四月もとうとう最後の日。あっという間のひと月だったように思う。 流されるのではなくて好きなように流れて行こうと思っていた。 いろんなこととふれあいながらいっぱい微笑みが生まれて来るように。
お大師堂でまた初顔のお遍路さんに出会った。 横浜から来たそうで今日で16日目のお遍路だということ。 民宿には泊まらず寝袋ひとつでずっと野宿をしているのだそうだ。 だから「こんな場所があるのがとてもありがたい」と言ってくれて 満面の笑顔で喜んでくれたのがとても嬉しかった。
携帯電話の充電も思うように出来なくて困っていたのだそうだ。 「今夜はさっそくかみさんに電話します」と言っていた。 ご家族も心配している事だろう。どうか無事にとそればかりだと思う。
「いつかきっとまたここに来たい」とも言ってくれた。 それがたとえ10年後であっても「あの時と変わらない」と感じてほしい。
地元の私たちに出来ることはほんとに些細なことだけれど この場所を「守る」その気持ちをずっと持ち続けたいと思った。
どうか無事に結願をと祈りつつ笑顔と笑顔でお別れをする。
とても清々しいきもち。心の中を春のそよ風が吹き抜けているような午後だった。
2014年04月28日(月) |
雨あめふれふれもっと降れ |
午後から雨が降り始めた。ぽつりぽつりと静かな雨。 予報では明日は大荒れのお天気になるということ。 それもいいな。どしゃ降りの雨と強い南風もいい。
「おいおい、もう休みモードか?」夫が笑いながら言う。 そう言う自分だってほんとうは休みたいくせにと心で笑う。
ラジオから「明日は肉の日ですね」なんて流れて来て 「ゆっくり休んで夜はステーキにしようか」と私が言うと にっこりと微笑む夫はまるで子供みたいで可愛らしかった。
「明日の朝になってから決めよう!」それでも夫はまだもがいている。 そんなやりとりが楽しい。なんだか二人して吉本の芸人になったような気分。
この三か月間、ふたりはほんとうに頑張ったのだと思う。 海苔もそろそろ寿命が尽きそうになってずいぶんと弱って来ている。 今日はなんとか収穫が出来たけれど、もしかしたら最後の収穫になるかも。
「もうじゅうぶんだな」これ以上の恵みをどうして望めようか。
今まであった気合がす〜っと薄れていくのを感じている。 肩の力が抜けてふにゃふにゃに崩れ落ちてしまいそうだった。
「おとうさん、ありがとうね」
明日はステーキを食べさせてあげたいな。
まるで初夏のようなお天気が続いていたのだけれど 長続きはしなくて明日からまた雨になってしまいそうだ。 植物にとっては恵みの雨になることだろう。 木々の若葉も潤っていっそう緑が濃くなりそうだった。 川仕事にはちょっと辛い雨だけれどありがたく受け止めようと思う。
午後の作業を終えていつものようにお大師堂へお参りに行く。 昨日は初顔のお遍路さんが来てくれていて嬉しかったのだけれど 今日は誰もいなくてし〜んと静か。川のせせらぎが耳に心地よい。
手洗い水が汚れていたので入れ替えようとバケツを持って川におりる。 その時ふっと視線を感じて川辺を見ると屋形船からたくさんの人が見ていた。 なんとも照れ臭い。手を振るのも恥ずかしく黙々と川の水を運んだ。 世間ではGWとかで観光客も少しずつ増えているようだった。
お参りを済ませてお供えしたばかりのおせんべいをご馳走になる。 最近は必ず袋の口を開けておくことにしている。 私も食べているけれど、みんなに食べてほしいなあなんて思って。
帰り道、土手の黄色い花がいちめんに広がってとても可愛い。 ふっと孫の綾菜の姿を重ねてみる。ここに連れて来てあげたいなと思った。
