僕らが旅に出る理由
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2005年09月06日(火) |
My Only London - 旅の終わり(1) |
私は2005年の9月に日本に戻った。 ワークパーミットを得て渡英してから、ちょうど3年ほどの滞在だった。
原因の一つは英語だった。
ロンドンで暮らして、私の英語力は確かに伸びた。 渡英前は読み&書きの方が得意で、話す&聞くは苦手だったのに、3年経ってみると私の一番の得意はスピーキングになっていた。 電話の受け答えもある程度抵抗なくなったし、新聞を読むスピードも格段に速くなった。TOEICなんか955も取れて、赤子の手をひねるようなもんね、とせせら笑った。(←感じ悪) それでも、ネイティブにかなうとかかなわないというレベルでは全然ない。全然ないということが、年を追うごとにはっきり分かった。 言葉は、日常生活を送るのに支障ありません、というレベルでは、言葉として生きてないも同じだ。たまにいくつか英語でうまい表現を覚えてみても、ネイティブの言葉の潤沢さはそれどころではない。彼らの生き生きした英語の表現を目の当たりにするたびに、私は自分にがっかりした。
彼らのように英語が使えたらな、と本当に思った。 私は英語の、あの音楽のような心地よい音程が好きだ。日本語にないリズムとメロディがある。そして、あの硬質でエッジがきいた発音が好きだ。特にイギリス風の発音にそれがあると思う。それらを、まるで難しい歌を上手に歌うように、上手く使いこなせたら気持ちいいだろうなと思った。
だけど、それは無理だな、というのが段々に分かった。 物事なんでもそうかも知れないが、外野から見ているとできそうに思えることでも、いざやってみると生半では無理だというのが分かる。私もロンドンに来るまでは、数年いれば何とかなるんじゃないかと思っていた。でも、そうじゃなかった。
バタシーに住んでいたころ、お気に入りでよく通ったカフェがあった。テラスから運河が見渡せ、天井には扇風機のプロペラが回っているような、古い造りの店だった。そこである午後お茶していたら、近所の子供連れがやってきた。お母さんはテーブルで注文していたが、子供(2才くらい?)は物珍しいのか、フロアをトコトコと歩き回った。やがてテラスの近くまで来たが、たまたま置いてあった折り畳みの梯子に興味を持ったようだった。それは、彼から見ると少し高いところに立てかけてあった。 ふわふわの金髪が愛くるしいその子は、目をくりくりさせてお母さんの方に向き直り、一言こう言った。
「Off!」
お母さんはあぁダメよ、それは店のだから、などと言いながらその子を連れて行ったが、私はその一言で負けた、と思った。私ならここで、offは出ない。 つまり私はoffの使い方一つ、2歳児に勝てないのだ。 あの子はladderもcould you pleaseという言い方もまだ知らないだろう。それでも、言いたい事を言うために一番必要な一言を確実に紡ぎ出す。ネイティブであるとはそういうことだ。 私も、「この梯子を下ろしてください」と言うことは出来る。それらしい単語を10も思いついて、その子がやったよりももっと具体的に、礼儀正しく言えるかも知れない。だけど、英語は私にとって、しょせん付け焼刃の言語だ。「それらしく」言うのがせいぜいで、「それ」をがっちり掴むところまでは、たぶん行けない。そして、「それ」をガッチリ掴むことができないというのは、要するに、カッコ悪いということなのだ。
私は、カッコいいものになりたかった。そして、自分がもしそのカッコ良さに到達できるとしたら、それはやはり自国語を持ってでしかないのだろう、と思うようになった。
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