早いもので一月も今日で終わり。 新年を迎えてからあらあらと言う間に日々が流れてしまった。
相変わらず寒い日が続いており今朝も氷点下。 日中のやわらかな日差しがありがたくてならない。
今日は少し遠出をして南国市にある大学病院へ行っていた。 眼科と縁が切れない彼の精密検査があったからだ。 検査後は車の運転も出来なくなるので一人ではとても無理。 何よりも心細い事だろうと一緒に出掛けることになった。
心配しながら待合室でながいこと待っていた。 また病気が見つかれば手術をしなければいけないらしい。
けれども幸いなことに大丈夫との事。ほっと安堵する。 気長に治療していればそのうち完治するとのことであった。
ほっと微笑んでいる彼の顔に自分の顔を重ねてみる。 私たちは夫婦なのだなとあらためて思ったことだった。
待合室で待っているあいだにとある老夫婦の姿が目に映る。 すっかり腰の曲がったおじいちゃんとおばあちゃんだったけれど。 眼が悪そうなおばあちゃんをおじいちゃんが肩を抱くようにして。 それは優しそうに手を引いている姿がとても印象的だった。
私たちも長生きをしてそんな老夫婦になるのかもしれないなって思う。 どんなに年をとってもお互いを支えあって生きていけたらいいなって思った。
2012年01月29日(日) |
お遍路さん(その11) |
今日はおひさまが顔を出してくれてなんとありがたいこと。 風は相変わらず冷たかったけれどほっとするような一日だった。
お大師堂でまた顔見知りのお遍路さんと再会する。 目のクリクリっとしたいつも笑顔の素敵なひとだ。
あんずが泣き叫ぶのはやはり心細く寂しいのだろうと言うこと。 そうして「よしよし」とあんずの背中をたくさん撫でてくれた。
臆病者であまり人に懐かないあんずが一気におとなしくなる。 なんだかとても不思議だった。犬好きの人がわかったのだろうか。
あんずを交えてしばし一緒に語らい今日はお別れとなる。 今度はいつ会えるだろうか。「明日はあしたの風が吹くからね」 そう言って微笑むその人がとてもまぶしく思えてならなかった。
職業遍路という言葉を聞くけれど、その人もきっとそうなのだろう。 故郷はどこなのか。家族はいるのかしら。何も聞くことは出来ない。
人生がお遍路であって。お遍路で人生を全うしようとする強い意志。 何者もそれを阻むことは出来ない不思議な「チカラ」のようなものがある。
私は縁あって何度も出会えることのありがたさをかみしめていた。
こころから微笑んでいる人の目は透き通っていてきらきらとうつくしい。
曇り日。おひさまが見えないとこんなにも寒いものか。
いつか母の言っていた言葉を思い出す。 「雲の上にはちゃんとおひさまがいるんだよ」って。
雲のお布団でうたた寝をしているのかもしれない。 けれどもしっかりと輝いていることだろう。
朝のうち。てくてくと歩いて地場産市場へ行く。 土の付いている里芋を買った。ほくほくと柔らかそう。
以前は自転車で行っていた道を歩くのも良いものだ。 これも万歩計のおかげ。もう自転車は不要にさえ思える。
ちょっと歩いては寝る。それがたまに傷だけれど。 午後は炬燵にもぐり込んでまた寝入ってしまっていた。 なんともだらしないのは今に始まったことではない。
そうして散歩の時間になればよっこらしょと起き出して。 「さあ行こう!」とちょっと気合を入れて歩き出すのだった。
今日は時間もたっぷりとありゆっくりと散歩を楽しむ事が出来た。 川面は空を映して灰色に見えたけれどゆったりと大らかに流れている。 すっかり冬枯れてしまった栴檀の木には可愛い実が風に揺れている。
あんずは道草をする。あっちでくんくんこっちでくんくんしてばかり。 すると枯れ草ばかりだと思っていた土手にヨモギの若い緑を見つけた。 なんとほっとする緑だろう。ちいさな春を見つけたようで嬉しかった。
お大師堂で手を合わす。蝋燭の炎。お線香の真っ直ぐな煙。
「今日も見守ってくれてありがとうございました」
気温は低めだったけれどそれほど寒さを感じなかった。 これも青空のおかげ。おひさまのおかげだとつくづく思う。
今日は山里の職場へは行かず自宅待機していた。 義妹の新車が仕上がり市内のダイハツへ引き取りに行く。 なんだか自分のクルマのような気がしてわくわくしてしまった。 やはり新車は良いな。私も欲しいなあってすごく思った。