時にはどうしようもないことを考え込んでざわざわとしてしまうけれど 楽しいことや嬉しいことを考えている時の自分がとても好きだった。
「好きな自分になる」それは決して不可能なことではないと思うのだ。
人はみんな自分を愛してこそまわりの人を愛せるようになるのだと言う。
言い換えれば自分を愛せない人がどうして人を愛することが出来ようか。
もうずっと昔に読んだ本にそう書いてあった。 そんな大切なことを忘れていたのだな。思い出すと心がすごく清々しくなった。
今日も晴天。春風がとても心地よく吹き抜けていく。 真っ青な空を見上げているとなんだか鳥になって空を飛んでみたくなる。 そうして鳴くんだ。幸せだよってささやくように空にこだまするように。
早朝より川仕事、6時半だったけれど少し遅過ぎたようだ。 春の潮は冬よりもすごく引いて、思うように収穫が出来なかった。 明日はもう少し早く出掛けてみようと思う。がんばれ、がんばれ。
午後、夫が消防団の総会があって出掛ける。 「おまえはゆっくり休めよ」と言ってくれて嬉しかった。 久しぶりに録画してあったワオワオの映画を見る。
「息子」という三国連太郎さん主演の邦画だった。 原作が椎名誠でびっくり。昔から大好きな作家さんだったから。
なんかすごくほのぼのとしていてすごく良い作品だった。 そしてせつない。老いていくことは避けられないことだけれど幸せなんだな。 うまく言葉に出来ないけれど、こころがとてもほんわかとあたたかくなった。
見終わって洗濯物を取り入れる。おひさまの匂いがいっぱい。 そんな洗濯物を抱きしめるようにしてパンツも靴下も愛しくなる。
夫が総会の後の宴会があって今夜はひとりさびしく夕食。 コンビニのパスタが美味しい。お茶代わりにノンアルビール。
「お父さん、明日も5時起きだからね」
「おう!わかっとるわい」
さてさて夫は何時に帰って来るかしら。待ちわびながらの焼酎タイムでした。
2014年04月23日(水) |
こころの花はどんな色? |
おひさまに会いたくてずっと待っていた。 青空が嬉しい朝。きらきらとまぶしい朝陽。
作業場の庭に海苔をたくさん干す。 晴れてくれてほんとうに良かった。 これも天からの恵みとおひさまに手を合わす。
夫が眼科の通院日だったため川仕事はお休み。 ぽっかりとあいた午前中に家事を頑張ってみた。 拭き掃除なんてずいぶんと久しぶりのことだった。 忙しさのせいにして家事を怠けてしまうのは悪いくせだ。
玄関先の花たちもすっかり盛りを過ぎてしまっていて 新しい花をもとめてホームセンターにも行って来た。 色とりどりの花たちに心を和ませながら微笑みがとまらない。 花と暮らすってほんとにいいな。とてもとても癒される気持ち。
こころにも花を植えよう。そうしていつも穏やかな気持ちでいたい。
ときどきふっとすごく嫌なことを考えている自分がいる。 すごく薄情だったりなんて罰当たりなことをととがめたくなるような。 きっとすごく身勝手なのだろうと思う。自分さえ良ければなんて思って。
そんな大嫌いな自分に気づいたときはひどい自己嫌悪に陥るのだった。 「ありのままの自分」ってムツカシイ。とても複雑な気分になってしまう。 いけないと思っていてもぐるぐるぐるぐる同じ事ばかり考えてしまうのだ。
けれどもそんなことがあるおかげで自分をしっかりと見つめなおす事が出来る。 だからどんなこともありがたいことなのだと思って受け止めていきたいものだ。
こころの花はどんな色?ちゃんと見えているのかな?
