2009年06月30日(火) |
いかなくちゃ。だからいかなくちゃ。 |
小雨降る朝の道で。稲の花と言うべきなのだろうか。 若き稲穂がそのいちめんの緑のなかで揺れているのを見た。
六月が今日で終わる。やがて真夏になり八月には稲刈りが始まる。 早いものだ。その実る様を日ごとに確かめながら季節が巡ってくる。
上手くはないのかもしれない。ただ息をするように身を任せている。 苦手だった夏の事を好きだと思ったあの夏からどんなふうに生きて。 いまここに佇んでいるのだろう。そぐわないような不器用さのまま。
私はわたしの影を見失わないように。空と地の狭間に立ち尽くしている。
留まれないことが時にはカナシイ。カナシミと名付けるほどの心さえも。 もしかしたら灰汁のようなもので。なんのかたちにもなれない澱だった。
その澱を纏って老いていく。真夏の光にそれが輝くことを奇蹟のように。 ありがたく受け止める事も出来るかもしれない。それが救いになるだろう。
いかなくちゃ。だからいかなくちゃとすくっと前を向き歩んでいきたいものだ。
午後には雨もあがり夕方には思いがけず晴れ間が見えた。 老犬あんずは嫉妬したくなるほど元気な足取りで私を引っ張る。 そうして逆らいそうして暴れる。私はもう怒らないことにした。
穏やかでいたいのだ。もう振り回されて心を乱されたくはない。 途中の石段の手すりにあんずを括り付けてあとは無視を決める。 そこでどんなに泣き喚いても宥めたりはしない。ほったらかして。
じぶんはひとりでお大師堂まで歩く。とても清々しく歩いていく。 そうして今日の平穏に手を合わす。感謝以外の何があるのだろう。
ほっとして今日が暮れていく。明日の事など誰にもわからないのだ。
だからこそいまを愛しむ。いま存在することが幸せでなくて何だろうと思う。
ツバメの子供たちの頭が見え始める。それはか弱くて。 親鳥が餌を運んでくると一斉に鳴き。その小さな嘴が。 命そのものであるかのように息づいているのがわかる。
今度こそは無事にと願う。それは親鳥の願いにも等しく。 ひととして出来る限りの事をしてあげたいと思っている。
見守るだけではどうすることも出来ないことがある事を。 すでに学んだ。カラス除けの何かを施してあげなければ。
今日それをしてあげられなかったことが気掛かりなまま。 日が暮れていく。親鳥が巣に帰っている事を救いに思う。
夕方から雨になる。予報ではしばらく梅雨らしさが続きそうだ。 このところ毎日だった散歩も今日はお休みにすることになった。 それでもあんずの食欲は旺盛で今夜もあっという間に平らげる。
毎日が喧嘩だった。今日はお互いが穏やかなまま夜をむかえる。 あんずの行動が理解できない。あんずも私の行動が理解できない。 家族として思うに。もう少し解り合えても良いのではないかと思う。 似たもの同士といえばそれまで。犬は飼い主に似るというくらいだ。
実は先日の雨の夕暮れ。初めて私ひとりで散歩に行ってみたのだった。 最初は気ままでこれは良いなと思った。でも足取りがとても重くなる。 いつもの距離がとても遠く感じて。どっと疲れて帰って来たのだった。
それを思うとやはり一緒に歩いてくれるあんずがありがたい存在になる。 ああだこうだと文句を言いながらも。ふたりの歩く散歩道がそこにある。
早寝の彼女はもう眠りかけているようだ。鎖に繋がれたつまらない一日。 ひとならばそれをどんなにか苦痛に感じることだろう。ツナガレルコト。
かろうじて繋がれないでいる私は。のほほんと酒をのみここに思いを記す。
うす曇の空。それほど暑さを感じないまま時を過ごす。
昼食後すこしのつもりでソファーに横になっていたのだけれど。 そのまま眠っていたらしい。目が覚めたらもう四時になっていた。
なんだかもったいないような。無意味な午後を過ごしてしまった。 身体がとても重い。よっこらしょと起き出して洗濯物を取り入れる。
