| 2010年07月19日(月) |
髪の毛と『急性期リハビリ』 |
10センチ程、切ってきました。 サッパリ。 何せ、8ヵ月も野放し状態でしたので伸び放題もいいとこでした。 でも最初にかけてもらってたパーマが非常にきつめだったので、何と8ヵ月経ってもカール具合は毛先までクルリンと、とてもイイ感じで縦巻きに(笑) なんて経済的な! でもかけてから一ヵ月はおばさまの様な感じだったケド(遠い目) なので「今度は少し緩めに・・・・・」と頼んだら今度はゆるすぎ。 でもまあ、夏だからあんまクルクルしてっとうっとおしいかも?(ただし今度のは8ヵ月は持たなそうです)
・・・・・・独身の頃は美容院へは毎月行ってた様な気がするなあ。 今ではそんな贅沢出来まへんがのう。
さて、会社の同僚(と言っても事務方さんではなく)のご主人が単身赴任先の松本で倒れた、と連絡が入ったのが5月末頃だったか? その2ヵ月前位前から「頭が痛い」とか「手がしびれる」等の症状があったので、ご本人も 「これは明らかに脳関係だな」 とあれこれ脳チェックをしてもらっていたのだそう。 でもそれらの検査では異常はみつからず・・・・の矢先に倒れてしまったのだと奥さんが悔しそうに言っていました。 そして松本に掛けつけそれからずっとそちらに泊まり込み看病の日々。
一度千葉に戻って社長に経過報告をしに来た時。 「困ったわ、実は7月10日、娘の結婚式なのよ。主人もその式に向けて必死にリハビリを続けているんだけど、どうなるか・・・・」 と言っていました。 半身マヒがある、と言ってたっけ? あと1ヵ月ちょっとではとてもムリなんじゃ?と思っていました。
結婚式どうだったのかな?と思いつつも彼女がまだ職場復帰してないので状況も分からず・・・・・・。 松本の病院から千葉の病院へ転院したと聞いて、しばらくした先週はじめに彼女が事務所にやってきました。 社長に現状報告と職場復帰の件の相談。 その後少しお話しました。 始めに担ぎ込まれた松本の病院が実はリハビリに掛けては国内でもかなり先進的な病院で、そのおかげかご主人の状態もリハビリのお陰でかなり良くなったとか。 半身マヒだったんだよね?
今から20数年前。 東京で一人暮らしをしていた母の姉が倒れました。 原因は脳梗塞。 見つけたのは届け物を持っていったうちの父。 もう年末も年末。 あと数日で年を越すという頃でした。
「倒れてから2〜3日経ってたのかも知れない」
と言ってましたがそんな寒い中、よくぞ助かったものだと思いました。 そして右半身がマヒ。 会社の冬休み、カレンダー通りだったから31日まで働いて、元旦から3日までしか休みが無かった。 その3日間、病院に泊まり込んだのが生まれて初めて経験する人の介護というものでした。 今はかなりな所まで病院が面倒を見てくれるので、家族の負担は少ないですがあの頃は食事の面倒から着替えや下の世話まで全て家族でしたから色んな意味でいい経験をしたと思います。 父の時には大いに役立ちましたから。 それでも、倒れる前は踊りや三味線などをこなし口調もチャキチャキの江戸っ子のようだったおばが、倒れた今では口もきけず人の手を介さなければ食事すら出来ず・・・・な状況になってしまった事があの頃、若干20歳を過ぎたばかりの自分にはとてもショックな事でした。
リハビリなんて始められたのは、倒れてからずいぶん経ってからだったと記憶しています。 なので彼女から、倒れて担ぎ込まれた翌日くらいからもうリハビリが始まっていたと聞いて、本当に驚きました。
「それでね、実は今週末の土曜日の夕方5時半からのTBSの番組にうちの主人のリハビリの様子が放送されるのよ」
