ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2011年05月31日(火) ちちんぷいぷい

山里には母の姑にあたる92歳のおばあちゃんがいる。
最近では認知症がすっかり進んでしまっているのだけれど。

それがとても愛嬌があって憎めないというか愉快でならない。
先日など私の顔を見るなり「今日は学校は休みかい?」と聞いた。

「うん休みやよ」って応えると「ご飯は食べたかい?」と聞く。
「うん食べたよ」って応えると「いっぱい食べんといかんよ」と笑顔。

そんなやりとりを微笑ましく感じながら目頭が熱くなったりするのだった。
老いるということはほんとうにせつないことだと思わずにいられなくなる。

そんなおばあちゃんの右手の甲が先日からぷっくりと腫れた。
病院で診てもらっても骨には異常がなく原因不明とのこと。
おそらく日課の草むしりを頑張り過ぎたのではないかと思う。

今日の青空。草むしりをしたくてたまらないのだけれど。
手が痛くて思うようにならず、ただぼんやりとしているばかり。

お昼休み。ちらっとおばあちゃんの顔を見に行く。
そうして腫れている右手を撫でてあげながら。

ちちんぷいぷい。ちちんぷいぷい。痛いの痛いのとんでいけ〜

そうしたらおばあちゃんが子供みたいに大喜びしてくれた。

「おお!治った」と言って痛いはずの右手でぐうぱあを何度もする。

そうして今度は両手を合わして「ありがとうよ」と頭を下げるのだった。


ほろりほろり今にも涙が出そうになったのは私のほうだった。

血のつながりこそないけれど、こんなに愛しいおばあちゃんはいない。



2011年05月30日(月) 口笛

幸いなことに台風の直撃をまぬがれ。
今日は雲ひとつないほどの晴天に恵まれる。

なんと爽やかなことだろう。久しぶりの青空だった。


散歩道を行く足取りも軽い。
風につつまれるようにしながらあんずと歩く。

なにもかも忘れていられるような時間。
そんなひと時がとても必要に思えてならない。


夕方。庭にクルマが停まったなと思ったら息子だった。
いつもは来る直前に電話をしてくるのだけれど。
今日はほんとうに突然に帰って来たのだった。

どうしたことか軽やかに口笛を吹いている。
良いことなど何ひとつないといつも言っているというのに。
今日はとてもご機嫌が良さそうでほっとした。

おまけに夕食の支度を手伝ってくれる。
母とふたりで台所に立つなんてとても久しぶりのことだった。

ご馳走なんて何もないのよと言うと。それが良いのだと言う。

三人で質素な夕食。毎日だってかまわないと母はおもう。


息子の口笛が耳についてはなれない。

あれは。もう俺大丈夫だからな!の合図だったのかもしれない。





2011年05月28日(土) たそがれていく

降り止まぬ雨のままあたりがたそがれていく。
しっとりとした薄暗さ。それもまた風情があってよい。

もうじゅうぶんに潤ったことだろう。
けれども足らないなにかのために雨は降り続けるのだろうか。


犬小屋に晩ご飯を持っていく。
雨に濡れるのを嫌がるあんずが顔だけ出してそれを食べた。
そのなんともものぐさな様子が可笑しくてついつい笑ってしまった。
日課の散歩もしばらくおあずけ。けれども少しも不満ではないようす。
もはや諦めているというか。それは私とおなじ気持ちのようだった。

雨があがればまたはしゃぎ出すことだろう。
ふたり心地よく風に吹かれていつもの散歩道を歩きたいものだ。



入院していた母。昨日無事に退院し今日は出勤してくる。
けれどもまだ無理は禁物。私に任せなさいの気持ちで仕事に励んだ。
多忙な一日だったけれどやれるだけのことはやったのだと思う。

