけれど。
合コン、楽しそうだ。

Sちゃんと歩き回ったのが、つい昨日のよう。
友達にDVDを届けたと電話があった。
何度も繰り返し観て、本当に喜んでくれたそうだ。
Sちゃんの始まったばかりの恋も、うまくいくといいな。

彼に話すと、そんなウブな時代のこと覚えてないって。
思い出してほしいです。
Sちゃんは気になる彼に、なんてメールを返せばいいかと
悩んでいた。
羨ましい、懐かしい恋の始まりで
 お母さんは応援するぞ!
と言ってしまった。


2005年07月22日(金)

卓球と富士スピードウェイ
筋肉痛で微熱があるのは、Sちゃんと卓球したせいだと思い出した。
なんだか、あっちこっち歩いて、いろんなことをして、この3日間
のことが細切れにしか思い出せなかった。

卓球したのは、何十年ぶり?
ゲームセンターに入ったのも?
私、上手ですよとSちゃん。
私は下手だよと私。
3ゲームして、1勝2敗。Sちゃんの勝利。

Sちゃんには黙ってたけど、子供の頃、4年ほど卓球をしていた。
最後の10分に、ようやく勘を取り戻したけれど
開始5分から、へろへろだった。
休憩中に一服して、ラケットを握り立ち上がるとふらついた。

楽しかったのは、MegaWeb。
TOYOTAの展示場兼アトラクション。
F1に参戦したTOYOTAのマシーンの展示や
富士スピードウェイの走行が、モーション付きで体験できるシアター
は、もう一度観たい。
レーシングカートを観て懐かしんだり、Sちゃんは動体視力の
ワークアウトをしたり。

帰りたいと言いながら、けっこう楽しんだな。
F1は、ティレルの6輪車時代から知っている。
最近は全く観ないけれど、懐かしかった。
今年もシューマッハ兄が強いのかな。






2005年07月21日(木)

疲労困憊2
初日の昼、テレビで放映された「美味しいラーメン店」に
騙され、翌日は「ラーメン国技館」で巻き返す。
でも、近所のラーメンのほうが美味しいと思う。

今日も全身筋肉痛になりながら、Sちゃんが行きたがった
浅草六区のマーズへ。
水曜定休でお店はやってなかった。
帰りたかったのに、なぜか浅草寺に連れて行かれてしまった。

Sちゃんと仲見世を歩いていると、誰かが芸能人らしい人たちを
撮影中だった。
前日から、フジテレビ、日本テレビとで、テレビづいたというか
芸能人づいたというか、撮影風景を撮影してしまった。


まさにミーハー。
さて、この人たちはどなたでしょう?
知ってる人は知ってるはず。




向こう3ヶ月くらいは、部屋と会社の往復で過ごしたい。
芸能人もテレビカメラも、観光地も遠慮したい。



2005年07月20日(水)

疲労困憊1


午前中にSちゃんを迎えに行き、昼食を食べた後、会社に直行。
滞在予定時間3時間のはずが、Sちゃんの満足する
作品は、深夜過ぎに完成。
11時間かけて、音入れまでして、完成品はDVD。

睡眠時間5時間弱で、翌日はお台場へ。
信じたくないほどの暑さの中、歩き回る、歩かされる。
「笑っていいとも」の収録風景まで、観ることになるとは。
 出待ちしますか?
と、Sちゃんが意味不明なことを言い出すのを遮り
 あれ、ロケ車ですよ
と、言われても、今すぐ部屋に帰れるなら乗せて欲しいとしか
言えないほどヨレヨレ状態。
私は、自由の女神が観られただけで、大変満足。




帰りたい気持ちを抑え、次はヴィーナスフォートへ。
もう一度、フジテレビに戻りたいと言った希望を却下し
部屋の近くの居酒屋で夕食。
前から入りたかった店で、本当に美味しくてよかった。
なぜか深夜零時前、Sちゃんの思いつきで
イラレとフォトショを起動して、DVDケースに入れる写真を作成。
部屋には普通紙しかないと言っても無駄だった。

Sちゃんには、山ほどお洋服を頂いたので感謝。



2005年07月19日(火)

着信音
今夜もSちゃんから電話。
けっこういろんな話をするのに、二人とも適当というか
肝心の「何時に着くか」や「何泊するか」を決めていない。
いつもの私なら、誰かと待ち合わせや約束なら
下調べして、きちんとタイムスケジュールまで考える。

