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■ 久住ケイ③
この掌の中に彼女が欲しい。 僕を狂わせるその目で。 どうかいつまでも見ていて。
「え?なになに?どうして?」
扉を開けるなり飛び込んできた光景に、少しばかり呆気に取られたあと、我に返った僕は矢継ぎ早にそう聞いた。
「ケイちゃんなにそんな驚いてるの」
あいもかわらずのんびりした口調の櫻井くんが、僕を見上げる。ただでさえ僕より背の低い彼が、床に座り込んでしまえば、まるで小さな子供のような風情だった。
長い睫毛に縁取られた大きな瞳の虚ろな眼差しを見るに、今日もまたあまりよろしくないものに手を出しているに違いない。 だが、そんなことは僕にとっては些少の事だ。寧ろどうでもいい。
「どうしたの。なんでそんなに理央さんに懐いちゃってるの、きみ」
部屋の壁際に置いた二人掛けのソファには、理央さんが一人で座っている。 端の糸処理もしてない布切れに熱心に刺繍を施している彼女は、僕の来訪を気づかぬ訳がないのに、目線一つあげようともしない。 そんな理央さんの脚に腕を巻きつかせた櫻井くんが、まるで女神を見るような恍惚した表情でうっとりと理央さんを見つめていた。
何がどうした。 櫻井くんがヘテロかどうかは良いとして、あの理央さんがこんな状況を良しとしていることに正直驚きを隠せずにいた。
理央さんは、しなやかなヤマネコのような女性だ。 群れることを知らない、美しい孤高の女丈夫だ。 彼女に群がるものがあっても、切り捨て跳ね除けてしまう。身体も心も全てが冷えた刃で出来ているかのように、凜と冴え渡っている。
その理央さんが誰かに、しかも異性に肉体を触れさせたまま良しとしているなんて、誰が考えるだろうか。
それとも櫻井くんは半分女性みたいなものだから、許されていると言うのだろうか。 だが、いくら華奢で細身と言えど彼の身体はれっきとした男であるし、異性と言う括りには間違いはないのだ。
いくら考えても眼前に広がる光景に、答えなど思いつくわけもなく。 ふと煙草を欲した手が自分の懐をまさぐったところで、櫻井くんを足元に置いた理央さんが顔を上げた。
「気持ちが悪いことを、一人でべらべら喋らないでくれません?」 「あれ?僕、口に出してました?」 「ええ、ずっと」
彼女の大嫌いな節足動物を見るような目が、僕を突き刺す。 一瞬、今まで考えていた疑問など消え失せて、歓喜に身体が震えた。幸せだ。僕は今、理央さんの目を独占しているのだから。
「久住さん、気味が悪いので笑うのもやめてください」 「笑ってました?」 「ええ、ずっと」
そう言って理央さんは、僕から目を離して櫻井くんを見下ろし、ふわふわした彼の小さな頭を何と撫で下ろした。
なんだなんだ、何の博愛精神だ。
「でも気になるじゃあないですか、昨日の朝まで何もなかったのに、今朝になってみるとこんなに仲睦まじいなんて」 「放っておいて下さい」 「置けるわけがない」
返事はなかった。ただ、疲れたように理央さんが息を吐いた。 生き物として当然の呼吸という行為ですら、彼女がするとまるで歪だったものが滑らかになったような安定を覚える。
「一線越えました?」 「、、、そんなこと聞いてどうするんです」 「想像しようと思って」
どちらが下になるのか。どんな声を出すのか。どんな、目をするのか。
「ふふ、ケイちゃんって本当気持ち悪いよね」 「そうかい?当たり前のことだと思うけどな。 そだそだ。前から気になってたんだけど、櫻井くんてさ、男として役に立つの?」 「えー」 「何を聞いてるんですか」 「え?いやあ、どうなのかなと」
ざくざく、と縫う音が立つ気がする程の乱暴さで針が動かされる。 刺繍針の太さはとても僕好みで、それを理央さんが手にしているというだけで心が踊る。
「久住さん」 「なんでしょう」 「鍵がかかっていたでしょう。あなた、どうやって入ったの」 「鍵?ああ、造作もないことです」
そう言って僕は自慢のピッキンググッズを取り出し、理央さんに見せた。 全て手作りです、と取って置きの笑顔で伝えれば、理央さんは僕を見ないまま酷く険しい顔をした。 まるで、百足の大群に身体中を這われたような。 何て美しい。ああ、こちらを見てくれないかな。瞬きの合間でも構わない。
「今何を考えてるか当ててみましょうか」 「必要ありますか」 「えぇ、僕にとっては」
まだ会話が続くことにうんざりした表情で、理央さんは再び目線だけ上げて僕を見る。
「まるで害虫だわ」
あぁなんて麗しい姫。息が止まるような冷たいその目で、どうか僕だけを見ていて。
【END】
2014年06月09日(月)
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