え?凄っ! 絶対見るからね、残業しないで走って帰るから! んで土曜日。 夕方からの報道番組。今週は豪雨の被害もあったしそれに多分、放送されても5分か良くて10分位?なのかな? と内心では思っていました。 『花嫁の父を奪った脳梗塞』 と言うタイトルが出て、放送が始まりました。 救急患者が運ばれてくる緊迫した場面。 第一発見者の、ご主人の松本での同僚のインタビュー。 その主人の生い立ち。 へぇ・・・・習志野高校野球部だったんだ。(画面にはその頃の写真がUP) 同級生にはあの掛布選手もいた・・・・と。 そして病院へ運びこまれた翌日から始まったリハビリ。 一昔前までは、「ひたすら安静」が当たり前だったのが今では『急性期リハビリ』と言う名の下、当たり前のように行われている現状に、驚きました。 脳疾患関係は「再発」を恐れて、その病気が落ち着くまではひたすら安静にしているのが当たり前だったあの頃とは雲泥の差でした。
倒れた翌日の患者さんの下には、複数の科のドクター達ががベッドの足元にグルリ勢揃い。 患者さんの申し送りや意見交換のためのようでした。 これはTVカメラが入っているからとかではなく、その病院では日常的に行われていることらしく、「ああ、この病院は横のつながりがちゃんとしているのだな・・・・・」と見ていてとても感心しました。 今では個人データは全てPCに入っているので、他の科のデーターを診察室のデスクPCで取りだし確認するのも当たり前。 先日、自分が病院にかかった時、他の科の検査データを見ながらあれこれ先生が判断しているのを見て 「いい時代になったもんだのう」 と思ったばかりでしたので、更にドクターまで集めちゃって意見交換や申し送りまでしているその病院は、更に一歩先を行っているのだな・・・・と思い知らされました。 また別の申し送りの時、患者さんの性格や仕事の内容、生い立ちまで話し、またその話をちゃんとパソコンに打ち込んでいるんですよね。 んで、それを元にリハビリ内容を決めて行く。 何て細やかな対応!
これは人手やお金がかるよなあ・・・と思ってましたら、この病院。 このシステムでかなりの黒字をあげているからこそ出来るのだと、病院長がインタビューで答えていました。 優れた医療の元には患者さんも集まる、のだそうです。 確かに! あそこまでの先進的なリハビリシステムを見せつけられれば納得だよ。 NHKスペシャルで「闘うリハビリ」と称し報道もされたそうです。
番組内では奥さんのインタビューや娘さんの様子、結婚式を翌月に控えて居るにも関わらず病院につきっきりで千葉にいる娘に何もしてやれない彼女の言葉が聞いてて辛かったです。 そして救急で運び込まれたのでここには長期でいられないのと、娘さんの結婚式もあるとの事で千葉の病院へ転院。 (その病院と言うのが、おいらが入院してたとこ。リハビリ施設が充実しているらしい) でも転院する頃には、もの凄い回復していました。 そして結婚式でのバージンロードに見事!ご主人は娘さんの手を取り、歩くことができたのです。(式のリハーサルの様子を放映) 凄い。 倒れてからまだ2ヵ月も経ってないよ? 病状が軽かったからじゃないか?とも思えるかもしれませんが、素人目に見ても彼の脳内のMRI写真は明らかに脳の半分側の血流がストップしていました。 それがここまでに回復したのは、やはり病院の優秀なスタッフのお陰でしょう。 そしてそれに着いて行ったご本人の頑張りも凄かった。 奥さんが「担ぎ込まれたのがあの病院で本当に良かった」 と言ってた意味があの番組を見て充分に理解できました。 ちなみにこの方法を取りれている病院はかだ数少ないそうです。
そして番組の中の特集コーナー。終わってみればまるまる30分の放映でした。 もう少し詳しく観たかったかな。 番組的には『バージンロードを花嫁の父として歩く為に頑張った○○さん』と綺麗にまとめていましたけど、そのネタに引きずられる事なくちゃんとした医療レポート番組になっていた事には敬意を表したいと思います。(←偉そう)
・・・・ああ・・・何かもうすでにこれ日記じゃないよね。何?この長さ?(遠い目) おいらが敬意を表すべきは、ここまで読んで下さったゲスト様へだと言うことに今、ハタと気が付きました。(土下座)
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