こんな神経質さが、自分を疲れさせるんだけど
Sちゃんとなら、なんとかなるさと思えてしまう。
気楽でいい。

彼から電話。
Sちゃんが来るから、メールも電話もできないよと返事する。
Sちゃんが帰ったらすぐに連絡してと彼。

ケータイの着信音に、未だに飛び上がってしまう。
これも彼に伝える。
ちょっとしたことなのにね。

Sちゃんとどこに出かけようかな。



2005年07月17日(日)

気晴らしになるなら




Sちゃんから電話。
彼女が来ることをすっかり忘れていた。
前に電話があったとき、カレンダーに「仮予約」の印をつけておくと
約束して、ちゃんと書いていたのに忘れていた。

友達の結婚祝いに送るフラッシュ。
Flash MXを教えるのは、やはり無理。
数時間で納得のいくものを作れないだろう。
お手軽ソフトを思い出した。
Mac専用ソフトのKeynote。
MotionやFlash MXよりも、Keynoteのほうがずっと簡単。
久しぶりに使うので、予行演習をしてみた。
4パターンほど、Sちゃんに教えるときの見本に作った。
準備はばっちり、後はSちゃんが来るだけかな。

*** *** *** *** ***

ついさっき彼から電話。
ヤケを起こして、投げやりなことばかりを言う。
こんな時、私は優しくなれない。
 電話切るよ。
 
 そのほうがいいね。

 じゃ。

あっさり私のほうから切った。
数分後、彼からまた電話。
逆切れは納まった? と嫌味を言ってしまった。
うまくいかない時は、うまくいかない。
私と再会してから?
強気と弱気が交互に押し寄せてくる。

1週間でも2週間でも、ずっと一緒にいるよ。
美味しい物を食べ歩いて、楽しいことだけしていよう。
彼の気が晴れるなら、何日だって付き合うよ。
上手に慰められなくてごめんね。

2005年07月15日(金)







小学生の頃、日本文学全集と世界文学全集合わせて60冊ほどを買ってもらった。
とにかく本を読んでいられれば満足だった。
子供向けの小説でなく、単行本、文庫本を読み出した中学の頃、
登場人物の名前に混乱したのが、中国文学とロシア文学。
どちらも確か、幼少期と成人してからの名前があったと思う。
そういえば、日本でも昔の武家は幼名があったな。

ソルジェニーツィン、ドフトエフスキー、トルストイ、チェーホフ。
なぜか、ロシアの作家は読み続けることができた。
中国の作家は、魯迅くらいしか思い出せない。

登場人物の名前がわからなくなり、私はメモ書きをするようになった。
名前、幼名、生年月日。
いつのまにかメモする種類が増えた。
歴史小説を読むときは、相関図、家系図まで書いて、しおり代わりにしていた。
そして、何年何月何日、登場人物に何が起こったか、何をしたかを一覧表にした。

メモする癖は、他の何を読む場合にまでも広がった。
ミステリー、SF、恋愛、法廷、分野を問わず、手許にメモを用意して走り書きする。
今では、印刷された活字だけではなく、Web上に公開されたものに対してもしてしまう。

彼が逢いに来てくれたとき、書き散らしたメモを見つけた。
自分以外が読んでも、なんのことかわからない。
書いた本人でさえ、すぐにはどの話のことなのかわからなくなる。

1年間にどれほど読めるか、やってみたことがあった。
読むスピードは、比較的早いと思う。
1年365日、読んだ本の題名と作者名を書いていった。
285冊。
さすがに、数をこなしただけで、内容をはっきり覚えていない。

丹念に読み込みたいとき、目的があって読むとき。
私はメモでなくノートを用意し、ポイントをメモしていく。
子供の頃からの癖は、今も続いている。


2005年07月14日(木)

予想外の展開

昨夜、酔った彼から電話があったのは
深夜0時過ぎ。
最初は軽口だったけれど、この数日
何度も言われていたことをまた
繰り返し始めた。
それから、話は私たちの今後についての重要な部分へと移った。
私にすれば、全く思ってもみなかったこと。
それも、眠くて寝ようとしていた矢先の電話だったので、
混乱してしまった。

誰かの話がきっかけになって、自分の中に眠っていた思考が
浮かび上がってくる場合がある。
今回の彼がそうだった。
話し終わったのが、2時半近く。
2時間の間、重い内容の話が続いた。