母からメールが届いてることに気づく。山里の職場は休みではなかった。 心苦しさを振り払うように遅い返信をする。自分ひとり休んでしまった。 それを責められているような気もしないではない。土曜日は行かないと。 決めている。申し訳ないけれどその意思を変えるつもりなど私にはない。
その後またメールが届く。とても疲れたと仕事のことなど書いてあった。 労いの言葉を一言でもと思いつつあえてそれをしない娘を許してほしい。
月曜日は笑顔で。それだけは約束をしよう。私に出来る精一杯のことだ。
サチコがまたプチ家出をすると言い。夕食は彼とふたり質素に済ます。 姑さんの畑に夏野菜がいっぱいになり。新鮮なトマトや胡瓜、茄子など。 今日はほうれん草も貰ってゴマ和えにする。トマトは塩でそのまま食す。 あとは鯖の干物。彼は食に関してはまったく文句を言わずにいてくれて。 買物に行かなくてもこうして夕食が出来る。姑さんの野菜もありがたい。
母ふたり。私を生んでくれた母。そうしてともに暮らしてくれる母がいる。
正直なところ。私はともに暮らしてくれる母をより愛しく思う時がある。 彼を生んでくれたひと。それは自分の命よりも尊い。母は偉大だと思う。
いまさらながら嫁ぐということの意味を考える。それは縁にほかならず。 うまく馴染めない頃があったとしてもそれはもう過去の一こまに過ぎない。
生んでくれた母のことを。もしかしたら粗末にしているのかもしれない。 鬱陶しく思ったり感謝のこれっぽちも伝えられずにいるのかもしれない。
けれども私にとって今以上のことなど。どうしても出来そうにないのだ。 家にいるとほっとする。姑さんとふれあっていると心がとても和むのだ。
わたしはわたしの居場所に心地よくいながら日々をおくっているのだろう。
ただひとりではなく。家族という名のやすらぎのなかにそっと生きながら。
2009年06月25日(木) |
なんだかこの波はおおきい |
夕焼けがあまりにも空を染めるので胸に。 血の雫がこぼれたような気持ちになった。
いったいどこがうずいているというのだろう。 わたしには私のことがよくわからないのだった。
ありのままにといつもおもう。不自然ではなく。 無理をせず。そこにあるものに身を任すような。 そんな生き方をしていたい。逆らわずにいながら。
けれどもわからないものだから確かめる事が出来ずに。 もしかしたらそれは理想で現実ではないかもしれない。
しょうがないな・・と時には呟く。どうしようもないこと。
たとえば砂浜。波打ち際に佇んでいると小さな波に足を濡らす。 もっと大きな波が来るような気がしていそいで後ずさりをする。 絶え間のない事がそこにいる限り永遠に続いてくるということ。
ああほんとうによくわからない。言葉になんか出来ないことを。 あえてそうしようとするから収拾がつかなくなってしまうのだ。
のみすぎたかな。それなのに少しも酔わないのが苦しくなった。
はあ・・ふう・・なんだかこの波はおおきい。ずぶ濡れになっちゃえ。
すっきりと爽やかな晴天。清々しい風が心地よく感じる。 雨を待っている時もある。青空を待っている時もあった。
待つということ。そう願うということに少し躊躇する時もある。 求めないと決めたこころが揺らいでいるようで後ろめたくなる。
けれども待ってはいけない理由をうまく説明することが出来ない。
ときには振り切ってふりきっていかねばならない時もあるようだ。
今日もくちなしの花が香る。開け放した事務所の窓のむこうから。 それはそっと頬を寄せるように身近にあり。薄い絹の衣のように。 我が身を包み込んでくれるのだった。相応しいとかそうではないとか。 どうしてそれがわかるだろう。恍惚としながら受け止めるしかないこと。
私よりもずっと若いお客さんが『くちなしの花』の歌を知っていて。 「くちなしの白い花 おまえのような花だった」と口ずさんでくれた。
