がんで昨年7月から闘病を続けていました父が、一昨日の3月4日 朝、9時40分に永眠致しました。
享年71歳。
11月の入院からずっと吐き気と痛みに苦しんでいましたが 最期は苦しむ事なく眠るように息を引き取りました。
病院から「血圧が非常に下がっており、そろそろ危ない」 と連絡が入ったのが1日の朝。 午前中だけ仕事をやり午後から病院へ。 そのまま病院に泊まり込みました。 血圧、上が70〜80。 下が50という状況で父はそれから3日頑張りました。
呼びかけにも応じるし 「きょんきょん(長女)が来たよ!ゆったんも(次男)浜松から来たよ!」 の声に目も開け、枕元の孫らに手を挙げて酸素マスクの下で何か話していましたが僅かに声が出てはいるものの、言葉にはなりませんでした。 よく言われている「がん患者は最期まで耳の機能は失われないので、周りの声はちゃんと聞こえている」と言うのは本当でした。 最期の最期までこちらの呼びかけにまばたきや首をわずかに振る事で応じてくれていました。
今日はお通夜でした。 明日、告別式となります。 生憎、今日明日は雨模様と言うのがとても悲しいのですが それでも新潟から車で駈けつけて来てくれる親戚衆が、休日割引を使える日程だという辺りが気を使う父らしいねと母と笑いました。
昨夜7時頃、子供らと夕飯を食べて居て 「自宅でこんな時間にのんびりと夕飯を食べるのって何か月ぶりだろうか?」 ってしみじみ思いました。 11月からこっち、昼間夕飯を作りにあわただしく帰宅。 病院へは毎晩通ってましたので、いつも夕飯を食べるのは9時過ぎ10時過ぎ。 そんな日々が当たり前になっていたこの頃でした。 ここ1〜2ヵ月父は食事をほとんど取れなくなっていたので、病院で出される食事は代わりに自分がベッド脇で美味しく頂いていました。 仕事が終わってから制服のまま直で病院へ通うのが日課になってましたので、仕事帰りにまたついうっかり病院へ行ってしまいそうな気がします。 (母も同じこと言ってた)
看病してたこの4ヵ月。 色んな事がありました。 またここにあれこれ父の思い出を語らせてもらおうと思います。
|