そんなことを思いつつも彼のクルマのほうが先だなって。 息子のクルマも娘のクルマもずいぶんと古くなったなあって。
私のクルマはもう16年目で走行距離は25万を過ぎている。 けれども決してオンボロなんかじゃない。すごく良く走る。 愛着があり廃車にするにはあまりにも可哀想だなって思う。
そんなクルマがあるだけでじゅうぶん。欲を言えばきりがないもの。
帰宅してから自動車保険の手続きなどをしているうちに時間が経ち。 散歩がすっかり遅くなってしまった。いつものようにとはいかなくて。 なんだか大急ぎで駆け足になる。ああこれは嫌だなってちょっと思った。
ゆったりとした気持ちで歩いてこその散歩。
どんな日もあるものだけれど明日はゆっくりと歩きたいな。
昨夜の雪も一晩中ではなかったのか。 うっすらと積もったままかき氷のようになっていた。
さすがに山道は怖くなり西回りの国道から出勤する。 国道は大丈夫だったけれど県道はやはり凍結していた。 はらはらどきどきしながらやっとの思いで辿り着く。
雪は好きだけれどクルマの運転だけは苦手だった。 スリップ事故の経験もありその時の怖さが忘れられない。
日中はよく晴れてやわらかな冬の日差しが降りそそぐ。 山里に積もっていた雪もあっという間にとけていった。 やはりおひさまはありがたい。心もぬくぬくとしてくる。
そうしてまわりのすべてのものがほっこりとしてみえる。
仕事を終え帰宅するとあんずが犬小屋から出て待っていてくれた。 目と目が合うとなんとも嬉しそうな顔をするのだった。 そうして例のごとく「よういどん」と駆け出すのが日課である。
万歩計のこともあり、今日はいつもよりたくさん歩いてみた。 けれども普段の生活ではとても一万歩は無理のようである。 今日も5千歩足らず。距離にしてわずか2.4キロであった。
何かを始めたい。そう思っていたことがこれなのかなとも思う。
毎日の積み重ね。ちいさな一歩がやがて大きな一歩になるかもしれない。
天気予報では大雪風雪注意報が出ていた朝。 昨日の事もあり今日の仕事は休ませてもらうことにする。
けれども日中はすっかり晴れてなんだかズル休みをしたよう。 心苦しさもあれば得をしたような微妙な気分で過ごしていた。
午後3時。ちょうど散歩に出掛ける頃に雪が降り始める。 傘を差すほどでもなくむしろ雪を楽しむようにして歩いた。 不思議と寒さが気にならない。雨よりも雪のほうが暖かく感じる。
そんな雪が今も降り続いている。しんしんと音が聴こえてきそう。 窓を少しだけ開けて雪を見ながら焼酎のお湯割を楽しんでいる。
雪見酒も良いものだ。なんとも心が落ち着き心地よく酔ってくる。
あとは湯たんぽの布団にもぐりこむだけ。こんな夜もありがたいものだ。
さあてもう一杯おかわりしようかな。
小雪がちらつくなかを山里へと向かう。 国道から山道へ入るとすっかり雪景色だった。
雪化粧をした木々のなんと綺麗なことだろう。 しなやかな枝に純白のベールをかけたようだった。
幸い道路は凍結しておらず安心して景色に見入る。 雪が好きだなって思った。寒さも忘れるくらいに。
職場に着いてからも雪はどんどん降り続いていた。 時折り吹雪のようになりあたりが見えないくらい。
仕事の手を休めては何度も窓の外の雪を眺めていた。 なんだかどきどきする。とても不思議な気持ちだった。
心配した母が早目に帰るようにと言ってくれる。 仕事もさほど忙しくもなかったのでお言葉に甘えた。
山里から平野部へと下るとびっくりしてしまう。 そこには青空が広がり雪のカケラも見えていなかった。 なんだか夢を見ていたような気持ちになってしまう。
けれども確かに雪を見た。雪景色が目に焼きついている。
帰宅するとアマゾンから「お遍路万歩計」が届いていた。 毎日歩いては四国88ヶ所の距離を達成しようと言うゲームのような万歩計。 さっそく初期設定をしてみてポケットに入れ散歩に出掛けてみた。
なんと750メートル。たったそれだけの散歩だったことが判明した。 これでは一年歩いても到底達成など出来るわけがない。 もっともっと歩かなければと一気にやる気がわいてくる。
目標が出来るという事はとても良いことだと思う。 何年かかるかわからないけれど毎日少しずつ頑張っていこう!