今日、また話し合った。
彼は私の気持ちを知りたかっただけだと言った。
だけど、私にとって180度方針転換しなければならないほどの決意を
見せてほしいと言われたも同然。

すぐに答えは出せない。
2人にとって、よりよい形を考えたいと伝えた。
だから、彼にもお願いした。
再会してからの私は、強く迫りもせず、彼のペースを尊重していた。
これからは、もう少し速度をあげてくださいと。






5日経過。






2005年07月13日(水)

横浜散歩3

Sさんと公園のベンチに腰掛けて、日が落ちるまでしゃべってた。
でも、他のベンチには恋人たちが寄り添っていた。
ベンチでの女二人は、私たちだけだったかもしれないね。







氷川丸も水上バスも観覧車も、みんなライトで飾り付けられていた。
時間が遅くて、ランドマークタワーの展望台に上がれなかったのが残念。

彼に楽しかった1日を報告して、写真を撮ったと話すと
全部送ってほしいと言われた。
20枚近くあるオリジナルの写真を全部見てもらった。
いつか一緒に行こうと約束した。

今夜は彼は友人たちと飲み会。
そろそろ電話がかかってきそう。





2005年07月12日(火)

横浜散歩2
中華街を抜けて山下公園へ。
Sさんはトイレを撮るの?と笑ったけれど、この形はなかなかいいでしょ。
建物を撮る機会が少なかったので、とても嬉しい。
しばらくの間、沖縄のエイサーを演じている人たちを見ていた。
踊り手もサンシンを弾く人も迫力ありました。

海を久しぶりに見た。
本当は、海が怖いのです。
小さい頃、波にさらわれそうになったから。
なぜか砂浜からの海より、岸壁の海が怖い。
足がすくみそうになりながら撮ったのは氷川丸。

夕暮れ時にライトアップしたものを撮ると、あまりきれいじゃないけれど、実物はきれいだった。

歩き疲れてSさんとベンチに腰掛けて、またおしゃべり。
少し離れたところで、ジャグリングしてました。
気がつくと21時前になっていて、私たちは夕食を取るためにランドマークタワーへ。

少し歩くと、道路に埋め込まれたタイルを撮り、また少し歩くと街灯が撮りたくなり。
時間がないのに付き合ってくれてありがとう。
本当に楽しい1日を過ごせた。


*** *** *** ***


楽しい1日を過ごし、本日のご訪問。エリスさん

00:35
07:14
09:28
11:26
11:33
11:48
15:07
18:38
18:40

あなた、ビョーキじゃない?

2005年07月11日(月)

横浜散歩1
Sさんと一緒に横浜へ。彼女に会うのは4ヶ月ぶりかな。
駅のホームまで迎えに来てくれて、ありがとう。
身体にまとわりつくような湿度の高さと、中華街独特の熱気を感じながら歩いた。
まずは中華街の入り口近くのオープンカフェで、おしゃべりに花を咲かせた。
女が二人でいると話が尽きない。
ほんとに二人ともよくしゃべった。
私の愚痴を聞いてくれて、ありがとう。
通りに面したショップに入り、雑貨を見るのは楽しい。
横道に入り、ランチタイム。
どこに入っても美味しいですよとSさんが言ったとおり、本当に美味しかった。



昼食の後は、またぶらぶら歩いて、横浜大世界へ。
どの店の前で立ち止まっても、大変な勢いで商品説明を始める。
ぼーっとしていると、勢いのある売り口上に負けてしまいそうになる。

京劇の衣装を着て写真を撮るコーナーがあった。
着てみたかったけれど、本当に着たかったのは展示してあった本物のほう。
レンタルにしても、展示してある衣装にしても清潔さに疑問点。

チャイナドレスを売っている店や甘栗を売っている屋台。
見るもの全てが珍しく楽しかった。





2005年07月10日(日)

恐れずに

美容院で髪を切った後、肩や首の凝りをほぐしてくれる。
 これだけ凝ってる人は久しぶりですね。
そろそろ限界かな。
痛いのを通り越して、重い。
近くでマッサージしてくれるところはたくさんある。
たくさんありすぎて、どこに行けばいいかわからないほど。