母の笑顔。それがなによりも嬉しく思えた。

元気でいてね。口に出しては言えないけれどそれがいちばんの願いだった。



2011年05月27日(金) 嬉しい再会

絶え間なく降り続く雨。

やまない雨はないという。そんな言葉をふとつぶやく。

太陽も恋しいけれど雨もまた心まで沁みわたる。

どんな日もあるものだ。こんな雨の日も愛しく思える。



仕事帰り。買物をしていると懐かしいひとに会った。
最後に会ったのは10年くらい前だろうか。
お互いの手を取り合って再会を喜び合ったことだった。

私はずいぶんと変わったと自分では思っているけれど。
変わらないねと言ってくれる。それがくすぐったく感じる。

近況など話しながら最後は肩をぎゅっと抱きしめてくれた。

縁というものはあたたかいもの。すごくすごく嬉しく感じる。

今度はいつ会えるのかわからないけれど。

また変わらないねと言ってもらえるような自分でありたいものだ。



2011年05月26日(木) 梅雨入り

気温もあまり上がらず肌寒く終日の雨。

雨音がとても心地よい夜になった。

ほろ酔いつつ眠気が訪れるのを静かに待っている。

平年より少し早い梅雨入りになった。

雨の日が多くなり蒸し暑さも増すだろうけれど。

梅雨はけっして嫌いではないなとおもうのだった。

厚い雨雲のうえにはかならず太陽があるのだもの。

そうして時々は顔を見せてくれてあたりを輝かせてくれる。

そんな日をわくわくしながら待っているのが好きだなとおもう。






2011年05月25日(水) 赤ちゃん

日が暮れるとつばめの親鳥達が巣に帰って来る。
そうして母つばめは子つばめたちを包み込むようにして羽根を休める。
父つばめは巣には入らずすぐ近くの軒下でそっと巣を見守っているのだ。

その姿をなんとも微笑ましく感じながら見上げたことだった。

これもかけがえのない家族なんだなとつくづく思う。

こどもをなんとしても守ろうとする本能。それは人間と同じなのだ。


このところずっとなぜか赤ちゃんを抱いている夢を見る。
孫なのかなと思うけれどどうやらそうではなくて。
夢のなかの私はたしかに母親なのだった。

昨夜はその赤ちゃんのオムツがびっしょり濡れていて。
早く替えてあげたいのだけれどどこにもオムツがなかった。
誰かオムツを分けて下さい。そう頼みながら走り回っている夢。

不思議なのはその子の重み。ずっしりとその感覚が伝わる。
夢だとわかっているのだけれどたしかにその子を抱いているのだった。

目が覚めてはっとしながらその子のことをかんがえる。
顔は息子でもなかった。娘でもなかった。
いったいどこの赤ちゃんだったのだろう。

もしかしたら今夜も抱くのかもしれないけれど。

私はその子のために奔走することだろう。

夢のなかのその子の母親は私しかいないのだから。



2011年05月24日(火) 霧のような雨

すっかり梅雨入りを思わすようなお天気。
霧のような雨があたりをしっとりと潤す。

そんな雨も夕方にはやみいつもの散歩に出掛ける。
湿気を含んだ風と川風が一緒になり水の匂いがする。

道端の紫陽花がまたいちだんと色づく。
明日のことを思うと散歩も楽しみでならない。




母。右足の手術が無事に終わる。
血液が順調に流れるようになったのだろう。
痛みが嘘のように軽くなったと電話があった。
今夜はぐっすりと眠れることだろう。
とてもとてもほっとしている。

