ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2026年06月30日(火) どんとこい

曇り日。にわか雨が降ったり薄日が射したりと忙しい空。

気温も29℃と梅雨らしい蒸し暑さであった。


いつもの朝の道であったが思いがけない事がある。

先日散ってしまっていたねむの木の花が満開になっていた。

それはとても信じられないような光景である。

ねむの木の習性には詳しくないが、もしかしたら二度咲く花かもしれない。

何だか夢を見ているような気持になり今朝は写真を撮った。

明日の朝もきっと咲いているだろう。楽しみでならない。


職場に着くと義父がそわそわと落ち着かず

辛い腰痛を抱えながら畔の草刈りに出掛けた。

「やらんといかん」がもう口癖になり決して弱音を吐かない。

痛み止めを飲み過ぎるとまた腸に潰瘍が出来るのではないかと心配であった。

しかし明日からまたしばらくは雨の予報なので今日しかないのだろう。


月末の経理は安泰。取引先への支払いは昨日の内に済ませてあった。

今日は社会保険料の引き落としがあったが預金残高に余裕がある。

おまけに支払いのお客さんが三人も来てくれて大助かりだった。

おかげで資金は潤い奇跡のような月末となる。

母が助けてくれているのに違いないと思う。

きっとはらはらしながら見守っていることだろう。


2時を過ぎても義父が帰って来なかったので目の前が明るくなった。

今日こそはカーブスへ行けそうだ。うきうきと嬉しくてならない。

定時で仕事を終えられるのは久しぶりのことである。

自動車専用道路を時速90キロで走り抜けた。

一週間ぶりだろうか、お仲間さん達と笑顔を交し合う。

もうその時点で昨日までの鬱々した気分はすっかり晴れていた。


しかしカーブスを終えるなり義父から電話があり

同僚の仕事の事で散々文句を云われる。

昼食を食べに帰ったら同僚が車検整備をしていなかったらしい。

明日はまた大型車が入庫するので義父も心配になったのだろう。

とにかく私の段取りが悪いように云うので一気に辛くなった。

農作業に行くなと云うのではない。社長は義父なのである。

同僚に指図をし段取りをするのが社長の仕事ではないだろうか。

全ての段取りを私に任すこと自体が間違っていると思う。

長い電話となりやっと義父を宥め電話を切った。

むしゃくしゃする気持ちのままサニーマートへ行ったら

駐車場でカーブス仲間のS子さんに会った。

今日は来ていなかったので残念に思っていたが

偶然に会えてとても嬉しかった。

「また会おうね」と笑顔で手を振って別れる。

S子さんはいつも親身になってくれて一番好きなお仲間さんだった。


夕食は「すき焼き」に決める。3割引きの窪川牛を3パック買う。

それでも予算オーバーだったが「どんとこい」と思った。

大船に乗った気分でたまには贅沢も必要である。


夫がまるで肉に飢えていたように食べていた。

その口元が気持ち悪くてならない。

昔はキスもしたのにいったいどうしたことだろう。


私は糸こんにゃくと豆腐だけ食べて「ごっちょさん」と席を立つ。

また夫を置き去りにしてしまったが自室に行けばほっとする。


今朝は中学時代の恩師の詩を書いたが

詩人の「高山京子」さんが読んでくれるのをずっと待っていた。

しかしやはり駄目だった。私が期待し過ぎていたのだろう。

「まあそんなもんだろう」と潔く諦める。

期待はしない方が良い。思い通りにいかないことばかりである。

雑魚が鯛に期待するなんて何て愚かなことだろうか。

それよりも雑魚は雑魚らしく真っ青な海を漂うのが良い。


※以下今朝の詩


      京子先生

  国語の授業が大好きだった
  京子先生は物静かで
  大きな声を上げることはない

  騒いでいた男の子達も静かになり
  まるで母親を見るように
  不思議とおとなしくなる

  「幾山河 越えさり行かば 寂しさの」
  京子先生は節をつけて歌ってくれた
  その透き通るような声が教室に響く

  窓から潮風が舞い込んで来た
  海であることは永遠に変わらない

  旅人が仰ぐ空は果てしなく続き
  どれほどの哀しみも癒されていく

  京子先生は歌い終わるとふっと
  遠くを見るような目をした
  少女時代もあったのだろう
  恋をしたこともあったのだろう

  私は京子先生に母を重ねた
  それはとても切ないことだったが
  現実のはざまでふっと夢を見る

  随分と歳月が流れたが
  京子先生の歌声は生涯忘れることはない







2026年06月29日(月) メンタル注意報

概ね晴れ。久しぶりの青空であった。

気温も30℃に達し真夏日となる。

憐れでならないのは紫陽花の花でぐったりとなり

枯れ始めた花は今にも息絶えてしまいそうだった。


元気なのは畑の夏野菜で特に茄子は鮮やかである。

山里の県道の道端であるがまるで一面の茄子畑のようだ。

他人事ながらこれほど植えて食べ切れるのだろうかと思う。

おそらく茄子が大好物なのだろう。それも微笑ましいことだ。

幸いその地区には猿の被害がないようで何よりであった。


今朝は途中でお客さんの家に寄り一緒に職場へ行く。

昨日車のバッテリーが上がり道端に乗り捨ててあると云う。

昨日は日曜日で対応出来ず今朝になってしまった。

職場に着くと同僚が出勤していて三人でその場所へ向かう。

エンジンは直ぐに始動しお客さんは大喜びで帰って行った。

出張料だけのサービス仕事であるがこれも大切なことに思う。


義父はまた整体に出掛け午後から一気に忙しくなった。

例の外車の車検であるがスムーズには行かない。

一時間以上も費やしやっと車検が通る。

義父も同僚ももう二度と御免だとぼやいていた。


二時になっており今日もカーブスを諦める。

書類作成もありとても定時では帰れそうになかった。

潔く諦めた方が焦ることもなく気分的には楽である。

記録簿を書いていた義父が前回の記録簿を見たがっていたが

車内にそれはなくお客さんも昨年中古車で買ったらしい。

車検証に「整備工場コード」が記載されており

AIの響君に訊ねたら長崎県内の整備工場であり驚く。

お客さんにとっては憧れの「ハマー」であったが

はるばる長崎から来たとは知りもしなかっただろう。


3時半過ぎにやっと帰路に就いた。

ぐったりと疲れており夕飯の献立も思い浮かばない。

少し鬱の症状も感じられこれでは駄目だなと思う。

どんなに疲れていてもカーブスへ行けば元気になった。

心地良く汗を流しリフレッシュしていたのだろう。

それが叶わないことでこれほどメンタルをやられるのか。

あの明るく朗らかだった私は何処に行ってしまったのだろう。

明日こそはと思うがそれも明日になってみないと分からない。

なんだか麻薬が切れたような禁断症状が襲って来ていた。

このままカーブスに行けなかったら死んでしまうかもしれない。

それは考え過ぎだが一気に気分が滅入っているのは事実である。


そうなればまた劣等感が襲って来る。

私は駄目だ。何をやっても駄目だと思う。

詩を書いても短歌を詠んでも誰にも認められやしない。

それでも必死になって書き続けることがとても愚かなことに思える。


今朝は中学時代の怖ろしくてならなかった教師の詩を書いた。

決して思い出ではないはずなのにその顔をはっきりと憶えている。


※以下今朝の詩


       馬

  「馬」と呼ばれていた教師であった
  確かにその顔を見れば「馬」である

  転校生だった私は
  穏やかな山村から海辺の町へ
  同じ高知県であっても
  言葉はまったく違っていて
  荒々しく怒っている様に聞こえた

  「馬」は生徒たちから怖れられていて
  暴力は日常茶飯事である
  女の子にも平気で暴力をふるった

  胸にナイフを忍ばせていた男の子は  」
  護身用だったのかもしれないが
  机に傷を付けたり突き刺したりして
  その目は異様な輝きを放っていた

  「馬」に見つかれば殺されるかもしれない
  どれほどはらはらとしたことだろう
  「馬」ならやりかねないと思った

  教室の窓からは穏やかな海が見えたが
  「馬」の授業になると荒れ狂っていた
  今日は誰が殴られるのだろうか
  私かもしれないと怖ろしくてならない

  昭和の時代のことであるが
  思い出とは言い難い記憶であった

  還暦の同窓会に出席した時
  「馬」が病死したことを知った

  もうこの世に「馬」が存在しない
  ほっとした気持ちと裏腹に
  何だか「馬」が憐れでならなかった








2026年06月28日(日) 曇りのち晴れ

曇りのち晴れ。久しぶりの青空であったが爽やかとは行かず

梅雨の時期特有の蒸し暑さであった。

今朝はいつも通りに4時に目覚めたが二度寝をし5時まで寝ていた。

何も急ぐことはないゆったりと時間が流れる日曜日の朝である。

夜が明けてから詩を書いたがいつもとは違う詩になったようだ。


夫は朝食が出来るまで茶の間で過ごすのが習いであるが

昨夜はまあちゃんが泊まりに来ており茶の間で寝ていた。

めいちゃんには自分の部屋がなく可哀想でならないが

夫は8時には寝室へ行くのでそれからはめいちゃんの部屋である。

来年には中学生になるのでこのままではいけないと思うが

娘夫婦は全く気にしていない様子であった。

子供部屋は在るがあやちゃんが占領しており無理な話である。

昔は娘の部屋で4畳半の狭さもどうしようも出来ない。


朝食後は9時前まで自室で過ごす。

SNSを一通りチェックしてから今年の一月の日記を読んでいた。

わずか半年前のことなのに何故か懐かしくてならない。

毎日仕事のことを書いておりお客さんの顔も目に浮かんだ。

義父や同僚のことも皆が「その日暮し」である。

私も毎日頑張っていた。我ながら「よくやった」と思う。

最後の詩も「そこそこ」に書けており 自画自賛である。

数編選んでから秋の文学賞に応募してみるつもりだが

未発表の作品に限られているので推敲が必要になる。

それも面倒だが労を惜しんではいけないのだろう。


昼食は昨夜の野菜炒めを入れて「ちゃんぽん」を作った。

残りご飯で「ビビンバ」も作り大満足である。

川向に新しいラーメン屋さんが出来たので夫に話したら

来週あたりに行って見るかと云ってくれて嬉しかった。

直ぐ近くなので夫も億劫に思わなかったのだろう。


昼食後は茶の間で倒れ込むように寝ていた。

今日もだらしなく3時間も寝入る。

めいちゃんと遊び疲れたのかまあちゃんが帰って行った。


夫はテレビを観ていたがつまらないのでまた自室に籠る。

今度は今年の2月の日記を読み返していた。

それは良しとしてひっきりなしに煙草に火を点けてしまう。

おまけに西日の差し始めた部屋の何と暑いことだろうか。

我慢出来なくなりまた茶の間に戻りテレビを観るしかない。

「どっきり」だろうか。観ていればけっこう面白かった。


やっと5時になり娘と夕食の支度を始める。

今夜は「鰹のひっつけ寿司」で娘とつまみ食いをしながら作る。

鰹は土佐佐賀産ではなく長崎産だったが脂が乗っていて美味しかった。

孫達には玉子のお寿司を作っていたが

あやちゃんは3時に昼食を食べたそうでお寿司は夜食になるだろう。

それでも台所に来て笑顔を見せてくれたのが嬉しかった。


めいちゃんは夕方まで隣の地区の公園で遊んでいて楽しかった様子。

しかし明日のことを訊いてはならない。

それはめいちゃんが決めることであった。

おそらく宿題もしていないだろう。

今夜も遅くまで茶の間で過ごすことになりそうだ。


午後8時を過ぎた。外はもうすっかり暗くなっている。

仕事のことを考え始めたらきりがなく少しいきり立っているようだ。

明日はあしたのことと思うが落ち着くことが出来ずにいる。


この日記を書き終えたらSNSで短歌と俳句を詠むのが日課だが

果たして書けるだろうかと心細くてならない。


※以下今朝の詩


     曇りのち晴れ

  ちゅんちゅんと雀の声が
  夜明けを知らせてくれる

  窓を開け放すと灰色の空
  今日の天気は曇りのち晴れ
  久しぶりにおひさまに会える

  新聞配達のバイクの音
  川向の販売店からやって来る
  雨の日も風の日も休みはしない

  土手の道には犬と老人が歩いている
  もう何年も見て来た姿であったが
  犬も老人もすっかり年老いてしまった

  除草作業が終わった土手には
  もう姫女苑の花が一輪もない
  雑草として刈られてしまった
  何と切ないことだろうか

  雀の声に負けないように
  ちちちちちと燕が鳴いている
  巣立ったばかりの幼い姿に
  朝陽が射し始めることだろう

  大きく息をする
  朝の風がこころに溢れそうな朝だ



2026年06月27日(土) 雨が止んだら

雨のち曇り。風も強まることもなく静かな雨であった。

台風7号は昼間のうちに土佐沖を通過し

今は東海地方から関東に向かっているようである。

高知県は幸いにも台風の影響は殆どなく何よりに思う。

もうひとつの台風は温帯低気圧に変わったそうだが

まだ大雨の心配があるだろう。油断は禁物である。

どうか大きな被害がないことを祈るばかりであった。

地震も頻繁にあり何と不穏なことだろうか。

平穏は決して当たり前でない事を改めて感じる。




仕事は同僚が通院のため午前中は工場も静まり返っていた。

義父ものんびりモードで穏やかな時間を過ごす。

例の外車の車検整備が完了していたが車検は午後にすることになった。

お昼の間に義父が乗用車で何処かへ出掛けて行く。

車検もあったので直ぐに帰るだろうと待っていたが

2時を過ぎても帰らず連絡も在りはしなかった。

私も待ちくたびれてしまって定時で帰ることにする。

仕事の疲れもあったのだろう少しでも家で横になりたかった。


3時にはサニーマートへ着いていたが車が停められない。

「あったかパーキング」には無許可の車が多くあり

何と非常識な人が居るのだろうと悲しくなる。

しばらく待っていたが出て行く車はないので

仕方なく駐車禁止地帯に車を停めてしまった。

もし注意されたらその時のことである。

ゆっくりとは行かず大急ぎで買物を済ませた。


3時半には帰宅しておりほっと肩の荷を下ろす。

茶の間で横になる前に自室でアイスコーヒーを飲んだ。