どこにしようかずっと迷いながら、自分でストレッチをして誤魔化していた。
美容院での一言で、勢いをつけて、ハズレてもいいとマッサージの店に入った。
どこを重点的にしましょうと最初に聞かれ、肩と腰をお願いした。
 こんなになるまで、いつも我慢してるんですか?
どんなことになってるのか私にはわからないけれど、普通じゃないらしい。
肩は少々力を入れても感じないほど、ガチガチ。
反対に腰は、その5分の1でも飛び上がるほど痛い。

マッサージしながら業界裏話をしてくれた。
マッサージの免許を持っていない人を雇う店は、
「マッサージ」の文字を使えない。
だから「癒しの空間」「リラクゼーション」と書くそうだ。
「癒し」を売りにしたり、連呼するのは胡散臭いということだ。

だけど免許が無い、つまり専門学校で学んでいない人でも
技術がある人もいるらしい。
知識は無くても実技は得意って、わかる気がする。
昔、無資格のカリスマ美容師もいたことだし。

資格があっても、事故は起こる。
だから損害保険に加入する。
加入できなくて、事故を起こし、裁判沙汰になる人もいる。
だけどね、みんな貧乏だから支払えないんだよね。
怖い話だ。

自分の起こしたトラブルなのに、ない袖は振れないと開き直る。
そして、騒ぎがおさまると、別の場所でまたそ知らぬ顔をして再開する。
されたほうは、疲れて諦めるか、どこまでも食い下がるか。
現実も仮想現実も、人としてどう振舞うか。

ロンドンでの多発テロ。
地下鉄に乗るのが怖い。
自分は何もしていないのに、突然降りかかる人災や天災。
だけど部屋に篭っていても何も生まれない。
なるようになるさと外に出よう。




2005年07月09日(土)

中傷ー今後
井戸端会議や近所の噂話にも、有益な情報が含まれている場合がなくはない。
結婚している期間や子育て中には、噂話に参加したこともあった。
ところがこちらでも書いたように、横方向のおしゃべりは、今回の場合役には立たない。

また、独り言というものは、相手がいない呟きでしかない。
昨日書いたように信じられないほど大量のサイトのため、それらにつけられた名前を覚えていない。
それらに付随したBBS名、チャットルーム名、メルマガ名も同様。
ここ
中ほどで、エリスさんのケータイメルマガについて触れたが、私は読者登録していない。
人づてに概要を聞くのみで、転送してもらうこともない。
ネット上には、インターネット図書館があり、明治大正期の国文学を読むことができる。
先日は、青空文庫で太宰治の短編「愛と美について」を読んだ。
上質な作品を手軽に読めるのに、わけのわからない戯れ言を申し込んでまで、私は読まない。

私が読んでいるであろうと勝手に思い込み、私に伝わればよいと思われる内容を配信したらしいが
それは甘ったれたご都合主義だ。
言いたいことがあれば、私に対してはっきり理解できるように言えばよかった。
それをせずにいたのは、彼女の責任であり、勝手だ。

私が最初求めたのは、謝罪だった。
私が彼女に送ったメッセージを転記する。これはmixiのメッセージ機能を利用して送ったものだ。
一部伏字にしている。

--:--:--:--:--:--:--:--:--:--:--:--:--:--:--:--:--:--

宛 先 : エリス
日 付 : 2005年05月28日
件 名 :先日来からの件について。

そちらから一言の謝罪もないようなので、こちらから要求します。

あなたと○とのやり取りを詳細に聞きました。
○の怒りが、あなたにはうまく伝わらなかったようですね。
それどころか、○があなたを誘惑しようとしているかのような、
自己本位な想像を「エリス日記」で、ネタとして扱ったことを遺憾に思います。

また、私がどの点について怒りを覚えているのか、理解していないようです。
○にメッセを送る際「内緒で」を強調し、執拗に繰り返した点です。
これでは下心があると勘違いしてほしいと、思われても仕方ないでしょう。

あなたは、私と○に関して、よく知っている人間の一人だと言えます。
それを知った上で、「内緒にしてほしい」と言ったのは誤解されて当然です。

内緒にする理由に、私が絶対に会わせないと言った言葉の重みを感じたそうですね。
もし本気でそう感じたのであれば、ネトラジのことにせよ、
○に尋ねるのではなく、ネット上の他の知り合いに尋ねるのが筋でしょう。

