絵梨の日記
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2009年06月01日(月) 太宰をおもう

太宰の『パンドラのはこ(むずかしい漢字)』。
高校の頃、挫折した作品だ。
今、映画化の折、ふたたび脚光を浴びている。
あの頃は、あの、なんでもない語りが痛かった。
今は、おなじような曲折をへてきた者として、
それなりに理解あって読める。(まだ数行のみだけれど。。)

浪人のときに、そして、留年を経て、
つかんだ自由はやりきれなかった。
とくに、単位のひとつの取りこぼしのために、
ふつうの人生とスケジュールからはみだした、ふがいなさ。

そのことを、ぞくぞくと思い出した。
あの頃の自分がこれを思い出していたなら、
どこかで読んでいたなら、きっと違っただろうし、救われもしたろう。

今となっては叶わないが、でも、今でも救われる思いがする。

暗くなりがちな作風の私が、いつも念頭にすくなからず置いていることがある。
「救いのある文章にすること」
それが、どんなものなのか、はっきりと定めているわけでもなく、
どんなものが理想か、抱いているわけでもないが、
ただ漠然とであっても、ずっと思ってることである。

今日は、これから麦茶で喉を潤しながら、ぼつぼつ執筆にいそしもう。
急がなくていい、慌てなくていい。今、できることから、着実に進もう。

太宰からはなれてしまったけれど。  水無月のはじめより


絵梨

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