僕らが旅に出る理由
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2010年07月25日(日) |
My Only London - 苦いお金 |
世の中にお金持ちというのは、上を見ればいくらでもいると思うけど、いたって平凡な市民である私がこれまででいちばんのお金持ちに会ったのは、ロンドンだった。 私よりいくつか年下の、30歳を少し過ぎた女性だった。 お父さんがお金持ちで、彼女は好きなだけお金を使える立場で、そのために彼女自身は一銭も稼いだことがなかった。 学校裏手のメイフェアにある高級フラットを借りて1人で住み、食事はロンドン名うての有名レストランでしか取らなかった。いつだったか彼女が携帯電話を買いに行った時に、店に入るなり品物を見もせず、 「この店で一番高い携帯をください」 と店の人に言い放った時にはびっくりした。
彼女は、そんな自分の特別さを中和するためか、いつも学校の友達を誘ってランチに行った。誘われたのは私のような、普通の人間が多かったので、食事はいつも彼女のおごりだった。 いつも5〜6人は引き連れて高い店で食事するのだから、出費はそれなりのものだったと思うが、彼女は1人で食事に行く勇気がなく、他の友達を誘うからといって店のレベルを下げたくもなかったので、結果、そういうことになっていた。
彼女は、自分のお金目当てに集まってくる心ない人たちが嫌だ、とよく言っていた。 最初は控えめにしているが、おごられ慣れてくるとどんどん図々しくなって、彼女より彼女のお金目当てに彼女と付き合うようになるのだ、と顔をしかめていた。 そういう会話の最後はいつも、 「でも、45さんは違うから」 などという殺し文句だった。私は自分が特別扱いされたようでうれしく、また自分では足を踏み入れることもできない店に次々連れて行ってもらえる物珍しさも手伝って、歯の浮くようなそんな言葉にもまともに頷いていた。
ただ、私がいつも彼女と仲良くしながら、そんな他人への非難を聞かされるたびに思ったのは、 (だけど結局、そのお金は自分で稼いだお金じゃないんでしょ?) ということだった。 お金を稼ぐことの痛みや不自由さを知らない彼女が、それを知っているが故に厚かましくならざるを得ない人たちにたかられたからと言って、どっちもどっちではないか、と思った。 彼女はそういうことが起こるたびに傷ついて、私に愚痴を言った。おそらく、他の取り巻きにも同じように愚痴っていただろう。そして私が彼女を慰めたように、皆から慰められていたことだろう。 しかし、当たり前の話だが、そんなのは友情ではない。友情の入口かもしれないが、よくて入口にすぎないのだ。
彼女はおそらく、友情がほしいなんてうぶな願いを持たないほうがよかっただろう。真面目に働こうなんて思っても無駄なのと同じように。 そんな望みを持てば持つだけ、空回りしていたのだ。 だけどそれをどうにか上手く言ってあげたいと思っても、山ほどおごられている手前、万一でも彼女の気分を害するかも知れない事は言えなかった。 私たちは、もう対等な関係ではなくなっていたのである。それこそが、友情の大前提であるのに。 それを招いたのは、彼女であったし、私でもあった。
日本に帰ってきてから、彼女には一度だけ会った。 相も変わらず目が飛び出るほど高いレストランに連れて行ってくれ、贅沢なランチタイムを過ごした後、店を出る時私が財布を出さないでいたら、彼女の顔が一瞬凍った。 私はそれに気づいてしまったと思い、あわてて支払うと言ったが、彼女はその時にはもう笑顔に戻っていて、受け取ってはくれなかった。
その後、彼女から二度と連絡は来なかった。
今思い出しても、恥ずかしくて消え入りそうになる。 私も結局、特別なんかではない、彼女が嫌っていた人たちと変わらない、厚かましい人種の1人に過ぎなかったのだ。あの場で形だけでも財布を出すことなんか、これっぽっちも頭になかったのである。きっと私は、彼女のことなんかずっと前から、もう好きじゃなかったのだ。なのに、ずるずるつながっていたのだ。 それにはきっと、彼女の持っていたお金が、やはり絡んでいたと思う。
後からいくら思い返してみても、どうしても正当化できない自分の行動というのが私の人生にはいくつもあって、これはその一つである。 5年が過ぎた今でも、まだ時々思い出しては赤面している。 彼女は彼女で、考えなきゃならない部分はあるだろうが、それは彼女の人生の問題だ。私は私の人生の問題を、解いていかなければならないと思う。
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