あなたがmixiでどういった行動を取り、誰と交流しようが私の関知する
ところではありません。
以前にも「あなたの好きにすればいい」と言ったはずです。
ですが、今回の件ででしょうが、あなたのマイミクの●なる人物が
毎日、私のところに足跡をつけているのは不愉快です。
ですので、この人はアクセス禁止にしました。

私があなたをmixiに招待したのは、間違いでした。
ですが、招待された者、した者同士は、マイミクを切れないと規約にあります。
今回の一連の件で、私はmixi事務局に通報しました。
事務局から強制退会させられる前に、自主的に退会することを希望します。
また、私に対する謝罪を要求します。

あなたの独特な助詞の使用による、自分に落ち度はないかのような
ややこしい表現、及び言い訳は、全く必要ありません。
またこの件が終了次第、ネット上であれ、実生活上であれ、
交流を断たせていただきます。

本当に情けない。
これほど学習しない人を、見誤った自分に対しても憤っています。

--:--:--:--:--:--:--:--:--:--:--:--:--:--:--:--:--:--

このメッセージに対する返事は受け取っていない。
彼女が退会したのは6月6日だ。
そして、ようやく彼女からメッセージが来た。

以下引用

差出人 :エリス
日 付 : 2005年06月05日 04:01
件 名 : こんばんわ
お世話になりました・・

引用終了


彼女は言葉に思いを込めることを目指しているようだが、
立派に悪意が込められた一行メッセージで、彼女の目的をやや果たしている。
私の神経を逆撫ですることが目的であるならば。
大きなお世話だが「こんばんわ」ではなく「こんばんは」が正しい。
文字を習いたての幼稚園児のような書き方が、痛恨の一撃にはならなかった。
反対に彼女の国語能力の無さを露呈している。

話を戻す。
ネットでのトラブルはネットで解決する。
悲壮な決意を装い、安っぽいメロドラマの主人公を演じても
私には伝わらない。
彼女からのメールは受信拒否している。
今となっては、メールで口先だけの「ごめんなさい」は必要ない。
行動で示してもらう。

1.マイプレスの「エリス日記」とライブドアブログ2つ、あわせて3つのサイトと
ケータイメルマガで、私に対する謝罪文を掲載及び配信。
2.2週間、削除修正せずそのままにする。
3.2週間後、この3つのサイトの完全削除とメルマガ発行停止(中止ではない)
4.「エリス」のHNを今後一切使用しない。
5.yahooID:erisu_kissとxx_erisu_xxを削除。(プロフィールを非公開にすることではない)

以上、5点を要求する。

解離性同一性人格障害の診断を下されたわけでもないのに、
「5つの人格」を持ち、ネットで自分を表現してきた彼女らしいので、
またこれから、彼女が言うところの別人格を出現させればいい。
なんなら妙音菩薩に戻ってもいいだろう。
この菩薩様に対する不敬にあたるかどうかは知らないが。

『またこの件が終了次第、ネット上であれ、実生活上であれ、
 交流を断たせていただきます。』

まだ、この件は終了していない。

2005年07月08日(金)

中傷ーそれから2
昨日、私があそこまで書いた理由は、自分の汚名を晴らすためです。
ケータイメルマガ内で不特定多数の読者に対して、私を中傷したことは
許せません。
発端と言えるmixi内での一件だけでは飽き足らず、この2ヵ月
次から次に怒りをかきたてられました。

その一方で、彼女は「エリス日記」の過去日記を隠し、修正し
2つのヤフープロフィールを書き換えました。
表面上、日記、ブログは更新せず、
ヤフーチャットルーム音楽カテゴリーで「エリスの部屋」を開いていました。

私はこの日記で、マイプレスのエリス日記と、ライブドアブログの
2つのurlを書きましたが、ほぼ全てのサイトアドレスを把握しています。
彼女自身、忘れているかもしれないものも含めてです。
マイプレスで、あと2つ。ライブドアでもう一つ。
過去の@ダイアリーでの日記2つ。
オンラインショップ2つ。
彼女の「もう一つの顔」で作ったサイト多数。
それに付随するありえないほどの数と種類のBBS、チャットルームなどなど。

怒りを通り超して呆れてしまいました。
ホームページ作成マニア?中毒?
一人の人間が、これだけ大量のサイトを作って放置しているのを見たことがない。
個人情報漏洩の危機意識もなく、管理能力もないのでしょう。