雨のち曇り、それは絹のようにやわらかな雨だった。 川辺の木々の緑がいっそう鮮やかになって 若き緑が艶やかに雨とたわむれているのも風情がある。
川仕事を終えて作業場に戻ると娘たち一家が出迎えてくれる。 お婿さんが昨夜の「青空レストラン」を見て むしょうに青さ海苔の天ぷらを食べたくなったのだそうだ。 大急ぎで洗浄して持って帰らす。美味しく食べてもらえるのがいちばん嬉しい。
作業を終えてコンビニに買物に行くと、副店長さんがテレビ見たよって。 そうして彼もむしょうに青さ海苔の天ぷらが食べたくなったのだそうだ。 副店長さんにもおすそわけ。お金を払うと言って聞かないのを断る。 「今夜は天ぷらだ」と言ってすごく喜んでくれたのが嬉しかった。
みんなの笑顔が嬉しいね。それが明日への活力になってまた頑張れるのだ。 収穫も大詰めになって今月いっぱいでめどがつきそうになった。 最初は海苔の生育が悪く不安でいっぱいのスタートだったけれど 気がつけばいつのまにか豊漁になっていてこんなに嬉しいことはない。
あれこれと思い悩むよりもとにかくやってみなければとつくづく思った。 「なんとかなるさ」と夫の言葉の通りになんとかなってくれたのである。
この恵みをありがたく受け止めながらもう少しあと少し頑張ろうと思う。
雨のち晴れ。なんだか梅雨時のような蒸し暑さだった。 さわやかな春風を待ちわびながら川仕事に精を出す。
あと少しもう少し今月いっぱいが勝負かなと思う。 暑さでへとへとになって川から帰るとお楽しみのお弁当が待っている。 空きっ腹に沁みこむような美味しさ。がつがつと貪るように食べた。
作業が終わったのが午後二時、今日は少し休もうかと夫が言ってくれる。 おかげで昨日は行けなかったお大師堂にも行く事が出来た。 野あざみの花にこんにちは。白詰め草の花もたくさん咲いた。 そうして名も知らぬ黄色の花は土手の緑に染まるように咲いている。 たんぽぽの花はすっかり綿毛になっていったいどこに旅をするのやら。 からすのエンドウは緑色のさやになった。もう少ししたら黒くなるかな。
たくさんの花たちにこころを和ませながらゆったりとした時間が流れる。
風がないせいか川はひたひたとなんだか湖のように静かだった。 それでも決して流れることをやめない。海に会いに行くのだなと思う。
私も流れているのかな。いったいどこに流されていくのだろう。
いつもゆったりとはしていられなくてぐるぐる渦巻く時もあるのだけれど
行けるところまで行ってみるのも良いなって最近よくそう思う。
あっという間に四月も半分を過ぎてしまった。 毎日が駆け足のようでいてほっとくつろげる時間もちゃんとある。 それがほんの5分であってもすごくすごく癒されている自分がいた。
今週はありがたいことに孫三昧をさせてもらっている。 娘婿が1週間の出張で留守のため娘と綾菜が1日おきに来てくれるのだ。 それはそれはにぎやかで嬉しい悲鳴をあげているじじとばばであった。
いつも私と一緒にお風呂に入る綾菜。もう自分で服も脱げるようになった。 はだかんぼうの天使がお風呂ではしゃぐ声が家中にこだまして響いている。 ちゃっぷちゃっぷとしあわせな音。お湯のかけあいっこをして二人で遊ぶ。
昨夜はとんだハプニングもあって一歩間違えたら大惨事になるところだった。 私が顔を洗っている時に綾菜が湯船にうつ伏せになってぽっかりと浮かんでいた。 それはほんとうに一瞬のことで幸いなことに少しお湯を飲んだだけで無事に助け出す。