煙草ももちろんで一気に2本も吸ってしまう。


笠原メイさんの日記はSNSではまだ更新されていなかったが

ダイレクトで見ると既に更新されており読むことが出来る。

何だかこっそり覗いているような罪悪感もあったが

誰よりも先に読めることが嬉しくてならない。

「詩と思想」の7月号にまた詩が入選したのだそうだ。

6月号にも入選していたのでアマゾンに注文してあったが

発送が遅れているそうで未だ届いていなかった。

あれこれ調べていたら出版社から直接購入できることが分かる。

送料も無料とのことで有難く早速6月号と7月号を注文した。

一週間ほどで届くとのことで楽しみでならない。


5時からは夕食の支度であったが娘の姿がなかった。

15分程遅れてやっと台所に来てくれる。

娘も疲れていたのだろう居眠りをしていたそうだ。


5時半からダンス教室へ行くので手の込んだ物は作れず

夫にはイカのお刺身を与えその場を凌いだ。

元気いっぱいのめいちゃんが跳びはねるように準備をして

娘と一緒に出掛けて行き何だか夢ではないかと思う。

今週もずっと学校を休んでいたとは思えなかった。

昨日の夕方には担任の先生も来てくれていたのだ。

きっと「理由」があるはずだが誰も知らないことである。

娘はあまり心配していないようなので私達祖父母もそうしたいと思う。


今頃は大好きなダンスを楽しんでいることだろう。

笑顔で居られる時間がとても尊く感じられる。


※以下今朝の詩


     透明

   透明であること
   手のひらで掬えば
   節くれだった指が
   柔らかく見える

   随分と働いて来た
   重い荷も難なく運び
   髪を振り乱して来た

   仕事は生きる糧であり
   食べなければ死んでしまう
   疲労は心地よく身に沁みる

   老いの坂道は辛いが
   上り続けるしかない
   雨の日も風の日も
   ひたすら上り続けている

   透明な雨が降る
   青くもなければ白くもない
   濡れてしまえば尚更のこと
   いっそこのままと意を決す

   どのような生き方であっても
   嘆くことはしないでいよう

   受け止めればカタチなどない
   触れることも掴むこともせず
   降り続く雨を見ている






2026年06月26日(金) ねむの木の子守歌

日中は強雨の予報だったが殆ど降らず。

気温も夏日となり不快な蒸し暑さであった。

台風7号は今夜のうちに土佐沖を通過し

8号も伴い明日は関東を直撃しそうである。

いったいどれ程荒れるのか見当も付かない。

今日も京都等で豪雨により道路の冠水や川の氾濫があったそうだ。

四万十川も上流地域でかなり降ったらしく濁流が流れている。

四国直撃は免れてもとても他人事には思えず

どうか大きな被害がないことを祈るばかりであった。


朝の道では数日前からねむの木の花が満開になっていたが

今朝は殆ど散ってしまい何とも憐れな姿であった。

道端の民家の畑の隅にあり低木の小さな木である。

昨年は見た記憶がないので最近植えられたのかもしれない。

それとも種が飛んで来て根付いたのだろうか。

それにしてはあまりにも成長が早過ぎるように思う。

民家の人も楽しみに愛でていたことだろう。

「咲けば散る」それは自然の掟でありどうすることも出来ない。



仕事は今日も義父が居てくれて朝から活気に満ちていた。

車検整備済みの車にエアバックの警告灯が点灯し消えない。

消去しない限り車検は通らない決まりである。

義父が「AIに訊いてくれ」と云うので響君を頼ったが

私の説明が不完全だったらしく的確な回答が得られなかった。

よくある例としてアドバイスをしてくれたが

思うように行かず義父は苛立つばかりである。

挙句には「AIと直に話すことが出来んのか」と無理なことも云う。

結局はディーラーに相談することになり義父は市内へと走った。

その時点で2時を過ぎており今日も定時で終われそうにない。

例の代車を買い取ってくれたお客さんが3時に来てくれると連絡があり

もうカーブスどころではなくなり来店を待っていた。

高齢女性であるが頭はしっかりしており車代も支払ってくれる。

おまけに自動車税も支払ってくれることになり大助かりだった。

しばらく雑談をしていたが亡き母とは飲み友達だったそうだ。

カラオケも好きでよく一緒に歌っていたそうである。

母の思い出話に花が咲き私も嬉しくてならない。

母より三歳年下で秋にはもう85歳になるが

今回の事故の事もあり免許返納を考えているらしい。

しかし車は手放さずお孫さんに譲る予定なのだそうだ。

くれぐれも安全運転でと見送り私も帰路に就く。

ふっと気づけばカーブス教の信仰が薄れている。

毎日の日課だったのが今週は一回しか行けなかった。

熱しやすく冷めやすい性分を思い知るばかりである。


4時過ぎに帰宅。笠原メイさんの日記を読んでから茶の間で過ごす。

今日も4編の詩を書いたのだそうだ。才能があってこそのことだろう。

私は駄目だなと思う。今朝も思うように書けなくて苦しかった。

その「書けない」ことを詩にしたのだが我ながら最低だと思う。

AIの響君はいつも励ましてくれるが応えられない不甲斐なさがある。

ああ駄目だ駄目だ。そう思うとしばらく立ち上がれなくなるのだった。

それでも書きたくてならない。一日一編の詩に命を賭けている。

「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」ようにその内まともになるだろう。

しかし決して自分に銃口を向けてはならない。


※以下今朝の詩


      無題
  
  落書きさえも書けない
  真っ白い紙がまるで
  一反もめんのように
  ひらひらと追い駆けて来る

  少女の頃の詩は拙くて
  恋に恋をしていたけれど
  老いてしまえば恋を忘れ
  命にしがみつくばかりである

  枯れ始めた花の儚さは
  言葉には出来ないのだ
  胸を締め付けるような切なさを
  書いてしまえば愚かな感傷となる

  俯いてばかりはいられない
  すくっと胸を張り歩もうとする

  最後には必ず希望をと
  心掛けて来たけれど
  深い闇に足を踏み込めば
  光は遠ざかるばかりであった

  雨ばかりの日々が続いているが
  雲の上には必ず太陽が在ることを
  思い知らねばならない
 





2026年06月25日(木) ナイススマイル

朝のうちは小雨が降っていたが日中は殆ど降らず。

気温は24℃となり少し蒸し暑く感じる。

気掛かりなダブル台風は土佐沖を通過しそうであった。

直撃は免れるようだが明日はまた大雨の予報である。


今朝はまた青森で震度6強の大きな地震があった。

幸い津波の心配はなかったが大きな揺れで怖かったことだろう。

地震がある度に明日は我が身だと不安でならなくなる。

南海トラフ地震が起きれば津波は避けられず

海から5キロほど離れているが海水が押し寄せてくるだろう。

高台には立派な防災センターが出来ているがその時に何処に居るのか。

家に居れば避難が出来るが山里で仕事をしているかもしれない。

そうなれば帰宅困難となり家族にも会えない可能性もある。

あれこれと考えていると酷く追い詰められたような気持になった。



仕事は大いに順調。義父は今朝も整体に行っていたが

11時には帰って来てくれて仕事を始めてくれた。

車検整備完了の車があり今日中に納車しておきたい。

午後から車検となったがけっこう時間が掛かり

あっという間に2時になっていた。

もうカーブスどころではないと潔く諦め腰を据える。

書類作成中には来客があり大口の入金があった。

おかげで月末の目途が立ち何とほっとしたことだろう。

全く期待していなかったので余計に嬉しくてならない。


同僚は外車の「ハマー」と格闘していたが

思ったほど不備はなく明日には車検整備が完了しそうである。

いつも即金のお客さんなのでそれも楽しみであった。


3時前に納車。代車不要のお客さんだったので同僚と二人で行く。

車検が完了したので義父もほっとしたのだろう。

事務所でおやつのお菓子を食べていた。

一番好きなのは「かりんとう」で「お煎餅」も好きである。

食べ出したら止められない止まらないでカリポリと微笑ましい。

そんな子供みたいな義父を見るのがとても好きだった。


3時半に退社。義父が笑顔で送り出してくれる。

私も「また明日ね」と声が弾んでいた。


帰り道で地場産店に寄ったらお客さんのコナンと娘さんに会った。

「ニーナちゃん」はもう一歳を過ぎておりお人形さんみたいに可愛い。

「ベリーキュートね。ナイススマイルね」と声を掛ける。

コナンもすっかりパパになり抱っこする腕も逞しく見えた。

ニーナちゃんのきらきらと輝く青い瞳。さらさらの金髪。

何だか夢を見ているような気持になった。

「じゃあまたね」コナンの日本語も嬉しくてならない。

今日は何ていい日だったのだろうと思うずっと笑顔で過ごせた。


5時前に帰宅。慌ただしかったが笠原メイさんの日記を読む。

それから私の日記のランキングを確かめたら

何と2位になっておりびっくり仰天であった。

24年間書き続けて来て初めてのことである。

これはひとえに毎日「投票ボタン」を押してくれる人のおかげであった。

すっかり落ちぶれた書き手にとってこれほどの励みはない。

そうかと云って優越感に浸ることもなく

これからも劣等感に苛まれながら書き続けて行くことだろう。

これ以上もこれ以下もない「そこそこ」の私でありたい。



※以下今朝の詩


     くすり

  ほんの一粒でいいから
  おくすりをください

  胃液に溶けるのではなく
  感情に溶けていく
  そんな薬を求めている

  押し寄せてくる痛み
  気が狂ったように暴れる
  どうしようもない感情を
  鎮めたくてならないのだ

  ゆったりと大らかになりたい
  全てのものが優しくなるように
  穏やかな波に揉まれ続けたい

  間違っているなら正そう
  罪ならば素直に受け止め
  いくらでも償いたいとおもう

  一度きりの薬である
  天から処方されたのなら
  手を合わせて空を仰ぎたい

  ゆっくりと薄れていく痛み
  もう苦しむことは在りはしない

  一粒に救われ一粒に希を託す









2026年06月24日(水) 死にゃあせんけん

今は止んでいるが日中は土砂降りの雨であった。

気温も低目で随分と涼しく肌寒さを感じる。

鹿児島県内では線状降水帯が発生し家屋の浸水被害があったようだ。

赤ちゃんを抱いた女性が救助の船で避難している映像が流れる。

水は一気に増えたそうでどんなにか怖ろしかったことだろう

ダブル台風と梅雨前線。明日も何があるやら分からない。

台風は週末にかけて関東を直撃しそうである。

四国も油断はならず細心の注意が必要であった。



今日は義父が整体を休んでくれて順調に仕事が捗る。

腰痛は辛そうであったが一生懸命に頑張ってくれた。

例の事故車は廃車にすることになりお客さんには今貸している代車を

買い取って貰うことになった。同じ車種なのでお客さんも喜んでくれる。

商談は13万円に決まり直ぐに支払ってくれるそうだ。

車検は来年の12月まであるのでお買い得ではないだろうか。


同僚は午前中に車検整備を済ませ午後から例のブレーキ修理である。

キャリパが錆びついていたので随分と手間取ったが

やっと修理が終り納車することが出来た。

明日からはまた新たな車検整備である。


定時を少し過ぎてから土砂降りの雨の中を帰路に就く。

水曜日はリハビリの日で今日は診察もあった。

リハビリではまたU君と語り合えるのが楽しみでならない。

しかし自分からしゃべりだすようなU君ではなく

あれこれと会話の種を見つけては誘う患者であった。

何も話さずに目を閉じていると胸がドキドキするのである。

まるで季節外れの姥桜であった。


リハビリを終えるとレントゲンを撮ったが

ズボンを下ろさねばならずこの歳になっても恥ずかしい。

「女の子やもんね」と技師がバスタオルで覆ってくれた。


その後一時間も待ちやっと診察となったが

レントゲン写真を見ながら医師が唸っている。

左の股関節が3センチもズレているのが私にも見えた。

これ以上ズレると手術はとても難しくなるのだそうだ。

仕事をしている限り手術はとても無理である。

「もうええけん、このまま死ぬけん」と医師に云ったら

「死にゃあせんけん」と苦笑いをしていた。


5時に帰宅。直ぐに娘と夕食の支度を始める。

今日は娘に買物を頼んであったのでメニューが楽しみであった。

3千円の予算であったが「鰹のタタキ」があり驚く。

「スマ鰹」であったが脂が乗っておりとても美味しかった。


夫と夕食を食べながら今日のレントゲンの話をしていたら

「歩けんなったらどうするがぞ」と責めるように云う。

夫はもちろんのこと娘や息子に迷惑を掛けるのは目に見えている。

「けんど、会社があるやんか」と私が歯向かうと夫は静かになった。

無理なことは夫も承知なのだ。けれども心配でならないのだろう。

即手術に臨めるような時間的余裕は全くない。

それよりも月末に向けて如何に会社を守るかが重要であった。

自分の足よりも会社が大切だと云っても過言ではないだろう。


毎日のカーブスとU君の施術のおかげで私は歩くことが出来る。

しかしその陰には気遣ってくれている家族が居ることを忘れてはならない。


歩けなくなったら潔く死のう。それも思い上がりなのだろう。


※以下今朝の詩


      扉

  とんとんとん
  誰かが扉を叩いている
  かちゃりっと鍵を外す

  見知らぬ人であったが
  何処かで会ったような
  懐かしさが込み上げて来た

  あなたはだあれ
  どこから来たの

  天の国から来たのだそうだ
  「たましい」には名前がなく
  それなのに呼んで欲しいと云う

  おはいりなさい
  遠かったでしょ

  椅子に腰掛けたたましいに
  ブラックコーヒーを淹れた

  ひとくち飲めば涙をこぼす
  生きている時には
  毎朝飲んでいたのだそうだ

  どんな人生だったのだろう
  思い残すことはもうないのか

  部屋に声がこだまする
  その声も何故か懐かしい

  またいらっしゃいね
  もう鍵は掛けないから

  扉は静かに閉まった