母のことだからまた急いで退院するかもしれない。
せめて今週いっぱいは安静にしているように伝えた。

仕事はなんとかなっている。
なるようになると母が言った通りだった。

自分に出来る事を精一杯に。
これが親孝行と呼べるものなら救われる思いだ。


なんだかぎゅっと押し付けられていたようなきもちが。

ふっとかるくなったようにおもえる。




2011年05月23日(月) つばめ

つばめの赤ちゃんが生まれたよ

ちいちいってか細い声だけれど

お父さんとお母さんがかわりばんこに

餌をはこんできてくれるから

いっしょうけんめい口をあけて食べているよ

ひとつふたつみっつちいさなあたまが見えた

生きているんだすごくすごくちいさないのち

なんだかそれはささやかな希望のように思える

かならず空を飛べる日がきっとくるのだもの

生きているってうれしいことだね

生きているってしあわせなことだね





2011年05月22日(日) 冷やしうどん

紫陽花がほんのりと色づき始める。
その淡い色合いがなんともいえず好きだった。

そんなふうに染まりたいものだ。
好きな色というよりじぶんにあたえられている色に。

そうしてはっと気づくようにその色をたしかめてみたい。

これがじぶんなのだなと愛しく思えるような生き方をしたい。






夕方。息子がまたひょっこり帰って来てくれた。
例のごとくでご飯が足りなくて急いでおうどんを湯がく。
おろし生姜たっぷりのつゆで冷やしうどんにして食べた。
つるつると喉越しが良く美味しい。夏だなって思った。

お腹一杯になるとすぐに息子が帰ると言う。
いつもは玄関で見送るのだけれど。
今日は表に出て息子のクルマに手を振った。

じゃあまたなって言ってるみたいに息子が手を上げる。
仕事の事ほとんど話さなかったけれど疲れた・・って言っていた。
大丈夫だよねと思いながらもはらはらと心配な母だった。

しんちゃん。またいつでも帰っておいでね。

また一緒にご飯食べようね。



2011年05月21日(土) なるようになります

細かな雨が降ったりやんだり。
そろそろ梅雨入りが近いのかもしれない。

朝の国道で昨日出会ったお遍路さんをさがしたけれど見つからず。
雨の日は辛いと言っていたからすごく気になったのだけれど。
会えないものは仕方なく国道から県道の山道へとクルマを走らす。

そうしたら分れ道の所で立ち止まっている外国人のお遍路さんを見つけた。
男女のカップルで雨合羽を着ていて地図を広げているところだった。

すぐさまクルマをとめて駆け寄り声をかけてみる。
道わかりますか?と訊くと「サンキュー」と笑顔で応えてくれた。

ふたりが手を振ってくれる。その笑顔のなんと嬉しかったことか。
これもささやかな縁。こんな朝はとてもありがたくてならない。



仕事は少し多忙。いつも土曜日はお休みをもらっているのだけれど。
これからは臨機応変に対処しなくてはとつくづく思ったことだった。

入院中の母が外泊許可をもらって一時帰宅をしてくる。
決して無理をさせないようにとはらはらと見守るばかりだった。

家に帰れば彼が川仕事の後片付けに追われている様子。
なんとかならないかと言うのだけれど私のからだはひとつしかない。

母は月曜日の午後までに病院へ戻らなくてはいけないと言う。
職場のことはなんとしても私が守らなくてはいけないと思った。

あちらをたてればこちらがたたずだけれど。

わたしはしゃきっとここに立っています!

なるようになります。なにごとも。




2011年05月20日(金) お遍路さん

このところずっと夏日が続いている。
けれども風はとても爽やかでずいぶんと過ごしやすい。

いつからか夏のことが好きになったけれど。
猛暑や蒸し暑さはやはり苦手なままだった。

今年はどんな夏になるのだろう。
空や太陽はなんて答えてくれるのだろうか。



いつものようにお大師堂で手を合わせていると。
チリンチリンと鈴の音が響いてきた。
はっとして振り向くと大きな荷物を背負ったお遍路さんの姿。

なんだか自分の家に招き入れるような気持ちになってしまう。
お遍路さんは遠く山形から来たという23歳の青年だった。
そう聞くとすっかり母親のような気持ちになってしまって。
胸の奥のほうがむずむずとしてしまいどうしようもなくなる。