私はこれまで何度も書いたように、ネットでのトラブルはネットで解決します。
彼女は、今現在も、自ら個人情報を撒き散らしていることに気づいていない。
破滅への道を転げ落ちたいのでしょうか。

追記:
7月6日付の日記で、「このページの中で、あなたが公開した家族写真を家宝に
すると書いている人が何人もいる。」と書きましたが、これは間違いですね。
正しくは、不倫日記サイト集15の続きに書き込まれています。
彼女がこの続きを読みたいなら、自分で探せばいいでしょう。



2005年07月07日(木)

中傷ーそれから
妙音菩薩ね。
私は日蓮宗にも法華経にも縁遠いから、検索するまでは知らなかった。
このHNに覚えがあるでしょう?エリス日記のエリスさん。

私が先日日記で、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」と書いたのを、ただのこけおどしだと思っているのかもしれない。
あなたは、知らんふりをしているようだけれど、毎夜、この日記を見に来ていることはわかってるよ。

ここに2002年6月の日付が明記されたサイトアドレスがある。
自分を振り返って、この当時を思い出してみた。
癌検診を受けた結果、子宮癌と診断された。
そして、2002年7月に入院、手術をしている。
まだエリスというHNを持つ女性とは知り合っていない。
幸いなことにエリスという女性と知り合ったのは、mypressがヴァージョン2になって間もない2003年4月以降のことだ。

不倫日記サイト集15
これは2ちゃんねるのスレッドの一つをhtml化したものらしい。
このページの535番目(2002年6月7日)から、騒ぎは始まっっている。
リンクしている妙音菩薩のHNで書かれていた不倫日記はなくなっている。
だけど、このページにリンクしてある複数のサイトアドレスは、今も
アーカイブを通すと、ほとんど見ることができる。
「日本のどこか」どころか、住所、子供のフルネーム、自分のフルネーム、
写真まで公開していたようだね。
そして、それを公開しているサイトと、赤裸々な不倫日記を平行して書いていたのね。
本当に驚かせてくれる。
2002年6月のこの騒ぎを読んでいくと、2ちゃんねるのこのスレッドに
集まった人に、どれだけあなたが救われたか知れない。
感謝すべきでしょうね。
なのに、この3年、何も進歩せず学ばず、2ちゃんねる用語を使うことだけを覚えたようだ。

このページの中で、あなたが公開した家族写真を家宝にすると書いている人が何人もいる。
2002年6月に、子供を平気で犠牲にするような女と、知り合わなかったことを感謝したい。



2005年07月06日(水)

無音の会話
今日は彼が煮詰まってる様子。
気分転換に行って来ると、声に元気がなかった。

テレビを観終わってPCをつけると、彼からメール。
10分前に送信している。
なんでケータイじゃないんだろう。
ボイスでなくて、久しぶりにメッセンジャー。
これにも違和感。
しんとした部屋で、キーボードを打つ音だけがする。
彼は気分転換できたようで、楽しそう。

話していると次々に言葉が浮かぶのに、
画面に現れる文字に返す言葉が、なかなか浮かんでこない。


*** *** *** *** ***

彼の書いた一言が引き金になり、どんどん険悪になっていった。
浮かぶ言葉がなくなってしまい、真っ白になっていく。
そして、呆れたような開き直った彼の一言で、暴発した。
それだけしか浮かばなくなった。
また始まった。
ちゃんと自分でわかっているのに、それ以外浮かばない。
吐き出さないと抱え込んだまま、どんどん大きくなりそれだけに支配される。
言えば彼がどんな気持ちになるかわかりながら、抑えられなかった。

ちょうど1年半前と同じ。
あのときも2ヶ月引きずって、彼が逢いに来た数日後に別れを切り出した。
似たような感覚が押し寄せて、どうしても抜け出せなかった。

4年前に死ねばよかった。
打った後、少し眺めて、いけないダメだと思いながら消去できなかった。
送った瞬間、彼からの返事を見たくなくて落ちた。

1年半前と今との違いは、たくさんある。
あのときは、彼と私だけの問題だった。
私は言いたいことを抱え込んだまま、彼に話さなかった。
今は、テリトリーを侵された。
私の領域に、距離を考えず入り込み、土足で踏み荒らされたことが原因。
彼の顔を見て安心したのに、顔が見えない、声も聞けない状態で、またあの嫌悪感
が襲ってきた。
あんなくだらない女のせいで、どうしてここまで。
一生、憎み続けるよ。
私は決して忘れない。
死んだほうがよっぽどましだと思えるほどの苦しみを味わえばいい。