それはすぐに笑いに変わり。せつなさも嘘のように退いてしまったけれど。 その香はいつまでも漂い。誰のこころにもそれが届いたようで嬉しかった。
純白ではいられない花は。明くる日には黄色になり無残に枯れていく。 毎朝それをひとつひとついたわるように千切ってあげなければいけない。 そうして手のひらいっぱいになった枯花に頬ずりをするのが日課になった。
けれどもたくさんの蕾。それがまた明日の純白になり香ってくれるのだ。
2009年06月23日(火) |
けれどもどうしようもなく不安定なのだろう。 |
昨夜ひそやかに降り続いていたはずの雨が今朝はもうやんでいた。 どんよりと重い空もやがて薄く明るくなり零れるように陽が射す。
けれどもどうしようもなく不安定なのだろう。午後にはまた雨になった。
何度も空を仰ぐ。その心境を思い遣ってあげることなど出来もしないのに。 ただぽつねんとそうすることで。じぶんの在りかを確かめてみたかった。
陽が射せばその光を。雨ならば濡れる覚悟で日々を歩んでいきたいものだ。
午前中に行った歯医者さんで私より三つ年下だという先生が言った言葉。 「僕らはただ死へと突進しているような毎日」忘れていた痛みのように。 その言葉が真っ直ぐに届いた。そうだったそれ以外に道はないのだと思う。
ほぼ同世代。朝が訪れるとほっとするけれど体調が優れない日があると。 たちまち不安に駆られるのだと言う。元気でいたいのにそうなれない日。
「せめて楽しく暮らして行きたいものですね」私もそっと頷くばかりだった。
楽しさとは。すべてを受け止める事かもしれない。苦さえも楽に変えるように。
6月23日。友人の命日でもあった。あれからもう10年の歳月が流れた。
2009年06月22日(月) |
風は遠くの雨を知らすように。 |
思いがけずに青空。風は遠くの雨を知らすように湿り気を帯びる。
朝の道で合歓の木の花を見つけた。もうそんな頃になったのかと。 胸が弾む。それはピンクの小さな孔雀のように羽根を休めていた。
職場の合歓の木が折れてしまってからもう何年が経ったのだろう。 それはあまりにも身近だったから。とても寂しかったのだけれど。 再会のようにして巡り会える季節があることを。心嬉しく思った。
職場にはくちなしの花。今が盛りとその芳香を放ってくれている。 絶えるものもあれば癒すように咲いてくれる花がありがたかった。
失っても見つかる。絶えても授かる。厳しくても恵まれるものだ。
日暮れてずいぶんと南風が強くなった。今夜遅くには雨になるらしい。 待ちきれないような気持ち。いますぐにでも雨音が聴きたくてならない。
むしょうに手紙を書きたい。それにはどうしても雨音が必要だと思う。
素直になるだろう。正直になるだろう。濡れそぼるような言葉がほしい。
2009年06月20日(土) |
アシタアイニイキマス。 |
やっと梅雨らしくしとしとと小糠雨の一日。 あたりいちめんが潤うのを心地よく感じる。
朝のうちの家事もそこそこに午前中は読書だった。 春樹の新刊が届き毎日少しずつ読んでいたけれど。 ブック1を読み終え。今日はここまでと本を閉じる。
一気に読みたい衝動にかられもするけれど。ゆっくり。 なんだかとてもゆっくりでいたい気がする。不思議な。 読後感がある。何かを手繰り寄せるようにいたいと思う。
午後。二時から約束がありそれまでに買物を済ませようと。 めったに行かないメンズ専門店へ。彼のための服など買う。 父の日というのを楽しみにしているらしく。まるで子供が。 サンタさんを待っているような顔で送り出してくれたのだ。
オトウサンと彼を呼ぶ。この30年一度も名を呼ばない気がする。 オカアサン。私は彼を生んだ覚えなどないけれどそれが私の名だ。