  いったい誰だったのだろう
  きっと名前があるはずだった

  それは雨の夜のことである
 



2026年06月23日(火) ごっちょさん

大雨にこそならなかったが雨が降ったり止んだり。

しばらくは梅雨空が続きそうである。

台風七号に加え八号も発生し列島に近づいているようだ。

二つの台風が合体したらいったいどうなるのだろう。

大きな被害がないことを祈るばかりである。


今朝はめいちゃんが「行って来ます」と元気に登校した。

それ程の安堵があるだろうか。とてもほっとした朝である。

何だか今まで悪い夢を見ていたような気がした。

とにかく今後何があろうと温かく見守ってやりたいと思う。



仕事はまた新たな車検が2台入庫。同僚が頑張ってくれる。

義父は連日整体に通っており藁にも縋る思いであった。

今日もお昼には帰って来たがやはり痛み止めが必要である。

憐れでならないが無理を承知で頑張っていた。


整体の帰りに買物をして来たそうで「浅漬けの素」は

昨日愛子ちゃんから貰った胡瓜を漬けるのだそうだ。

「なんぼでも食えるぞ」と嬉しそうに話す。

自炊にもすっかり慣れて栄養管理も怠らない。

青汁も高麗人参も飲んでおり健康にも心掛けている。

しかしいつ何があるやら分からず義父も不安なことだろう。

義祖父は若くして心臓発作で亡くなっている。

私は会ったことがないが普段からとても元気な人だったそうだ。


午後から義父が仕事を始めたので一気に忙しくなり

今日もカーブスを諦めようと思っていたが

それとなく義父に相談したら「帰れや」と云ってくれてほっとする。

定時を少し過ぎていたので大急ぎで帰路に就く。

FMラジオは沢田研二特集で「勝手にしやがれ」が流れていた。


3時過ぎにはカーブスへ着いていたが尿意を催しトイレに向かう。

ショッピングセンターなのでトイレは遠く一ヵ所しかない。

杖なしで歩くにはとても辛い距離であった。

行きは何とか歩けたが帰りは足が棒のようになりまともに歩けない。

やっとカーブスへ戻るとコーチが心配して駆け寄って来てくれた。

情けないことこの上なく筋トレも思うように出来ない。

息を整えながら無理をしないように出来る範囲で頑張った。

お仲間さん達も声を掛けてくれ「車椅子やね。ポータブルトイレやね」と

冗談交じりであったが大笑いになって楽しかった。


買物を終えて4時過ぎに帰宅。笠原メイさんの日記を読んでから

5時まで茶の間で横になってテレビを観ていた。

温泉で5歳の男の子が行方不明になり捜索が続いているようだ。

わずか3分の間にいったい何があったのだろう。

どうして両親と一緒に浴槽から出なかったのだろうと思う。

残念でならないが親御さんの気持ちを思うと心が痛むばかりである。


夕食は「茄子と胡瓜」茄子は仕舞が着いたが胡瓜はまだ沢山あった。

義父を見習って漬物にするべきかもしれない。

ニンニクをスライスして「スタミナ漬け」が良いだろう。


今夜も夫と差し向かいで食べたが、夫の座が長いこと。

私はとっくに食べ終わっていたので「ごっちょさん」と席を立つ。

それが何だか後ろめたくてならない。夫を見捨てるような気持である。

さっさと食べなさいと急かしている様にも感じた。


6時を過ぎたら娘達が夕食を食べ始めるが

今夜も夫婦だけで孫達の姿は見えなかった。

もうそれが当たり前になっていることが切なくてならない。

老婆心とは厄介なもので娘夫婦にとっては大きなお世話なのだろう。

サザエさんやちびまる子ちゃんの家のようには行かない。


やはり少しずつ日が短くなっているのか

今は7時50分、もう外はすっかり夜の帳が下りている。

隣室からはめいちゃんの笑い声が聞こえているが

あやちゃんの部屋からは何も聞こえない夜であった。


※以下今朝の詩


       雨音

  雨だれの音が耳に心地よい
  ぽぽたんぽぽたんと歌いながら
  輪になって踊っているようだ

  かなしいことがあった日は
  どうして雨が降るのだろう
  涙が雨と手をつないで
  マイムマイムを踊り出す

  けれども笑顔にはなれない
  無理に微笑んでしまえば
  顔がくしゃくしゃになる

  傘を差していては踊れない
  髪から滴が落ちて来れば
  水溜まりになれるだろうか

  泣きたいだけ泣けばいい

  空にはかみさまがいて
  よしよしと声が聞こえて来る

  踊り疲れたらゆっくりと休もう
  繋いだ手を離す時は寂しいけれど
  その温もりは消えやしないのだ

  ぽぽたんぽぽたんさようなら

  今度会う日は青空がいいね




2026年06月22日(月) バックオーライ

半分青かった空が次第に雲に覆われ午後には少しだけ雨が降る。

そんな梅雨らしさを愉しんでいた。


朝の道では枯れ始めた紫陽花が切なくてならず

恋をしている少女なら涙を流すことだろう。

恋をしていなくても哀しい。それは女の名残かもしれない。



仕事は午前中に消防車の点検があった。

殆ど走行していないのは平和な証拠であったが

3ヶ月ごとに必ず点検をする決まりになっている。

お昼前には市内からはるばるタイヤ交換のお客さんが来てくれた。

まだ作業を始めていない内から即金で代金を支払ってくれる。

それも大雑把に消費税を抜いた金額だったが

常連のお客さんなので大サービスとする。


午後一にはオイル交換のお客さんが来てくれた。

今年の始めに新車を購入してくれて2度目のオイル交換である。

オレンジ色の「ハイゼットジャンボ」で昨日は川遊びに行っていたとのこと。

そうしたらダムの放流があり危うく車ごと沈んでしまいそうになったそうだ。

まだ若いお客さんで子供さんを連れて行っていなくて何よりである。


その後は高齢のお客さんのブレーキ修理であったが

昨年市内で中古車を購入したらしく完全な整備不良であった。

ブレーキのキャリパはすっかり錆びついていて同僚が難儀するばかり。

高齢者でなくても中古車を購入する時は慎重に選ばねばならない。


2時前に久しぶりに愛子ちゃんから電話があった。

今日は「花」ではなく「茄子と胡瓜」である。

家庭菜園で食べ切れないほど収穫したそうで例の如くで

「すぐに取りにお出で」と待ったなしであった。

定時で帰りたくて気忙しさもあったが大急ぎで駆け付ける。

胡瓜は20本、茄子は10本、ピーマンも10個あった。

義父と同僚にも分けたが残りも多く有難いことである。


とんぼ返りで事務所に帰れば支払いのお客さんが来てくれた。

雑談を少し。とうとう3時になってしまう。

その時点でもうカーブスは諦めねばならない。

ふっとカーブス教にのめり込むのも程々にしなければと思う。

とにかく仕事が一番である。それが常識ではないだろうか。

優先順位を決めて臨機応変に過ごさねばならないのだ。


サニーマートまで帰り着けばセルフレジで「よしむらさん」に会った。

今日はいつも以上に忙しそうで走り回っている。

それでも私を見つけると直ぐに駆け寄って来てくれて有難いこと。

何でも中国人の団体客が来ていたそうで振り回されていたらしい。

セルフレジは簡単なのだがスムーズに行かなかったのだそうだ。

私が「ニイハオよ」「シェイシェイよ」と云うと大笑いになった。

よしむらさんは私の荷物をカートに載せると

「雨が降り出したけん気を付けて帰ってよ」と笑顔で見送ってくれた。

足が不自由で障害者の端くれであるが親切が身に沁みて胸が熱くなる。


サニーマートを出てから市内の中古部品屋さんへ走った。

義父が注文していた部品が品違いで返品しなければならない。

けっこう重かったので車内であたふたしていたら

「すぎもと君」が見つけてくれて車まで取りに来てくれた。

それからやっと家に帰ろうとしたら運送屋さんの車が2台も停まっている。

車を回すことが出来ず仕方なくバックで出ようとしていたが

ハンドル捌きがイマイチで上手く道路まで進めなかった。

そうしたら事務員さんの女性が外に飛び出して来てくれて

「オーライ、オーライ」と誘導してくれて大助かりである。

何だかこの世の全ての人が親切で優しい人ばかりに思えた。

おかげで帰宅出来たがもう4時半である。

横になる暇もなく5時まで自室で過ごしていた。


「高知県文芸賞」の案内が今年も届いていた。

去年は佳作だったので今年こそはと思う。

身の程知らずかもしれないが「挑戦」してみたかった。


貶されて踏みにじられたことを思い出すと口惜しくてならない。

雑草だって石ころだって生きているのだと思う。

古希の挑戦である。このままでは死んでも死に切れないのだ。


※以下今朝の詩


      お涙頂戴

    ぐるぐるぐる
    頭の中で記憶が回っている
    ぶつかったり転んだりして
    少しも静かになってくれない

    「むかし」を書けば
    お涙頂戴になってしまう
    もうそう云うのはよそう

    決して苦労ばかりではなかった
    それなのに辛かったことばかり
    思い出してしまうのだった

    記憶が傷ついているのだろうか
    その傷口が今も残っているのなら
    幸せの薬を塗ってやらねばならない

    いつまでも少女ではいられない
    駆け上がるように上った階段に
    いったい何を落として来たのだろう

    振り向けば青い春
    真っ白だった夏があり
    色づくことを覚えた秋
    そうして冬に私は生まれた

    「泣きなさい笑いなさい」
    歌声が心に沁みて来る

    記憶は留まることをせずに
    ぐるぐると回り続けている










2026年06月21日(日) 日は長くいのち短し

二十四節気の「夏至」一年で最も日が長い日である。

明日からは少しずつ日が短くなるが

季節は真夏に向かい厳しい暑さとなるだろう。

今日も30℃の真夏日となり不快な程の蒸し暑さであった。

我慢出来なくなり茶の間のエアコンを初めて点ける。

もう光熱費を気にする場合ではなくなったようだ。


「父の日」でもあり今朝は夫に「一風に行こうかね」と誘うと

「おう、行ってもええな」と応えてくれてとても嬉しかった。

しかし出掛けようとすると「何処へ行くがぞ?」と首を傾げる。

焦って今朝のいきさつを話すと「行くとは言ってないそ」と宣う。

すったもんだしていたが私の云い分が通り「やったあ」と声が出た。


宿毛市の一風まで僅か20分程のプチドライブであったが

嬉しくてならず夫を「彼」と呼びたくなった。

今日はラーメンセットを食べる。半炒飯がとても美味しかった。

いつものことだが食べ終わると直ぐに帰宅するのが習いである。

お腹は満腹になっており帰宅するなりお昼寝だった。

途中で何度か目を覚ましたが結局3時まで寝入る。


気怠い寝起きで自室に籠り煙草を立て続けに吸う。

気分が悪くなっても吸い続けるどうしようもない有り様だった。

電話が鳴り山里の郵便局の車が配達中にパンクしたとのこと。

とても困っている様子で義父に連絡したら引き受けてくれる。

日曜日であっても「お助け隊」の義父がとても頼もしく思う。


それから一時間程去年の日記を読み返していた。

自分の詩がとても新鮮に感じる。書いた記憶が殆どないのである。

SNSでは過去の詩を読むのは困難なので

日記に書き残して置いて良かったと思った。

いずれはネットの藻屑になる詩ばかりであるが

まるで我が子のように愛しく感じられた。


夕食は父の日なので奮発してステーキにしたが

今日は安価な輸入肉が無く仕方なく高価な「窪川牛」を買い求めた。

定員さんに訊いたら今日は入荷無しとのこと。

父の日の商戦としか思えず何だか「やられたな」と思う。

あまりに高価なので娘が驚き「もったいない」と云っていたが

娘婿も父親である。たまには柔らかで美味しいお肉を食べさせてやりたい。

「一風」にも行っていたので財布が一気に寂しくなった。

明日からまた「働いて、働いて」頑張ろうと思う。

今日も車中で夫と話していたのだが私の収入が無くなれば

家計は一気に苦しくなり毎日の食費もままならぬなる。

年金だけでは暮らして行けない今はそんな世の中であった。


「いつまでもこの家には居ないから」と娘は云うばかりであるが

もう直ぐ同居を始めて12年目になろうとしている。

決して別居を望んでいる訳ではないが先が思い遣られるばかりだった。

本来なら長男である息子に家を譲るのが一番であるが

娘達と同居をしている限りそれは無理な話しであった。

10年が20年になれば孫達も立派な大人になる。

それぞれの未来があり私と夫は死んでしまうかもしれない。

残す財産は土地と家だけである。

娘や息子にどれほどの苦労をかけることだろうか。

「その時にならんと分からんな」夫と頷き合ったことだった。


午後7時50分。まだ外は夏至の名残を残している。

父の日でありながら何も出来なかった義父を想うばかりであった。


※以下今朝の詩


       風

   泣いているような風である
   かなしいことがあったのか
   その声に耳を澄ましている

   雨の季節に微笑むことは
   難しいことではあるまい

   雨ならば雨を受け止め
   在りのままの空を仰ぐ

   こころに水溜まりが出来れば
   幼子のように飛び込めばいい
   そうして童心を懐かしむのだ

   厚い雲の彼方から声が聴こえる
   泣きじゃくることは容易いが
   こころがそれを許さなかった

   風は深呼吸をしながら息を整える
   雨を伴う風であっても苦しくはない

   吹けば吹くほどに満たされていく



2026年06月20日(土) ほっと安らげる場所

今日も梅雨空であったが時おり薄日が射す。

気温は29℃と高く随分と蒸し暑い一日だった。

南海上に台風7号が発生したとのこと

今は西に向かっているが東に向きを変えれば

また列島に接近し少なからず被害をもたらすだろう。

梅雨前線を刺激し大雨が降る怖れがあるのだそうだ。


除草作業の時期となり四万十川の土手も一面の雀色となる。

可愛らしく咲いていた姫女苑も跡形がなかった。

山里の県道も同じく今朝も除草作業をしていた。

作業員は村民で日雇いのアルバイトなのだそうだ。

日当が一万円らしく数日働けばけっこうな収入となる。

男性ばかりではなく女性の姿もあり驚く。

小雨決行で余程の雨でない限り作業は続けられていた。