夜明け前からひゅひゅると強い北風。 一日中吹き荒れてすっかり真冬が戻ってくる。
ふと冬の後姿が見えたように思ったのだけれど。 まだまだこれからも冬将軍が居座るのだろうか。
今朝の新聞に菜の花畑の写真が出ていて。 なんとも心が和みほっとしたことだった。
やまない雨がないように終らない冬もない。 耳を澄ましていればきっと春の足音が聴こえてくるだろう。
強い風に煽られながら今日も散歩に行く。 川は海のように波立っているというのに。 観光屋形船が不似合いな絵のように行き交う。 のどかな日なら手を振ってみたかもしれない。 人々は波に揺られながら何を思っていることだろう。
お大師堂はお遍路さんの姿もなくしんと静かだった。 あんずをいつもとは違う場所に繋いだ。 実は昨日、崖から滑り落ちてしまって大変な事になっていた。 首輪が抜けていたら川に転落していたことだろう。 そう思うとぞっとしてもう同じ所には繋げなかった。
今度の場所がちょっと気に入ったのか今日はあまり泣かない。 春になればいろんな花の咲く場所なのでまた他の場所を探そう。
ゆっくりとお参りを済ませ今度は追い風の中を帰る。 背中を押されているようでついつい駆け足になった。
ふうふうはあはあがとても心地よい散歩だった。
今日は「大寒」一年で最も寒い時期と言われているけれど。 ここ数日の暖かさをそのままに過ごしやすい一日となった。
お天気は相変わらずぐずついておりそろそろ青空が恋しい。 晴れたらまたぐんと冷え込みそうだけれど冬の日差しがありがたいもの。
仕事は休み。家事もそこそこにまただらしなく炬燵で過ごす。 川仕事が始まれば毎日忙しくなるので今のうちと理由をつけて。
その海苔も今年は生育が悪くほんの少し不安な気持ちがよぎる。 閏年のせいかもしれないと彼が言う。自然相手の事は難しいものだ。 なんとかなるだろうか。望みを捨てずに収穫の時を待ちたいと思う。
散歩に行けば今日のお大師堂のにぎやかなこと。 昨日のお遍路さんと先日の長髪の青年とが待っていてくれた。 昨日のお遍路さんは今朝旅立ったものの途中で気分が悪くなったとの事。 今日は休めと言う事かなと察し、また来た道を戻って来たそうだ。 長髪の青年は無事に足摺岬まで行き次の札所へ向かう打戻りだった。
ふたりは意気投合したようですっかり打ち解けた様子。 なんだか親子のようにも思えてとても微笑ましかった。
青年があんずと遊んでくれる。おかげで今日は泣かずに済んだ。 「今日はおりこうさんだねえ」ともうひとりのお遍路さんも微笑む。
笑顔の花がたくさん咲いて楽しいひと時となった。
嬉しいなってこころからそう思う。とてもありがたい一日となる。
雨はやんだもののすっきりとしないお天気。 どんよりと重たい空に押し潰されてしまいそうだった。
そんな時こそ微笑を。そんな時こそおひさまのように。 あたりじゅうを照らせるようなそんなひとになりたい。
昨日は雨で行けなかった散歩。今日はなんだか嬉しくなって。 久しぶりにどんぐりころころを歌ったりして元気に歩いた。
お大師堂でまた顔見知りのお遍路さんと再会をして。 笑顔と笑顔で「こんにちは」って言い合うのも嬉しい。
そのお遍路さんに先日のあんずの前世の話を聞いてもらった。 そうしたらそれは絶対に違うよってはっきりと言ってくれた。
少しも怯えている様子もないしただ甘えているだけだよって。 犬も年をとれば子供の心にかえるのかもしれないねって笑った。
すごくすごくほっとする。あんずは悪い事なんてしていなかったんだ。 ただ年をとって甘えん坊になっただけ。そう思うとよけいに愛しくなる。
「お母さん、お母さん」って呼んでいるみたいだね。 お遍路さんもあんずの叫び声を聴きながら微笑んでいた。
「はいはい、帰りましょうかね」お母さんも甘えん坊には勝てなかった。
何度も会っているのに名も知らぬお遍路さん。今日はほんとにありがとう。
朝から雨が降りやまず雨音が心地よい夜になった。 昼間はとても冷たく感じた雨が夜には不思議と暖かく感じる。
一雨ごとに春が近づくにはまだ早いのかもしれないけれど。 ひたひたと満ちていくようなこころに一粒の種を蒔きたくなった。
何も始められないでいる。だからこそ一粒の種が必要なのだ。 そうして芽が出てくれたらどんなにか励みになることだろう。