午後二時。約束の場所でバド仲間に会う。うちの息子君と変わらない。 そんな仲間と頭をつき合わせて明日の大会のスコア表などを作る作業。 若い仲間がたくさんいるというのに私に声をかけなければいけない程。 手間取っていたのがわかる。大会のたびに一人で苦労していたのだろう。
頼ってくれたのがとても嬉しかった。まるで息子の宿題を手伝うような。 母の気持ちになった。ありがとう助かったよとその言葉に救われる思い。
大会。私も出られたらどんなに良いだろう。けれども今回も断念をした。 体力に自信がないといえばそれまでだけれど。無理をして倒れでもしたら。 皆に迷惑をかけてしまう。そこまでして出なければいけない理由もなかった。
また明日ね。そう言ってもらい別れる。応援と線審も手伝って欲しいと言う。 「母さんきっと見に来てね」子供に頼まれて喜ばない親などいないはずだろう。
明日は一日中体育館で過ごすことに決める。みんなの流す汗を心地よく感じ。
そうして授かる光のような活力にわたしはあいたくてたまらなくなった。
2009年06月18日(木) |
それはきっとそのためだけにそこにある。 |
今年の始め。そう毎朝のように霜がおりとても寒い季節だった。 お大師堂で出会ったお遍路さんがいた。三年間は家に帰れない。 とにかく歩き続けるしか道がない。時々は僕を思い出して下さいと。
影の姿の写真を送ってくれたのだった。時々だなんてそれはあり得ず。 あれ以来ずっと毎日その写真に手を合わせ続けていたのだけれど。
今日は仕事から帰宅するなりとても思いがけないことがあった。 姑さんが声を弾ませ「Kさんが来たよ。Kさんが来てくれたよ」と。 昼間。畑仕事をしている時に。そのお遍路さんが訪ねて来てくれたと言う。
ずっと気にかけていた。元気にしているだろうか。無事でいるだろうか。 実は近況を知らないわけではなかった。昨夜奥様と少し話したばかりだった。
お母様が急逝された事。そうして彼女がもう奥様ではなくなった事を。 とても衝撃的な事実として私はすでに受け止めていたのだと思う。
ひとにはどうしても突き放してあげなければいけない時があるのだ。 彼女の選択に私は頷く事が出来た。今だから今でなければいけない時。 それこそが試練になり。彼に乗り越える力を授けてくれるのだと思う。
夕方。お大師堂で再会が叶う。あの時と変わらない澄んだ瞳に会えた。 「今とてもきついんです」その言葉の意味を知っていながら。あえて。 深く詮索する事を避ける。ただ誰も恨んだり憎んだりしないで欲しい。 遠まわしではあったけれどそれだけは伝える事が出来た。瞳が潤んだ。
そんな彼の瞳がすべてを受けとめてくれている気がして心が救われる。 けれどもどうしてこんなことに。いったいどれほどの試練なのだと。 彼の瞳が訴えているのもわかる。人それぞれとは言え天の与える運命は。 か弱い者にも容赦なく。それゆえに過酷な試練となり得るものなのだろう。
乗り越えるために。それはきっとそのためだけにそこにある。
私は信じることだけを選ぶ。そうしてこれからも手を合わせ続けるだろう。
2009年06月17日(水) |
雨はいっこうに降らない。 |
たそがれていく空をツバメがいくつも飛び交っている。 その中には今年巣立った子ツバメもきっといるのだろう。
空を飛べるようになる。自分で餌も食べられるようになる。 希望の卵がそれを叶えて。精一杯の命を育んでいるのがわかる。
尊いいのち。それはか弱いほど愛しいものだ。我が家ではあの時。 それを護ってあげられなくて悲しい現実を目の当たりにしたけれど。
いまは希望に満ちている。明日かもしれないとその日を待っている。
犬として生まれたあんずも然り。縁あって家族の一員になってくれた。 尊くないだなんてこれっぽっちも思ってなどいないというのに。何故か。 このところふたりはうまくいかない。おそらく原因は私にあるのだろう。
ふたりの散歩ではなく。わたしの散歩になっているのかもしれない。 それでも一緒に行くといってはしゃいで家を出てくれる彼女だった。