娘には散々叱られたけれど、後になってみればそれも笑い話になってくれる。 けれどもたとえ一瞬でも目を離してはいけないのだなと深く反省をする。 何事もなかったようにケロッとしている綾菜にどんなにか救われたことだろう。
明日はまた来てくれるかな。ばあちゃんと一緒にお風呂に入ってくれるかな。 晩御飯は何にしようかしら?もう明日のことで頭がいっぱいになっている。
ずっとずっと日中は忙しくて独楽鼠のように動き回っている毎日だけれど 少しも疲れを感じずにいられるのは愛しい綾菜のおかげだと思う。
お大師堂で手を合わせながら今日も平穏無事に感謝する。
川辺には野ばらの花が咲き始めた。それはまるで天使の羽根のように。
昨日の冷たい雨がうそのように今日は春らしいぽかぽか日和となる。 土手の緑もいっそう鮮やかになり、その緑の中に凛と立つ野あざみ。 好きだなと思う。どんなに棘があってもほんとうはとても優しい花。
今日も早朝からの川仕事を終え、作業場で手を動かしていると いきなり停電になってしまって海苔を機械で洗えなくなってしまった。 テンパールが落ちたのかなと思っていたらどうやらそうではなくて すぐ近くの交差点の信号も消えていて大変なことになっていた。 地区の送電線に何かトラブルがあったらしく復旧に一時間ほどかかる。 やっと作業を再開した時には「電気さまさま」だなと夫と呟いていた。 いつも当たり前のように電気のお世話になっているけれど 思いがけない停電でそのありがたさをつくづく感じたことだった。
予定よりずいぶんと遅くなってしまったけれど、大急ぎで昼食を済ませて 休む間もなく山里の職場へと向かう。どうしても外せない仕事があった。 なんだか気が急いてしまってざわざわと落ち着かない気分だったのだけれど 山里はもう田植えの季節。植えられたばかりの小さな苗がちろちろと風になびく。 そんな風景を見ていると一気にこころが和み、すごく穏やかな気持ちになった。
ゆったりとのどかに時が流れている。急ぐことなど何もないのだなって思った。
帰宅も遅くなってしまったけれど、日課のお大師堂まいり。 お遍路さんの荷物が置いてあったけれど、買い物にでも行ったのかな。 会うことは叶わなかったけれど、せめて水の補給をと思った。 ありがたいことにすぐ近くに防災センターが出来たばかりで そこの水道をいつでも使って良いよと地区長さんが言ってくれたのだ。
ペットボトル二本に水を入れてせっせと運ぶ。 お遍路さんがラーメンを作るかも。コーヒーも飲むかななんて考えるも楽しい。 大きな荷物のかたわらにキャンプで使うような小さなコンロが置いてあったのだ。 自炊するお遍路さんはけっこう多くて、白菜を背負って来ていたお遍路さんもいたっけ。
「ゆっくりとお休みください」荷物にそっと手を合わせて帰る。
忙しい一日だったけれど、ほっこりほっこりしているじぶんが好きだ。
いとこからまたタラの芽をいただいた。 私も夫も大好物なので飛び上るほど嬉しい。
実はこの春はもう三度目、そのたびにウハウハと興奮している。 春の味覚をこんなにたくさん味わえるなんてほんとにありがたいこと。
今夜は夫が「揚げ方も上手いんだよな」ってほめてくれた。 日清の天ぷら粉で揚げただけなのだけれど、ほめられたらとても嬉しい。
お皿に最後に一つだけ残る。夫に食べさせてあげようとぐっと我慢。 そうしたら夫が「お前にやるよ!」って言ってくれた。なんとラッキー!
