待ちぼうけ日記。

2015年01月09日(金) 相手を侮辱する文化。


侮辱してると思った。

ちょっと古いけど、2009年。
イギリスのオーディション番組
「ブリテンズ・ゴット・タレント」で
スーザン・ボイルが登場したときの
審査員の反応。

「何だ?この勘違いおばさんは」的な
馬鹿にした態度。
もともとそれをウリにしている番組で
出場者もわかった上で出ているのだろうけど。

いきなり容姿を侮辱しているのと、
歌を聞いたあとは
手のひらを返したように大絶賛しているのと、
そこには
「見た目が良くなくても歌が上手だから
 あなたは素晴らしい!」
みたいなニュアンスが含まれていることに、
不快感を覚えた。
まあ、そういう番組なんだろうけど。
文化の違いなんだろうけど。


もうひとつ。

パリの新聞社襲撃事件について、

フランスのオランド大統領は
「自由は野蛮な行為よりも常に強いものだ」、
ドイツのメルケル首相は「言論の自由への攻撃だ」、
アメリカのオバマ大統領は「テロ攻撃で言語道断だ」、
とそれぞれ激しく非難した。

というのを聞いて、
「いつもそれだけだよねえ」と思った。

恐怖で言論を封じるのは許されないと思うし、
殺された人やその家族は気の毒だと思う。
でも、
自由だからといって
何を言っても何を描いてもOKなの?
自由には責任が伴うはず。

今までにも、
イスラム教がテーマの
行き過ぎた風刺とか
侮辱するような小説の内容に対して、
抗議デモやテロ行為があったそうだ。
それでもその新聞社では
テロの脅威に屈することなく
風刺漫画を描き続けていたそうだ。

風刺漫画。
なんだろうけど、
私には
異文化を侮辱する落書きにも思えた。

たとえそれが
イスラム過激派に洗脳された人物の
歪んだ信仰心だったとしても、
信じる神を侮辱されたらどう感じるか・・・。
(というか、そういう相手に
 わざと喧嘩を売ってるよね。)
ましてや
普通のイスラム教徒の人たちが
どれだけ心を痛めているか・・・
という想像は働かないのかな。
(というか、わかってやってるよね。)

異文化(他人)を理解するのは難しいし
協調するのは難しいかもしれない。
でも、
相手を侮辱するだけじゃ
いい方向には向かわない。

なんてことは
大人ならわかっているはず。
それでも続けているということは、
イスラム過激派をとことん悪者にすることで
得する人たちがいるってことよね・・・?
そこらへんを話し出すと
きりがないので
これでおしまい。



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