足音大きく足跡強くのこと。 - 2014年11月11日(火) いろいろ準備をしたりしてます。 *** 自分の気持ちに正直になろうと、それと、自分の中にある 可能性とかアイデアを掘り出そうと思って、ふとしたときに メモする習慣を付けている最中です。 何でもないことを思い付いたら、すぐ手元のノートにメモ。 本を読んだ内容で気付いたことでも、ためになるなと思った 内容でも、ふと街で見かけた法則と言うか仕組みみたいな ものであっても何でも。 メモするときのルールは無い。とにかく汚い字で書く。 綺麗な字で書くと、次に書くときに、綺麗に書こうとして 躊躇してしまったら勿体ないから。 でも、いつそれを書いたか忘れないように、日付は入れる。 これがどんな効果があるのか、これからどんな良いことに 繋がっていくか分からないけれど、面白いから続けてみます。 *** とある資格試験を受けて。惨敗でした。 色々と課題もあって、幸い、意気消沈はしていないので、 この先にもっと良い結果に結び付くよう、頑張りたいです。 将来的な展望を描いてみると、何となく楽しい。 いついつにどんなことをして、それをこの辺りで終えて、 とかそういった展望。計画と言うか。 継続は力なり。熱意を持ち続けたいなと思いました。 *** 昔のことをふと思い出して、昔の書物や日記、メール、 サイトなんかを掘り出して漁って読んだりしてます。 当時の自分は何を考えていたんだろう。 何に感化されたんだろう。 どんなことで嬉しかった/悲しかったんだろう。 周りにどんな人が居て、その人たちとはどう付き合って、 毎日を過ごしていたんだろう。 一見、懐古主義のようにも思えるけど、そうじゃない。 今の自分がどう作られていったか。そして、今の自分を この先どう作っていこうか。これも展望かもしれない。 恵まれていたなぁ、と思う半面。 もう少し周りの人のことを考えるべきだったなぁとか。 何というかもう自分が不器用すぎて困りもので。 そして危なっかしくて、よくここまでやってこられたな とそんなことばかり思います。 でも、きっと自分はこの先もこういう生き方しかできない んじゃないかなぁなんてことも思いました。 ただ、そればっかりでは成長が無いので、少なくとも、 これからは、たった一つだけでも、自らの軌跡みたいな ものに対して何か良いこと・嬉しいことを加えたいな。 *** ふと「求めよ、さらば与えられん」という言葉が頭を 過るときがある。 正直言って会社が嫌でたまらなかった。 作業(仕事ではなくてもはや作業)も、今まで担当して いたものとは違うし、レベルもとても低いことから、 嫌ではあったけれど、それ以上に、チームのメンバーが 苦手だった。 他方で、忙しい部署だったこともあって、他チームや、 自分の所属するところとは別のセクションのメンバーも 顔見知りや気の置けない人たちが居たことは居たけれど もう誰も自分を助けてくれないとばかり思っていた。 けれど、今に思えば、もしかしたら上に書いたような、 「自分で相手に助けを求めようとすれば、応じてくれた」 のかもしれないなぁ、なんて考えたりもする。 だけれど結局は、もうこうなってしまった。 こうなってしまった以上、自分はもう前に進むしかない。 正直言って、以前は信頼して、背中を見て付いていきたい と思えた上司も居たけれど、その人ももう嫌いだ。 嫌いと言うと実に子供っぽいが、付いていきたいという 気持ちももう湧かないし、何より今ではそうなりたくない。 「もう」ばかり多用してしまうけれど、会社のことを考えると 自然とそうなってしまう。自分にとってはすでに「過去」 なのだ。その一方で、どうしてもまだ意識してしまうから、 無理やりにでも「もう」という言葉で、そのことと決別 しようとしている。そんな気持ちの表れかもしれない。 閑話休題。 だからと言っては難だけれど、もし、この先自分が出会う 人たちの中に、今の私のような立場や状況に陥った人が 現れたときは、どうにかして、その人の気持ちに気付いて 自分がその人のために何か出来ないかなぁと思う。 結局人は、(と言うか自分は) 「自分がされて嫌だと思うことは、他人にはしたくない」し 「自分がしてほしいと思うことは、他人にしてあげたい」。 けれど現実にはそう甘くないことも分かる。 されて嫌なことなんて、表にあらわれるのが常というわけでも ないし、してほしいことだってそれは同じだ。 あるいは、自分がしてほしいと思っていることが、相手に とっても同じように、してほしいとも限らない。 ただ、やっぱり一つだけ確信高く言えそうなことと言うのは、 何にしたって、自分から動かないと相手は何もしてくれない。 受け身でも事は進むことはあるけれど、それは稀だ。 嫌なら嫌と言い、決断する勇気を持つのも大事なこと。 はっきり発言するのが怖いなら逃げたっていい。 逃げた後にどうするのか考えればいい。その代わり、自分の 行動に責任を持つこと。それを今回、学んだような気がする。 *** 経験するチャンス。何を選ぶかは自分次第だなと思います。 選択の自由があるというのは、どうなるのか分からないという 恐怖や不安、それに自分で決めないといけないという責任や 重圧なんかもある。 けれど同時に、自由という何物にも代えがたいようなのびやかで、 清々しくて、晴れやかな気持ちも含んでいるものだとも思う。 「悔いの無いように」なんて、ちょっと前ならばそういった 「前向きすぎる後ろ向きな言葉」で、この状況をひとくくりに してまとめたりもしていたけれど、今は違う。 「もう何だっていい。やってみなけりゃ分からない。 やってダメならまたそこから考えればいい」 そういうふうに考えるようになった。 自暴自棄的なポジティブ思考。それが一番強い。 *** 足音おおきく、足跡強く。 多分自分はこのままで間違っていない。大事な家族や友人。 そして、進みたい方向と仕事、志が同じ同僚が居れば。 間違ったら、またそこで考えて踏み出せばいいやと思います。 *** 2014/11/12 01:34 ...
|
|