「いいの?」ほんとは嬉しい癖に遠慮しながらそっと箸を伸ばすわたくし。
「食べたいんだろ?顔に書いてあるぞ!」夫と顔を見合わせ大笑いになった。
なんだか最後の一つって不思議と幸せな味がするものだなって思った。
タラの芽も今年はそろそろ食べ納めかな。 もうじゅうぶんにご馳走になったから欲張ってはいけないなと思う。
夫とふたり笑いあったこと。タラの芽の美味しさよりもその笑顔が「ごちそう」
桜がすっかり葉桜になった頃、藤の花が咲き始める。 自然はそうしてバトンタッチをしながら人の心を和ませてくれるのだ。
最高気温が25℃を超え思いがけないほどの夏日となった。 暖かさを通り越して暑さを感じる、汗ばむほどの陽気だった。
早朝からの川仕事もラストスパート、海苔の命も今月いっぱいだろうか。 あと少しもう少しと精を出す毎日。最後の最後まで頑張りたいと思う。 忙しい日々が続いているけれど少しも苦にならなかった。 むしろ恵まれていることをありがたく思う。天に感謝するばかり。
今夜は姑さんのお世話に行っていてついさっき帰ってきたところ。 「介護」というほどのことではないのだなとつくづく思ったりする。 ほんとうの介護はこんなものではないとわかっているつもりだったけれど 時々すごく気が重くなってしまって憂鬱な気分になってしまうのだった。
そんな気持ちが顔に出る。笑顔で接することが出来なくなるのではないか。 少なからずプレッシャーを感じては「いけない、いけない」と自分に言い聞かす。
そのたびに「みんなで助け合おうね」と言ったのが自分だと言うことを思い出す。 いつも義妹にばかりに負担をかけていることを決して忘れてはいけなかった。
「ありがとうね」いつもそう言ってくれる姑に私は何をしてあげたのか。
きっと足らないことがいっぱいあってそれに気づかずにいるのではないか。
ぐるぐるぐるといろんなことを考える。 もっと気楽に受け止められたらどんなに良いだろうか。
日中はぽかぽか日和、おひさまが友達になってくれて嬉しかった。 にっこりと微笑めば空からたくさんの天使たちが舞いおりてくる。
夫の友人が魚釣りに行っていたと言って新鮮な鯵を持ってきてくれた。 大きな鯵を三匹、これはお刺身だなと久しぶりに腕をふるう。 身がぷりぷりとしていて脂ものっていてとても美味しそう。 たくさん出来たので娘のところにも届けてあげた。
ピンポーン、玄関のチャイムを鳴らすと綾菜が出迎えてくれる。 すぐに帰るつもりだったけれど綾菜の顔を見るとそうはいかない。 綾菜もすっかり遊びに来てくれたのだと思い込んでいるようだった。
5分が10分になりとうとう「ばあちゃんは帰るけんね」って言った。 そうしたらたちまち顔をしわくちゃにして泣き出してしまうのだった。 お母さんは晩御飯の支度で遊んでくれないの。 綾菜は一人で「おかあさんといっしょ」を見ていたんだよ。 おばあちゃんが来てくれてすごく嬉しかったのにどうして帰るの?
なんともせつなくてしょうがない。後ろ髪を引かれるように帰って来た。 愛しい愛しい綾菜ちゃん、どうかおりこうさんでいてねと願いつつ。
保育園も先日入園式があって、ひよこ組だった綾菜もきりん組に進級した。 ほんとにあっという間の一年だったように思う。 すくすくと元気に成長してくれたことがなんだか夢のように嬉しくてならない。
また一緒にいっぱい遊ぼうね。ゆびきりげんまんだよ綾菜。
今年も玄関先の古巣にツバメが帰って来てくれたのだけれど それは去年のツバメとは違うのですよとラジオで言っていた。
けれども私は毎年「お帰りなさい」って声をかけ続けている。 我が家から巣立っていったツバメたち。そう信じずにはいられなかった。
不思議そうに首をかしげているのはきっとあの子ね。 去年のことお兄ちゃんやお姉ちゃんたちの後をおいかけるように巣立っていった子。
ちゃんと飛べるかなって見守っていたけれど無事に青空に羽ばたいたあの子。
ボクはここで生まれたんだってきっときっと覚えていてくれたんだと思う。