出来ない事を数えるよりも出来る事を数えていたい。
咲けない事を嘆くよりも一粒の種のありがたさを知ろう。
むかし。私は詩人のようになりたくてたまらなかった。 そのちっぽけなプライドが今はもう跡形もなくなってしまった。
だからもう私には何もこだわることがないのかもしれない。
ただ平凡な毎日をそっと書き留めるだけの日々である。 つまらないこと。なんでもないこと。それが日常でもあった。
そうして生きている。そんな日々が愛しくてならない。
愛しいものはなんとしても守りたいものだ。
いまここに一粒の種がある。そっと蒔いておきましょう。
少し曇っていたけれど今日も暖かないちにち。 寒さがやわらぐとこころもやわらかくなるようだ。
朝イチの職場で母にちょっと叱られてしまったけれど。 いつもなら落ち込む気分も今日は少しも気にならなかった。
母の怒鳴り声を久しぶりに聞いたようにおもう。 良かれと思ってした事がよけいな事だったようだ。 素直に反省をする。お節介もほどほどにしなければいけない。
そうしてとにかく穏やかに。それも私の仕事なのだと思う。 うんざりすることもたくさんあるけれど微笑がいちばんなのだ。
母の良いところはすぐに機嫌がよくなるところだった。
「ねえねえ、いいことをおしえてあげようか」
昼下がりとても嬉しそうにそう告げる母。
いったい何だろうと思えば、庭に水仙の芽がたくさん出ているとのこと。 水仙は冬の花だから今年はもう咲かないかもしれないよと言うと。
春になったら絶対に咲くのだと言ってきかない。
そう言われてみると、もしかしたら咲くかもしれないなって思えてくる。 咲いたらどんなにか母が喜ぶことだろう。咲いて欲しいなあって願った。
今はすっかり冬枯れてしまった庭に。緑が少しずつ増えていく。
そんな春が待ち遠しくてならない。春になったらもっともっと微笑もう。
笑顔の花がたくさん咲きますように。そうしてみんなが笑顔になりますように。
2012年01月17日(火) |
お遍路さん(その10) |
雨あがり。山里は濃霧にすっぽりとつつまれていた。 その霧がゆっくりと晴れていくと真っ青な青空が見え始める。 そうしてやわらかな冬の陽射しがあふれるように降り注いだ。
お昼に庭に出て少しだだけ日向ぼっこをしてみる。 何も物思うことがない。ただただおひさまと語り合うだけ。
仕事を終え帰宅するなり散歩に出掛けた。 風もなく暖かでなんだか春の日のように思えた。 ずっとこんな日が続けばどんなに良いだろうか。
お大師堂では会うのが二度目のお遍路さんと再会する。 まだ若い青年で髪が長髪だったのでよく憶えていた。
前回はほんの挨拶程度で別れていたけれど今日はよく話す。 髪の毛は目標の10巡目を結願するまで伸ばすのだそうだ。 今回が6巡目。予定では今年の夏には目標が達成出来そう。
おじいちゃん子だったらしく子供の頃からお遍路を経験していたらしい。 おじいちゃんが車でお遍路に行く時はいつも一緒に行っていたそうだ。
そのおじいちゃんも亡くなり、一年後に今回のお遍路を思い立ったとのこと。 車ではなく歩きで。そうして野宿をしようと決めたのだそうだ。
亡くなったおじいちゃんもきっと天国から見守ってくれているだろう。
「心強いよね。頑張ろうね!」「はい、ありがとうございます」
そう言って手を合わせて頭を深々とさげてくれた。
そうして「また会えますよね」と言ってくれてすごく嬉しかった。
ささやかな縁。私はその糸をしっかりと結びつけて笑顔で帰って行った。
音もなく静かに降り続く雨。 それはとても冷たい雨だったけれど。 からからに乾ききっていたすべてを。 しっとりとつつみこむような雨だった。
雨の日は春をおもう。
むくむくと緑の芽が生まれてきそう。
土手のよもぎやたんぽぽの息が聴こえてくる。
昨日は息子。今日は娘のサチコが帰って来てくれた。 検診日だったためまた赤ちゃんのビデオを見せてくれる。 ひと月前よりずいぶんと大きくなっていてびっくりしてしまった。
とっくんとっくんと元気に動いている心臓。 はっきりとは見えなかったけれど目をあけているよう。 その目が瞬きをしているようでかすかに動いたように見えた。
手足はとにかくよく動かしている。お腹の中で遊んでいるよう。 キックしたりするんだよとサチコが嬉しそうに微笑んでいた。