例のごとくでおせっかい。あれこれと聞かれもしないことを教えたり。
自分でも何をしゃべっているのやらと可笑しくなるほどだった。

けれども青年は笑顔でうなずきながら私の話を聞いてくれた。
すごく好青年。そんな印象を強く受け浮き立つような気持ちになる。

陽射しが山形よりずっと強くて暑いこと。
荷物が15キロほどもありとても重いこと。
雨の日は靴もずぶ濡れになって辛いこと。

青年もいろんな苦労話を聞かせてくれた。
それでも歩く。前へ前へとひたすら歩くことに頭が下がる思いだった。

ずっとテントで野宿だったけれど屋根のあるところで今夜は寝れます。

お大師堂のことをとても気に入ってくれたみたいですごく嬉しかった。

これもささやかなご縁。ありがたい日だなとつくづく思った。

旅の無事を祈ります。出会ってくれてほんとにありがとう!





2011年05月19日(木) 姫女菀(ヒメジョオン)

土手のチガヤの白い穂がふわふわになった頃。
それを待っていたかのように姫女菀の花が咲き始める。
マーガレットを小さくしたようなそれは可愛い花だった。

散歩道でこころがはずむ。好きな花が咲くと嬉しくてならない。

雑草と呼ばれある日は無残にも草刈り機になぎ倒されてしまうのだけれど。
そんな運命を知っているのかとても健気に力強く咲いてくれる花だった。

南風に吹かれながらてくてくと歩く。深呼吸をしながら心地よく歩く。

生きているってこんなに素敵なことなのだなとつくづく思った。






山里の母。検査の結果やはり両足の血管が詰まっているとの事。
昨夜遅くまでかかり左足の手術をする。
遠方の病院でもあり付き添ってあげることも出来なかったけれど。
私は職場のことを任されただ精一杯に働くことだけだった。
母が仕事の事を忘れていられるように。治療に専念出来るように。
それが親孝行になるのならほんとうに救われる気持ちになる。

痛みの酷い右足は来週手術をすることに決まる。
今夜も痛んでいるかもしれないと思うと可哀想でならない。
とにかく一日も早く母を楽にしてあげてほしいと願うばかりだった。





2011年05月18日(水) アマリリス

いつもの散歩道を歩きお大師堂に行くと。
私が来るのを待っていてくれたひとがいた。

会うのはこれで八回目となる例の修行僧のお遍路さんだった。
今回は一人ではなくなんとフランス人の女性のお遍路さんが一緒。
徳島で出会ったそうでそれ以来一緒に旅を続けているということ。

ふたりの満面の笑顔がとても嬉しかった。
日本語チョトダケワカリマスと言ってしばし語らう。
ただそのひとは私達の会話を楽しそうに聞いているだけで。
自分からは何も語ろうとはしなかったのだけれど。
終始笑顔を絶やさずともに和んでいる様子が印象的だった。

大震災後。日本は危険だと帰国した外国人がたくさんいると言う。
けれどもこうしてお遍路をしてくれているひともいてくれるのだ。
それがとてもありがたかった。いくら手を合わせても足りないくらいに。

また会いましょうねと握手をして別れたけれど。
もっともっと一緒にいたいなとすごく思った出会いだった。

お大師堂に咲く真紅のアマリリス。

この花を見るたびに今日のことを思い出すことだろう。



2011年05月17日(火) しりめつれつ

ついさっきまで茜色の空を仰いでいたというのに。
ちょっと目を離した隙にそれはもう暗闇に変わる。

そんなふうに夜が来る。何かを落してしまったかのように。
それはいったい何だろう。とても大切なものではなかったか。

だからといって捜し求めるようなことはしない。
むしろ遠くどんどんと遠くに離れてしまいたくなるのだった。

わけのわからないことを言ってごめんなさい。

どうかしているのだとしたらそう認めてあげたい自分がいる。

夜ってふしぎ。けれどもそんな夜が私は嫌いではなかった。


はぁ・・ちょっと飲みすぎたかな。

あしたはあしたの風が吹くさ。この言葉大好き!



