先週の木曜日にやって来た『チーム新潟』 うちの母方の親戚なんですが、基本的に母方の親戚衆は皆明るい。(賑やか) 特に女性陣の方が圧倒的に明るい、と言うか「姐さんタイプ」の人が多い気がするかなぁ。 おじさんとか男性のいとこは割と「物静か」と言うか、おしゃべりに長けて無い感じな方が多い。 うちの両親は二人とも、新潟県は小千谷の出身。 そして亡き父は、何故だかうちの母親の実家が大好きだった。 なので、自分の実家に滞在するよりも奥さんの実家に滞在していた時間の方が圧倒的に多かったハズだ(笑) 「オレが行ってもお客様扱いしないから気を使わないしラク」 と言う辺りが父の中でポイントが高かったらしい。
先日来たチーム新潟のメンバー。 うちの母の兄夫婦。 そしてその長女夫婦。(従姉のTちゃんは、おいらよりもふたつ年上) 自分は子供の頃、夏休みになると2週間とか泊りに行ってたのでTちゃんとは大の仲良しだ。
おじさんは角突きの牛を飼っているので、自宅には19時には帰りたいと言っていたらしく、帰りの車を運転していたTちゃんのご主人は高速に入ってからかなり飛ばしていたらしい。 ビュンビュン飛ばして飛ばして・・・・・・いきなりゆっくりになったなーと思ったら、三台前の車が覆面パトちゃんに掴まっていたと。 その時ご主人が 『うっわ〜〜〜っあっぶねえ、○○さん(うちの父の名字)が守ってくれたんだ!!』 とハンドル握りながら叫んだと(笑) とっさにうちの父の名前が出たと言う事に驚きましたが、その後話を聞いてそうなんだ・・・としんみり。 この従姉夫婦、いきなり千葉に訪問!と言う事が過去何度かあって、その時ご主人とうちの父(ふたりともスモーカーなので)ベランダに出てタバコ吸いながら色々と語った事が、ご主人は未だに忘れられないと言ってるのだとか。 Tちゃんのご主人のお父さんは早くに亡くなっていて、『お父さんと一緒に語り合う』と言うことに憧れていたんだそうで。 「だからうちの主人あれこれよくしてくれたおじさんを凄く慕っていたんだよ」と言われ、そうだったんだ・・・・・と。
父が亡くなってもう3年? そんな話、初めて聞いたので驚きました。 や、そんな話、帰ってからじゃなくて先日こっちにいた時に聞きたかったよー。 でもそうやって父の事を思ってくれてた人がいただなんて!と、とても嬉しく思いました。
確かに、父は娘の私から見てもイイ奴だったのでその良さを第三者から言ってもらえるのは嬉しい。 今回のチーム新潟のメンバーは父の入院先にも来てくれたんだった。 父はいわゆる「オヤジギャグ」を連発するのが好きで(母はこれを全力で嫌ってましたが:笑)見舞いに来たチーム新潟メンバーにもギャグを連発したらしい。
Tちゃんが『今日は師匠(Tちゃんはうちの父の事をいつもこう呼んでいた)のギャグを三つも伝授してもらって大満足だよーー!』 と言いながら新潟に帰っていったんだった。 なんつうか、父は病人のクセに周りの衆には全力でおもてなしをするクセがあった。 あの時、チーム新潟が帰ったあと、父の消耗っぷりは酷いものであった。 でも「来てくれた人にしおれた顔だけは見せたくない」って言うのは父のポリシーだったんだと思う。 なので自分が入院した事は、ギリギリまで誰にも言うなと言い続けていたんだよな。 (チーム新潟が父の入院を知ったのは本当にたまたま偶然の事で、実際父の兄妹衆が入院を知らせたのはそれからかなり後のことだったくらいだから。)
そのおもてなし精神は看護婦さんにも向けられていたっけなあと思いだした。 看護婦さん『○○さん、これやりますよー』 父「ああ。△△△ね♪はいはい」 看護婦さん『???え?』
・・・・・・・・・5秒くらいして 『やっだぁ〜〜〜〜やっと分かった。もう、○○さんったら可笑し過ぎるーー!』
「××とかけて△△△と解く。その心は□□□」 と言う意味合いで返したんですね。 いつもそれをやられていた私はスグに分かったんですが、いきなり言われた看護婦さんは分からず一瞬キョトンとしてて。
あの頃はもうモルヒネを使ってて辛い頃でした。 なんであんな状態で、しかもこれからちょっと辛い治療なのにあんなジョークを言えるんだろうか?しかもひとひねり、ふたひねり入ったジョークを。とマジマジと父の顔を見てしまいましたよあの時は。
自分じゃ絶対無理! 最期の3ヵ月、父は毎日毎日吐き気に襲われて吐きっぱなしでした。 (抗がん剤はとっくに止めていたんですが、胃がやられてたみたいで) 多分、つわりの酷い奴?車酔い?みたいな感じで常に気持ちが悪い状態。 そんな状態でギャグとか絶対無理。 あの3ヵ月で父の生きざまを見せてもらった・・・・・と今でも思っています。
|