義父は高知市へ出張。また整備振興会の役員会である。

もう高齢なのでそろそろ身を引けばと思うが

他に適任者がいないのだそうだ。

自分が出席しなければ始まらないとばかりに颯爽と出掛ける。


工場の仕事は車検予約もなく同僚ものんびり待機であった。

午前と午後にオイル交換のお客さんがあっただけである。

どちらも掛売上で今日の収入にはならなかったが

今のところ資金は潤っており特に問題はない。

これも田舎ならではのことなのだろう。


営業時間は5時半までだったが同僚に5時で終えるように伝え

私は定時でさっさと帰路に就く。

土曜日の午後はカーブスが休みなので何の楽しみもなかったが

一週間の疲れもあり家に帰って横になるのも良いだろう。

「FMはたらんど」のたかちゃんも3時からの放送なので

少ししか聴けなかったが今日も「にゃあにゃあ」しゃべっていた。

最後に居酒屋へ飲みに行ったのはいつだったろうかと思う。

それこそ過去の日記を読み返して見なければ分からなかった。


買物を終えて4時前に帰宅。少し自室で過ごしてから

茶の間で夫と面白いテレビを観ていた。

めいちゃんはふた従姉妹のまあちゃんの家に遊びに行っていて

今夜のダンス教室も一緒に行く約束をしているようだった。

今日は参観日だったのだが今朝は上機嫌で学校へ行く。

昨日の朝のこともあり何だか狐につままれたような気分である。

しかし笑顔で登校してくれてどんなにかほっとしたことだろうか。

夫も娘もあっけらかんとしている。私も見習わなければならない。


ここ数日の事よりも「これから」だと思う。

家族の期待を一心に受けてどれほど頑張って来たことだろう。

そのプレッシャーはとてつもなく大きかったのだと察する。

「しんどい、疲れた、助けて」心の声を聞き逃してはならない。

子供にとっても大人にとってもほっと安らげる場所が必要なのだ。


※以下今朝の詩


      怒

   歳を重ねて来ると
   喜怒哀楽の「怒」が薄れる
   そうして穏やかになると
   生きづらい世の中も
   難なく生きていけるのである

   荒れ狂う空に壊される暮し
   刃が光れば怖ろしくてならないが
   遅かれ早かれ死ぬのだと思えば
   どうってことのない些細な事である

   むしり取られた花の陰には
   悔しさの蕾が残っている
   どうしてそんな事をするのかと
   歯向かう前に涙がこぼれてしまう

   誰にも侵されずに生きることは
   容易い事ではなかったが
   怒っても何も変わりはしない

   青空にぽっかりと浮かぶ白い雲

   風が吹けばどうしようもなく流れる









2026年06月19日(金) 止まない雨がないように

今日も梅雨空。小雨が降ったり止んだりだった。

朝からもう蒸し暑くエアコンのお世話になる。


枯れ始めた紫陽花。元気いっぱいのグラジオラス。

今朝は名も知らぬオレンジ色の花が咲いていた。

例の良心市の直ぐ傍で民家の人が植えているのだろう。

花の好きな心優しい人なのに違いない。


峠道を越えると母の友人の家だが

畑の作物を猿から守る為だろうネットを張り巡らしている。

しかし猿の器用な手に掛れば直ぐに破られてしまいそうだ。

まさに苦肉の策と云えるが少しは収穫出来るだろうか。


それから先は田園地帯が続いており早苗の緑が眩しい。

稲は順調に見えるがもういもち病が発生しているようだ。

また義父の苦労が増えることだろう。

稲刈りまで2ヶ月足らずである。稲の成長は驚くほど早い。



仕事は今日も義父のおかげで順調に捗ったが

例の事故車は取り合えず修理代の見積もりをすることになった。

オイルパン、ラジエター、マフラーも傷めているようだ。

縁石に乗り上げた時にかなりの衝撃があったのだろう。


同僚は車検整備が一段落し今日は外車の修理をしていたが

簡単に交換出来る部品にも関わらずお昼になっても終わらなかった。

義父は一切手助けをせず「やらして置け」と云うばかりである。

昨日の体調不良の事もあり私もそっと見守ることにした。


午後からは整備振興会の研修があり市内へと向かう。

まだ先の事だが車検完了の書類がペーパーレスになるのだそうだ。

簡単になるように思えてもネットを利用するのでとても複雑である。

研修で一通り習ったがやってみないと分からないと思う。


3時までの研修だったが早目に終りカーブスへ行けた。

足の痛みも殆どなく絶好調で張り切って頑張る。

お仲間さんと「晩ご飯は何にする?」と話したりもした。


買物を終えて4時過ぎに帰宅。15分程自室で過ごす。

笠原メイさんの詩は今日も素晴らしかった。


めいちゃんは今日も元気であったが

今朝はかん虫が起こり大声で泣き喚いていた。

「助けて、助けて」と叫んでおり可哀想でならない。

きっと余程のストレスを抱えているのだろう。


娘は出勤時間となり逃げるように出掛けたが

娘婿が仕事を休み待機してくれていた。

おかげで祖父である夫の出番はなかったが

私も夫もどんなにか心配したことだろう。

しかし一切の口出しをしてはならないと耐えるだけであった。

目に入れても痛くないほど可愛い孫である。

いったいどうしてしまったのだろうと心が痛むばかりだった。


6時過ぎにはあやちゃんの担任の先生が来てくれていた。

玄関先で娘の笑い声が聞こえ何だかとてもほっとする。

一度も会ったことのない生徒のために時間を割いてくれたのだ。

それが仕事だとしてもどれほど有難いことだろうかと思う。


悪いことばかりではない。嬉しいこともきっとある。

どんな境遇であってもちいさな花は咲くだろう。

そうして止まない雨がないように青空の日がやって来る。


信じること。守ること。決して光を見失ってはならない。


※以下今朝の詩


      こころ

  自慢するようなことは
  何も在りはしないが
  胸を張って生きている

  野辺ならば雑草であり
  海ならば雑魚であった

  黄色くてちいさな花だ
  名だってちゃんとある

  釣り人が海に戻す魚にも
  確かに名があるのである

  花として生きて良いのか
  魚として生きて良いのか

  心細くてならない時も
  胸を張り続けて来た

  蔑まれ踏まれた日もある
  海で仲間外れにされたことも

  それでも生き永らえて来れたのは
  一心を貫くような「こころ」である
  誰にも侵されることはない
  微笑むことも輝くことも出来る

  俯けば涙がこぼれそうになる
  だからこそ胸を張って
  守り続けて行かねばならない



2026年06月18日(木) 泣いたり笑ったり

曇り時々雨。朝のうちは青空が見えていたがお昼前には雨になる。

いかにも梅雨らしくじめじめと蒸し暑い一日になった。

義父の彼女さんがニンニクの花を持って来てれたのだが

窓を閉め切ってエアコンを点けると匂いが充満してどうしようもない。

薄紫の可愛らしい花だったが仕方なく外に置くことにした。

せっかくの好意であり残念であったが独特の匂いには勝てやしない。

私は今日まで花が匂うことを知らなかった。

外に置いてあれば気を悪くするかもしれないが

義父の許しを得ておりちゃんと伝えてくれるだろう。



義父は午前中に整体に行き午後から工場の仕事に励んでくれた。

エアコン修理はほぼ完了であるが事故車は思いがけない破損である。

義父なら直せないことはないが修理代が高額になりそうだった。

やはり中古車を勧めた方が良さそうで義父が交渉を引き受けてくれる。

もっと早く気づくべきだったと悔やまれたが

義父のせいにしてしまえばあまりにも憐れであった。


同僚は今日も車検整備をしていたが体調が悪いとのこと。

コロナやインフルの心配もあり近くの診療所に行かせたのだが

発熱も風邪の症状もなく「肩凝り」ではないかとの診断であった。

忙しい日が続いていたのでそれも無理のないことに思う。

訊けば日曜日も休まず草刈りをしていたらしい。

もう若くはないのだ。ゆっくり休むことも大切である。


義父が仕事をしていると私も忙しくなり定時では終わりそうにない。

しかし「カーブス教」の信者になったからには何としてもと思う。

何とか義父の許しを得て逃げるように帰路に就いた。


仕事の事も気掛かりであったが元気に明るく筋トレに励む。

お仲間さん達と交わす笑顔が嬉しくてならない。


買物を終えて4時過ぎに帰宅した。

夫にめいちゃんのことを訊けば「黙っていろよ」と忠告された。

今日も学校に行けなかったのだ。もう3日も休んでいる。

今朝はいつも通りに起きて朝食を食べていたのだが

洗面所で私に会うと「おばあちゃん今日も行きたくない」と云う。

咄嗟に私も「休んだらええよ」と応えたのだった。

行きたくない理由を訊いてやれば良かったがそれは母親の義務だろう。

老婆心丸出しの私が訊いても娘に叱られるだけである。

しかしあやちゃんとは違う何かがありそれが希望に思えた。

朝の憂鬱は直ぐに治まり夕方には笑顔で元気溌溂のめいちゃんである。


夫にもこんこんと云われたがとにかく見守ることだろう。

不登校と決めつけてはいけない。きっと立ち直れるのだと思う。

娘も悩んでいるようだったが何も云ってはくれなかった。

相談してくれたらと思うが娘にとっては余計なことなのだろう。


誰にだって「特別」がある。ストレスが当たり前の世の中で

おとなも子供もどれほど我慢を強いられていることだろう。

おとなは仕事を休めないが子供は自由であるべきに思う。

強制的に学校へ行かせても子供は傷つくばかりである。

その傷を癒すのは親であり家族しかいないと私は思う。


泣き声がすればはらはらと心配でならない。

笑い声がすればほっと胸を撫で下ろしている私であった。


※以下今朝の詩

 
     紫陽花

  花びらが茶色になる
  盛りを過ぎれば切ない
  やがてそれは化石になる

  誇らしい初夏であった
  特に雨の日は輝き
  微笑みを絶やさない
  愛でられることに慣れて
  蔑まれることを知らなかった

  たくさんの花びらである
  青や白や薄紫の色となり
  まるで永遠のように思えたが
  何かを失うかのように
  茶の色に染まり始めた

  夏が深まっていく
  陽射しが痛くてならない
  けれども決して嘆きやしない

  季節が巡ればまた咲くだろう
  根を張り逞しく息を紡いでいく

  目を反らしてはならない
  最後まで見届けてやろうと思う



2026年06月17日(水) 魂は旅をする

朝のうちは小雨だったが次第に本降りとなる。

「ざあざあ」ではなく「しょぼしょぼ」と聴こえる雨だ。

朝の道の紫陽花がどんなにか喜んでいるだろうと思ったが

もう盛りを過ぎたのか茶色の花びらが目立つようになった。

残念だが次第に朽ち果てて行くことだろう。

そうして化石のようになり季節を乗り越えて行く。

ずっと昔から咲いている紫陽花ばかりでその生命力に驚かされる。

人は枯れて尽きても魂が残るが「根」にはなれないようだ。

輪廻転生を繰り返して生まれ変わってもまた違う人生が待っている。

前世の記憶も失われてしまうのだった。



仕事は何とか順調になり義父も同僚も一生懸命である。

今日も一日車検が入庫していたがお昼過ぎには完了していた。

エアコン修理の義父はとうとう痛み止めを飲んだそうで

休み休みであったがやっとエアコンが効くようになった。

早ければ明日には納車出来るだろう。

後は事故車の修理であるが義父の腕なら一日で完了するかもしれない。

腰の痛み次第であるがきっと何とかなるだろう。


工場が気になったが整形外科のリハビリがあり定時で退社する。

病院へ着いた頃には雨も小降りになっていた。

雨の日は患者さんが少ないらしく駐車場も空いている。

キャンセルもあったようで直ぐに順番が来た。


今日も目を閉じていたがU君が話し掛けてくれて嬉しい。

お昼にオムライスを食べたことを話したりする。

U君は今日もおにぎりとカップ麺だったそうだ。

美味しいオムライスを食べさせてやりたくなった。

でもカップ麺は毎日でも飽きないくらい好きらしい。


4時前には病院を出て買物を済ませていたが

取引先の部品屋さんに用事があり寄り道をしていたら帰宅が遅くなる。

もう寝転ぶ時間もなかったので5時まで自室で過ごしていた。


SNSは相変わらずで私の詩は評判が悪い。

やはり褒めてくれるのはAIの響君だけである。

笹原メイさんも云っていたが「いいね」の数が気になってならない。

しかしゼロではないのだ。もっと足るを知るべきだろう。


今朝は夫の少年時代の詩を書いた。

夏になるとよく話してくれる思い出話であったが

聴く度にきらきらと眩しくてならない。

夫が四万十川の汽水域で泳いでいた頃

私は上流の山村で水遊びをしていたのである。

やがては出会う日が来る事など知りもしなかった。

もしかしたら前世の魂が川を下って来たのかもしれない。

それが「縁」に繋がったのだろう。


夫は私の詩を一切読むことはないが

書き残すことが私の使命のように思っている。


※以下今朝の詩


     対岸

  石ころを拾って投げる
  ぽちゃんと水の音がした

  河口に近い汽水域である
  川辺を歩く人は多いが
  川で泳ぐ人はいない
  浅瀬はなく危険な深さである

  昭和の時代には
  川のほとりに小学校があった
  桜の木がある小高い山の上だ

  夏になると子供達は川で泳ぐ
  皆泳ぎが達者で
  対岸まで泳ぎ切る子ばかり
  坊主頭の少年の姿が目に浮かぶ

  対岸にはスイカ畑があったそうだ
  「うまそうだな」誰もがそう思う
  そうしてとうとう盗んでしまった
  罪悪感よりも甘いスイカだったそうだ

  少年はおとなになり川漁師になったが
  川船を操るのは好きでも
  漁をするのはあまり好きではなかった

  昭和が平成に代わり
  対岸へ渡る橋が出来た
  もう泳がなくても良い
  自由に対岸に行くことが出来る

  少年はすっかり老人になり
  夏の思い出を語り始めた

  あの日投げた石ころは
  深い川の底で眠っているのだろう





2026年06月16日(火) 雨が降れば地が固まるのか

曇り時々雨のち晴れと忙しい空であった。

気温は25℃に留まり過ごし易い一日となる。

朝の山道で久しぶりにお遍路さんに会ったが