そんな彼女を家に残し私はひとりで歩いて行けるのだろうかと。ふと。 今日は考えてみた。どんなにか後ろ髪をひかれることだろうと思うのだ。
雨はいっこうに降らない。明日もふたり反発しながら歩く事になるだろう。
きのう「嫌い」と言ったことを撤回してみることにしよう。
好きだけれど。うまくいかないことが少なからずあるのだろうと思う。
2009年06月16日(火) |
夕陽がとても眩しかった。 |
梅雨もいずこへやら今日も晴天の夏日となった。 紫陽花が心なしか弱々しく見えて可哀想だけれど。 夏の陽を喜ぶように様々な花が咲き始めたのだった。
のうぜんかずら。紫君子蘭。松葉ぼたん。日日草など。
やはり雨をと願う気持ちもありながらそんな花を愛でる。 水不足。干害。困っている人達がたくさんいることだろう。
天まかせとはいえ何が恵みになり得るのか言葉には出来ない。
夕陽がとても眩しかった。いつもの道を歩きながらいて。 その光が身体を突き抜けていくように感じたほどだった。
私には灰汁のようなものがある。澱のようなものがあり。 ほら見てごらんなさいとそれを照らされたように思った。 けれども途惑ってなどいられない。しっかりと確かめる。
そんな光がそこにあることに。心が揺さぶられるのを感じる。 どんなにあがいても浄化されない。あるべきものであるのだ。
そのあるものと日々を暮らす。そっと静かにそれを宥めながら。
あんずは今日も駄々をこねた。暴れまわって私に逆らうばかり。 もう手を離したいと本気で思う。好きなように走っていけばと。
無理強いをしているのではないかと。帰宅して彼に言われた。 どうすれば良いのかよくわからない。あんずが嫌いになった。
もう嫌いだからねと思っているというのに。ぺろりと頬を舐める。 足元にじゃれつきながら晩御飯を早く。早くと私に甘える素振り。
ふぅ・・負けたと思う。折れなければいけないのは私だと思った。
雨の日にはお散歩に行かない。私はひそかに雨を待っている。
2009年06月15日(月) |
ありがとうかみさま。 |
以前より深くなった巣の中で身動きもせずにツバメが。 ひたすら卵を温めている。そこには希望が生きていて。 必死にそれを叶えようとしている母の姿に心打たれる。
あるひとからのメール。生と死は隣りあわせなのだと。 喜びと悲しみも隣りあわせなのだと書いて返信をした。
そのとなりの死。そのとなりの悲しみから逃げもせず。 いつだってそうなり得ることをもっと学びたいものだ。
生は決して当然の事ではなく。喜びもまた当然ではない。
だからこそ感謝しなければいけないことであふれている。
とてもえらそうなことを言った。何様のつもりだろうと思った。 けれどもそんな言葉をいちばん必要としているのが自分だと思う。
ひとにそうして語ることは。すべて自分に向けられているように思う。
今日の平穏も然り。何事もなく無事に終えられる一日が。 当然のことであるはずがない。奇蹟かもしれないことだ。
矢にあたらない事。棘に刺されない事。こんなに無傷でいる。
ぬくぬくとそれに甘えてはいけないのではないだろうか・・・。
ありがとうかみさま。それいがいの言葉がみつからない夜になった。
2009年06月13日(土) |
そうして今日が暮れていく |
空は薄い雲におおわれてやわらかな夏の陽が射す。 太陽の輪郭がはっきりと見え夕暮れには紅くなる。
なんだか月のようにも思えそんな空を仰ぎながら。 歩いた。薄っすらと汗ばむ。微かな川風が心地よい。
あんずがまた駄々をこねる。お大師堂に着くなり。 悲鳴のような声をあげてずっとわめき続けていた。
いったい何を怖がっているのだろう不思議でならない。 そんな悲鳴を耳にしながら。心を平静に保つという事。 むつかしい。苛立ちそうになりながら私は手を合わす。
それがまるで試練のように思う。耐えなければと思う。
