待ちぼうけ日記。

2015年01月06日(火) 必殺(?)断捨離人。

今年も断捨離を続行しようと思う。

今日は自分の棚を整理した。

アクセサリー、
名刺、栞、同窓会報、
前の会社の雇用契約書、
雑誌・新聞の切り抜き、
もう弾けないピアノの楽譜、
一度も見ていない料理の本、
あの人のまねをして買った山の雑誌、
父に借りて返していない本、・・・。

やっと終わったと思ったら
下の段がまだだった。
色鉛筆、カラーペン、スタンプ、
折り紙、・・・
えっと、あとは何だろう?
何を入れたのか思い出せない箱もある・・・。
これを書いたら続きをやろう。


母は、徹底した断捨離人だ。
今の家に引っ越す前のほぼ2年間、
整理し続けていた。

「だって。
 あなたたちに迷惑かけたくないし
 新しい家は今より狭いし
 足腰も弱ってきたし」

古着や古本・古CD、骨董品(?)、
靴・かばん・食器に始まって
長い年月の間に溜まったいろいろな物を
とにかく徹底的に片付けていた。
写真もほとんど捨ててしまったらしい。
「厳選して小さいアルバム1冊に納めたわ」

片付け中は、私のところにもいろいろ送られてきた。
母子手帳、へその緒、成績表、卒業証書、テストの答案、
童謡のレコード、図工の作品、修学旅行のしおり(!)、
和服入りの桐箱、草履・・・。
「ついでにいらない?
 この指輪、ダイヤよ。いるでしょ?
 それと・・・
 青いガラスのランプとおばあちゃんの茶道具。
 要らなかったら処分するわ」
う・・・。
せっかく断捨離して空いたスペースが
瞬く間に詰まってしまった。

精力的な断捨離の甲斐あって、
両親が今住んでいるマンションは
面積のわりに広々としている。

「これも私のこだわりなんだけど。
 収納には、紙の箱とか竹籠とか
 要らなくなったら“燃えるゴミ”で捨てられる物しか使ってないの。
“燃えないゴミ”に出すのは面倒でしょ」
なるほど・・・。
 

母が必殺(?)断捨離人になったのには訳がある。
亡くなった祖母が
もの凄い物持ちだったこと。
亡くなったあと
片付けるのがもの凄く大変だったこと。
「あれに凝りたの。
 私が死んだあと、みんなに苦労かけたくないから」

私は母より若いので
母のように潔くはなれないけど、
捨てられないなと思う物が
まだたくさんあるけれど、
年齢とともに
だんだん未練がなくなっていくのかも・・・。


「物はなくても、
 思い出が心の中にあるから。
 思い出は、お墓に一緒に持って行っておしまい。
 すっきりしてていいでしょ」

と言っていた母は今、
「お墓ねえ・・・、
 早まって買ってしまったけど
 要らなかったかも・・・
 転売できるのかな?」
と後悔している。



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