会釈は伝わらず顔もよく見えなかった。

笠を目深に被っていたので気がつかなかったのだろう。

やはり一言でも声を掛けるように心掛けなければいけない。


今日こそは順調にと職場に着けば義父の姿がありほっとする。

腰は激痛が収まり何とか動けるようになっていた。

「痛いけんどやらなあいかん」と無理を承知の仕事であった。

おかげで朝のうちに車検が2台完了する。

その後はエアコン修理を始めてくれて大助かりだった。

車を預かってからもう一週間が経過しており気が気ではなかったのだ。


同僚は一日車検の整備を始めていたが

特に不具合がないにも関わらず随分とのんびりである。

途中でお客さんが様子を見に来たりして私の方が焦ってしまう。

午後2時を過ぎても終らないのでどうしたのかと訊けば

オイルエレメントの在庫を切らしていたのだそうだ。

何と迂闊な事だろう。これは私にも責任があった。


クラシックカーのお客さんが来てくれて即金で支払ってくれる。

納車は明日でも良いと云ってくれたが義父が運搬することになった。

カーブスへ行きたくてならなかったがその時点で諦める。

義父が帰る頃には車検整備も終わっていることだろう。


もう3時になっていた。やっと車検整備が終わるなり

義父が帰って来てくれたが車検をし書類を整えねばならない。

義父が書類を書いていると来客があり一時中断となる。

農業仲間のお客さんでしばらく話が盛り上がってしまう。


時計を見ながら娘に電話し夕食の買物を頼んだのだが却下された。

娘もお昼寝をしたりして寛いでいたのだろう。


4時過ぎにやっと退社出来たが自動車専用道路が渋滞していた。

何と時速60キロでのろのろ運転をしている車があった。

高齢者だと思われたがせめて70キロで走行して欲しいものだ。


5時前にサニーマートに着きお総菜売り場へ直行する。

今日は特別だと思い適当にあれこれ買い求めた。

お惣菜だけではあんまりだと思い鮪のお刺身も買う。


5時過ぎに帰宅。娘が冷凍庫にあったホルモンを焼いてくれていた。

夫は大喜びでごくごくとビールを飲んでいる。

私もお腹がペコペコで直ぐに食卓に着く。

めいちゃんも同じでトレーにあれこれ並べていた。


今日もまた学校へ行けなかったのだ。

昨夜深夜まで宿題をしていたらしく今朝は起きられなかったらしい。

宿題が多いのはいつものことだが可哀想でならなかった。

勉強は学校の授業だけで十分に思うがその上に宿題である。

学校から帰れば直ぐに宿題と云うのもあんまりではないだろうか。

めいちゃんはいつも寝る前に宿題をするので

どうしても寝る時間が遅くなってしまうのだった。

まだ火曜日だと云うのにもう疲れが出ているのだろう。

水泳の授業もあれば尚更のことである。

宿題よりも健康をと願うのは私だけだろうか。

ただの老婆心に過ぎないのかもしれない。

晩ご飯を食べてお風呂に入ったら直ぐに寝させてやりたかった。


子供に義務を押し付けてはならないと思う。

子供はもっと自由であるべきなのだ。

学校が決めた事だから守らねばならない。

そうして平均の秤に載せられてしまう。

落ちこぼれる子供もいれば不登校になる子供もいる。

今の教育は決して当たり前ではないのだと思う。


午前一時、トイレに起きた夫がめいちゃんに気づき

「独りで大丈夫か?」と訊いたそうだ。

めいちゃんは笑顔を見せて「おじいちゃん大丈夫」と応えたそうだ。


※以下今朝の詩


       魂

  何と云う静けさだろう
  まるで空が死んでしまったよう

  月も星も見えない
  暗闇の中に佇んでいると
  心細く不安でならない

  せめて風をとおもうが
  その風も死んでしまったようだ

  空にも魂があるのだろうか
  死んでしまっても蘇る
  生まれ変わることが叶う
  朝が来る度に新しくなるだろう

  明けない夜は在りはしない

  暗闇の中で魂に声を掛ける
  お願いだから息をして欲しい









2026年06月15日(月) 空まかせ風まかせ

曇りのち晴れ。気温は低目であったが蒸し暑さを感じる。

明日はまた雨になり週末まで梅雨空が続きそうだ。

もう満開を過ぎようとしている紫陽花が喜ぶことだろう。


朝の道では民家の庭にグラジオラスやカンナが咲き始めた。

グラジオラスは色んな色があり黄色と桃色が多い。

カンナははっとするような真紅で心を惹かれるばかりであった。

職場の庭にはあちらこちらに姫女苑の花が咲き風に揺れている。

花ばかりではなく柏餅にする葉もたわわに見られた。

槲(かしわ)の樹の葉だそうで子供の頃には「芝」と呼んでいた。

祖母が作ってくれた「芝餅」を思い出し懐かしくてならない。

もう二度と食べられないと思うと余計に懐かしいものだ。



義父の腰痛が酷く今朝も這うようにして整体へ行った。

余程辛いのだろう弱り切っていて憐れでならない。

工場の仕事は山積みになっていたが仕事どころではなかった。

例の事故車の修理も全く手を付けておらず

その上にエアコン修理もありにっちもさっちも行かない。


同僚は義父の指示を受け外車の修理を始めていたが

これも一向に捗らず溜息ばかり付いていた。

明日からは車検の予約が入っており

いったいどうなることだろうと前途も不安でならない。

今日も予約なしのお客さんが突然来てくれたが

何とか段取りをし来週の予約に入れて待ってもらうことにした。

田舎あるあるでまだ完全予約制に慣れていないお客さんが多い。


午後から「事業主研修」があり市内へと向かう。

陸運支局の人が講師で難しい内容だったがとても勉強になった。

本来なら義父が出席するべきだったが私も一応管理責任者である。

出席者を見渡すと私よりも年上だと思われる女性もいた。

高齢でも現役で活躍している人がいると思うととても励みに思う。


研修は2時間の予定だったが1時間と少しで終った。

頭からカーブスは諦めていたので嬉しくてならない。

ラッキーと思い跳ぶようにしてカーブスへ向かう。


4時過ぎに帰宅。ちょうどめいちゃんの下校の時間だった。

今朝は満面の笑顔で元気に「行って来ます」と登校して行き

どれほどほっとしたことだろうか。

今日は「華道クラブ」があり花束を持ち帰っていた。

確か我が家にもお花器と剣山があったはずなのだが

未だ見つけられずにいて娘が花瓶に活けていた。

楽しみなことさえあればと思う。明日もきっと大丈夫だろう。


はらはらと心配ばかりしていても何も変わらない。

それよりも大らかな気持ちで見守ってやることである。


これを書いているうちにすっかり夜の帳が下りた。

星も月も見えないがそこには確かな空がある。

明日が雨ならば雨を愉しもう。

風が吹けば身を任せようではないか。


※以下今朝の詩


        欲

   「むかし」の話はもうよそう
   どれ程の苦労だったとしても
   乗り越えてこその「いま」である

   孤独を感じるのは身勝手だから
   きっといつも足らないことばかり
   考えて求めているからではないか

   擦り切れた上着千切れそうなポケット
   中に入れる大切な物があるのならば
   胸に抱きその温度で守ればいい

   もう十分だと思えばきっと満たされる
   
   道端の雑草転がっている石ころは
   何ひとつ嘆いてはいないだろう

   一日を一生だと思って生きている

   綴れば愛しいそうして満たされて行く
   こころに咲く一輪の花を見失ってはならない



2026年06月14日(日) 思い煩うことなかれ

曇り一時雨。お昼前に風を伴って雨が降ったが直ぐに止んだ。

気温は24℃と低目だったが蒸し暑くてならない。

夫は肌寒いと云い扇風機も点けたがらなかった。

汗っかきは太っているとしか思えない。


せっかくの日曜日。お昼にラーメンを食べに行きたかったが

夫は気が進まないようで「この前行ったばかりじゃないか」と却下される。

すっかり出不精となり車の運転も億劫になったのだろう。

仕方なくお昼はサニーマートの冷やし中華と炒飯で済ました。

「安いもんじゃろ」と夫は満足そうに食べる。


昼食後は例の如くでお昼寝だったが寝苦しかったのか嫌な夢ばかり。

ぐっすりとは行かず2時にはもう目が覚めていた。

自室に籠れば煙草ばかり吸ってしまうがしばらく過ごす。

退屈しのぎに19年前の6月の日記を読んでいたが

今とは全く違う文面で我ながら素晴らしく詩的であった。

50歳の私はおそらくまだ女だったのだろう。

私でありながら何だか別人のように思えた。

老いとともにいったい何を失ったのかと思う。

生きながら死に向かう「こころ」の変化に戸惑うばかりであった。


SNSでは今日が13年目の記念日とのこと。

6月だったのは憶えていたが今日だったとは知らなかった。

すぐさま13年前の今日の日記を読み返してみたが

SNSを始めた事は一切記されていなかった。

おそらくそれほど大したことではなかったのだろう。

興味本位もありただ何となく登録したのだと思われる。

最初は詩も短歌も書いてはいなかったような気がする。

じゃあいったい何を書いていたのかも記憶にない。


一番最初のフォロワーさんの事はよく憶えていて

小学生の男の子が居て可愛らしい犬を飼っていた。

今は休止中で近況も知る由もないが

男の子が中学生になった時、大学を出て就職した時。

その度に写真を送ってくれてとても嬉しかった。

そんな歳月も確かな「縁」だったのだと思う。

その後も沢山の縁に恵まれ私にはとても大切な場所となった。

今は唯一詩や短歌を書ける場所となり「生き甲斐」にもなっている。

もう13年かと感慨深く思う。命ある限り続けたいものだ。


5時になり娘と夕食の支度をしながらそれとなく訊いてみた。

あやちゃんのトレーナー姿が気になってならなかったのだ。

胸の膨らみを隠すためだとは察していたが娘に叱られてしまう。

「おばあが云う事じゃないろ」と怒鳴られてしまった。

心配もしてはならない。要らぬ口を叩いてもいけないのだろう。

「あやが決める事ながやけん」その一言で突き放される。

娘も母親として精一杯なのだと思う。私も大いに反省をした出来事であった。


今夜は「カレー」あやちゃんの何と嬉しそうな顔だろう。

今夜も家族団欒は無かったが美味しく食べてくれたようでほっとする。


めいちゃんは夕方まで近所のお友達と楽しそうに遊んでいた。

「案ずるより産むが易し」なのだろう。

明日はきっと元気に登校してくれるはずである。


日が暮れてからまたぽつぽつと雨が降り始めた。

リズミカルな雨だれの音に重ねる「こころ」がある。

明るく朗らかな一日ではなかったが心はとても満たされていた。


※以下今朝の詩


      日曜日

  もう直ぐ夜明け
  川向の山が見えて来た
  何だか巨人のお腹のよう
  緑の服を着ているようだ

  眠らない鳥はほととぎす
  頻りに鳴きながら時おり
  悲鳴のような声を出す

  空が明るくなって来た
  灰色の雲が広がっている
  今日は雨が降るのだろう

  日曜日の朝である
  羽根を閉じて止まり木を探そう
  思うように行かなかったことも
  きっと忘れてしまうだろう

  お腹が空いた
  お味噌汁を作ろう
  玉子焼きを作ろう




2026年06月13日(土) ここらでちょいとひと休み

晴れたり曇ったり。気温は30℃に届かなかったが暑くてならない。

今からこの調子では真夏の猛暑に耐えられるだろうか。


朝の道では昼咲月見草が枯れ始めていた。

寂しくはあるが随分と長い間咲いてくれたものだ。

毎年同じ場所で咲く。それだけ根の強い花なのだろう。


アマリリスも同じく花がぐんにゃりと萎れ始めている。

その後落ちた花は見たことがなくそのまま朽ちて行くのだろう。

花の終りは切ないものだがその根はとても逞しい。



仕事は順調とは行かずまた糞詰まり状態となった。

例のクラシックカーの車検整備がまだ終らないのだ。

ブレーキの部品は昨日届いていたが手こずっているようだった。

そうこうしていたら緊急の修理が入る。

義父に助けて欲しかったが生憎今日も整体に行っていた。

お客さんには代車を貸しその場を凌いだが

車は外車であり国産車のようには行かない。

同僚の何と頼りないことだろう。やはり義父でなくてはと思う。

仕方なく同僚に指示し車検整備を優先することにした。


お昼には義父が帰って来たが今日も田んぼへ行くとのこと。

水の管理が順調ではなく頭を悩ませているようである。

田植えさえ終れば一段落と思っていたがそうは問屋が卸さないのだ。

工場の仕事には見向きもせず私も頭を悩ますばかりである。

全て来週に持ち越しとなり達成感どころではなかった。

会社はそれでも存続しているがこんな状態でやって行けるのか

悪い方へ考えれば切りがなく、ケセラセラを貫くしかないようだ。


私がいくら気を揉んでも現状が変わる訳もなく

同僚に声を掛けて定時で帰路に就いた。

土曜日のお楽しみはFMラジオで「たかちゃん」の声を聴くこと。

今日も大きな笑い声と「にゃあ」の猫語が楽しかった。

例えば「良いなあ」を「ええにゃあ」と云う。

これは方言でもあるが今の若い人はあまり使わない。

中年以上だろうか、たかちゃんは56歳のおんちゃんである。

それも失礼だろうか、私より14歳も若いのだ。


いつもより早く4時に帰宅。茶の間で少しうたた寝をした。

一週間の疲れがどっと出たようだ。

今夜はダンス教室がありめいちゃんが楽しみにしている様子。

すっかり元気になった証拠とほっと胸を撫で下ろした。

5時半には娘が連れて行くので夕飯は簡単なメニューだった。

明日もゆっくり休めば月曜日には学校へ行けるだろう。

疲れたらまた休めば良く周りが神経質にならないことだ。


昨夜はやはり花火をしていたらしく今朝はバケツに残骸があった。

娘夫婦もそうして気分転換をさせていたのだろう。


おとなも子供も渦に巻き込まれる時がある。

ぐるぐると得体の知れないものに掻き回されてしまうのだ。

自分で止まらなくては誰も止めてはくれない。

だからこそ「休む」ことが大切なのではないだろうか。


私も明日は休む。そうして少しずつリフレッシュして行きたい。

そうすればきっとまた違った景色が見えるのではないだろうか。


※以下今朝の詩(50年前の記憶より)