「あっ!ほら今も蹴ってる」どれどれとそっとお腹に手を当てた。 ほんとだ。ぽこんってキックしてる。それはすごい感動であった。
ちいさな命が一生懸命がんばっているんだなとおもう。 生きているんだな。この世に生まれたくて必死になって。
早く抱っこしてあげたいな。その日が待ち遠しくてならない。
朝からずっとどんよりとした曇り日。 おひさまが見えないというだけでこんなにも寒いのか。 炬燵から離れられずにごろごろと猫のように過ごす。
そんな寒さも散歩の時には歩くほど身体が温まり。 厚着をしていたせいでうっすらと汗をかいてしまった。
もっともっと歩きたいといつも思うばかりで。 根っからの怠け者はついつい帰宅を急いでしまう。
せめて休日ぐらいはたっぷりと歩きたいものだ。
帰宅するなり息子からメールが届く。 「晩飯たのむよ」その短い一言が嬉しい母であった。
とは言え、今日は買物もさぼってしまっていたので。 昨夜の残り物しかなくて後は白菜のお漬物とお味噌汁。
質素な夕食だというのに、息子はこれでじゅうぶんだと言う。 例のごとくご飯の大盛りをおかわりして美味しそうに食べてくれた。
いつも心配なのは仕事の事。けれども今日は何も話さず。 ただにこにこと笑顔でいてくれてどんなにかほっとしたことだろう。
辛い時とそうでもない日が波のようにあるのだろうと思う。 いつも穏やかな波ならどんなに良いだろうかと思った。
「また来るけん」「うん、いつでも帰っておいでや」
息子が帰ってしまった後はし〜んと静かな我が家であった。
「お父さん」と呼べば「お母さん」と応える人とふたりきり。
今日も平穏無事に夜が更けていこうとしている。
お大師堂でまた顔見知りのお遍路さんに会った。 これまで何度か会っているけれど名も知らぬ人。
初めて会った時にあんずのことを。 この犬は人間の生まれ変わりだとおしえてくれた人であった。
ほんとにそうなのかな少し半信半疑だったけれど。 今日もまた同じことを言われてなんとなく信じたくなった。
例のごとく悲鳴のような声をあげて泣き叫ぶあんず。 その人はすぐに駈け寄って行って「そうか、そうか」と。 うなずきながらまるで犬と話しているようであった。
お大師さんが怖くてたまらないって言ってますよとか。 前世でこっぴどくお大師さんに叱られたみたいですねとか。
だから人間に生まれることが出来なかったのですよと言う。
信じる気持ちと信じたくない気持ちでなんとも複雑な心境。 けれども否定することも出来ずただ頷くことしか出来なかった。
もし本当だとしたらあんずが憐れでならなかった。 いったいどんな悪い事をしたのだろう。もう赦してはもらえないのか。
そうして来世もまた犬になってしまうのだろうか。
それはあまりにも可哀想。どうか人間になれますように。
お遍路さんが話しかけてくれたおかげであんずはすぐに泣きやむ。 ちゃんと話を聞いてくれる人が欲しかったのかもしれないなと思う。
「ありがとうございました」お礼を言って家路につく。
ふっと振り向くとその人が微笑みながら見送ってくれている姿が見えた。
気温はさほど低くないというのになんとも寒かった。
日が暮れてからいちだんと寒くなり急いでお風呂へ入る。 それが冬の楽しみでもある。お湯は節約気味だけれど。 浴槽の中で寝そべるようにすれば肩まで浸かる事が出来る。
子供のように100まで数えてみたりしては温まるのだった。 ふうふうはあはあと息をしながら何も考えることのない時間。
それがとても幸せに思える。お風呂ってほんとにありがたい。
もうひとつの冬の楽しみは湯たんぽである。 とても古い湯たんぽは息子が赤ちゃんの時のもの。 ストーブに薬缶を置いて毎日お湯を沸かしている。 それを早目にお布団に入れておけばなんとも暖かい。
寝るのがとても楽しみ。湯たんぽばんざいであった。 冷え性の私にはなくてはならない物のひとつである。
毎日寒くてうんざりとしてしまう時も多いけれど。 冬には冬の楽しみがあるのが幸せなことだなと思う。
もしかしたら他にも冬ならではの楽しみがあるかもしれない。
寒さに負けないで。嬉しいことをたくさん見つけられたらいいな。
朝はいちだんと冷え込んだけれど。 日中は風もなく穏やかによく晴れる。