今朝は電線にとまっていてきょとんとした目をしながら「おはよう」って言った。 そのしぐさが可愛くてたまらない。くりくりとした瞳に朝の寒さも和らいでいく。
なにかいいことがありそう。そう思える朝は希望で胸がいっぱいになる。
もう四月だというのに思いがけない寒の戻り そんな寒さも今日が峠らしく明日からはまたぽかぽか日和になりそうだ。
桜の花もすっかり散ってしまったけれど、葉桜もまたうつくしいもの。 わずかに残った花を抱きしめるように鮮やかな緑が優しく目に映る。
土手にはしろつめ草の花。子供のように四葉のクローバーをさがしてみたい。 花で冠を作ってお姫様ごっことか、ふっと少女だった頃を思い出したりする。
ここ数日なんだかばたばたとしていて日記も書けずにいた。 姑さんの介護だったり、孫と娘が遊びに来てくれたり それはそれで充実している夜なのだけれど 「書く」という行為からどんどん遠ざかってしまうのが少し心苦しい。 それもたぶんちっぽけなプライド。私はいったい何にこだわっているのか。
出来ていたことが出来なくなる。それは言い換えれば「出来ることだけでじゅうぶん」
そう思いなおしてこれからの日々をまた愛しみながら過ごしていきたいと思う。
今日は川仕事が予定外で早目に終えることが出来た。 たくさんの海苔を天日干しにしていたところ突然の時雨れに見舞われてしまう。 川から大急ぎで帰って来る。猛スピードの川船、強風で水が飛び散って来る。
「やれやれ」そんなハプニングも笑いにかえて今日は早じまいになった。 おかげでぽっかりと空いた午後をふたりでお昼寝をしてのんびりと過ごす。
明日は海苔の二回目の出荷日。なんだか娘を嫁に出すような気分だった。
どうか順調に、そればかりを祈り続けていたけれど 何事もなるようになるのだなってつくづく思ったりするのだった。
一生懸命に頑張ってそれが報われれば嬉しいけれど それが決して当たり前の事ではないのだといつも思っている。
じゅうぶんだとおもうきもち。それが感謝の気持ちとなって心が癒されるものだ。
2014年04月02日(水) |
どんな日もあるのだから |
朝から雨がぽつぽつと。気温も低めで花冷えの一日となる。 桜の花がとうとう散り始めてしまった。はらはらとさびしい。 そうして季節は前へ前へと進んでいくのだろう。 やがて若葉の季節がやってくる。目に沁みるような緑の季節。
今日も川仕事の予定だったけれど 昨夜から夫の体調が悪く、安静がいちばんとお休みすることにした。 持病の不整脈の発作が起きており、薬を飲んでもすぐには治まらなかった。 毎日すごく頑張っていたからどっと疲れが出てきたのだろう。 たまにはゆっくりと休養しなければ身体が持たない年になってしまった。
私も一緒にお休みをしたかったのだけれど 山里の職場が気になってたまらなくて急きょ駆けつけていた。 母がとても喜んでくれて、ああ来て良かったなあってすごく思った。 山積みの仕事をせっせと片づける。それが少しも苦にならなかった。
出来ることを出来る日に、精一杯の自分でいられるのはとても心地よいこと。
帰宅すると夫の体調もずいぶんと良くなっていてほっと胸を撫で下ろす。 「調子が良いから飲もうかな」なんていつものビールも美味しそうに飲んでいた。
そんないつも通りのこと、当たり前のようなことがとても愛しく感じる。
夕方のニュースでチリの大地震を知った。明日の朝、日本にも津波が来るかも。 息子からメールが来て「明日の朝は川へ行くなよ」と言ってくれる。 それがとても嬉しかった。気遣ってくれて心配してくれて何よりありがたい。
朝になってみなければわからないけれど、津波が来ないことをせつに願っている。
どんな日もあるものだな。今日はつくづくとそう思った。 ずっとずっと平穏無事の日が続くなんてそれは決してありえないこと。
だからこそ毎日が愛しい。だからこそ日々に感謝しながら生きていきたいものだ。
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