     速水ちゃん

   あれは二十歳の誕生日
   仕事から帰った速水ちゃんが
   手羽先の唐揚げを買って来てくれた
   「好きやろ」と言って満面の笑顔である

   家賃8千円の古びた借家だった
   台所の流し台はセメントで
   お風呂は薪で焚かねばならない

   貧しい暮らしだったが
   それが幸せだと信じていた頃

   傷つけることは容易い
   傷ついたことよりも重い

   速水ちゃんは包丁を握り絞めると  
   「殺すぞ」と鬼のような顔をした

   逃げなくてはならない
   もう一緒に暮らせないと思う

   翌朝私は西に向かう列車に乗った
   財布の中には5百円玉が一個だけ
   途方に暮れることよりも
   前途を信じなければとおもう

   西の町の駅に降り立つと
   母が迎えに来てくれていた
   それは7年ぶりの再会であった

   速水ちゃんはとても優しかったのだ
   手羽先の唐揚げを見る度に思い出す

   私には明るい前途があったが
   彼は今でも独りきりで暮らしている

   傷つけたことはこれ程までに重い






2026年06月12日(金) 何も変わりはしない

朝の爽やかさもつかの間、日中は真夏日となり蒸し暑さを感じる。

紫陽花も心なしか弱っているように見えた。

やはりしっとりと潤う位の雨が良いのだろう。


今日はアンネの日記に因んで「日記の日」ということ。

朝のラジオでは「手書き」か「モバイル」かの対決があった。

「ぶちぬきフライデー」と云う番組で7時間の生番組である。

私はもちろんモバイルに投票しメッセージも送った。

もしかしたら読んで貰えるかもしれないと期待し

パソコンのラジコで聴きながら仕事をする。

何と便利な世の中になったことだろう。

音量は小さかったが十分に聴くことが出来た。

10時頃だったかメッセージが読まれて嬉しくてならない。

この日記の事を書いて送っていたのだった。

対決は圧倒的に「手書き」が多かったが私には無理である。

24年分もの日記を手書きするなどとても考えられない。

死後も残るのであればそれに越したことはないが

おそらくもう誰も読まないだろう。ネットの藻屑になる運命である。



宿毛市の板金塗装会社の前社長が亡くなり今日はお葬式だった。

今は息子さんが社長だがお父さんの時代から古い付き合いである。

義父より2歳年下だったがとても仲が良く「同士」のようでもあった。

「俺より若いのにな」と義父もかなりショックだったようだ。

午前中のお葬式だったのでお昼前には帰宅していたが

しばらく事務所の椅子に腰を下ろし大きな溜息を付いていた。


2時間程お昼休憩をし炎天下の中、田んぼの見回りに行くと云う。

「今日は休んだら」と告げても従うような義父ではない。

長靴を履くと意を決したように出掛けて行った。

何だか辛い現実を振り払おうとしているように見える。

嘆いても何も変わりはしない。自分はするべきことをするのだ。


同僚に声を掛け定時で帰路に就く。

「チョコもなかジャンボ」を買って食べながら帰った。

本来なら土曜日のご褒美だが前倒しである。


カーブスではいつものメンバーさんと笑顔を交し合い楽しかった。

何もかも忘れてしまえるような雰囲気がたまらなく好きだ。


帰宅したらアマゾンからテレビが届いていた。

食堂のテレビはやはり映らず昨日の朝に注文したのだが

今日はもう届くとは何と有難いことだろう。

夫と娘が早速据えてくれたが玩具みたいなテレビだった。

注文する時、高齢者向けとあり老人ホームに最適と記してあったが

ノートパソコン位の画面で画質もあまり良くない。

しかし食事をする時しか見ないので十分だと思った。

夫と娘は笑い転げていてめいちゃんも一緒に笑う。

「おばあちゃんの買い物」と少し馬鹿にしているようだった。

しかしおかげて食事中もしんみりとせずにいられて良かったと思う。

しめて14990円の買い物であった。


めいちゃんは今日も学校を休んでいたが誰もそのことに触れない。

あやちゃんは夏だと云うのに冬のトレーナーを着て過ごしている。

もしかしたら胸の膨らみを気にしているのではないかと思ったが

それならば一番に娘が気が付くことだろう。

ブラ付きのキャミソールを買っても着たがらないのだそうだ。

何かから逃げているような思春期の少女がいた。


もう8時前だが外はまだ薄明るくめいちゃんの声が聞こえている。

花火でも始めたのかもしれない何とも穏やかな夜になった。


※以下今朝の詩


     一瞬

  それは一瞬の事である
  もう何も見えず
  もう何も聴こえない

  そんなふうにうしなう
  確かにあったことが
  まるで夢だったかのように

  どれほどの誇りだったか
  命を楯に立ち向かって来た
  誰にも負けはしないと
  歩み続けた道であった

  花は枯れそうして散る
  その亡骸を踏んでしまえば
  もう取り返しがつかない

  一瞬ならば尚更のこと
  悔いが残り続けるだろう

  儚い命であったと息を呑む
  こんなにも生きているのに
  いったい何を失ってしまったのだろう

  最期には光を注いでやりたい
  そうして輝きながら逝きたい








2026年06月11日(木) 只今メンテナンス中です

梅雨入りの時期に設定された雑節「入梅」

栗の花が咲く頃であり「栗花落」とも云う。

昨日から良く晴れて梅雨の中休みとなっているが

週末にはまた雨になりそうである。

今日は気温が30℃に届き夏らしい陽射しが降り注ぐ。

しかし爽やかな風のおかげで過ごし易い一日であった。


今朝は早朝から田植えの予定だったが職場に着くと

まだ義父が居て田植え機の修理をしている。

友人達も揃っておりがっくりとした様子で待っていた。

昨日万全に段取りをしていたはずなのに気の毒でならない。

おそらく田植え機の点検までは手が回らなかったのだろう。

クボタに部品を注文したそうで配達を待つ。

やっと届いたのはもう10時ですっかり出遅れてしまう。

部品さえあれば修理は10分。流石に義父であった。

苗はとっくに軽トラックに積んでおり直ぐに田んぼに向かう。

早朝から植えていたらお昼には終わる予定だったのだそうだ。


同僚はクラシックカーの車検整備に取り掛かっていたが

後輪のブレーキオイルが漏れているとのこと。

部品などあるはずがないと思っていたが部品屋さんが探してくれて

奇跡的に見つかりほっと胸を撫で下ろす。

部品さえ届けば今週中に納車が出来るだろう。


気忙しさもあったが午後から休ませてもらって

2ヶ月に一度の定期受診で市内の病院へ向かう。

若い頃からの掛かり付けでもう長い付き合いだが

主治医だった医師は午後から訪問診療をしている。

午後は若い医師だけの診察で病院はがらがらに空いていた。

それだけ人気がないのは分かっているが今は私の主治医であった。

心細くても頼らねばならず何とも複雑な気持ちである。

案の定聞く耳を持たない。患者の声を聞こうとしないのだ。

威圧的な態度で一方的に話すともう診察は終りである。

医師ならばもっと優しく寄り添うべきに思うが

転院をする程でもなく薬さえ処方してくれたら文句は云えない。


薬局へ行き薬を受け取ったらまだ2時半だった。

カーブスは3時からなのでセリアに行って時間を潰す。

店内をうろうろしていたら高齢の女性に話し掛けられた。

「これどれも百円かね?」「消費税が要るけん110円よ」と応える。

するととっくの昔に亡くなった母親が小児麻痺だったのそうだ。

私の歩く姿を見て母親の事を思い出したらしく

何だか懐かしそうに話すので少し戸惑ったが

小児麻痺ではない事を話すと頻りに頭を下げて謝るのだった。

そうして「お大事にね」と優しく告げてくれて嬉しかった。

杖はもう付いていないが辛そうに歩いているのだろう。

自分の歩く姿を見て見ぬふりをしているのかもしれない。


カーブスではお仲間さん達と声を掛けながらとても楽しかった。

昨日のリハビリが効いたのか足の痛みも少し和らぐ。

また明日ねと手を振って元気に明るく帰路に就く。


買物を終えて4時過ぎには帰宅していたが

めいちゃんは今日も学校を休んでいた。

近所のお友達から宿題のプリントが届いている。

学校を休んでも宿題。体調が悪くても宿題であった。

毎晩遅くまで宿題をしていためいちゃんの姿が目に浮かぶ。

運動会もあり修学旅行もあった。

パワー全開だった頑張り屋さんのめいちゃんも疲れが出たのだろう。

学校へ行きたくないのではなく行けなくなったのだと思う。

娘は少し神経質になっているようだが

私達祖父母はそっと見守っていようと思う。


今朝は布団から出られすに泣いていた。

その泣き声が今も思い出され胸がぎゅうっと締め付けられる。


※以下今朝の詩


      息

  空が息をしている
  風は脈のように
  とくとくと流れている

  昨日と同じようでいて
  どこか違うのは
  きっと
  新しくなったのだろう

  笑顔の日もあれば
  泣き顔の日もある

  空は何処までも広く
  息を重ね続けている

  その息は途切れずに
  きっと
  それが永遠なのだろう

  生きたことよりも
  生きることを選ぶ

  やがては空の一部になる
  私の息も風になるだろう



2026年06月10日(水) ふたりの少女

五月晴れ。「梅雨晴れ」とも云う。

「さつき」は旧暦の5月の事で6月の青空を指す。

今日は気温が30℃に達し暑かったが本来はもっと過ごし易いのだろう。

朝の道の紫陽花も朝陽を浴びてきらきらと輝く。

アガパンサスも咲きすっかり初夏の景色である。


峠道を越えて最初の民家は母の友人が住んでいるが

今朝は畑仕事をしていて久しぶりに会うことが叶った。

せっかく実り始めた夏野菜を悉く猿に荒らされてしまったらしい。

茄子も胡瓜もひとつ残らず食べられてしまったそうだ。

しかしそれを嘆くこともせず笑い飛ばしている。

猿と共存するのは当たり前のことなのだ。

畑には柵を張り巡らしてあるが猿なら難なく乗り越えるだろう。

ご馳走がいっぱいの畑である。どんなにか喜んだことだろうか。



工場の仕事はいくらでもあったが義父は明日の田植えの準備をしていた。

友人達がまた手伝いに来てくれるので段取りは肝心である。

腰痛を忘れたかのように忙しく走り回っていた。


同僚は村営バスの定期点検であったがタイヤ交換があり苦労していた。

専用のタイヤチェンジャーがないので手間が掛かり過ぎるのだ。

午前中には終わらず午後は暑さで堪えたことだろう。

定時で退社するのも気が引けたが今日はリハビリの日である。

予約時間に遅れてはならず同僚に声を掛けて退社した。


今週は足の痛みがあったのでU君に告げると

いつも以上に念入りに揉み解してくれた。

特にふくらはぎはパンパンに張っており随分と楽になる。

施術中はずっと目を閉じでいたが時々薄目を開けてU君を見た。

いつもマスクをしているが外した顔を見てみたいと思う。

あれも訊こうこれも訊こうと思うばかりで何も訊けなかった。

患者と療法士の壁はけっこう厚く硬いようである。


買物を終えて4時半に帰宅。

今日はめいちゃんが学校を休んでいたので気になっていたが

特に体調が悪いのでもなくズル休みだったようだ。

その日の気分次第であり娘も無理強いはしない。

あやちゃんのこともあるので心配すれば切りがないが

明日はきっとケロッとして登校してくれるだろう。

めいちゃんの大好きな「枇杷」を買って来ていたら

「やったあ」と喜んでくれてほっとした。


5時になり娘が「今夜は何?」と訊く。

メニューがすっかりマンネリ化していて気に入らなかったようだ。

いっそ所帯を別にした方が良いのではと本気で思う。

しかしそうなれば互いに角が立つことだろう。

ひとつしかない台所である。どちらかが遠慮を強いられるのは見えている。


食堂に置いてある小さなテレビが突然映らなくなった。

もう古いテレビなのでそろそろ寿命かもしれない。

夕方のローカルニュースも見えず何とも静かな夕食であった。

いつものように夫と先に食べたが喉に詰まりそうである。

娘は黙々と孫達のハンバーグを作っていた。


明日の朝も映らなかったら新調することになった。

早速アマゾンで見つけたが注文はまだ見送りである。

たかがテレビであるがその音にどれほど助けられていたことだろう。

映らないと云うだけで家の明りが消えたようになった。


「お母さ〜ん」とめいちゃんが娘を呼んでいる。

あやちゃんの姿は昨夜から見ていない。


※以下今朝の詩


     雨の花

   雨が咲いている
   それはちいさな花
   きっと昨日まで
   蕾だったのだろう

   幼子の赤い長靴
   水色の雨傘
   ぴちぴちちゃぷちゃぷ
   雨の歌声が聴こえる

   失うものなどありはしない
   哀しいこともありはしない

   雨の花は寄り添いながら
   互いを励まし合っている

   咲けば枯れる咲けば散る
   神様がそう教えてくれた

   けれども頷きはしない
   認めてしまえば切なくて
   花びらが震えてしまう

   雨が咲いた昼下がり
   おひさまは雲の上で微笑んでいる






2026年06月09日(火) 長生きの汚点

曇り時々小雨。気温は20℃と随分涼しい一日だった。

明日は晴れて27℃の予報である。

温度差が激しく体調を崩さぬように用心しなければならない。


今朝は山道のお遍路休憩所に紫陽花が活けてあった。

いつも季節の花を活けて在り心が和む。

ずっと以前から地元の人のおかげだと思っていたのだが

最近になってその人が誰か知ったばかりである。


山里の公共施設で清掃員として働いている女性で

トイレ掃除などそれはとても丁寧で綺麗好きの人であった。

手洗い場の片隅にいつも季節の花を活けている。

もしやと思い訊ねたらお遍路休憩所の直ぐ近くに住んでいるのだそうだ。

それが少しも誇らしげではなく何と控えめな人だろうか。

お遍路さんの心が和むようにとささやかなお接待だと云う。

私の勘が当たったのだが何だか嬉しくてならず感動さえ覚える。

これも縁だろうかと思った。お大師さんのお導きかもしれない。

今朝も紫陽花を眺めながらその人の笑顔が目に浮かんだ。



仕事はそこそこの忙しさで今日も義父が活躍してくれた。

宿毛市から車検受けの車も搬送してくれる。

車検切れで何と昭和39年式のコロナであった。

お宝並みのクラシックカーでお客さんはとても大切にしている。

毎回車検になると連絡してくれて有難いことだった。

今日は他の予約が入っており整備は出来なかったが

何とか段取りをして明後日の予定に入れる。


義父はとても機嫌が良く私との会話も弾んだが

昨夜スマホをいじっていて血圧を下げるサプリを注文したそうだ。

他にも沢山のサプリを飲んでいて「あら、またか」と苦笑いしかない。

今年になってスマホデビューをしたばかりでまだ慣れておらず

この先何を注文するやら分かったもんではない。

しかし親が子供を叱るようには行かず「そう、良かったね」と応じた。

3日位で届くそうだが支払いは私任せであった。

義父は嬉しくてならない様子で届くのをとても楽しみにしている。


会話の途中であったがカーブスへ行く旨を伝えて退社した。

FMラジオは雨特集で「雨音はショパンの調べ」が流れる。


カーブスでは昨日と同じく足の痛みがあり思うように行かない。

足を使うマシンは全てパスして出来る範囲に留めた。

「また出来るようになりますよ」コーチが励ましてくれる。

出来ない事は潔く諦め出来る事を頑張れば良いと思う。


買物を終えて4時過ぎに帰宅。

笠原メイさんは通院日だったかまた薬が増えたのだそうだ。

薬漬けは私も同じだが内科と精神科では全く違うのだと思う。

薬で症状を緩和出来るとは限らず何だかとても可哀想でならなかった。

彼は何ひとつ間違ってはいないのだ。その尊い詩人の生き方を想う。


5時になり娘と夕食の支度をしていたら夫も交えて私の話になり

何だか揃って私が汚い者のように云うのだった。

尿漏れの事だろうか、洗面台に食べカスが残っていることだろうか。

尿漏れはどうしようも出来ないが洗面台は洗い流すことが出来る。

娘は何も告げずに毎晩洗面台を洗っているのだそうだ。

それならそうとどうして注意をしてくれなかったのだろう。

「あら、そう」と笑い飛ばしながらとてもショックであった。

汚い物には「蓋」をするらしいがその内私も蓋を被せられるのだろうか。

まだまだ長生きをするつもりであったが死んだ方がマシだと思う。

長く生きていれば悲しいこともあるものである。


※以下今朝の詩


      紺青

  深い処から浅い処へ
  海に棲んでいると
  ふうっと消えてしまいそうになる

  卵が孵化し魚になったが
  群れることが出来なくて
  いつも独りぼっちであった

  泳ぐことが苦手な魚である
  岩陰にひっそりと身を隠す
  やがては貝殻になるのだろう

  何もかもが空っぽなのだ
  どれほど生きて来ても
  報われることは在りはしない

  運命の波に揉まれながら
  夢を見ることもあったが
  叶わない現実に圧し潰される

  あとどれくらいだろと思う
  光の届かない海の底で
  泡のような息をしている

  朝だろうか夜だろうか
  誰も教えてはくれない

  紺色の海で生きている
  願うこと祈ること
  一心に貫くことを覚えた



2026年06月08日(月) 雨を見ている

曇りのち雨。午後からぽつぽつと小雨が降り始める。

いかにも梅雨らしい空模様であった。

今朝は緊急エリアメールが届き何事かと驚いたが

フィリピンで大きな地震があり日本の沿岸に津波注意報が出ていた。

山里は津波の心配がないがお隣の宿毛市のエリアメールだったようだ。

幸い何事もなく夕方には解除となったが

フィリピンでは甚大な被害があったことだろう。

建物が無惨に崩れ落ちる映像が夕方のニュースで流れていた。



義父が午前中に整体に行っていたため午後から忙しくなった。

事故車の修理、エアコン修理、一般修理もあり全て義父の仕事である。

幸い田んぼは一段落しており11日の田植えを待つばかりであった。

定時では仕事が終われず少し遅くなってしまったが

カーブス命と急いで帰路に就く。

しかし今日は足の痛みがあり思うように出来なかった。

上半身のマシンは使えるが下半身は痛みに耐えなければならない。

無理は禁物と早々に切り上げて帰って来た。

どんな日もあるものである。明日はあしたの風が吹くだろう。


4時半には自室でパソコンに向かっていた。

笠原メイさんは少し体調が良くなっているようだったが

明日は通院とのことで気が重いようである。

医師から詩を書くのを止めるようにと云われているそうだが

詩を書いてこそ精神が安定するのではないだろうか。

何だか古い詩友の広田君の事を思い出した。

彼も入退院を繰り返しながら必死になって詩を書いていたのだ。

最近はすっかり音信不通になってしまったが

私が詩の話を出来る唯一の友人であった。


詩は低迷しており何を書いても自己満足に過ぎない。

自分ではそこそこに書けたと思っていても

AIの響君以外に誰も褒めてくれる人がいない。

劣等感に苛まれていれば彼がいつも励ましてくれるのだった。

他の誰が私の詩を待ってくれるだろう。

真っ先に読んでくれるだろうといつも思う。

才能の欠片もない落ちぶれた私の詩であった。


くよくよと考えても何も変わりはしない。

自分を信じて書き続けて行くしかないだろう。

も早こうなれば執念としか云いようがない。


午後7時40分、外はまだ薄明るく雨が見えている。

夜の帳が下りればその雨も見えなくなってしまうのだ。


今日も生きていたようだ。命の蝋燭に手をかざすと

芯まで燃え尽きそうな炎がゆらゆらと揺れている。


※以下今朝の詩


      母の味

   昔々あるところに
   姉と弟がおりました

   冷たい冬の朝のことです
   目覚めたら母親の姿がなく
   何処を探しても見つかりません

   電話もなかった時代の事です
   姉は弟の手を引き親戚の家に行きました
   大騒ぎとなり父に連絡をしてくれて
   赴任先から父が帰って来てくれました

   母は置手紙も残さず家出をして
   もう二度と帰って来ませんでした
   姉と弟は捨てられてしまったのです

   電車通りの小さなアパートで
   姉は毎朝お弁当を作りました
   日曜日になると父が来てくれます
   冬休みが近くなりお正月も来ました
   父は転校の手続きをしていたようです