すっかり冬枯れてしまった職場の庭には。 南天や千両の紅い実がそこだけ明るくて。 冬の陽射しを浴びてきらきらと輝いている。
職場はこのところずっと忙しく嬉しい悲鳴をあげている。 お客様は神様。感謝する気持ちを大切にしなければと思う。 笑顔がいちばん。その笑顔がまた笑顔を呼んで来てくれる。
少し疲れて帰宅すると彼が洗濯物を取り入れてくれていた。 そんなちょっとしたことがとても嬉しくてならなかった。
きゅいんきゅいんと甘えた声であんずが呼んでいる。 いつも私が帰るのを待ちかねているようだった。 「さあ行こうかね」と声をかけると彼女は屈伸運動をする。 それはとても愉快な仕草でなんだか「よういどん」の感じ。
とても老犬には思えなくていつまでも子犬のように思える。 けれども急いで土手の石段を駆け上がっては足を踏み外す。 そうしてよろけてはまたすくっと歩き始めたりするのだった。
彼女の老いを自分に重ねてみてはちょっとした元気をもらっている。 私だって「よういどん」がまだ出来るのかもしれないなんて思う。
何かを始めるのに遅すぎることは決してないと言うけれど。
私に何が出来るのだろうか。いったい何を始めれば良いのか。
それがわからないままスタートラインに立っているような気持ち。
また寒波が南下してきているらしく冷たい北風が吹き荒れる。
散歩道の川風が肌をさすように冷たかった。 川はまるで海のように揺れて白波が立っていた。
そんな川をあたためるように夕陽が落ちていく。
光の波がとても綺麗。思わず足を止めて見入る。
お大師堂ではまた顔見知りのお遍路さんと再会した。 前回から二週間と少ししか経っていなかったので驚く。 聞くところによると松山から逆打ちを始めたのだそうだ。 風邪気味だったのもすっかり良くなりとても元気そうな様子。 この方も何か事情を抱えているように感じたけれど何も訊けず。
ただ微笑みあってふれあう。それがいちばんなのかもしれない。
夕食は土鍋ですき焼きを作った。すき焼きと言うより牛鍋である。 例のごとく最初からうどんを投入したので鍋焼きうどんみたいになる。
ふうふうはあはあ言いながらふたりで鍋をかこんだ。 ちょっと薄いなと彼が言ったのは白菜が多すぎたせいだろう。
これは何日続くかなあと可笑しそうに彼がつぶやく。
まず三日はあるよね。うどんをたくさん買って来てあるもんね!
残りご飯を全部チキンライスにして。
巨大なオムライスを二人分作った。
とても食べきれないよと彼は言うけれど。
私は頑張ってペロリと平らげてしまった。
ときどきケチャップをチューブごと舐めたい。
そんな衝動にかられるときが私にはある。
トマト色なんかじゃなくて血のようなそれ。
からだじゅうに流し込んでみたくなるのだ。
巨大なオムライスはなんだかおびえている。
だって卵が見えなくなるまで紅く染まって。
それを切り刻むように食べる私がいるから。
ぷるんぷるんと震えているのは誰でしょう。
無駄な抵抗はおやめなさいと私はつぶやく。
よっこらしょひとやま越えればオムライス。
われながらこんなにおいしいものはない。
ほんの少し日が長くなったようだ。 午後六時。うっすらと暮れていく空に一番星が見える。
昨日お大師堂にて山梨のMさんと再会する。 いつも元気なMさんも寒さが身に堪えるとのこと。 連泊をすることになり今日もまた会うことが出来た。
すっかり顔なじみになっていても会うたびに懐かしい。 私のことを「おかあさん」と呼ぶのも変わらなかった。
奥様の供養の旅もこれで20巡目となるけれど。 いつだって初心にかえることを心がけていると言う。
そうでなければいけない理由。それは訊けなかった。 Mさんにとっては終わることのない旅なのかもしれない。
初心にかえる。それはとても大切なことだとわかっていても。 ついつい忘れてしまっては目先のことに惑わされるのが人の常。
Mさんの凜とした姿から学ぶことはとても貴重なことだった。
「ゆっくりと休むことが出来たのでまた明日から頑張りますよ」
満面の笑顔でそう言うMさんの背負っているもの。 それがどんなにか重い痛みであるかを私なりに感じることが出来た。
「じゃあまた40日くらいしたら会いましょう」
その40日を。私は苦労もせずに平々凡々と日々流されていくことだろう。
