三浦春馬が自殺したとのニュースを受け、母が「子どもの先に死なれて、親はどんなにか悲しいだろう。これから、たくさん頼りにしたかっただろうに」と言う。人が自殺したと聞いて、自殺を選んだ人が抱えていた苦しみに思いを馳せるのではなく、まっさきに親の話。そのあとも、親の話しかしない。どこまでいっても、本人の気持ちではなく、親、親、親。自殺した人は、生きていることがどれだけつらかっただろう。どんなに苦しかっただろう。そういうことは想像しないのだろうか。なぜなんだ?