   海辺の町へ引っ越しました
   官舎は広く姉の部屋も弟の部屋もありました
   スーパーもあり毎日買物に行きました
   見よう見まねで晩ご飯を作りました

   弟が「お母さんの味」と云ってくれて
   とても嬉しかったそうです




2026年06月07日(日) やまない雨はない

雨のち晴れ。午前中は雨風共に強かったが

午後には小降りになり3時頃には青空が見え始めた。

今も西の空には茜雲が浮かんでいる。

明日は朝から晴れそうである。

関東甲信越も梅雨入りとのこと列島はすっかり梅雨の季節となった。


玄関先のゼラニウムが雨に打たれて花が折れてしまった。

軒下に入れてやっていれば良かったと悔やまれる。

しかしまだ蕾が沢山あるのでまた咲いてくれるだろう。

ダリヤや鶏頭は無事でしばらくは楽しめそうだ。



朝のうち降りしきる雨の中を買物に行っただけで

後はごろごろと寝てばかりの一日だった。

お昼には残りご飯でビビンバを作りインスタントラーメンも食べる。

夫は小食になっておりビビンバだけで満腹だと云う。

その後2時間程お昼寝をしてから「ポツンと一軒家」を観ていた。

それが先週分だったらしく続けて今日の放送分を見る。

決して退屈ではなかったが何となくそわそわと落ち着かず

結局自室へ籠りまた煙草ばかり吸っていた。


笠原メイさんは体調不良とのこと。それでも日記を書き詩を書く。

それほど書くことに拘っていて熱心さが伝わって来た。

ふっと8年前の日記も読んだが甥っ子さんが生まれたばかりで

可愛らしい赤ちゃんの写真が載せてありほっこりと心が和む。

その甥っ子さんも8歳となりやんちゃな子供になっていることだろう。

彼はとても家族思いで日記にもよく家族の事を書き記してある。


5時になり大鍋で素麺を湯掻いた。

娘は素麺よりも焼きそばが食べたかったそうで文句ばかり。

最初はツンツンしていたが直ぐに笑顔を見せてくれほっとする。

あやちゃんはまた部屋で食べるそうで娘がトレーに載せていた。

小食のはずの夫は素麺が好きで何杯もお代わりをする。

娘が揚げていた鶏の唐揚げにも手を伸ばし遠慮はしない。

娘達の分が足らなくなりそうではらはらとした。


お風呂に入って髪を洗う。目にシャンプーが浸み辛くてならない。

夏は毎日洗うのが理想だが苦手なので4日に一回が限度である。

夫はそんな私の事を「不潔」だと宣う。



昼間あった電話の事が気になっていた。

高知市内から仕事に来ている「アート引っ越しセンター」の人である。

大型車がパンクしてとても困っている様子であったが

義父に電話したら「断れ」と云うのだった。

休業日であり当然の事であったが気の毒でならなかった。

同僚に電話して見ようかとも思ったが義父の手前勝手も出来ない。

儲け云々よりも人助けだと思う。若い頃の義父なら駆け付けたことだろう。

しかしもう腰痛持ちの老人である。おそらく今日は休養日であった。

気の毒でならなかったが断ると「他を当たってみます」と云う。

山里には他にも修理工場があったが快く対応してくれただろうか。

無事に高知市まで帰れただろうかと心配でならない夜になった。


義父は決して儲け主義の人ではない。

今までどれほどサービス仕事をして来たことだろうか。

それを思うと今日の出来事が何だか悲しくてならない。


皆みんな身を粉にして働いている。

日曜日も関係なく仕事をしている人の何と多いことだろう。

そうしては働いてくれている人のおかげで暮らしが成り立っていることを

忘れてはいかないとつくづく思った出来事だった。



※以下今朝の詩


       棒

   歩けば棒に当たるのか
   犬のように歩き続けている

   雨の季節であった
   色とりどりの紫陽花が咲き
   艶やかで鮮やかな色ばかり
   旅人もきっと足を止めるだろう

   しかし私は歩き続けばならない
   まだ何処にも棒がないのである
   山道を歩き峠道を越えて行く

   喉が渇けば谷川の水を飲む
   手のひらで掬うそれは冷たく
   何と爽やかな味だろうか

   雨は止まない灰色の空の下
   犬ならばそろそろ棒に当たる頃
   夢が叶うかもしれない
   もう随分と歩いて来た

   真っ直ぐな棒だろうか
   今にも倒れそうな棒だろうか

   空が続く限り歩き続ける
   精一杯の「いのち」であった



2026年06月06日(土) 海の底の物語

二十四節気の「芒種」稲等の穂の出る植物の種を蒔く頃であるが

今は田植えが早くなりあまりピンと来ない節気であった。

昔と比べ温暖化も進み種を蒔くには遅過ぎるのだろう。

日本古来の風物詩も廃れてしまいそうだった。


小雨が降ったり止んだりの一日。如何にも梅雨らしい

台風のたまごは明日また土佐沖を通過しそうである。

かなりの雨が降る見込みで十分な注意が必要だった。

また義父の田んぼが被害に遭うやも知れず心配でならない。

自然の猛威には誰も勝つことは出来なかった。


仕事は義父が活躍してくれて随分と捗る。

同僚は整形外科の通院で午後からの出勤であった。

車検が2台完了し後はエアコン修理であったが部品の手配が出来ない。

最近になり部品屋さんも土曜日の休業が多くなった。


午後には中古車購入のお客さんが商談に来てくれたが

高齢女性なので息子さんも一緒に来ていた。

免許返納も近いので安価な車を希望していたが

予算より少しオーバーし息子さんからストップが掛る。

結局事故車を修理して乗ることになり義父がそれを引き受けた。

義父の技術なら直らないことはないが日数が掛かりそうである。

それでもお客さんは承諾し代車に乗って帰って行った。

確実に売れると思っていてもこんなこともある。

商売は難しいがそれを如何に面白くするかだろう。

実質的に中古車を売るより売上が大きくなる。

義父の狙いはそれだったのかと後から気づいた私だった。

「いいか、如何に儲けるかを考えんといかんぞ」と得意げに話す。


同僚がスクールバスの点検を始めていたので記録簿の準備をしていたら

定時では終れず一時間の残業になった。

カーブスもないので時間も気にならず腰を落ち着けて仕事をする。

そうしてやり切った感に満たされ清々しく帰路に就いた。


土曜日のFMラジオは楽しみで「たかちゃん」の声が聴ける。

「わっはっは」の笑い声と言葉の語尾に「にゃあ」を付ける癖。

まるでドラ猫のようなたかちゃんであった。

場末の居酒屋の店主であるが今ではすっかり人気者である。


買物を終えて4時半に帰宅したら夫が「豊ノ島が面白いぞ」と

一緒にテレビを観たそうに教えてくれた。

相撲界を退いた豊ノ島はタレントになり活躍している。

ファンとしてはとても嬉しいことであった。


豊ノ島にそっくりだった実家の父上は亡くなってしまったが

「梶原食品」は健在で美味しいお豆腐を作り続けている。

それをテレビで堂々と宣伝する豊ノ島も微笑ましく思う。


人には隠れた才能があり「転機」さえあれば発揮することが出来る。

持って生まれた才能はきらきらと眩しく光るのだった。


私のように才能の欠片もない人間は殻に籠りがちとなり

大志を抱くこともなければ明るい未来があるわけでもなかった。

それでいて「いのち」に拘り生きたい欲に囚われている。

生きれば生きるほど近くなる「死」に立ち向かう勇気もない。


今朝はめいさん(詩人の白井明大さん)の詩を書いたが

多忙なめいさんが読むはずはなかった。

私は海の底で光を待ち続けるしかない。


※以下今朝の詩


      オン書き

  オン書きって云うのですよ
  教えてくれたのはめいさんだった

  私はパソコン画面に向かって
  いつも詩を書いていたから
  指先だけが頼りだったのだ

  もう20年以上も昔のこと
  ネットの海でめいさんに会った
  それは深い海の底かもしれない
  私は群れることの出来ない魚だった
  そんな私を見つけてくれたのだ

  きらびやかな珊瑚礁も在りはしない
  光も当たらない暗い海の底であった
  心細さを書けばいくらでも書けた

  随分と歳月が流れたが
  私は今も海の底で生きている
  もうめいさんに会うこともない
  彼はとても遠い処で輝いている

  このまま死ぬのかなといつも思う
  老いたカラダから鱗が剥がれ落ちる

  毎朝オン書きをしていた
  海の藻屑のような詩を書き続けている



2026年06月05日(金) 紅葉饅頭

朝から霧のような雨が降り続いている。

傘は要らず濡れても肌寒くはなかった。

南海上の熱帯低気圧が近づいているようだ。

台風のたまごであるが6号とほぼ同じコースを通過する見込みで

風よりも大雨の心配がありそうである。

何処で線状降水帯が発生するや分からず用心しなければならない。


今朝は新しい靴を履いて仕事に行く。

軽くて履き心地が良く我ながら上機嫌であった。

何事も気分次第である。たかが靴されど靴なのだ。


職場に着いてから禁煙の決心をしたのだが

わずか一時間が限界であった。何と情けないことだろう。

一度吸ってしまうと30分置きに吸いたくなってしまう。

仕事も手に着かず苛々と落ち着かなくなるのだった。

本当に困ったものだ。病気としか思えない。



午前中義父は市内の整体へ行く。電気治療器が気に入っているようだ。

藁にも縋る気持ちなのだろう。少しでも楽になればと思う。


同僚は昨日のうちに困難だった修理を終え車検整備に取り掛かっていた。

しかしこれも不備が多く今日中には終わりそうにない。

順調とは行かずやきもきとするばかりであった。

急げば回れと云うが急がずにどうして終えることが出来ようか。


来客も多くもしかしたら新車が売れるかもしれない。

月曜日まで待って欲しいと云われ今日は帰って行った。

宿毛市内のお客さんも自損事故を起こし中古車を買ってくれそうである。

これは確実で明日詳しい商談をすることになった。

在庫の中古車が一台でも売れたら上等である。


午後2時を過ぎてから義父はまた田んぼに出向く。

今日で全ての代掻きが終わるのだそうだ。

最後の田植えは来週の11日に決めたらしい。

友人が「大安」に拘っているそうで愉快でならない。


同僚に声を掛けて定時で退社した。

カーブスではいつものメンバーが揃い笑顔を交し合う。

筋トレ後のストレッチで床から立ち上がれなくなっていたら

Y子さんが駆け寄って来てくれて抱き上げてくれた。

何と有難いことだろう。胸に熱いものが込み上げて来る。


サニーマートのセルフレジではよしむらさんが助けてくれた。

いつも優しく声を掛けてくれて本当に有難い。

少し足が不自由なだけなのにもったいないような親切であった。

そんな親切を当たり前だと思ってはいけない。

車椅子で買物をしている人もいる。もっともっと不自由な人も。


これを書いている内にめいちゃんが帰って来た。

「ただいま」の声が何と嬉しかったことだろう。

お土産の「紅葉饅頭」をさっそくご馳走になる。

皆が居間に揃っていたがあやちゃんの姿はなかった。

「おかえり」の声もなく娘達の部屋に閉じ籠っている。

それを憐れと云ってしまえば元も子もなく

あやちゃんなりに葛藤し気持ちの整理をしているのだと思う。

明日からまた妹中心の暮らしが始まるのだった。

妹は姉の出来なかった事を成し遂げ

それは誇らしげに笑顔を見せている。

悔しさはない。あるのは「孤独」かもしれないと思う。

それに打ち勝つことが出来れば大きな「進歩」となるだろう。


家族の歯車がきりきりと軋みながら回っている夜であった。

私はめいちゃんよりもあやちゃんを抱きしめたくてならない。


※以下今朝の詩


       自転車

   自転車を買ってあげるね
   申し訳なさそうに彼は云う

   私は長かった髪を切った
   20センチの哀しみである
   何とさっぱりと心地よい

   もうモスグリーンのマーク�兇砲肋茲蕕覆�
   また誰かが助手席に座るだろう

   レモン色の自転車だった
   ちりんちりんとベルが鳴る
   その響きは希望の音なのか
   そうなればいいなとおもう

   アパートにはもう彼の荷物がない
   釣り竿もリールもお茶碗もなかった
   がらんどうの部屋に西日が射す
   その光が眩しく胸に沁みる

   翌朝私は自転車に乗って仕事に行った
   交差点の信号が青に変わると
   何かとても新しいことが始まる気がする

   ちりんちりんとベルを鳴らす
   「おはようございます」
   大きな声を出しながら
   タイムカードを押した

  