なにもかもすべてまるくおさまるとはかぎらないのだ。
そんな散歩から戻って来ると。サチコが早目に帰宅していた。 今日は『魚めし』を炊いたのだ。そう書いて『いよめし』と言う。 そのいよめしを美味しいと頬張ってくれていた。母はほっとする。
いつも手抜き料理が多いけれど。せめて週末には頑張ってみたい。 夫婦ふたりきりだとそれもついつい怠けてしまいそうだけれど。 サチコが居てくれるおかげでやる気も出てくる。サチコの好きな物。 せめて一品はといつも考えている。さあて明日は何にしようかしら。
そうして今日が暮れていく。焼酎ロックの氷を弄びながらこれを記す。
昨日の雨が嘘のようにあがり青空がひろがる。 梅雨特有の蒸し暑さもなく心地よい風が吹く。
仕事から帰宅して洗濯物を取り入れるのが。 喜びのように嬉しくてお陽様の匂いを嗅いだ。
昨夜。息子君が脱ぎ捨てていった靴下が一足。 色は同じなのだけれど柄が違っていて可笑しく。 くすくすと笑いが込み上げてくる。男の子って。 そんなものなのかもしれない。母は愉快に思う。
自炊。掃除。洗濯と彼なりに頑張っていることだろう。 今夜は何を食べていることか。ほんの少し気にもなる。
けれども心配はしない。そうして時々会えるだけでいい。
もう明日は金曜日。駆け足で過ぎていく日々だったけれど。 仕事が少しも苦にならず。むしろ楽しくて遣り甲斐があった。 ほんの少しお駄賃も貰った。欲しがらずにいようと思いつつ。 やはりそれは申し訳なく。家計の足しに遣うのも気がひけた。
結局遣ってしまう。それはお米になったりお酒になったりして。 ずいぶんと助けてくれるものだ。ほんにありがたい事だと思う。
復帰したばかりの頃の鬱々とした気持ち。それも今はもうない。 「おお、やっと帰ってきたか」とお客さんが微笑んでくれる。 その微笑に心から笑顔を返せる自分が不思議だった。明日も。
そんな笑顔を大切にしよう。
2009年06月10日(水) |
大切な時をかみしめながら |
雨が絶え間なく降り続く。これが梅雨らしさだろう。
雨にけむるというけれど。山の緑もぼんやりと見え。 近づいてはその潤いを確かめるように山道を進んだ。
雨合羽に身を包んだお遍路さんを何人か追い越して行く。 足元は雨靴ではない。どんなにか濡れてしまう事だろう。
心苦しさはつのるばかりで。何ひとつ労う事も出来ない。 ただただ会釈を繰り返しては。我が身の在り様を思った。
自分にはとうてい出来そうにもないこと。歩き続けるひとは。 一筋の光のようにまぶしいものだ。とても尊いひとに思える。
時の記念日だという。雨の朝の一瞬の出会いも大切な時だった。
我が家では息子君の誕生日。何もしなくても良いのだと言って。 仕事を終えたら独りでメシ食って寝るからそれで良いと言った。
それではあまりにもわびしい。可哀想じゃないかと父親が嘆く。 母もそう思った。マイマイするとかそんなこと言ってごめんね。 離れていても家族ではないか。今日こそはちゃんとしてあげたい。
お昼休みにメールをしたら。ちらっと帰るからと返事が届いた。 大好きなハンバーグを作ろう。ケーキも買って帰ろうと決める。
ゆっくりとはいかなかったけれど。久しぶりに夕食を共にする。 そうして慌しく帰って行く。いつもいつも風のようなコドモだ。
そんなコドモが30歳になった。なんだかとても信じられなくて。 自立はしていても未だに母は育ててもらっているような気がする。 すっかり大人なのだけれど。幾つになろうとコドモは子供だった。
父も母もそうして老いていく。そのかたわらを追うように歳月が。 子供たちにも重なっていく。その果てまでコドモは子供のままで。
父を母を見送ってくれるのだろう。
ありがたきは家族なのだとつくづく思ったことだった。
やっと梅雨入りの報せ。その声を待っていたように。 うす曇の空が少し重くなる。明日は雨なのだろうか。