Mさんは歩き続ける。寒風にあおられながら重い荷物を背負いながら。
寒波は緩んできているとはいえ今朝も氷点下の冷え込み。 そんな寒さにもずいぶんと慣れてきたように思う。
今日は「七草」お粥ではなくお餅の七草雑煮にしてみた。 ほかほかと身体が温まる。これで無病息災だとほっとする。
たくさんの洗濯物を干して見上げる空のなんと青いこと。 冷え切った空気を朝陽がつつみこむようにあふれていた。
日中は特に予定も無く、例のごとくだらだらと過ごすばかり。 自転車で近くの地場産市場へ行き里芋と鯵の干物を買って来た。
午後三時。いつもより少し早目に散歩に出掛ける。 途中で同じく散歩中の近所の奥さんと一緒になった。 しきりに話しかけてきてくれて息子のことなどを話す。 訊かれるままに答えていたけれどふっと心苦しくなった。
その奥さんは数年前に息子さんを突然亡くされていたからだ。 生きていれば36歳だという。もう結婚をして孫も出来ていたかもしれない。 そんなことを思うと自分の息子の話などとても不謹慎に思えてきた。
けれども奥さんは終始笑顔で頷きながら私の話を聞きたがっていた。 亡くされた息子さんと重ねていたのかもしれないなって思った。
ひどい悲しみもどんな辛さもゆっくりと時が癒してくれるのだろうか。 けれども一生忘れられない痛みがそこに残っているのだろうと思われる。
家族が誰ひとり欠けることなくみんなが無事でいられること。 それがどんなに恵まれたありがたいことなのだろうとあらためて思ったことだった。
そうして今日も暮れていく。平穏無事に感謝しながらただただ手を合わす。
寒の入り。朝の気温は氷点下2度だったようだ。 いちめんに霜が降りなんとも冷たい朝になる。
せめてこころはあたたかにとほっこりと過ごす。 職場でも皆が笑顔でいてくれて和やかな雰囲気。
ほっこりさんにはほっこりさんが寄って来る。
なんだかみんなで日向ぼっこをしているようだった。
帰宅していつもの散歩道。ゆっくりと歩く。 川面に浮かぶ屋形船がゆらゆらと揺れていた。 たくさんの観光客が乗っていて手を振ってみたくなる。
北風がとても冷たい。けれども夕陽がそれを和らげてくれる。 波打つ川面を照らしてきらきらと眩しく光っていた。
お大師堂でまた泣き叫ぶあんず。それも慣れてしまったけれど。 いったいいつまで泣くのだろうとしばらくにらめっこしていた。
言葉が通じればどんなに良いだろうかと思う。 「ぎゃいんぎゃいん」とは何を伝えようとしているのだろうか。
そんなことを思いながらも私の意地悪が過ぎたのかもしれない。 あんずの目から涙のようなものが流れているのが見えてはっとする。
今日は母さんが悪いことをしたね。ごめんなさいあんず。
昨日からの寒波が少しずつ緩んでいく。 やさしいおひさまがとてもありがたく思う。
帰宅するとポストに年賀状が届いていた。 二年間ずっと音信不通だったひと。 元気にしているだろうかと気掛かりでならず。 お誕生日のメールと年賀状だけは欠かさずにいた。
便りの無いのは元気な証拠。やっとそう思えるようになって。 何があってもこの縁だけは切れることはないだろうと信じていた。
「元気にしていますか?」年賀状にはそう記されてあった。
もちろん元気ですよ。あなたも元気でいてくれたのですね。
ながいようで短かった二年間がそうして一気に埋まっていった。
出会ってから9年。私はずいぶんと変わってしまったかもしれない。 同じようにそのひとも変わってしまったのだろうと思う。
ほんとうにたいせつな縁。か細い糸でも自分から切ることは決してしない。
かといってこれ以上手繰り寄せることはないだろう。
それぞれの日々。それぞれの明日を精一杯に生きていこうね。
強い北風に小雪が舞う寒い朝。
お正月気分を吹っ切るように今日が仕事始めだった。 また日常が始まるのだなと少し感慨深く思ったりする。
すべてが順調とは限らないけれど。 何事も丸く収まるような日々であってほしいものだ。
なんとかなるよ。母の口癖が身に沁みるこの頃である。 悲観的に考えないこと。楽天家の母から教えられる事が多い。
そんな母も今年は74歳になる。 少しでも楽をさせてあげたい。それが私の仕事でもあった。
みんなの笑顔がそろい無事に今年も始まる。 不景気風に負けないように頑張ろうねと励ましあった。