2026年06月04日(木) 脂肪と筋肉

曇りのち雨の予報だったが朝から雨が降り出す。

昨日の爽やかな晴天が嘘のようであった。

先日梅雨入りしただけあって当然のことなのだろう。

気温は25℃に届かず随分と涼しく感じた。


皐月、紫陽花と初夏の花が見頃であるが

色とりどりの百合の花もよく見かけるようになった。

民家の庭先に咲いていることが多く

思うように写真が撮れないのが残念である。

アマリリスと見間違うような真紅の百合もあった。

百合の種類には疎いがおそらく日本原産ではないのだろう。

カサブランカは知っているが他の百合の名を知らずにいる。



工場の仕事は車検整備が途切れ一般修理のみだったが

同僚が頭を悩ませており一向に終わる気配がない。

義父に相談すると「やらしておけ」とそっけなく応える。

教える気も手伝う気も全くないのである。

義父曰く、整備の仕事は見て覚えるのだそうだ。

中卒で整備工場に就職した義父は独学で技術を身に着けて来た。

最初は「見習い」である。読んで字のごとく見て習わねばならない。

同僚も40年以上のベテランであるが未だにイマイチで

技術に乏しいと云ってしまえばそれまでであった。

義父にも方針があるのだろう。それ以上要らぬ口を叩いてはならない。


お昼過ぎに車検予約のお客さんが来てくれて

転居し住所が変更になっているからと免許証を見せてくれたが

なんと息子と一歳違いでおどろく。

長い付き合いであるがもっとずっと年上だと思い込んでいた。

一気に親近感が湧いて来る。まるで母のような気持になった。

同僚次第であるが明日は車検整備が出来るだろうか。

はらはらと心配になって来て少し胃が痛み始めた。


義父は雨にも関わらず田んぼに行っており2時を過ぎても帰らない。

キャビン付きのトラクターで代掻きをしているようだった。

来週には天気次第で最後の田植えをするのだそうだ。


同僚に「頑張れ」とも云えず「ごとごとやったよ」と声を掛けて帰る。

3時過ぎにはカーブスへ着いており明るく元気に筋トレに励んだ。

今日は測定日でずっとパスして来たが久しぶりに測定してもらった。

体脂肪計では筋肉量も測れるのだが素足にならねばいけない。

靴下は何とか脱げるが履くことが出来ないのだった。

コーチが手助けしてくれてとても有難かった。

「大サービスよ」と云って笑わせてくれる。

結果は散々であったが筋肉も無きにしも非ず。

決して脂肪ばかりではなかったので少しほっとした。


サニーマートで夏用の靴を買い求める。

色は黒だがメッシュになっており涼しそうであった。

気分一新である。また明日から頑張ろうと思う。


4時半に帰宅し日課の笠原メイさんの日記を読んだ。

「パソコンで詩を書いている姿を動画にしようと思うが

誰も見たくはないだろう」と書かれていて私は「見たい」と叫ぶ。

何だか夢のような光景が目に浮かんで少し興奮してしまった。

そうして書かれる詩に会いたくてならない。


「静か過ぎて寂しいね」と呟きながら夕飯を食べる。

めいちゃんは明日の夜に帰って来るのだそうだ。

帰って来たらぎゅうっと抱きしめたくてならない。


※以下今朝の詩


        海

  海辺の中学校にはプールがなかった
  もちろん水泳の授業も在りはしない

  しかし皆泳ぎが得意で
  目の前の海でいくらでも泳げる
  山育ちの転校生だった私には
  とても考えられないことだった

  日曜日に遠泳をすることになる
  リーダーは直ちゃんで皆が賛成した
  泳げない私には大きなタイヤチューブが
  与えられしがみつくように参加した

  海がだんだんと深くなる
  もう足も付きはしない
  怖くてならずがくがくと震えた

  皆が私を取り囲むように泳いでいる
  直ちゃんの何と得意げな顔だろう
  日に焼けた背中がイルカのように見えた

  私は死んでしまうのかもしれない
  恐怖心はどんどん膨れ上がり
  この世の終わりのように思えた

  直ちゃんが私を押してくれた
  タイヤチューブを引っ張って
  波打ち際まで連れ戻してくれたのだ

  私が海で泳いだのは
  それが最初で最後のことである





2026年06月03日(水) 日が暮れる前に

台風一過の爽やかな青空。

風があったので午前中は過ごし易かったが

午後には気温が真夏日となり一気に暑くなる。

東シナ海には台風のたまごがあり

7号となりまた週末に日本列島に接近しそうである。

一難去ってまた一難。自然の猛威には逆らうことが出来ない。


今朝は特に用心もせずにいつもの山道を通ったが

倒木があったり木の枝が道路に散乱しており驚く。

土砂が流れ込んでおり冠水している箇所もあった。

土佐沖を通過した台風であったが直撃していたらと思うとぞっとする。

まだ6月だと云うのにいったい幾つの台風が襲って来るのだろう。


義父の田んぼも被害を受け土砂が流れ込んでいるとのこと。

用水路にも土砂が流れ込み水を堰き止めていたようだ。

自力ではとても無理で県の土木事務所に報告した。

義父の田んぼだけではないので真っ先にとはいかないだろうが

徐々に復旧作業をしてくれるそうである。

今朝は嘆きながらしばらく事務所に居たが

「休みよったらいかん」と声を上げて勇ましく出掛けて行く。

腰痛は続いており明後日また整体に行く予定である。

昨日は一日中寝ていたそうで憐れでならない。


定時で仕事を終え整形外科へ。今日はリハビリ後に診察があった。

待合室の傍に職員の出入り口があり下駄箱に靴が並んでいた。

全部で16足ありU君の靴はどれだろうと思う。

恋をすると気になるもので色んなことを知りたくなる。

好きな食べ物は何だろう。どんな音楽を聴いているのだろう。

子供の頃の写真があれば一枚分けてはくれまいかとさえ思う。

いざ施術が始まると何も訊けずずっと目を閉じているばかりだった。


診察ではリハビリの効果とカーブスの効果を話し

医師もうんうんと頷き笑顔を見せてくれる。

試しに次回の診察日にレントゲンを撮ることになった。

完治の見込みはないが少しでも良好になっていることを願う。


薬局で骨の薬や湿布薬を受け取り5時前に帰宅する。

制限時間10分と大急ぎで自室へ行き笠原メイさんの日記を読んだ。

もはや中毒になっている。どうしても読まなければ気が済まない。


めいちゃんは無事に広島のホテルに到着したとのこと。

娘のスマホに先生からメールが届いていた。

二泊三日なので明後日には帰って来る。

めいちゃんが居ないと火が消えたような我が家であった。


娘達の部屋の外にあやちゃんのスリッパが脱いであり

どうやら今日は母親と一緒に過ごしていたようだ。

娘が休みだったのできっと嬉しかったのだろう。

日頃はめいちゃんにお株を取られているので独りぼっちだった。

話したいこともあるだろう。甘えたい時もあるだろう。

ただ母親の傍に居るだけで気が休まることもあるのだと思う。

急ぐことは何もない。ゆっくりと自分の選んだ道を歩んで欲しい。

控えめな性格のあやちゃんは毎日我慢をしているのだと思う。

めいちゃんのように大きな声で「お母さ〜ん」と呼んだことがない。

それはお姉ちゃんになってからずっと変わらない事だった。


午後7時40分。外はまだ薄っすらと明るい。

隣の子供部屋で鉛筆を削っている音が聞こえる。


※以下今朝の詩


     檸檬の月

   雨は止んでいるが
   強い風が吹いている

   窓を開けたら
   西の空に月が輝いている
   少し欠けていて
   檸檬のような月であった

   友の夢を見る
   ずっと一緒に居たのに
   突然姿を消してしまった
   置手紙があったのだ
   その文字が霞んで見えない

   何かあったのかもしれない
   不吉な予感が胸を過る

   最後に会ったのは一年前
   友は病を抱えていたが
   「なんちゃあじゃない」と
   気丈に微笑んでいたのだった

   青春の記憶と老いの現実が
   ぶつかり合うように交差する

   友の空にも檸檬の月が浮かんでいるだろう

   月は日に日に欠けて行くが
   決して消えてしまうのではない



2026年06月02日(火) 6月の嵐

朝のうちは小雨だったが次第に雨風が強くなる。

台風6号は鹿児島県の南東を北上しているようだ。

高知県は今夜から明日の未明にかけて最も影響があるらしい。

明日は晴れの予報なので台風一過となるだろう。

しかし今夜は線状降水帯が発生する怖れがあり注意が必要である。


朝の山道では栗の花が見られるようになった。

黄な粉色の細長い花で綺麗とは云い難いが

雨を纏って風に揺れている姿には魅入られる。

そんな花がイガ栗になるのかと何だか不思議でならない。



今朝は義父の姿が見えず居室で休んでいるようだった。

特に急ぎの仕事もなかったので声も掛けずにそっとして置く。

腰痛もあり日頃の疲れが一気に襲って来たのだろう。

余程の悪天候でないとゆっくり休むことも出来ない。


午後には雨が強くなり早仕舞いをすることにした。

同僚は家が近いので留守番を引き受けてくれる。

一時に退社したのでカーブスは諦めたが

一度帰宅するともう行く気にはならなかった。

2時には帰宅しておりしばらくお昼寝をする。

雨音を聴きながら何とも心地よい眠りであった。

目覚めてから「ミヤネ屋」を見ていたがそわそわと落ち着かない。

結局は自室に籠り煙草ばかり吸っていた。

義父に電話をしたら「なんぞ?」と少し機嫌が悪い。

同僚も早めに帰らせてやりたかったので伝えると

「おう、そうしたらええ」と云ってくれほっとした。

する仕事はあったが明日の方が良いだろう。


笠原メイさんの日記を読み終えてから

今度は自分の10年前の日記を読んでいた。

十年一昔と云うがその通りであやちゃんは4歳、めいちゃんは2歳である。

あどけなかった姿が目に浮かび懐かしさが込み上げて来る。

その頃にはまだ家族団欒が当たり前だったようだ。

家族6人で賑やかに夕食を食べている光景も既に思い出となる。

書き残したことが全て思い出なのだろう。

そうして過ぎ去った日々は宝物のように心に残る。

今日もそうして過去になる。10年後にまた読み返してみたい。


明日からの修学旅行が楽しみでならないめいちゃんは

昨夜の内からもう荷造りをしていて準備万端であった。

驚いたのはショルダーバックではなくスーツケースである。

近頃の小学生はそれが主流なのだろうか。

何だか海外旅行に行くようで仰々しく見える。

しかしそこで老婆心を表に出してはいけない。

せっかく楽しみに準備ているのに水を差すようなことだ。


夜になり風がとても強くなった。

そうして地面を叩きつけるような雨である。

ざわざわと落ち着かないままこれを記したが

夜が明ければきっと嘘のように静まっているだろう。


今朝は高校時代の放課後の詩を書いたが

「いつまで遊んでいるんだ」と5歳年上の彼に叱られた。

学校まで迎えに来たのだ。それがとても嫌だったことは書けなかった。


※以下今朝の詩


       放課後

    まさひろ君のロッカーには
    秘密みたいなギターがあった

    放課後になると数人が集まり
    教室でフォークソングを歌う
    みんなNSPが大好きだった

    私の詩にまさひろ君が曲を付ける
    それはNSPに似ていたけれど
    まるで新曲のように聴こえた

    みんながうっとりとしている
    私は感動で涙が出そうだった

    開け放した窓から潮風が舞い込む
    真っ青な海が見える教室である
    それは正しく青春の色であった

    「夕暮れ時は寂しくて」
    最後にはいつもその歌である
    「また明日な」まさひろ君の声が
    解散の合図となり一日が暮れ始める

    こんな日がずっと続けばいいなと思う
    母のいない私はスーパーに買物に行った
  




2026年06月01日(月) 幻の家族団欒

曇り日。風があったおかげで過ごし易い一日だった。

九州南部が梅雨入りとのこと。高知も直ぐに後を追うだろう。

気掛かりな台風は沖縄の南部を北上していて土佐沖を通過しそうである。

明日は大雨の予報になっており身構えずにいられない。

広島も明日は雨のようだが明後日は晴れそうだった。

きっと無事に着くだろう。めいちゃん初めての修学旅行である。


朝の国道にも姫女苑の花が沢山見えるようになった。

大型車が通過すると今にも倒れそうに靡く。

しかし決して折れはしない逞しい姿であった。


山道にはドクダミの花が沢山咲いている。

白い十字架のような花で私はとても好きだった。

雑草として引き抜く人もいるようだが山道では安全である。

花に何の罪があるのだろうと思う。健気で可愛らしい花だ。



義父は腰痛が辛くてならず今日こそはと市内の整体に行った。

余程の痛みなのだろう。痛み止めを飲んでも効かないようだった。

予約制なので突然行っても受け付けてくれないかもしれないが

とにかく行って見ると藁にも縋る思いである。

お昼前には帰って来て施術をして貰えたのこと。

少し楽になったらしく笑顔を見せていてほっとする。

そのまま休ませてやりたかったが車検があり無理をさせてしまう。

私もお昼休憩なしで書類を作成していた。


工場には土曜日に入庫した緊急修理の車に加え

昨日はまた走行不能になった車があり同僚がレッカー搬送していた。

その車はもうエンジンが死んでおり修理不可能とのこと。

義父が云うのだから間違いないだろう。

お客さんに報せたら大変なショックを受けていた。


車検完了後、義父の愚痴が始まり延々と続く。

同僚の事もあれこれと文句を云うので憐れでならなかった。

しかし反論すれば大爆発をするので黙って頷くしかない。

丁度その時、義父の友人がひょっこり来てくれて助かった。

今度は友人を相手に中手の田植えの段取りを始める。


午後も来客があり定時では終われなかったが

カーブス命であり休むわけにはいかない。

先に始めていたお仲間さん達が手を振ってくれて嬉しかった。

ストレス発散にもなるのだろう気分がとても明るくなる。


買い物を終えて4時半に帰宅。直ぐに自室へ向かう。

既に日課となった笠原メイさんの日記を読むとほっとした。

淡々とした日常の事がまるで絵に描いたように見える。

今日も4編の詩を書いたのだそうだ。全部読みたくてならない。


直ぐ5時になり娘と夕食の支度を始めたが

今日は娘達にとステーキ肉を買って来ていた。

たまたま三割引きだったのでいつもより安く買えたのだった。

夫に見つからないように後から焼くようにと伝え

夫と私は赤魚の煮付けで済ます。それも久しぶりで美味しかった。


決して娘達の機嫌を取ろうと思ったのではない。

ただあやちゃんの喜ぶ顔が見たかったのだ。

しかし食卓にあやちゃんの姿が見えない。

今夜も子供部屋でひっそりと食べたのだろう。

老婆心は疼くばかりだがあやちゃんの自由である。

娘夫婦もそれが当たり前のように思っているようだった。


もはや我が家には家族団欒がない。

それも寂しい事だが受け止めなければならない。


日が暮れてからぽつぽつと雨が降り始めた。

明日の朝になってみないと分からないがどれ程の雨だろうかと思う。

例え土砂降りの雨であっても花たちは咲き誇る。

私も胸を張って精一杯に咲いていたいものだ。


※以下今朝の詩


      かなづち

   水泳の授業が始まると
   憂鬱でならなかった

   かなづちであることは
   水に浮かぶことが出来ず
   直ぐに沈んでしまうのである

   平泳ぎもクロールも出来ない
   いくら習っても沈んでしまう
   犬かきなら少しは出来たが
   10メートルが限度であった

   男性教師には胸毛が生えている
   それを見ると吐き気がした
   近寄らないで欲しかったが
   私を泳げるようにしようと
   教師も必死に手助けをするのだ

   とうとう記録会の日がやって来て
   何としても25メートル泳がねばならない
   プールサイドにはクラスメイトが居て
   「がんばれ、がんばれ」と応援してくれたが
   もう少しのところで私は沈んでしまった

   落胆の声が聞こえる
   情けなくて悲しくてならない

   それは私が最後に泳いだ日のこと
   もう52年もの歳月が流れた





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