2011年05月16日(月) こころに花を

河川敷にある栴檀の木に薄紫の花が咲いているのを見つける。
川風に吹かれながらなんとも清々しい気持ちでその花を仰いだ。

やがてその花が実になる。オリーブ色の可愛い実になる。

そうして季節が流れていくのだろう。いまは初夏。
その花のことを忘れてはいけないような気がした。

ひとの心にも花を。どんなにちいさな花でもいいではないか。
花を咲かせることが出来ればきっといつかそれが実になるのだから。

そう思うと日々は種蒔きのようなものなのかもしれない。





山里の母。今日入院する。
詳しい検査はまだ明日以降になるとのこと。
徹底的に調べましょうねと主治医の先生も言ってくれたらしく。
母はまたまな板の上のお魚みたいな気分でいるようだった。

だいじょうぶなるようになるよ。それが母の口癖。
その言葉を信じてじっと見守るように待つしかないようだ。

昨年からの入院続き。そうして母が老いていくことをせつなく感じる。

いつまでも元気でいてほしい。ただただそう願うことしか出来ない。



2011年05月14日(土) 元気にしていますか?

夕暮れ時になるとどこからか聴こえてくる鳥の声。
ピピピーヨピピピーヨと透き通るような爽やかな鳴き声。

そんな声が茜色の空にこだまする。

ああ平和なのだなとつくづくと感じるひと時だった。


いつもならお休みをもらっている土曜日だったけれど。
月曜日から母が入院することもあり山里の職場へ行った。

朝の山道では緑が目に沁みるように満ちあふれていた。
田んぼもすっかり緑になり若い稲が一斉に風に揺れる。

母はいつもと変わらない。元気そうに見えるのだけれど。
気丈な母のこと。耐えていることがきっとあるのに違いない。

気遣う気持ちを忘れてはならない。それは母に限らず。
自分のまわりのすべての人にそうでありたいと思うのだった。

時には配慮に欠ける時もある。そうして傷つけてしまうことも。
けれども人間だもの。すべてが完璧になんてありえないことだ。

つい最近そういうことがあって自分の心も痛んだけれど。
相手はもっともっと心を痛めているのだということを深く感じている。

むつかしいね・・ひとと人って。とってもむつかしいのかもしれない。



2011年05月13日(金) 夕焼け小焼けで日が暮れて

あまりにも夕焼けがきれいなので。
窓から茜色の空をしばし仰いでいた。

ゆうやけこやけでひがくれて。
ふと口ずさむ歌の懐かしいこと。

平穏だったいちにちがそうして暮れていく。

その平穏がどんなにかありがたいことか。
心苦しさをつのらせながらもう二ヶ月が過ぎた。

ふつうに暮らすこと。その大切さもわかってきたように思う。
そうすることを与えられているのだということをしみじみと感じる。

だからこそありがたい。だからこそ愛しい。

粗末にしてはいけないことがきっとたくさんあるのだと思う。

些細な事でもそれは決して当たり前のことなのではない。




2011年05月12日(木) あんず

あんずの毛づくろいをする。
人間で言うと衣替えの季節なのだろう。
冬の間の毛がはがれるように抜けていく。

冬のそれは綿のように柔らかいのだけれど。
夏の毛はさらっとした手触りで少し硬かった。

いつものあんずは手で触れられるのをとても嫌がる。
けれどもブラシは心地よいのだろうかおとなしくしている。

ほうらもう少しよ。そう声をかけながら撫でるようにブラシをかける。
ああそこ痒いの。そんなふうにせがむような仕草をしたりもする。

抜けた毛を丸めてみるとソフトボールくらいの大きさになった。
すっかり夏毛になるまではもうしばらくかかりそうだ。
明日も時間を作ってブラシをかけてあげようと思う。



あんずは幸せなのだろうかと最近よく考えるようになった。
福島の原発近くの村。一時帰宅でやっと帰れた時には。
犬小屋で冷たくなっていた愛犬の姿が待っていたという。
なんとも遣り切れない思い。それが現実だと思うとほんとうに悲しい。