平穏に何事もなく今日が暮れていく。 ぼんやりとするばかりであとはただ。 眠くなるのを待ちながらこれを記す。
これはいったいなんだろうとふと思う。 つまらないこと。とりとめもないこと。
けれどもそうしなければ気が済まなくて。 どうしようもない拘りのようにそれをする。
決して毎日ではない。記さない日もある事が。 不可解にも思える。ここから離れるという事。
『オン書き』というのだとある方が教えてくれた。 ノートでは駄目なのだ。そこに私は存在できない。
きっと存在したいのだろう。ある日ある時に限り。 叫ぶのでもなく。ただ息を記しておきたいのだろう。
ため息をゆるやかな息に。おだやかな空気に放つ。
その空気につつまれて。自分自身を穏やかにする。
なにを伝えたいのかよくわからない。もしかしたら。 何ひとつ伝えられないのかもしれない。この息のこと。
ただ。ほっと。この向こう側で誰かがほっとしてくれたら。
その瞬間に私は救われているのだろう。今夜もありがとう。
朝には風にそよいでいた夏草たちが。 午後にはもうすっかり刈られていた。
そこはいちめんの雀色。さっぱりと。 心地よいほどに緑をさらっていった。
鳥たちが集い盛んに餌を啄ばんでいる。 椋鳥だろうか小さな鳩のように見える。
恵みというものはそうして訪れるもの。
草の根はしっかりと残りやがてススキ。 また若々しい緑であふれることだろう。
午前中は山里の職場。午後は動物病院だった。 あんずはクルマに乗るのをとても嫌がるので。 彼とふたりがかりで軽トラックの荷台に乗せ。 やっとの思いで病院へ着く。ぶるぶると震え。 そこが病院であることを知っているのだろう。 押さえ込まれてちくりと痛い注射をされる事。
その顔といったらすっかり怯えた子供のよう。 よしよしと親の気持ちになる。愛しいものだ。
すっかり白髪になりましたねと先生は言って。 犬も歳月には勝てないですねと声を落とした。
この夏を越せるだろうか。今はとても元気だ。 けれどもその日は突然にやってくる気がする。
夕暮れ時のいつもの道をふたりで歩きながら。 しみじみとかみしめるようにこの縁を想った。
寿命とは天からあたえられた精一杯のいのち。 ともに生かされている歳月があることに感謝。
2009年06月06日(土) |
きらりと光る特別な糸のように |
四日ぶりの青空だろうか。洗濯物が嬉しそうに風に揺れる。
土手の草刈も始まったらしく機械の音がずっと響いていた。 伸びきった夏草や。好きなチガヤのふわふわ。姫女苑の花。 それらが荒々しくなぎ倒されていく光景が嫌でも目に浮かぶ。
せつないけれど。きれいさっぱりとなるのだろう。あっけなく。
朝のうちにあんずのシャンプーをした。お風呂場で暴れるのを。 自分もびしょ濡れになってやっと終える。とてもいい匂いになった。 そうして動物病院へ連れて行き。狂犬病とフィラリアの検査をする。 その予定だったけれど。残念・・電話をしたら病院が臨時休業だった。
なんだか気が抜けてしまって。午前中はだらだらと過ごしてしまう。 ソファーに寝転がりDVDを観たり。そばの彼に話しかけたりだった。 静かに観ろと叱られる。何か話していないと無性に落ち着かないのだ。
午後いちばんにカレーの仕込み。圧力鍋を使うとほんとに簡単に出来る。 沸騰すると蓋の錘が揺れ始めるので。すぐに火を消しても大丈夫なのだ。 後は夕方にルーを入れるだけ。じゃが芋も煮とけるほどになっている。
またたくさん作り過ぎたカレー。息子君を呼んであげようと彼が言う。 でも駄目だった。まだ5時前だというのにもうビールを飲んでいたから。 ちょっとほっとした。久しぶりに会いたいけれど来るとマイマイする。 マイマイってわかるかな?とても落ち着かなくてあたふたとすること。
お休みだったサチコと三人で静かに夕食。二人が飲むので私もビール。 「母はお兄ちゃんが好きなくせに」とサチコが言う。確かに好きかも。 でもマイマイする。それがちょっと苦になる。なんて複雑な心境だろう。
