光ちゃんのことと関係ないことですが・・・。
直接何も言えませんから、書いておこうかと。 お恥ずかしいですが・・・。
1月11日、昨日は成人の日でした。 新成人のみなさま、ご家族のみなさま、おめでとうございます。
長男も新成人。 誕生日ももうすぐです。 20年って何と早く過ぎること。
何年も待って待って、やっと生まれてきてくれたとき、 嬉しくて嬉しくて、 神様が、私をかわいそうに思って、授けて下さったんだって、 この子が大人になるまで育てさせてもらえるんだって、 自分の子供であっても、大切な預かりもののように、感じたものです。 親子であっても、自分とは別人格の、他人なんだと。 それは不思議な感覚でした。
赤ちゃんのとき、一番泣いたのが、お宮参りで私が着物を着ていて、おっぱいをすぐに出せなかったとき。 あの時、はじめて泣き声を聞いた気がします。 それほど、いつも機嫌が良くって、よく笑っている子でした。
でも、小学生の時、あなたは言いましたね。 「泣いたことがないから、泣き方がわからないの」って。
そのとき、私は何て残酷な子育てをしてしまったんだろうって、愕然としました。 二男にも同じような子育てをしてしまいましたから、泣き声や、喧嘩、大きな声は家にはなく、平和に平和に時間が過ぎていました。 子どもの泣き声を聞きたくなかった私。 自分が気持ちの良い、楽しい、子育てをしていました。
赤ちゃんをずっと見ていると、少しの変化で、おむつが濡れたとか、おなかがすいたとか、暑い、寒いなど、母親にはわかってしまいます。 彼らが泣く前に、彼らが要求する前に、与えていました。 満たすことに一生懸命な未熟な母でした。
たくさん泣きたかったのにね。 自分で大きな声で要求したかったでしょう。 いやいやもしたかったでしょうに。 自分が相手にわからせるという、小さな達成感を奪ってしまっていたことにやっと気がついたのでした。 笑い話のようですが、肺の成長がほかの子より悪かったら、泣かさなかった私の責任と、お医者様に相談して笑われたりもしました。
親離れの早い子でした。 あとで気がつきました。 親が子供っぽいと、早く大人になってしまうんですね。 私が心配するのが嫌だったのか、「大丈夫。」が口癖。 ね、今でも、お笑い番組を見て、あんなに大声で笑うのは、泣いたり、暴れたりの代わり? 私自身も、子どもの頃、家の中では、言葉で自分の思いを伝える必要がありませんでした。 母が、察してくれたから。 父がたくさん笑わせてくれたから。 私の口下手はそれが原因。 わかっていたはずなのに、気をつけようと思っていたはずなのに、育てられたように、育ててしまうんでしょうか。 子育ては難しいですね。 無知で馬鹿な自分が情けないと思いました。
でも、子どもは、途中から、自分で自分を育てていくんですね。
そばで、成長を見続けることができて、良かった〜。 悩んでいるとき、苦しんでいるとき、何もできなかったけど・・・。
成人おめでとう。
そのまま、前を向いて歩いて行って。
私がどんなにあなたのこと好きか知らないでしょう。 今までも、これからもずっとずっと大好きよ。
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