お味噌汁の残りのお豆腐。ドックフードに混ぜてあげると喜ぶ。

幸せだよねとあんずに言う。こんなに幸せなことなんてきっとないよね。





2011年05月11日(水) チロチロ

近づいている台風の影響なのか、今日も梅雨のようないちにち。
幸い雨雲はそれているのか大雨にはならず済んだのだけれど。
明日のことはわからず身構えるような気持ちで過ごすばかり。


湿気を含んだ風のなかいつもの散歩に出掛ける。
いま土手にはチガヤの白い穂がそれはたくさんになって。
風を受けて一斉になびいている姿がなんとも可愛らしい。

ゆらゆらと言うよりチロチロ。耳を澄ませばそんな音が聴こえる。

土手にいて風に吹かれているとこころがとてもほっとする。

ふかく考え込んでいたかもしれないことなどつい忘れてしまい。

そこにじぶんがいるのだという存在を確かめるような気持ちになる。

イキテイル。きっと誰もがそう感じるのではないだろうか。


チロチロうたっていられるのは風のおかげ。

チガヤはささやく。そんな白い穂に身を埋めたくなった。




2011年05月10日(火) ソラ豆

時々のにわか雨。蒸し暑く梅雨を思わすようないちにち。

紫陽花の花芽が見え始めた。そんな季節。
やがて色とりどりの花を咲かせることだろう。

ゆっくりでいい。ひっそりとした気持ちでその時を待ちたい。


山里の母。足の痛みが酷くなり病院へ行く。
神経痛のようなものかと思っていたけれどそれは違った。
精密検査を兼ね来週また入院することになる。

心配し過ぎてもいけない。母のようにあっけらかんと。
命に別状はないのだしなるようになるだろうと腹をくくる。

たくさんの命が失われた被災地をおもうと。
母のことなどほんの些細な事ではないかと思うのだった。



帰宅するなり息子から電話あり。
いつでも帰っておいでと言ってあったからそれが今日。

またまたありあわせの夕食を三人でかこむ。
いただき物のソラ豆を塩茹でにしたのが美味しかった。

でも炊飯ジャーの中のご飯が二人分しかなくって。
とにかく息子に食べさせなくてはと思うのが母心。

私はソラ豆を主食にお腹いっぱいになった。
息子に気づかれないようそればかりを食べる。






2011年05月09日(月) そうして暮れて

立夏の声をきくなり一気に初夏らしくなる。
昨日は真夏日を記録し、今日も蒸し暑い一日だった。


土曜日に彼の従兄弟が亡くなり今日がお葬式だった。
若い頃には付き合いもあり親しくしていたけれど。
最近ではすっかり疎遠になっており病気だった事も知らずにいた。
寂しい事だな・・と彼がつぶやく。寝耳に水のような訃報だった。

病に冒されどんなにか無念だったことだろう。
まだまだこれからの人生が糸を切るようにあっけなく終わった。

どうか安らかにと祈ることしか出来ないけれど。
血をわけた人が亡くなるのはほんとうに辛い事である。




そうして今日も何事もなかったかのように暮れていくのか・・。

玄関のツバメの巣には二羽のツバメたちが帰って来る。
窓からそっと覗いてみると母ツバメは卵をあたためている様子。
父ツバメはすぐそばの軒下でそれを見守るように佇んでいた。

どうか無事に子ツバメたちが生まれてくれますように。

どんなにちいさな命でもそれはとても愛しいものだった。



2011年05月06日(金) どんど晴れ

立夏。暦の上ではもう夏なのか。
季節ばかりが急ぎ足で過ぎていくばかり。

受けとめなければいけないことがあまりにも辛かったこの春。
前へ前へと背中を押されるようにしながら進むしかないのだろうか。

岩手。盛岡が舞台のドラマ『どんど晴れスペシャル』を見ていた。
あれから四年後という設定。震災前のロケということもあり。
まさかこんな大惨事が襲ってくるなど誰も予想していなかった事だろう。