あの時と違って、今の私と彼には希望があるのに。
明るい場所へ向かって歩き出したのに。
ようやく暗い闇から抜け出せたのに。

私を連れ戻そうと必死になっている彼を信じたい。
彼に逢った直後から好転し始めた現状が、このまま続いていけばいい。
私に逢いに行ったから、いいことが起こった。
彼が逢いに来てくれたから、ほぐれだした。
互いに喜び合った今が続けばいい。

2005年07月05日(火)

ネット散歩
ナスターシャ・キンスキーを扱ったサイトを見つけた。
「テス」「キャットピープル」が懐かしい。
官能的なぼってりした唇、印象的な瞳。
10代の彼女も美しかったけれど、現在43歳の彼女もとても美しかった。
3人の子供のうち、上の2人は映画界からブルガリの社長になった人との子ども。
3人目の子供は、あのクインシー・ジョーンズとの子供と知ってびっくり。
全部のページを観て、管理人は、よっぽど彼女が好きなんだろうと感心した。

管理人の編集日記を覗いて知ったのは、movabletype(ウェブログ構築ソフト)を
使ってブログを作っていること。
ここでもほとんどの話題がN・キンスキーだったけれど、movabletypeの記事を発見。
movabletypeの日本法人のリンクがあった。
去年の春頃から、このmovabletypeを使ってブログを作る人がいた。
プロバイダのほとんどがブログを提供しているけれど、movabletypeを使って自分で
作れる人はかっこいいなと思っていた。

提供元のSix Apart Japanを見ると、Dreamweaverの拡張機能としてのmovabletypeが
先月14日に提供開始されていた。
早速、macoromediaに行って落とした。
ブログサイトで何かを書きたいとは思わなかったし、今も思ってない。
ライブドア、アメブロ、エキサイト、ヤフー他多数のレンタルブログにもあまり関心がない。
だけど、どんなふうに構成されてるのか知りたい。

最近、鬱々していたので気晴らしになることを見つけられて嬉しい。
2000年代に大学を卒業した人が、N・キンスキーの熱狂的なファン?だと知ったのも
不思議だったけれど、ちょっと気になるサイトを見つけて、
どんどん飛んだネット散歩が、最大の収穫になった。




2005年07月04日(月)

ほぐれた心
彼が逢いに来てくれたおかげで元気になった。
迎えに行ったのは最寄り駅まで。
階段を下りるだけで、ふらついて倒れそうだった。
全身が萎えたようで、顔色も悪かったと思う。
起きたのは深夜2時過ぎ。
眠ろうとしても数時間で起きてしまうことが1週間続いていた。

いつものように、少し眠ろうと一緒に横になっても眠れなかった。
その代わり、滅多に見られない彼の寝顔を見つめた。
彼が起きて、限界になったのか一人で横になると熟睡してしまった。
これも初めてのこと。
彼がいるときに一人で眠ってしまうなんて、今までは一度もなかった。
安心しきってるんだと思う。

彼と出かける前に引きずり出した右足は、外を歩くと上がらなくなり
夜には部屋の中も歩けなくなった。
彼に抱え上げられて、部屋の中を移動した。
左半身と右半身を触って、右側のほうが冷たいと彼が言った。
なのに、両手は熱を持って真っ赤になり浮腫んでいった。
分刻みで、身体の変調を見た人は彼が初めてだと思う。

それでも彼は、元気になってよかったと言った。
何かに手を伸ばして支えなければ、立っていられないのにと
元気なのは首から上だけ、と言ったけれど彼の言うとおりだった。
身体は動かなくなっていったけれど、気持ちが明るくなった。
私の心をほぐしてくれる。
本当に嬉しい。



2005年07月03日(日)

寝顔
彼と横になり、初めて眠らずにいた。
彼の寝顔を眺める。
眺めていると触れたくなり、人差し指で唇をなぞる。
なぞっていると触れ合いたくなり、唇を重ねる。
そっと撫でるように触れ合う。
眠ったままの彼は私の唇に応え、身体に回された腕により力が篭る。
そしてまた眠りに落ちて行く。

2005年07月02日(土)

初日 最新

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