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貧乏は正しい! - 2011年09月10日(土)

僕は青春時代を神奈川県と千葉県で過ごした。どちらも不良漫画で舞台になるような場所だし、実際に近所にヤンキーは多かったと思う。自宅はわりと品のよい住宅街の中にあったが、一歩そのエリアを出るとすれ違う若者の何人に1人はヤンキーファッションだったと記憶する。サティとかららぽーと等の地元のデパートに行くと大抵ヤンキーがゲーセンで溜まっていてカツアゲの標的を探していたものだ。(僕はマガジンやサンデーでやっていた「カメレオン」とか「今日から俺は」とか「特攻の拓」とか好きだったけど断じて不良にはならなかった)

中学生くらいのころは何故かヤンキーの方がモテた。90年代初頭にもなれば東京ではもはやギャング組織みたいのが台頭しているんだろうけれども、千葉と神奈川ではまだまだ暴走族が君臨していた。国道16号では毎日のように100台以上の暴走族の行列を見たものだが最近はさっぱり姿を見ない。たまに1人か2人くらいの若者がマフラー外して蛇行しているくらいのものだ。もう線香花火のように散ってしまった文化なのだろうか。

ただ暴走族は消えても「ヤンキー趣味」ってのはずっと継続して人々の中に残ってると思う。最近「湘南の風」ってグループの曲が店で流れていたのだが完全にヤンキーカップルの会話みたいなのがラップになっている。ああいうのが好きな人たちってのは常に一定数いるのだろう。

しかし自分は周りが青春時代から今に至るまで周りがどんなにヤンキー文化に染まろうとも、自分は頑なにその文化(ボンタン・短ラン・リーゼント・ライブハウス武道館へようこそ!)を受け入れなかった。嫌悪すらしていた。

僕も中学時代はヤンチャで3年間で2〜3枚の窓ガラスを割ったがそれは尾崎豊的な意味合いではなく、ましてやセックスピストルズ的な意味ではない。単に昼休みでのキャッチボールでの暴投などが原因である。極めて磯野カツオ的な意味であった。

何故自分はヤンキーにならなかったのか?

それは「ヤンキー趣味の持ち主が貧乏になると悲しさが倍増するから」という思いをずっと持っていたからだ。

「貧乏は辛いがヤンキーで貧乏だともっと辛い」ということを中学生ながら直感的に感じていて「おちおち不良なんかになっていられねえぞ」と思っていた。

例えばここに1人の貧乏な家庭の子供が居たとしよう。可哀想だ。何とかしてあげたい。ちゃんとご飯は食べているのか?心配は尽きない。

しかし親の趣味でその子が後ろ髪を伸ばしていて前髪の一部が金髪だったとしよう。するとたちまち悲惨が2倍くらいになった気にならないだろうか。貧乏は悲しいが金髪リーゼントで貧乏はもっと悲しい。

さらに母親も脱色をしていると事態は深刻だ。大抵の場合プリン状になってしまう。「貧乏+汚い脱色」ってのは本当にダメージが大きい。

「闇金ウシジマくん」の作者はその辺りが良くわかっていて、やたら「貧乏+ヤンキー」を描写した話が多い。あの後味の悪さってのはハンパではない。

どうせ同じ貧乏になるならば清楚な貧乏になりたい。休みの日はジャージ姿でドンキホーテに行くのではなく図書館とかボランティアへ行くような貧乏に。清貧とヤンキーは喰い合わせが悪い。

と、ヤンキー嫌いを主張しながら最近はクールスのレコードばかり聴いている。ブラックキャッツとかキャロルとかも。自分よりもうんと年上の不良は好きなのかもな。いえいえ。ノーコメント!ロックンロール!


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