春の盛りの一本桜。今年もきっと美しく咲いてくれたに違いない。

とにかくいまは耐えなければいけない。それがどんなに辛く苦しくとも。
祈りエールを送り続けることしか出来ない無力感に苛まれるけれど。

出来ること。それが精一杯の私だった。




夕方。息子から電話あり。
「晩飯たのむ」と言うこと。

昨夜ここに記したことが伝わったのかもしれない。
ひょっこり帰って来てくれる。それがどんなに嬉しいことか。

しみじみと家族のありがたさをかみ締める。

誰ひとり欠けてなるものか。

我が家は平和だった。それが当たり前の事とはとても思えない。

日々を授かっている。手を合わすように一日が終わる。



2011年05月05日(木) こどもの日

夕陽に染まる土手の道を近所の子供たちが駆けて行く。
なんとむじゃきであどけない姿だろうと微笑ましく思う。

ひとりふたりと子供達の声がこだまのように響いた。
私は窓辺に居ながらまるで映像のようにその姿を追う。

こどもの日。遠い昔の我が子達のことを思い出す。
どこかに遊びに連れて行ってあげることも出来ず。
せめてもと好きなハンバーグなどを作った記憶や。

こどもたちはいつも笑っていた。
親に何かをせがむという事もせずに。
いつも我慢をしていたのかもしれない。

そんなこどもたちのおかげで父になり母になれたのだとおもう。

そうしていくつになってもこどもでいてくれることのありがたさ。


しんちゃん。今日も介護のお仕事お疲れさま。
晩ご飯ちゃんとしっかり食べていますか?

サチコ。仕事忙しかったことでしょう。お疲れさま。
そろそろ資源ごみがたまっているのではないですか?

「おとう!」「おかあ!」と言って。

またひょっこりと帰って来てくださいね。



2011年05月04日(水) 笑顔

みどりの日。二階の窓をあけると柿の木があり。
その若葉の艶やかさがなんとも美しくそこにあった。

手を伸ばしてふれてみたくなるみどり。
昨夜の雨のしずくが宝石のように光る。

深呼吸をする朝。とても清々しい朝だった。



昨夜は帰省中の友人と居酒屋さんへ行く。
少なからず自粛ムードもあったけれど。
三年ぶりに会う友人と語り合う嬉しさ。
懐かしい昔話などしながら時を過ごした。

こんな時間が必要だったのだなとつくづく感じる。
こころから笑顔になれたのは久しぶりではなかったろうか。

また来年の今頃きっと会おうね。そう約束して別れた。

親子ほどの年の差がある友人だったけれど。
会わずにいた三年のあいだにすっかりおとなになっていた。
ずいぶんと苦労をしたことだろうと思う。
そうしてそれをひとつひとつ乗り越えてきたのだろうか。

友と呼びながら私は母の気持ちにならずにいられなかった。

笑顔をたくさんありがとう。きみの笑顔はぴかいちだよ。





2011年05月02日(月) 風薫る

黄砂におおわれてぼんやりと霞んだ空。
けれどもそこにはきっと青空がひろがっているのだと思う。

黄砂のベールを透かすようにやわらかな陽射しが降りそそぐ。
それはもう春のそれではなくてすっかり初夏のようだった。

散歩道。なんともいえず風が薫る。
緑のにおいだろうか花のにおいだろうか。
くんくんとしているあんずの真似をして。
私もその風のにおいをかいでみるのだった。

風のにおいで胸がいっぱいになる。
こんなに満たされていいのかと思うほど。

ちっぽけなじぶんがとても愛しくおもえてくる。

いいのだろうこれで。ばくぜんとそう感じた。

風が薫る。すべてを受けとめた風が吹きぬけていく。


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