お昼。山里の雪が激しくなる。あらあらと言う間に積もり始めた。 今日は早じまいしようかねと母が言ってくれて私も急いで帰路につく。
横殴りの雪。まるで吹雪のような雪だった。そんな雪はやはり怖い。
急いで帰宅したものの平野部はほんの小雪で積雪もなくほっとする。
私を帰した母はどうしているのだろう。早じまいが出来ていたらいいな。
明けて三日。今日も穏やかな小春日和となる。
毎年必ずお参りを欠かさずにいる隣町の延光寺に初詣に行く。 なにがあってもこれだけはと自分にとってはとても大切なことだった。
きりりっと身が引き締まるようなおもい。 ここから一歩踏み出すような気持ちにいつもなる。
そうして始まる一年。それがどんなにかありがたいことだろうか。
本堂でお参りを済ませ裏山のミニ四国霊場を巡った。 去年のことを思い出す。ひどく疲れてしまってもう最後かもしれないと。 情けない気持ちとうらはらに、いやなんとしても遣り遂げようと思う気持ち。
今年も少し不安だった。途中で歩けなくなるかもしれない。 けれども諦めるわけにはいかない。とにかく歩くしかない。
意を決して山道を登り始める。急がないこと。ゆっくりで良いのだ。
ひとつひとつの仏像に手を合わせながら少しずつ勇気が湧いてくる。
木漏れ日に光り輝く仏様。椿の花を仰ぎ見るように立つ仏様。
ふうふうと喘ぎながらではあったがなんとか50番まで辿り着く。 すると不思議と足が軽くなったような気がしてすっかり元気になった。
とうとう最後の88番。その時の清々しさは言葉では言い表せないほどだった。
本物の四国霊場にくらべればほんのわずかのささやかなこと。
けれども私にとってはこれが大切な一歩である。
明けてふつか。やわらかな冬の陽射しにつつまれる。
そうして静か。ふたりっきりは少しさびしい気もした。
今日はのんびりを決めつけてごろごろと寝正月。 炬燵がとてもありがたい。猫のような一日だった。
うたた寝から目覚めればもう散歩の時間になっていた。 早く行こうよとあんずが犬小屋から甘えた声で呼んでいる。
それはいつもと変わらない日常。そんな日常がいとしい。 特別なことなんて何もいらないのだとつくづくおもった。
川辺の道を歩く。栴檀の木の実を見上げたり川面をながめたり。 もうすぐ夕陽に変わるおひさまのなんとまぶしいことだろうか。
お大師堂にはお遍路さんのたくさんの荷物が広げられていた。 姿が見えず買物にでも行ったのかなと思っていると声が聞こえた。 川で洗濯をしていたらしく「こんにちは」と言って帰って来てくれた。
汽水域の川の水は塩分があり洗濯には向いていないのだけれど。 汚れを落すだけでじゅんぶんなのですよと気にならないようす。
水道の無い事を詫びるばかり。どんなにか不便な事だろうと思う。
けれどもお遍路さんは微笑んでくれてなんだか救われたような気持ち。
その笑顔が忘れられない。その笑顔がこころからの微笑みに思えた。
今年初のささやかな出会いであった。とても嬉しくおもう。
このさきどんな出会いが待っていることだろう。楽しみなことだった。
いつもと変わらない穏やかな朝が愛しくてならなかった。
ああ無事に新しい年が始まったのだなと感慨深くおもう。
どんな年になるのだろうと不安に思うこともたくさんあるけれど。 前を向いてすくっと笑顔で歩んでいればきっと乗り越えられるだろう。
笑う角には福来る。平穏無事でいられることが何よりの福である。
お昼には家族が皆揃いにぎやかな元旦となった。 夜勤明けの息子も眠気よりもビールだとそれは愉快。 サチコは食欲旺盛で私の作った昆布巻きを喜んでくれた。 お婿さんは好物の蟹と鶏の唐揚げ卵焼きなどをがっつり。
家族はほんとうに宝物である。今年は新しい命も誕生する。 それがなんだか奇蹟のように思えてならない母であった。
どうか今年も皆が健康で平穏無事に暮らせますように。
お大師堂に初詣。穏やかな気持ちのままで手を合わす。
この清々しさはなんだろう。心が洗われたような気分であった。
見渡せばゆったりと流れる大河。その流れは広大な海へと続く。
私も流されていくのかもしれない。そんな日々に身をまかせようではないか。
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