巣立ったコドモはそれなりに自立をする。母はもうなにも心配をしない。 家族だけれど。まあるい輪ではなくて。きらりと光る特別な糸のように。
食後。眩しい夕陽に向かってのんびりとお散歩。光る川面がやはり好き。 途中であんずがまた尻込みをしてしまったけれど。大丈夫だいじょうぶ。 声をかけつつやっとお大師堂まで辿り着く事が出来てとてもほっとする。
何日ぶりだろう。日捲りの暦はちゃんと今日。救われたように嬉しかった。 まるで自分の部屋の一部のように思う。不思議な居心地と安心感がある。
誰かがお供えしてくれたのだろう。祭壇に紫陽花の花が一輪さしてあった。
今日もいちにち雨。霧のような雨だった。 色とりどりの紫陽花がいちだんと鮮やか。
まだ梅雨入りではないらしいのだけれど。 もうそうであって欲しいとも願う。水が。 足らなくなっているのだそうだ。だから。 もっとどしゃ降りの雨が良い。雨よふれ。
けれども青空も恋しい。時々はあいたい。
仕事。やっと順調に通えるようになった。 苦もなければ楽もない。ちょうど真ん中。 きびきびでもなくのろのろでもない中を。 なるようになりながら日々が流れていく。
逆らわないことだとやっと気づいたのか。
散歩ほんの少し。お大師堂まで行けない。 どうしたわけかあんずが途中でいやがる。 尻込みをして何かを怖がる素振りをする。 無理矢理ともいかず諦めるしかなかった。
手を合わすこと。いちにちに感謝する事。 行けなくても心からそう思うことが大切。
自分に課すということ。これだけはと決め。 美化しようとしていたのかもしれなかった。
行ける日にそうしよう。行かない日も尊い。
2009年06月03日(水) |
ふぅとなったりはぁとなったり |
静かな雨が降ったりやんだり。 か細い雨だれの音にあわせて。 ぽつんぽつんと息をしている。
その息も時々は逆らってしまい。 ふぅとなったりはぁとなったり。
理由なんてなにもないはずだけれど。 解らないものだなとじぶんを訝しむ。
春樹の新刊が田舎では手に入らなくて。 アマゾンに注文したけれど未だ届かず。 せめて心穏やかにその日を待とうと思い。 読みかけの本などを開いてみたのだけれど。 ほんの少し読んでは気が重くなるのだった。
『嫌い』という言葉がたくさん出てくる。 そうして批判的な文章がとても多いのだ。 そのたびに悲しくなる。それなのに読む。
なんだかこれは試練ではないかと思った。 もしそうならば諦めずに読まねばならず。 最後には気持ちよくその本を閉じられる。 ただただそう信じてゆっくりと読んでいる。
「嫌い」って私は言わない。苦手なのとは。 それは違うのだと思う。避けられない道を。 嫌だとは言えないように。それはそこにある。
読んでいるとむしょうに書きたくなってくる。 進歩はない。いったい何になるのかもわからず。
とめたくてもとまらないおならみたいなものだ。
また今夜も出てしまったか・・しょうがないな。
2009年06月01日(月) |
どこに急いでいるのだろう。 |
とうとう6月の声をきく。早いものだ。 どこに急いでいるのだろう。ただ夏が。
それを知らせてくれているのかもしれないけれど。 日々があまりにもあっけなく先へ先へと流れるばかり。
佇むことをする。そんなつかの間のひと時さえも。 どこかに進もうとしている。歩んでいるのだろうか。
ふとじぶんをうたがう。実感というものがそこにはない。
ただ平穏無事に暮れていく毎日をありがたく思いながら。 ぽつねんとちいさな粒のように。その道を転がっている。
粒は種かもしれない。石ではないように思うそれが救いだ。
今日は夕焼けがとてもきれいだった。胸がどきどきとした。
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